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僕の感性

詩、映画、古書、薀蓄などを感性の赴くまま紹介します。

第45回設楽杯

2011-01-30 17:45:24 | 感動
本日卓球の設楽杯がありました。

雪が降りしきり、体育館の中も すごーく寒かったです。
けれど その寒さにも負けず 熱い闘志で部長のMが三位に入賞しましたー(^O^)/
決して本調子ではないのですが 試合を進めながら弱点を修正していきました。
一部の技術に課題を残しましたが 2月におこなわるリーグ戦にむけ弾みになったことでしょう。

AもYも三回戦まで勝ち残りました。
練習の成果が少しずつ見られるようになってきましたよ。
みんなお疲れ様!

暴漢に襲われた時武器になる台所用品

2011-01-19 22:22:52 | 感動
ホンマでっかTVでテレンス・リーが暴漢から身を守る台所用品を紹介していた。
第5位はおろしがね。顔や腕を上から下に下ろすだけ。
4位はすりこぎ。たたくのではなく 羽交い締めにされたとき 相手の手首や肋を突くように使うそうだ。
3位はフライパン。縦にもって叩くと効果的。
2位はトング。目潰しや顔を攻撃するにはうってつけ。
いよいよ第1位は酢だそうだ。霧吹きの容器に入れて常備しておけばシンクなどの掃除にも使える。それを噴射させると相手は一瞬目を開けていられられなくなる。その隙に逃げればいい。
一人暮しの女性は常備すべきだろう。

外出時には防犯ブザーと擂り粉木は必需品になるかもしれない。

Sさんのお孫さん

2011-01-15 15:35:04 | 感動
私の知人Sさんはとても人望がある。気さくで気のおけない性格が皆を安心させるようだ。
私もたまにお茶をご馳走になるのだが、我が家のようにくつろげてしまうのだ。
部屋は整然としているが、どこかなごめる空間で、知らぬ間に楽しい時間だけが過ぎていく。

そんなSさんには外資系の会社に勤める自慢の男の子のお孫さんがいる。Sさんのどんな頼みにも快く応じる孝行な孫さんだ。

彼が大阪の大学に通っていたとき、電車の切符をなくして駅の構内を懸命に探していたそうだ。あっちこち探しても切符が見つからず、手持ちの現金もなく途方に暮れていた。

そこへ地元のおばあちゃんが声をかけてくれた。

「どうしたの?」

「実はかくかくしかじかで・・・」

「そんならこの500円あげるから、それで切符を買いなさい。返さなくっていいからね!」
そういって笑顔で帰っていったそうである。

Sさんの孫さんは、「助かった」という思いと、この広い世間で見も知らぬ人が助けてくれるなんてと感激したそうである。

きっとSさんのお孫さんは、この後困っている人を見たらほっとけない性格になったのではと思う。

匿名でランドセルを贈った伊達直人やアメリカのシークレットサンタ、あるいはこの大阪のおばあちゃんのように善い行いをすれば、された人がまた他の人によい行いをするという善い連鎖が起こっていくのである。

みなし児のバラード

2011-01-13 15:30:52 | 感動


タイガーマスクのエンディングで、とても物悲しい曲です。


今、全国でタイガーマスク運動が脚光を浴びています。全国各地の児童相談所や養護施設にランドセルなどの寄付が相次いでいます。

たぶんアメリカの「シークレットサンタ」のように、愛のある行為に賛同した多くの人たちが、伊達直人などの匿名で世の中へ恩返しの気持ちを表しているのでしょう。
不景気で、ともすれば殺伐とした世知辛い世の中になりがちなのに、心に安らぎと光明を見出せる尊い行為だと思います。

いつも論じますが憐憫の情であれなんであれ、惻隠の気持ちが働くと言うことは
日本人もまだまだ捨てたものではないですよね。

私は「タイガーマスク」が大好きでした。『虎の穴』出身の悪役レスラーだった伊達直人が気持ちを入れ替えて善良な人間に変わっていく姿には胸を打たれました。
子供のころ暮らしていた孤児院「ちびっこハウス」の窮状を知って、多額のファイトマネーを援助していくのでした。

