こころの声に耳をすませて

あの結婚生活は何だったのだろう?不可解な夫の言動はモラル・ハラスメントだった…と知ったウメの回想エッセー。

夫との旅行

2005-10-31 21:04:25 | モラ夫の特徴
 秋、行楽シーズンだ。これから少しずつ紅葉も始まる。山々、街路樹、公園の樹木たちが色鮮やかに染まり、私達の目を楽しませてくれるだろう。私は旅行が好きだ。結婚する前は友人たちとあちこちへ出かけた。紅葉を見上げながら入る露天風呂は最高だ。友人と温泉につかりながら、長々とおしゃべりをしたものだ。

 結婚後はたまに、夫と旅行をした。初めの頃は、夫との旅行が楽しみだったが、それはどんどん苦痛になっていった。
 まず夫が「旅行に行こうか」と言いだし、あそこがいいか、ここがいいかと話しかける。私はそれについてあまり意見を挟まず「どちらもいいね」と答える。ここで私が「あそこがいい」などと意見を挟むと、夫はあれこれ難癖をつけてくるからだ。とりあえず夫の希望で行き先が決まっても、突然行き先を変更される場合がある。夫はよく「俺は約束が嫌いだ」と言っていた。なぜかを聞くと、「約束するとそれに縛られるからな。約束が果たせないときだってあるだろう?縛られるのは嫌なんだ」と言った。だから宿の予約も直前にならないとできなかった。また私が旅行先の観光コースについて調べていると夫は「そんな観光コースとか、名所には興味はないから行かないぞ」と言った。「じゃあどこを見るの?」と聞くと「とにかくその土地を歩けばいいんだ」と答える。歩けばいいって言ったって…と思いつつあまり口を出すと不機嫌になるので黙っていた。
 
 旅行の当日、夫は朝食を食べ、さっさと身支度を整えて出かける準備し、玄関先に立っている。私は、朝食の後片付けをした後、猛スピードで身支度を整え旅行鞄をひっつかむ。とにかく夫を待たせないようにしないと、夫はすぐ不機嫌になってしまうからだ。「もう行くのはやめだ!」と言い出しかねない。そして何とか出かけるわけだが、夫は電車の中でも(時には飛行機の中でも)私とは話さず、持ってきた本や雑誌を読んでいる。最初の頃、私は夫とおしゃべりしたくて話しかけるが、夫から面倒くさそうに返事をされたり、「つまらない話しをするな」と言われたりしたので、もうたいていは黙って隣に座っていた。その後私も文庫本を持参するようになった。

 そして目的地に着くと、ひたすら歩く。とにかく黙々と歩く。しかも観光スポットからは見事にはずれているのだ。夫が言うには、その土地を知るにはその街や自然の中を歩き回ることだそうだ。確かにそうだが、無目的にどこに行くともしれない中で歩き続けるのは非常に苦痛だった。夫に「どこに向かってるの?」と聞いても「さあ?」と言うだけ。「あっちに行った方がいいんじゃないの」と聞くと「こっちでいいんだ」と恐い声で答える。とりつく島もない。私はこの寒々しい行進に疲れ果てた。
 散々歩き回った後、宿に着くとまた本や雑誌を読み始める。私が退屈してテレビを付けると「うるさい」と一喝される。しーんとして過ごす時間。そんな時、温泉でもあればひとりで入りに行くのだが、ホテルの部屋だと最悪だ。夫が夕食に行こう、と言うまで黙って過ごすのだ。

 そして例えばホテルで宿泊し、夕食を外に食べに行くとする。夫はまた黙々と歩き出す。外に並んでいるレストランの看板やメニューをじっと見て吟味しては、また別のお店を探す。夫は事前に調べたりすることも嫌いなので、とにかくその時になってからお店を探す。私はひたすら夫の後ろをついて行く。1時間以上歩いて、やっと夫が言った。「とんかつでも食べようか」と。私は思わず「えっ!?」と叫んだ。なぜ旅行先で、どこでも食べられるとんかつを食べなければいけないのか?私は旅行をしたらその土地ならではの食材や郷土料理、名産を食べてみたいと思っている。しかし夫は自分が食べたいものしか食べず、食べたことのないものには手をつけなかった。なぜなら期待通りの味でないと嫌なのだそうだ。思いもかけない味だと嫌なのだそうだ。そのときは夫を説得し郷土料理もあり、普通のメニューもあるレストランに入った。が、夫はやはりむっつりと食べ、話しもしない。こんな旅行では、楽しむことなんてできなかった。私はもっと夫とその土地のことを話したり、珍しい食材に驚いたり、旅先での発見を共有したかったのに、そんな話しもほとんどできなかった。夫は何を感じ、何を考えているのだろう…そう思っても、余計なことを言うとまた夫の怒りスイッチを押してしまう、と黙っていた。

