今まで夫について考えてきたが、今度は自分自身について振り返ってみようと思う。
モラ夫と出会ってから、結婚した、あるいはお付き合いしたというプロセスは、人それぞれだろう。偶然出会ったという人や、以前から気になっていたとか、紹介されてたまたま、という人もいるかもしれない。それぞれのモラ夫は、出会ったときどのような印象を他人(後にお付き合いする異性)に与えるのだろうか。そしてそのどこに、惹かれるのだろうか。
私がモラ夫と出会ったのは偶然だった。仕事の研修で、たまたま出会ったのだ。しかし私は彼の熱心な話し方、知的でありながら気さくな感じに惹かれた。そして私から知り合いになろうと近づいた(このときお付き合いすることは全く考えてはいなかったが)。
私自身は異性を好きになるとき、ある傾向に惹きつけられる自分を何となく感じていた。やんちゃで皆を惹きつける魅力をもちながら、どこか脆さを感じさせる男。あるいは知的で鋭い感性を持っていながらも、ドジで手のかかる男。
中学の時は、暴走族に片足つっこんだ不良少年と付き合っていた。高校の時に付き合っていた年下の男の子は、かっこよく振る舞うのだが、実は不器用で脆いところがあった(後に心病んでいたらしい)。その後、何人かの人に惹かれるが、ワーカホリックタイプや、いいなと思うと既婚者だったりで(既婚者と分かれば早々にあきらめましたよ)、どうもうまいこといかなかった。
そう、私は以前から共依存傾向にあった。問題ある男性を好きになる女性について書いた『愛しすぎる女たち』(ロビン・ノーウッド著 落合恵子訳 読売新聞社)がある。夫と付き合っていた頃、この本を読んだ。その頃、依存症について興味があり関連の本をよく読んでいたのだ。そして夫に何気なくこの本の話しをし、夫も読みたいと言ったので貸したことがあった。夫は読んだ後私に「ウメちゃんは“愛しすぎる女”なんじゃないの?」と言ったのだ。私は「そうかな~」と応え、やっぱり私もそうなのかな?と思いつつその深刻さにまだ思い及ばなかった。私は既に夫と付き合っていた頃、このような知識は多少あったのに、それは実際の自分自身にとっては殆ど役に立たなかった。自分が実感しなければなかなか理解できないということなのだろう。
それから、夫と付き合うまでは異性とのお付き合いの中で、それほど酷い目に遭うということもなかったので、共依存という文字や日本語としての説明は理解できても、本当の意味がまだよくわかっていなかった。
共依存…他人の問題にかかわり世話焼きをすることで、自分の存在を確かめ、存在価値を見いだそうとするのだ。これもまた自分の心の穴を他人によって埋めようとするものなのだ。
モラ夫との生活を経て、モラル・ハラスメントの意味を知り、私は自分の共依存性を強く意識するようになった。結婚前に感じた、私の夫に対する意識を単純化して表してみる。こんなことを思っていたのだ。私は。
「夫はいろいろと苦労しているし問題もありそう。でも夫もそんな自分を何とかしたいと言っている。また、私とだったら本当の結婚生活ができると言っている。お互いの愛があれば、きっとどんな困難も乗り越えられる。私も心を広く持って、夫に愛情を注ぐことできっと夫も変わることができる」
こうして私は波瀾の予感を覚えつつも、チャレンジしようとしたのだ。
(こんなチャレンジは私の人生最初で最後にしたいものだ…(- -;))
結婚後、夫は「おまえが…」「おまえのせいで…」と、常に主語を「おまえ(私)」にして私をコントロールしようとした。そして、私は「夫さえ変われば…」「夫がもっと優しければ…」「夫が怒りさえしなければ…」と主語を夫にして何とか夫を変えようとした。今考えてみると、夫も私もお互いに相手を変えようと、コントロールゲームをしていたように思う。夫は私を監視し何かと文句をつけ罵声を浴びせて思い通りにしようとし、私は夫を常に窺い、夫を怒らせないように夫の機嫌をとるようにして夫を変えようとした。そして夫が静かだったり、機嫌良く過ごしていると「私の努力が実った」と自分のコントロール力を過信してしまう。
実りのないコントロール合戦…。
私はどこで共依存性を身につけたのだろうか。なぜモラ夫を選び、このような結婚生活を送ることになったのだろうか。
