こころの声に耳をすませて

あの結婚生活は何だったのだろう?不可解な夫の言動はモラル・ハラスメントだった…と知ったウメの回想エッセー。

職場モラハラ エピローグ

2006-11-26 16:19:57 | 職場モラハラ
*モラハラの恐ろしさ
 こうして私は、モラ上司のいる職場に約5年間勤め、辞めた。ここまでよく我慢したな、と思う人もいるだろう。ただ、私は単に嫌がらせに対して我慢していたのではない。あまりにも唐突で信じがたい上司の行為を、なかなか受け入れることができなかったのだ。
 私は、モラハラの真の恐ろしさは両極端な二面性にあると思っている。即ち、ほろっとさせるほどの優しさと、心をズタズタに引き裂くような残酷さとがモラの心に常駐しているのだ。それは自分の心を満たすために、他人を支配しようとする巧みな操作と、空虚な心がそのようなモラの特性を現しているのだろう。

 モラ上司は私より一回り以上年上の女性だったが、知り合ってからしばらくは、新しい土地に戸惑う私に、とても優しく親切にしてくれ、家も近かったのでよくお邪魔してお茶を飲んだり、たまには食事をしたりもした。仕事の面でもモラ上司の積極的な姿勢を尊敬もしていたし、一緒に働けることが素直に楽しかったのだ。私は心の底からモラ上司を信頼していたし、モラ上司も私を信頼してくれていると感じていた。
 ところが、私がパートから正社員になり、何らかの成果を上げ始めると、モラ上司の態度が変わってきたのだ。突如ヒステリックに怒鳴りだしたり、どうということのない業務ひとつに激しい批判を浴びせたり、こちらが思ってもいない場面でいきなり私を攻撃した。もちろん私は驚き、不愉快だったが、あの優しい上司がわざと私に嫌がらせをしているとは思えなかった。私と上司は信頼関係があると信じていた。だから「仕事で疲れているのだろう」「イライラしていたのだろう」「更年期もあるのだろう」と考えるようにしていた。またそうとでも思わせるように、モラ上司は他の時には優しい言葉をかけてくれたり、お互いに冗談を言ったりもしていたのだ。しかし度重なる上司からの嫌がらせ、突如の攻撃に、私は徐々に考える力を失っていった。「どうして?」という言葉ばかりが私の頭に浮かんだ。その意味がまったくわからなかった私は、いつの間にか上司の顔色を窺い、いつ攻撃されるかとビクつき、上司の機嫌を損ねないように卑屈な笑いで話しかけていた。

 もし上司が、最初から悪い印象を受ける人物だったら、私はここまで悩むこともなかった。自分とは合わない人、あるいは嫌な人柄だとわかれば私は最初から近づかなかった。私は案外好き嫌いがはっきりしており、自分とあまり合わない人や価値観が違いすぎる人とは、始めから距離を保つタイプだ。無理に仲良くしようとも思わないし、私がいやなのだから相手から嫌われてもそれは当然と考えていた。そしてそのような人と同じ職場で働いていてもでは「仕事だから」と割り切っていた。しかし、逆に好きな人柄や、一度信頼できると思った人には、絶対的(に近い)な信頼を寄せた。例えその人が犯罪者になっても、それはよほどの理由があったのだろうと理解しようとし、変わらず信頼し続けようとするところが私にはあった。(そこが、都合の悪いものは見ないようにする、なかったことにするという私の問題だったと気づいたのはだいぶ後になってからだ。)その思い込みがモラハラへの気づきを遅くしたひとつの要素であろう。

