こころの声に耳をすませて

あの結婚生活は何だったのだろう?不可解な夫の言動はモラル・ハラスメントだった…と知ったウメの回想エッセー。

モラハラの呪縛

2007-01-07 13:06:28 | モラル・ハラスメント考
 私は、夫そして職場の上司からモラハラを受け、随分長い間、混乱と苦しみにのたうち回っていた。重い足を引きずり、泣き出しそうになるのをこらえ、冷たい憎悪に怯え、自らの怒りに身を焦がされ、日々を過ごしていた。八方ふさがりに思えた毎日だったが、モラハラという言葉を知り、自分が置かれている状況を理解し、未来は自分で選択できるのだと気づいた時から一筋の光を見いだしたのだ。その光を懸命に求め、夫や上司によって築かれた強固な壁が何でできているのかを調べ、それに合った方法を模索しながらコツコツと切り崩していった(ブログ左のカテゴリー『モラ脱出の道』に詳細があります)。その壁の割れ目からどんどん大きくなる光に励まされ、ひとつひとつ瓦礫を取り除き、やっとその強固なモラの世界から脱出することができた。
 よく見ると、その壁は夫と上司と共同で私も一緒に作ったものだった。私は「自分にはできない」「夫や上司に何とかわかってもらいたい」と思いこむことで、益々自分を追いつめていたのだった。

 モラハラを行使する人とその場所から脱出したら、全ては解決して楽になるのだろうか?
 まず物理的に距離を持つことで、今後は同一人物から日常的にモラハラを受けることはなくなる。そして心から安心してくつろげる自分の空間を手に入れることができる。これらは自分を取り戻す上で、非常に大きな要因となる。
 しかし私が感じたひとつの困難は、モラの影に怯える自分自身の心だった。

 モラ上司、そしてモラ夫から離れたときも同じような感覚を覚えたが、一番恐ろしかったのは、再びモラと接触することだった。もし電話が来たら私は冷静に話すことができるだろうか?もし道でばったり会ったら私はどんな顔をしたらいいの?なにを話せばいいの?そのことを考えると私は手が冷たくなり、胃が締め付けられるようだった。

 夫の場合は、「夫とはもう暮らせないので別居する」と「NO」メッセージを伝えることが出来た上で離れたので、まだ自分の思いに矛盾はなかった。ただまた嫌がらせをされたらどうしよう、という恐怖は非常に大きかった(ブログ左カテゴリー『別居その後』に詳細があります)。
 しかし上司の場合は、職場を辞めた際の理由は「家の事情」だった。職場を辞めるときには、後々のことも考えると本音を言うことはできない。その後の就職先に、何がどのように伝わるかわからないし、たとえ人間関係で悩んでもそれを表面化させずに終わらせるという、大人の振るまいを求められる。本当はこの酷い上司の行いを白日の下に晒し、万民に訴えたいくらいだったが、そうもいかないので、一応笑顔で退職できるような口実を設けた。しかしそれは後々までずっと納得いかないしこりとなって残った。しかも退職後、しばらくしてから上司の電話を受け「トラブって辞めたわけじゃないし、遊びに来て」なんて言われることの悔しさったらなかった。本音をぶつけられないもどかしさと、相反する態度を見せなければならないという矛盾した自分の行動は思った以上に私を縛り付けたのだ。
 私はモラ上司の下を離れた後も同じような業種の仕事をすることになったので、いつどこで会うかわからない。もしかしたら職場に電話がかかってくるかもしれない。そのとき私は相変わらず笑顔で答えなければならないのだろうか…。それを思う度に私の中の怒りと憎しみが燃えたぎった。あんなに酷い目に遭っていながらどうして本人はのほほんとし、私ばかりが苦しまなければならないのだ…。そんな思いがずっと消えなかった。
 退職して1年半後、あるセミナー会場でモラ上司の後ろ姿を見た。そこは200人以上の会場だったので、顔を合わせることは無かったが、確かにあの上司だった。その瞬間、私の胃が締め上げられ動悸が激しくなった。そんな体の反応も私自身を動揺させた。1年以上も会っていなかったのに、後ろ姿を見ただけでこの有様はなんだろう。私はこれから先もモラの呪縛に苦しみ続けるのだろうか…。気分の悪さと胃の痛みに耐えながら何とか研修を受け、終了したらすぐに会場を後にした。
 それからしばらくモラ上司から受けたモラハラやその時の生々しい感情が蘇り、私を苛んだ。私はここまで憎しみや過去の出来事に取り憑かれる自分自身をも嫌悪した。私はこんなに根深い人間なのだろうか。いい加減すっきりできないのだろうか。

