こころの声に耳をすませて

あの結婚生活は何だったのだろう?不可解な夫の言動はモラル・ハラスメントだった…と知ったウメの回想エッセー。

今も『私』を生きてます(後日談)。

2018-06-01 22:04:48 | 別居その後
 このブログを始めてから15年が経つ。離婚して10年以上の年月が経った。そしてこのブログの更新を終えてから8年が経っている。この間も、この拙いブログに、本当に多くの方々が日々訪ねてきてくださっている。まだまだ多くの方がモラハラに苦しめられているという、その現状に胸が苦しくなる。少しでもこのブログが皆さまの役に立てることを願い、ずっと残してきた。もう記事は更新しないつもりだったが、ある衝撃的?な事実がわかり、改めて皆さまに参考にしてほしいという気持ちになった。

 ブログ最後の更新から8年。私はおひとりさまを満喫している。仕事を続け、時に残業や出張もし、仕事仲間と飲み、友人と遊び、人とのつながりは人付き合いが制限されていた結婚生活の時よりも格段に増えた。自分が落ち着ける住居を持ち、家に帰れば、誰一人私の生活を脅かす人はなく、家の中のストレスはゼロの生活。家に誰もいないことの幸せは、他の人にはわからないだろう。家の中には私以外に誰もいない。誰にも気を遣うこともなく、私のペースで過ごし、私の好きなものに囲まれ、好きなメニューを作り、好きなものを食べ、心からリラックスできる。そんな生活ができることは本当に幸せだと実感する。こんな生活が待っているとは、あの頃は、そう、結婚生活を送っている頃は1ミリも思えなかった。結婚生活は幸せの生活であるはずだという、世間の思い込みがある。しかし配偶者の要求に縛られ、逆に誰とも交流する機会が持てずに孤立することがわかり愕然としたことを覚えている。
 ただ、少しずつ脱出をイメージし、それを実現すべく、いろいろな状況をシミュレーションし、それに向かって行動したことによって、今の生活を作り上げることができた。また多くのモラハラ被害を受けた仲間たちの共感と励ましがあってこそ、前に向かって一歩一歩進むことができたこと、それが何よりの私の力になった。おかげで、今は仕事も生活も人間関係も充実しており、幸せでありがたく感謝の思いでいっぱいだ。私は心から離婚してよかったと思っているし、不安はあったものの、おひとりさまになってからこそ、様々な人とのつながりを自由にもつことができ、人生が広がった。

 ところで、先日デパートで知人とばったり会った。その知人とは、私がかつて結婚生活を送っていた時の、元夫との共通の知人だった。その知人は優しくユーモアにあふれたとてもいい人だった。私は懐かしく声をかけ、その知人も15年ぶりくらいにもかかわらず、覚えていてくれ再会を喜んでくれた。立ち話でお互いの近況などを伝えあった。私は「私、あの人と離婚したんですよ」と伝えた。知人はそのことを元夫から聞いて知っていた。
 そして「こんなこと言っていいのかどうかと思うけど…その後結婚したこと知ってる?」と言ったのだ。私は一瞬誰のことを言っているのかわからなかった。「え?もしかして元夫?」というと言いにくそうにうなずいた。そして知人は言葉を続けた。「でもその2年後に離婚したんだよね。」「は?やっぱり!?ひとりで生きるのは嫌な人だとは思っていたけど…バカは死んでもならおらないって奴ですね」と思わず言ってしまった。「う~ん、やっぱり彼は結婚には向かないと思う。誰かと暮らしても…難しいよね。ひとりで生活したほうがいいんだろと思う…相手も知ってるけど、いい人だったよ。」と知人は言った。奴は今、両親のいなくなった実家で暮らしているという。

奴がまた結婚…馬鹿じゃないか。奴はいつも夢見ている。今度こそ、自分の理想とする自分の要求を100%叶えてくれるエンジェルが、あるいはビーナスが現れるはず、と。しかしそれは人間ではないので、人間である私たちにとっては過酷な要求となるのだ。誰も自分を無にして相手の要求を呑める人はいないし、要求はかなえられない。なぜなら、モラの要求は常識を超えているから。相手を自分の意思をもつ人と思っていないから。そして相手は自分の欲求を満たすためにのみ存在すると思い込んでいるから。