*変わらない現状と孤立
 私はモラ上司から嫌がらせを受けていることを、同じ職場の先輩や同僚にも相談したり愚痴を聞いて貰ったりもしていた。先輩や同僚も同じくモラ上司から怒鳴られたり嫌味を言われ、不愉快な思いをしていたのだ。しかし上層部には気に入られていた上司に、直接訴えることのできる人は誰もいなかった。上司に何か批判めいたことを言えば、自分の立場が危うくなることを知っていたのだ。私達は陰で愚痴を言いながらも、上司の顔色を窺い上司の前ではいい顔を見せていただけだった。私は上司に訴えることもできず、同僚達と実りのない愚痴を言いながら、何も変わらない現状の中で、私は無気力になっていった。そして文句を言いながらも他の仕事で上司に評価され、喜ぶ同僚を見ているうちに、精神的に孤立するようになった。私も上司への信頼を取り戻そうと、気に入られようという焦りの思いがまだどこかにあった。なのになんで同僚だけ…。私は職場でひとりぼっちになった気分だった。陰口を言いながらも上司とうまくやっている先輩や同僚を見て、私だけが後ろ指さされているような思いに囚われた。
 結局、私が主任を降ろされても、左遷させられても、それに直接抗議してくれる人は社内に誰もいなかった。それで私はこの会社にいる限り、ただ貶められて働き続けるしかないことを悟ったのだ。
 モラ上司を何とかしよう、また同僚や先輩を味方にしようとしても、実際には何も変わらなかった。おまけにモラ上司はまったく反省がなかった。モラ達は常にそうだ。悪いのはあくまでも他人なのだ。自分を不愉快にした他人なのだ。自分の思い通りにしない他人が悪いのだ。だから常に他人を責める。自分が悪かったのか、なんて絶対に思わない。だからモラ自身が変わることはない。考えを改めることもない。

 現状を変えるには、モラハラが行われているその場から、その人から、自らが離れるより他に解決方法はないと思う。少なくとも、職場でも家庭でもモラハラを受けた私自身の体験から、切に実感する。



職場モラハラ その5

2006-11-19 12:20:33 | 職場モラハラ
 分所に異動となり(いわば左遷というのだろう)、張りのない仕事をしながらも、精神的には安定を取り戻しつつあった私だった。しかし定期的にある本社との会議では、どうしてもモラ上司と同席しなければならず、その時は怒りと恐怖にも似た感情が沸々と湧き上がり、冷静さを装おうと必死だった。そしてモラ上司と同じ部屋の空気を吸っていることすら嫌悪した。ただひたすら我慢し、会議が終了したらさっさと会社を出た。
 モラ上司は「そのうちウメさんを分所の所長にしたいと思ってるの。重要な役割を背負って欲しいと思っているのよ」とにこやかな笑顔で私に言ったが、その気もないのにいい加減なことを平気でしゃべるモラ上司の言葉は非常に軽々しく聞えるだけだった。
 
 その年の夏、その地域一帯で催されるお祭りに、私の会社も参加することになった。他の商店や事業所とともに屋台を出したり、イベントの手伝いをすることになったのだ。私も本社の同僚達と一緒に、お祭りの打ち合わせや準備などを行った。
 そしてお祭り当日、私は会場に向かい、自分の職場のブースを探した。「あったあった…」と同僚達を見つけて近づくと、なんと…同僚達は皆浴衣を着ていた。私は驚いた。私はといえば普段職場に着ていくような服装だった。分所のおばちゃん社員は「あら~、みんなきれいな浴衣着て~!」と目を丸くして笑った。私は同僚に「なんで皆浴衣着てるの?」と聞くと同僚は「上司が、当日は浴衣にしようって言うから着てきたんだよ。そっちに連絡いかなかったの?」と言った。上司からの連絡なんて全くなかった。しかもお祭りの準備で何度か顔を合わせていたのにもかかわらず、上司は当日の服装など分所の社員にはまったく伝えなかったのだ。私が呆然としていると、モラ上司がこれまた浴衣を着て登場した。私をチラッと横目で見てから皆の方を向き、「おはようございます。じゃあ早速準備を始めて、10時からスタートできるようにしてください」とにこやかに言った。モラ上司は私には服装のことは何も触れずに、ただ笑っていた。近隣の会社の人たちも周囲でお祭りの準備をしていた。浴衣を着た上司や同僚達を見ては「おお~、今日はまたきれいですね~」「雰囲気出ていていいですね~」と声をかけていた。
 同じ分所のおばちゃん社員は、上司が単に連絡し忘れたのだと思っていたようだった。
違う。モラ上司のあの目…完全なる嫌がらせだった。私を貶めるための…。

 初秋のある日、モラ上司が突然分所にやってきた。少し前に来客があり、ちょうどその人たちが帰るところだった。モラ上司は客を見送る私に、いきり立った顔を向け「ウメさんね、私の許可なく黙って勝手なことしないでくれる!しかも私の部署の仕事について余計なこと言ったらしいけど、どういうつもり?あなたには関係ないし、そういうことはやめてよね。だいたいウメさん、仕事する気あるわけ?…」と、まくし立てた。ドアを開けかけた客は、驚き、気まずい表情でそそくさと出て行ってしまった。上司はその後もしばらくわめきちらしていた。私はただうつむいて立ちつくすだけだった。
 上司は、私が本社に立ち寄った際、同僚にある業務について尋ねられたため、ちょっとしたアドバイスをしたことが気に入らなかったらしい。同僚は私に教えてもらった、などというようなことを話したのだろう。それにしても来客のときに(帰りかけだったとしても)そんなこと言うなんて…私の信用もがた落ちではないか。しかも話し合いさえせず、一方的に責め立て、屈辱を浴びせる上司はなんなんだ?