 ある時、今の職場の支店にいる女性部長と話しをしたときのことだ。職場の人間関係の話になり、私は元上司との関係で苦しんでいることを少し伝えた。するとその部長は過去の苦い思い出について語ってくれた。「私がとっても信頼していた先輩から、信じられないような裏切りを受けたことがあってね。今でもそのことは忘れられないし、棘みたいになって心に刺さってるわ。」と。その部長はいつもしゃきしゃきとしていて、有能でセンスのいい女性だった。その部長でさえそんな思い出があるのか…。そう思ったら少し心が軽くなった。自分だけが執念深い性格なのではないか、とも思っていたからだ。
 そして、あの研修でモラ上司の後ろ姿を見てから2年後、うちの職場にその上司から電話があった。それまでモラ上司からは業務上の電話があったらしいが、他の人が受けていた。しかし今回はたまたま私がその電話を取ってしまった。私にとって恐れていたことだった。「あら、ウメさん、久し振り。元気にしてるの?がんばってるみたいね」という苦々しいくらいの明るい声。私はとっさに「はい、元気です。ここでは○○の仕事をさせていただいていて、がんばってやっています」と答えた。それが精一杯の、私の言えるセリフだった。そして担当の先輩にその電話をすぐつないだ。
 私は自分のセリフを反芻した。これでいいんだ。これでよかったんだ…。他の職場で生き生きと働いている自分を、はっきり伝えることができた。この一件で私はかなり吹っ切ることが来た。

 モラの呪縛から離れて行くには時間が必要だ。人によっては長い時間が必要かも知れない。私も何年もかかって、少しずつ呪縛を解いている。そしてひとりで我慢するのではなく、誰かに話すことが大切だと思う。何回も繰り返し話すことだ。あるときはブログで、ある時は友人に、ある時は親しくなった職場の人に、何気なくある場面を話してみる。そうすると、思わぬ共感や、別の視点が与えられる。そして、少し客観的に自分を見つめ、過去の場面の意味を別の意味で捉えられる。そして少しずつ楽になってくる。
 
 モラハラの後遺症は思った以上に手強い。モラの呪いはなかなか解けない。しかし方法はある。一つは時間、一つは話すこと。「話す」ことは「放す」ことだとどこかで聞いた。そう、私は話すことで、モラの囚われや自分自身の縛りを「放す」ことができた。様々な感情や思いを放せば、私はもっと楽に生きていける。大事に呪縛を抱え込みしまい込むことはもうしない。
 傷跡は残るだろう。寒くなったら疼くかもしれない。でももう膿んだり発熱することはない。その古傷によって、私はひとつ賢く強くなった。モラへの対処法を知ったこと、そして困難を乗り越える力を身につけたこと。

 それは皆さんが放してくれた体験から学び、いただいた、貴重な知恵と力です。

 今年もどうぞよろしくお願いいたします。



時は必ず過ぎ、私は変化する

2006-12-29 00:19:27 | モラル・ハラスメント考
 夫と別居して2年が過ぎた。今、こうしてひとり部屋にいると、私はずっと昔からこの生活を続けていたような気持ちになるときがある。ある時は逆に、この部屋にいることがひどく不思議に感じられるときもある。

 夫と別居する数ヶ月前、私は昔から付き合いのある年上の友人に、以下のメールを送っている。
『自分に正直に生きるってなんて難しいことか。
 夫と結婚した後、大変だと思いつつ惰性で
 今に至っているような気もします。
 最近、私と夫はお互いもう妥協できないことを態度で
 示すようになり、口もきかなくなりました。
 まあ、その方が気楽なこともありますが、
 はたしてそんな状態で一緒に住むことには疑問ですよね。
 今の気持ちは、夫とはいつ別れてもいいと思ったりもしますが
 でも積極的に別居というエネルギーもないこと、
 男とは二度と一緒に暮らそうとは思わないとか
 自分で思うことはいろいろあるのですが
 それを具体的に行動できないですね。

 たくさん話したいことがあります。
 最近、安心して何でも話せる人がなくて
 本当に寂しいです。
 もちろん夫には何も話せませんし何も理解し合っていません。
 夫は宇宙人だと思っています。
 夫に理解を求めることは不可能です。』