 私は改めて心から思った。モラは死んでも治らない。奴は4回目の離婚をしたのだ。まだわからないのか。いつまで学習せずに繰り返すのだろう。いつまでも自分に責任がもてず、誰かに依存し自分の世話をさせるために、誰かを犠牲にして人のせいにし続けるのだ。救いようのない存在だ。人の言葉も心も通じない。いつも自分が正しく相手が悪い。反省もないから同じことを平気で繰り返している。以前の結婚は失敗だった。なぜなら妻は俺様の言うことを100%叶えなかったから。でもいつか俺様の欲求を100%叶えてくれるビーナス(あるいは理想のマザー)と出会えるはず、と。その頑なマイワールドを勝手に相手に押し付けるのだ。
 モラは死んでも治らない。反省もない。外面よく、美辞麗句を並べてもそれは自分に酔っているだけ。他人からの助言も受け入れるふりをしながらも、いっさい受け入れることはない。なぜなら、俺様が一番正しいと思い込んでいるから。

 改めて思う。「モラは死んでも治らない。」

 あの頃、私も何とか元夫にわかってもらおう、理解し合いたいと四苦八苦した。しかし何度も蔑まれ足蹴にされ、それが叶わないと心底から思い知らされ、相手が死んでほしいとまで思いつめ、その後脱出するに至った。脱出したら、平安と自分の希望があった。私は脱出してから、そして離婚してから本当に幸せだ。私は私の人生を生きている。特段ドラマチックな展開もないが、ごく普通に生活し、働き、自分の給料を搾取されることもなく、夫の理不尽な要求に束縛されることもなく、自分の望む人たちとつながることができる。それがどんなに幸せなことか、自分が自分でいられることか。それは、あたりまえのことでかけがえのないことである。
 夫婦でごく普通に会話し、冗談を言い、相手に要求している知人友人をそばで見ることがある。それはとても不思議な光景に見える。私と夫はどうして普通の会話ができなかったのだろう。私はごく普通におしゃべりし、冗談を言い、お互い気兼ねなく何でも言い合いたかった。でもそれは叶わなかった。どうしてあんな相手を選んでしまったのだろう…と思う。ただ、それは多くの人々の中からたまたま出会ってしまった交通事故のようなものであり、自分自身が悪いのでは決してないのだ。
 あれから長い年月が流れ、今だから思えることは、あの結婚生活も私の人生のプロセスであり、あの体験から学んだからこそ、その後の充実した人生が待っていたと思う。あの最悪な日々を思うたび、すべての日常のごく普通に過ぎていく出来事や、ささやかなことにすら幸せを感じるようになったからだ。心穏やかに部屋の中で過ごせること、見たくないテレビ番組は見なくていいこと、自分の好きな食材を買って料理すること…こんなことは他の人にとってあまりに当然のことで、取り立てて幸せなこととは感じないかもしれない。しかしそんなことにも幸せに感じることが、普通に生活できることへの感謝の思いで心が満たされるのだ。

 今、相手とのモラハラ関係で悩み苦しんでいる方々に伝えたい。「モラは死んでも治らない」ということを、決して自分の理不尽さを理解できないということを。離婚してから何年もたった後、改めて思い知った私の経験を、ぜひ申し伝えたく、休眠ブログを更新した次第です。

 再度繰り返します。「モラは死んでも決して治らない」。

相手への期待はもうやめて、大切な自分の人生を大事にしてください。
やり直しはいつでもできます。
今がどん底なら、あとは上がるだけです。
あなたは、自分を助けることができます。
モラハラから離れることを思い続けていれば、自分のタイミングに合った「その時」がきます。
あきらめずに、行動さえすれば、自然と望む方向にいくでしょう。
他人と過去は変えられませんが、自分と未来は変えることができます。
しかも、いい方向に。

