おうさまのみみはロバのみみ

「王さまの耳はロバの耳!」のように、言いたいけどいえないことを話します。

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子供の教育は「金」しだい

2009年02月26日 10時59分30秒 | モラ日記
「では、子供の教育はあきらめることね」

相談員の方は、さらりと言った。
それは、非情な言葉であるけれど、的確そのもの。
ストレートに投げられ感情を入れずに心にスパッと受け止められた気がした。

昨今、親の年収の高低にに子供の学力が比例するということが言われているが、実際にそうであると思う。
もちろん昔は、貧しい家であっても優秀な子は学ぶ意欲があるならばお金はなくとも上の学校に行くことができたし世の中も応援する温かい時世だった。
そのころの親は、本当に子供のために体裁もなげうってすべてを注いでいたし、自分は学校を出ていないために苦労したのだからボロは着ててもなんとしてでも教育だけはというハングリー精神があったからだ。

今はどうだろう。子供が健やかであればいい、でも大きくなるにつれて欲が出てくる。優秀になってほしい、自慢できるような才能を開花してほしい。難関校へ行って欲しい。動物的本能で欲が膨らむ。
でも、それらは、昔の親が思っていたことと同じだけれど、本質が違う。自分を含めて今の親の根底には、「自分自身の誇示」がある。
「○○校に行っている」「○○大に入った」
有名な学校へ行ってくれたら自分はすばらしい親と思われる。もしくは思われたい。自分の子供の威を借りて「どうよ、私、すごいでしょ。」尊敬のまなざしで見られたいのだ。

ばかばかしい。自分自身がすばらしいわけでもないのに。
でも、これが現実なのだ。
今は豊かになりお金を出しさえすればどんなものでも手に入る世の中だ。借金を重ねることの垣根は低くなりそれこそ、昔で言う「貧乏な家」であっても。

結果、お金の使い道は・・
1.生活 2.自分 3.子供
昔は、
1.子供 2.生活 3.-
今の人間が一番に望むことは自分自身の欲求を満たすことにある。
これでは、余裕のない家庭は、優先順位で子供に回すお金などなくなってしまう。
子供の教育など自分のことに比べれば金をかけられないということになろうか。


話がかなりそれてしまったが。
冒頭の言葉は、離婚して職もない女が子供を育てる場合だ。
単価980円程度のパートを見つけ1日8時間、週7日働いたところで月235,200円。手取りにすれば20万程度にしかならない。その中から、家賃80,000円、水道光熱費20,000円、食費20,000円、衣服費10,000円、医療費10,000円、雑費30,000円で残り、30,000円程度では子供が高校、大学では、授業料もおぼつかない。

今は人一人生活していくのがやっと。
子供のことなどどうでもいいと本当に割り切れるのか。

私はまだ「悪人」になりきれない。

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すべての根幹は

2008年10月30日 12時22分45秒 | 教育
「教育」

この一語に尽きると私は思う。

学生の大麻汚染。

「人を殺してみたかった」という理由の殺人。

飲酒運転でつかまるよりひき逃げした方が刑が軽いという理由で頻発するひき逃げ事件。


そして、妊婦のたらい回しの末の悲劇。
その背景には、産科医不足、医師不足があるという。

休む間もない過酷な労働に加えて、ミスがあった際に裁判をおこされるリスクを抱えて現在働いている医師は、つぎつぎとやめて行く。

更に、そんな状況を見ている若者、子ども達は、「医者になって医療ミスで患者から訴えられ逮捕されたらたまらない」と医者という職業を目指す選択肢を諦める。

医師が辞め、医師を目指す者がいなくなる。当然、『医師不足』となる。

そのため、慌てたお上は、賃金を上げたり、病院同士の連携を取ったり、厚生省指導の元つなぎとめるための対策をとる。

過密で過重労働の職場になっています。そのため特に割に合わないうえに、リスクの大きい小児科医、産科医はなり手がないという状況になっているのだと。
財政支援、医療費補助などのお金のばら撒き対策事業というのは、その場しのぎの付け焼刃であってしばらくすれば同じ問題、別問題で窮することは予想できるのである。
また医療の現場でいえば、モラルのない患者の問題など観点は違ってもなにかしらの問題を抱えているのだ。