 そして夫は常に気まぐれだった。朝の機嫌によって「やっぱり出かけるのはやめる」と言ったり、最寄りの駅まで行ってから「やっぱり違うところに行こう」とまったく別の目的地を口にする。そうかと思えば「お腹の調子が悪いから帰ろう」と、途中で引き返したこともあった。私は何度がっかりさせられたことか。
 車で出かけるときもそうだった。ドライブでも行き先を言わなかったり、私にナビをさせ「道が違う」と怒りだし、車を止めて怒鳴られ続けたりすることもあった。 
 私は夫には期待しないようにした。いつ予定が変更になっても仕方がないことと思うようにした。夫との旅行は苦行だった。

 こうして私は夫との生活であきらめを覚えていく。期待しなければ傷つかないですむ。余計なことを言わなければ、何とかその日をやり過ごせる、と。

空を見上げて

2005-10-23 15:56:04 | 私のこと
 青く澄んだ空に映える銀杏並木(時にはムッとするような銀杏の臭い)、金木犀の香り、そんな秋の空気が好きだ。
 この前とてもきれいな夕焼けを見た。山肌に沿ってきらめく橙色の光、群青色の垂れ幕が空を覆い始め、そのコントラストの中、三日月と金星が浮かんでいた。涙が出るほど、吸い込まれそうにきれいな空だった。

 私は辛い気持ちになるとよく空を見上げた。10代後半の頃、自分への嫌悪感や将来への不安、母親との葛藤、大人への不信感と甘え、友人や恋愛関係での葛藤などで精神的に不安定になるとよく空を見た。特に夜空の星を見上げた。「宇宙から見たら私なんてちっぽけなもの」「神さま、私はどうしたらいいの?」などと空に語りかけていた。私は特定の宗教を信じているわけではないが、自分の意志ではない何か大きな存在が(それが神さまという名でも、偉大な存在でもいいのだが)あるのではないかと思っていた。自分がなぜこの時代に、日本に、ある特定の地域に、この親の元に生まれたのかは、当然だが私の意志とは一切かかわりがない。偶然の出会い、偶然の出来事の連続で導かれているように感じることもよくあった。もちろん、そこには私の意志も行動も介在するわけだが、まったくが私の思い通りに行くわけはなく、後から考えると「そのときうまくいかないように見えても、これは必然だったのか?」とか、「この出会いがなかったら人生もっと違っていた。この出会いで私は生かされた」なんて思うこともあったのだ。といっても、これも自分の都合のいい意味づけかもしれないが。
 だから私はどこにいるとも知らない、何か自分を超えた大きな存在に向かってよく語りかけた。解決の道が告げられるわけもないのだが(当たり前!)そうやってしばらく星に向かっていろいろ考え事をしていると心が落ち着いた。たまに流れ星を見ると何かいいことがある予兆ではないかと心慰められることもあったものだ。

 結婚した後も、私はよく星空を見上げた。夫から罵倒され心が真っ暗になったとき、夫が寝静まった後、夫を起こさないように細心の注意を払いつつ、ベランダに行きそこの手すりにもたれて星空を見上げた。「この生活はいったい何なんだろう」「夫はどうして怒ってばっかりいるのか」「私はどうしたらいいの?」と星空に語りかけた。そんなとき、誰かから教えてもらった「神はその人が耐えられないような試練は与えない」という聖書の言葉をよく思い出した。「きっとこれは私の試練なんだ」「人生の修行なんだろう」「でも神さまは耐えられないような試練は与えないというから、きっと私は大丈夫」「明日になればこの状況も変わるかもしれない」と必死に自分に言い聞かせた。

 夫のモラハラがどんどん酷くなり、ぼろくそめちゃくちゃに言われ、絶望的な気持ちになったある日、私は眠れず夜中にベランダに出た。満月が光っていた。私は思わず「おとうさーん、おかあさーん…」とつぶやいていた。その瞬間どっと涙があふれ、しばらく止まらなかった。
 私はそんな自分に驚きもしていた。私は10代後半からずっと家を出たいと渇望していた。過干渉の母親に耐えられず、その葛藤で随分苦しい思いをしてきたからだ。だから働き初めてからすぐ家を出、一人暮らしを長くしてきた。ホームシックになるなんてこともまったくなかったのだ。それなのに、あのときは思わず親を呼んでいた。きっとその時の私は、夫から力を奪われ、無力な赤ん坊のような心境だったのかもしれない。自分を守ってくれるはずの夫はただ私を痛めつけるだけだった。だから私は迷子になってひとりぼっちになり、不安におののく子どものように親の庇護を求めたのだろうか。

