こころの声に耳をすませて

あの結婚生活は何だったのだろう?不可解な夫の言動はモラル・ハラスメントだった…と知ったウメの回想エッセー。

闘い

2005-11-18 23:31:24 | DV
 夫へのモラハラに怯えつつ、既に夫と理解し合おうとすることにも疲れた無気力な毎日、そしてその時期私の職場でも様々な問題があり、私の中で精神的な疲れがピークに達しようとしていた。何もかも捨ててどこかへ行けたらどんなに楽かと思ったりもしたが、そのような勇気は持てなかった。結婚5年目のことだった。

 ある日、私は仕事のことでどうしても我慢できない出来事が起こり、仕事上で知り合った信頼のおける女性と夕食をとりながら悩みを相談していた。夫には職場関係での何かの会、ということで夜遅くなることを伝えていた。親身に聴いてくれるその女性の姿勢が嬉しく、ついつい話しこみ、ふと時計を見たら遅い時間になっていた。私が夜外出をする時は遅くとも夜10時までには帰らないと夫は不機嫌になる。
 その時、すでに11時を回っていた。私は夫に電話を入れたが、夫は私の話を聞く前に乱暴に電話を切った。案の定かなり怒っている様子がうかがえた。駅からのバスは既になく、といってタクシーですぐ家に帰るのも恐ろしく、私は家まで30分かけて歩くことにした。
 私は家に帰ったときの情景を思い浮かべた。それは恐ろしいものだった。多分夫は大声を上げ、私を罵倒し、暴力が出る可能性もあった。私は思った。そんな危険が待っている家に私は帰るのか。暴力を受けるかもしれないとわかっていて、わざわざ家に帰るのか。私はいったいなんなんだ?こんな夫と生活してどんないいことがあるんだ?

 私はお酒の勢いもあったせいか、また、もう夫とは別れてもいい、という開き直りの気持ちがあったせいか、夫への怒りがこみ上げ思わず声に出して『今度こそ、やられてなるものか、負けてなるものか』『やってやる、やってやるんだ、』と何回も自分に言い聞かせた。もう夫にやられてうちひしがれる惨めな自分にはなりたくなかった。夫にただ踏みにじられるだけの自分にはもうなりたくなかった。私は私に呪文をかけるように『負けるもんか、こんどこそやってやる』とひたすらぶつぶつ言いながら家に向かった。道行く人から見たら、私は少々物騒な女だと思われたことだろう。冬だったが歩いているうちに体も熱くなった。

 家に帰ると予想通り、夫は恐ろしい形相をして待ち受けていた。そして私に向かって「こんな遅くまでいったいどこをほっつき歩いていたんだ!!おまえは何様のつもりだっ!!」と大声で怒鳴った。次の瞬間私は大声で怒鳴り返した。「私だって仕事のことなんかでいろいろ話すことがあるんだっ!」夫は驚いて手を振り上げ、私に向かってきました。私は心の中で『もう今までの私じゃないぞ、やってやる!』と固くつぶやき、私も両手を構え、夫に向かっていった。そしてとっくみあい、転げ回り、殴り合いの喧嘩をした。

 時間にしたら、多分15分くらいのことだったと思う。お互いに肩で息をしながら、睨みつつ離れた。私は唇を切ったが、けっこう互角にやりあえたように感じた。
いつもだったら、夫の大声に怯え、凍りつき、すぐ謝る私が夫に向かっていったことは、夫にとっても驚きの展開だっただろう。その後夫は呆然と部屋にこもって寝てしまった。

 私は我ながらすごいことをしてしまった…と思い、これからどうなるのか不安でもあった。だがそれより何より、とっくみあいをしたお陰でとっても気持ちがすっきりした。鬱々とした負のエネルギーが一気に放出され、俄然闘志が湧いてきた。もっと早くしておけばよかったと思ったくらいだ。これからは体を鍛えて、いつでも夫を迎え撃てるようにしなければ!何がいいかな、空手、少林寺拳法なんかいいかな、と、私は興奮していた。自分がこんなに抵抗できる力があったことが嬉しかった。

 翌日、夫は超不機嫌で始終無言だった。私は昨晩の闘志はどこへやら、また夫の顔色を窺いつつ、ひたすら無言で過ごした。急に夫の逆襲が恐くなったが、夫はただ黙っているだけだった。

