こころの声に耳をすませて

あの結婚生活は何だったのだろう?不可解な夫の言動はモラル・ハラスメントだった…と知ったウメの回想エッセー。

気持ちのいいこと ~スイミング~

2005-11-26 23:47:49 | 日々の想い
 今年の夏から、何年かぶりにプールで泳いでいる。どこのプールがいいかと、公営のプールをいくつかと、フィットネスの体験で泳いだが、経費や距離などから電車で15分くらいのところにある公営プールを利用することにした。今は月2~3回、そこで泳いでいる。
 私はもともとスポーツが好きだ。観戦は嫌いだが、自分がするのは好きだ。小学生の頃はよく体を動かして遊んだ。男の子たちと一緒に草野球をし、おにごっこ、ケイドロ、虫取りなどよく歩き走り回った。スイミングスクールにも通った。中学生の時はバスケ部に入った。働き初めてからはスキーに夢中になり、毎年冬に休みを取り、友人と信州や上越、東北のスキー場に行って滑りまくったものだった。

 しかし結婚してからは、あまり運動をしなくなった。というか、夫と暮らしているときには、自分の時間を自由に使えることはあまりなかったからだ。仕事から帰れば、座るまもなく夕食の準備に取りかかった。休日も家事に追われ、時間が空いても夫が家にいれば外に出かけることは難しかった。夫とはよくウォーキングをしたが、時間も距離もコースも夫の決めるがままだった。しかも夫はスキーなどに一切関心がなかったので全く行かなくなった。
 私自身も、夫との生活を日々やり過ごすことに精一杯で、何か趣味やスポーツをしようというゆとりもなかった。精神的にも時間的にも、経済的にも。

 夫と別居してから訪れた平和な毎日。穏やかな時間。私の縮こまり固まっていた心と体が少しずつ動き出した。何か、のびのびと体を伸ばせる運動をしたい。気持ちよく体を動かしてみたい…そんな欲求が私の中で生まれた。
 そして私は結婚以来(8年ぶりくらいに)久々にひとりでプールに行った。古い水着を着て、私は水の中で体を伸ばした。体は泳ぎを覚えていた。私は思いきり手足を伸ばし、水の感触を楽しんだ。水の中に体を委ね、無重力に解放される感覚。私の体はいつの頃よりも、自由にリラックスしているように感じた。
 泳ぎ始めた時は、25メートル泳いだだけで息があがり少しの間休まなければならなかったが、そのうちに呼吸も慣れてきた。体が水に馴染み、私は無の境地でひたすら水の感覚に心も体も委ねた。そしてプールから上がったときには、何か非常にすっきりした爽快感があった。体の中に溜まっていた澱が抜けていったような、そんな感じ。水の中で体を思い切り伸ばせるって、なんて気持ちがいいのだろう…!
 そして私は新たにフィットネス用の水着を買い、たまにプールで泳ぐことにした。回を重ねる毎に体が水をとらえ、息があがることもなくなってくる。私はただ黙々と泳いだ。

 ある日プールに行くと、何人かの高校生くらいの子どもたちが入ってきた。水着からして気合いが入っている。念入りに準備体操し彼らはプールに入った。多分水泳部か何かに所属しているのだろう。その彼らの泳ぎに目を奪われた。最初の人が泳ぎ、10秒後にまた次の人が、というように順にスタートして泳いでいく。若い体が勢いよく水を切り、しぶきを上げ泳いでいく。まるでイルカやトビウオがジャンプしながら突き進んでいるようだ。なめらかな肌が水をはじき、水を滑っていく。

 私はその時、若いっていいな~と感じた。瑞々しい体、はじけ飛ぶようなエネルギー、彼らはそれを全身で楽しんでいる。水の中で彼らは無敵だ。クロール、バタフライ、平泳ぎ。すごいな~、きれいだな~、と私は見とれていた。

 私も泳ごう。自分らしく、ゆったりと。イルカというよりはマンボウのようにゆるゆると、息長く、ときおり水の中に差し込む光のゆらめきを見つめながら、自分の四肢を思い切り伸ばして、水をとらえ、水にゆだねながら、体も心も解放してあげよう。
 次はいつ行こうかな。。。