 この前、夜道を帰りながら空を眺めた。半月が浮かんでいた。
 「私はこれからどうなるのかな」「こうやってずっとひとりで生活していくのかな」「ひとりで生きていくことができるかな…」そんなことを考えた。

 そして、モラ夫との生活は人生最大の試練だったように思うので、「どうかお願いだから、もうこれ以上の辛い試練は与えないでくれ~…」と私は空に向かってつぶやいていた。     

家出用カバン

2005-10-20 23:50:07 | モラル・ハラスメント
 結婚して4年目、夫のモラハラはどんどん酷くなっていった。絶えず不機嫌さをアピールし、些細なことですぐ大声を上げた。私は常にビクつき、毎日堪らない思いだった。
 私は結婚して以来、夫に気を遣い、殆ど実家には帰らなかった。お正月も、お盆休みも夫と過ごした。夫もそれが当然という感じだった。その年はお盆休みが近づくと、恐怖が高まり私のこころは悲鳴を上げていた。1週間あるお盆休みを、鬼のような夫と朝から晩まで過ごすのはあまりにも耐え難く、夫から文句を言われてもいいからとにかく実家で過ごそうと、「たまには実家に帰ろうと思う」と夫に伝えた。夫は「ふうん。じゃあ帰ったら?」と何気ない顔をして答えた。ここでしばらく実家に帰れば夫の不満がまた高まることも分かり切っていたが、とにかく夫から離れたかった。

 数年ぶりの実家で、ゆっくり心穏やかに過ごすことのできたお盆休みだったが、休み4日目には夫から電話がかかってきた。「いつ帰ってくるの」と聞く夫に、「明後日帰るから」と答えると「へぇー、そう。」と不気味な返事をする夫。それで電話は終わったのだが後から実家のパソコンに、夫からのメールが入っていた。親のメルアドに、私宛のメッセージを送ってきたのだ。まず母親がメールを開け、「ちょっと、なにこれ」と私を呼んだ。その内容は「君は妻の勤めを放棄するつもりですか。掃除洗濯もせずに、ずっとそこにいるつもりですか。これ以上僕を疲れさせないでくれ。いったい君は何を考えているんだ…」とあった。私の顔から血の気が引いた。親に見られたことも恥ずかしかった。

 そして、再び重苦しい気持ちを抱えて私は夫の元へ戻った。夫はメールのことは何も言わず、口も聞かなかった。ただただ眉間にしわを寄せ、不機嫌さを全面に出していた。
 私はいつ夫の怒りスィッチを押してしまうかと、恐怖におののいていた。神経過敏になり、居たたまれない日々。私は本当に酷い状況になったら、身の危険を感じたら、とにかく逃げだそうと、密かにその準備をしていたときがあった。

 まず家出用カバンを作った。カバンの中にはとりあえず着替え二日分、通帳、印鑑、現金を入れ、何かあったらすぐそれをひっつかんで飛び出せるようにした。カバンは自分専用の洋服ダンスに入れておいた。季節が変わったら、カバンの中の洋服も衣替えをした。そして、安価なビジネスホテル、ウィークリー及びマンスリーマンションを調べメモしておいた。また、その頃から新しい銀行通帳を作り、わずかな額でも少しずつ貯金をした。もう夫はあてにはできない。何かの時に役立つ資金を貯めなければと考えた。しかし通帳は家においていたら見つかる恐れがある。私は職場のロッカーに通帳を隠しておいた。

 結局家出用カバンを活用することはなかったが、何かの時に、と準備しておくだけでも少しは気持ちを奮い立たせることができたように思う。「いつまでも私がモラ夫の言うなりになると思うなよ。」ということを自分の何かで示したかったのかもしれない。一度だけ、夫が激怒して家を出て行った後しばらく呆然と佇み、「もう耐えられない!」と震えながらその家出カバンを取り出して家を出ようとしたことがあった。しかしカバンを洋服ダンスから取り出した途端、なぜか夫は家に帰ってきた。私は慌ててカバンをタンスの中に押し込んだ。

