こころの声に耳をすませて

あの結婚生活は何だったのだろう?不可解な夫の言動はモラル・ハラスメントだった…と知ったウメの回想エッセー。

モラ夫を選んだ私とは?

2006-08-26 15:23:29 | モラハラが生まれた背景とは
 今まで夫について考えてきたが、今度は自分自身について振り返ってみようと思う。

 モラ夫と出会ってから、結婚した、あるいはお付き合いしたというプロセスは、人それぞれだろう。偶然出会ったという人や、以前から気になっていたとか、紹介されてたまたま、という人もいるかもしれない。それぞれのモラ夫は、出会ったときどのような印象を他人(後にお付き合いする異性)に与えるのだろうか。そしてそのどこに、惹かれるのだろうか。
 私がモラ夫と出会ったのは偶然だった。仕事の研修で、たまたま出会ったのだ。しかし私は彼の熱心な話し方、知的でありながら気さくな感じに惹かれた。そして私から知り合いになろうと近づいた(このときお付き合いすることは全く考えてはいなかったが)。

 私自身は異性を好きになるとき、ある傾向に惹きつけられる自分を何となく感じていた。やんちゃで皆を惹きつける魅力をもちながら、どこか脆さを感じさせる男。あるいは知的で鋭い感性を持っていながらも、ドジで手のかかる男。
 中学の時は、暴走族に片足つっこんだ不良少年と付き合っていた。高校の時に付き合っていた年下の男の子は、かっこよく振る舞うのだが、実は不器用で脆いところがあった(後に心病んでいたらしい)。その後、何人かの人に惹かれるが、ワーカホリックタイプや、いいなと思うと既婚者だったりで(既婚者と分かれば早々にあきらめましたよ)、どうもうまいこといかなかった。

 そう、私は以前から共依存傾向にあった。問題ある男性を好きになる女性について書いた『愛しすぎる女たち』(ロビン・ノーウッド著 落合恵子訳 読売新聞社)がある。夫と付き合っていた頃、この本を読んだ。その頃、依存症について興味があり関連の本をよく読んでいたのだ。そして夫に何気なくこの本の話しをし、夫も読みたいと言ったので貸したことがあった。夫は読んだ後私に「ウメちゃんは“愛しすぎる女”なんじゃないの?」と言ったのだ。私は「そうかな~」と応え、やっぱり私もそうなのかな?と思いつつその深刻さにまだ思い及ばなかった。私は既に夫と付き合っていた頃、このような知識は多少あったのに、それは実際の自分自身にとっては殆ど役に立たなかった。自分が実感しなければなかなか理解できないということなのだろう。
 それから、夫と付き合うまでは異性とのお付き合いの中で、それほど酷い目に遭うということもなかったので、共依存という文字や日本語としての説明は理解できても、本当の意味がまだよくわかっていなかった。

 共依存…他人の問題にかかわり世話焼きをすることで、自分の存在を確かめ、存在価値を見いだそうとするのだ。これもまた自分の心の穴を他人によって埋めようとするものなのだ。

 モラ夫との生活を経て、モラル・ハラスメントの意味を知り、私は自分の共依存性を強く意識するようになった。結婚前に感じた、私の夫に対する意識を単純化して表してみる。こんなことを思っていたのだ。私は。
「夫はいろいろと苦労しているし問題もありそう。でも夫もそんな自分を何とかしたいと言っている。また、私とだったら本当の結婚生活ができると言っている。お互いの愛があれば、きっとどんな困難も乗り越えられる。私も心を広く持って、夫に愛情を注ぐことできっと夫も変わることができる」
 こうして私は波瀾の予感を覚えつつも、チャレンジしようとしたのだ。
(こんなチャレンジは私の人生最初で最後にしたいものだ…(- -;))

