*モラハラの恐ろしさ
こうして私は、モラ上司のいる職場に約5年間勤め、辞めた。ここまでよく我慢したな、と思う人もいるだろう。ただ、私は単に嫌がらせに対して我慢していたのではない。あまりにも唐突で信じがたい上司の行為を、なかなか受け入れることができなかったのだ。
私は、モラハラの真の恐ろしさは両極端な二面性にあると思っている。即ち、ほろっとさせるほどの優しさと、心をズタズタに引き裂くような残酷さとがモラの心に常駐しているのだ。それは自分の心を満たすために、他人を支配しようとする巧みな操作と、空虚な心がそのようなモラの特性を現しているのだろう。
モラ上司は私より一回り以上年上の女性だったが、知り合ってからしばらくは、新しい土地に戸惑う私に、とても優しく親切にしてくれ、家も近かったのでよくお邪魔してお茶を飲んだり、たまには食事をしたりもした。仕事の面でもモラ上司の積極的な姿勢を尊敬もしていたし、一緒に働けることが素直に楽しかったのだ。私は心の底からモラ上司を信頼していたし、モラ上司も私を信頼してくれていると感じていた。
ところが、私がパートから正社員になり、何らかの成果を上げ始めると、モラ上司の態度が変わってきたのだ。突如ヒステリックに怒鳴りだしたり、どうということのない業務ひとつに激しい批判を浴びせたり、こちらが思ってもいない場面でいきなり私を攻撃した。もちろん私は驚き、不愉快だったが、あの優しい上司がわざと私に嫌がらせをしているとは思えなかった。私と上司は信頼関係があると信じていた。だから「仕事で疲れているのだろう」「イライラしていたのだろう」「更年期もあるのだろう」と考えるようにしていた。またそうとでも思わせるように、モラ上司は他の時には優しい言葉をかけてくれたり、お互いに冗談を言ったりもしていたのだ。しかし度重なる上司からの嫌がらせ、突如の攻撃に、私は徐々に考える力を失っていった。「どうして?」という言葉ばかりが私の頭に浮かんだ。その意味がまったくわからなかった私は、いつの間にか上司の顔色を窺い、いつ攻撃されるかとビクつき、上司の機嫌を損ねないように卑屈な笑いで話しかけていた。
もし上司が、最初から悪い印象を受ける人物だったら、私はここまで悩むこともなかった。自分とは合わない人、あるいは嫌な人柄だとわかれば私は最初から近づかなかった。私は案外好き嫌いがはっきりしており、自分とあまり合わない人や価値観が違いすぎる人とは、始めから距離を保つタイプだ。無理に仲良くしようとも思わないし、私がいやなのだから相手から嫌われてもそれは当然と考えていた。そしてそのような人と同じ職場で働いていてもでは「仕事だから」と割り切っていた。しかし、逆に好きな人柄や、一度信頼できると思った人には、絶対的(に近い)な信頼を寄せた。例えその人が犯罪者になっても、それはよほどの理由があったのだろうと理解しようとし、変わらず信頼し続けようとするところが私にはあった。(そこが、都合の悪いものは見ないようにする、なかったことにするという私の問題だったと気づいたのはだいぶ後になってからだ。)その思い込みがモラハラへの気づきを遅くしたひとつの要素であろう。
*変わらない現状と孤立
私はモラ上司から嫌がらせを受けていることを、同じ職場の先輩や同僚にも相談したり愚痴を聞いて貰ったりもしていた。先輩や同僚も同じくモラ上司から怒鳴られたり嫌味を言われ、不愉快な思いをしていたのだ。しかし上層部には気に入られていた上司に、直接訴えることのできる人は誰もいなかった。上司に何か批判めいたことを言えば、自分の立場が危うくなることを知っていたのだ。私達は陰で愚痴を言いながらも、上司の顔色を窺い上司の前ではいい顔を見せていただけだった。私は上司に訴えることもできず、同僚達と実りのない愚痴を言いながら、何も変わらない現状の中で、私は無気力になっていった。そして文句を言いながらも他の仕事で上司に評価され、喜ぶ同僚を見ているうちに、精神的に孤立するようになった。私も上司への信頼を取り戻そうと、気に入られようという焦りの思いがまだどこかにあった。なのになんで同僚だけ…。私は職場でひとりぼっちになった気分だった。陰口を言いながらも上司とうまくやっている先輩や同僚を見て、私だけが後ろ指さされているような思いに囚われた。
結局、私が主任を降ろされても、左遷させられても、それに直接抗議してくれる人は社内に誰もいなかった。それで私はこの会社にいる限り、ただ貶められて働き続けるしかないことを悟ったのだ。
モラ上司を何とかしよう、また同僚や先輩を味方にしようとしても、実際には何も変わらなかった。おまけにモラ上司はまったく反省がなかった。モラ達は常にそうだ。悪いのはあくまでも他人なのだ。自分を不愉快にした他人なのだ。自分の思い通りにしない他人が悪いのだ。だから常に他人を責める。自分が悪かったのか、なんて絶対に思わない。だからモラ自身が変わることはない。考えを改めることもない。
現状を変えるには、モラハラが行われているその場から、その人から、自らが離れるより他に解決方法はないと思う。少なくとも、職場でも家庭でもモラハラを受けた私自身の体験から、切に実感する。
