小学生の時、大雨の後、o川の傍の水たまりをバケツで掬って水位を減らすと
ウネウネとたくさんの泥鰌がうごめいていた。
バケツにすべての泥鰌を捕まえると、近所の仲間の家に持ち帰った。
その泥鰌の泥を吐かせることもなく、お酒で味を調えるわけでもなく
ただ熱した油に家人は投入するのであった。
よく、よいこの浜口が「よーし、お前ら成仏してこーい」と言って
捕えた魚やタコを油の煮えたぎった鍋に放り投げるそのやり方である。
仕上がった泥鰌の素揚げは、姿かたちは敢えて言うまいが、すこぶる美味であった。
少々塩味であったか、或いは醤油を垂らしたか、当時の記憶は曖昧だが
ただただその食感と油分が自分には至高の食べ物に思えたのだった。
ヤス(銛)でカジカを突いたり、一尺ぐらいのウグイを手づかみで捕獲したのも
そのころである。
あの頃、少年らの表情は輝いていた。
夏の陽射しを全身に浴び、水しぶきをあげ、叫び、昆虫や野イチゴを求め
野原を駆けずり回った。
ゆっくりと時刻(とき)が経過した。
大人になった今でも、淡水魚図鑑や植物図鑑、きのこや山菜の図鑑、昆虫図鑑など手にとっては
ひとりほくそえんでいる。
ウネウネとたくさんの泥鰌がうごめいていた。
バケツにすべての泥鰌を捕まえると、近所の仲間の家に持ち帰った。
その泥鰌の泥を吐かせることもなく、お酒で味を調えるわけでもなく
ただ熱した油に家人は投入するのであった。
よく、よいこの浜口が「よーし、お前ら成仏してこーい」と言って
捕えた魚やタコを油の煮えたぎった鍋に放り投げるそのやり方である。
仕上がった泥鰌の素揚げは、姿かたちは敢えて言うまいが、すこぶる美味であった。
少々塩味であったか、或いは醤油を垂らしたか、当時の記憶は曖昧だが
ただただその食感と油分が自分には至高の食べ物に思えたのだった。
ヤス(銛)でカジカを突いたり、一尺ぐらいのウグイを手づかみで捕獲したのも
そのころである。
あの頃、少年らの表情は輝いていた。
夏の陽射しを全身に浴び、水しぶきをあげ、叫び、昆虫や野イチゴを求め
野原を駆けずり回った。
ゆっくりと時刻(とき)が経過した。
大人になった今でも、淡水魚図鑑や植物図鑑、きのこや山菜の図鑑、昆虫図鑑など手にとっては
ひとりほくそえんでいる。