こころの声に耳をすませて

あの結婚生活は何だったのだろう?不可解な夫の言動はモラル・ハラスメントだった…と知ったウメの回想エッセー。

ゴキブリ退治

2006-06-13 00:16:20 | モラ夫の特徴
 先日、職場にゴキブリが出た。お茶を入れようと、同僚と私が台所に向かったら、流しの真下の床にゴキブリがっっ(>_<)!!ゴキブリ走る!「ゴッ…ゴキブリッ」叫び逃げる私達!! 私達の叫びを聞いた男性社員が登場し、社内新聞を丸めながらゴキを窺う。「あそこの陰にいるよっ」涙目で訴える同僚。男性社員がそろ~っと近づき、社内新聞を振り下ろす。バチィィィッ!!…哀れゴキ…吹っ飛んでバラバラ死体に…。叩いた男性社員はそれを見て「うっ…」と呻き、他の男性社員がティッシュを何枚にも重ねてバラバラになった死骸を丁寧に拾っていった。
 はぁ~~、ゴキ退治終了。ありがとう男性社員たちよ…。

 そして連鎖反応のように、我が家にゴキブリが出た。トイレに入り、ふと壁を見たらなぜか巨大ゴキブリが……「…っ!!」声も出ずにトイレの外に吹っ飛んで出た。引越して以来ゴキなんて出なかったのに!きっと外から入ってきたんだ…。あぁ…こういうときにひとり暮らしは困る。これをどうやって退治したらいいのだろう…。黒光りする体、トゲトゲのある黒い足…。泣きたくなった。誰かに退治してもらいたい。でも誰に?今すぐゴキブリ退治に来てくれる人なんて誰もいない。滅多に会わないお隣さんだって呼ばれたら迷惑だろう。時間が経てば、ゴキブリはどこかに隠れてしまう…。

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 モラ夫と暮らしていたときにもゴキブリが出た。「ゴキブリがっ!」叫ぶ私のそばをのぞき込む夫。ゴキブリは冷蔵庫の後ろに逃げ込んでいった。「どうしよう…」と言った私に、夫は思いついたように「ちょっとコンビニに行ってくる」と言い、すぐ家を出て行った。私は夫がコンビニに行き、ゴキブリ用の殺虫剤あるいはゴキブリホイホイを買ってきてくれるものと思い、待っていた。
 夫が帰ってきた。私は駆け寄り「殺虫剤買ってきてくれたの?」と聞いた。夫は言った。「は?そんなもの買ってこないよ。俺の飲むビールを買ってきたんだよ。ははは」と笑った。私は頭をガツンッと殴られたような衝撃を感じた。夫の言葉を反芻し、呆然と立ちつくした。「ビールカッテキタ?」ゴキブリを目の前にし、ゴキブリ退治をするために必死でいる私を見ながら、奴はそれを全く無視してビールを買ってきたのだ。そして夫はテーブルに座りビールをひとりで飲み始めた。
 私は夫の行動に心底寒気がした。これは何だ?これが夫婦といえるのか?ゴキブリを見ながら、全くそれを無視してビールを買ってくる夫がこの世界のどこにいる?ここにしかいないっっ!!…私の心は氷のように凍てついていた。やっぱり、やっぱり、いつも何度も思っていたけれど、そのたびに思い直したけれど、やっぱり夫はもう言葉の通じない異生物だったんだ。こんな男とはもう暮らせない…。
 私は凍てついた心のまま、ミルクパンでお湯を沸かした。これは母親がよくやっていたゴキ対策だった。お湯をグラグラと沸騰させながら、そろそろと冷蔵庫を動かした。するといた。じっとしているゴキが。私はミルクパンを火からおろし、そろそろと近づいた。狙いを定め、ゴキに向かって熱湯を浴びせた!じたばたするゴキ。少しするとゴキは息絶えた。なんとか新聞紙でつまみ、処分する。そして熱湯をボロ布で拭き取った。青ざめながら処理している私を夫はのぞき込んだ。「あ~、熱湯でフローリングが変色してるよ。おい、それなんとか直してくれよ」不愉快そうに嫌味を言う夫を私は無視した。何が何とかしてくれだ!何もしなかったくせに。あの状況を無いことのように振る舞い、自分のことしか考えない夫なんて、もう何の役にも立たないし一緒に住む理由も無い。
 私の心は冷たい炎に覆われていた。ほんとに信じられない。こいつとはもうおしまいだ。言葉も全く通じない。すでにモラハラという言葉を知った後の出来事だった。

