こころの声に耳をすませて

あの結婚生活は何だったのだろう?不可解な夫の言動はモラル・ハラスメントだった…と知ったウメの回想エッセー。

食べ物の話

2006-05-28 01:38:29 | 日々の想い
 私は結婚し、まったく知らない土地に移り住んだ。なので、食文化の違いに随分驚かされもし、新たな味覚の発見を楽しむこともできた。加えてそれがモラ夫の神経に障る出来事となったのだ。

 結婚した当初、私はお味噌汁に散らすネギや、うどんの薬味としてのネギに、長ネギ(白ネギ)を使った。すると夫は叫んだ。「こんなネギを使うんじゃない!」と。私にはわけがわからなかったが、後から青ネギ(万能ネギ?)を使うのだとわかった。
 ある日、夫が「肉じゃがが食べたい」と言ったので作ったら、夫は不機嫌に「何で肉が豚なんだ」と言った。私の親が作るものは豚肉の肉じゃがが当たり前だった。夫が言うには肉じゃがの肉は牛だそうだ。そして私が「肉まん」と呼んでいたものは、こちらでは「豚まん」だった。なぜかというと、こちらでは「肉」=「牛」なので、豚を使っていたらわざわざ「豚まん」と呼ぶらしい。そんなことを、食文化の違いとして楽しく会話できたらよかったが、夫からは不機嫌さと怒りオーラを伴いながらの説教として教えられることになった。
 すき焼きや鍋には「水菜」を入れることも学んだ。私にとって「水菜」は、結婚前には使ったことのない未知の野菜だった。ある日天ぷらを作ったら、夫が「筍の天ぷらはないの?」と言った。私は青ざめた。また夫の期待に応えられなかった…と。それにしてもこちらの地域の筍はおいしかった。とれたては香り高く、それまで筍に興味がなかった私もすっかり好きになったくらいだ。しかし筍を天ぷらにするというレシピは私の頭の中にはなかった。
 そして「鯨」。夫はたまに「鯨が食べたいな」と言ったが、私は鯨料理など食べたこともなかった。私にとって鯨はまだ捕鯨禁止になっていない時代(昔)の人が食べる食材だと思っていたが、こちらでは私と同年代の人たちまでもが中学時代くらいまで給食に出ていたというのだ。鯨肉と水菜を煮る(こちらでは炊く、と言う)料理がおいしかったそうだ。それにしてもこちらでは調査用捕鯨だか何かわからないが、時々デパートや大きなスーパーには鯨肉が売られていた。私が料理できなかったので、ついに夫との生活で鯨肉のメニューは食卓に上らなかった。私も鯨料理にはちょっと興味がある。おいしいのかな~??

 この頃は全国どころか世界の食材がスーパーに並び、いろいろなものが食べられるようになった。ゴーヤなども、私が子どもの頃には想像もつかない野菜だったが、今ではよく使っている。アボガドを使った料理も食べたり自分で使うようになったのは、大人になってからだ。北海道の採れたて秋刀魚のお刺身が食べられるのも、流通機構が格段に発展したおかげだろう。
 私は食べたことのない食材を試してみるのが好きだ。どこかのお店で食べた創作料理も試してみたくなる。しかし夫は違った。夫は決まりきったメニューを好んだ。例えば定食みたいなもの。トンカツは普通に豚ロースに衣をつけて揚げなければならない。そこに紫蘇を挟むなどというアレンジをしてはならないのだ。また夫の中では何故か鍋=水炊きと決まっていて、キムチ鍋などというものは邪道だそうだ。キムチは食べるのに、豚キムチはダメ。ゴーヤ料理もダメ。お豆腐は、冷や奴はOKで、お豆腐サラダなんてものはダメ!こんな夫だったから、一緒に旅行に行っても、その地方の名産や食材を堪能する料理屋さんには入れなかった。沖縄に行ったときには、一回だけ沖縄料理のお店に入ったが、夫は出された料理殆どに箸を付けなかった。私にとってはとてもおいしいお料理だったが…(特に海ぶどうの食感はやみつきに!)。

 とにかく夫との食事は楽しむより疲れ果てた。私が作った料理をテーブルに出すとき、私はまるで判決を待つ罪人のような気分だった。今日は満足してくれるだろうか…それとも口に合わないと怒るのだろうか…と。

