日々是好日

撮った写真や思っていることなどを気の向くままに書いています。

写真

2021-01-23 07:00:00 | 雑談

昨日書いた記事「長白山」に載せた写真のこと。

記事を書くために記憶を呼び起こそうとして、「長白山」と検索してみた。

次に、画像検索もしてみた。

その中に見たような写真があって驚いた。

残雪の形、雲の形など、全く同じ写真だった ??

 

 

この写真をネットにアップしたのは昨日が初めてだった。

それなのになぜ?

その写真のリンクを開き、記事を出してみたところ「○○○ ab○ut」というサイトだった。

このサイトは様々な情報や話題について投稿記事などを募集して書かれているようだった。

その中の海外旅行情報で「中国のおすすめ観光スポット」という、10年ほど前に書かれていた記事の中で使われていた写真だった。

 

この写真はデジカメが普及する以前に一眼レフで撮って、プリントアウトしたままずっとアルバムに保存されていたのに、なぜ?

色々と考えてみて、思い当たることがひとつあった。

それは、旅行から帰ってすぐ、ある広報誌に記事を書いたことがあり、その時にこの写真を使ったので、記事に添付して、プリントアウトしたものを印刷所に渡したことがあった。

もちろん写真は返してもらったが。

それしか思い浮かばない。

あとはずっと押し入れの中にあったのだから。

 

写真にウォーターマーク等を入れていないのも悪かったとも思っている。

大した写真でなくとも、無断でコピーされるのはあまり気持ちの良いものではないので、今回は一応そのサイトに連絡を入れてみた。

無断使用というよりも、どうしてそうなったか、経緯を知りたい、ということで・・・。

 

 

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長白山

2021-01-22 07:00:00 | 海外旅行

緊急事態宣言が出てしまい、不要不急の外出をしないようにお願いされると、旅行写真でブログを書いている身には辛いものがある。

話題がないのだから。

そこで、今回は少し古い話を書いてみた。

 

自分には中国人の友人がいる。

彼女の出身は吉林省延吉市、そう、北朝鮮に近く、脱北者の多い地区、それで分かると思うが、漢民族ではなく、朝鮮民族なのだ。

だから言葉は韓国語、もちろん中国語も話す。

その彼女と一緒に中国国内のさまざまな場所を旅した。

その中でも少し変わった体験のことを書いてみようと思う。

 

ちょうど20年前のこと、彼女と一緒に長白山に登った。

「長白山」とは中国語表記で、韓国語では「白頭山」と書く。

この山の頂上は中国と北朝鮮の国境になっていて、北朝鮮の「金正日」の生まれた山としても有名になっている。

登ったのはもちろんその山の中国側の方だった。

中国国内ではある程度有名な観光地になっている場所だった。

 

北京乗り換えで延吉に入り、前泊した。

この時、言われたのは「ホテルでは絶対に日本語を話さないこと」だった。

というのは、日本人だと宿泊料が高くなるらしい。

だからホテルではすべて彼女にまかせ、後ろに付いていっただけだった。

 

朝の暗い内に延吉のホテルを出発して長白山に向かった。

途中の朝鮮民族の村で朝食を食べた。

この辺りにはレストランなどは無く、普通の民家だった。

詳しくは覚えていないが、犬のスープなどがあったような

旅行者に食事を提供して生計を立てている、といったことも普通らしかった。

 

長白山までは4~5時間、ずっと田舎道と山道だった。

途中には「長白瀑布」と温泉があった。

長白瀑布は高さ68mもあり、絶壁を一気に流れ落ちる素晴らしい滝、温泉は誰もいない小屋があり、コンクリートの湯船があっただけだった。

長白山に近づくにつれてレストランや宿泊施設も多くなり、長白山の山門に着いた。

入場料を払った先には客引きがたくさん待っていた。

ここから山に登るのには徒歩は禁止、四駆車を利用しなけらばならなかったので、その客引きだった。

車はパジェロが多かったと記憶している。

値引の交渉をするのが当たり前らしかった。

ガードレールは無く、石がゴロゴロとした道、下は断崖絶壁だったので、20分くらい怖い思いをしながら車に乗せられ、着いたのが山頂下の駐車場。

そこから天文峰展望台までは楽な山登りだった。

長白山頂上の展望台の500mほど下にはカルデラ湖「天池」があった。

「これを見ずして長白山に来たと言ってはならない」という言葉があるほどなので、やっぱり素晴らしかった。

 