 結婚後、夫は「おまえが…」「おまえのせいで…」と、常に主語を「おまえ(私)」にして私をコントロールしようとした。そして、私は「夫さえ変われば…」「夫がもっと優しければ…」「夫が怒りさえしなければ…」と主語を夫にして何とか夫を変えようとした。今考えてみると、夫も私もお互いに相手を変えようと、コントロールゲームをしていたように思う。夫は私を監視し何かと文句をつけ罵声を浴びせて思い通りにしようとし、私は夫を常に窺い、夫を怒らせないように夫の機嫌をとるようにして夫を変えようとした。そして夫が静かだったり、機嫌良く過ごしていると「私の努力が実った」と自分のコントロール力を過信してしまう。
 実りのないコントロール合戦…。

 私はどこで共依存性を身につけたのだろうか。なぜモラ夫を選び、このような結婚生活を送ることになったのだろうか。

 次回は私自身が生まれ育った過程を遡ってみたいと思う。




空虚な心を埋めるために

2006-08-19 13:03:58 | モラハラが生まれた背景とは
 夫は不安で弱い自分を守るために強固な鎧を身につける必要があった。社会から認められるための特殊な知識、職業、権威。夫自身の人格以前に、まずはその鎧を見ただけで他の人は夫を「立派な人」と認めてくれる。夫もそれで大いに守られた気持ちになっただろう。また仕事関係では、特殊な知識を駆使した弁舌家となり、言葉で相手を威圧することもできた。そういう自分に多少自信を持ち、短い時間であれば人格者であるような発言をしたり、ユーモアで他人を笑わせたり、度量の広さを見せることもできた。しかし社会の中にはそんな鎧を見ても通用しない人たちもいる。身内、家族である。いくら本人が鎧を身につけていても、立派な肩書きを持っていても、家族はそれを簡単に通り抜けて夫に要求したり、文句を言ったり、夫の意に反した行動を取る。仕事関係者が自分に敬意を払ってくれるように、家族は払ってくれない。
 そのことが夫を無防備な気持ちにさせ、不安と恐怖、怒りを喚起させるのではないだろうか。

 家族というのは、ある程度はお互いが言いたいことを言い、泣き、怒り、笑い、ふれあい、心身共に密に接触し、格好悪いこともさらけ出している存在である。そんなダイレクトな関係は、夫を脅かすものだったのかもしれない。
 夫は、何とか鎧の存在を知らしめるために、権威を守ろうと相手を威圧し、近寄らせないようにして不安になる自分を守ろうとした。ある時、夫は私が夫の意見に反論すると「妻は夫に口答えするもんじゃない!」と言った。あまりに時代錯誤的回答に私は驚いたものだ。また私が夫に頼み事をするととても嫌がった。夫にとって人間関係はどちらかが上か下で、私が「○○してくれる?」なんていうと上から命令されるように感じるのだろう。
 結婚当初、夫は私に自分の寝た布団を片付けること、お風呂から上がった後の着替えを用意しておくことなどを要求した。私は「そんなこと自分でしてよ」と答えた。その後そのくらいは自分でするようになったが、明らかに不満だったに違いない。そして夫は私を上に立たさないために、常に口うるさく家事について指示し文句を言い続けた。そしてたまに自ら夕食を作り「俺の役割ではないが、俺がわざわざ作ってやった。俺はいい夫だ」と私に見せつけた。

 また夫は、気持ちを分かち合うとか共感するということができなかった。今思えば自分の気持ちすらわからないのだから、他人の気持ちを理解するなんて無理な話だったのだ。また常に上下、勝ち負けで人間関係を判断する夫は、妻の気持ちをわかる→妻に折れる→妻の言いなりになる→服従というように思っていた節がある。だから、相手の気持ちを思いやることは、自分が負けることなのだ。夫は「議論に勝つにはな、絶対相手の話を聞こうとしないこと、理解しないことだ」と言ったことがある。まさに夫の論理なのだろう。
 現に、夫の説教や罵詈雑言はまさにこの方法を使ったものだった。ひたすらひたすら自分のわがままな論理と悪感情を放出するのだ。相手の話は聞かず、である。いかに自分が正しくて、いかに相手(私)が悪いかを、雄弁に冷たく、相手の心にいかにダメージを与えるか計算しながら、怒濤のように吐き出し続ける。
 それは子どもの頃から今までのいろいろな怒りが混在されているのだろう。夫がいくら怒り狂っても、妻を威圧してコントロールしても、妻は決して夫の要求を叶えられない。それがまた怒りを呼ぶのだろう。夫の心は妻が要求に応えようとしても決して満足しない、ブラックホールのようだった。何もかも吸い込み、決して満たされない。あるいは砂漠。水をまいてもまいても、吸い込まれ乾いていく。何もかも枯れ果てる不毛の大地。