 夫と離れた今、作りたい料理を作り、食べたいものが食べられる。食事を安心して楽しめるという環境が、いかに健康を育む大切なことなのかと思う。

 昨日は友人と韓国料理のお店に行った(今テレビや映画では韓国ブームだが、残念ながら私は韓国ドラマ等を全く見ない)。そこは単に焼き肉店というより韓国宮廷料理も出すお店なので、落ち着いた雰囲気でちょっと高級感があった。その割にはサービス満点でお得なお値段。そしてとにかく野菜を使った料理が多い!少々野菜不足だった私の体は大喜び(^^)。おいしいお料理に楽しいおしゃべり…お腹も心もいっぱいになって幸せ気分だった。

 これが本来の食事よね。楽しくおいしく食べれば心も体も喜ぶのがお食事!
 あ~…ちょっと太りそう。。。。

 

別居の次

2006-05-21 22:21:52 | 離婚に向けて
 5月というのに、まるで梅雨のようなジトジトしたお天気が続いている。晴れたと思ったら雨、肌寒いと思ったら、蒸し暑いという不快感。新緑だけは雨に濡れて輝き、匂い立つばかりだが、私の気分はどうも沈んでいる。今の季節は、カラッと爽やかに晴れ上がって欲しい。冬物の洋服も順に洗おうと部屋の隅に積み上げてあるのに、やる気がおきない。
 加えて、最近仕事が忙しく精神的に追い込まれている感じだ。昨日は研修、今日は職場で資料作りだった。憂鬱…。こんなとき、厭世的なことばかり考えてしまう。「働き続けるのはしんどい…いつまでこの身がもつか不安」「早く定年退職してのんびり暮らしたい」「いつ死んでもいい」「違う仕事の方があってるかも」「夢のように人生が終わってほしい」などなど…(お聞き苦しいグチでした)。
 でも現実はそううだうだ言っていても仕方がないので、結局は目覚ましを2つセットし、朝必死で布団からはい出し、何とか仕事にでかける。こうやって仕事があるだけでも幸せなことなのだろうと思ってはいる。実際仕事がなかったら、それこそ憂鬱になってしまうのだろう。食べていける幸せに感謝しなければ…ね。きっとこんな気分になるのも、このお天気のせいに違いないっ!ということにしておこう。

 先日、憂鬱気分を紛らわそうと仕事帰りに友人と飲みにいった。仕事のグチや噂話、そして私の話になった。友人は「だんなさんから連絡ないの?」と聞いてきた。私は「うん、全然ないよ。ぜ~んぜん。」と答えた。「まったく?」「うん、まったく」「そうなんだ~」と目を丸くする友人。そして「じゃあこれからもう一緒に住む可能性はないの?」と言うので「まったくないよ。可能性ゼロだね~」と答えると「じゃあ、早く離婚したら?このまま生活していて何かあったら大変だよ~。」と言われた。「もしだんなさんが事故で大けがして入院したらウメに連絡が行くよ~」「え~、連絡来たってわたしゃ知らんよ」「でもさ~、今のままだったら結局ウメが手続きしなくちゃいけないんじゃないの?それでもし、だんなさんが死んだらどうするの?ウメがお葬式だすことになるんじゃないの~?」「う~ん、それは嫌だよね~。もしだんなが死んだら火葬だけして骨は散骨して自然に帰ってもらおうかな~。墓はなし!」「え~っ!?ほんとにそれで済むと思ってるの~?」「済まないかな~。逆に私が死んだらだんなが葬式することになるのかな~。それって絶対嫌だわ~!」「でしょ~?何もないうちに早く離婚してすっきりしちゃったほうがいいよ~」「そうだよね~」「だって例えばボケたり病気なんかになって、だんなさんが寝たきりになってから離婚するっていうのも後味悪くなるんじゃないの?」「いや~、ならないけどね~…はは」「ウメはまだ先があるんだからさ、早くケリつけたほうがいいよ。いい出会いが待ってるかもしれないし~」「え~、男と住むのはもういいわ~。しかも自分が選ぶ男って、危険なタイプになっちゃうのかもしれないし」「これで十分学習したから大丈夫だよ。次にいい出会いがあったらまず私に見せて!私が危険な男かどうかちゃんと見極めてあげるから」「う~ん、いまいち自信がないけどねえ…」

