先日のことです
父の実家から昭和20年当時の兄の教科書を見付けて送ってくださいました
当時は国民学校といっていました
「国民礼法」と「理科」の教科書でした
戦後70余年も経っていますのによくも廃棄をされないで健全な状態で保管されていたものと
有難くおもうのです
それは小学生の教科書といえども現代風のきれいな教科書ではなく大きさもA5サイズで小さなものです
紙の素材も質素なもので戦争当時の物資の不足を反映しています
当時子供達はみな毎日のように
「欲しがりません 勝つまでは」とか「撃ちてし止まむ」といった言葉を
聞かされていたものです
「国内礼法」の教科書を開くと国会議事堂や皇室のことそして戦死者の多い時代を
反映してか焼香の仕方などが説明されていました
「理科」の教科書もスケッチはありますが写真等は掲載されていませんし彩色もなくて
片仮名で書かれています
私は届いてすぐにご仏前に報告してお供えしました
父や母そして兄がもしも生きていたら何を語ってくれるでしょう
懐かしさと同時に抱いたこの重いこころは表現しようもなくて
私はふと涙がでてきました
それは父が戦死したあと母は父の実家に生きるべきか独立すべきか母にとっては
岐路で悩んでいて私はそんな母の苦悩を知っているからです
そして兄も戦後の逆境のなかで希望とする学部で学び企業戦士のように人生を懸命に
急ぎ駆けて行った姿をみているからです
夢がかなうものならばこの豊かな平和な時代に
今は亡き父や母そして兄達一家でこころゆくまで語り合いたいです
柊南天これから沢山花開きます
中には破いてかまどの日代わりに燃やした例を聴きます
戦時中までの教科書 この後はアメリカによる検定教科書 尋常小学校に変遷していきましたね
どんな思いで この本から学んだことでしょう
よく育ててくれたものと感謝しています。
今は一見物があふれる時代、反面、物を大切に
しない時代ではないでしょうか。
先日友人宅で、真言宗の僧侶の書かれた
「吾唯知足」の色紙を拝見しました。
意味を聞かされ、その境地にとどかないわが身を
恥ました。
「色紙」イメージ
五
矢口隹
疋
(「足」のところですが、該当する字が無くて「疋」にしました)
國民禮法・・・難しい名前の教科書ですね。お宝教科書ですね。時代の流れです大事にお伝えして下さい。
こんばんは
本当に大切に保管してもらってたのですね
昭和17年の発行となっていました
そうですね国民学校の後で小学校になりましたね
あのころの子供たちは皆神風が吹いて日本が勝つと思っていましたね
こんばんは
戦中戦後厳しい時代がありましたね
私も病気もしないでよく育てて貰ったとおもっています
吾只足知 いいですね
私達の生きる道を正されますね
以前に京都を旅行した際に確か竜安寺の
石庭の裏庭で蹲の上部に刻まれていました
心に残りますね
ありがとうございます
こんばんは
本当に難しそうですね
終身とはまた別なのですね
ときどき出して読むことにします
貴重な時代の流れを感じさせられます