映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「青天の霹靂」 劇団ひとり&大泉洋

2014-05-28 20:12:14 | 映画(日本 2013年以降主演男性)
映画「青天の霹靂」を映画館で見た。
劇団ひとりの監督作品で、大泉洋の主演だ。

情報によると大林宣彦監督作品「異人たちとの夏」と似たようなタッチだという。この映画を見た時泣けて泣けて仕方なかった。「異人たちとの夏」では主演だった風間杜夫も出ているというではないか。期待感を持って映画館に向かった。

タイムスリップして若き日の父母に会うという設定こそ「異人たちとの夏」と同じだが、まったくのオリジナル脚本である。生まれてから会うことのなかった実母との交情は思わずシーンとくる。図ったように涙が止まらなくなる。

場末のマジックバーで働く39歳の晴夫(大泉洋)は、母に捨てられ、父とは絶縁状態。ある日、父の訃報を聞いて絶望した晴夫は、気がつくと40年前の浅草にタイムスリップしていた。浅草の演芸場で若き日の父・正太郎(劇団ひとり)と母・悦子(柴咲コウ)と出会い、スプーン曲げのマジックで人気マジシャンになった晴夫は、父とコンビを組むことになる。

やがて母の妊娠が発覚し、10カ月後に生まれてくるはずの自分を待つ晴夫は、自身の出生の秘密と向き合うこととなる。

主人公が40年前にタイムスリップしたとき、まだ赤ん坊は生まれていない。
もし生まれたら2人は同じ世界に生きていることはできない。それまでしか40年前の世界にいることができないのである。そこで自分の母親と初めて会話を交わす。
巨人がV9の優勝をすることなど主人公が予言してきたことが当たっていた。それなので「自分の将来はどうなるの?」と母親が主人公に聞く。言葉を詰まらす主人公と母親を映すところは実にジーンとくる。あと少ししか生きない母親のことを思うとせつない主人公がポツリポツリ話す。素敵なシーンだった。
私事だが、母が6年前に亡くなった時、自分が生まれる時の経緯を書いた母の日記帳がでてきた。それを読んでいると泣けて泣けて仕方なかった。その時のことを思い出す。


1.マジック
売れないマジシャンという設定がうまい。マジックと映画との相性はいい。最近の洋画では「グランドイリュージョン」香港映画「大魔術師Xのダブル・トリック」などいずれも楽しまさせてもらった。そういえば日本映画ではあまりないなあと思っていた。マジックのレベルはさほどではないがいい感じだ。

2.胎盤剥離
母親は主人公を捨てて飛び出したと父親に伝えられてきた。ところが、真相はそうではなかった。胎盤剥離で生むと同時に亡くなってしまったようなのだ。
実は自分の娘が生まれる時、妻が早期剥離で危険な状態になった。母体の方を優先させますが、2人とも極めて危険な状態と医師から伝えられたのである。結局帝王切開で娘は母体から脱出、母親は大出血だったがなんとか生き延びた。娘が看護婦さんに抱かれているのを見て、一旦はあきらめた子が生きているということに驚いた。
妻はなかなか自宅に戻れず、一か月近く入院した。うちの家族はそういった意味ではラッキーだったが、この映画の母親は残念なことになる。改めて娘が生まれた済生会病院に感謝の気持ちを持った。

3.時代背景
昭和48年のはずだが、自分が見ている感じでは走っている車や街角の風景など昭和42年~44年前後くらいの設定のように感じる。少し古めじゃないかな?万博を起点に街の雰囲気はずいぶん変わるんだけどなあ。劇団ひとりも昭和52年生まれだけにこれは仕方ないか

4.エンディング
この終わり方はよかった。大泉洋のセリフを聞いてすがすがしく映画館をあとにすることができた。

劇団ひとりの映像作りのセンスに驚いた。
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映画「お嬢さん乾杯」 原節子

2014-05-28 18:53:41 | 映画(日本 昭和34年以前)
映画「お嬢さん乾杯」は昭和24年(1949年)の木下恵介監督、新藤兼人脚本の作品
原節子、佐野周二のコンビで身分のちがう2人の恋愛話である。