 私の中で、職場への執着がブツッと音を立てて切れた。もういい。もうこんな職場で我慢するのはやめよう。上司に媚び、自分を貶めてまでここにいる意味はもうない。私によくしてくれた上司はもういないんだ。散々酷い扱いを受けながらも、私は何とか頑張ってきた。もうやめよう…もういいよ…。

 秋も深まったある日、私は「今日こそ上司に職場を辞めることを話そう」と決意した。朝、出勤のため家を出ると、ちょうど通り雨が上がったところだった。濡れた路面が朝陽を浴びてキラキラ光っていた。ふと顔を上げたら、空にはきれいな虹がかかっていた。私の目に思わず涙が盛り上がった。ああ、きっと神さまも応援してくれているんだ…私にエールを送ってくれているんだ…もう終わらせよう、きっと先には希望があるはずだ…!
 私はいつまでも虹を目で追いながら駅まで歩いた。

 その日、私はモラ上司に職場を辞めたい旨を伝えた。上司は「え~!?どうして~?」と大袈裟に驚き、私に退職を保留するよう話したが、私の耳には何もかも空々しく聞えるだけだった。そして私の退職届は受理された。辞めるまでの2ヶ月間、私は1日おわるごとにカレンダーに×印をつけた。あと○○日、あと何日、というように踏みしめるようにして日々を過ごした。


 そして私は、ある年の瀬に退職した。
 上司は私にお餞別、と立派なシクラメンの鉢をプレゼントしてくれたが、家に帰ったあと即座に捨てた。
 やっと終わった…やっと!!


職場モラハラ その4

2006-11-12 00:15:49 | 職場モラハラ
 職場でも家庭でもモラハラ被害に遭っていたこの頃、私は人生最悪最低の時期だと思っていた。子どもの頃の苦しみもいろいろとあったが、この時期の苦痛はまた質が違った。自分で選んだ夫、そして自分で選んだ職場から酷い目に遭わされる。ここまでなぜ私は蔑まれなければならないのか。私の嫌いな人から攻撃されるのならまだわかる。しかし私が好きだった人たち、そして私に好意を寄せてくれた人たちからなぜここまで徹底して嫌がらせを受けるのか。私はいったい何を見ていたのだろう。もう自分が信じられなかった。どうしてこうなってしまったのだろう。結婚のために移り住んだこの土地が良くないのだろうか。そうだったら、いっそのこと、実家に帰った方がいいのかもしれない…。
 ある日夫の帰りが遅かったとき、私は久し振りに高校時代の友人に電話をかけた(夫がいるときには電話などできなかった)。あまり詳しくは触れなかったが、夫とあまりうまくいっていないこと、職場からも嫌がらせを受けていること、頭までハゲたことを話した。そして、「もう最悪の気分」とため息をつきながら友人に心の内を訴えた。すると、友人は「ウメ、もしかして厄年?」と言ったのだ。そういえばその時の私の年齢は、大厄と言われる年だった。「きっと大厄だからだよ」と友人は繰り返し言った。私はそれまで、厄年など、気にもせずそれが何歳を指すのかもしらなかった。しかし私はその言葉に希望を見いだそうとした。そうか、これは厄年なんだ。この年齢が終わればきっとこの状態も変わる。きっと変わるはず…!私の心は友人の一言のお陰で少し軽くなっていた。