ある時から『虎の穴』への上納金も全て孤児院に寄付してしまうようになって、伊達は虎の穴の組織から裏切り者として命をねらわれる定めから逃れられなくなりました。
しかし度重なる虎の穴の刺客に背を向けることなく真っ向勝負で立ち向かったのです。

タイガーマスクとして懸命にフェアプレーで戦う姿をみて、ちびっこハウスの健太はじめ多くの子ども達が生きる勇気を貰い、魂の揺さぶられる感動を覚えました。

そのタイガーマスク或いは伊達直人の生き様に共感を覚えた50代の人が最初に伊達直人に扮して善意を行ったのだと思います。

これからも匿名でもそうでなくても恒久的に弱者へのあたたかい心配りは続いていってほしいと思います。

成人式

2011-01-12 11:19:10 | 感動


9日は娘の成人式でした。
成人式の会場までの道のりがとても混んでいましたが
なんとか無事成人の儀を終えることができました。
夕方から仲間とワイワイ楽しんで、次の日の朝7時の新幹線で帰りました。
お年玉も一杯貰っていたけど 今度父が困ったときは貸してね。

昭和54年夏の甲子園 箕島対星稜

2010-07-25 18:04:21 | 感動
1979年夏の甲子園3回戦(準々決勝)で、高校野球史に残る伝説の名勝負が繰り広げられた。
春を制した和歌山県代表箕島高校VS石川県代表星稜高校がぶつかった。
1対1の試合は延長戦へ。 延長12回、先行の星稜は、箕島の2塁手上野山のエラーを誘い、1点を好投手石井からもぎとる。

その裏ツーアウトランナーなしになり、箕島の尾藤公(ただし)監督は敗戦を覚悟した。
バッターの嶋田が「監督!ホームランを狙っていいですか?」と大声で言う。

不意をつかれた尾藤監督は、思わず了解してしまった。
キャッチャー嶋田が迷いなく一心に振り切った打球はスタンドに吸い込まれた。
なんと土壇場で同点に追いついたのだ。

けれど延長16回先行の星稜はまたしても勝ち越し点をあげた。
その裏簡単に2アウトをとった星稜のピッチャー堅田は今度こそ勝ったと思った。

バッターは延長14回に隠し玉にあい、3塁でアウトになった森川だった。
森川は2ストライクと追い込まれ、最後の玉を渾身のフルスイングをしたがファーストフライ。
万事休す、と思った瞬間、1塁手の加藤がファールグランドにこの年から設置された人工芝につまづき転倒したのだ。
息を吹き返した森川は力みが消え、カウント2-1から左中間スタンドへ起死回生の同点ホームランを打つ。
アナウンサーの植草は、「甲子園球場に奇跡は生きています!」と叫んだ。

2度までもツーアウトから同点ホームランを浴びた堅田は、全身から力が抜けていくのを感じ、自分への言葉も何も聞こえなくなっていた。

延長18回表、星稜は満塁にするも無得点で終わった。裏の箕島の攻撃が零点ならば、翌日再試合になる運びだった。
けれど18回裏、箕島の攻撃で、星稜のピッチャー堅田のストライクが入らなくなり、二人続けてファーボールの後、サヨナラヒットを浴び、星稜が3-4で敗れた。
最終的に勝利の女神は奇跡的なホームランをかっとばした箕島に微笑んだが、両校優勝にしてもいいような見事な戦いぶりであった。

この試合は、スポーツをする人だけでなく、多くの人にどんなピンチでも最後まで諦めないこと、へこたれないと言うことを教えてくれたようだ。
そして仲間のミスを責めることなく、仲間のために戦うこと、仲間がピンチのときそれをカバーしてあげることなど美しいスポーツマンシップを感じることが出来た。