地域のつながりがなくなって田舎であってもご近所との付き合いがない時代。
それはそれで、気楽でいい。

でも、そのために子どもが悪さをしても危ない目にあっても注意する大人がいない。いないどころか、関わりを避ける。

それはなぜか。

下手に注意すれば、親からクレームを受けたり、最悪の場合は殺されるのが落ちの世の中になってしまったからだ。

それならいっそ、見てみぬフリをするのが得策だ。
また、そういう大人を子どもが見て学ぶ。



若者に目を向けてみよう。

昔なら恥ずかしいと思えるような

「働かずにフラフラしている」
「親のすねをかじっている」
「一つの仕事が長続きしない」

などということも、

「フリーター」
「ニート」
「引きこもり」

などと言葉を変えることによってまるで流行にのっているかのような錯覚になるから不思議だ。

そして、それを
「オレ、ニート!」
「わたしぃ~、フリーター」
と自慢げに話すことに驚かされる。

単純に人数のことだけで言わせてもらえば、働かずにあふれている若者が「医師」を志し、医者になれば現在言われる「医師不足」は、解決する。
でもそれはあながち一笑に付されるようなことでもないかもしれない。

今働いていない若者や将来について何の展望もないという子の中には、様々な子がいるはずで、もちろん怠けているような人もいれば、能力はあるのに自分の道を切り開くきっかけなり指導がないためにそこに踏みとどまっているだけかもしれないのだ。

導きというのはないよりあった方がいいに決まっている。
それは、強制とか親の思い通りにするということではなく、「道標」といったほうが正しいか。可能性を広げてやることである。


個人を尊重するのは大事だけど、それにとらわれるあまり大事な精神を人間は忘れていないだろうか。

個を偏重しすぎたため「自分はこうしたいのだから他人は関係ない」という歪んだ意識が広がったのだと。
人間は一人で生きているようでも親や友達、また他人に支えられて生きているのである。
ところが、今は、お金さえあれば、ゲームで暇つぶしは出来るし、ネットで買い物も、「友達」も出来るし、人に会わずともなんの不便も感じないのでますます、「生かされている」なんて意識は思い浮かびもしないだろう。無理もないことだ。
そうして、潜在意識の中にせめて存在した「他者を思いやる心」など吹き飛んだ人間ばかりになりすさんだ世の中になっていく。

すべては幼い頃からのしつけ、習慣、考え方・・・・
そう『教育』こそが根底にあり人間は形成される。
大人となってしまってからでは学べない、遅すぎることがたくさんあるのだ。

戦後日本は、『道徳』教育を捨てた。

軍隊教育は行きすぎだとしても、日本としての意識の統制は必要だ。
基本があってこそ応用ができるのである。
今は、基本がなくて、「ウラワザ」「ラク」「知識」だけの人間ばかりになってしまったのではないだろうか。
そんな人間の一人が自分だ。私自身も自分の考えに自信がもてないし、不安になる。

教育は、すぐに結果は出ない。10年、20年、30年と長いスパンを要する。
せっかちな現代人に「長い目で見る」「損してトクとれ」なんて、そんなゆとりはないだろう。

政府も金をやれば支持率が上がるためだけに

読売新聞に私が言わんとしていたことが掲載されていた。

私と同じ考えの人がこの世にいることがうれしい。

読売新聞 2008年11月16日付 編集手帳
 
「百俵の米を多数の者に分け、食いつぶして何が残るのだ」。

戊辰(ぼしん)戦争の痛手に苦しむ長岡藩の大参事・小林虎三郎は、縁戚(えんせき)の藩から届いた見舞いの米を分けろと迫る藩士たちを諭した。

山本有三が戯曲で描いた名場面が、新潟県長岡市の公園にブロンズの群像で再現されている。
長岡藩は百俵を元手に学校を建て、人材を育てた。
小泉純一郎元首相が所信表明で引き合いに出し、一躍有名になった「米百俵」の逸話だ。

連想するのは、政府の給付金構想である。
2兆円を皆で分けて何が残る、と言うつもりはない。
一人1万2000円、子どもと高齢者はさらに8000円、心待ちにしている人も多いだろう。
だが、政治のドタバタぶりには気が萎(な)える。

