チーママの庭とウサギたち

チーちゃんのママことチーママです。植物とウサギと戯れ、マイペースでハンドメイドをしています。

マエストロの想い

2007-06-23 21:19:35 | 音楽
横浜の西口から間近の公会堂で、生涯学習塾の講演会として、コバ研(小林研一郎)さんの講演があったので、出かけてきました。

舞台の袖から出ていらっしゃったマエストロは、いつもと違ってライトグレーのスーツをお召しになっていて、ちょっと意表をつかれました。
だって、いつもはコンサート会場ですから黒の燕尾服ですもの。

決して長身ではないマエストロですが、オーケストラをバックにその存在感は圧倒的です。
いつもオーラの嵐です(^^)
そのマエストロを、白のタートルにライトグレーのスーツは等身大の人に見せていました。
なんとなく普通の人同士って感じかな。
でもお話の内容を聞くうちに、指揮者としての懊悩も垣間見えて。

幼い時から、音楽は頭の中からあふれ出ていたようです。
将来を考えて教師である父親は音楽を禁止そたそうですが、それでも五線譜に音楽があふれ出すことは止めようがなく。
そのために生まれたと言うか、なるべくしてなったというか、モーツァルトと同じことがあるんだと思いました。
芸大入学までは作曲家を目指していたマエストロが、指揮者の道に入ったのはその後の事。ですから指揮者としては遅い、34歳でのスタートだったのです。
普通各種コンクールは年齢制限があって、大体が30歳以前。
34歳のマエストロには、出られるコンクールがありません。
音楽家としてコンクールで賞をとって初めて、あちこちからオファーが来るチャンスにつながります。
そして、これこそが天の采配と言うべきか、ご縁と言うか。
第一回ブタペスト国際指揮者コンクールのエントリー資格が、35歳だったのです。

そのブタペストのコンクールでのお話は、今まで「そんなことがあるらしい」としか知らなかったかーさんに、体験者の実話として、ぞくぞくくるようなお話でした。
何日にもわたるコンクール。参加者は各国からの60名。
60曲の中から、出る直前に抽選で引き当てる課題曲。
第一次は「ベートーベンの第一交響曲の第二楽章」と「セビリアの理髪師 序曲」
これでマエストロは、幸運の女神の前髪をつかんだとおっしゃいました。
二次に進めるのは、15名。
そして、マエストロは最終選考に。
そこで、日本のコバ研は「コンクール第一位」と「特別賞」の2つを勝ち得たのです。

パロマでのオペラ指揮者としての恐ろしい体験。
町中がオペラの歌であふれる本場で、イタリア語の話せない指揮者に向けられる視線は冷たく、拍手もなく始まった本番。
ま、終わってみればヴラッボーとスタンディングオベーション(立ち上がって拍手する)の嵐だったのですが。

時として、夜中に飛び起きることがあるそうです。
夢で「そこはそうじゃない!!!」って声が聞こえて。
五線譜の間に作曲家の想いがあるというのは先日の亡き羽田さんの言葉でしたが、有名になればなるほど、より深く行間にこめられた作曲家の思いを探って懊悩するものなのでしょう。
作曲家は何を言いたかったのか、何を表現したかったのか。
作曲家でもあるマエストロだからこそ、その思いは深い気もします。

理論整然・筋道を立てて話すという点から言えば、マエストロは決してお話し上手ではありません。
でもそのやさしく丁寧な語り口は、人の心をほぐします。
だからこそ、今日のような普段クラシックなどとは縁のない方々がいても、笑いがおきます。
そして口癖のように「ありがとうございます」「ごめんなさいね」と言います。
人への思いやり。物事へのおもいやり。
それをいつも感じるのです。

恥ずかしい話ですが、今日かーさんは、なぜかお話を聞いていて涙があふれてどうしようもありませんでした。自分でも不思議なのですが、こらえるのに一生懸命でした。
悲しいわけでもないのに、マエストロの声を聞いているだけで、涙が出るのです。
コンサートでもそうなのですが、マエストロからはいつも「人に対する優しさと感謝」を感じるのです。
指揮棒を振り出す前に、必ず手を胸において祈るような仕草をします。
振り終わっても、音楽の神様にでしょうか、やはり感謝の一瞬があります。
終わって聴衆に向ける笑顔と礼に、「聞いてくださって、ありがとう」のオーラがあふれます。
特に日フィルの場合は、楽団員全員も「ありがとう」と礼をするので、いつも「こちらこそありがとう」と言う気持ちになって、ホンワカとした心地で家路に着くのが良いのです。

何故涙が出たのでしょう?
人は心が寂しかったり、つらかったり、痛かったり、疲れている時、優しい心に接するとこらえてきたものが堰を切ったようにあふれるものです。
きっとそうした涙でしょう。
このところ、思い悩むことがちょっぴりありましたから(^^;;

ともあれ、お話を聞いているうちに、マエストロがもうワンステップ踏み出そうとしているのが分かりました。
去年日フィルの音楽監督を離れた時、とても残念だったのですが、やっと納得できました。
これからも作曲に指揮に、またまったく違った世界に、心の赴くままに踏み出して欲しいと願いました。
67歳。 
とてもそんな年齢には見えませんが、もっと何かできるのではないかと、もっと違うこともやってみたいと思う年齢なのでしょうね。
もっとも今までの調子では、忙しすぎて音楽以外の事は出来ないでしょうが。
何しろ国際的に活躍する音楽家は、数年先までスケジュールが詰まっていますからね。
いつまでもお元気で、年齢が増すだけ、いっそう奥深い活躍をなさることを祈りましょう。




