私達は様々な人間関係の中で、いい関係を結ぶこともあれば、腹のさぐり合いのような関係もあろうし、時には折り合えない関係もあるだろう。そして、怒ったり傷ついたり悲しんだりする関係もあるだろう。
私も多くの人たちと、いろんな関係や状況を体験してきた。人との出会いに恵まれ、沢山支えられたし、もちろん不愉快な関係もあった。
原家族との関係は別として、私には、他人との関係で酷く傷つきのたうち回った経験が3度ある。ひとりは元夫。ひとりは元上司。いずれもこのブログ上で掲載しているモラハラの加害者達だ。
そしてもうひとりはある友人だ。
この友人は、仕事の取引先の会社に勤めていた派遣社員だった。数年前、たまたまある仕事で一緒になった。年齢が同じだったこともあり、以前夢中になった音楽や趣味の話しが一致して盛り上がり、その後、連絡を取り合って会うようになった。その友人とはいろいろな話しをした。家に泊まりに行ったこともあった。連れだってコンサートにも行った。私はその友人を心から信頼していた。
しかしある時ひょんなことから、彼女は私から得たあまり公にできない仕事関係の裏情報を、自分の会社の同僚や上司に得意げに話していたことが発覚した。彼女の会社は私の職場の取引先であり、お互いの会社の情報については、慎重に取り扱わなければならない。些細なことから、信頼関係がこじれ、職場に損益をもたらすかもしれないのだ。
私は彼女の軽率なおしゃべりに青ざめ、「そのようなことはやめて欲しい。私は友人だからこそ信頼して伝えたのであって、他人には伝えてほしくない。ましてや仕事関係者には話すことについてはルール違反ではないか」と、やんわり抗議した。
しかし彼女は、その抗議の意味が理解できなかった。「お互いの職場を思って、必要な情報だから気を付けて伝えた」と言ったのだ。
私はそのような考え方に心底驚いた。そして彼女は、個人的な関係における話しに対して、公私混同してしまう人だということがわかったのだ。仕事への姿勢も、価値観も違うのだろう。人間関係の持ち方も、実は私とは全く違うのかもしれない。そう思い至るまでも随分な時間を要したが。
結局、私は仕事上の成り行きから、彼女の所属する会社の上司へ、「軽率に情報を(友人を介して)流してしまったこと」に対して謝罪に行ったのだ。それは非常に恥ずべき事であり、私自身の信用問題にかかわることだった。彼女が詫びるべき問題だったにもかかわらず、なぜ私がこんな屈辱的な思いをしなければいけないのだ…。私はその後、その会社に対してしばらく気まずく憂鬱な思いをもちながら仕事せざるを得なかった。
しかし彼女はその深刻さに気づかず、またいつものように私に笑顔を向け、いつものように付き合おうとしたのだ。
私はもう彼女に笑顔は向けられなかった。ただ不信感だけが膨らんでいった。一度は信頼しきっていた友人に対する自分の思いにも自己嫌悪を抱いた。できればまた仲良くつきあいたい、という気持ちもあったがもう無理だった。
その相反する思いに自分自身も長い時間苦しんだし、友人からメールが来ても連絡をとらなかった。そのことすら苦渋の判断だった。
いつしかその友人とは疎遠になったのだが…。
昨日、彼女が私のケータイにメールしてきた。私は慎重にそのメールを読んだ。彼女からの内容は、久し振りだということ、思い起こせば気になることをしてしまったこと、それを謝りたいし、友人としてまた会いたい、というものだった。
あれから2年近くになるのに…彼女も気にしていたのか、と一瞬思った。同時に、当時のやりとりがまざまざと思い浮かび、不愉快な思いがどこからか湧き起こってきた。
あの時、私の立場をまったく配慮しなかったあなたの言動に、どんなに驚き不快にさせられ、苦しめられたか…。
会って話そうか、という気にもなりかけたが、すぐに会うのはやめようと思った。もう相手に合わせる必要はない。不信感を心のどこかに抱きながら、友人づきあいはできない。
もう私は誰に対しても無理することはないんだ。自分を押し殺す必要もないんだ。
私が最も傷つけられたこの3人の共通点は、出会った頃は魅力的で好印象な人物だったこと。そして親密な関係となり、私自身が一度は心から信頼していること。
それが…安心しきっていたら、背中からいきなりナイフでざっくりと切り裂かれるような仕打ちを受けるのだ。それはとても信じがたい出来事なので、なかなか受け入れられないが、恐るべき仕打ちはその後何度も繰り返されることになる。そして私は感じることが怖くなるのだ。あんなに親密な関係だった人からこんな仕打ちをうけるはずがない。これは現実じゃない。またいつものように優しい笑顔を向けてくれるはず…、と。
最初から印象が悪ければ、不快な思いをさせられてもそれは当然のこととして受け止められる。思い入れがない人相手だったら、仕方がないとあきらめられる。
この経験から私は思う。人を最も深く残酷に傷つけることは、信頼しきっている人物から、まるで信じがたい想像すらしなかった状況に貶められ、打ちのめされ引き裂かれるような仕打ちを受けることである、と。
そう、世の中にはそのようなことをする人もいるんだ。私が悪いから相手が豹変するのではなく、相手自身がもつ問題のために、このような混乱し矛盾した言動を平気で行うのだ。これは私の問題じゃない。相手の問題だ。
私は、変だと感じたら、その感覚に正直になればいい。私が傷ついたら、それは真実なのだから、感じないふりをしなくてもいい。
仕方ないよ。そんな関係もある。でも私が気がついたなら、そんな関係はもういらない…。そんな関係をもってしまったことを責めるのではなく、気づいたら離れればいい。そう、私はいつだってそこから離れることができる。私はいつでも自由に選べるのだ。