夫の鬱

2005-11-22 22:58:50 | モラ夫の特徴
 夫と闘った日から少したったある日のこと、夫は「ここのところずっとしんどい」「無気力で仕事をする気がしない」と言った。以前から何かがうまくいかないと、すぐそのようなことを言っていたが、今回は精神的な不調を特に気にしているようだった。そしてなんと自ら精神科の門をたたいたのだった。
 夫には『鬱病』という診断が下り、精神科の薬を飲むようになった。私は夫の病気の心配よりも、自分の安心感の方が強かった。私から見て夫は常に不安定で突発的な言動があり、神経過敏で意味不明なモラハラ行動を見ていると正常の精神状態とは思えず、ほとんど病気ではないかという感じだった。その対策として私の方が精神科あるいは心療内科にでも夫について相談に行き、夫用のきっつ~い精神安定剤をもらい、粉にして飲み物か食べ物に混ぜたろか!と思っていたくらいだったのだ。
 とにかく服薬してくれるようになってから、夫の精神状態が劇的に落ち着き、感情の起伏も少なくなった。私は胸をなで下ろし、心底ほっとした。
 
 ただ、夫は「鬱病になったのはおまえのせいだ」とことある毎に言った。私が掃除をしない、私がクリーニングに出すべき服を半年もおきっぱなしにしたからだと言った。夫の機嫌がいいときは「俺は高校生くらいから鬱気味だった」「不安定な性格だった」など調子よく言っていたが、私に対して気に障ると、すぐ私のせいだと言った。
 しかし、これまで私は散々加害者扱いされていたので、「私のせいにして気が済むなら一生そうしてくれ」と冷ややかな気持ちしか持てなかった。

 そしてある意味、夫がこうやって抗不安薬や、精神安定剤を服薬してくれなかったら、この先一緒に暮らせなかっただろう、とも思った。あのまま服薬せずに生活していたら本当にひどいことになっていただろう。常に神経が高ぶって、ピリピリして、些細なことで怒りを爆発させる状態の人間と一緒にいることに、私の心は疲弊し限界を感じていた。あの状態が続いていたら私はもっと早く家出か実家に帰るか別居していたかもしれない。
 そう思うと何か意味深い出来事のようにも感じるのだ。もしかしたら夫はあの闘いで私の捨て身な態度を察知し、私との生活を維持するために服薬したのではないか、とも思ったりした。夫は私の反撃で妻へのコントロール幻想を失い、不安に駆られたために「鬱」と名の付く病に逃げたのではないだろうか。

 私は鬱病について本を読んだりネットで情報を得たが、夫の状態と照らし合わせると、どうも首をかしげることが多かった。夫は本当に鬱病か?
 夫は鬱といいつつ、食欲旺盛で仕事もできたし職場を休むこともなかった。睡眠もよく取れているようだった。昼寝をしたり、夜中に起きたりもしていたが、生活の波は以前からもよくあった。総合的に判断すると、服薬のため単に精神状態が鎮静化されているだけのように感じた。もし本当の鬱だったら、もっと抑鬱状態が強く、働いたり日常生活を送ることすら億劫になるはずだ。
 また、夫に処方されている薬を調べると、主に安定剤と抗不安薬であり、鬱病という雰囲気ではないように感じた。私は更に精神疾患について調べた。そして、ある病名に行き着いた。そう、モラハラ被害者の方々にはお馴染みの『自己愛性人格障害』加えて『境界性人格障害』の要素もあり!?みたいな。私はこの頃、まだ「モラルハラスメント」という言葉を知らなかったが、今思えば、実はすぐそこまでモラハラの実態に迫っていたのだ!

