僕の感性

詩、映画、古書、薀蓄などを感性の赴くまま紹介します。

中原中也とランボオと直観

2013-10-29 00:21:23 | ことば
中原中也の1927年6月11日(土曜日)の日記に次のように記されている。

この自然主義ランボオと
あの自然主義ワーズワース 相違の所以。

パラドクサルとは、
直観と知覚が近いといふこと。
つまり数学的性格といふこと。

数学とは、ナイヴテの学である。

ナイイヴな人にとっては、
行為は彼自身ぢゃない。
彼自身の一波長だ。
一波長に客観性があるためには象徴的でなければならぬ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

自然主義ランボオとあるが、象徴主義の誤りであろう。

パラドクサルとは、フランス語で、「逆説的な」とか「自己矛盾」の形容詞である。

所謂、ロマン派で自然主義で、純粋で情熱的に自然賛美を謳ったワーズワースよりも
非日常的で懐疑的で、廃頽的で破滅的なランボオを中也は愛したのである。

直観と知覚が近く、数学的性格とは、

我々の精神が空間の形相(けいそう)においては外的直観を与え、時間の形相においては
内的直観(記憶、思考)を与えるということ。
すべての数学的知識は直観の純粋な形式についての知識であるとするカントの主張に
由来するが、数理哲学における数学的直観主義である。

フランスの哲学者「ジル・ドゥルーズ」は、カントの可能性の中心を担う、「調和のしえない緒力の束」の体現者と彼を称している。