 私は夫との生活に絶望しながらも、今の状況を変えることができるなんてとても信じられなかった。今の生活はもう変わらない。夫と理解し合う努力も果て、惰性と我慢の日々。けれども、この生活を続けなければいけないのだ。どうして夫は私に軽蔑と怒りの眼差しを向けるのだろうか…。優しかった夫は何だったのか?幻だったのか?それともこれが結婚生活の現実なのだろうか…。
 そして夫の蔑み、罵詈雑言に耐える私の中に、憎しみがフツフツと湧き起こってくる。憎しみにまみれた私が、これ見よがしに包丁を全て台所に並べ、研ぐ姿は、逆に自分がモラに食われ鬼になっていた。

 数ヶ月前、ある地方で高齢の夫婦宅に強盗が入り、妻は怪我をし夫は刃物で刺され死亡したという事件があった。しかし蓋を開けてみると、実は妻が夫を殺害した後自らを傷つけ、強盗が侵入したように見せかけた、というものだった。その後のニュースによると、子どもが家を出て2人だけになった後も2人よく一緒に行動しており、近所の人からは仲むつまじい夫婦と見られていたようで、なぜあの奥さんが、と衝撃的な出来事だったらしい。
 しかし実際家の中ではその逆だった。妻は夫から毎日暴行を受けていたという。やめてほしいと懇願しても夫は暴行し続けたそうだ。妻の絶望と悲痛な叫びは押し殺され、自分自身の憎悪におののきながら、妻は必死で昼間の顔を演じていたに違いない。他人の前で見せる夫の笑顔にあるときは夢のようにそれを見、あるときは吐き気を覚えながら笑顔を返したのだろう。そして妻の極限の努力がある日朽ち果てるとき、犯行に及んでしまったのだろう(『ドメスティック・バイオレンス~なぜ妻が~』)。

 この事件を知ったとき、私はたまらない気持ちになった。あれは私だ。あの妻は、かつての私だった。この地獄から逃れるためには夫をどうにかするしかないのでは…と思ってしまう心理状態に私も陥った。お互いの憎悪が、いつか殺し殺される関係になってしまうのではないかと、本当に思っていた。私の苦しみを訴えるために夫の目の前で飛び降りてやる、という衝動にもかられた。夫と私だけの密室に囚われ、酸欠になったようにもがき苦しんでいた。
 しかし外に出れば酸素はあるのだ。窓を開ければそよ風が入ってくるのだ。私はそれを忘れていた。いや、気付くことができなかった。
 
 私はパソコンという窓からモラハラ被害者同盟のサイトや、DVやモラハラに苦しむ妻達のブログを読み、この世界を変える方法、即ち外に出ればいいのだということを知った。いや、心底から理解したのだ。前からそんなことは知っていたができなかった。夫を変えることに固執していた。私は私の視点を変え、私の置かれている状況を理解し、外に出ることができた。

 今もモラハラに苦しんでいる方々は大勢いらっしゃるだろう。非常に苦しい状況に置かれているが、我慢するしかない、と思われている方もおられるだろう。しかしどうにかこの状況を変えたいと望めば、必ず変えることができる。今すぐにできなくても、思い続けていれば、きっと窓が開け放たれ、何らかの力を得ることができる。時は必ず経つし、今は必ず変化する。そして、日々爪や髪が伸び、怪我をしたところの皮膚が再生するように、自分自身も変わることができる。あなた(私)はずっと同じではない。私は日々新しい細胞を生みだし、体も心も新しい力を生み出している。そして様々な情報や人から力を分けてもらえばもっと生きやすくなる。きっとできる!


 今年もこのブログをお読みいただきありがとうございました。どうか皆さま、良いお年をお迎え下さい。
 そして、新しい年に、新しいご自身と出会うことができますように…



相手を理解するということ

2006-12-23 11:15:14 | モラル・ハラスメント考
 私の場合、モラハラを行使する相手は、いずれも親密な関係にある人だった。夫とは恋愛結婚だったし、上司とも最初は非常に親しい関係にあった。
 モラハラの恐ろしいところは、信頼し無防備でいられる相手だと思っていたら、いきなり豹変し足下をすくわれることだ。しかしそれまでいい関係にあったので、まさか相手がわざと自分に嫌がらせをしているとは思えないのだ。「きっと嫌なことがあったのだろう」「たまたま不機嫌だったのだろう」「体調が悪かったのかもしれない」私は不意打ちに遭う度にそう思った。

