イベントまであとわずか。
できた分だけでやればいいわよ♪ という自分と、
せめてあれとこれだけは作ってしまいたい という自分が、せめぎ会う今日この頃でございます┐(-。ー;)┌
もうこの年になれば、多少ものが分かって、それなりに落ち着いた日々を過ごせるはずなのに(--)
友達はそれなりの生活で、旅行に行ったり趣味を楽しんだり、子育ても終わって老後も見通せて、年代相応の生活ができている。
それは自身大変喜ばしいことで、うらやましいとは思わないのだけれど、やはりわが身の不遜は後悔する。
「そのうち何とか なーるだろ~ぉ」と歌った人もあるけれど、いつもそればかりだったからなぁ(爆)
(気温が低いと赤になるホットリップス:チェリーセージ)
そんなこんなで、若い頃は横着して先行きを見定めずに直前だけ見て走っていたために、年代なりの生活が出来ない。
人をうらやましいと思わないのは、かなり若い頃からそうかもしれない。
自分のことは自分で何とかできるけど、仲良し友達や身内の苦労や心配を肩代わりしてあげることは、なかなか出来ることでもなく、どうにかしてあげたいと思うけれど、力も財力も無ければジレンマで・・・
だから、周囲みな良く生活してくれれば、後はわが身だけどうにかすればいいのは気楽で、しあわせのひとつでもある。
まぁ、それでも一大イベントが無ければ多少は違ったのかもしれなくて。
でもイベントがあったからこそ得たものも多く、多少は人として成長して人並みに近くなったかなぁと思わぬでもなく。
人には「苦労して」と言われることが多々ありますが、根っからの能天気でもあり、人生万事これ塞翁が馬と思うところもあって、周囲が思うほど本人苦労とは思っていない。
(なぜに 人にはそう映るのであろうか? そんなに痩せ衰えていないと思うが?生活苦が顔に出ている?:爆)
(チェリーセイジは、いったいいくつあるのやら?)
第一 私が乗り越えられる程のものは、本当の苦労では無いと思っているし ( --)
でも苦労とは思わないけれど、苦役だと思うことはあって、年齢の変わり目とあいまって、それで欝になったりもした。
そうなったのは単にわが身の未熟と言いたいけれど、さすがにホルモンの変わり目とかは自然の摂理だから、いかんともしがたいもので。
でもそれも経験で、それなりに得る事はあり、今の立ち位置を決めてくれたと思っている。
姑の存在は、親にいつくしまれたのと同じように自分というものを形作っていて、そのつどの不思議なご縁も、今の自分を支えてくれている。
(早い子は、かなりのつぼみを持っているかんきつ類)
多くを望めば、失うものも大きい。
所詮人は「立って半畳 寝て一畳」でしかなく、鴨長明のような方丈で暮らすのも、またよし。
世の一切のしがらみから逃れ、自然の移り変わりの中で「タウ」の流れに身を任せるのは、ある意味究極の極楽かもしれない。
でも それって家族がまったくいないから出来ることであって、出家でもして人との縁を断たねば出来るものではないし。今の世の中、出家したからといって人との縁が切れるわけじゃない。
所詮群れ動物の人間という種には、極めて出来にくいことではある。
また日々の何がしかはやはり必要で、今の世の中年金だけで生きれるわけでもない(--)
もしそんな生活が出来るなら、それなりの蓄財は必要なわけで・・・
結局そこに行き着くのよねー ┐(´ー`)┌ヤレヤレ
(ピンボケましたが、ブルーのブルームッツに彩り添えようかとお迎えした、ピンクの勿忘草。
でもやっぱり ブルー一色の方がさわやかかしら?)
めぐりめぐって、結局「なるようになる」であり、寸暇を惜しんで一生懸命に丁寧に生きるというところに落ち着くのよねー。
アー これって、まさに下手な考え休むに似たりで、時間の無駄だわ。
さて、またもう少しチマチマお仕事しましょ!!