戦争に敗れて、戦前の上流階級の多くが没落した。その後の生活については多くの文学作品や映画がつくられている。
逆に復興景気にのり成金となったひとも多い。その成金が没落貴族のしりぬぐいをするという話だ。

石津(佐野周二)は自動車修理工場を経営する34歳独身である。顧客の佐藤から見合い話が持ちかけられてきた。お相手は学習院出のお嬢様である。話を聞いてすぐさま断るが、佐藤はしつこくお見合いを迫ってくる。やむなく石津が常連の銀座のバーで会うことになった。
そこに現れたのは清楚な美女池田泰子(原節子)である。お見合い写真は女学校時代の写真でよく分からなかったのだ。性格もよく石津は一目ぼれする。しかし、育ちの違いで当然自分を選んでくれるはずはないと思っていた。直後に女性側からいい返事が返ってきた。石津は大喜びであった。

お屋敷街にある彼女の家に訪問する。祖父母と母(東山千栄子)そして姉夫婦とその2人の子供が同居していた。
2人きりで会話を始めると、お見合いの真相が分かってきた。
彼女の父親がある事業に関わったところ、騙されてしまう。事業にあたり現在の居住には100万円の抵当がついていた。それなのに、父親は詐欺罪で現在小菅の刑務所にはいっている。返済の期限は3ヶ月先まで、それまでに残債抹消しないとお屋敷を出ねばならない。そこで昔から池田家に関わっていた佐藤が石津に目をつけたのだ。

何かはめられた感じを覚えたが、石津は2人で会うようになる。緒にバレエを見に行ったり、逆に石津の趣味のボクシング(拳闘)を見に行ったり2人は楽しい時間を過ごす。
その後もデートしたが、泰子が気乗りしているように見えない。そこが気になるのであるが。。。

戦後間もない映画だけに粗い部分は多々ある。現代と比較するのは酷だろう。
戦前の方が明らかな身分格差があったわけで、それがなくなったための影響は民衆にとっても関心事であったに違いない。
テレビがない時代で、ラジオでここまでの話ができるかどうかは疑問。活字媒体を除けば映画で伝えるしかないだろう。

1.小佐野賢治
この映画の主人公のモデルは小佐野賢治と思われる。のちにロッキード事件が発覚し「記憶にございません」の小佐野の国会答弁が流行語になった。山梨の田舎者だった小佐野が戦後資産を蓄えて学習院出身の華族の令嬢と一緒になったのは有名な話である。推測の域を超えないが、巷のうわさで2人の結婚は話題になったのかもしれない。目ざとい新藤兼人が目をつけたのもわかる。

2.昭和24年の道路事情
銀座付近でも車はほとんど走っていない。佐野周二が軽快にオートバイに乗るシーンが印象的だ。
まるで田舎の道を走るがごとく、すいすい大通りをUターンするのが滑稽である。赤坂見附の交差点を映しているシーンも同様だ

3.当時の100万円は?
日経平均は昭和25年を100として、途中補正を加えながら持続性のある指数になっている。現在は14500とすると、大雑把な数字であるが映画に出てくる担保の100万円は1億4500万円ないしはそれ以上の数字といっていいだろう。原節子がタクシーで自宅のある「小石川西片町」に向うシーンがある。
このあたりは現在でも人気のある場所で坪単価200万円はくだらないであろう。お屋敷の敷地が120~150坪前後と推定されるからまあ時価3億円といったところか
そう考えると不自然ではない。当然この家族は稼ぎなさそうだから、一括返済は無理。そこに主人公登場するしかないのだ。

4.安城家の舞踏会
類似した話である。いずれも新藤兼人の脚本だ。やはり戦後没落した上流の家が資産を維持するために、元の運転手に自宅を身売りするという話である。華族が自宅を売らざるをえないくらいに没落するということが同じである。

安城家の舞踏会もそうだが、戦前の上流階級が過去の栄光を捨てきれないセリフを何度も発する。金のために結婚という話を何度も口にして、腹だたしい場面が何度も出てくくる。映画を見ていて何度もムカついたが、それが新藤兼人の思うつぼなのだろう。
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