 年が明け、同僚は産休に入った。手薄になった部署で、私は何とかがんばろうと思っていたが、相変わらず上司の顔色を窺いいつ罵声を浴びせられるかと思うと、気の休まるときがなかった。年度末も近づいたある日のこと、私は上司に「話しがある」と呼ばれた。途端に動悸が強くなり、手が冷たくなる。今度は何の用なのか…。
 なんと上司は私に、部署の異動を打診してきたのだ。私はこの部署で主任となり、新たな仕事を立ち上げ、同僚と共に努力してきた。その成果も上がっていた。他の会社からもその成果はある程度評価されていた。それを異動だと?主任を降ろしただけでは気が済まないのか?同僚もいない今、異動?しかも次の異動先は、職場から離れた分所だった。そして仕事の内容も今のしていることと違う種類のものだった。
 明らかに左遷としか思えなかった。上司は一生懸命笑顔を作って、いかに私がよくやってくれたか、そしてまた違う部署で責任を持って貰いたいことを饒舌に話した。
 私はもう何を言う気力もなかった。もういい。もう上司は私を徹底していたぶろうとしているのだ。何を話してももう無駄だろう。もうこんな職場ではやっていけない…。私は上司に「わかりました」と伝えた。上司は私に、取り繕ったような気持ち悪い笑顔を向けた。ぞっとした。

 あまりにも理不尽な上司の言動に、私はすぐにでも辞めたい気持ちだったが、ただ仕事を失うことも恐ろしかった。夫に完全に経済的依存をすることは非常に危険だった。それか、仕事を辞めて夫とも別れて実家に帰ろうかとも考えた。しかし私の本心はまだ夫と離婚するなどというところには至っていなかった。私は自分の選択をまだ放棄したくなかったのだ。世間の目も気になっていた。私はあと1年だけ働き、その間に密かに就職活動をすることにした。
 その頃だ。夫のモラ攻撃に対して、猛反撃に出たのは(『闘い』)。私の奥底で煮えたぎっていた様々な怒りの感情を、なぜかその時は思い切りぶつけた。これ以上自分を抑えることに、私自身の限界を感じたのかもしれない。その後、夫はしばらくの間、おとなしくなった(『夫の鬱』)。

 そして新年度になり、私は分所へ異動した。仕事は張りのないものだったが、意外にも私の心は非常に穏やかになった。職場自体が上司からも離れたので、毎日顔を合わせることもなく、上司の顔色に怯える必要もなくなったのだ。上司と顔を合わせるのは、定期的に行われる会議のみ。分所の社員は私も含めて3名だけだったが、他の2人は気のいいおばちゃんと、初老の男性だった。2人とも「なぜウメさんがここに異動になったのだろうね」と同情しながらも、新しい仕事を親切に教えてくれ、のんびりした雰囲気の中、勤務することが出来たのだ。
 
 大厄が終わった…。私は心の底からほっとしていた。あと1年、何とか勤め上げたら退職しよう。もうこの職場に残っていても仕方がない。もうあの頃の上司はいないと思おう。穏やかな毎日とはいえ不本意な仕事をやらされ、こんな飼い殺しのような状態はもうたくさんだ…。退職する頃には後厄も終わる。夫も最近は落ち着いてきた。なんとか最悪な状態から脱出できそうだ。そう考えれば厄って本当にあったんだな…。と私はぼんやり考えていた。

 しかし、この考えをまた覆すようなことが起こるのだ。私はもう1年待つことには耐えられなかった。
 もう我慢できなかった…。



職場モラハラ その3

2006-11-04 12:41:26 | 職場モラハラ
 度重なる上司の嫌がらせを受けながらも、私は精神的にこの上司からなかなか離れられなかった。それは夫のときにもそうだったが、モラ特有の二面性に翻弄されたのだ。パートで勤め始めた頃の上司はとても優しかった。プライベートでもお世話になった。そして、正社員になった後、上司からの嫌がらせがあっても、別の日には優しく朗らかに笑いかけてくるときもあったのだ。上司から突然怒りをぶちまけられたりしても、「イライラしていたのだろう」「短気な人だから仕方がない」「責任ある立場はしんどいだろう」などと思い直すことが多かった。ただそうでも思わないと、日々の仕事を続けていられなかったこともあるが。