[天文峰から見た天池]

 

天池を見て満足して、その後は「図們」に寄ってみた。

ここも北朝鮮との国境の街。

 

[図們国境大橋]

 

橋の向こうは北朝鮮になっている。

橋の中央に国境の線と監視所があり、そこまでは行くことができた。

お互いの住民たちが大きな荷物を背負ったりして、自由に行き来している様子が意外だった。

もちろん通行手形のような物があるのだとは思うが・・・

手前の図們側は賑わっていて、向かい側の北朝鮮の方はひっそりとしていた感があった。

そして図們側には公園のような場所があって、観光地にあるような望遠鏡があり、北朝鮮側をのぞけるようにもなっていた。

望遠鏡をのぞいている観光客もたくさんいて、何となく中国側から北朝鮮側を見下しているような雰囲気が感じられた。

 

珍しい体験だったので、思い出しながら書いてみた。

残念なのが写真が少ないこと。

まさか数年後にブログに載せるなどとは思わず、昔の写真はデジタルではなかったので、ほとんど処分してしまったから。

 

 

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スリランカの旅⑦ ゴール(ガル)

2021-01-20 07:00:00 | 海外旅行

 

キャンディからは海岸沿いに出て、高速道路を使い「ゴール(ガル)」まで移動した。

それでも約6時間かかった。

スリランカの南西海岸は「黄金海岸」と呼ばれ、黄褐色の色をした砂のビーチが数十キロに渡って続いていて、その南端が「ゴール」の街になっている。

ゴールに着く手前、アンバランゴダとヒッカドゥワの間に大仏があった。

これは2004年のスマトラ沖地震の際、スリランカの海岸沿いでも多くの犠牲者が出た。

この辺りで、コロンボ発ゴール行きの列車が津波に流され横転してしまったらしい。

その時に犠牲になった人たちを慰霊するために、京都本願寺が建立した大仏(ツナミ・ホンガンジ・ヴィハーラ)だとか。

あちこち回ってみると日本の○○が寄付したとか、援助したとか、たくさん見かけられた。

結構日本とつながっているんだ、と感じた。

 

[ツナミ・ホンガンジ・ヴィハーラ]

周りは公園のように整備され、慰霊碑もあった。

 

大仏の前の海岸で休憩をとった。

ちょうど地元の人たちが地引き網をしていて、一緒にどうぞということだったので、仲間に加わり、何と言っているか分からないが、みんなで大きな声でかけ声をかけて綱を引っ張った。

思わず楽しい体験をすることが出来た。

 

 

ここからゴールに行く途中で昼食だった。

やはりビュッフェ方式のレストラン。

毎日いろいろな種類のカレーのような物が多かった。

美味しかったのだが、少し飽きてきた。

 

 

ゴールに着いた。

スリランカ南端の街、ゴールは、世界文化遺産「ゴールの旧市街とその要塞」に登録されている。

この街はかつてアラブ人の貿易地として発展した港街だったが、その後、ポルトガル、オランダの植民地となり、オランダはここを城塞都市とした。

そして更に、イギリスの植民地となったが、砦などは壊されることなくそのまま利用されていた。

ゴールは常に植民地の拠点となってきた街なのだった。

 

インド洋に突き出した小さな半島を要塞で囲み、その中に旧市街があった。

要塞の中にはキリスト教の教会、モスク、仏教寺院などがあり、一歩足を踏み入れれば、オランダ・イギリスの植民地時代が思い起こされるようだった。

 

[オランダ改革派教会]

スリランカで最も古いプロテスタント教会。

 

[オール・セインツ教会]

サンゴ石で出来た壁が特徴的なイギリス国教会の「オール・セインツ教会」。

 

 

[街並み]

植民地時代の街並みは、コロニアル調の建物に赤茶けた瓦屋根が特徴だった。

 

[時計塔]

旧市街のランドマーク、砦の上に立っている。

 

[灯台]