 この友人の両親は非常に仲が悪く、いつも母親から「あなた達(子ども)さえいなければとっくに離婚していたわ」と言われていたそうだ。友人は子ども心に結婚はろくなものじゃないと思い続けてきた。だから何人かの男性とつきあいながらなかなか結婚までいかなかったし、その男性は私も好む?危険なタイプだったそうだ。しかし40才も近くなった最近、いい人と巡り逢い結婚した。友人は、この年になって自分の傾向もいろいろわかったからこそ、今の夫と出会えたのだ、と言う。
 う~ん、私は早まったのかなあ。。。。

 私が夫と別居してしばらくは、別居のために消費した多大なるエネルギーを取り戻すまでが大変だったし、とにかく自分自身を立て直すことに時間を費やした。まずは夫からなにか嫌がらせがあるのではという恐怖がしばらくあった。そして自分なりに努力した結婚生活が無残なものになったことを認めるのは非常に辛かった。また、結婚生活を築けなかったことで、ダメな妻=ダメな女と世間から見られるのではないかという劣等感にも苛まれた。しかし別居して2年近くが経ち、徐々にそれらの思いから抜け出しつつある。とにかく、夫とどこかでつながっていたら、何かあったとき、ろくな事にはならないだろう。しかももう私にとって結婚生活は遠いものとなりつつある。離婚について、もうそろそろ動き出してもいいのかなぁ…とも思う。
 しかし…そこで夫に連絡をとることに躊躇してしまう。あの声、あの冷たい目、できれば私はもう夫と話したくもないし顔も見たくない。どうしても恐怖の感覚が先に立ってしまうからだ。あの罵声を再び浴びたら、頭の中が真っ白になってしまうかもしれない。そう思うと、何事もなく夫から特に連絡もなく平和に過ぎている今のまま過ごしたくなってしまうのだ。

 夫に何を言われても、もう揺るがずにキッと前を見つめて行けるよう、トレーニングしなければいけない。あいつは不安で空虚な存在なんだ。あいつが何を言ったって、もう私の人生がどうなることはない。あいつが何と言おうと聞き流して、淡々と進めていけばいいのだ。私は大丈夫、私はきっと大丈夫…。こんなふうにもっと強く思いたい。

 対決はいつの日か?…やっぱりまだちょっとコワイ、かな~ 


透明な鎖

2006-05-14 22:54:03 | モラル・ハラスメント考
 穏やかな五月晴れの日、窓を開け放ち風を入れる。青い空の光を感じながら、好きな音楽をかけ掃除や洗濯をする。ずっと出してあったホットカーペットをやっとしまうことができた。外を歩くと、家々の庭やプランターには可愛い花々が咲き、目を楽しませてくれる。銀杏の大木から芽吹いた新芽がなんてきれいなんだろう。
 今の私は、何をしているときもいつもの私自身でいられる。私らしく感じ、私自身で考え行動している。もちろん、思い通りに行かないこともある。仕事も大変で、やっとこさ働いているときもある。それでも、それは私自身のしんどさであり、私の苦労だ。

 しかし夫と生活していた頃、私はまるで私らしさを失っていた。

 家の中では夫の顔色を窺い、夫の足音に耳をそばだたせて機嫌を推し量り、今日の夕食は無事に食べてくれるだろうかと震える日々。夫に話しかけるときは、不機嫌にならないようにタイミングを見極め、恐る恐る言葉を選ぶ。夫が大きな溜息を吐けば、なるべく目を合わせないように下を向いていた。そして意味不明のきっかけで突如爆発する怒りの地雷を踏まないよう絶えずびくびくし、卑屈になっている私は何なんだろう…私はどうしてこんな人間になってしまったのだろう…。私はよくそんなことを思っていた。
 家の中にいる私はまるで鎖につながれた奴隷のようだった。恐怖の大王様に使える奴隷。奴隷の私は、大王様の食事を用意するため買い物に出る。私の好みではなく、大王様の好きなもの、食べてくれそうなものを落ち着きなく探す。これぞといったメニューが頭に浮かばないとパニックになりそうになる。もう時間がないのに…!
 私の周りで買い物をしている親子連れや夫婦は、おしゃべりしたり笑ったりしながら品物を選んでいる。私は別世界の出来事を見るような目で彼らを眺めた。私は夫と言葉も光もない世界に生きているのだ。彼らとは隔てられた世界にいる私。自分が異星人のように感じた。