「この百俵が、米だわらでは見積もれない尊いものになるのだ」と虎三郎は言い切った。
信念をもって分配するなら、この言葉に負けない迫力で効果を説かねばならない。

米百俵の像は、竹下内閣の「ふるさと創生事業」の交付金1億円を使って作られたそうだ。
20年前のばらまき施策にも賛否両論あったが、ともかく政治の神髄を伝えるモニュメントは残した。



この不景気の世の中で、大人は、お金のないことだけを嘆く。また、一方で株で大もうけして、働かず楽して生活できることを自慢する。
そんな大人を見て子どもは、世の中で一番大事なのはは「お金だけ」だと学ぶ。

権利を主張する前に人間としてできうることを学校や家庭で厳しくしつける必要があります
権利を主張することは、結果、「甘やかす」ことになってしまったのです。
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後期高齢者医療制度知らない人は損をする

2008年09月17日 08時45分05秒 | ニュース
後期高齢者医療制度のおかげで年間の負担増になった世帯は多い。
ところが、知っているのと知らないのでは同じ人でも負担額に差が出るという。

負担額を減らすには・・・

『世帯分離』

すれば良い。

後期高齢者医療制度対象者の金額算出はこうだ。
本人の所得割+世帯割=後期高齢者医療費

本人が年金のみの所得の場合、負担は少なそうだが、世帯割がプラスされるので結果高額になるのだ。

どういうことか
本人(妻)年金のみの所得では、所得割での負担額は0
世帯主(夫)の年金所得が、“世帯割”
この部分がプラスされるので
年間では4万円ほど高く納めることになる。

ところが、世帯分離といって世帯を別にすればその“世帯割”部分は0なので
所得割の金額のみということになる。

制度を知らないと損をするということだ。

しかし、こうして年をとるにつれ制度としての夫婦である意味がなくなっていくのは、そういう形を解消した方が得であると政策も言っているのであろうか。
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考えを変える言葉

2008年08月11日 12時08分25秒 | モラ日記
忘れないように書き留めておこう。

読売新聞の人生案内での回答です。
久田 恵さんの回答が自分にとても響いたので。

「夫をあてにできないことは、あなたの生きる力をきっと鍛えてくれる。」

「結婚した相手が、自分をシアワセにしてくれるはずだという思い込みを、この際、捨ててしまうこと。」

「自分をシアワセにするのは、自分。」

「今、得ているものをどう生かしていくかが、人生の面白さなのだ。」


2008年8月8日 読売新聞より----------

あなたは、離婚したことを悔やみ、虚しいのですね。それは2度目の結婚が、あなたが望むようなシアワセをもたらさなかったからですね。でも、1度目の結婚を続けていても、あなたは今と同様、不満を抱き、心和まない日を送っているでしょう。

 人生は選択の連続です。その度に必ずなにかを得て、なにかを失います。失ったものばかりにこだわっていると、得たものまで見失ってしまいます。

 まず、目の前にいる子ども。その子は、あなたの選択なしには出会えなかった存在ではないのですか?

 また、音楽への夢を捨てない夫を選んだのは、あなた。その夫の経済力をあてにできないことは、あなたの生きる力をきっと鍛えてくれるでしょう。

 まずは、結婚した相手が、自分をシアワセにしてくれるはずだという思い込みを、この際、捨ててしまうことです。

 自分をシアワセにするのは、自分。そう思い定めて、今、得ているものを数えてみればきっとたくさんありますよ。それをどう生かしていくかが、人生の面白さなのだと思います。

 (久田 恵・作 家)

(2008年8月8日 読売新聞)
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事件、災害のたびに思うこと

2008年06月16日 11時03分16秒 | ニュース
秋葉原の殺傷事件、今回の岩手・宮城内陸地震・・・・
次々と続く事件、事故、自然災害。

このような時、ニュースなどで即座に届けられる映像、写真で現場の様子をすぐに見ることが出来る。

それらは、プロのカメラマンが撮っていることもあるし、現場に居合わせた素人の方がとっさに自分のケイタイで、動画や写真に撮ったものである。

が、その度に思うことは、カメラを回す、ケイタイで写真を撮るそのようなヒマがあったら、そのレンズの先に倒れる人を助ける、もしくは、119番するなど、救助活動をするのが先決ではないかと思う。
トクダネ、スクープを撮ること、人命を救うこと。両天秤にはかけられない、かけることではない。どちらを選択するのか言わずとも“人間”なら分かるはず。