 夫が唯一感じられる「自分」は、身体的なことだったように思う。自分の体を感じることが、生きているという印象を与えるのだろう。だから体を使って自分を満たそうとしたところもあった。まず空腹には耐え難く、とにかく何か胃に入れないと怒りがみなぎった。また体の痛みにも敏感だった。鼻水が出る、些細な咳き込みがあると、即耳鼻咽喉科に直行した。足を挫いたと言えば大袈裟にギブスをしてもらい、まるで骨折したかのような騒ぎだった。ちょっとした頭痛でも末期癌の激痛のように顔をゆがめ、痛みをアピールした。
 また、自分の体を日々よく鍛え(マラソン、ダンベル等)体に良さげはサプリメントをせっせと買って飲んでいた。

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 こんなふうに、私なりにも夫を理解しようと調べ、考えたりしたのだが、夫を分析しても関係は特に変わらず悪いままだった。夫の抱えている問題は何となく理解できても、それへの対処法は長い間わからなかった。そして、モラハラというキーワードを得て、私は初めて夫と私の関係を理解し、モラ夫への対処を実行することができた。
 
 夫について理解しようと、いろいろ調べたり、謎を解明しようとする姿勢は大切であると思う。夫と話し合ったり理解してもらおうとする努力も必要であろう。それが本来人間同士がわかりあおうとする姿勢である。
 しかしそれも程度の問題だ。しかも一方的な努力や理解では、建設的な関係にはならない。どうしても自分の限界を超えていると思ったら、手を放すことも大切だ。夫に囚われすぎて、自分自身を理解することを忘れてはいけない。モラ夫と生活し疲弊しきっている自分自身を見つめる視点がなければ、私はまだ夫にだけ目を奪われ、取り憑くように足掻いていたかもしれない。自らの生を蝕みながら。



空虚な夫とモラハラ

2006-08-13 11:09:32 | モラハラが生まれた背景とは
 夫はよく私に向かって「おまえのせいで仕事ができない」「おまえがきちんとしないから」「おまえがしっかりしてくれないから、俺は元気がなくなる」「俺を怒らせないでくれ(おまえのせいで俺は怒る)」と、よく私のせいにした。それだけではなく、いろんなことを関連づけて他のもののせいにした。
 例えばこうだ。引越し先を探していたとき「この地域の人間の人相が悪いからやめた」、気に入って自分が選んだマンションなのに「ここは空気が悪いから引越そう」、店で品物を買う直前になって「ここの店員の態度が悪いからやめた」…などなど挙げればきりがない。
 私は夫から「おまえが…」と言われるたびに、一生懸命夫の要求に応えようとしていたが、ある時から「何なんだろう、これは」と疑問を感じるようになった。いつもいつも、私のせい、他人のせいである。いくら他人がおかしくたって、自分が思うように行動すればいいじゃないか。私のせいでそんなに夫の感情が左右されるのか?夫は自分がないのだろうか…?

 多分、夫の本質は、自分が何を感じているのかわからず、自分をもつ、ということが恐いのではないかと思う。かつて子どもの頃、父親から突発的に暴力を振るわれ、絶えず父親の顔色を窺いながら受け入れてもらえない悲しさや怒り、絶望を押し殺してきたのだろう。夫が自由に自分を表出させたり、思いのまま父親に話しかけたら暴力的対応があったであろうことも予想される。その結果、自分の感じたことを言ったり意見をもつことを抑圧し、父親の身振りや仕草ひとつで次にどのような行動があるのか、暴力の雰囲気が漂っていないかに神経を尖らせていたのではないかと思う。
 物事に対して過剰反応したり、非常に被害的に捉えたり歪んだ捉え方をすることもそこからきているのかもしれない。また、自分の感情がわからないから他人の感情に関心を寄せたり、共感したりということができないのだろう。
 言うことがコロコロ変わっていたことも納得できる。本当は自分が何を欲しているのか、何がしたいのかわからないのだ。そこで妻の意見を仰ぐが、それは妻の思いを大事にしようとしているのではない。自分がわからないから自分にとって最善の答を妻に期待しているのである。つまり自分がないから、妻を使って自分を充足しようとする。しかし、妻は夫の分身ではないから夫の期待する内容が何か100%知ることなどできないし、応えられない。そこで、夫の怒りが湧き起こることになる。

