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花守

四季の花はそれぞれやさしく咲きこころなごみます
折々に咲く花を守りこころかすめる思い出など綴ってみたいです

母のぬくもり

2020年12月23日 09時56分18秒 | 母を想う


名前もわからない実生の椿です
いつの間にか人の背丈よりも高く成長して今朝は花が開きそうです
今朝のおひさまは暖かそうだから安心です
思いっきり咲けばいい



もう何年も暖かい出窓で育っていたのです
小さな蘭マキシラリアといいますが
株が大きく拡がったので株分けして4個の鉢に移しました
大きくなればいい
これまでのように静かに花を咲かせてほしいもの
一鉢だけ室内のあたたかな日当たりのよい出窓に持ってきました



こんな寒い季節になると小学校の頃の学芸会を思い出すのです
小学6年生で私はアネモネの花の役をもらって劇をしました
いろんな花の役割があって太陽の役をした子もいました
あの時忘れられない思い出があるのです
母が戦後の物資がない不自由な時代に真新しい白い絹で私のために
劇の中で着る洋服を縫ってくれたことです
私にとっては奇跡のような出来事だったのです そして嬉しくて
そんな不自由な時代の子育ての中で母は手品のようなことを何度も

私たちが大人になってそんな母も亡くなり
残された兄と私は母の思い出を語り合ったのです
何もないところから貴重なものを生み出すこと
まさに無から有を生む
これが母の愛情だったね
あたたかなぬくもりをずっと感じるのです



いずこかに

2020年09月23日 09時09分02秒 | 母を想う


カタバミでしょうか
雑草の中でとてもいい色で大きく咲いているのです
こんなに思う存分に存在を主張出来る花いいですね





母は亡くなる数日前に前にボソッと言ったのです
”倉敷に行ってみましょう“
母は倉敷で何を観たいとおもったのでしょう
倉敷の街の何処に行きたかったのかしら
だから母を亡くした後で主人と私は母の遺影を抱いて倉敷の町を歩きました
でも想ったのです
母にとって”倉敷”と表現したけれどあの時本当は何処でもよかったのかも
生を終えるという予告だったのかも
一生を終えていずこかに旅立つ
母はそんな気がしていたのかも
あの時は街を歩きながら私涙が止まらなくて



つばめ飛ぶ

2020年06月30日 10時36分21秒 | 母を想う


今春親子で剪定に来られた庭師さん
息子の若庭師さんがこれから咲く筈のたくさんつぼみがついた下野の木を
うんと小さく剪定してしまって少々恨めしく思っていましたが
あれから1か月以上経ってようやくつぼみをたくさんつけて
今朝は雨に濡れて咲き始めました




花ミョウガが背を伸ばして咲き始めています





今朝は小雨が降るなかを燕が勢いよく飛んでいったのです
飛び方を覚えたばかりの若燕でしょうか
それとも餌を求めて飛ぶお母さん燕でしょうか

そういえばこんな季節に亡き母は単衣の着物に白地のなま紬に燕が飛んでいる
手描きの帯を締めて出かけていましたね
よくお似合いでしたね

そう まだ大事にしまってあります
いつか私もその帯を締めてみましょう 母の気持ちになれるかしら 

衣替え

2020年05月11日 09時26分33秒 | 母を想う
昨夜の雨かなり降ったのでしょうね
雨に濡れて咲く花もいい感じです
琉球月見草が咲いていました



紫蘭がきれいに咲いています





爽やかな季節を迎えました 衣替えの季節です
冬の間暖かく着て過ごしていたカーデガンを毛糸洗いの洗剤で洗いました
きれいな手編みのピンクのカーデガンです
もう何十年も前に母が編んでくれたものです
何枚も何枚も軽やかな手つきで編んでいましたね
母にとっては結婚して家を出ている娘のことを
いつまでも子供に見えていたのでしょう

今も大切に着ています
毎夜寝る前にはご仏前でひとしきり
今日の出来事を報告したり感謝の気持ちを伝えたりするのが日課になっていますが
今夜はこのきれいなピンクのカーデガンのことを報告しましょう
昨日は母の日でした

あたたかな陽ざし

2020年03月01日 10時35分21秒 | 母を想う
雨上がりのあたたかな陽ざしが嬉しい朝です
裏庭ではエニシダの小さな芽があちこちに出ているのです
昨年は5本に増えたエニシダの木が大きく育って
それぞれが花を咲かせて大変賑やかだったので
4本のエニシダの木を伐ったばかりなのです
それなのに また可愛く芽を出しているのです




今年は少し変かしら
イチハツの葉がまだ背が低いままなのに
もうつぼみをのぞかせているのです
どうしましょう




今年はどの椿も沢山花を咲かせましたが
毎朝可愛く咲く椿を観るとほっと心が和むのです





主人はもう庭仕事ができなくなったと少し以前に宣伝したのです
責めても草取りはしようと気を配っている私です

母が亡くなってどうしようもなく寂しかったころのこと
裏庭に出て草取りをしたとき母が語り掛けてくれるようで
母に守られているとこころ穏やかに思えたものです
土に親しむそんな時間をこれからも大切にしたいもの