これはモラハラ被害に遭った、私自身の真実の経験と実感です。
縛られて何もできずに固まっていた私でしたが、今だからこそ伝えられます。
私はモラ夫と離れ、いろんなできごとがありつつも本当に自由で幸せな人生を送っています。

どうかあなた自身の、ただ一度のかけがえのない人生を大切に。
あなたは自分を助け、自分を生きることができる。
そう信じています。
あなたの勇気の一歩を応援しています。


ウメより


 

『私』を取り戻した日

2006-10-10 23:11:34 | 別居その後
 2年前の今日、私は夫の元を離れた(別居)。
 この日までどんなに葛藤したことだろう。どんなに悩み、苦しんだことだろう。夫の望むようにと思いながらも、それが叶えられない激しい焦燥感。そして、夫への憎悪に焼き尽くされそうになった自分自身への恐怖(私の怒りマグマ)。
 私は常に夫に振り回されていた。夫の顔色ばかり窺っていた。夫の望むように生活しようとした。そして私はもう少しで私を見失い、殺してしまうところだった。それくらい、私は自分を極度に追いつめていた。

 別居した当初は、夫への怒り、築き上げていくはずの生活が崩れ去ったという深い喪失感、今までの生活は何だったんだろうという虚無感など、様々な感情の嵐に苛まれた。しかし、同時に自分の時間を大事に過ごすことのできる喜び、穏やかな空間に身を置ける安心感、自分を罵倒する人間がいないことによる精神的な安定感を抱くことができ、そのことから、私はこれで良かったんだ、と思えるようになった。

 最近はふと思うのだ。あの結婚生活は何だったんだろう、と虚しくもなるが、あの生活で喜びもあり、笑いも楽しみもあった。絶望も血を吐くような苦痛も、ハラワタが煮えくりかえるような怒りもあったが、いろいろなことを経験し、学んだ。あの結婚生活を美化するつもりは全く無いが、あの時間も私の人生のある過程なのだろうと思えるようになってきた。そして、これからどんな生活になろうとも、どんなに苛酷な体験があろうとも、それも私の人生なのだ。私は私として、『今』を選択し、『今』を行動し、『今』を生きている。今、私は初めて他人に振り回されない、他人に縛られない人生を生きているように感じる。かつてひとり暮らしをしていた時、それなりに楽しかったが、何かに縛られていた。それは他人の目、あるいは世間の目、親の目、同世代の目…だったかもしれない。

 私は夫から離れ、初めて自分の生活を自分自身の足で手に入れたのかもしれない。だから、そういう意味で、これからが私が私として生きる、本当の人生なのかもしれないのだ。様々な体験が私を成長させ、私に力を与えたと思おう。そうでなければ、あの結婚生活は無意味だった、と私自身を否定することになる。人生、思いがけないことは突然降りかかってくるものだ。しかしそれは自分が悪いからではない。人生につきものの『偶然』というシロモノなのだ。偶然は、いつも手を変え品を変えやってくる。それに自分として、どう対処し、どう乗り越え、どう消化していくか、なのだろう。変えられるのは、『自分』と『未来』。例えモラ夫を選んだとしても、そこから気づき、対処し、自分で自分のこころの声のする方へと修正すればいいのだろう。

 これはある過程。このモラハラ経験で、私はたくさんの方々とこうして知り合うことが出来た。それもすごいご縁。私は、そこで同じ体験をもつ方々同士のパワーを心底実感した。こういうパワーを知ることも、私に必要なことだったに違いない…そんなふうに思う。

 私は今の『私』でよかった。どこへ流れていくかわからないが、私は『私』を信じたい。もう誰かに振り回される人生はやめよう。もしかしたら、振り回されるかもしれない。でもその時の自分を感じよう。私はこれからもいろいろな失敗を繰り返すだろう。でもその度に、修正することも覚えるだろう。いつでも考え直すことができるし、いつでも進む道を変更することができる。きっとできる。。。