 本当はもういつ出て行ってもよかったのだ。しかしまだ行動には踏み切れなかった。私はまるで蛇に睨まれた蛙だった。そして夫のモラハラは続いた。
 

夫への想い

2005-10-17 23:06:46 | 私のこと
 このブログでは、夫へのモラハラ振りを暴露している。それは私自身が他の方々のモラハラ体験をネット上で知り、非常に励まされ力を得たこと、そしてブログであれば誰にも言えなかったモラハラについて伝えられること、そして自分の体験を整理すると共に他の方々の励みにもなればと思う気持ちから始めたことである。ブログというのはある意味不思議なメディアだ。私は誰にも言えなかったモラハラ体験を、匿名ブログというメディアを通して不特定多数の方に公開している。そして最も近い夫から得られなかった「共感」を、最も遠い、顔も知らぬ方々から励ましや共感をいただく不思議。

 私は親にも親しい友人にも、夫のモラハラを詳しくは言えなかった。夫のモラハラ振りはあまりにも私の想像を超え、モラハラを受けた私自身がとても受け入れ難かったからだ。このことが現実とも思えなかった時期が長かった。また、私の夫がそのような恐ろしい存在だと身近な人には言えなかったのだ。なぜなら、私自身が夫と幸せな結婚生活を築けなかったという負い目や、お互いの関係を維持できなかったことに対して努力不足と評価されることの恐れ、そして私がそんな変な夫を選んでしまったのかという劣等感と、私自身があまりに惨めな存在として貶められていることを知られたくなかった。

 私は、夫から本当に酷い仕打ちを受けたと思っている。結婚して、最愛の伴侶になろうと思いきや、最悪の同居人となった。夫は私を散々こき下ろし、未だかつて私の経験してこなかった、最低最悪の人間関係となった。誰にも言われたことのない、冷酷非情な言葉を夫から投げつけられた。そして、その罵詈雑言により、私は夫から見たら史上最低人間になりはてた。私がもっていた人間関係の中で、ここまで暴言を吐かれた関係は夫のみである。こんなに冷酷無比に、ありったけの憎悪を込めてぼろくそ言われたのは、夫との関係だけである。

 しかし私は夫が言うように、最悪最低人間だったのか?私はそうではないと思っていた。
 私は私なりに、自分の意志を持ち人生を生きてきたと思う。信頼のおける友人もおり、結婚前から仕事もしていたし、結婚後、新しい土地に住みながらもすぐ職場を見つけた。仕事に対してはそれなりにやりがいを持ち、責任あるポジションにも着き、少しずつ親しい人間関係を作っていった。私はある程度、人生に自己肯定感を持っていた(持てない部分もあったが)。
 それなのに、私は夫からはいつも「NO」を言われていたのだ。
 
 私は夫が好きだった。ユニークで優しかった夫。私に料理を作ってくれ、私に心温かいプレゼントをしてくれ、私が昼寝をしていたら毛布をかけてくれた夫、私の仕事を応援してくれた夫、私の友人をもてなしてくれた夫、一緒にお酒を飲みながらおしゃべりした夫、おいしいレストラン連れて行ってくれた夫、感情的だったけど感激屋だった夫…。
 結婚前は特に楽しい時間が多かった。たまに癇癪があっても、私が抗議すればすぐ夫は謝り、それも楽しい思い出だったのだ。

 結婚した後、それが徐々に変わっていった。毎日の生活はいつしか夫の顔色を窺う日となった。生活の時々でモラル・ハラスメントが続発し私は混乱するばかりだった。私は鋭い言葉の刃で傷つけられながらも、「きっと私の思い過ごしかもしれない」「たまたま機嫌が悪かったんだろう」「私がもう少し努力すればいいのだろう」[夫は生まれ育った家庭環境が大変だったから、仕方ない。夫も苦しんでいるんだ」「私も不完全な人間で、至らないことがたくさんある」「夫は優しいときもあるし」とある時まで思い続けた。しかしあまりにも酷い攻撃を受け、私は帰宅恐怖に陥り、生きているのさえ辛くなってきた。
 「明日死んでもいい」「ここで自動車がつっこんでくれれば」とも思ったし、発作的にマンションから飛び降りたくなったこともある。夫に責められ「そんなに私が悪いなら、私がいなくなればいいんでしょう?私が死ねばいいんでしょう?」とさえ思った。
 どうしていいかわからなかった。私が努力してもしても夫は不満だった。そして冷たい目で私を見た。あんな冷たい目…私はいつか夫に殺されるのではないかと感じた。ある親しい友人に冗談交じりで言ったことがある。「私が殺されたら、まず夫を疑ってね」と。
 そして結婚生活8年目で私はこころの限界が来たことを悟った。もう長い間夫婦らしい会話も思いやりも全くなかった。ただ冷たい憎しみの空気が室内に漂うばかりだった。私ももう何をする気力もなかった。もうとにかく夫の気配を感じないところに行きたいとの思いばかりだった。夫も私に対して憎しみの目を向け、私も夫への憎悪が募り、このままではいつかお互いに殺すか殺されるか、という事態にまでなってしまうのではないかという危機感が非常に高まっていた。ここで何とかしなければ、私はもう自分で無くなる、自分を本当に見失ってしまう…!