エラーをした星稜の1塁手加藤はその後の人生に「エラー」がつきまとった。
そしてやる気をなくしていく加藤の噂を人づてに聞き、箕島の監督、尾藤公は心を痛めた。
そこで彼は次のように書かれた色紙を加藤に捧げた。

岩もあり 木の根もあり

ファーストフライもあれど

ただ さらさらと 水は流れる 

                    箕島高
                            尾藤公

これを頂いた加藤直樹氏は、現在小学生の野球チームの監督をしている。

自虐の詩

2010-01-20 23:53:57 | 感動
映画にもなった業田良家の「自虐の詩」下巻を読んだ。


主人公の森田幸江の薄幸な人生が、ともすれば卑屈でともすれば前向きに転換される
波乱万丈な人生賛歌である。タイトル通り自虐ネタが多いが・・・

話の内容も現在から急に過去に飛び、現在の境遇が明らかになったりする。また時々回想シーンが入るので、過去に飛んでいくのだろう。

幸江の父、家康はパチンコ狂で酒好き、碌に働きもしない。そのため貧乏生活を余儀なくされ小学校のときは新聞配達をし、中学時代は造花作りのアルバイトで家計を支えていくのである。

現在はもとやくざのイサオと結婚し幸せに暮しているが、イサオもまともに働かない男なのだ。日雇いのバイトをし、疲れたからとタクシーで帰り、日給がなくなり逆に1000円払わなければといった具合なのだ。
そして父親同様競馬というギャンブルにはまっており、どうしようもないめでたい男なのだ。幸江はやはり食堂の手伝いをして家計を助けており、その給与も旦那の飲代に消えていったりする。

中学時代、幸江は同じ境遇で貧乏な熊本さんと知己になる。

幸江が梅干一個の日の丸弁当なら、熊本さんはいつもめざし一匹載せためざし弁当だった。
そして病気の父と二人の弟と妹を養うため、学校で飼っている鶏や鯉を無断で持ち帰ったりしたのである。
ふたりはお互いをブスと呼び合ったり喧嘩も絶えなかったが仲良く学校生活を送っていた。


ある日から熊本さんが欠席し、代わりにスポーツ万能で頭脳明晰な藤沢さんのグループと仲良くなる。それに伴って熊本さんを避けるようになるのである。

あるときホステスに入れ込んだ幸江の父は銀行強盗を働き警察に逮捕されてしまう。
藤沢さんたちは幸江に同情はすれど係わり合いになるのを避けてしまう。
友人も去って世間からも好奇の目にさらされて窮地に陥った幸江をあの熊本さんは見捨てなかったのだ。
17発なぐり、幸江も大きな石でゴツンとなぐりお互いのわだかまりを消し去り無二の親友となった瞬間だった。

幸江が東京に上京する日、熊本さんは手作りの精一杯の弁当をこしらえ、餞別に百円包み
幸江に手渡し別れを惜しんだ。

20年後、熊本さんから幸江に電話があり、駅のホームで再会を果たす。
身重な幸江は電車をおり、階段を駆け上がり20年ぶりの彼女を見つけ
二人は涙ながらに手を高く握り合って再会の喜びに咽ぶのだった。

たんなるナンセンス漫画のようであり、その実深い感動が潜んでた
ちょっと肩透かしの衝撃だった。

再会の時のト書きが気が効いているので載せておこう。

幸や不幸はもういい どちらにも等しく価値がある 人生には明らかに 意味がある


ちびまる子ちゃん 大野くん 杉山くん

2009-11-26 19:44:59 | 感動
昔、テレビで劇場版の「ちびまる子ちゃん 大野くん杉山くん」を観ました。



この物語だけは強く感動し、今もなお印象に残っています

大野くん

杉山君


2人はサッカーをはじめ運動神経抜群でとっても仲良しだったのです。

ところが、運動会での騎馬戦での敗戦をきっかけに2人の仲に亀裂が入ってしまうのです。

秋が過ぎ、冬、クリスマス合唱コンクールに臨むことになりました。
曲名は「大きなのっぽの古時計」。
各自でいろいろなパートを担当し、独唱部分は大野君があたることになりました。