そんな勇気を得られた『今日』の日だった。




奇襲

2006-06-06 21:14:21 | 別居その後
 ある日、いつものように仕事から帰り、簡単な夕食を作ってビールを飲みながらぼーっとテレビを見ていた。食べ終えた後は食器を片付け、お風呂に入る。バスタオルで頭をゴシゴシと拭きながら部屋を歩いていたとき、電話が鳴った。時間を見ると夜11時過ぎ。こんな時間に…誰だろう、緊急だろうか、なんてちょっと用心しながら電話に出た。すると妙にハイテンションな声が聞こえた。

 「もしもし、俺、元気?」 誰?と思いつつ、もしかしたら学生時代に仲良かったノリオか?どうもそんな声のような気がする。そうなのかな?と思い、「ノリオ?」と言うと相手は「そうそう」と言う。「え~、久し振り~!元気?」「うん、元気だよ~。そっちは元気にしてるの?」「元気元気。まあ、何とかやってるよ~」と話した。「それにしてもノリオが電話くれるなんて、何かあったの?」と聞くと「うん、ちょっと話したくなってさ~」と言う。「そうなんだ~。急にどうしたのかと思ったよ~。人生に疲れたんじゃないの~(笑)?」「ああ。仕事が大変でさ~」なんてたわいのないことを話していた。私は久々にノリオと話ができ、ちょっと嬉しくなっていた。
 すると突然ノリオが言った。「ねえ、これからいいことしない?」「はぁ?」「ね、いいことしようよ」
 ノリオはおよそこんなことを言う男ではなかった。ごくさっぱり味の?あっけらか~んとした男友達だったのだ。私はふと疑いの目を向けた。そういえばこいつは自分が何者かはいっさい言っていない。「…あなた誰?誰なの?」私は受話器に向かって言ったとたん電話は切れた。

 げーっ!私みたいなおばさんに向かってイタ電か!?世も終わったモンだ…。それ以来そのイタ電はこなかった。後日、電話で弟にその話をしたら馬鹿にされた。「え~、ねえちゃん、ナンバーディスプレイつけてないの?」「つけてないよ~。だって月々300円かかるんだもん」「そんなのけちってどうするんだよ~!女のひとり暮らしは危ないんだから、それくらいつけろよ~!」「やっぱり危ないかな~。もう襲われる年齢でも無いけどねえ」「今は悪徳商法とか、妙なイタ電とかいっぱい来るんだよ。俺なんて非通知の電話は一切取らないぜ!つけるの当然だろ~!!ひとり暮らしなんだからさ~。知ってる電話番号しかでちゃだめだろ~?そんなのジョーシキじゃん!!」と説教された。
 しかしまだ付けていない…(爆!皆様はつけておられますか?)。

 そしてそのツケがやってきた。ついこの前、電話が鳴った。夜9時半くらいだった。ま、この時間の電話だったら、知り合いに違いない。私は何も考えずに電話を取った…モラ夫だった。実に1年半振りの電話だった。
「俺。お元気ですか。」…驚愕して固まる私…「はい、元気です」
「電話したのはお礼とお詫びが言いたくて連絡したんだ。」…私は頭が真っ白になった。
「あなたを最後まで愛していけなくて悪かった。こんな電話をしたのも、今のうちに伝えておこうと思って。」…今更なにを言っているんだこいつは!?と私は目を剥いた。
「これは詳しくは言えないが…ある事情でもう君と会えなくなるかもしれないから。」…一体何が言いたいんだ、と沈黙する私。
「事が済んだらほんとうは直接君にあってそのことを言おうと思ったんだが…どうなるかわからないから電話した。」…何を言いたいんだ?とたちまち疑心暗鬼な黒雲に覆われる。
「今週いっぱい休暇を取っている。この前子どもと会ってきた。あいつは俺のこと心配していたがな」…どうやら元妻の子どもには何かを伝えたらしい。ま、私にはどうでもいいことだ。
「それから今のマンションを売却しようと思っている。そのうち司法書士か弁護士から書類が届くので売却に関する委任状に判を押して欲しい」…「いいけど…」私との共有名義のマンションを売るらしい。
「もしかしたら俺も年だし…長くないかもしれない。俺の手帳にも何にも君の電話番号は載っていない。でも、何かあったら警察から君に連絡が行くと思う」…はぁ?まるで近々死ぬ予定のような話しっぷりじゃないの?
「マンションの合い鍵はいつでもポストの中に入れている。ポストの暗証番号わかる?」…「え?もう忘れちゃったよ」
「忘れたの。でも警察立ち会いのもとだったら、そのポストを壊してマンションの中に入れるだろう。まあ、憎まれっ子世にはばかるっていうから、しぶとく生きているかもしれないけどね、はは」…「どうしたの?どこか悪いの?」
「いや、まあそれはいいよ。」…「そう…」じゃあ言うんじゃね~よ!
「職場の休暇明けには辞表をだすつもり。もう仕事をやめようと思って。どうしても担当しているものは、他の人にお願いしなければならない。俺自身どうなるかわからないから」…沈黙する私。仕事辞めてどうするんだ?
「君は元気そうだね」…「まあ何とか生きているけどね」…私だって大変なんだ!と言いたかった。
「一緒に暮らしていたことのお礼と、お詫びを言おうと思って電話したんだ…」…「そう」と言い沈黙する私。
「じゃあおやすみ」…プツッ。