 そして私は死にものぐるいで脱出した。一見穏やかな脱出劇となったのだが、私は当日まで必死だった。これを成功させなければ、もう私は本当に壊れてしまう…!
 
 別居は実現した。今は夫から殆ど連絡はない。現在はまだ別居中なので夫の籍には入っているのだが、すぐ住民票も移した。もう100%、夫と生活する可能性はない。だから早く離婚すればいいのだろう。しかしまだ夫とは接触したくない。話したくもない。姿も見たくない。下手に刺激して、今の私の平和な生活を脅かしたくない。
 そして、あの結婚まで夫と積み重ねた日々、親しい人達だけを招いて行った心温まる手作りの結婚式、苦しみながらも何とか生きてきた結婚生活…私の想いが詰まったこれらの日々が、離婚によってすべて無になってしまうような虚しさと深い喪失感。それを思うと、私はただただ、立ちつくしてしまうのだ。

 まだまだ私のこころのかさぶたは柔らかくて、やっと血が止まったばかりで、ちょっと突かれるとすぐ破けてしまう。こうしてブログを書きながら、思わず涙がこみ上げてきてしまう。この涙は何なのか。夫の優しさと残酷さとに翻弄された混乱と虚しさ、モラハラで叩きのめされた孤独と絶望、夫と結婚生活を築けなかった深い喪失感、私の人生が全く否定された苦しみのせいなのか。
 本当は、夫と笑ったり怒ったり、泣いたり楽しんだりして、一緒に暮らしたかった。お互い生の歴史を一緒に刻みたかった。お互い慈しんで生きていきたかった。でもそれはもう叶わぬ夢。それを何度も何十回も、嫌と言うほど突きつけられた。もうあの恐怖は二度と、二度とごめんだ。あんな奈落の底に落とされるような悲しみも、血を吐くような苦しみも、泣き出したくなるようないたたまれない焦燥感も、2人でいることの厳しい孤独も、絶望も、もう二度と味わいたくない。もう二度と…。
 

「俺はおまえのせいで気分を害している」の、とげとげオーラ

2005-10-15 22:57:45 | モラル・ハラスメント
 夫は、私には理解できない何らかの理由で、よく不機嫌になった。何かが気に入らないのだろうが、私にはそれが何を指し示しているのかわからなかった(恐ろしくてわかりたくもなかったが)。しかし、私に対しての何らかのメッセージを込めているのだろう、ということを感じた。なぜなら、明らかに私に対しての嫌がらせとしか思えない行動を連発していたからだ。

例えば物音。
 夫は廊下を歩くとき、ドンドン、と足音をたてる。そして、部屋のドアを思いっきり「バンッッ!」と閉める。そして、モノをどこかに置くときにもドサッ、バンッ、ガチャン、と大きな音を立てる。私は横目で夫を見ながら暗い不安に怯えていた。

例えば溜息 
 夫は私に向かって大きな大きな溜息を吐いた。そして眉間に深いシワを寄せ、「疲れる…」とつぶやいた。時には「しんどい…」、時には「病気になりそうだ…」と独り言を言う。私は何も言えずにただ小さくなっている。

例えば無視
 私が「どうしたの」と夫に問うても、夫は恐ろしい形相をして全く答えなかった。完全無視である。結婚当初の頃は、そんな夫の様子が気になり「私に言いたいことがあるなら言って」と話しかけたりしたが、そうすると「おまえは俺が何で怒っているかわからないのか??」とドスのきいた声で言われたので、後には私も何も聞かないようにした。ひとたび夫の無視が始まると、何日もそれは続いた。夫婦で全く会話をしない、できない日々が続いた。私は家の中で夫の顔を見ないように、ひたすらうつむいていた。