 また父親に認められようと、また自らが力を得ようと、夫はある時から勉強に没入する。父親は息子の勉強に対する支援は惜しまなかった。夫は一浪して入学した高校をすぐやめて別の高校に入学しなおしている。また、大学も3回くらい別のところに編入し、しばらく働かずに留学までさせてもらっているのだ。そこで、夫は専門的な知識と専門的な技術を磨き、帰国してそれなりに名の通った企業で優遇されることになる。夫は職業アイデンティティーで自分を形作り、仕事を通しての他者評価を受け、父親からも認められ、やっと仮の自分を感じることができるようになったのだと思う。夫は職場ではいい人になり、たまに切れたり怒鳴ったりもしたらしいが、すぐ人なつっこい笑顔を浮かべて周囲の信頼を得ようと努力した。しかしそれは、夫にとっても非常に疲れることでもあっただろう。社会(父親)の認められる自分を作ったが、社会(父親)はいつ暴力的になるかもわからず、常に社会(父親)に認められるよう神経を遣わなければならなかったのだから。

 夫の母親はといえば、夫を溺愛していた。夫にはいろいろ買い与え、夫が社会人となり、父親が病死した後でも、夫が家を買うと言えば頭金を出してやり、車が欲しいと言えば買ってやっていた。ただやはり家の中では父親が中心だったので、父親が怒ったり暴力を振るっていたとき、母親は無力だったと思う。ただ黙って見ているだけだっただろう。そんな母親に対して夫は甘えと同時に、どこか怒りを抱いていたように感じる。ある部分で母親が「自分が求めることをしてくれるのは当たり前」「世話をしてくれるのは当たり前」と思いこんでいた夫は、実家に帰ると横暴な態度をとった(私が夫の実家に遊びに行ったときは、既に父親は病死していた)。私が夫の実家に行って驚いたことだが、夫は自分の布団の上げ下げを母親にさせ、母親の好きなドラマを「くだらないから見るのをやめろ」と禁止し、母親が作った料理の保存法が気に入らないと、入れ物ごとゴミ箱に捨てた。そんなとき夫は私に向かって「母親があんまり変なことするからつい怒っちゃったよ」と、何でもないことだと笑ってすまそうとした。
 母親はそんな息子を気にかけながらも恐れていたようだ。義妹から聞いたところによると、以前一時期夫が転勤で遠方に住むことになったとき、母親は「これで息子が滅多に帰ってこなくなる」と喜んだそうだ。

 結局夫は職場(社会、父親に象徴されるところ)で仕事をすることにより、不安に苛まれながらもいい人を演じ、かろうじて自分を維持しているのだろう。
 そして家に帰れば自分の王国なのだ。妻は母親のように、自分の期待することを100%くみ取り、それに応えなければいけない。しかしもともと自分がないのだから、自分が本当に欲していることもよくわからないのだ。わからないことにも怒りを覚え、また自分の欲するものの答を当ててくれない妻への怒りも湧き起こる。自分の欲求を汲み取ってくれない、見つけてくれない妻は許せない。

 そしてひとたびスイッチが入ったらとまらない。電池切れをおこすまで罵詈雑言を妻に向かって浴びせ続けるのだ。


モラハラ後遺症

2006-08-06 23:30:02 | モラル・ハラスメント考

 どうもここのところ暑すぎる日々だ。そのうち日本は熱帯のジャングルに覆われるかもしれない…巨大爬虫類や巨大昆虫が進出する日本…こわ~い!
 ところで、ブログに夫のことについてアップしようとパソコンに向かうが、どうも脳内の拒絶反応が強く、パソコンを見つめながら時だけが経つ始末。先月、再び夫から意味不明の電話もあり、そのことを考えていたら恐ろしい夢を見た。