 そして私はこうしてひとりで外に出ているときも、透明の鎖につながれているようだった。家から長々と引きずって歩く透明の鎖。仕事に行くときも、買い物に行くときも私は透明の鎖につながれていた。ひとりで外に出るのだから、いつだって夫の元から逃げ出すことができたのに。他の人に助けを求めることだって、いつでもできたのに。わざわざ痛めつけられるとわかっていながら、足を引きずるようにして恐怖の大王様が棲む世界に戻っていった私。

 私は自分でも自分の行動が不思議に思えた。夫と結婚する前の私は、自分なりに生きてきたように思う。家から早く出たかった私は、就職してすぐに親元から離れ、10年近くひとり暮らしをしていた。自分で就職先も選び、少ない給料をやりくりしながらも、部屋のインテリアを手作りしたり、友人と旅行に行ったり、それなりに楽しんでいた。職場の人間関係はいろいろあったが、プライベートでは信頼できる友人も遊び仲間もいた。私は私なりの考えをもっていたし、苦手なタイプの人はいたが、必要以上に怯えたり卑屈になることもなかった。

 夫と結婚した後、夫のモラハラに打ちのめされる日々になっていくわけだが、何で私がここまで卑屈になってしまうのか、本当に情けなかったし自分でもわからなかった。私はもう少し意見を言ったり、話し合おうとしたりできる人間だと思っていたが、夫の前ではまったく萎縮していた。
 そして家の中では怯え小さくなっている私でも、職場に行くとそれなりに仕事をこなし、にこやかに接客をし、他の若い社員に指示をだしたり、上司と仕事の打ち合わせをし、業務を円滑に遂行させるための提案をしたりしているのだ。この私は何?そして家の中の私は何?
 私は1日の中の場面によって、180度変化する自分自身の矛盾した姿にも混乱した。

 『es(エス)』という映画がある。これは実際にあった大学の心理学実験の話しだそうだ。心理実験のためのアルバイトとして被験者が募集され、看守役と囚人役に振り分けられる。看守役は看守の横柄な態度を身につけ、それが演技でなく徐々に残虐さが染みついていく。囚人役はその役を演じていくにつれ、自身の精神自体がどんどん卑屈になっていく。刑務所内での状況と役割が人間を変えていくという、恐ろしい心理実験だ。
 私と夫の関係はこれに似ていた。夫のモラハラによる巧妙な攻撃。「おまえが俺を怒らせるんだ」あるいは「俺を怒らせないでくれ」「妻が努力してこそ夫も元気になるんだ」「家事をもっとしっかりやってくれ」…これは結婚生活において“妻”はこうあるべき、という型にはめこもうとし、世帯主である“夫”に気を遣え、という状況を作る。私は共働きなのだから、家事は協力してすればいいと思っていたが、夫の強力な圧力に沈黙せざるを得なかった。その中で私がいかに“ダメな妻・最悪の人間”で努力が足りないかを陰湿に主張し続ける夫によって、私は常に夫に取り入ろうと卑屈になり奴隷の役割になりきってしまったのだ。

 付き合う人やある状況によって、こんなにも惨めな自分になってしまうのかと骨の髄まで身にしみた体験がモラハラだった。


 恐るべきモラハラ。もう二度と透明の鎖に囚われたくはない。





幸せ恐怖 ~ひとり暮らしひとりごと~

2006-05-08 23:15:39 | 日々の想い
 連休が終わり、目覚めた朝。そうだ、今日から仕事なんだと自分にハッパをかける。ちょっと下界に戻ってきた気分だ。
 外を歩くと、空が青くて緑が輝いている。街路樹のハナミズキが満開だ。もう初夏なんだな~。早いな。暑いなぁ…。

 連休では実家に帰り、昔からの友人に会ってきた。なかなか会えないが、ひとたび会うと今までの距離と時間を一気にすっ飛ばして、心おきなく遊べる友人だ。その日は友人との時間を過ごすため、新緑溢れいろいろな花々の咲く大きな公園に行った。もちろんデパ地下でおいしいお総菜を山のように買い込み、ビールやワインも持って!
 周囲には家族連れやカップルもお弁当を広げている。私達は優しい木洩れ日の下でおいしいランチをゆっくり楽しんだ。この友人は二児の母で、普段賑やかで忙しい生活を送っている。この日友人の夫は「たまにしか会えないんだからゆっくりしておいで」と、小さい子ども達を連れて遊びに行ってくれたそうだ。素晴らしい夫!!どうして私には…なんてこんなこと考えるのはやめよう(^^;)。とにかく、その友人とアホな冗談を言っては笑い、人生について語り、他の友人達の噂話をしては皆の近況に驚いたり笑ったり。そのまま夜の二次会にも突入して存分に語り合った。
 別の日には、これまた12年振りの再会が叶った懐かしい人との時間を堪能できた。