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 そうだ、私は夫と住んでいたときも、ゴキブリ退治をひとりでやってのけたのだ。私はひとりでできる。何とかやらなければ…!私はこの前男性社員がしたように、新聞紙を丸めてゴキブリに近づいた。ゴキはじっとしている。私はゴキを叩こうとした。そして会社で叩かれて飛び散ったゴキの死骸を思い出した。…だめだ…飛び散った死骸、ゴキの体液を拭き取るのは耐えられない…しかもはずしたらどうなるのだ?私に向かって飛んでくる可能性大!!ぎゃ~っ!私は心の中で叫んだ。
 そして必死で考えた結果、マジックリンをかけることを思いついた。そう、結構ゴキは洗剤類でも死ぬのだ。最近の住宅用洗剤は、泡がよく固まって噴射する。よし、それでいこう。私はマジックリンを片手に持ち、ゴキによ~く狙いを定めて思いっきり噴射した。狙い的中!私は何度もゴキに噴射した。ゴキは驚いて歩き出したが、泡にやられてモタモタとしている。更に泡まみれにしたらついに動かなくなった。そして死んだ。やった~~っゴキ退治完了!しかしその死骸をつまむのにも相当勇気がいったが、何とか処分した。はぁ~~、恐かった~~~っ(>_<)

 こうやって私は生きていくのだろう…ゴキを退治しながら…うぅ。しかし恐るべき住宅洗剤の殺傷力…皆さん、住宅用洗剤の取り扱いには注意してくださいね。なにせ殺虫剤替わりになりますからね。。。

内面と外面

2006-01-15 18:14:53 | モラ夫の特徴
 夫の身内に対する態度は、明らかに尋常ではなかった。もちろん、妻である私への態度は今まで述べた通り怒りと不機嫌と無視等モラハラの嵐だったが、自分の親兄弟に対しても常に怒りの気配を漂わせていた。以前夫の実家に泊まったとき、夫は母親に対して優しい言葉をかけていたと思ったら、母親の些細な言動に腹を立て怒声を浴びせた。そして母親が楽しみにしているテレビ番組について「こんなくだらない番組みるんじゃないよ」とテレビを消した。そんな時、母親は黙っていた。あるときは陰で泣いていた。そんなとき、私も夫が怖くて黙っているしかなかった。夫の兄弟の家に遊びに行ったとき、夫は家に上がったとたん「汚い家だなあ。掃除してんのか?」と悪態をついた。そして自分の姪や甥に対して、「おまえはバカだからなあ」「アホだからそんなことしかできないんだ」と笑いながら話すが、冗談ともとれないたちの悪い内容に、皆引きつった笑いを浮かべるだけだった。
 ある日、夫の父の何回忌かの法事があった。仏壇がある夫の実家で行うことになったが、そこでは夫がすべてを取り仕切った。仕出し料理なども夫が注文をした。法事が始まる前、親戚が実家に訪れ、夫は機嫌よく挨拶をしたが反面何か威圧的な態度を取っていた。お坊さんの読経が終わり、皆で料理を食べ始めたときも何か異様な雰囲気だった。周りは皆夫の機嫌を窺っている。夫は周囲に気前よくお酒を勧めながらも、ピリピリしたオーラを発散させていた。そんな中私は夫から「冷蔵庫からもっとビールだして」「ティッシュとって」と矢継ぎ早に命令され、席を温めるひまもなかったが、その中にとどまらずに済むことで返ってほっとしていた。夫はどうしてこんなに神経質になっているのか、私には理解できなかった。

 反面、外面はとてもよかった。夫の友人が家に遊びにくれば、夫自らの手料理でもてなした。さっきまで仏頂面していたのにもかかわらず、私に笑顔を向けながら「僕はわがままだから、ウメは大変だと思うよ」と、友人に話す。その当時私は「ああ、夫も本当はそんなふうに思ってくれてるんだ」と勘違いしていた。

