先日、役所の休日窓口で提出した離婚届を受理したという通知がきた。「あなたからの戸籍届出については、下記の通り受理されましたのでお知らせします。」という前文、そして手続済みの内容が記載されていたが…。
1 受理年月日 平成19年2月24日
2 事件名 離婚届
3 届出人氏名 ○○ モラ雄
○○ ウメ
4 届出事件本人氏名 ○○ モラ雄
○○ ウメ
この書類を見た直後は「事件名」という項目に違和感を覚えた。離婚って事件扱いされるのか~、戸籍を変更することは事件なのか?日本では、離婚は事件扱いか?事件を届出た私に何か?とエスカレートする思考。ただ後から冷静に考えてみたら「事件」という言葉は「事」の「件」、つまり「ある事柄について」、ともいえる。私の中にある日常用語の「事件」は、犯罪絡みや悪い出来事、という意味でインプットされていたことと、やはり人生初体験の出来事に少々ナーバスになっていたこともあるだろう…とつい過剰反応してしまった自分に苦笑いした。
ただこれで夫と私は他人になったのだ。これから彼は元夫であり、もう今後私の人生史上には殆どかかわることのない他人となった。街中にいるただのヨレヨレのおっさんとなったのだ(爆)。といってもまだ離婚したという実感がない。別居して2年以上が経ち、私の生活上から元夫の気配は随分前に無くなっていた。離婚届けを提出したが、今の生活の場も穏やかな毎日も変わらず進む。そう思ったら、実は別居したその日に、もう物理的な離婚は果たしていたんだ、とも思う。私の場合は、離婚に向けて心の整理をつけるまでに時間が必要だったのだろう。結婚や離婚は、個人的な要素だけではなく社会的な影響力も含まれている。私自身の中にあった元夫への嫌悪と恐怖、そして微かな愛着と夫婦として過ごしてきた時間を整理していくこと、そして周囲からの目、親との葛藤、仕事への影響、ひとりで生きていく事への覚悟等の問題とも向き合って考える必要があった。
そして離婚後の姓をどうするか、という問題も少し悩んだ。旧姓に戻る方もいれば、結婚の時の姓を使う方もいる。私はどうしようか…。
ここでは社会的な影響をまず考えた。私は結婚で姓を変えると同時に新しい土地に住み、そこでの仕事もある程度キャリアを積むことができた。今の仕事では、ひとつの職場のみならず、あちこちの関連会社とかかわりがあり、時々単発で別の仕事を依頼される場合もある。そこで姓名を変えたら今の定着した関係が、ややこしいことになるだろう。また姓を変えることで私生活を干渉されることも憂鬱だった。こんな時女性は大変だと思う。男は結婚しようが離婚しようが何も変わらず、周囲からは何もわからず仕事に支障もない。
また、姓名を変えることになると様々な免許や資格、書類などもいちいち手続きしなければならないことも非常に面倒だった。自動車の免許、パスポート、加入している保険、仕事関連の国家資格、職場の事務にも手続きし、給与が振り込まれる銀行の通帳も、自分の職場以外の仕事関係の名義も、債権者登録も、大家さんにも?…職務経歴や業績も姓名が変わると他人の業績のように感じられる。これらの煩雑な手続きをするだけで、エネルギーが枯渇してしまいそうだ…。
それから、以前の姓名に戻ることにも自体にも抵抗があった。過去の自分に戻るような気持ちになるからだ。たまに「あなたは何歳の自分に戻りたいと思う?」なんていう話しになることがある。「また二十歳に戻ってやりなおしたい」とか「ぴちぴちの10代に戻りたい」という人もいるが、私はもう過去の自分には戻りたくない。親や社会に向かう葛藤が苦しかった10代にも、20代の頃の自信がなく若気の至りで恥ずかしいことをしていた自分にも戻りたくない。戻るというのではなく、単に20代になる、だけでもイヤだ。また同じ事を繰り返すと思うと、またあの未熟で苦しい道のりを考えるだけでしんどい。
今私自身が実感していることは、年を経るたび、精神的には段々楽になっていくことだ。自分に対して、周囲に対してもあまり神経質にならず、ゆとりを持ってかかわることができるようになった。もちろん、結婚生活においては大変な思いをし、別離という選択を決断することになった。仕事でも、信じられないようなモラハラに遭い、転職を余儀なくされた。逆境の最中にいたときには、この土地に来たこと自体が間違いだったのではないかと、人生最悪最低だと感じるくらい辛い毎日だった。しかし様々な出会いとその支えによって少しずつ酷い状況から抜け出し、今現在はいい職場に恵まれ自分の望む仕事をし、生活も穏やかで自分なりにささやかな幸せを感じながら毎日を送っている。
改めて思い起こすと、結婚後の30代は本当に波瀾万丈だった…と思う。そんな激しい日々?を乗り越えて、今いる自分は案外好きだ。姓名がどうであろうと私は私で変わらない。
そう思い「離婚の際に称していた氏を称する届(これまたややこしい言い回しの書類なのね…)」にも記入をして離婚届と共に提出した。
自分だけの戸籍、自分だけの生活。う~ん、随分すっきりしたな~
今、私は誰に気兼ねすることもなく、誰かに合わせることもなく、本当の私を受け入れ、私自身を生きている、という気がする。これからの私はどうなっていくのかな。どう変化し年を重ねていくのかな。。。