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おんもに出たいと待っている

2007-06-22 22:46:27 | ラン
気が付くと、薄暗いお玄関にこの子達がいました。



お玄関じゃ、なかなか光を浴びることはありません。
それじゃ あまりにかわいそう。
という事で、お部屋に連れてきました。
最近は廉価で手に入るようになった胡蝶蘭ですが、その分生育も未熟です。
このままお外に出したら、いっぺんで枯れてしまうでしょう。

少しずつ光に慣らして、そのうちお庭のラン棚に入れてあげましょう。
ランたちは、案外あそこが気に入っているらしく、エピデンドラムなど好きに芽吹いては咲き続けています。
「小難しい胡蝶蘭」といわれますが、案外他の子を見習って、元気に過ごすかもしれませんね(^^;;


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にぎやかなクレマチス

2007-06-22 22:06:15 | クレマチス
この子達の名前が分かりました♪

この子が、以前枯れてしまったのかと思っていたハーグレイ・ハイブリッドです。

どうやら新梢に咲くタイプのようで、他の方の様子を見ると5月には咲いているのですが、我が家では今頃が咲き時だったのかも。
剪定も何もせずに、ほっておいたのが良かったようです。
次々と咲き出して、本当にほほえましい(^^)

この子は、ベノサバイオレシアという名前でした。
小さな鉢(直径18cm)に植わっているのですが、どんどん新芽を伸ばして、今や周囲の子を抱え込み、あちらへこちらへと好き勝手に伸び伸びと広がって、沢山の花をつけています。

そのうちジューンベリーに駆け上るのではないでしょうか。

どちらも毎日元気に、沢山の花を咲かせて、とてもにぎやかです。
花が終わったら、一回り大きな鉢に植え替えてあげましょう。
来年はもっと沢山咲いてくれるように(^^)


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バイオレットの悲劇

2007-06-22 21:31:07 | うさぎ
春バラのシーズンが終わっても、まだポツポツと咲いてくる子がいます。
雨に当たるといっぺんでだめになるし、香りも良いので、お部屋の中で楽しむことにしました(^^)

きれいでしょう?
実物は、もっとブルーがかっています。


ママちんが連れてきたお友達と一緒にしてみました。

コーラルピンクは国産。
黄色は、遠く南アフリカあたりから来た子です。
バラもグローバルになったものだ。

他にも赤系の子たちがいます。
ブラックと裏白の赤バラです。

きれいねー
かわいいわねぇー
と、眺めて過ごすことしばし。


フッと気が付くと・・・・・・(@@)!!

誰ーーーーーー!!!!



って、白いのしかいませんって(--)

それにしても、他の子はまったくの無傷なのに、我が家産のバラだけ食べるって、どういう事??

香りがあったから?
大きかったから?
鮮度の違い?
ウサギの基準は分かりません。

あーーーあ。もうちょっと楽しみたかったのになぁ・・・・・・

これが 犯人です(^^;;


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太郎くん

2007-06-21 21:16:01 | 動物・自然
ちょっとした本を知りました。
どういうお世話をしているのか興味がありますので、買ってみようかな?
「障害犬タローの毎日」

広報板のスタッフのりんママさんが「障害があるから、可哀想だというのは当人(犬)にとって見下されることで本当に失礼な話なんですよね。」って。
そうなのね。
端から見たら「障害がある=かわいそう」なのかもしれないけれど、太郎は普通に暮らしているだけなのね。
以前全盲のピアニストの梯さんが「ボクにとっては、目が見えないことが普通なんです。」と言ってらした。
それを聞いてかーさんは「ああ、そうなのよね。自分の普通が、必ずしも誰とっても普通ではない。その人なりの普通があるものなのね」と思いました。
彼は生まれつき見えなくて、明るい暗いを感じる程度。その代わりに神様は、すばらしい感性を与えてくださった。
彼の演奏は、小川にお陽さまの光がキラキラ輝くような、きらめきを感じるのですよ。見えないのにどうして知っているんだろう?と不思議に思ったものでした。

そんなものですね。人が自分の基準で考えるような事はないのです。
太郎も普通の犬です。
単に「手足がない」という個性を持った犬なのです。
もちろん生きていくのには、人の手助けが必要ですが、それは人間だって同じ。
どんな人間だって、一人では生きていけませんね。
みんなみんなお互いに、誰かに助けてもらったり、支えてもらったりしているのです。
太郎は皆に笑顔や勇気ややさしさを与えているようです。
ね、ちゃんと太郎もだれかを支えているでしょう?
もしかしたら、太郎は人に生きることを考えたり、生きる勇気を与えているかもしれない。
ならば、太郎の「してもらうこと-してあげること=」の値は、プラスかもしれませんね。
もっとも動物たちは、ありのままに生きることで、どの子も人に対しての収支は+なのですけれどね。
ともあれ、太郎はこもり動物病院の当たり前の家族です。
「ボクは特別な犬なんだ」なんて、夢にも思っていないでしょうね。
毎日「そのままに」生きているのですものね。

あ、我が家のウサウサずも「当たり前に、そのままに」生きていますね(^^)



こちらも 元気にわんさか咲いてます。
植物も、自然のままに気負うことなく・・・ですね。


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