 実家では両親、そして兄弟が夫婦で来てこれまた賑やかな夕食となった。食卓を囲んで食べながらのおしゃべり。昔話や近頃のニュース、父親のうんちく、母親の健康談議…楽しい時間だった。
 実はこうして家族で楽しくおしゃべりできるようになったのも、ここ数年のことなのだ。私は母親との葛藤で随分苦しい思いを抱えてきた。過干渉な母親。そしてかまわれたがりの母親。私はいつも母の話の聞き役だった。自分の話を母親にしようとしても、すぐ母親の持論に遮られ、沈黙することが多かった。そして私はイライラすると母親に攻撃的な態度をとった。そんな私に対して母親は、屁理屈ばかり言い、すぐに噛みつく扱いにくい小難しい娘、と思っていたようだ。私は母親に侵入させまいといつも身構え、距離を保つことに躍起だった。
 これもお互い年をとったということなのだろうか。。。

 懐かしい人たちとの再会、いつになく賑やかな家族の風景。夫と生活していた頃には、長い間感じることができなかった嬉しい幸せな気持ち。ごく普通の、たわいないおしゃべりができる楽しさ。

 そして夜も更け、布団の中に入ったとき、突然意識に入り込む不安…
 …ここのところ、いいことがありすぎる。久し振りすぎる再会、昔はありえなかった家族の団らん。このまま、こんないいことばかり続くことなんてことはないだろう。もしかしたら、もうすぐ私は死ぬのかもしれない…(大袈裟な奴ですね。。。)

 私は決して不幸になりたがっているわけではないのだ。それなのに、いいことがあるとどこかで湧き起こる灰色の影。
 私はいつもどこかで自分を抑えていた。いや、諫めていた。がっかりするのが嫌だからと、期待しないようにしていた。調子に乗るときっと失敗する、そう思いはしゃぎたい気持ちを抑えた。好きになった男性が親しげに近づいてくると、急に心が冷めて距離をとった。この人が私を好きになるはずがない、と思ってしまうのだ。
 そして嫌なことや辛い出来事が生じると、「やっぱりあのときの罰が当たったんだ」「やっぱり、いいことばかり続くはずがない」と思ってしまう。

 でもホントにそうなのか…?


 いやいや、本当はわかっているんだ。私は自分なりに経験し、学んできたはずだ。人生いいこともあれば、嫌なこともある。苛酷なこともあるけど、それはどうしようもできない不可抗力の場合だって多い。耐えられないことに囚われたら、まずそこから離れればいい。とても受け入れられない現実があったら、手放せばいい。あるときの私は無力だ。そしてあるときの私はけっこう力がある。いろんなことがあって当たり前。嬉しいときは素直に喜び、しんどいときは素直に嘆けばいい。それはきっと罰なのではないのだから。不安を先取りするのはやめよう。がっかりしてもいいんだ。それからまた気を取り直せばいいんだ。

 私は学んだはず。モラハラに遭って苦しかったけど、自分なりに情報を集め、本を読み、状況を把握し、判断し、決断し、行動できたんだ。そしてモラハラに遭った私を受け止め、力づけ、共感し、「モラ夫を選んだあなたが悪いのではない」という言葉をかけてくれた方々から学んだのだ。
 私の人生を、誰に気兼ねすることなく、私なりに生きていいのだと。


 さて、明日も初夏の光を浴びて歩こう


連休 ~ひとり暮らしひとりごと~

2006-05-02 23:36:03 | 日々の想い
 明日から連休だ。大型連休で9日間休む会社もあるようだが、私の職場は暦通り。それでも5連休は嬉しい。明日から実家に帰り、高校時代の友人に会ったり、昔お世話になった方に会う予定だ。長い休みを好きなように使えるなんて、今だからこそだ。会いたい人に、会える時間を作って会う、こんなことも今だからこそできることなのだ。

