このところの通勤時は、与謝野晶子の源氏物語 上・中・下
これがまた長い! 分厚い!
なので、たっぷり時間がかかって好都合。
一昔前は、よう読みきらんというものでしたが(^^;;
さすがにあれこれバージョン読みまくり、この上中下も何度目かにもなれば、それなりに味わって読めるようになっておりまして。
というのは、何しろ一文が長いのですよ。
この人こそは最上の家庭に生まれ、大事がられてそだった、典型的な姫君というのに不足のない人で、ほかに幾人もない身の上だったのであるが、自分として頼もしい女性と思われぬのはどうしたころであろう、僧のような父宮にそだてられ、都を離れた山里で大人になった人が姉女王にもせよ中の君にもせよ、みな完全な貴女になっていたではないか、このはかない性質の人、軽々しいと人と今の心からは軽侮の念で見られる人も、こうしたわずかな接触で覚えさせた感じの悪いものでなかった、とかおるは八の宮の姫君たちのことばかりがなつかしまれるのであった。
この人はとてもよい家柄で大事に育てられ、ほかに比べられるもののない典型的なお姫さまなのに、自分にとってはよい女性だと思えないのはどうしてだろう。
宇治の山里で、お坊さん暮らしのような父に育てられた姉妹ですら、申し分ない女性に育ったのに。
ちょっとしたやり取りの気配だけでも、この人のように頼りなく軽々しく感じるということはなく、好ましい感じがしたものなのにと、薫はこの姫を比べては、やっぱり山里育ちの八の宮の姫たちが懐かしく思った。
って、思いっきり失礼なんですけど!!(笑)
いえね。はじめは恋愛ばかりの物語で、うんざりといった風だったのですが、当時は男性の通い婚。
で、奥さんの家がどれほどの金持ちか、実力者かで、男の出世が違うのですね。
つまり婿に対して、嫁の家は全精力を上げて応援するわけです。
だから男はよりよい家柄の、勢力あるところの婿になりたいわけです。
まさに逆玉狙いということでしょうか。
一方で女性の父親も、いかに血筋の良い、将来性のある婿を迎えるかで、自身の出世とどころか、一族の男子の出世が違うのですから、もう目の色変えて物色するわけです。
恋愛モノかと思いきや、その後ろにすき見えてくるのは、当時の勢力争いでして、まさに政治というわけです。
いかに血筋の良い皇族であっても、女宮が生まれなければ、どこぞの金持ちのバックアップも得られなかったり、帝に嫁入りさせて、地位の安泰も図れない。
さりとて下々の嫁にするくらいなら、未婚のまま尼にでもした方が体裁が良い、などという見方もありまして。
「なに? 右大臣が娘を帝に差し上げただと!! で、帝とはえらくラブラブだとな?
くっそー うちの娘を嫁入りさせて王子でも授かれば、わしは未来の帝の舅になって地位も安泰、一族も万々歳だと思ったのに。
いまさらうちの娘を後から入れても、寵愛が受けられなければかわいそうだし、何の役にもたたん!
ならば、東宮(皇太子 つまりは次の帝)に輿入れさせよう。
ん? 東宮は姫よりずっと年下? いや そんなのかまわん。
何にも知らないうぶな東宮だからこそ、多少気の利く年上の女房のほうがいいんじゃ!」
なーんて、結局は娘の幸せより、一族の繁栄というものなのでしょうかしらね。
その上、下々は一夫一婦なのに、皇族やある程度上のクラスになれば、妻は何人いてもいいと。
ま、絶対数が少ないのですから、そうでもしなけりゃことは運ばない・・・っと(^^;;
もっとも、上中の光源氏のあたりはまだ人の関係図も頭に入るのですが、下の薫になりますと、だいぶ怪しくなってまいりまして。
何しろ、文中に常に「薫君」で出るわけじゃない。
官位が昇進するたびに、薫だったり、少将だったり、中納言だったりの役職名だけで出てくる。
おまけに周囲の男どもも、果ては女性までも姫が宮になったり尼宮になったりで、頭がこんがらかってきます。
しかし かわいそうなのは夕霧だと思いますね。
夕霧母の葵の上も、さして源氏とラブラブにならずに若くしてなくなり、夕霧も主人公にはならない。
下巻の主人公は、源氏の年いってからの妻の若い宮さまが、柏木という人に押し切られてできちゃったという息子の薫。
葵上も夕霧も、母子して全うな位置にいる人物なのに、物語のなかではかなり影が薄いと思いますね。
で、今日になってふと疑問が。
さらっと読んだ中に、前出の姫様が「裳をつけているなどかわいそう」というような一文が。
つまり、姫様なら裳などつけない。つけるのは女房?
でもお雛様も裳をつけているわよね?
裳にも格があるのかな?
うーーーん もう一度読んで、調べてみよう。
♪♪ 桃の花が見ごろです(^^)v
なんと愛らしく咲いていることか♪

これがまた長い! 分厚い!