…電話を切った後、私は呆然とした。これなに?いったい夫は何が言いたいの?
私は頭を抱えた。どういうこと?今更なに?何かの病気なの?もうすぐ死ぬかもしれないの?私は何かしなくちゃいけないの?

え~~~~~っ! 夫は私に何を求めているの!?今どんな状態なの? 
この前ブログに書いたことが…何故か現実に!?…やっぱりこういう状態で離婚なんて切り出せないよ~~
やめてくれ~っ!と叫びたい私なのでした…。



不安とくやしさと

2006-03-29 21:14:45 | 別居その後
 夫と別居してひとり。もう夫との生活を選択することはないだろう。そしてこのままひとりで生きていくのだろう。ひとり暮らしを始めてからはとても心が穏やかになり、ごく当たり前のことが普通にできる生活がとてもありがたく、この静けさを心から楽しんでいた。

 ただ、1人で穏やかに暮らしていても、ふといろいろな思いが湧き上がりその感情に圧倒され、漠然とした不安に襲われる時があった。
「親ももうすぐいなくなり、兄弟だって遠く離れている。私は自分を食べさせ続けることができるだろうか。私はこのまま1人で生きていけるのだろうか。」
「私はこの先誰とも一緒に住むこともなく、ひとりぼっちで生きていくのだろうか。」
「私は今まで4回も転職している。このまま今の職場で働き続けることができるのだろうか。もしこの職場で働き続けられなかったらどうなるのだろうか。」
「賃貸住宅で住み続けるのがいいのか、でも年金生活になったら家賃を払えるのだろうか。どこかマンションでも買った方がいいのだろうか。そうしたらローンは払えるのだろうか。」
「私がもし病気になって動けなくなったら、どうやって食べていけばいいのだろう。貯金が尽きたら生活保護になるのだろうか。」
物忘れが続くと「もしかしたら若年性アルツハイマーかもしれない。もしその病気が進行したら、私はどうなってしまうのだろう。といってももう自分がわからなくなるだけだから、誰かがどうにかしてくれるのだろうか。」
「私が年老いたらひとりぼっちだ。死んだらお墓は?わずかながらの財産は?住んでいる部屋はどうなるのだろう。」