 その後夫はしばらく不機嫌だったが、何だかおとなしくなった。大声を上げたりすることが非常に少なくなった。そして暴力や、物を壊すことはまったくなくなった。なんとそれから1年くらいは、ほぼ穏やかな落ち着いた生活だったのだ。
 私の決死の抵抗の効き目だったのか?何かあったら、またやってやる、と思いつつ別居までそんなとっくみあいをすることはなかった。私にしてみたら夫に正面から向き合った、最初で最後のとっくみあいだった。

優しさの裏側

2005-09-24 23:53:07 | DV
 あの秋刀魚事件の後、夫は機嫌良く過ごしていた。私はといえば、職場から帰宅する時間に神経をとがらすことになった。夕方5時5分前になると「早くこの仕事を終わらせなければ…」と手が震え、5時5分過ぎれば気もそぞろに職場を後にした。他の社員は「大変ね~」と同情とも嫌味とも思える言葉を私にかけ、私はただひたすら「すみません。お先に失礼します!」と言うしかなかった。

 ある日のこと、スーパーで買い物をして急いで家に帰ると夫が夕食を作っていてくれた。「おかえり。夕食作ったから。ちょっと味付けがうまくいかなかったんだけどね。」私は驚きながら「わぁ~、ありがとう。おいしそうだね。ほんとにありがとう。」と精一杯笑顔を作り、感謝を示した。夫は「ウメの帰りが遅くなりそうだったら、僕がこうして夕食を作って先に食べていればいいんだよね。」と言った。そうか、夫は怒ったりしながらも自分で努力しようとしてくれているんだ…私は感動した。結婚生活ってこうやって2人で生活を作っていくんだろうな、としみじみ思った。
 
 その後の数日間、夫は時々夕食を作ってくれた。ただ夫は「今日夕食作るから」とは絶対に言わなかった。いつ作ってくれるのか、それは夫の気分次第であり私から聞くことは出来なかったので、私は相変わらずスーパーで買い物をして急いで帰宅した。食材が無駄になってしまうこともあったが、せっかく夫が努力してくれているのだからそれも仕方がない、と思っていた。

 その日も夫は夕食を作ってくれていた。昨晩残った豚汁を温め、いくつかの副菜を用意していてくれた。夫は「おかえり」と声をかけ、私は夫にお礼を言い、夫と共に食卓についた。
 私は夕食を食べながら「最近仕事が大変でね…職場でこんなことがあって嫌になっちゃうよ…」と夫に愚痴った。いきなり夫のスイッチが入った。

 夫は突然バンッとテーブルを叩いた。「ふざけるんじゃないよっ!!何で俺はおまえの仕事の愚痴なんて聞かなくちゃならないんだよっ!!何で俺がおまえのために夕食を作らなくちゃならないんだっっ!!え!?」夫の罵声は酷くなる。私は不意打ちをくらい、頭の中が真っ白になった。夫は「冗談じゃないよっ!甘えるのもいい加減にしろっ!!そんな仕事なんてやめちまえっ!!」と叫び豚汁の鍋をテーブルに叩きつけた。豚汁が天井にまで飛び散った。そしておかずが盛りつけてあったお皿を持ち、床に思いっきり投げつけた。お皿のかけらやおかずがあたりに散乱した。あまりの壮絶さに私は泣きながら「やめて~、やめて~!どうして~!」と叫んでいた。そんな私の顔を夫は叩いた。
 あまりに信じがたい光景だった。これは何なんだろう?私の話しがそんなに悪かったのか?でもそうであっても、何でこんなに夫は暴発するのだろう?何が何だかわからなかった。私は洗面所にかけこみひとしきり泣いた後(でも早く泣きやまないと夫にまた怒られるのではと怯えてもいた)、飛び散った汁がかかって汚れた顔を洗い、台所やテーブル、床を片づけ始めた。夫は居間のソファーで背中を向けてふてたように寝っ転がっていた。

 夜も遅くなった頃、夫は私に「まあ、ここに座れや。」と話しかけてきた。私は身を固くした。「さっきは悪かった」「俺も努力してるんだよ。わかるだろ?」「それをウメがグチグチ言うもんだからカッときちゃって。」「だって一生懸命夕食を作って妻を待っていたら、いきなりグチだろ?これはないだろう。」「まあ、でも俺も少しは夕食の時間を考えた方がいいかもしれない。」…夫はひとりでしゃべっていた。私は感情も、思考も麻痺したまま、虚ろな目をして夫の話を聞いていた。何もかもが現実とは思えなかった。

 結婚して1年目、初めての夫の暴力だった。