このブログ、そもそもはフランス生活の中で自分の日常を綴ろう、と始めたものだったので、日本に帰国してからも、なるべく我が家の事情などは書かないようにしてきました。
が。
今日は少しばかり原則から外れます。…よろしかったら、おつきあいください。
そう。
11日、大地震に見舞われた日に、私は東京の隣県にある親元に行く予定でした。
しかし。
東京下町のアパートを出たところで、地震が発生。
余儀なく戻りましたが、このタイミングで本当に運が良かった!と思います。
一晩は、自分の住まいで待機することができ、翌朝未明に再び出発。
家に帰れず疲れきったサラリーマン・OLなどでラッシュ状態の地下鉄を何とか乗り継ぎ、私鉄に乗って親元に着いたのは朝の7時半でした。
…普段なら1時間半ばかりで到着するはずが、まるまる2時間半。
それでも、とってもラッキーなことだったと思っています。
しかし。
なぜこの状況で、そうまでして親元に帰らなければならなかったのか、というと。
実はその日、父の遺骨などを持って、母と一緒に博多まで行くことになっていたからなのです。
翌日曜日13日が父の四十九日にあたり、故郷の博多で親戚も集め、先祖のお墓に納骨する予定にしていました。
そう。
実は私の父、新年を超えた頃から容態が悪化し、家族が覚悟していたよりは早かった1月の下旬に、入院先の病院で母が見守る中、静かに息を引き取りました。
…私が珍しく風邪で寝込み、丁度治りかけていた頃です。
そして。
死亡通知は、遺言通り、知人・友人、親戚にも一切せず。
家族葬を、姉夫婦の仕事の休日に母と4人でヒッソリ行いました。
…当初は、母が東京に購入していたお墓に埋葬するつもりでしたが。
いざとなると、母は、ヤッパリ故郷が大好きだった父を先祖のお墓に入れてあげたい、という思いに至り。
結局、四十九日にあわせて、親戚などにも声をかけ、博多で納骨を行うことにしたのでした。
ところで。
地方によって違うようですが。
父の葬儀を行ったところでは、遺骨全てが大きな瀬戸物の骨壷に収められました。
これがまた、結構重くて持ちづらいのですよね。
結局、大きな風呂敷に包み、持ち運びのためにスポーツバッグに入れ…。
ですから、背中には山歩き用の大きなリュックに、遺影や自分の喪服など。
片腕には、チャックの閉まらない、骨壷と位牌の入ったスポーツバック。
それを、あの状況で羽田に向かうことになったわけです。
通常なら、母の家から羽田空港まで所要時間2時間ばかり。
しかし地震の翌日。
交通の混乱で、さまざまなルートを使った結果、空港まで4時間半もかかり。
最終的には、空港内を走って予定の飛行機に乗った有様でした。
いずれにしても、乗れて本当にヨカッタ!
そして。
無事、暖かい穏やかな日曜日に親戚ともども納骨を済ませ、母と帰京したのは、一昨日14日・月曜日のことです。
これまた、最寄の私鉄がストップしており、リムジンバスで途中まで来たのはよかったけれど、タクシーは長蛇の列&来ない…。
そこから家まで、疲れきっていた母には申し訳なかったけれど、頑丈な私が母の荷物を引き受け、約1時間半かけて夕闇の中、二人で歩いて帰ってきました。
…家にやっとこさ着いたのは、19時半頃。
震災直後ではあったけど、なんとか父の納骨を博多で予定通りすませることができたことには深く感謝。
そして。
最後までしんどかった帰路で、お腹もペコペコ。
自宅でおつまみなしでも飲んだビールの美味しさを一際、感じいった夜でした。。。
が。
今日は少しばかり原則から外れます。…よろしかったら、おつきあいください。
そう。
11日、大地震に見舞われた日に、私は東京の隣県にある親元に行く予定でした。
しかし。
東京下町のアパートを出たところで、地震が発生。
余儀なく戻りましたが、このタイミングで本当に運が良かった!と思います。
一晩は、自分の住まいで待機することができ、翌朝未明に再び出発。
家に帰れず疲れきったサラリーマン・OLなどでラッシュ状態の地下鉄を何とか乗り継ぎ、私鉄に乗って親元に着いたのは朝の7時半でした。
…普段なら1時間半ばかりで到着するはずが、まるまる2時間半。
それでも、とってもラッキーなことだったと思っています。
しかし。
なぜこの状況で、そうまでして親元に帰らなければならなかったのか、というと。
実はその日、父の遺骨などを持って、母と一緒に博多まで行くことになっていたからなのです。
翌日曜日13日が父の四十九日にあたり、故郷の博多で親戚も集め、先祖のお墓に納骨する予定にしていました。
そう。
実は私の父、新年を超えた頃から容態が悪化し、家族が覚悟していたよりは早かった1月の下旬に、入院先の病院で母が見守る中、静かに息を引き取りました。
…私が珍しく風邪で寝込み、丁度治りかけていた頃です。
そして。
死亡通知は、遺言通り、知人・友人、親戚にも一切せず。
家族葬を、姉夫婦の仕事の休日に母と4人でヒッソリ行いました。
…当初は、母が東京に購入していたお墓に埋葬するつもりでしたが。
いざとなると、母は、ヤッパリ故郷が大好きだった父を先祖のお墓に入れてあげたい、という思いに至り。
結局、四十九日にあわせて、親戚などにも声をかけ、博多で納骨を行うことにしたのでした。
ところで。
地方によって違うようですが。
父の葬儀を行ったところでは、遺骨全てが大きな瀬戸物の骨壷に収められました。
これがまた、結構重くて持ちづらいのですよね。
結局、大きな風呂敷に包み、持ち運びのためにスポーツバッグに入れ…。
ですから、背中には山歩き用の大きなリュックに、遺影や自分の喪服など。
片腕には、チャックの閉まらない、骨壷と位牌の入ったスポーツバック。
それを、あの状況で羽田に向かうことになったわけです。
通常なら、母の家から羽田空港まで所要時間2時間ばかり。
しかし地震の翌日。
交通の混乱で、さまざまなルートを使った結果、空港まで4時間半もかかり。
最終的には、空港内を走って予定の飛行機に乗った有様でした。
いずれにしても、乗れて本当にヨカッタ!
そして。
無事、暖かい穏やかな日曜日に親戚ともども納骨を済ませ、母と帰京したのは、一昨日14日・月曜日のことです。
これまた、最寄の私鉄がストップしており、リムジンバスで途中まで来たのはよかったけれど、タクシーは長蛇の列&来ない…。
そこから家まで、疲れきっていた母には申し訳なかったけれど、頑丈な私が母の荷物を引き受け、約1時間半かけて夕闇の中、二人で歩いて帰ってきました。
…家にやっとこさ着いたのは、19時半頃。
震災直後ではあったけど、なんとか父の納骨を博多で予定通りすませることができたことには深く感謝。
そして。
最後までしんどかった帰路で、お腹もペコペコ。
自宅でおつまみなしでも飲んだビールの美味しさを一際、感じいった夜でした。。。