 情報を集めながら私は思った。 このような人格障害の要素を色濃くもっている夫は、多分治療のしようもないような気がした。単に鬱病の名の下で薬物治療だけ受けていても、それは現実の生きにくさを紛らすための対処法で、根本は変わらない。よほど本人が自覚してカウンセリングでも受けなければ自分の行動を振り返ることは難しいだろう。私は夫にカウンセリングも勧めたことがあった。しかし夫は「そんな必要はない」と言い、行くことはなかった。夫は自分を見つめるなんて事はとても怖くてできないだろう。夫は自分にとって不快なもの、不安や痛みや恐れを感じたら、それを感じないように、見ないようにすることが先決なのだ。だから薬で紛らし、自分に目を向けないようにしているだけなのではないか。
 私からしたら常軌を逸する言動をとる夫は、誰とも生活できない人なのではないだろうか。そんな夫と生活している私は、もしかしたら困難にあえて立ち向かっているチャレンジャーなのかもしれない。そう思ったら、私が特に自己嫌悪に陥る必要もないのではないだろうか。夫が鬱というか、何か自覚して服薬しなければ、誰かと一緒に住むことなんてとても無理だったのだ。そうでなければ果てしなく悲惨な生活になるところだったのだ。
 私は、夫との生活をそんなふうに合理化した。

 夫の病院通いのお陰で、夫の言動は鎮静化され、私は夫と過ごす時間があまり苦にはならなくなった。むしろ信じられないことに、結婚して以来の平和な日々だと錯覚するくらい、楽しく過ごせるときも出てきたのだ。といっても、私は夫相手に完全にリラックスできたわけではない。夫に対して余計なことは言わず、顔色を窺いつつ、ではあった。既に私は夫に期待することも、理解してもらうこともあきらめていたので、夫がおとなしくなったからといって心を許したわけではなかった。でもこの停戦状態に、私はやっと緊張していた肩を緩めることができた。たまに夫は不機嫌にはなったが、むっつりしているか、ぶつぶつ言っているか、すぐ寝てしまうか、というおとなしい行動にとどまり、怒鳴ったり物にあたったりということもなくなった。

 私は「どうかこのまま夫が一生薬を飲んでおとなしく生活してくれますように…」と願った。そう、私は夫の病気が治ることを願うのではなく、服薬し続けることを願ったのだ。夫から離れるよりも、夫を何とかコントロールできれば一緒に暮らせる、という私の幻想。この幻想は1年くらい続き、夫婦らしい会話も生まれた。しかしこれはやはり幻想だったのだ
 1年後には厳しい冷戦が待っていた。

(しかしチャレンジャーと思ったりコントロール幻想をもったり…私はやっぱり共依存だと自覚…とほほ。)


*夫の病については、あくまでも私の主観、私が感じたことのみを記していますので、ご了承下さいませ。

闘い

2005-11-18 23:31:24 | DV
 夫へのモラハラに怯えつつ、既に夫と理解し合おうとすることにも疲れた無気力な毎日、そしてその時期私の職場でも様々な問題があり、私の中で精神的な疲れがピークに達しようとしていた。何もかも捨ててどこかへ行けたらどんなに楽かと思ったりもしたが、そのような勇気は持てなかった。結婚5年目のことだった。

 ある日、私は仕事のことでどうしても我慢できない出来事が起こり、仕事上で知り合った信頼のおける女性と夕食をとりながら悩みを相談していた。夫には職場関係での何かの会、ということで夜遅くなることを伝えていた。親身に聴いてくれるその女性の姿勢が嬉しく、ついつい話しこみ、ふと時計を見たら遅い時間になっていた。私が夜外出をする時は遅くとも夜10時までには帰らないと夫は不機嫌になる。
 その時、すでに11時を回っていた。私は夫に電話を入れたが、夫は私の話を聞く前に乱暴に電話を切った。案の定かなり怒っている様子がうかがえた。駅からのバスは既になく、といってタクシーですぐ家に帰るのも恐ろしく、私は家まで30分かけて歩くことにした。
 私は家に帰ったときの情景を思い浮かべた。それは恐ろしいものだった。多分夫は大声を上げ、私を罵倒し、暴力が出る可能性もあった。私は思った。そんな危険が待っている家に私は帰るのか。暴力を受けるかもしれないとわかっていて、わざわざ家に帰るのか。私はいったいなんなんだ?こんな夫と生活してどんないいことがあるんだ?

