わだつみの華

あなたの心という大海原を
心地よい風が渡っていきますように

(記事はリンクフリー)

宝について(2)

2022-12-26 11:15:32 | 癒し
    (前日からの続き)
人間というのは、何だかんだと思う
もんですね。
今晩のご飯は何かしらとか、人と
しゃべっても何かいろいろと浮かんで
来るもんでしょ。
ところが、全く何も考えちゃいけない
ということ。
例えば、雨の降る日に傘もささずにね、
車道の真中を歩いて、さあどうなる?
というような事をさせられたわけですよ。
だけど私はもともとが常識的な人間で、
常識から一歩も出たことがない人間でね、
カチンカチンの人間ではなかったけれど、
そういう常識的なところを持たされた人間が、
そういう一見すると非常識なところを
通ってね、そうして超常識にさせられた
というのは、個人としてはとても辛い
ことだった。
けれども、それを通して、結局は人間の智恵
ではなくて、肉体をもって生きている
ということは、神様の智恵が神様の方から
流れてくるんだということが実感として判った。
自分が直霊に合体した時に、自分の身体でもって
判ったわけですね。
心でもって判ったわけですね。

それで、人間というのは、誰一人として
例外なくそういうふうになっていけるという
ことです。
つまり、人間は、我が有って苦しむけれども、
我というものが無くなって空っぽになった時、
神の智恵、神智に満たされて、自分自身を
大事にして、相手も大事にして、自分を赦し
相手も赦し愛してゆく時に、本当に朗らかに
なってゆく。
           (つづく)

宝について(1)

2022-12-25 10:00:33 | 癒し
話すときには何にも考えていないんです。
空っぽなんです。
思い浮かべるということもない、流れて
くるままにしゃべります。
どこかの本にも書きましたけれど、うしろに
釈迦がいたり、キリストがいたり阿弥陀さんが
いたり、まあいろいろ忙しいわけですね。
私はその司会役をやっている。
かといって、私の自分の中の人間性が壊れる
ということは全くなくって、五井昌久という
人間性でもってしゃべっている。
みんなそう思っているけれども、私には私
というものは全く無いんですね。
私心とか、あいつが憎いとか、そういう想いが
全くなくって、ただ相手の心が映って来る。
例えば、私に何を聞きたいのか、この人にとって
何を答えてあげれば一番本心を開発してゆけるか、
そういうところだけを見て、私という個人が何かを
判断するのではなくて、そこで私を支えている
守護霊や守護神、神様の方で必要な言葉や知恵を
与えられて私がしゃべっている訳ですね。
そういうふうになるまでに三ヶ月間くらい、想念停止
というものをやらされたんですね。
それは本の中にも書きましたけれど、本当に
思っちゃいけない、何にも考えちゃいけないとね。
               (つづく)

日常の言葉で 講話を

2022-12-24 10:37:57 | 癒し
神さまという
言葉を
つかわないで
講話をして
ごらんなさい

あたりまえの
日常の
言葉を
つかって
宗教とか
祈りとかいう
言葉を
もっともらしく
つかわないで
大きな大きな
大河のなかで
あそびながら
しゃべってごらんなさい  
      第21巻「さやけき生命」 了

五井先生が 心がけてきたこと

2022-12-23 08:39:55 | 癒し

単純な
子どもでも
わかるような
言葉で
語ること
いつも
いつも
五井先生が
心がけてきたことです

やさしく
わかりやすく
しつこくなく
ひらがなの
こころで
やさしいこころで
しゃべるとき
いつのまにか
かみさまの
舌になってゆくのです