特に、秋葉原の事件では、地獄絵図のような現場で負傷者を必死に助ける人たちのそばでただ立って、負傷者にケイタイを向けている姿があちこちでみられ、異様な風景であったとどこかで言っていたな。

そのような場面に遭遇した時、知識もなければ自分でどうしたらいいか分からないだろう。自分では何も出来ないとおろおろするばかりかもしれない。
だからといって、苦しんでいる人を目の前にしてそのつらい表情、様子を写真に撮ろうと思う無神経な考えにいたることが考えられない。

やはり、社会は病んでいる。

以前にワイドショーで生放送である地域を訪ねたときにリポーターの方が偶然火災現場に遭遇したことがありました。
「見て下さい!」
「燃えています、たった今火災が発生したようです」
「このアパートの方でしょうか、お子さんを連れてこちらに逃れてきますね」
と、声は、高ぶっていますが、カメラに向かってリポートを続けています。
この時も、まず119番するのが先ではないか、スタッフの方が通報していたとしてもまわりの民家に知らせるとか、取り残されている人がいないか声かけをするとか、逃れてきた人に「大丈夫ですか?」と声掛けをするとか自分達に出来る範囲の救助活動ができるはずである。ただ、傍観するのではなく・・・。

困っている人が目の前にいる状態で、カメラやケイタイを向けるという行為は、見てみぬフリと同じことではないだろうか。
専門家でも知識もない自分に出来ることは高が知れているけれど、その時、その状況で自分自身に出来うることをする。それが大事なのではないだろうか。

また、そのような場面をみても『何も感じない』ことも問題だと思う。

世の中の大多数の人は「写真くらい撮ったっていいじゃない」と正当化するのであろうか。
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動くか

2008年06月09日 15時49分17秒 | モラ日記
何の関係もない人たちが次々と犠牲になる事件を見るにつけ、世の中には死んでしまって欲しい人がのうのうと生きているというのになんと不公平な世の中であろうか。
そんな事件に接するたび、

「私が代わりに死ねばよかった」

「モラ夫が死んでしまえばよかったのに」

と何より思う。


普通の生活をおくっているけれど、この頃は、気力だけでは体が追いつかなくなっているようだ。

つらい。



  離婚


常に頭の中にはあることだ。
でも、足を踏み出す勇気が無かった。
きっかけも欲しかった。
誰か助けてくれる人が欲しいと思った。
子どもを片親にするのは忍びない。あんな男でも“父親”は必要ではないか。
実家の親にどういおうか。
暴れられるのも怖い。

様々な言い訳を自分自身にして先延ばしのしている自分がいることも事実。


私の願いはただ一つなのだ。


「普通の生活がしたい」


普通の生活とは、朝起きたら「おはよう」寝るときは「おやすみなさい」
の言葉が交わせる。

一緒にいて緊張感を伴わない自然な暮らし。


私は、歩けるのか・・・



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子どもを預けられるなら働きたい

2008年02月29日 08時07分53秒 | ニュース
「子どもを預けられるなら働きたい」という親の希望を実現させるって。
それって、片側からしかものをみていないってことだよね。
小手先の対策では預ける、誰かに託してしまうのレベルしか思いつかないのだろうが、困っている時、辛い時に支えてくれる今までにない社会の仕組みを構築して欲しい。

私が「子どもを預けられるなら働きたい」と思うのは、
1.経済的に苦しくなってきた時
2.社会に取り残されているという焦燥感を感じたとき
3.やってみたい仕事を見つけられたとき
3は、理想ですな。

実際に私が仕事を始めることになったのは1の経済的理由。
本当は、子どもが大きくなるまで(小学校低学年まで)は、仕事をせずに子育てに専念したいし、子育てを楽しみたい。その時期は、子どもにとって将来の生活習慣、食生活、人間としての素地が出来上がってしまう時期なのだ。どんな屁理屈を言おうとそうなのだ。例えば、小さい頃の食の味覚は、その人の一生の味覚になると言う。確かにそうだ。良くも悪くもその時に食べた「おふくろの味」をその後の基準としていると思う。決してグルメなお料理を作れということではない。小さい頃の記憶というのは年をとっても体が覚えているということを言いたいのだ。