 ある時、夫は不機嫌に夕食をとった後、大きな溜息をつき「近くのスナックに行ってくる」と出て行った。どうせ私の作った料理が気に入らなかったのだろう、と思いながら片づけをしていたら電話が鳴った。電話は夫の職場関係者で、どうしても早く確認したいことがあるので連絡欲しい、と言った。私は仕方なく夫を呼びに行くことにした。家から歩いて10分ほどのスナックに夫はよく入り浸っていた。店のドアを開けると甲高い笑い声が聞こえた。夫がこちらを見る。夫も笑っていた。「おう、どうしたんだ」「職場の人から電話があって、○○について確認したいっていうから早く伝えた方がいいと思って」夫は「ああ、まあ今すぐじゃなくてもいいや。(ママに向かって)これ、僕の奥さん。ウメちゃんも一緒に飲め」と言うので椅子に座った。ママが私に挨拶をしビールをついでくれた。夫はひたすら上機嫌だった。「ウメちゃん、ここのママはとっても歌がうまいんだよ~、ママ、歌ってよ~」そしてママが歌った。「ね、すごくうまいでしょ?ウメちゃんもそう思わない?」と満面の笑みで私の肩に手をおいた。ママは「そんなことないわよ~、○○さん(夫)の歌のほうが最高よ!」とはしゃいでいる。
 私は目の前の光景を見て吐き気がした。このところ夫は私と1ヶ月以上も話さず、常に怒りのオーラを出していた。それがこの態度は何?この笑顔は何?こいつは二重人格か?夫への嫌悪感でじくじくとしながら「片づけが残ってるから帰るわ」と私は席を立った。夫は「僕はもう少しここにいるからね~」と私の背中越しに言った。帰る道すがら、私の心は夫への憎悪が湧き上がっていた。どうしてあんな態度がとれるのか?まったく信じられなかった。胸が腐りそうだった。
 
 そしてある日、夫は「職場の若い子達を今度の土曜日呼ぶから」と言った。夫は職場では気に入った後輩達と一緒によく飲みに行き、奢ってあげているらしい。そこで夫の家に行ってみたい、という話しになったようだ。私は憂鬱だった。どうせまた虚構の夫像を見せつけられるのだと思うとやりきれなかった。が、どうしようもできない。
 その日、家に来たのは若い女の子ばかりだった。仲良しグループらしい。「お邪魔しま~す」「はじめまして」と、彼女たちは家に上がった。私がお茶の準備をしている間、女の子達はテーブルに集まり、夫の人生訓みたいな話しを聞いている。夫はそんな話しが好きだ。自分の至らなさをもっともらしく吐露しながら、人生とは、生きるとは、みたいな理想論をぶつのだ。彼女たちは、神妙な顔で聞いている。夫が大好きな構図。私は心の中で大きな溜息をつきながら紅茶を入れ、皆に出した。そして用事があるから、と私は自分の部屋に引っ込んだ。夫は私が一緒にお茶を飲み、彼女たちと話すのを嫌がる。お客さんとの些細なおしゃべりについて後から「あんなことよく言うな…おまえは何様だ!」と夫から言われるのがおちだ。よく言われたことだ。
 しばらくしたら、話しが盛り上がっているようではしゃぎ声や夫の笑い声が聞こえる。むかむかする気分をこらえた。そして夫が私を呼んだ。「お~い、こっちきて写真とってくれないか?」女の子の1人がデジカメをもってきていた。私は努めて笑顔を作り、デジカメを受け取った。夫の周りを女の子達が囲む。夫は、私には既にまったく見せることもなくなった、嬉しそうな笑顔を作っていた。私が「皆が入らないからもう少し寄ってみて」というと、夫は「もっと寄って!」と女の子達に声をかけ両脇にいる女の子の肩を抱いた。その瞬間私の中で怒りがこみ上げた。私は必死に笑おうとした。「はい、チーズ」夫が「もう一枚」と言った。私は夫の笑顔を見て、憎悪で目がくらみそうだった。やっとの思いで写真を撮り、デジカメを渡した。私は「ごゆっくり」とかろうじて皆に笑顔を向け、また部屋に引っ込んだ。

 私はやり場のない憎悪に覆われ、何もかも破壊したい衝動にじっと耐えた。もうだめだ、もう耐えられない、こっちがおかしくなる。こんな嘘と憎悪にまみれた生活はもうたくさん…もうたくさん!!