なので、たっぷり時間がかかって好都合。
一昔前は、よう読みきらんというものでしたが(^^;;
さすがにあれこれバージョン読みまくり、この上中下も何度目かにもなれば、それなりに味わって読めるようになっておりまして。
というのは、何しろ一文が長いのですよ。
この人こそは最上の家庭に生まれ、大事がられてそだった、典型的な姫君というのに不足のない人で、ほかに幾人もない身の上だったのであるが、自分として頼もしい女性と思われぬのはどうしたころであろう、僧のような父宮にそだてられ、都を離れた山里で大人になった人が姉女王にもせよ中の君にもせよ、みな完全な貴女になっていたではないか、このはかない性質の人、軽々しいと人と今の心からは軽侮の念で見られる人も、こうしたわずかな接触で覚えさせた感じの悪いものでなかった、とかおるは八の宮の姫君たちのことばかりがなつかしまれるのであった。
この人はとてもよい家柄で大事に育てられ、ほかに比べられるもののない典型的なお姫さまなのに、自分にとってはよい女性だと思えないのはどうしてだろう。
宇治の山里で、お坊さん暮らしのような父に育てられた姉妹ですら、申し分ない女性に育ったのに。
ちょっとしたやり取りの気配だけでも、この人のように頼りなく軽々しく感じるということはなく、好ましい感じがしたものなのにと、薫はこの姫を比べては、やっぱり山里育ちの八の宮の姫たちが懐かしく思った。
って、思いっきり失礼なんですけど!!(笑)
いえね。はじめは恋愛ばかりの物語で、うんざりといった風だったのですが、当時は男性の通い婚。
で、奥さんの家がどれほどの金持ちか、実力者かで、男の出世が違うのですね。
つまり婿に対して、嫁の家は全精力を上げて応援するわけです。
だから男はよりよい家柄の、勢力あるところの婿になりたいわけです。
まさに逆玉狙いということでしょうか。
一方で女性の父親も、いかに血筋の良い、将来性のある婿を迎えるかで、自身の出世とどころか、一族の男子の出世が違うのですから、もう目の色変えて物色するわけです。
恋愛モノかと思いきや、その後ろにすき見えてくるのは、当時の勢力争いでして、まさに政治というわけです。
いかに血筋の良い皇族であっても、女宮が生まれなければ、どこぞの金持ちのバックアップも得られなかったり、帝に嫁入りさせて、地位の安泰も図れない。
さりとて下々の嫁にするくらいなら、未婚のまま尼にでもした方が体裁が良い、などという見方もありまして。
「なに? 右大臣が娘を帝に差し上げただと!! で、帝とはえらくラブラブだとな?
くっそー うちの娘を嫁入りさせて王子でも授かれば、わしは未来の帝の舅になって地位も安泰、一族も万々歳だと思ったのに。
いまさらうちの娘を後から入れても、寵愛が受けられなければかわいそうだし、何の役にもたたん!
ならば、東宮(皇太子 つまりは次の帝)に輿入れさせよう。
ん? 東宮は姫よりずっと年下? いや そんなのかまわん。
何にも知らないうぶな東宮だからこそ、多少気の利く年上の女房のほうがいいんじゃ!」
なーんて、結局は娘の幸せより、一族の繁栄というものなのでしょうかしらね。
その上、下々は一夫一婦なのに、皇族やある程度上のクラスになれば、妻は何人いてもいいと。
ま、絶対数が少ないのですから、そうでもしなけりゃことは運ばない・・・っと(^^;;
もっとも、上中の光源氏のあたりはまだ人の関係図も頭に入るのですが、下の薫になりますと、だいぶ怪しくなってまいりまして。
何しろ、文中に常に「薫君」で出るわけじゃない。
官位が昇進するたびに、薫だったり、少将だったり、中納言だったりの役職名だけで出てくる。
おまけに周囲の男どもも、果ては女性までも姫が宮になったり尼宮になったりで、頭がこんがらかってきます。
しかし かわいそうなのは夕霧だと思いますね。
夕霧母の葵の上も、さして源氏とラブラブにならずに若くしてなくなり、夕霧も主人公にはならない。
下巻の主人公は、源氏の年いってからの妻の若い宮さまが、柏木という人に押し切られてできちゃったという息子の薫。
葵上も夕霧も、母子して全うな位置にいる人物なのに、物語のなかではかなり影が薄いと思いますね。
で、今日になってふと疑問が。
さらっと読んだ中に、前出の姫様が「裳をつけているなどかわいそう」というような一文が。
つまり、姫様なら裳などつけない。つけるのは女房?
でもお雛様も裳をつけているわよね?
裳にも格があるのかな?
うーーーん もう一度読んで、調べてみよう。
♪♪ 桃の花が見ごろです(^^)v
なんと愛らしく咲いていることか♪