そして、その間、時間の余裕のあるときに社会参加ができれば、子育て中に孤独感や疎外感を感じることもないのだろう。子育てをしながら自分自身も育ち、また新たな道が開けてきた時に職業につく環境が整うのなら困ることもない。
働く女性のためだけの受け皿を作るだけの見方ではなく、優秀な女性が社会に戻っていける環境を作って欲しいと願う。


http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20080227-OYT1T00594.htm
子どもを預けて働ける社会を…厚労相・少子化相が作戦発表

舛添厚生労働相、上川少子化相は27日、厚労省で記者会見し、10年後をめどに希望する全員が子どもを預けて働ける社会の実現を目標に掲げる「新待機児童ゼロ作戦」を発表した。

 厚労相は「就労と子どもの健全育成との両立を、出産前から就学後まで切れ目なく支援する」と述べた。

 福田首相はこれに先立ち、両閣僚を首相官邸に呼び、「3年くらいは集中的に取り組んでほしい」と指示した。これを受け、新作戦では「今後3年間を集中重点期間とし、取り組みを進める」と定めた。政府は、作戦に盛り込んだ施策を2008年度から順次、実行に移し、2017年の目標達成を目指す。

 厚労省の調査などで「子どもを預けられるなら働きたい」という親が多かったことを踏まえ、新作戦はこうした「潜在的な待機児童」にも目を向けた数値目標を設定した。

(2008年2月27日22時05分 読売新聞)
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子ども達の環境はこれでよくなるのか

2008年02月28日 07時48分20秒 | 教育
施策、法整備、予算確保まではいい。
それらの情報が、地方自治体の担当者だけで対策を考えるのではなく現場である小中学校、保育所、サービスを受けることになる親達にまで議論されることが必要だと考える。
また、人数の多くニーズも多い都市圏だけでなく今まで採算が取れない少人数なので取り上げてもらえなかった切実な要望のある周辺地区にまできちんと周知されて欲しい。

このことに限らないが、行政は予算を配分すると満足してそこで終わりにしてしまう。最後の報告までして欲しいのだ。
そして、配分された予算の使い道について、まずは、その予算を地方自治体の裁量に任せることをせずその「新待機児童ゼロ作戦」のために限定使用と定めて欲しい。

それはなぜかというと、今年度、「特別支援法」が制定され、特別支援を必要とする子ども達のために予算が地方自治体に配分されたが、その予算は、各地方自治体の裁量に任されていたため、本来は、特別支援のための小中学校に配置されるはずであった人員が配置されずに台所事情の苦しい市町村は、別のところで使ってしまっているのである。
政府としては、特別支援の予算を確保し、配分したから特別支援のために「やってあげた」気になっている。でも、実際は、困っている人には届かず、市町村の担当レベルでいいように処理されてしまっているのは本末転倒。

そのような前例があるので、今回の「希望するすべての人が子どもを預けて働ける社会を実現する」施策はいいが、地方自治体からどのような地区に放課後児童クラブを設置したのか、どのようなことを制度化し、運用したか、また、それらは、住民にとって満足のいく結果であるか、最後までチェックし、報告させてこそ完了したといえるのではないだろうか。


しかし、いろいろ打ち出しているけど、児童に対する施策が功を奏しているものはない。
そもそも、「放課後子どもプラン」はどうなった?「放課後子どもプラン」と今回の「新待機児童ゼロ作戦」は重なっているのではないかしら。別々に立ち上げる意義は? はて??



「保育・放課後クラブの待機児童、10年後ゼロに」
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20080226-OYT1T00839.htm
2008年2月27日読売新聞より

政府が月内にまとめる「新待機児童ゼロ作戦」の内容が26日、明らかになった。

 「10年後をめどに、希望するすべての人が子どもを預けて働ける社会を実現する」との目標を掲げ、この間に保育サービスを利用する5歳以下の児童を100万人、放課後児童クラブに登録する小学校低学年の児童を145万人増やす数値目標を定めた。