無関心と監視

2006-01-07 17:45:34 | モラ夫の特徴
 夫は、私が感じていること、私の想い、私の意見、私の親兄弟のこと、私の仕事のこと等全く無関心だった。結婚して始めの頃は私の話しも聞いてくれたこともあったし、私の会社で行われた大きなイベントを見にきてくれたこともあった。しかしそれは後から考えると、妻の周囲にはどんな人間がかかわっているか、という身辺調査みたいなものだったようだ。ある程度私のことを把握できると、それ以上に関心を寄せることはなかった。

 私が職場の話しをすると、「そんな話しはつまらない」とあからさまに嫌がった。私が何かに対して意見を言うと、「そんな屁理屈言うな」「女は黙っていればいいんだ」と不機嫌な顔で答えた。
 私が怪我をしても、風邪を引いても、無関心だった。むしろ咳き込んでいたり、よく鼻をかんだりしていると「うるさい」「耳障りなんだよな」と冷たい目を向けた。
 私の祖母が亡くなったとき、遠方でありまた夫は全く会ったこともなかったので、私だけが葬儀に行った。そして家に帰ってきても、夫は私に「大変だったね」とか「どうだった」の一言もなかった。私が祖母の思い出などを話そうとしても「あっそう」と顔も向けずにテレビを見ていた。
 私はただ寂しさをこらえてぽつんと立ちつくしていた。

 しかし反面、夫が把握していない私の友人知人関係には過剰に反応した。例えば、家に電話がかかってきて夫がとる。相手は私を呼び出すが、夫は自分の知らない名前の人間だと私に受話器を渡しながら「どこの誰?」と聞いた。また、かかってきた電話に私が出て話しをする。そして相手が懐かしい友人だったりしてつい話し込んだりすると、夫はそばで「もういい加減に長電話はやめろ」とドスのきいた声をだした。そして私が電話を切ると、「どこの誰としゃべってたんだ」と執拗に聞いた。
 私は自分で家の電話をとることが恐くなった。まず夫に相手を確認させたほうが気分的にまだましだった。そして、私は夫を安心させるため、日頃つき合いのある友人には必ず一度は家に遊びにきてもらった。そんな時、夫は愛想良く友人と話す。すると次回にその友人から電話があったときには、夫も愛想良く挨拶をして私に取り次いでくれるのだ。

 夫はたまに私の職場に電話をかけてくることもあった。私は仕事中に同僚から「ご主人から電話」なんて言われると、何事かと思ってびっくりするのだが、いざ夫と話すと特に大した用事はないのだ。「あのビデオどこにしまった?」みたいなことだ。また、ある時私は他の会社に営業を兼ねた挨拶に行くため、普段の服装とは違うスーツを着て出勤した。そんな私を見て夫はきっと「今日はいつもと違う」と感じたのだろう。昼間、私の会社に電話をかけてきたのだ。夕方近くに私が営業を終え、会社に戻ると上司が「ご主人から電話があったけど外出してると言っておいたよ」と言った。私は「何か急用だとか言ってましたか?」と聞くと、「いや、そうですかって特に急ぎとは言わなかったけど」とのことだった。私は嫌な気分になり、そのまま家には電話せずに帰宅した。私はあえて夫に電話のことは聞かなかったが、夫も会社に電話したとは全く言わなかった。案の定用事なんて特になかったのだ。
 そして私が一時歯医者に通っていたとき、なぜか夫はよくついてきた。予約はたいてい土曜日の午前か午後になる。そして歯医者は電車に乗って10分くらいのところにあったのだが、私が「歯医者に行ってくるから」と言うと「じゃあ俺も行くよ」とついてくる。そして私が歯医者に行くのを見届け、治療を受けている間は近くの喫茶店に入って待っているのだ。そして終わると一緒に家に帰る。その時特に会話もないのだ。私は当初、夫が私のことを心配してくれているのかと思っていたが、どうやら監視しているのでは?と感じ始めた。会社に電話したように、私が本当に歯医者に行っているのかを確かめているのではないだろうか。

