こころの声に耳をすませて

あの結婚生活は何だったのだろう?不可解な夫の言動はモラル・ハラスメントだった…と知ったウメの回想エッセー。

『私』を生きています

2010-02-28 14:18:15 | モラハラエッセー(離婚後)
 今月、元夫と離婚して3年、別居期間を入れると元夫から離れて5年以上の歳月が経った。
苦しい結婚生活を送っていたあの頃、こんな日が訪れるなんて想像もできなかった。時の流れは不思議だ。このような体験を繰り返すことで「時は経つ。物事は必ず変わっていく。」と教えられる。それが私に希望を与え、今日を生きる力になっていくのだ。
 私は今あの頃からは信じられないくらい、とても元気でしあわせだ。

 先日、引越しからそのままにしていた、写真やアルバムが詰まった段ボールを開けた。20代の時、友人との旅行や友人の結婚式で同窓会になった時の写真が出てきた。そして、元夫と旅行した時の写真も残っていた。私と元夫が笑っている。私は不思議な気持ちでそれを眺めた。まるで他人事のように昭和の時代を振り返っている感じだ。過去の遺物…確かにあれは私。

 それでも、このブログ綴り始めた頃が、昨日のことのように思える時もある。
掲示板などにコメントを入れるようになったのは、別居してからである。それでも元夫がこれを見て怒鳴りこんでくるのではないかと、過剰に神経を尖らせていた。しかし次第にその心配はないのでは、と思うようになった。なぜならその掲示板に綴られる世の夫たちは、私の元夫にそっくりだったからだ。こんなに元夫みたいな人がたくさんいたら、そこに私の体験を掲載したってわからないだろう。理不尽な言動に苦しめられている女性たちがなんて多いことか。
 そしてたくさんの、同じ体験をして苦しむ女性たちと言葉を交わし、勇気と希望を与えられた。また励まされて自分のブログを始めてからも、たくさんの方との交流によってどんなに慰められ、力づけられたか…。そのおかげで私は今、こうしてひとりで生きることができている。いや、ひとりではない。誰かと同居しなくても、私はネット上の仲間たち、仕事仲間や友人たち、いろいろな縁に支えられ、孤独を感じずに生活できている。どこかで誰かが私を思い、メールやコメントを送ってくれる。そんな誰もがそれぞれの場所で、がんばって生きている。皆に想いを馳せるだけで、私も力をもらうことができるのだ。


 元夫との関係の中で、私はいつも元夫のことで頭がいっぱいだった。元夫を怒らせないように、不機嫌にさせないように、気に入ってもらえるように、刺激しないように、笑ってもらえるように…。私は元夫をコントロールしようと足掻くことで生きていた。私は私を生きていなかった。改めて自分の体験を読み返してみると、胸が苦しくなる。涙ぐましい努力、そして元夫からの酷い仕打ちを見なかったこと、感じなかったこととして気持ちを無理やりリセットし、更に悪循環に巻き込まれていたこと…。
 自分で何とかしようと思っているときには、今の生活に執着してしまう。元夫さえ何とかできれば、私は元夫と生活していける、ということにとり憑かれるのだ。生きる方法はいろいろあるのだ、ということに全く目がいかなかった。
 しかし、あまりにも辛い生活に心が枯渇し、憎悪と恐怖で自分を見失いそうになった時、私は助けを得ようとネットを開いた。そこが自分を取り戻すための第一歩だった。そして元夫から離れることを夢想したが、当時はそれが現実にできるとも思っていなかった。それでも、この苦しみから逃れるべくあれこれ情報を得ているうちに、自分の中のイメージを少しずつ作っていき、ついに行動することができた。ただそれも、別居に踏み切った女性たちの体験談から、気持ちを後押ししてもらった。助けを求めれば、実はたくさんの支えや励ましが目の前にあったのだ。