こうして私は、モラ上司のいる職場に約5年間勤め、辞めた。ここまでよく我慢したな、と思う人もいるだろう。ただ、私は単に嫌がらせに対して我慢していたのではない。あまりにも唐突で信じがたい上司の行為を、なかなか受け入れることができなかったのだ。
私は、モラハラの真の恐ろしさは両極端な二面性にあると思っている。即ち、ほろっとさせるほどの優しさと、心をズタズタに引き裂くような残酷さとがモラの心に常駐しているのだ。それは自分の心を満たすために、他人を支配しようとする巧みな操作と、空虚な心がそのようなモラの特性を現しているのだろう。
モラ上司は私より一回り以上年上の女性だったが、知り合ってからしばらくは、新しい土地に戸惑う私に、とても優しく親切にしてくれ、家も近かったのでよくお邪魔してお茶を飲んだり、たまには食事をしたりもした。仕事の面でもモラ上司の積極的な姿勢を尊敬もしていたし、一緒に働けることが素直に楽しかったのだ。私は心の底からモラ上司を信頼していたし、モラ上司も私を信頼してくれていると感じていた。
ところが、私がパートから正社員になり、何らかの成果を上げ始めると、モラ上司の態度が変わってきたのだ。突如ヒステリックに怒鳴りだしたり、どうということのない業務ひとつに激しい批判を浴びせたり、こちらが思ってもいない場面でいきなり私を攻撃した。もちろん私は驚き、不愉快だったが、あの優しい上司がわざと私に嫌がらせをしているとは思えなかった。私と上司は信頼関係があると信じていた。だから「仕事で疲れているのだろう」「イライラしていたのだろう」「更年期もあるのだろう」と考えるようにしていた。またそうとでも思わせるように、モラ上司は他の時には優しい言葉をかけてくれたり、お互いに冗談を言ったりもしていたのだ。しかし度重なる上司からの嫌がらせ、突如の攻撃に、私は徐々に考える力を失っていった。「どうして?」という言葉ばかりが私の頭に浮かんだ。その意味がまったくわからなかった私は、いつの間にか上司の顔色を窺い、いつ攻撃されるかとビクつき、上司の機嫌を損ねないように卑屈な笑いで話しかけていた。
もし上司が、最初から悪い印象を受ける人物だったら、私はここまで悩むこともなかった。自分とは合わない人、あるいは嫌な人柄だとわかれば私は最初から近づかなかった。私は案外好き嫌いがはっきりしており、自分とあまり合わない人や価値観が違いすぎる人とは、始めから距離を保つタイプだ。無理に仲良くしようとも思わないし、私がいやなのだから相手から嫌われてもそれは当然と考えていた。そしてそのような人と同じ職場で働いていてもでは「仕事だから」と割り切っていた。しかし、逆に好きな人柄や、一度信頼できると思った人には、絶対的(に近い)な信頼を寄せた。例えその人が犯罪者になっても、それはよほどの理由があったのだろうと理解しようとし、変わらず信頼し続けようとするところが私にはあった。(そこが、都合の悪いものは見ないようにする、なかったことにするという私の問題だったと気づいたのはだいぶ後になってからだ。)その思い込みがモラハラへの気づきを遅くしたひとつの要素であろう。
*変わらない現状と孤立
私はモラ上司から嫌がらせを受けていることを、同じ職場の先輩や同僚にも相談したり愚痴を聞いて貰ったりもしていた。先輩や同僚も同じくモラ上司から怒鳴られたり嫌味を言われ、不愉快な思いをしていたのだ。しかし上層部には気に入られていた上司に、直接訴えることのできる人は誰もいなかった。上司に何か批判めいたことを言えば、自分の立場が危うくなることを知っていたのだ。私達は陰で愚痴を言いながらも、上司の顔色を窺い上司の前ではいい顔を見せていただけだった。私は上司に訴えることもできず、同僚達と実りのない愚痴を言いながら、何も変わらない現状の中で、私は無気力になっていった。そして文句を言いながらも他の仕事で上司に評価され、喜ぶ同僚を見ているうちに、精神的に孤立するようになった。私も上司への信頼を取り戻そうと、気に入られようという焦りの思いがまだどこかにあった。なのになんで同僚だけ…。私は職場でひとりぼっちになった気分だった。陰口を言いながらも上司とうまくやっている先輩や同僚を見て、私だけが後ろ指さされているような思いに囚われた。
結局、私が主任を降ろされても、左遷させられても、それに直接抗議してくれる人は社内に誰もいなかった。それで私はこの会社にいる限り、ただ貶められて働き続けるしかないことを悟ったのだ。
モラ上司を何とかしよう、また同僚や先輩を味方にしようとしても、実際には何も変わらなかった。おまけにモラ上司はまったく反省がなかった。モラ達は常にそうだ。悪いのはあくまでも他人なのだ。自分を不愉快にした他人なのだ。自分の思い通りにしない他人が悪いのだ。だから常に他人を責める。自分が悪かったのか、なんて絶対に思わない。だからモラ自身が変わることはない。考えを改めることもない。
現状を変えるには、モラハラが行われているその場から、その人から、自らが離れるより他に解決方法はないと思う。少なくとも、職場でも家庭でもモラハラを受けた私自身の体験から、切に実感する。