こころの声に耳をすませて

あの結婚生活は何だったのだろう?不可解な夫の言動はモラル・ハラスメントだった…と知ったウメの回想エッセー。

今も『私』を生きてます(後日談)。

2018-06-01 22:04:48 | 別居その後
 このブログを始めてから15年が経つ。離婚して10年以上の年月が経った。そしてこのブログの更新を終えてから8年が経っている。この間も、この拙いブログに、本当に多くの方々が日々訪ねてきてくださっている。まだまだ多くの方がモラハラに苦しめられているという、その現状に胸が苦しくなる。少しでもこのブログが皆さまの役に立てることを願い、ずっと残してきた。もう記事は更新しないつもりだったが、ある衝撃的?な事実がわかり、改めて皆さまに参考にしてほしいという気持ちになった。

 ブログ最後の更新から8年。私はおひとりさまを満喫している。仕事を続け、時に残業や出張もし、仕事仲間と飲み、友人と遊び、人とのつながりは人付き合いが制限されていた結婚生活の時よりも格段に増えた。自分が落ち着ける住居を持ち、家に帰れば、誰一人私の生活を脅かす人はなく、家の中のストレスはゼロの生活。家に誰もいないことの幸せは、他の人にはわからないだろう。家の中には私以外に誰もいない。誰にも気を遣うこともなく、私のペースで過ごし、私の好きなものに囲まれ、好きなメニューを作り、好きなものを食べ、心からリラックスできる。そんな生活ができることは本当に幸せだと実感する。こんな生活が待っているとは、あの頃は、そう、結婚生活を送っている頃は1ミリも思えなかった。結婚生活は幸せの生活であるはずだという、世間の思い込みがある。しかし配偶者の要求に縛られ、逆に誰とも交流する機会が持てずに孤立することがわかり愕然としたことを覚えている。
 ただ、少しずつ脱出をイメージし、それを実現すべく、いろいろな状況をシミュレーションし、それに向かって行動したことによって、今の生活を作り上げることができた。また多くのモラハラ被害を受けた仲間たちの共感と励ましがあってこそ、前に向かって一歩一歩進むことができたこと、それが何よりの私の力になった。おかげで、今は仕事も生活も人間関係も充実しており、幸せでありがたく感謝の思いでいっぱいだ。私は心から離婚してよかったと思っているし、不安はあったものの、おひとりさまになってからこそ、様々な人とのつながりを自由にもつことができ、人生が広がった。

 ところで、先日デパートで知人とばったり会った。その知人とは、私がかつて結婚生活を送っていた時の、元夫との共通の知人だった。その知人は優しくユーモアにあふれたとてもいい人だった。私は懐かしく声をかけ、その知人も15年ぶりくらいにもかかわらず、覚えていてくれ再会を喜んでくれた。立ち話でお互いの近況などを伝えあった。私は「私、あの人と離婚したんですよ」と伝えた。知人はそのことを元夫から聞いて知っていた。
 そして「こんなこと言っていいのかどうかと思うけど…その後結婚したこと知ってる?」と言ったのだ。私は一瞬誰のことを言っているのかわからなかった。「え?もしかして元夫?」というと言いにくそうにうなずいた。そして知人は言葉を続けた。「でもその2年後に離婚したんだよね。」「は?やっぱり!?ひとりで生きるのは嫌な人だとは思っていたけど…バカは死んでもならおらないって奴ですね」と思わず言ってしまった。「う~ん、やっぱり彼は結婚には向かないと思う。誰かと暮らしても…難しいよね。ひとりで生活したほうがいいんだろと思う…相手も知ってるけど、いい人だったよ。」と知人は言った。奴は今、両親のいなくなった実家で暮らしているという。

奴がまた結婚…馬鹿じゃないか。奴はいつも夢見ている。今度こそ、自分の理想とする自分の要求を100%叶えてくれるエンジェルが、あるいはビーナスが現れるはず、と。しかしそれは人間ではないので、人間である私たちにとっては過酷な要求となるのだ。誰も自分を無にして相手の要求を呑める人はいないし、要求はかなえられない。なぜなら、モラの要求は常識を超えているから。相手を自分の意思をもつ人と思っていないから。そして相手は自分の欲求を満たすためにのみ存在すると思い込んでいるから。