それがちょっぴり楽しみでもある。
1 受理年月日 平成19年2月24日
2 事件名 離婚届
3 届出人氏名 ○○ モラ雄
○○ ウメ
4 届出事件本人氏名 ○○ モラ雄
○○ ウメ
この書類を見た直後は「事件名」という項目に違和感を覚えた。離婚って事件扱いされるのか~、戸籍を変更することは事件なのか?日本では、離婚は事件扱いか?事件を届出た私に何か?とエスカレートする思考。ただ後から冷静に考えてみたら「事件」という言葉は「事」の「件」、つまり「ある事柄について」、ともいえる。私の中にある日常用語の「事件」は、犯罪絡みや悪い出来事、という意味でインプットされていたことと、やはり人生初体験の出来事に少々ナーバスになっていたこともあるだろう…とつい過剰反応してしまった自分に苦笑いした。
ただこれで夫と私は他人になったのだ。これから彼は元夫であり、もう今後私の人生史上には殆どかかわることのない他人となった。街中にいるただのヨレヨレのおっさんとなったのだ(爆)。といってもまだ離婚したという実感がない。別居して2年以上が経ち、私の生活上から元夫の気配は随分前に無くなっていた。離婚届けを提出したが、今の生活の場も穏やかな毎日も変わらず進む。そう思ったら、実は別居したその日に、もう物理的な離婚は果たしていたんだ、とも思う。私の場合は、離婚に向けて心の整理をつけるまでに時間が必要だったのだろう。結婚や離婚は、個人的な要素だけではなく社会的な影響力も含まれている。私自身の中にあった元夫への嫌悪と恐怖、そして微かな愛着と夫婦として過ごしてきた時間を整理していくこと、そして周囲からの目、親との葛藤、仕事への影響、ひとりで生きていく事への覚悟等の問題とも向き合って考える必要があった。
そして離婚後の姓をどうするか、という問題も少し悩んだ。旧姓に戻る方もいれば、結婚の時の姓を使う方もいる。私はどうしようか…。
ここでは社会的な影響をまず考えた。私は結婚で姓を変えると同時に新しい土地に住み、そこでの仕事もある程度キャリアを積むことができた。今の仕事では、ひとつの職場のみならず、あちこちの関連会社とかかわりがあり、時々単発で別の仕事を依頼される場合もある。そこで姓名を変えたら今の定着した関係が、ややこしいことになるだろう。また姓を変えることで私生活を干渉されることも憂鬱だった。こんな時女性は大変だと思う。男は結婚しようが離婚しようが何も変わらず、周囲からは何もわからず仕事に支障もない。
また、姓名を変えることになると様々な免許や資格、書類などもいちいち手続きしなければならないことも非常に面倒だった。自動車の免許、パスポート、加入している保険、仕事関連の国家資格、職場の事務にも手続きし、給与が振り込まれる銀行の通帳も、自分の職場以外の仕事関係の名義も、債権者登録も、大家さんにも?…職務経歴や業績も姓名が変わると他人の業績のように感じられる。これらの煩雑な手続きをするだけで、エネルギーが枯渇してしまいそうだ…。
それから、以前の姓名に戻ることにも自体にも抵抗があった。過去の自分に戻るような気持ちになるからだ。たまに「あなたは何歳の自分に戻りたいと思う?」なんていう話しになることがある。「また二十歳に戻ってやりなおしたい」とか「ぴちぴちの10代に戻りたい」という人もいるが、私はもう過去の自分には戻りたくない。親や社会に向かう葛藤が苦しかった10代にも、20代の頃の自信がなく若気の至りで恥ずかしいことをしていた自分にも戻りたくない。戻るというのではなく、単に20代になる、だけでもイヤだ。また同じ事を繰り返すと思うと、またあの未熟で苦しい道のりを考えるだけでしんどい。
今私自身が実感していることは、年を経るたび、精神的には段々楽になっていくことだ。自分に対して、周囲に対してもあまり神経質にならず、ゆとりを持ってかかわることができるようになった。もちろん、結婚生活においては大変な思いをし、別離という選択を決断することになった。仕事でも、信じられないようなモラハラに遭い、転職を余儀なくされた。逆境の最中にいたときには、この土地に来たこと自体が間違いだったのではないかと、人生最悪最低だと感じるくらい辛い毎日だった。しかし様々な出会いとその支えによって少しずつ酷い状況から抜け出し、今現在はいい職場に恵まれ自分の望む仕事をし、生活も穏やかで自分なりにささやかな幸せを感じながら毎日を送っている。
改めて思い起こすと、結婚後の30代は本当に波瀾万丈だった…と思う。そんな激しい日々?を乗り越えて、今いる自分は案外好きだ。姓名がどうであろうと私は私で変わらない。
そう思い「離婚の際に称していた氏を称する届(これまたややこしい言い回しの書類なのね…)」にも記入をして離婚届と共に提出した。
自分だけの戸籍、自分だけの生活。う~ん、随分すっきりしたな~

今、私は誰に気兼ねすることもなく、誰かに合わせることもなく、本当の私を受け入れ、私自身を生きている、という気がする。これからの私はどうなっていくのかな。どう変化し年を重ねていくのかな。。。
それがちょっぴり楽しみでもある。