 私はお酒の勢いもあったせいか、また、もう夫とは別れてもいい、という開き直りの気持ちがあったせいか、夫への怒りがこみ上げ思わず声に出して『今度こそ、やられてなるものか、負けてなるものか』『やってやる、やってやるんだ、』と何回も自分に言い聞かせた。もう夫にやられてうちひしがれる惨めな自分にはなりたくなかった。夫にただ踏みにじられるだけの自分にはもうなりたくなかった。私は私に呪文をかけるように『負けるもんか、こんどこそやってやる』とひたすらぶつぶつ言いながら家に向かった。道行く人から見たら、私は少々物騒な女だと思われたことだろう。冬だったが歩いているうちに体も熱くなった。

 家に帰ると予想通り、夫は恐ろしい形相をして待ち受けていた。そして私に向かって「こんな遅くまでいったいどこをほっつき歩いていたんだ!!おまえは何様のつもりだっ!!」と大声で怒鳴った。次の瞬間私は大声で怒鳴り返した。「私だって仕事のことなんかでいろいろ話すことがあるんだっ!」夫は驚いて手を振り上げ、私に向かってきました。私は心の中で『もう今までの私じゃないぞ、やってやる!』と固くつぶやき、私も両手を構え、夫に向かっていった。そしてとっくみあい、転げ回り、殴り合いの喧嘩をした。

 時間にしたら、多分15分くらいのことだったと思う。お互いに肩で息をしながら、睨みつつ離れた。私は唇を切ったが、けっこう互角にやりあえたように感じた。
いつもだったら、夫の大声に怯え、凍りつき、すぐ謝る私が夫に向かっていったことは、夫にとっても驚きの展開だっただろう。その後夫は呆然と部屋にこもって寝てしまった。

 私は我ながらすごいことをしてしまった…と思い、これからどうなるのか不安でもあった。だがそれより何より、とっくみあいをしたお陰でとっても気持ちがすっきりした。鬱々とした負のエネルギーが一気に放出され、俄然闘志が湧いてきた。もっと早くしておけばよかったと思ったくらいだ。これからは体を鍛えて、いつでも夫を迎え撃てるようにしなければ!何がいいかな、空手、少林寺拳法なんかいいかな、と、私は興奮していた。自分がこんなに抵抗できる力があったことが嬉しかった。

 翌日、夫は超不機嫌で始終無言だった。私は昨晩の闘志はどこへやら、また夫の顔色を窺いつつ、ひたすら無言で過ごした。急に夫の逆襲が恐くなったが、夫はただ黙っているだけだった。

 その後夫はしばらく不機嫌だったが、何だかおとなしくなった。大声を上げたりすることが非常に少なくなった。そして暴力や、物を壊すことはまったくなくなった。なんとそれから1年くらいは、ほぼ穏やかな落ち着いた生活だったのだ。
 私の決死の抵抗の効き目だったのか?何かあったら、またやってやる、と思いつつ別居までそんなとっくみあいをすることはなかった。私にしてみたら夫に正面から向き合った、最初で最後のとっくみあいだった。

夫の二面性

2005-11-14 23:47:14 | モラ夫の特徴
 私はどうして、夫からすぐに離れられなかったのだろう。あんなに酷い目に遭っていながら、どうして8年近くも一緒に暮らしていたのか。モラハラは既に結婚1年目から始まっていたというのに。
 同じモラハラ被害者の方々にも、もしかしたら言えることかもしれない。私の夫はモラハラを行いながらも、時にはほろりとするような優しさを見せた。その姿が夫の真実だと思えたのだ。

 夫は私に怒りを、憎しみをぶつけるときは徹底して私を蹂躙した。そしてひとたび怒りが爆発すると2~3時間の罵倒はざらだった。私は夫の感情を静めるために、ひたすら弱々しく刺激しないような態度を努めてとっていたものだった。
 そして恐ろしく不機嫌な夫の無視、大きな溜息、恐ろしい無言の形相が何日も続く。

 しかし、それこそまるで違う次元に入り込んだかのような優しさもあったのだ。そう、その時は、夫の怒りの態度を別次元だとも錯覚していたのだが。
 
 夫の機嫌のいいときは、私の名を「ちゃん付け」で呼んだ。仕事から帰ってくると、夕食を作ってくれ、私の子連れの友人をもてなしてくれ、子どもの相手も上手だった。私は冬などはよく足が冷たくて眠れなかったが、夫は私の足を自分の足の間に挟んで温めてくれた。夫は私の弟の慢性病を心配し、よく効くという高価な漢方薬を弟に送ってくれた。結婚してしばらくするまで、出勤するときは「いってらっしゃい」のキスをした。私が昼寝をしていたらそっと毛布を掛けてくれた。私の日本酒好きをしっていて、時々おいしい地酒を買ってきてくれた。仕事の資料作りで悩んでいるとき、それを自ら調べてアドバイスをくれた。おいしいレストランにも連れて行ってくれた。
 そして自分のことを「俺は弱い人間」「俺は自分とつきあうことが一番大変なんだ」「感情を抑えられなくて、つい酷いことをいってしまった。許してくれ。」と言った。