 その夢とは…私は電車に乗っている。なぜか外国人の乗客が多い。ボックス型の席に座っていたら前の座席の下から、アマゾンに住むような巨大ワニが顔を出し、いきなり大きな口を開き私に向かってきた。私はワニに噛みつかれまいとワニを押さえようと、開いた顎を手でつかんで押し戻そうとした。すると、ワニが頭を一振りし、私の左手にガブッと噛みついたのだ。それはまさにテレビ『世界衝撃映像特集』の場面のようであった。食いちぎられるっ…私は死にものぐるいでワニの顎をこじ開けようとすると、奇跡的にワニが口を開け、左手を抜き取ることが出来た。幸いにもワニの歯形から血が滲んでいるくらいで済んでいた…という内容。

 目が覚めたとき、その場面が頭にこびりついて離れず、恐ろしく嫌~な気分だけが残った。これはいったいどういう意味なんだろう…。私の心の中に、まだモラの呪縛が残っているのか。
 
 私が夫と別居した直後、私はほっとしたと同時に、しばらくは夫の陰に怯えていた。家に来るのではないか、電話で何か言われるのではないか…と。そしておかしなことに、ちょっとの間、私は帰りが夜遅くなると、夫から叱責の電話が入るのでは、と怯えていた。別居してもなお、私の帰りが遅いときに夫から電話がかかってきて留守電だとわかったら、また『こんなに遅くまでどこに行っていたんだ!』という電話が再度かかってくるのでは、としばらくそれが気になった。実際には殆ど電話などなかったのだが。
 あとから考えると、どうして別居しているのに夫からの干渉を想像して怯えなければならないのだ、と我ながら憂鬱になったものだった。
 またいろいろな感情がわき起こり、それに翻弄されたり、夫と関連した物事に対し過剰反応したりしていたものだった。これがモラ呪縛の後遺症なのだろう。

 先月あった夫からの意味不明の電話は、いつになってもモラはモラ、ということを思い知らされた内容だった。ある日、夫が私と共通の知人にばったり会って話しをしたらしい。その時どんな話しをして、どう勘違いしたかはわからないが、私がその知人と付き合っているのではないか、という妄想に駆られたらしい。「俺は知ってるんだぞ、A(仮に)とはどういう関係なんだ?」「そういえば以前もAのことを聞いてきたな!」とドスのきいた声で一方的に話してきた。
 ああ、モラはいつまでたってもモラだ。その前には「一緒に住んでくれてありがとう」などとほざいていたが、やはりそれはいい人ぶったポーズなんだ。モラ夫と結婚して、もう男はこりごりと思っているところなのに、こいつはバカじゃないか?何もわかっていない。しかも別居状態で、お互い背中を向けているのに、どうしてそういう嫉妬じみた攻撃をしかけてくるのか。私がまだ自分のモノだと妄想しているのか?
 私は頭に血が上りながらも冷や汗が出るのを覚えながら、「なにそれ?まったく関係のない話なんてしないでよね。おかしいんじゃないの?」と言い、思いっきり電話を切ってやった。

 しかし、その後まるで川底にあるヘドロがかき回されて舞い上がり、存在を主張するかのように頭の中を汚染されていく気分に襲われた。やりきれない思いがじくじくといつまでも残った。
 ひとつだけ、モラ夫からの電話をこちらが先に切ってやったことだけが私の慰めだった。一緒に住んでいたときは、外から夫が電話をかけ、罵声をあびせられても私は切ることが出来ず、いつまでも聞いていたから。

 呪縛を切るため、私は即ナンバーディスプレイを設置し(←遅いよね…)、夫からの電話はもうとらない、ということを心に固く固く誓ったのだった。
 もう夫と直接話すことは何もない。事務連絡は留守電にでも吹き込んでくれれば十分。

 モラはいくら時間がたってもモラだということを、またしてもダメ押しされた出来事だった。