岬の先端に立つ高さ20mの白亜の灯台。

初期の物は焼失したため再建された。

 

[海岸沿いで見かけた花嫁]

 

[ゴールの紋章]

紋章の一番上にはニワトリが乗っている。

「ここに着いた西欧人がはじめて聞いたのがニワトリの声だったから」と、ガイドさんが教えてくれた。

 

仏教寺院が数多いスリランカの世界遺産の中で、「ゴールの旧市街とその要塞」は趣が違っていた。

 

スリランカの旅も終わった。

8ヶ所ある世界遺産の内、6ヶ所を回ったことになる。

明日はコロンボに行くだけだった。

コロンボ空港が改装中のためチェックインは5時間前となっていたので、コロンボ市内を観光する時間はとれず、空港から成田に直行となった。

 

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スリランカの旅⑥  ヌワラエリヤ

2021-01-19 07:00:00 | 海外旅行

 

キャンディから日帰りでヌワラエリヤの観光をした。

ヌワラエリヤはスリランカ最大の紅茶の産地となっている。

ヌワラエリヤとは「光溢れる街」という意味で、スリランカの高原地帯のほぼ中央にある街。

そこで茶畑と紅茶工場の見学、市内観光を予定していた。

 

この日の観光はヌワラエリヤだけだったので、ゆっくりと朝食をとり、出発も遅い時間だった。

でも山道を通ったので思ったよりも時間がかかり、着く前に少し早い昼食になってしまった。

このあたりは山岳地帯で周りは山だらけ、見どころも食事をする場所もなく、唯一「ランボダの滝」の近くにレストランがあり、ここでビュッフェ形式の昼食になった。

 

 

昼食後は滝の下まで歩いて行った。

滝は日本人にはあまり珍しくないのだが、ガイドさんやドライバーさんには珍しいのか、はしゃぎながら写真を撮っていた。

 

山の中を走り続け、目の前が開けたと思ったら一面に茶畑が広がっていた。

この辺り一帯の茶畑は「Mackwoods Labookellie」 という会社のもので、山を登ってくるときにこの会社の看板をたくさん見た。

ここで茶摘みの女性たちに混じって一緒に茶摘み体験にトライした。

大きくて長い籠を背負い、お手本どおりに「一芯二葉または一芯三葉」のみを傷つけないように摘んだ。

摘んだら後ろの籠に投げ入れ、それを延々と続ける。

遊びでやるのは楽しいが、1日中これをやっている人は大変だなぁ、というのが感想だった。

 

 

茶摘み体験の後は「ラボケリーティーセンター(Mackwoods Labookellie Tea Centre)」で工場見学。

工場内を丁寧に案内してくれ、その後はお決まりの売店での購入タイム。

それでも無理に勧める訳でもなく、工場見学も含めて全体に良い印象だった。

コーヒー派の自分にはあまり興味がなかったが、日本で買うと高価なBOP(ブロークン オレンジペコ)とやや渋みの強いBOPFなどの試飲もでき、日本の3分の1ほどの値段で買うことができたようだ。

紅茶好きな人には最高だと思う。

 

紅茶工場のあとはヌワラエリヤ市内に向かった。

ヌワラエリヤ一帯は高原地域のため、イギリス植民地時代には避暑地として栄えていた。

そのため、今でもイギリス風の建物が点在し当時の面影が残っている場所だった。

でも、特に見どころがあるわけではないようで、街並みとグレゴリー湖だけを見てすぐにキャンディに戻った。

 

 

[郵便局]

おしゃれで立派な建物だった。

 

[トゥクトゥク]

三輪タクシーで、東南アジア地方では有名な乗り物。

街の中にたくさん走っていた。

 

[ヌワラエリヤの街並み]

 

 

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スリランカの旅⑤ キャンディ

2021-01-18 07:00:00 | 海外旅行

 

シーギリヤのホテルからキャンディまでは約4時間かかった。

スリランカは小さな島国だが古代遺跡や8ヶ所もの世界遺産が点在している。

シンハラ王朝最後の都、キャンディも「聖地キャンディ」として世界遺産に登録されている。

 