次回は私自身が生まれ育った過程を遡ってみたいと思う。
モラ夫と出会ってから、結婚した、あるいはお付き合いしたというプロセスは、人それぞれだろう。偶然出会ったという人や、以前から気になっていたとか、紹介されてたまたま、という人もいるかもしれない。それぞれのモラ夫は、出会ったときどのような印象を他人(後にお付き合いする異性)に与えるのだろうか。そしてそのどこに、惹かれるのだろうか。
私がモラ夫と出会ったのは偶然だった。仕事の研修で、たまたま出会ったのだ。しかし私は彼の熱心な話し方、知的でありながら気さくな感じに惹かれた。そして私から知り合いになろうと近づいた(このときお付き合いすることは全く考えてはいなかったが)。
私自身は異性を好きになるとき、ある傾向に惹きつけられる自分を何となく感じていた。やんちゃで皆を惹きつける魅力をもちながら、どこか脆さを感じさせる男。あるいは知的で鋭い感性を持っていながらも、ドジで手のかかる男。
中学の時は、暴走族に片足つっこんだ不良少年と付き合っていた。高校の時に付き合っていた年下の男の子は、かっこよく振る舞うのだが、実は不器用で脆いところがあった(後に心病んでいたらしい)。その後、何人かの人に惹かれるが、ワーカホリックタイプや、いいなと思うと既婚者だったりで(既婚者と分かれば早々にあきらめましたよ)、どうもうまいこといかなかった。
そう、私は以前から共依存傾向にあった。問題ある男性を好きになる女性について書いた『愛しすぎる女たち』(ロビン・ノーウッド著 落合恵子訳 読売新聞社)がある。夫と付き合っていた頃、この本を読んだ。その頃、依存症について興味があり関連の本をよく読んでいたのだ。そして夫に何気なくこの本の話しをし、夫も読みたいと言ったので貸したことがあった。夫は読んだ後私に「ウメちゃんは“愛しすぎる女”なんじゃないの?」と言ったのだ。私は「そうかな~」と応え、やっぱり私もそうなのかな?と思いつつその深刻さにまだ思い及ばなかった。私は既に夫と付き合っていた頃、このような知識は多少あったのに、それは実際の自分自身にとっては殆ど役に立たなかった。自分が実感しなければなかなか理解できないということなのだろう。
それから、夫と付き合うまでは異性とのお付き合いの中で、それほど酷い目に遭うということもなかったので、共依存という文字や日本語としての説明は理解できても、本当の意味がまだよくわかっていなかった。
共依存…他人の問題にかかわり世話焼きをすることで、自分の存在を確かめ、存在価値を見いだそうとするのだ。これもまた自分の心の穴を他人によって埋めようとするものなのだ。
モラ夫との生活を経て、モラル・ハラスメントの意味を知り、私は自分の共依存性を強く意識するようになった。結婚前に感じた、私の夫に対する意識を単純化して表してみる。こんなことを思っていたのだ。私は。
「夫はいろいろと苦労しているし問題もありそう。でも夫もそんな自分を何とかしたいと言っている。また、私とだったら本当の結婚生活ができると言っている。お互いの愛があれば、きっとどんな困難も乗り越えられる。私も心を広く持って、夫に愛情を注ぐことできっと夫も変わることができる」
こうして私は波瀾の予感を覚えつつも、チャレンジしようとしたのだ。
(こんなチャレンジは私の人生最初で最後にしたいものだ…(- -;))
結婚後、夫は「おまえが…」「おまえのせいで…」と、常に主語を「おまえ(私)」にして私をコントロールしようとした。そして、私は「夫さえ変われば…」「夫がもっと優しければ…」「夫が怒りさえしなければ…」と主語を夫にして何とか夫を変えようとした。今考えてみると、夫も私もお互いに相手を変えようと、コントロールゲームをしていたように思う。夫は私を監視し何かと文句をつけ罵声を浴びせて思い通りにしようとし、私は夫を常に窺い、夫を怒らせないように夫の機嫌をとるようにして夫を変えようとした。そして夫が静かだったり、機嫌良く過ごしていると「私の努力が実った」と自分のコントロール力を過信してしまう。
実りのないコントロール合戦…。
私はどこで共依存性を身につけたのだろうか。なぜモラ夫を選び、このような結婚生活を送ることになったのだろうか。
次回は私自身が生まれ育った過程を遡ってみたいと思う。