 私は、この優しい、内省的な夫が本当の夫だと思おうとした。いや、信じようとした。夫の罵倒、怒りや憎しみのつぶて…これは仕方のないことなんだ、夫は感情不安定で自分でもそれを苦しんでいる人間だ、だって極悪非道だったら優しいところなんてないだろう。こんな優しいところもある、だからこのぐらい我慢しなくては、長い目で見なくては、私も変わらなければ、もっと夫を受け入れられる度量の広い女にならなければ、夫婦は喧嘩しながらお互いの関係を築いていくものなんだから。

 モラハラ被害の残酷な点はここであろう。恐怖と残酷な日々、そして突然日だまりのような優しさ。これに翻弄されるのだ。鬼のような夫は、一時的なもの。優しい夫が本当なんだ。だから優しい夫がもっと現れるように、私が努力しなければならない。こうして夫から離れられなくなってくる。いつしか、優しい夫の姿も信じられなくなりながら、心が虚ろになって、夫の優しさも疑いながら、それでもふと「こんな夫が続いて欲しい」「もしかしたら、このまま優しい夫でいるかもしれない」「本当の夫の姿はこれなんだ」と思う。何度も何度も冷たくされながら、何度も何度も罵倒されながら、優しい夫の影にすがりついていたのだ。 見たくない夫の姿には蓋をし、記憶を封印して、次の瞬間には「夫には上手に付き合えば何とかなる」「夫は本当は優しい人なんだ」「ただ機嫌が悪かっただけなんだ」と無理に思い、夫に笑いかける私。

 私は常にその場その場の恐ろしい変化に、必死で対応していた。さっきまで激怒していたと思ったら、簡単に謝り機嫌よく笑う夫。私は混乱しひきつりながらも次の変化に合わせて笑っていた。私は何が本当で何が嘘なのかわからなくなっていた。何が現実で何が悪夢なのか。この夫の優しさは何?この夫の狂ったような罵詈雑言は何?私が努力すればいいの?そうすれば夫はもっと優しくなるの?私が悪いから夫は怒っているの?それとも夫は怒りっぽい性格だから仕方のないことなの?

 この堂々巡りで私の頭はすっかり考える力を失っていた。何が危険で何が安全なのかもわからなくなっていた。

加害者なのに被害者面 ~罵倒の日々~

2005-11-12 23:38:56 | モラル・ハラスメント
 夫は些細なことでよく怒っていた。まず家事について、掃除機を毎日かけない、洗った後の食器を拭かない、さっと思うような行動をしないとか、食事が6時に作れなかったとか、食事の味が自分にあわない、洗濯を毎日しない、等いろんなことで罵声を浴びせられた。私からしたら、私も毎日仕事をしている中で、毎日掃除機や洗濯はできない。まして食事が夕方の6時にできないなんて当然のことだった(6時に帰宅していたのだから)。
 しかし夫は自分の要求に応えられない妻(私)に対して、容赦なく罵声を浴びせた。それはそれはひどい罵声だった。夫は言葉で他人の魂を殺せる人だと感じたくらいだ。しかも自分の感情に覆われてしまって、他人の気持ちを考える余裕なく、ひたすら怒りを放出するために、めたくそに、相手を地の底に引きずり倒してぼろぼろになるまで踏みにじった。私は何度ひどい言葉を言われたことか。その言葉を聞いていると、夫の目の前でマンションから飛び降りて死にたくなるくらい、他人の自尊心をズタズタにするものだった。