 量的拡大の具体策としては、
〈1〉保育士や看護師が自宅などで乳幼児を預かる「保育ママ」を制度化する児童福祉法改正
〈2〉親が不在の小学生に生活や遊びの場を提供する「放課後児童クラブ」を必要な全学区に設置
〈3〉地方自治体が保育サービスの目標量を設定した上で整備計画を策定するよう、次世代育成支援対策推進法を改正
〈4〉事業所内保育所設置への支援を充実
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幸運なものが生き残る

2008年02月27日 07時47分13秒 | ニュース
世の中でみなが信じて疑わないダーウィンの進化論。
私はその進化論とやらを知ってから常々疑問に思っていた。
「では、なぜ人間は更に進化しないのか?」
と素朴な疑問。
サルからヒトへと進化を遂げたのなら病気や事故で失った手足を再生する能力や病んだ臓器を医学のチカラを使わずして治すような再生治癒力をもったヒトへとそろそろ変化してもいいはず。
ヒトがそれ以上進化しなくてもいい最高の生物レベルとは思えないのだ。

誰かに言ったら一笑されてしまいそうなそんなギモンをずっと抱きつつ、言えずにいた。

ところが、読売新聞2008年2月17日(日)の記事に注目すべき内容を見つけた。進化論に疑問を持つ学者さんがいたんだと。

「進化の中立説」
国立遺伝学研究所 木村資生(きむらもとお)博士が提唱した進化の中立説。
ダーウィンが提唱した進化論は、「自然淘汰」よって環境に適応した生物が生き残ることで進化を遂げてきたというもの。その中で、木村博士は、変化のほとんどは、「中立」で自然淘汰の「適者生存」に対し、「幸運なものが生き残る」と。この中立説は、自然淘汰の役割を否定するものではなく進化をより幅広く捉えた考えだと言える。
中立説を酒飲みに例えると
「自然淘汰は最高級のウイスキーだけを飲んで安物は捨てる。中立説は毒でなければ何でも飲む」
となる。
進化の過程では、なるほどと納得できる。生き残るためには、グルメのようなことを言って気取っていられないはず。
「重要なものほど変化しない」というのが中立説の結論である。
大切な機能を持つ部分は、変化すると生存、繁殖に支障が出るため、容易に変化できないからだという。

中立説にも様々な意見があり、
「バリバリの中立論者」の斉藤成也教授は
「本当に生存、繁殖に有利で選ばれたなら、頭の良い魚、豚がいても良いはず」
といい、
「ほぼ中立説」の太田朋子名誉教授は
「生存にやや不利な突然変異も集団に広まることがある」
と。


いやいや、一般の人でなく専門家の中にも私と同じ疑問を抱いて研究している人がいる、私の考えもまんざらバカバカしいものでもなかったと。何とも嬉しく少し興奮気味に記事を読んだのは久しぶりだった。

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菅さんと東国原知事?

2008年02月20日 10時32分11秒 | ニュース
民主党の菅直人代表代行と東国原知事との公開討論会が19日に都内で行われた。

菅さんには、ガッカリした。民主党支持でもないけれど小沢さんよりもうちょっとマシと思っていたからだ。
道路特定財源とガソリンの暫定税率延長問題に絡み意見を交わしたのだが。
暫定税率維持の考えの東国原知事と道路特定財源の一般財源化を進めたい菅氏。
菅さんは、この討論会の中で「おかしい」「おかしい」ばかりを連発。自民党の政策はおかしいとか、道路特定財源を一般財源化しないのはおかしいとか必要でない道路を作るのはおかしいとか。
菅さんの主張は、批判だけで
「じゃあ、どうすればいいのか?」
という具体的な案を提示できないのだ。批判だけなら我々にも出来ることであって、私達が求めるのは、それを超えたところの私達が暮らしやすくできるためにはどういう選択が良くて、それには、このようないいこともあるけれど、このようなことは負担してもらわなければならないですよという話なのだ。目先だけのことでなく将来の展望にたっての話であるなら税金が増えることになろうが、ガソリンの値段が上がろうが、賢い国民には理解できるというものである。


ガソリンの暫定税率を維持する租税特別措置法改正案などの税制関連法案が19日午後の衆院本会議で審議入り
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20080219-OYT1T00348.htm

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/miyazaki/news/20080217-OYT8T00494.htm

そもそもガソリンの暫定是率って
http://allabout.co.jp/career/jijiabc/closeup/CU20080120A/
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