そうなんだよ、ね
私も多くの人たちと、いろんな関係や状況を体験してきた。人との出会いに恵まれ、沢山支えられたし、もちろん不愉快な関係もあった。
原家族との関係は別として、私には、他人との関係で酷く傷つきのたうち回った経験が3度ある。ひとりは元夫。ひとりは元上司。いずれもこのブログ上で掲載しているモラハラの加害者達だ。
そしてもうひとりはある友人だ。
この友人は、仕事の取引先の会社に勤めていた派遣社員だった。数年前、たまたまある仕事で一緒になった。年齢が同じだったこともあり、以前夢中になった音楽や趣味の話しが一致して盛り上がり、その後、連絡を取り合って会うようになった。その友人とはいろいろな話しをした。家に泊まりに行ったこともあった。連れだってコンサートにも行った。私はその友人を心から信頼していた。
しかしある時ひょんなことから、彼女は私から得たあまり公にできない仕事関係の裏情報を、自分の会社の同僚や上司に得意げに話していたことが発覚した。彼女の会社は私の職場の取引先であり、お互いの会社の情報については、慎重に取り扱わなければならない。些細なことから、信頼関係がこじれ、職場に損益をもたらすかもしれないのだ。
私は彼女の軽率なおしゃべりに青ざめ、「そのようなことはやめて欲しい。私は友人だからこそ信頼して伝えたのであって、他人には伝えてほしくない。ましてや仕事関係者には話すことについてはルール違反ではないか」と、やんわり抗議した。
しかし彼女は、その抗議の意味が理解できなかった。「お互いの職場を思って、必要な情報だから気を付けて伝えた」と言ったのだ。
私はそのような考え方に心底驚いた。そして彼女は、個人的な関係における話しに対して、公私混同してしまう人だということがわかったのだ。仕事への姿勢も、価値観も違うのだろう。人間関係の持ち方も、実は私とは全く違うのかもしれない。そう思い至るまでも随分な時間を要したが。
結局、私は仕事上の成り行きから、彼女の所属する会社の上司へ、「軽率に情報を(友人を介して)流してしまったこと」に対して謝罪に行ったのだ。それは非常に恥ずべき事であり、私自身の信用問題にかかわることだった。彼女が詫びるべき問題だったにもかかわらず、なぜ私がこんな屈辱的な思いをしなければいけないのだ…。私はその後、その会社に対してしばらく気まずく憂鬱な思いをもちながら仕事せざるを得なかった。
しかし彼女はその深刻さに気づかず、またいつものように私に笑顔を向け、いつものように付き合おうとしたのだ。
私はもう彼女に笑顔は向けられなかった。ただ不信感だけが膨らんでいった。一度は信頼しきっていた友人に対する自分の思いにも自己嫌悪を抱いた。できればまた仲良くつきあいたい、という気持ちもあったがもう無理だった。
その相反する思いに自分自身も長い時間苦しんだし、友人からメールが来ても連絡をとらなかった。そのことすら苦渋の判断だった。
いつしかその友人とは疎遠になったのだが…。
昨日、彼女が私のケータイにメールしてきた。私は慎重にそのメールを読んだ。彼女からの内容は、久し振りだということ、思い起こせば気になることをしてしまったこと、それを謝りたいし、友人としてまた会いたい、というものだった。
あれから2年近くになるのに…彼女も気にしていたのか、と一瞬思った。同時に、当時のやりとりがまざまざと思い浮かび、不愉快な思いがどこからか湧き起こってきた。
あの時、私の立場をまったく配慮しなかったあなたの言動に、どんなに驚き不快にさせられ、苦しめられたか…。
会って話そうか、という気にもなりかけたが、すぐに会うのはやめようと思った。もう相手に合わせる必要はない。不信感を心のどこかに抱きながら、友人づきあいはできない。
もう私は誰に対しても無理することはないんだ。自分を押し殺す必要もないんだ。
私が最も傷つけられたこの3人の共通点は、出会った頃は魅力的で好印象な人物だったこと。そして親密な関係となり、私自身が一度は心から信頼していること。
それが…安心しきっていたら、背中からいきなりナイフでざっくりと切り裂かれるような仕打ちを受けるのだ。それはとても信じがたい出来事なので、なかなか受け入れられないが、恐るべき仕打ちはその後何度も繰り返されることになる。そして私は感じることが怖くなるのだ。あんなに親密な関係だった人からこんな仕打ちをうけるはずがない。これは現実じゃない。またいつものように優しい笑顔を向けてくれるはず…、と。
最初から印象が悪ければ、不快な思いをさせられてもそれは当然のこととして受け止められる。思い入れがない人相手だったら、仕方がないとあきらめられる。
この経験から私は思う。人を最も深く残酷に傷つけることは、信頼しきっている人物から、まるで信じがたい想像すらしなかった状況に貶められ、打ちのめされ引き裂かれるような仕打ちを受けることである、と。
そう、世の中にはそのようなことをする人もいるんだ。私が悪いから相手が豹変するのではなく、相手自身がもつ問題のために、このような混乱し矛盾した言動を平気で行うのだ。これは私の問題じゃない。相手の問題だ。
私は、変だと感じたら、その感覚に正直になればいい。私が傷ついたら、それは真実なのだから、感じないふりをしなくてもいい。
仕方ないよ。そんな関係もある。でも私が気がついたなら、そんな関係はもういらない…。そんな関係をもってしまったことを責めるのではなく、気づいたら離れればいい。そう、私はいつだってそこから離れることができる。私はいつでも自由に選べるのだ。
そうなんだよ、ね