 夫と生活していた頃の連休(それはゴールデンウィーク、お盆、年末年始なども含め)は恐怖の始まりだった。朝は夫より早く起き、夫の顔色を窺い怯えながら作る1日3回の食事。夫が「出かけるぞ」と言えば慌てて支度して外出し、夫が何も言わなければ家事をした後、気に障らないように自分の部屋にこもる。夫が何かに没入していたら(パソコン等)、テレビも見ることが出来ない。夫がテレビを付けるときは、あくまでも夫の好きな番組のみ。私はそれを上の空で見るふりをしているだけ。夫が音楽を聴けば大音響になるので、私は近所の目も気になり、また大きな音に神経もささくれ立ち、たまらない思いで自分の部屋にこもることになる。そして夫婦では特に用事がないのに、私が単独で遊びに行ったり、実家に帰ったりすることは許さない、というような無言の圧力をかける夫。

 以前、職場の同僚が出産し、ある休日にお祝いにと職場の皆で訪問することになった。私は夫にもその旨を伝えたが、そんなことにすら疑いの目を向け、「へぇ~。誰と行くの?」「どうして皆で行かなくちゃいけないの?」と不機嫌に質問し、バス停までついてきた(監視のため)ことがあった。また、私がいとこと旅行をしたいと言ったときに「じゃあ俺の食事はどうなるんだ?」と鬼のような目で私を睨みつけたりしたこともあった。
 そんなことが度々あると、もう夫を置いて、私だけが出かけるということができなくなった。休日といっても、夫にとって妻である私が単独の予定を立てて外出することは、自分を無視されるようなものだったのだ。そして私は夫の世話をするために家にいなければいけなかった。平日はまだ仕事のために家を出ることができる。しかし、休日は『恐怖の大王』が住まう家で1日中過ごさなければならないのだ。

 楽しく家事が出来ればまだよい。家にいても、夫とあれこれおしゃべりしたり、リラックスして過ごせれば、まだ楽しい休日にもなるだろう。

 しかし私と夫とは、既に気兼ねないおしゃべりは存在しなかった。夫は機嫌が良いと、自分の話したいことだけを長々と話したが、私の話はまったく鬱陶しいようだった。
 私は夫に話しかけるとき、用心深く言葉を選んだ。こんな言葉を使って、こんな言い方ではどうだろうか、と。そして話しかけるタイミングを窺う。今話しかけたら嫌な顔をされるかもしれない。今はテレビに注意を向けているからだめだ(以前、テレビを見ながら話しかけたら『俺は今テレビを見ているんだ』と怖い顔で言われた)。コマーシャルになった。今だったら大丈夫だろうか?…そして恐る恐る(でも明るく振る舞い)話しかける。それで夫がさらっと返事をしてくれたらラッキーで、3回のうち2回は「はぁ?」「いったい何が言いたいの?」「おまえの話す日本語は意味がわからないんだよ」と冷たい目で突き放される。
 ああ、やっぱり話しかけるんじゃなかった。もう必要最低限の用事だけ伝えることにしよう。それにしてもどうして夫婦でささいな話しをするにも、こんなにびくつかなければならないのだろう…。重い気持ちで口をつぐむ私。
 連休はこんなことの繰り返しだった。

 私は何でもない、普通のおしゃべりに飢えていた。何気ない、日常のありふれた会話。それは例えばこんな会話だった。「今日は急に暑くなったね~。このまま夏になっちゃうのかな?」「昨日はね、職場の同僚が時間ぎりぎりで出勤してきたんだけど、なんと朝起きてから10分間で身支度して家を出たらしいわ~。すごいスピードだね」「昨日テレビで面白いこと言ってたんだけどね…」
 
 こんなことが普通に話せない夫婦って何なんだ?こんなどうってことない一言を言うのに、夫の顔色やタイミングやご機嫌を窺う私って何なんだ?
 私は本当に寂しかった。心底寒気がしたものだった。


 もうそんなことを気にしなければならない人はいない。私は自分の好きな人と会って、しゃべりたいことをしゃべって、お互いに会話を楽しんで、お互いの存在を喜ぶことができる。
 もう私を縛る人は家の中にいない。私に圧力をかける人は家の中にいない。

 私は今、家の中で心からリラックスしている。


 では、明日からしばらくお出かけしてきま~す