 そして、結婚生活が崩れ去ったことへのくやしさ。
「なぜ夫はあんな言動を続けたのだろうか。もう少し、私が何とかできたのではないか。」
「夫はもともとモラハラ体質だったのに、なぜ私はそれを見抜けなかったのか。どうして結婚してしまったのだろう。」
「夫のしたことは許せない。何とか謝罪してほしいがそれも無理だろう。くやしい。」
「夫とだって、本当は仲良く一緒に暮らしたかったのに、なぜこんなことになってしまったのだろう。恋愛は幻想。もう二度と結婚したくない。でもなぜ他の友人は協力していい夫婦関係を続けているのだろう…。」
「夫のモラハラで私はひとりになってしまった。私の結婚生活を返せ~っ!」
「私はいい結婚生活を送りたいと思っていたのに、それが叶わなかった。そんな私を周りの人たちはどんなふうに見るのだろうか。誰にも知られたくない。結婚生活を築けなかった悪い妻とは見られたくない。」
「本当は別居なんて本意じゃなかったんだ。でもあの夫とは生活を続けられなかった。私はどうしてあの夫を選んでしまったのだろう。もし別の人を選んでいたら、こんなことにはならなかったかもしれないのに。」

 そして男性に対する自分自身への不信。
「私はきっと、変な男ばかりに惹かれてしまうんだ。そしてその男は危険な人。だから、私が惹かれる男は要注意なんだと思わなければいけない。」
「私の共依存性をしっかり理解しないと、対等な異性関係なんて築くことはできない。きっとまた、ひどい関係になってしまう。」
「私はもしかしたら、誰と暮らしてもいい関係を築けないタイプなのかもしれない。」
「異性と暮らすってどういうことなんだろう。どうしたら相手と穏やかに生活することができるのだろうか。」

 様々な思いが頭をよぎる。考えたって仕方がない。とにかく今のまま生活し続けることが大切なんだ、と思っていてもまたぐるぐると同じ思いが頭を巡る。そして感情が動きだす。
 今までの夫からの仕打ちを思い出し、怒りがこみ上げてしばらく落ち着けなかったり、惨めな自分を思っては無気力になったり、将来を思って不安になったり。

 しかしあれこれ考えても、時間は過ぎる。今日は終わり明日が来る。とにかく今できることをし続けるしかない、とも思う。
 生きるのはしんどい。明日目が覚めなくてもいい。いつ死んでもいい。夫と生活しているときは、何度そう思ったことだろう。しかし夫と離れた生活をしていても、ふとそんな思いに襲われることがある。私はどうなるのだろう。私は自分を食べさせ、生き続けることができるのだろうか。毎日に追われ、時の流れに必死についていくしかないときもある。やっと休日…そしてもう月曜日。私はいつまでそれを繰り返して行けるのだろうか。
 でもいつかは終わりが来る。人生の終わりが必ず来る。
 先日、職場を35年間勤め上げて退職した方と話した。すると彼女は「35年なんてあっという間だったわよ」と言った。そうか…35年もの歳月があっという間に感じるときってあるんだ。私もいつかそう思う時がくるだろう。今の職場はまだ4年目だけど、彼女みたいに思えるときが来るかもしれない。そう思ったら、ちょっぴり元気が出た。

 これも私の人生だ。できるところまでやってみよう。

 ようやくそんな気持ちになった。




喪の作業

2006-03-26 16:55:33 | 別居その後
 私は別居する前の引越しのとき、あえて結婚式の写真や、夫と付き合っていた頃に作った写真のアルバムは、そのまま夫のいるマンションへ置いていった。あんな写真、この先持っていても何の意味もない、そう思っていた。そして、家以外の写真、友人と写ったものや、仕事仲間との写真は未整理のまま大きな箱の中に詰め込んで持ってきていた。
 
 別居して数ヶ月後、その写真の箱の中を整理しようとポケットアルバムを購入し、箱の中から乱雑に押し込まれた写真を取り出していった。箱の底の方に、分厚い紙袋があった。中を取りだしてみると、新婚旅行の時の写真が出てきた。そういえば後で整理しようなんて思って、いつの間にしまいこんでいたのだ。
 私は何枚か写真を見て、すぐ袋の中に入れた。笑っている夫と私。7年前のあの時が、切り取られ残されている写真。虚しかった。あの結婚生活は何だったんだろう。私はしばらくの間、失ったものへのやりきれない悲しみの沼に足をとられ、重く沈んでいった。

