「萩往還」は、日本海に面した萩城下町(萩市)から山口市を経由して、瀬戸内海の海港・三田尻(防府市)までを結ぶ、全長約53kmの歴史街道です。今日、残りの山口市天花橋から佐々並までを歩き、ついに全ルートを踏破した。午前8:00に歩き始め、途中、難所である一の坂「四十二の曲がり」を体感。石畳の登り道は、かなりきつかった。丁度、正午頃に佐々並に到着。近くの道の駅「あさひ」で持参した弁当で昼食をとった。全ルートを踏破した達成感に浸りながら、弁当の味も格別でした。ここからは、13:01佐々並発のJR路線バスで、「新山口駅」まで行き、そこから山陽本線で「防府駅」まで戻った。とにかく、全ルート踏破に「こだわり」これを、達成できたことが良かった。
「萩往還」は江戸時代の庶民にとって、山陰と山陽を結ぶ「陰陽連絡道」として重要な交通路であり、幕末には、維新の志士たちが往来した歴史的にも重要な役割を果たした道である。同じ道を、今、全ルートを歩き終えてみて、昔の人々の苦労が身に沁みて判った。写真は、長門と周防の国境、萩往還最大の難所である板堂峠に建つ、高さ2mほどの「国境の碑」。「南 周防国吉敷郡」「北 長門国阿武郡」と刻まれ、文化5年に建立されたもの。
おしまい
「萩往還」は江戸時代の庶民にとって、山陰と山陽を結ぶ「陰陽連絡道」として重要な交通路であり、幕末には、維新の志士たちが往来した歴史的にも重要な役割を果たした道である。同じ道を、今、全ルートを歩き終えてみて、昔の人々の苦労が身に沁みて判った。写真は、長門と周防の国境、萩往還最大の難所である板堂峠に建つ、高さ2mほどの「国境の碑」。「南 周防国吉敷郡」「北 長門国阿武郡」と刻まれ、文化5年に建立されたもの。
おしまい