結婚する前に感じていた、夫へのちょっとした違和感、ちょっとした不安(でもそれは私の頭の中ですぐ打ち消された)は、結婚後暗雲となってふくらんでいった。何気なく話したことに対する夫からの罵倒や冷酷な言葉、無視、絶え間ない不機嫌に怯える私。そしてたまに見せる夫からの優しさに、ほっとしてすがりつく私。しかし私がいい夫婦関係を作ろうと努力しても、決して夫には認めてもらえず、不毛な関係に疲弊していった。
私はもともと楽天的で、前向きな性格だった。仕事もそれなりにこなし、いい友人関係もあった。しかし夫との関係においては完全に萎縮していた。夫の顔色を窺い、足音に神経をとがらせ、夫が激昂しないよう言葉を注意深く選んで恐る恐る話しをした。私の表情は凍りつき、心の中には重い鉛のかたまりがあるようだった。無理して明るく話しながらも怯えていた。私は夫との関係において、(夫から言わせれば)最悪最低人間だった。
結婚して8年目、夫のモラハラはますます冷徹になり、私は夫との生活に限界を感じていた。その頃私はよくインターネットで、あちこちの賃貸住宅情報を検索していた。そして「1人で生活するんだったらこんなところにしよう…」と夢想していた。それは単なる現実逃避だったのだが、後からその時の情報が役に立つことになった。同時に「DV」「夫婦問題」「別居・離婚」関連のネット情報をせっせと探して体験談を読みふけっては「苦労している人も多いんだ」と心慰める毎日だった。
そんな時、『モラル・ハラスメント被害者同盟』というサイトを見る。数々の体験談を読んで私は驚いた。夫のしていることはまさにモラル・ハラスメントそのものだった、とはっきり理解できたのだ。どの体験談も私の夫婦関係と酷似していた。私は『DV』という言葉は知っていたが、暴力を殆ど見せなかった夫には当てはまらないような気がしていた。「おまえが俺を怒らせるんだ」という夫に対し、反発を覚えながらも「そうなのだろうか」と思っていた。しかし、このセリフもまさにモラル・ハラスメントだったのだ。
夫自身が変わることは不可能であることや、モラ夫と暮らすことに未来はないことを、この言葉によって確信し、私は夫から脱出する決意を固めた。ちょうどよかったことに、ある日夫が怒りにまかせて「おまえとはもう暮らせない。別居だ!」と叫んだセリフをキャッチし、「そうしましょう」と、即準備を始めて2週間後には別居した。
その後も1人暮らしをしながら、モラル・ハラスメント関連の様々なサイト、掲示板、ブログを読ませていただいたおかげで、非常に励まされ、支えられた。見も知らない方達でも同じ体験を共有できれば、パソコンの文字からも温かい共感と涙が伝わってきた。私はパソコンの前でひとり、泣いていた。最も近い夫とは決して叶わなかった「お互いに理解し合う」ということが、最も遠いどこにいるとも顔も知らない方達と理解し合い、共感し、まるで手を取り合ってそっとハグし合っている…不思議な体験だった。
言葉を知ることは、非常に大切だ。言葉を知ることによって、その意味を理解することができる。自分の行動、言葉、心の動き、そして夫の行為等を指し示す言葉の意味を理解すれば、自分が何に悩み、苦しみ、疲弊しているのかがはっきりする。そして自分はそれに対して何を選択し、行動すればいいのか、何を為すべきなのかが明らかになる。
このブログで、いまだに感じる「夫との結婚生活は何だったのだろう」というもやもや感をはっきりさせ、その意味や言葉を知ることができればと思うし、どこかでモラハラ被害を受けられて苦しんでいる方の参考になればそれはとても嬉しいことだと思う。
私はもともと楽天的で、前向きな性格だった。仕事もそれなりにこなし、いい友人関係もあった。しかし夫との関係においては完全に萎縮していた。夫の顔色を窺い、足音に神経をとがらせ、夫が激昂しないよう言葉を注意深く選んで恐る恐る話しをした。私の表情は凍りつき、心の中には重い鉛のかたまりがあるようだった。無理して明るく話しながらも怯えていた。私は夫との関係において、(夫から言わせれば)最悪最低人間だった。
結婚して8年目、夫のモラハラはますます冷徹になり、私は夫との生活に限界を感じていた。その頃私はよくインターネットで、あちこちの賃貸住宅情報を検索していた。そして「1人で生活するんだったらこんなところにしよう…」と夢想していた。それは単なる現実逃避だったのだが、後からその時の情報が役に立つことになった。同時に「DV」「夫婦問題」「別居・離婚」関連のネット情報をせっせと探して体験談を読みふけっては「苦労している人も多いんだ」と心慰める毎日だった。
そんな時、『モラル・ハラスメント被害者同盟』というサイトを見る。数々の体験談を読んで私は驚いた。夫のしていることはまさにモラル・ハラスメントそのものだった、とはっきり理解できたのだ。どの体験談も私の夫婦関係と酷似していた。私は『DV』という言葉は知っていたが、暴力を殆ど見せなかった夫には当てはまらないような気がしていた。「おまえが俺を怒らせるんだ」という夫に対し、反発を覚えながらも「そうなのだろうか」と思っていた。しかし、このセリフもまさにモラル・ハラスメントだったのだ。
夫自身が変わることは不可能であることや、モラ夫と暮らすことに未来はないことを、この言葉によって確信し、私は夫から脱出する決意を固めた。ちょうどよかったことに、ある日夫が怒りにまかせて「おまえとはもう暮らせない。別居だ!」と叫んだセリフをキャッチし、「そうしましょう」と、即準備を始めて2週間後には別居した。
その後も1人暮らしをしながら、モラル・ハラスメント関連の様々なサイト、掲示板、ブログを読ませていただいたおかげで、非常に励まされ、支えられた。見も知らない方達でも同じ体験を共有できれば、パソコンの文字からも温かい共感と涙が伝わってきた。私はパソコンの前でひとり、泣いていた。最も近い夫とは決して叶わなかった「お互いに理解し合う」ということが、最も遠いどこにいるとも顔も知らない方達と理解し合い、共感し、まるで手を取り合ってそっとハグし合っている…不思議な体験だった。
言葉を知ることは、非常に大切だ。言葉を知ることによって、その意味を理解することができる。自分の行動、言葉、心の動き、そして夫の行為等を指し示す言葉の意味を理解すれば、自分が何に悩み、苦しみ、疲弊しているのかがはっきりする。そして自分はそれに対して何を選択し、行動すればいいのか、何を為すべきなのかが明らかになる。
このブログで、いまだに感じる「夫との結婚生活は何だったのだろう」というもやもや感をはっきりさせ、その意味や言葉を知ることができればと思うし、どこかでモラハラ被害を受けられて苦しんでいる方の参考になればそれはとても嬉しいことだと思う。