 極めつけは、夫が出張に行ったり、職場の忘年会などで夜遅い帰宅になったりする時、必ず電話を入れてきたことだ。例えば夫が土日泊まりがけで出張に行った日。私も仕事が休みだとわかっている夫は、まず土曜日の昼間に家に電話をかけてくる。私は夫がいないので、友人と外でお茶をしていたりするわけだが、その頃家の留守電には夫からのメッセージが入っている。「今出張先につきました。ホテルは○○に泊まります。」そして再度夜8時頃夫から電話がかかってくる。私が電話に出ると「昼間はどこに行ってたの?」と言う夫。「買い物してたんだ」「あ、そう。夕食は何食べたの?」「おいしそうなカレイの切り身が売ってたからそれを煮て食べたよ」「ふーん。じゃ、おやすみ」というやりとりをして終わる。
 こんなふうに、夫は私を監視した。まるで自分が妻を見ていないと、悪いことをすると思っているように。私は夫が家にいないときにも、夫の存在に怯えるようになった。

 ここでもし私が、夫がいないことを幸いと、友人と飲みに行ったり、長電話していたりすると恐ろしいことになる。
 どんなふうに恐ろしいか…皆さん、きっともうわかりますね…。


夫の鬱

2005-11-22 22:58:50 | モラ夫の特徴
 夫と闘った日から少したったある日のこと、夫は「ここのところずっとしんどい」「無気力で仕事をする気がしない」と言った。以前から何かがうまくいかないと、すぐそのようなことを言っていたが、今回は精神的な不調を特に気にしているようだった。そしてなんと自ら精神科の門をたたいたのだった。
 夫には『鬱病』という診断が下り、精神科の薬を飲むようになった。私は夫の病気の心配よりも、自分の安心感の方が強かった。私から見て夫は常に不安定で突発的な言動があり、神経過敏で意味不明なモラハラ行動を見ていると正常の精神状態とは思えず、ほとんど病気ではないかという感じだった。その対策として私の方が精神科あるいは心療内科にでも夫について相談に行き、夫用のきっつ~い精神安定剤をもらい、粉にして飲み物か食べ物に混ぜたろか!と思っていたくらいだったのだ。
 とにかく服薬してくれるようになってから、夫の精神状態が劇的に落ち着き、感情の起伏も少なくなった。私は胸をなで下ろし、心底ほっとした。
 
 ただ、夫は「鬱病になったのはおまえのせいだ」とことある毎に言った。私が掃除をしない、私がクリーニングに出すべき服を半年もおきっぱなしにしたからだと言った。夫の機嫌がいいときは「俺は高校生くらいから鬱気味だった」「不安定な性格だった」など調子よく言っていたが、私に対して気に障ると、すぐ私のせいだと言った。
 しかし、これまで私は散々加害者扱いされていたので、「私のせいにして気が済むなら一生そうしてくれ」と冷ややかな気持ちしか持てなかった。

 そしてある意味、夫がこうやって抗不安薬や、精神安定剤を服薬してくれなかったら、この先一緒に暮らせなかっただろう、とも思った。あのまま服薬せずに生活していたら本当にひどいことになっていただろう。常に神経が高ぶって、ピリピリして、些細なことで怒りを爆発させる状態の人間と一緒にいることに、私の心は疲弊し限界を感じていた。あの状態が続いていたら私はもっと早く家出か実家に帰るか別居していたかもしれない。
 そう思うと何か意味深い出来事のようにも感じるのだ。もしかしたら夫はあの闘いで私の捨て身な態度を察知し、私との生活を維持するために服薬したのではないか、とも思ったりした。夫は私の反撃で妻へのコントロール幻想を失い、不安に駆られたために「鬱」と名の付く病に逃げたのではないだろうか。