 温かい式にしたいと、お互いの親しい友人とごく近しい身内だけを招いて行った手作りの結婚式。それぞれの友人は一芸を披露してくれ、笑いと祝福につつまれた結婚披露パーティーだった。親も誰もが「いい結婚式だったね」と言ってくれた。
 夫と結婚し、名字も変え、新しい土地に住み、友人もいない、言葉遣いや文化も違う土地での生活で心細さや寂しさを感じながらも、夫との生活を拠り所に、馴染もうと努力した。新しい職場も見つけ、近所づきあいも増え、少しずつ自分の居場所を作っていった。夫の不機嫌や意味不明の行動に悩まされながらも、何とか2人の生活を、時間を積み重ねて、いろいろなことを乗り越えながらもいい夫婦になりたいと願い、自分なりにがんばったつもりだった。夫は酷い人間だったが、夫から得たことも多い。だから別れることになっても、それはある過程であって、この結婚生活を後悔することはない、そう思っていた。

 しかし、あの別居直前の夫のセリフがすべてを打ち砕いた。
「実は結婚の前からおまえのこと、おかしいと思っていた」「あのとき、おまえは俺の言葉を勘違いしていた」「結婚すべきじゃなかったんだ」「この結婚は間違っていた」

 この言葉は強力な毒矢となって私の心の奥深くまで突き刺さり、後々まで私を蝕み続けたのだ。写真によって蘇る、矛盾し錯綜する夫の姿、夫の言葉。私はひとり部屋の中で、苛立ちと何ともやりきれない悲しみに打ちひしがれた。
 夫は私が無理に結婚させたと思っていたの?あなたの結婚したいという意志はなかったの?この結婚は始めから間違っていたの?どうしてあの時あんなこと言ったの?では何で結婚する前に言ってくれなかったの?この時間はあなたにとって何だったの?私はあなたの望まない生活を強要していたの?
 夫にぶつけたい気持ちが次々に湧き起こる。答のない問いかけ。

 人生を共にしたいと願ったパートナーから否定された7年以上もの長い月日。私にとって苦しい生活でも、何とかその中に意味を見いだそうとしていた自分。

 私は自分を見失いそうだった。私は何をしていたの…?

 あの結婚式はなんだったのだろう。友人達の心温かいお祝いも無になってしまった。夫への私の想いも、あの時間も、すべてが無になるような深い深い喪失感。
 私はひとり涙を流していた。この悲しみも夫にはわからない。ぶつけたって、更に傷つけられるだけ。私が期待する言葉なんて夫から返ってくるはずがない。いつもそうだった。いつもまったく予想もしない言葉が返ってきて、更に私を深い淵に突き落としてきたではないか。しかも今更夫に言って何になろう。どうにもならない虚無感…。

 私はひとり泣きながらモラハラ被害者同盟の掲示板にこの悲しみの気持ちを投稿した。すると、更に涙がでるような温かいいたわりのコメントを何人かの方々がしてくださっていたのだ。どうにもならない苦しさと悲しさにそっと寄り添い、共感し、ハグしてくださったのだ。私はひとりじゃない。苛酷な体験を自らも知ってる方々が、こうしてどこかで私の想いに耳を傾け、そっと手を握ってくださる。巧妙なモラハラの特徴を指摘し、「あなたは悪くない」と言ってくださる。パソコンの文字から伝わる温かい心。
 私は自分の感情に圧倒されそうになると、モラハラ被害者同盟に投稿した。そして自分を取り戻していった。
 
 このブログで結婚生活、そしてモラハラ体験を綴ることで、私は喪の作業をしているのだと、最近ふと感じた。私の重要なライフイベントであった結婚生活がこのような経過をたどった意味を改めて思い起こし、再体験し、悲嘆する。そしてその時々に読んでくださっている方々からの温かいコメントによって、励まされ考えさせられながら、過去の結婚生活の意味を再編成し、自分の人生の一コマとなって自然に組み込まれて行くのだろう。失ってしまった結婚生活に別れを告げ、苛酷な体験をもちながらも自分を取り戻し、どこかで同じ時間を生きている力強い仲間の声に励まされ、きっと私は歩いていくのだろう。

さて、私の結婚生活にお線香をあげようか… (←!?)