 しかしその後、はっきりと彼女の悪意を見せつけられる出来事があり、それが上司への不信感を一気に増大させ、また私自身が完全に打ちのめされることになった。
 ある日、出勤すると職場の同僚が困惑した表情で「話しがある」と私に声をかけた。「今?」と聞くと「今すぐに」と応える。イヤな予感がした。私達は空いている会議室に入った。昨晩同僚の家に、上司から電話があったという。そして同僚に向かって「あなたが主任にならない?」と言ったというのだ。同僚は驚き「とんでもない、だって主任はウメさんじゃないですか」と言うと「彼女は家のことであまり残業もできないし、会議の途中でも帰ったりするし…主任として何かあったとき、すぐ対応できないから」と答えたそうだ。「私はもちろん主任になるつもりなんてないって断ったけど。だってウメさんが主任なのに、そんなこと言うなんてほんとにびっくりしちゃって…。もしかしたら上司からも話しがあると思うけど、とりあえず昨日のことを伝えて、私がそんな気まったくないことを知ってもらおうと思ったのよ~」
 その時の私の顔はきっと青ざめていただろう。動悸が強くなり、手が冷たくなった。いったいどういうことなのだろう。主任を替えるなんて…私が何か不祥事を起こしたわけでもないし、一定の成果を上げてきたのに…そこまで私が憎いのだろうか…。
 上司はなかなかその話を振ってこなかった。私は同僚に言われたことが頭にこびりついて離れず、皆が私を否定しているのではないかと被害妄想的な思いに苦しんだ。生殺しにされた気分で1週間を過ごしたあと、上司から声をかけられたのだ。

 話しがしたいと、私は応接室に呼ばれた。上司の言い分はこうだった。これから益々事業が忙しくなり、その分主任の責任も増してくる。家庭の事情はよくわかるが、定時に帰らなければならないのなら、それ以降の時間の連絡や仕事に対応できない。それから、と上司は続けた。「ウメさんは、あの活動にあまり参加しないでしょ」…あの活動!?

 この会社はある政党を支持していた。私はそのことを知らなくもなかったが、社員にまで強制されるものとはまったく考えていなかった。もちろん、選挙の際に投票を促されることも社内ではなかった。また、当時はその政党に対しては特に嫌な印象もなかったので、ある程度は協力してきたつもりだ。例えば、政治色はまったく出さないものの、明らかにその政党を支持している関連企業のイベントを手伝ったり、仕事を回したり、といったことだ。ただ積極的に支持もしなかったので、例えば休日を使って行われる、その政党支持者が主催する交流会や講演会の参加は遠慮させてもらっていた(他の社員は仕方なく参加する場合が多かったようだ)。上司はそのことを言っているのだ。また上司はその政党の熱心な支持者でもあった。

 私は上司に言った。「主任の仕事とは、担当部署の業務に責任を持ち、所属する社員と協力して仕事を発展させることではないのですか?」
 上司は「あの活動も大事でしょ」と言い放った。結局これが一番言いたかったのだ。私はもう言葉もなかった。「わかりました。そうでしたら、主任の業務は私には難しいので、他の方にしてもらってください」
 上司は「私も相当悩んだのよ~」と、ほっとしたように言った。私は黙って部屋から出た。

 そして上司は経営陣にその話を上げた。しばらく検討されたようだったが、結局は上司の言い分が通ってしまった。私は主任を降ろされ、同僚ではなく別の部署から異動になってきた年配の女性が主任になった。その女性は以前全く違う種類の業務についていたため、この部署に配置されたときには驚いたようだった。しかし彼女は熱心な政党支持者であることは間違いなかった。また、上司を恐れていた他の社員達もこの一件について、反対意見を言う人は誰もいなかった。また主任を降ろされた私に気を遣ってか、一連の出来事が理解できなかったせいか、その話題について何か言ってくる人もいなかったのだ。主任をさせられそうになった同僚とも、少し気まずくなってしまった。

 それから私はずっと被害妄想に悩まされることになった。上司はもちろん、社員全員に私は嫌がられているのではないか。私の行動を誰かしらが常に見ていて、逐一上司に報告されているのではないか…。実際に主任を降ろされたことも非常にショックだった。上司への不信と怒りが沸々と煮えたぎっていた。私は口数も減り、いつも冴えない表情をしていた。この頃だ。夫のモラハラも相まって、円形脱毛症になったのは。
 苦しい日々だった。もう辞めようか…とも考えた。しかし私はまだ勤務を始めた頃の幻想にしがみついていた。優しい上司、明るい社員達。任された仕事の成果が上がったときの喜び。私はこの職場でずっと働き続けたいと思っていたのだ。
 また、もうすぐ同僚が産休に入ることも、辞めようとする気持ちを引き留めた。しばらく彼女が産休に入ったら、この部署も手薄になる。その間はがんばらなくては…。

 しかしその後、私はさらに踏みにじられることになる。上司は徹底して私を排除しようとしたのだった…