 「今」の生活を変えることに躊躇するのは当然だ。しかし、「今」があまりに苦しく自分を痛めつけるものだとしたら、それは自分で変えることができる。最初は自分にそんなことができるなんて信じられないだろう。しかしできるのだ。まず「変えたい」と思い続けることが大切だ。思い続けることで、自分の思考が自然にその方向へ向かい、それに関する情報を集め、そのことで自分を助けてくれる人との縁を自然に引き寄せる。あとは自分の心の欲する方向へ、心が導いてくれる。

 私は別居するとき、頭のどこかではそれが信じられなかった。不動産屋に行き部屋を決めながらも「本当にできるのだろうか」「夫に妨害されて、結局できずに終わるんじゃないか」と思っていた。しかしその一方で私の心は「とまっちゃだめ、考えちゃだめ、早く次、次」と私を押し、行動させたのだ。私は自分にも助けられた。

 別居後の生活にも不安がいっぱいだった。この先どうなるんだろう。私はひとりで生きていけるのか…。そして私は生きていくために、ブログに体験を綴り、働き、自分を食べさせ、ひとりになったことによって得た安心や楽しさを思い、いろいろな人と出会い、つながった。
 ただひとりで考え続けるのではなく、行動することによっていい結果がやってくる。それは私が身をもって経験したことだ。

 私たちは、自分で自分を助ける力を持っている。先のことは心配だ。心配なら行動すればいい。行動すればそれが自分の助けになる。
 生きていれば、これからもいろいろな困難にもぶつかるだろう。でも時は必ず経つ。「今」の状態がずっとは続かない。辛抱強く自分の希望を持ち続け、その想いに近づこうと行動することで、思いもかけない力や助けを得、新たな自分が生まれるのだ。
 そして、私たちの人生は、私たち、即ち「自分」のものだ。誰がなんと言おうと「私」の人生に責任はもってくれない。自分の人生は、自分で好きに生きていいのだ。嫌だったら嫌だと、苦しかったら苦しいと言っていいのだ。努力も楽しみも、自分のためにすればいいのだ。
 もちろん、私たちはひとりで生きているのではない。家族や知人、友人ら、多くの人との関係の中で生きている。そこで時間を共有し、他人のために時間を使い、時には譲歩し、時には我慢することもある。しかしそれにはお互いがお互いを生かし、分かち合う関係だからできるのだ。一方的に支配したり搾取したり圧迫したりする関係であれば、そこから離れて自分の安全を守る権利が私たちにはある。

 自分の体は、摂取した食べ物を咀嚼し、分解し、栄養を体の細胞に与える。その何億という細胞たちは、黙々と自分の役割を果たし、自分の体を生かしている。私はまったく意識しないのに、心臓は休まず働き、細胞は分裂を繰り返しながら死んでいき、新たに生まれ変わる。私の体もこうして自分を生かすために日々生まれ変わっているのだ。私自身も「私」を保ちながら生まれ変わる力をもっている。

 生まれてから今まで、成長の過程の中で、その時々の様々な出来事の中で経験を積み、学び、その都度私は変化してきたのだろう。しかし離婚後の生活は本当に自分を変えたと感じる。過酷な生活で精神的にどん底を味わった後、自分を縛っていたものから脱皮した、そんな感覚なのだ。もちろんまだまだ縛られていることも、思いこんでいることもある。ただ何か心の重しがとれたというか、心の自由度が高くなったように思う。

 
 このブログは、私のモラハラ被害体験を綴っている。現在モラハラで苦しみ悩んでいる女性たちに伝えたい。どんなに苦しくても、必ず「今」は変わる。自分で変える力をあなた自身がもっている。そして人それぞれ変わる「時」がある。焦らず、願うところを思い続けてほしい、と思う。モラハラから離れても、人生の中の困難は常にあるだろう。でもあのモラハラと格闘しそこから離れることができれば、それが自分の大きな力になり、その後の困難に立ち向かう勇気になる。何よりも自分の魂を生きることができるのだ。そう私自身実感するし、新たな人生を送っている多くの勇気あるモラハラ被害体験者がそれを体現している。

 記事はもうこれ以上更新しないと思いますが、モラハラで苦しんでいる方々が、ひとりでも多く自分を取り戻すことができますように、心から願っています。