 私は鬱病について本を読んだりネットで情報を得たが、夫の状態と照らし合わせると、どうも首をかしげることが多かった。夫は本当に鬱病か?
 夫は鬱といいつつ、食欲旺盛で仕事もできたし職場を休むこともなかった。睡眠もよく取れているようだった。昼寝をしたり、夜中に起きたりもしていたが、生活の波は以前からもよくあった。総合的に判断すると、服薬のため単に精神状態が鎮静化されているだけのように感じた。もし本当の鬱だったら、もっと抑鬱状態が強く、働いたり日常生活を送ることすら億劫になるはずだ。
 また、夫に処方されている薬を調べると、主に安定剤と抗不安薬であり、鬱病という雰囲気ではないように感じた。私は更に精神疾患について調べた。そして、ある病名に行き着いた。そう、モラハラ被害者の方々にはお馴染みの『自己愛性人格障害』加えて『境界性人格障害』の要素もあり!?みたいな。私はこの頃、まだ「モラルハラスメント」という言葉を知らなかったが、今思えば、実はすぐそこまでモラハラの実態に迫っていたのだ!

 情報を集めながら私は思った。 このような人格障害の要素を色濃くもっている夫は、多分治療のしようもないような気がした。単に鬱病の名の下で薬物治療だけ受けていても、それは現実の生きにくさを紛らすための対処法で、根本は変わらない。よほど本人が自覚してカウンセリングでも受けなければ自分の行動を振り返ることは難しいだろう。私は夫にカウンセリングも勧めたことがあった。しかし夫は「そんな必要はない」と言い、行くことはなかった。夫は自分を見つめるなんて事はとても怖くてできないだろう。夫は自分にとって不快なもの、不安や痛みや恐れを感じたら、それを感じないように、見ないようにすることが先決なのだ。だから薬で紛らし、自分に目を向けないようにしているだけなのではないか。
 私からしたら常軌を逸する言動をとる夫は、誰とも生活できない人なのではないだろうか。そんな夫と生活している私は、もしかしたら困難にあえて立ち向かっているチャレンジャーなのかもしれない。そう思ったら、私が特に自己嫌悪に陥る必要もないのではないだろうか。夫が鬱というか、何か自覚して服薬しなければ、誰かと一緒に住むことなんてとても無理だったのだ。そうでなければ果てしなく悲惨な生活になるところだったのだ。
 私は、夫との生活をそんなふうに合理化した。

 夫の病院通いのお陰で、夫の言動は鎮静化され、私は夫と過ごす時間があまり苦にはならなくなった。むしろ信じられないことに、結婚して以来の平和な日々だと錯覚するくらい、楽しく過ごせるときも出てきたのだ。といっても、私は夫相手に完全にリラックスできたわけではない。夫に対して余計なことは言わず、顔色を窺いつつ、ではあった。既に私は夫に期待することも、理解してもらうこともあきらめていたので、夫がおとなしくなったからといって心を許したわけではなかった。でもこの停戦状態に、私はやっと緊張していた肩を緩めることができた。たまに夫は不機嫌にはなったが、むっつりしているか、ぶつぶつ言っているか、すぐ寝てしまうか、というおとなしい行動にとどまり、怒鳴ったり物にあたったりということもなくなった。

 私は「どうかこのまま夫が一生薬を飲んでおとなしく生活してくれますように…」と願った。そう、私は夫の病気が治ることを願うのではなく、服薬し続けることを願ったのだ。夫から離れるよりも、夫を何とかコントロールできれば一緒に暮らせる、という私の幻想。この幻想は1年くらい続き、夫婦らしい会話も生まれた。しかしこれはやはり幻想だったのだ
 1年後には厳しい冷戦が待っていた。

(しかしチャレンジャーと思ったりコントロール幻想をもったり…私はやっぱり共依存だと自覚…とほほ。)


*夫の病については、あくまでも私の主観、私が感じたことのみを記していますので、ご了承下さいませ。

夫の二面性

2005-11-14 23:47:14 | モラ夫の特徴
 私はどうして、夫からすぐに離れられなかったのだろう。あんなに酷い目に遭っていながら、どうして8年近くも一緒に暮らしていたのか。モラハラは既に結婚1年目から始まっていたというのに。
 同じモラハラ被害者の方々にも、もしかしたら言えることかもしれない。私の夫はモラハラを行いながらも、時にはほろりとするような優しさを見せた。その姿が夫の真実だと思えたのだ。