例えば破壊
 夫の我慢の容量を超えると、夫はモノを破壊した。たいていは食器だった。私が別の部屋にいると、突然「ガシャーン」と音がした。後で見に行くと、台所の流しにグラスのかけらが飛び散っていた。ある時は皿を割った。ある時は箸を折った。その後も夫は何食わぬ顔をしていた。そして片付けるのは私だった。それにしてもこの破壊行動には心底ぞっとさせられた。この破壊行為がもっと拡大するのではないか。これが私に及ぶのではないか。そんな恐怖が私の心を蝕んでいた。
 ある時、私は自分でカップを落として割ってしまった。その瞬間、私の頭の中に電流が流れたような感触を覚え、「嫌だ~~!!」と叫び何度もそのカップを床に投げつけたいような衝動に駆られた。私はその衝動を必死になって抑えた。泣き叫びたかった。

そして食事拒否
 私が仕事を終えて必死に帰り食事を作っても、夫は帰ってこない。私は夫が帰ってきたらすぐ食べられるように、そして温かいものは温かく食べられるように台所でスタンバっている。しかし帰ってこない。私は暗い目をして時計を見、夫の帰宅に怯えつつテレビを見る。2時間くらい待っていると玄関の鍵を開ける音がする。夫が帰ってきた!私は慌ててテレビを消し、台所に飛んでいき、お味噌汁や煮物を温め直す。すると夫はテーブルに並んでいる料理を一瞥し「外で食べてきたから」と言い自分の部屋に引っ込む。
 私は砂を噛むような思いで自分の分だけをかろうじて食べ、後はラップをして冷蔵庫に入れた。夫はどうせ食べないので、これは後日私の食事か弁当になる。
 朝食を作っても夫はそれを無視し、近くの喫茶店にモーニングを食べに行ったこともあった。私は無視されたことを解消するために、トーストやベーコンエッグをゴミ箱に投げ込んだ。虚しかった。

 不機嫌オーラをらんらんと放つ夫に対して、私は何とか夫と心を通わせようとした。話しかけたり、夫の好きなメニューを用意したり。しかしそんな時の夫は全く冷酷な態度しか見せなかった。無視、あるいは「やめてくれ」「不愉快だ」そんな言葉しか返ってこなかった。私は口で話しができなかったりしづらかったりすると、手紙を書いたりして、何とかコミュニケーションを図ろうとした。ある時は私のパソコンから夫のパソコンにメールを送った。しかし完全無視だった。

 これが夫婦と言えるのだろうか。親兄弟とも、他の誰ともこんな酷い仕打ちは受けたことがなかった。これは何なんだろう?これは何を意味しているのだろう?夫はもう私のことを憎むしかできない関係になっているのだろうか?
 明らかに歪な夫婦関係である。私は疲れていた。完全無視は非常にこたえる。私の存在を無き者にしているからだ。私が何を言っても何を感じても、夫には無関係だった。夫の関心事は、私が夫のために掃除し洗濯し、日々の糧を(おいしく)用意することだけだった。しかし料理だって、夫の気分次第で食べたり食べなかったりされた。私はロボットか。どんな日でも、夫が留守でも、いつでも夫のために家の中を整え食事を作って従順に待っているロボットでしかないのか。

 普通の夫婦関係だったら、好き合って一緒に生活した関係だったら、片方が少々不機嫌になっても「○○のこと、気を付けてよね~、もうっ!」「俺は○○のことで怒ってるんだよ」「しばらくほっといて」とか、不機嫌なりにもメッセージを相手に送るのではないだろうか。
 しかしモラ夫にはそんなセリフはなかった。自分の気分が害されたと、その感情のまま妻を蹂躙した。私は夫のいる家にいることが、非常に苦痛になっていた。ビクビクし、上目遣いで夫の顔を盗み見た。部屋の空気が薄いようで酸欠になりそうだった。

 私は惨めだった。どうしてこんなことになったのだろう。やはりこの結婚は間違っていたのだろうか。夫はDVなのだろうか。身体的暴力はほとんど無いが、この仕打ちは何なんだろう。そんなに私がダメ人間なのだろうか。夫の要求通りにできない私はダメ妻なのだろうか。世の中の妻達は、夫の要求に完璧に答えているのだろうか?夫から何をされても私が一貫してにこやかな態度をとっていれば、夫も変わるのだろうか?

 私の中の堂々巡りは続いた。