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小説 『国境の南、太陽の西』 村上春樹 レビュー

2010-09-04 | 小説
『国境の南、太陽の西』 村上春樹

今の僕という存在に何らかの意味を見いだそうとするなら,僕は力の及ぶかぎりその作業を続けていかなければならないだろう――たぶん.
「ジャズを流す上品なバー」を経営する,絵に描いたように幸せな僕の前にかつて好きだった女性が現われて――.


えーと.たしか2ヶ月前ぐらいに友人から借りて,すぐに読んだんですが,今になってレビューを書きます.
思い出せるかぎりのストーリーでなんとか.あと,どうしても書きたかった事は覚えているので.
ちなみに,数ある春樹作品の中でも今作が自分にとっては初春樹です.

てなわけで,ちょっと前置きから


お互いに好きな小説家とその作品を紹介しよう.という事で彼は村上春樹の『国境の南、太陽の西』を,自分は恩田陸の『三月は深き紅の淵を』を紹介したわけですが,どちらもそれなりに玉砕しました;;

彼は,『三月~』を第一章で諦めました^^残念.
まあ,そのあと貸した『六番目の小夜子』はそれなりだったみたいですが.

で,自分はというと今をときめいていないかもしれないけど,大人気作家 村上春樹を迎えるにあたって非常に期待はしていたわけです.
期待していたわけです…

正直,期待していた以上に自分には合わない小説だった.これまた残念.
では,ちょっと内容に


タイトルは“おお,これは期待できる”というカンジ.
あらすじを読んで“お,ちょっと待て,これはまさか…”と思って読み始めると

「それなりに普通の生活をしている中年男性が,かつて関係のあった女性の事を自分の人生を少しだけ後悔しながら思い返し,哀愁に浸る」

という,若干,どこに面白味を感じればいいのか分からないタイプの印象を受けてしまったわけです;;
いや,決してつまらないといってるわけではなく,「彼の女性関係を淡々と説明されても困ってしまう」という意味です.
それでも,印象に残った部分が2ヵ所あるわけです.

まず1つ
島本さんが僕の経営する『ロビンズ・ネスト』に初めて現れた夜にカクテルに関して交わした言葉.

「ねえ,何かここのオススメのカクテルはないの?」
「オリジナルのカクテルがいくつかあるよ.(中略)口当たりはいいけれど,かなりよくまわる」
「女の子を口説くのによさそうね」
「ねえ島本さん,君にはよくわかっていないようだけれど,カクテルという飲み物はだいたいそのために存在しているんだよ」
彼女は笑った.「じゃあそれをいただくことにするわ」

ここ,“へーそうなんだ”って思いました.


机の中にしまったはずの封筒が消えてしまった時に,僕が考えた事.

たとえば何かの出来事が現実であるということを証明する現実がある.何故なら僕らの記憶や感覚はあまりにも不確かであり,一面的なものだからだ.僕らが認識していると思っている事実がどこまでそのままの事実であって,どこからが「我々が事実であると認識している事実」なのかを識別することは多くの場合不可能であるようにさえ思える.だから僕らは現実を現実としてつなぎとめておくために,それを相対比するべつのもうひとつの現実を――隣接する現実を――必要としている.でもそのべつの隣接する現実もまた,それが現実であることを相対比するための根拠を必要としている.それが現実であることを証明するまたべつの隣接した現実があるわけだ.そのような連鎖が僕らの意識のなかでずっとどこまでも続いて,ある意味ではそれが続くことによって,それらの連鎖を維持することによって,僕という存在が成り立っていると言っても過言ではないだろう.でもどこかで,何かの拍子にその連鎖が途切れてしまう.すると途端に僕は途方に暮れてしまうことになる.中断の向こう側にあるものが本当の現実なのか,それとも中断のこちら側にあるものが本当の現実なのか.

ここです.


とまあ,逆に言えばそれ以外はあまり好みの小説ではありませんでした.

このあと,ありがたいことに『ノルウェイの森』も貸してくれようとしていたんですが,事前にあらすじを読んでみるとこちらも“中年男性が昔の女を思い出す”と,ほとんど似たようなあらすじだったので,丁重にお断りしました.

いつかよみます.いつか
それより,長編があまりおもしろくないということは,きっと短編には良作がそろっているのではと思うので,短編集を読んでみたいですな.

意外と長くなりました