そして、そのコンクールの日、まる子のクラスは順調に滑り出しましたが、独唱部になったとき、体調を崩していた大野の声が突然出なくなってしまうのです。

とその時、
おじいさんが生まれた朝に買ってきた時計さ♪

と杉山がすかさず透明感のある声で歌いだし、大野のピンチを救ったのでした。

この場面がとっても感動しました。涙腺が弛んでしまうほどでした

2人の仲は戻り名コンビの復活です。

ところが、急に大野の父の転勤が決まり、大野が転校してしまうことになったのです。
「なんで黙っていたんだ!」と杉山は大野にくってかかります。
又2人の仲に亀裂が走ってしまいます。

いよいよ大野の転校の日が決まり、クラスで大野の送別会を開くことになりました。
そこで2人の夢であった水兵に扮した杉山は大野と舵をとりあって船を操る船乗りの芝居を演じるのでした。
息の合った演技、2人が離れ離れになっても友情は永久に続くかのように
場面は繰り広げられていくのです・・・

小学生向けのアニメのようで大人がみても十分楽しめる内容だった気がします。

オチがまたすばらしく、大野を駅に見送ったまる子が何故か大野と一緒に新幹線に乗ってしまうのでした

また観たいですね

親子の絆についての断想  水上勉

2009-05-04 07:47:23 | 感動
水上勉氏の文章を載せます。


 貧乏なことはそれ自体悪徳だ、といった人がいる。ドストエフスキーも貧乏を憎んだし、河上肇も貧乏の追放を叫んで生涯を閉じた。だが、大正八年三月ごろは私の家と同じような小作百姓の家が日本にはゴマンとあり、三食喰えない親子はザラで、貧乏なために、しなくてもいい夫婦喧嘩や、親子喧嘩をやっていた。喧嘩ばかりしている父母がいると、その喧嘩は子どもにもうつって、兄と私はよく喧嘩した。うちの喧嘩は村でも有名で、私は泣きだすと、村じゅうを走りまわって、夕方まで帰らなかった。家に帰っても、父母がいるわけではない。父は遠出の仕事だし、母はよその田へ出ているから、暗くならぬと帰らない。電燈もない。まっ暗の家へ帰るよりはどこか村の堂とか、友だちの家にいる方がいいのだった。友だちの母親は、私に風呂へ入ってゆけといい、時には友達と一緒にめしも喰わせてくれた。そういう家には、電燈があったので、私はまぶしかった。よその家はゆたかだと思った。だが、そう思っても、そこは、他人の家だからいつまでもおるわけにゆかない。自分には、イヤな家だと思えても生まれた家ならそこへ帰らねばならない。よその家の電燈の下で読んだ本のことや、喰った飯や、煮付けの味が、うちのと少しちがっていたことを腹の中で反芻しながら、にくたらしい兄と、しかめつらした父と、泥田を這い回ってきたため、腹をへらしていらだたしげに台所に立っている母の待つ家へのろのろ歩くのであった。

田舎に泊まろう!スペシャル

2009-04-18 13:00:48 | 感動
田舎に泊まろう!スペシャルを観ました。2003年4月と2005年6月に放送したものを再編集した番組でした。

勝野洋が鹿児島で出会ったおじいちゃん、上野広良さん。雨宿りしているところで偶然出会い、そのまま家を訪ねることに。一宿一飯に勝野がそばを作ると、涙を流して食べてくれた上野さん。翌年の3月に胃ガンで亡くなりました。勝野は鹿児島まで線香をあげにいき、またそばを作り供えてきました。
この出会いは勝野の中にどんな形で残ったか……たった一泊でしたが、旅人と泊まり先の家族との間には絆のようなモノが生まれる・・・それを感じた旅でした。
上野さんがそばを食べるとき、「ありがたいな! 美味しいな!涙が出てくる。」と言いながら、本当にうれしそうに食べていました。人との縁をものすごく大事にしているあったかいおじいちゃんでした。
感動で涙が止まらなくなりました・・・