こころの声に耳をすませて

あの結婚生活は何だったのだろう?不可解な夫の言動はモラル・ハラスメントだった…と知ったウメの回想エッセー。

結婚前の夫と私

2005-10-10 22:51:07 | 結婚する前の話
 今日、8年振りに昔の日記を引っ張り出してみた。私は中学生の時から日記を書いていた。途中で中断されることもあったが、いつからかまた書き出していた。そして夫と結婚する前のことを記した日記も出てきたのだ。どうせ結婚した後の苦労なんかもよくわからずに甘い言葉がかいてあるのだろうと思った私は、自分の文章を読んで驚愕した。私は夫と付き合ってた頃にも、2回お別れの手紙を書いていたのだ。そんなこと、すっかり忘れていた。私は本当に忘れていたのだ。

 夫に出した手紙の内容は、日記に記載されていた。結婚の1年前に、夫に渡した手紙である。
『いつもあなたに甘え、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。あなたに「穀潰し」「寄生虫」と言われても仕方ありません。しかしそんな言葉を吐かせるくらいにあなたを貶めたのは私のせいですか?(←このころは半同棲のようになっていたため)…
 あの日、温泉に行こうとあなたが言ったのは私のためかもしれません。でもあなたはどんどん不機嫌になり、その理由も言わずにむっつり黙り込み、私が話しかけると声を荒げ、憎々しい目をむけるあなたを見てまったくやりきれませんでした。好きな人とドライブしているのに、どうしてこんな思いを抱かなければならないのでしょうか。もう私のために出かけるのはやめてください。あんな態度はもう沢山です。
 そして、お洗濯、お掃除、洗い物をあなたの思うようにできなくて申し訳ありませんでした。…家事の得意な道具としての女性は他の沢山います。でも、あなたがかつて結婚した相手は家事の名手だったのではないですか?それでもあなたの眼鏡に叶わないのなら私がふるい落とされて当然といえますよね。どうぞあなたの思うとおりに動く女性を見つけてください。ただし、ゴミはゴミ箱に捨てる習慣だけはつけたほうがいいと思います。赤ちゃんと違うのですから。
 私は、あなたのことを神様が与えてくださった人だと思っていましたが、それはただの妄想だったようです。あなたにとって私はただの寄生虫だったのですね。よくわかりました。多分、神様はあなたを通してよき戒めと教訓を与えてくださったのでしょう。…』

 この手紙を読む限りにおいて、その頃私は夫との関係を理解していたのだ。そして自分が夫に対して抱いた不愉快な思いを夫に述べていたのだ。それなのに、なぜ結婚へ進んでしまったのか。

 この手紙の後、夫からも手紙をもらっている。夫は謝罪と涙ぐましい内容の手紙を書いていた。「いろいろなことを言ったのはどれも僕の真実ではありません。自分の感情が抑えられずに、つい心にもないことを言ってしまったのです。…君の顔が浮かんできてあまりにも大切だったから、決してなくしてはいけない、君と一緒に歩いていくんだと涙がこぼれました…」

 こうして私は夫に何度もほだされていくのだ。あぁ~っ、私ってバカッ!!私は、といえば夫の理不尽な言動にも、こうして意見を言えば、わかってくれると誤解していた。こうやって、いつかお互いに理解し合えると勘違いしていた。
 でも、私は知っていたのだ。心のどこかで、夫との結婚生活は大変になるのではないかと思っていたのだ。それなのに離れられなかった。
 それはまず「結婚」したかった私がいた。次々に結婚していった友人達。私も大台に乗る前に、誰かいい人をみつけなければと焦りもあった。そんな時に少々運命的とも言えるような出会いでつきあい始めた夫とは、縁があったのだと感じさせるような、なぜか一番しっくりくる相手のように感じていた。初めは非常に紳士的で、社会的には尊敬されるような仕事につきながらも、気さくなタイプだった。私のために料理を作り、もてなしてくれた。まめに気遣いしてくれるところもあり、よく話しも聞いてくれた(今となっては信じられないことだが)。
 その反面、手紙にあったような夫の不機嫌や暴言もぽろっぽろっと出ていたのだ。しかし私は後の夫の甘い涙ながらの謝罪で目をつぶった。その場ではびっくりしたが、夫も思わず口に出してしまったことで悪意はなかったのだろうと、いいように考えた。『夫も反省している、私も至らないところがある』と。また、お互い想いあっている相手がそんな酷い言葉を言うこと自体、とても信じられなかったし、受け入れ難かったところもあった。
 そこまで言ってしまうのは夫自身の辛い体験があるからだろうと、深読みしていた。確かに夫は、父親から暴力を受けて育っていた。幼い頃から暴力を受け、精神的に不安定になりながら自分なりに必死で生きてきた、そして非常に努力してやりたい仕事に就きそれなりの成果を上げてきた、また過去わがままな妻に振り回され離婚した、という苦労話をよく聞かされた私は、すっかり夫に同情を寄せていたし、そこまで努力した夫を尊敬もした。
 私の『本当にこの人とやっていけるんだろうか、無理なのではないか』という不安なこころの声は、恋愛街道まっしぐらだった私によって善意に解釈された。『生きていればいろいろあるのは当たり前。お互いに想い合っていれば、苦労も必ず乗り越えられる』と。

 この時は夫も私という魚を釣ろうと必死だったのだろう。でなければ、当面孤独な一人暮らしをしなければならなかったのだから。夫には自分の怒りや鬱憤をはらす相手が必要だったに違いない。そして、自分が怒りを発散することで自分の優位を、力を実感し、妻を支配することで自分の不全感を補償しようとしていたのだろう。

 そして、私は結婚後も同じような手紙を夫に書くはめになるのだ。何回も同じ事を。そのうち夫からの謝罪はなくなり、冷酷さは増していく一方になるばかりというのに。
 ここに、多分私自身の共依存的な課題があった。(このテーマについては後日改めて記載したい。誤解のないように補足しておくが、モラハラ被害者が共依存だったから悪かったのだ、とは全く考えていない。あくまでも悪いのは暴力やモラハラを行使する人である。)