王朝の象徴であった仏歯(釈迦の左の犬歯)は遷都のたびに運ばれ、現在ではキャンディの「仏歯寺」に安置されている。

この歯は王位継承の印とされていた。

スリランカにとって仏歯はなくてはならない国の宝の1つになっていて、歯が安置されている「仏歯寺」は仏教徒の聖地になっている。

 

キャンディに着いて最初に行ったのがマーケットの見学だった。

マーケットは地元の人と観光客で賑わっていた。

中庭はきれいに手入れされていて、1階には食料品、2階には衣類やお土産物などのお店が並んでいたが、お世辞にもきれいとは言えず、やはり他の東南アジアの国と同じように、臭いがきつかった。

 

 

ここのイチオシはスパイスだとか。

定番の物から珍しい物まで種類も豊富で値段も安かった。

 

買い物を終えてから仏歯寺に向かった時は夕方になっていた。

周りは薄暗くなっていたが、車窓から仏歯寺の南に広がるキャンディ湖はよく見えた。

この湖はキャンディのシンボルで、王朝最後の王であったスリー・ウィクラマ・ラジャシンハによってられた人造湖。

かつては湖に浮かぶ島には王のハーレムがあったと伝えられている。

 

[キャンディ湖]

 

 

[仏歯寺]

 

仏歯寺は真っ白な八角形をしたシンハラ建築の建物だった。

プージャと呼ばれる礼拝の時間が1日に3回あり、その時にのみ仏歯の祀られている部屋が開放されるらしい。

ガイドさんは夕方6時半の礼拝の時間に合わせてこのお寺に連れてきてくれたようだ。

でも、実際見ることができるのは仏歯が祀られている入れ物だけで、仏歯自体は見ることができない。

それなのにどの時間帯も仏歯を一目見ようとたくさんの人が訪れるということだった。

 

セキュリティチェックを受けて敷地内へ入った。

本堂の脇で靴を脱ぎ、堀を渡って中へ入ると、ゾウが通れる大きさになっているというアーチ型天井の通路があり、「ペラヘラ祭り」の様子が描かれた壁画がたくさんあった。

「ペラヘラ祭り」はアジア三大祭りのひとつとされていて、7~8月ごろ、およそ1週間にわたって仏歯を納めた容器を背に乗せ、電飾で飾られたゾウを先頭に音楽隊やダンサーなどの一団が街中を歩いてパレードするお祭り。

現在では仏歯に敬意を払うことの他に、仏歯は恵みの雨をもたらすと言われているため雨乞いの儀式を合わせているらしい。

「ペラヘラ」とは行列を意味する言葉だとか。

壁画の通路から先へ進むと、仏歯寺の中で一番古い2階建てのお堂があった。

そのお堂の2階に仏歯が祀られているので、階段を上って2階に向かうのだが、とにかく人が多い。

周りには素晴らしい彫刻や絵があるのだが、ただ押し流されているだけで、全く見ている暇もなかった。

1階に太鼓を持った人が2人現われ、太鼓とラッパの演奏が鳴り響きてプージャの時間になった。

この時、2階ではいつもは閉じられている祭壇の扉が開いた。

 

 

仏歯の入った金色の入れ物は全員がゾロゾロと歩きながらチラ見するだけだった。

一応は見たけれど、何だかなぁといった感じだった。

もしここで見られなくとも、1階の祭壇の脇に設置されたモニターでその映像を鑑賞することも可能だったらしい。

こっちの方がはっきりとしていたかも。

 

仏歯寺を出てからは近くの劇場に行き、「キャンディアンダンス」の鑑賞もした。

キャンディアンダンスは、数分程度の演目がいくつか組まれ、それぞが違った演出になっていたので、結構面白かった。

スピード感あるダンスや曲芸、アクロバットのようなもの、最後はファイヤーダンスで燃える火の上を裸足で歩くといったような演目あった。

 

[キャンディアンダンス]

 

キャンディアンダンスの鑑賞後はすぐ近くにある「クイーンズホテル」に向かった。

このホテルで2泊することになっていた。

仏歯寺の真正面にある立派なホテルで、コロニアル調の歴史あるホテルらしく、キャンディでは有名なホテルのようだった。

 

明日はヌワラエリヤに行き、再びキャンディに戻ってくる予定。

 

 

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