 その言葉とはどんなものか、挙げてみよう。
 アホ、バカ、頭が足りない、想像力が欠如している、でくのぼう、鈍い、犬やネコよりひどい、寄生虫、ゴクつぶし、おまえのせいで人生がめちゃくちゃになった、根性が腐っている、根性が曲がっている、無神経、セックスしているときだけは女、奴隷、ロボット…その他モロモロ言われた。夫は怒鳴っているうちに、自分の言葉に煽られて興奮するのか、後半はヤクザ言葉になっていた。「殴ってやろうか、おらぁ?」みたいな。あまりに酷いと思いつつ、その言葉に反応していたら身が持たなかったので、それこそ貝になって我慢してた(『私は貝になりたい』というあの映画のセリフがよく頭に思い浮かんだ)。言い返そうと思ったときもあったが、そうするとますます猛り狂って手がつけられなくなる。コップやお皿を割ったりもした。食事がまずいといっては怒り、私の話す日本語がおかしい、と言っては怒っていた。あまりに言われると、なんだか夫と話すのが恐ろしくなり、話すことは必要最低限の連絡事項だけにしようと思った。これが私達の日常とは考えたくなかったが、これが私達夫婦の生活だった。

 そして、夫は私に言った。「おまえのすることは、ドメスティックバイオレンスだ!毎日洗濯しないのは、毎日掃除機をかけないのは、俺への暴力だ~!!」「おまえが俺の人生を滅茶苦茶にした!「おまえが俺の仕事の邪魔をした」「おまえがしゃきっとしていないから俺は元気になれない」「おまえが変わればいいんだ」「おまえのいい加減な態度で俺は病気になりそうだ!」「おまえが俺を怒らせるから下痢になった」「おまえがしっかりしていないから仕事ができない」
 夫はあくまでも自分が被害者だと言い続けた。私がすべて悪いのだと。私が夫を虐待しているのだと。自分は被害者で、私が加害者であると。

 私は唖然とした。私が夫を虐待?どうやって?掃除を二日に一回したということで?

 夫婦はなんでも理解し合えるなんて、夫との関係ではありえなかった。夫は私の話なんて聞きたくないのだ。そして自分の気持ちが無視されたと思ったら暴力に訴えるだけだった。ただ、夫は妻が自分に注目し、自分の気持ちだけを察してもらえればよかったのだ。よく夫婦では「喜び二倍に、悲しみは半分に」なんて言われるが、私にとって夫婦の間では「喜びは十分の一以下に、悲しみは十倍に」だった。
 
 私は怒りよりも悲しく寂しかった。私は夫婦になってからはじめて本当の孤独を感じた。お互いが好きで結婚したとしても、この状態ではお互いを理解するなんてとうていできない。何でも言い合えるのが夫婦の理想だと思っていたが、それは違うということがわかった。私は夫が受け入れられるようなことだけを最小限でしか話せなかった。余計なことを話すと夫はまた怒り爆発で手がつけられなくなる。
 夫は自分の感情を抑えられない。もともと精神的に不安定で過敏症な上に、忍耐力がなかった。だから些細なことが気になり、ちょっとした自分の怒りとか恨みをとことんぶつけないと気がすまないようだった。一度気に障ると自分の感情に覆われてしまって、こういう言葉を相手に言ったら、相手との関係が破壊されるとか、相手にダメージを与えて今後の人間関係が切れる可能性がある、ということを全く考えない。だから罵倒するだけ罵倒して、その結果相手が離れていこうとすると、また怒る。「おまえが俺を怒らせたのに」と。まったくやりきれない。もし私が相手に何か決定的にひどいことを言うときは、相手とのお付き合いがもうなくなってもかまわない、という気持ちで言うだろう。しかし夫はそのような配慮は全くなかった。

 そして徹底的に罵詈雑言を吐いて吐いて吐き尽くしてエネルギーが消耗してから、ふと言うのだ。「ちょっと言い過ぎた。」「俺は弱い人間だから」「つい酷いことを言って悪かった」「分かってくれよ」「おまえも変わるべきだろう?」
 
 私の心は虚ろだった。これが何回も続くと、もう何も感じられなかった。ただその時をやり過ごすことだけを考えていた。そう、心を無にして感じないようにすれば、何とかなる。いつのまにか明日が来ている。これは夢。これは悪夢。忘れよう。忘れよう…。
 
 そうやって私は日々を送っていた。それが生きるための対処法だった。