 私は改めて心から思った。モラは死んでも治らない。奴は4回目の離婚をしたのだ。まだわからないのか。いつまで学習せずに繰り返すのだろう。いつまでも自分に責任がもてず、誰かに依存し自分の世話をさせるために、誰かを犠牲にして人のせいにし続けるのだ。救いようのない存在だ。人の言葉も心も通じない。いつも自分が正しく相手が悪い。反省もないから同じことを平気で繰り返している。以前の結婚は失敗だった。なぜなら妻は俺様の言うことを100%叶えなかったから。でもいつか俺様の欲求を100%叶えてくれるビーナス(あるいは理想のマザー)と出会えるはず、と。その頑なマイワールドを勝手に相手に押し付けるのだ。
 モラは死んでも治らない。反省もない。外面よく、美辞麗句を並べてもそれは自分に酔っているだけ。他人からの助言も受け入れるふりをしながらも、いっさい受け入れることはない。なぜなら、俺様が一番正しいと思い込んでいるから。

 改めて思う。「モラは死んでも治らない。」

 あの頃、私も何とか元夫にわかってもらおう、理解し合いたいと四苦八苦した。しかし何度も蔑まれ足蹴にされ、それが叶わないと心底から思い知らされ、相手が死んでほしいとまで思いつめ、その後脱出するに至った。脱出したら、平安と自分の希望があった。私は脱出してから、そして離婚してから本当に幸せだ。私は私の人生を生きている。特段ドラマチックな展開もないが、ごく普通に生活し、働き、自分の給料を搾取されることもなく、夫の理不尽な要求に束縛されることもなく、自分の望む人たちとつながることができる。それがどんなに幸せなことか、自分が自分でいられることか。それは、あたりまえのことでかけがえのないことである。
 夫婦でごく普通に会話し、冗談を言い、相手に要求している知人友人をそばで見ることがある。それはとても不思議な光景に見える。私と夫はどうして普通の会話ができなかったのだろう。私はごく普通におしゃべりし、冗談を言い、お互い気兼ねなく何でも言い合いたかった。でもそれは叶わなかった。どうしてあんな相手を選んでしまったのだろう…と思う。ただ、それは多くの人々の中からたまたま出会ってしまった交通事故のようなものであり、自分自身が悪いのでは決してないのだ。
 あれから長い年月が流れ、今だから思えることは、あの結婚生活も私の人生のプロセスであり、あの体験から学んだからこそ、その後の充実した人生が待っていたと思う。あの最悪な日々を思うたび、すべての日常のごく普通に過ぎていく出来事や、ささやかなことにすら幸せを感じるようになったからだ。心穏やかに部屋の中で過ごせること、見たくないテレビ番組は見なくていいこと、自分の好きな食材を買って料理すること…こんなことは他の人にとってあまりに当然のことで、取り立てて幸せなこととは感じないかもしれない。しかしそんなことにも幸せに感じることが、普通に生活できることへの感謝の思いで心が満たされるのだ。

 今、相手とのモラハラ関係で悩み苦しんでいる方々に伝えたい。「モラは死んでも治らない」ということを、決して自分の理不尽さを理解できないということを。離婚してから何年もたった後、改めて思い知った私の経験を、ぜひ申し伝えたく、休眠ブログを更新した次第です。

 再度繰り返します。「モラは死んでも決して治らない」。

相手への期待はもうやめて、大切な自分の人生を大事にしてください。
やり直しはいつでもできます。
今がどん底なら、あとは上がるだけです。
あなたは、自分を助けることができます。
モラハラから離れることを思い続けていれば、自分のタイミングに合った「その時」がきます。
あきらめずに、行動さえすれば、自然と望む方向にいくでしょう。
他人と過去は変えられませんが、自分と未来は変えることができます。
しかも、いい方向に。

これはモラハラ被害に遭った、私自身の真実の経験と実感です。
縛られて何もできずに固まっていた私でしたが、今だからこそ伝えられます。
私はモラ夫と離れ、いろんなできごとがありつつも本当に自由で幸せな人生を送っています。

どうかあなた自身の、ただ一度のかけがえのない人生を大切に。
あなたは自分を助け、自分を生きることができる。
そう信じています。
あなたの勇気の一歩を応援しています。


ウメより