 夫は私に怒りを、憎しみをぶつけるときは徹底して私を蹂躙した。そしてひとたび怒りが爆発すると2~3時間の罵倒はざらだった。私は夫の感情を静めるために、ひたすら弱々しく刺激しないような態度を努めてとっていたものだった。
 そして恐ろしく不機嫌な夫の無視、大きな溜息、恐ろしい無言の形相が何日も続く。

 しかし、それこそまるで違う次元に入り込んだかのような優しさもあったのだ。そう、その時は、夫の怒りの態度を別次元だとも錯覚していたのだが。
 
 夫の機嫌のいいときは、私の名を「ちゃん付け」で呼んだ。仕事から帰ってくると、夕食を作ってくれ、私の子連れの友人をもてなしてくれ、子どもの相手も上手だった。私は冬などはよく足が冷たくて眠れなかったが、夫は私の足を自分の足の間に挟んで温めてくれた。夫は私の弟の慢性病を心配し、よく効くという高価な漢方薬を弟に送ってくれた。結婚してしばらくするまで、出勤するときは「いってらっしゃい」のキスをした。私が昼寝をしていたらそっと毛布を掛けてくれた。私の日本酒好きをしっていて、時々おいしい地酒を買ってきてくれた。仕事の資料作りで悩んでいるとき、それを自ら調べてアドバイスをくれた。おいしいレストランにも連れて行ってくれた。
 そして自分のことを「俺は弱い人間」「俺は自分とつきあうことが一番大変なんだ」「感情を抑えられなくて、つい酷いことをいってしまった。許してくれ。」と言った。

 私は、この優しい、内省的な夫が本当の夫だと思おうとした。いや、信じようとした。夫の罵倒、怒りや憎しみのつぶて…これは仕方のないことなんだ、夫は感情不安定で自分でもそれを苦しんでいる人間だ、だって極悪非道だったら優しいところなんてないだろう。こんな優しいところもある、だからこのぐらい我慢しなくては、長い目で見なくては、私も変わらなければ、もっと夫を受け入れられる度量の広い女にならなければ、夫婦は喧嘩しながらお互いの関係を築いていくものなんだから。

 モラハラ被害の残酷な点はここであろう。恐怖と残酷な日々、そして突然日だまりのような優しさ。これに翻弄されるのだ。鬼のような夫は、一時的なもの。優しい夫が本当なんだ。だから優しい夫がもっと現れるように、私が努力しなければならない。こうして夫から離れられなくなってくる。いつしか、優しい夫の姿も信じられなくなりながら、心が虚ろになって、夫の優しさも疑いながら、それでもふと「こんな夫が続いて欲しい」「もしかしたら、このまま優しい夫でいるかもしれない」「本当の夫の姿はこれなんだ」と思う。何度も何度も冷たくされながら、何度も何度も罵倒されながら、優しい夫の影にすがりついていたのだ。 見たくない夫の姿には蓋をし、記憶を封印して、次の瞬間には「夫には上手に付き合えば何とかなる」「夫は本当は優しい人なんだ」「ただ機嫌が悪かっただけなんだ」と無理に思い、夫に笑いかける私。

 私は常にその場その場の恐ろしい変化に、必死で対応していた。さっきまで激怒していたと思ったら、簡単に謝り機嫌よく笑う夫。私は混乱しひきつりながらも次の変化に合わせて笑っていた。私は何が本当で何が嘘なのかわからなくなっていた。何が現実で何が悪夢なのか。この夫の優しさは何?この夫の狂ったような罵詈雑言は何?私が努力すればいいの?そうすれば夫はもっと優しくなるの?私が悪いから夫は怒っているの?それとも夫は怒りっぽい性格だから仕方のないことなの?

 この堂々巡りで私の頭はすっかり考える力を失っていた。何が危険で何が安全なのかもわからなくなっていた。