こころの声に耳をすませて

あの結婚生活は何だったのだろう?不可解な夫の言動はモラル・ハラスメントだった…と知ったウメの回想エッセー。

連休 ~ひとり暮らしひとりごと~

2006-05-02 23:36:03 | 日々の想い
 明日から連休だ。大型連休で9日間休む会社もあるようだが、私の職場は暦通り。それでも5連休は嬉しい。明日から実家に帰り、高校時代の友人に会ったり、昔お世話になった方に会う予定だ。長い休みを好きなように使えるなんて、今だからこそだ。会いたい人に、会える時間を作って会う、こんなことも今だからこそできることなのだ。

 夫と生活していた頃の連休(それはゴールデンウィーク、お盆、年末年始なども含め)は恐怖の始まりだった。朝は夫より早く起き、夫の顔色を窺い怯えながら作る1日3回の食事。夫が「出かけるぞ」と言えば慌てて支度して外出し、夫が何も言わなければ家事をした後、気に障らないように自分の部屋にこもる。夫が何かに没入していたら(パソコン等)、テレビも見ることが出来ない。夫がテレビを付けるときは、あくまでも夫の好きな番組のみ。私はそれを上の空で見るふりをしているだけ。夫が音楽を聴けば大音響になるので、私は近所の目も気になり、また大きな音に神経もささくれ立ち、たまらない思いで自分の部屋にこもることになる。そして夫婦では特に用事がないのに、私が単独で遊びに行ったり、実家に帰ったりすることは許さない、というような無言の圧力をかける夫。

 以前、職場の同僚が出産し、ある休日にお祝いにと職場の皆で訪問することになった。私は夫にもその旨を伝えたが、そんなことにすら疑いの目を向け、「へぇ~。誰と行くの?」「どうして皆で行かなくちゃいけないの?」と不機嫌に質問し、バス停までついてきた(監視のため)ことがあった。また、私がいとこと旅行をしたいと言ったときに「じゃあ俺の食事はどうなるんだ?」と鬼のような目で私を睨みつけたりしたこともあった。
 そんなことが度々あると、もう夫を置いて、私だけが出かけるということができなくなった。休日といっても、夫にとって妻である私が単独の予定を立てて外出することは、自分を無視されるようなものだったのだ。そして私は夫の世話をするために家にいなければいけなかった。平日はまだ仕事のために家を出ることができる。しかし、休日は『恐怖の大王』が住まう家で1日中過ごさなければならないのだ。

 楽しく家事が出来ればまだよい。家にいても、夫とあれこれおしゃべりしたり、リラックスして過ごせれば、まだ楽しい休日にもなるだろう。

 しかし私と夫とは、既に気兼ねないおしゃべりは存在しなかった。夫は機嫌が良いと、自分の話したいことだけを長々と話したが、私の話はまったく鬱陶しいようだった。
 私は夫に話しかけるとき、用心深く言葉を選んだ。こんな言葉を使って、こんな言い方ではどうだろうか、と。そして話しかけるタイミングを窺う。今話しかけたら嫌な顔をされるかもしれない。今はテレビに注意を向けているからだめだ(以前、テレビを見ながら話しかけたら『俺は今テレビを見ているんだ』と怖い顔で言われた)。コマーシャルになった。今だったら大丈夫だろうか?…そして恐る恐る(でも明るく振る舞い)話しかける。それで夫がさらっと返事をしてくれたらラッキーで、3回のうち2回は「はぁ?」「いったい何が言いたいの?」「おまえの話す日本語は意味がわからないんだよ」と冷たい目で突き放される。
 ああ、やっぱり話しかけるんじゃなかった。もう必要最低限の用事だけ伝えることにしよう。それにしてもどうして夫婦でささいな話しをするにも、こんなにびくつかなければならないのだろう…。重い気持ちで口をつぐむ私。
 連休はこんなことの繰り返しだった。

 私は何でもない、普通のおしゃべりに飢えていた。何気ない、日常のありふれた会話。それは例えばこんな会話だった。「今日は急に暑くなったね~。このまま夏になっちゃうのかな?」「昨日はね、職場の同僚が時間ぎりぎりで出勤してきたんだけど、なんと朝起きてから10分間で身支度して家を出たらしいわ~。すごいスピードだね」「昨日テレビで面白いこと言ってたんだけどね…」
 
 こんなことが普通に話せない夫婦って何なんだ?こんなどうってことない一言を言うのに、夫の顔色やタイミングやご機嫌を窺う私って何なんだ?
 私は本当に寂しかった。心底寒気がしたものだった。


 もうそんなことを気にしなければならない人はいない。私は自分の好きな人と会って、しゃべりたいことをしゃべって、お互いに会話を楽しんで、お互いの存在を喜ぶことができる。
 もう私を縛る人は家の中にいない。私に圧力をかける人は家の中にいない。

 私は今、家の中で心からリラックスしている。


 では、明日からしばらくお出かけしてきま~す