 なぜなら、私自身好きな人に敵意をぶつけるなんてことはあり得ないと思いこんでいたからだ。人は一度相手を信頼したり好きになったりしたら、その気持ちは変わらない、むしろ変えてはいけない、それを貫くのが筋、と思っていた。そして行き違いがあっても、言葉を尽くして相手に伝えようとすれば、きっと理解してもらえる。そして私も辛抱強く相手を理解しようと努力すれば、きっと相手も伝わり分かり合えるはず。
 それが人に対する誠実さだと信じていたところがある。私自身、実際に膠着状態にあった関係が、双方の努力だったり、あることがきっかけになったりして改善された例をいくつも見たり聞いたりしていたし、そう思っている人も多いだろうと思う。

 生きていると予想もしない出来事が突然起こる。もし、このぎくしゃくした関係のまま、明日夫が交通事故で死んだら…私はとても後悔するだろう。なぜもっと言葉を尽くさなかったのか、相手の不機嫌を理解できなかったのか、と。だから今日できるだけのことはしよう。今日理解し合えなくても、明日は和解できるかもしれない。そう思い、私はできるだけのことをしようとした。
 しかし、夫を理解しようと努力すればするほど、夫のモラハラはひどくなり、私も疲れ果て、挙げ句の果てには「夫が交通事故で大怪我して入院してくれればいいのに…さもなくば死んでくれればいいのに」と思うようになったのは皮肉なものである。

 とにかく親密な関係で理解し合えないことはない、自分が理解する努力をすれば相手も変わる、と思いこんでいた。
 相手を理解しようとする努力はとても大事だろうし、必要なことだとも思う。お互いが努力してこそ、いい人間関係を築くことができると実感もしている。その場で理解し合えなくても、時間をかけて話しをすることで、お互いの理解が深まる場合もある。それも私自身体験していることだ。

 ただ、私自身がモラハラの被害に遭って分かったことは、理解することと受け入れることは違う、ということだ。私はずっと、相手を理解し受け入れることが大切なのだと思いこんでいた。

 夫がなぜか不機嫌になったり、暴言を投げつけたりする。なぜだろう。どうしてそのような態度になるのだろう。そういえば夫は子どもの頃、父親から暴力を受けていたと聞いた。その頃のトラウマが夫の言動に影響しているのかもしれない。それは非常に辛いことだ。だから多少の暴言があっても、我慢して受け止めてみよう。そしていつも変わらぬ態度で夫に接してみよう。そして夫の子ども時代の話しに耳を傾け、何気なく暴力的環境が成長過程に与える影響などについても話してみよう。そうすれば夫も心の安定を取り戻すかもしれない。私にも至らないところがたくさんある。私も夫の不機嫌の元を作らないように努力しよう。

 このような努力をしていたら、もしかして変わる相手もいるかもしれない。しかしモラは変わらなかった。時々変わったと見せかけ、私がほっとするとまた攻撃、という感じでますますエスカレートするだけだった。
 ここで私が間違っていたことは、夫を理解することで夫を変えようとしていたことだ。『他人と過去は変えられない』と言うように、他人を変えることはできないということを、私は嫌というほど知ることになった。
 相手を理解しようと努力する。そして、その副産物として相手が変わってくれたらそれはラッキーなのだ。しかし変わらなければ「変わらない」ことを理解しなければならない。そしてその結果、自分自身が何を思い、何を感じているかを理解しなければならないと思う。そうしなければ相手をコントロールすることばかりに囚われ、我を見失って、自分の人生を生きることができなくなってしまう。

 夫は「議論に勝つためには、相手の言うことを理解しようとしないことだ。相手の話を聞かずに、ひたすら自分の理論をぶつけることだ。」と言ったことがある。まさにモラ的思考で、彼はこれを地でいっていた。だが、こういう論法で世を渡っている人々もたくさんいるだろう。もし相手がそのような態度だったら、理解し合うなんてことはありえない。『バカの壁』がベストセラーになり私も便乗して読んでみたが、冒頭で「話しても分からない」ことがいかに多いか述べられており、夫や上司との関係を思い浮かべながら、なるほどとやけに納得したものだ。

 ある人間に対して努力しても理解できない、あるいは非常に苦しい状態が続いているのであれば、時間をおいたり、その場から離れたり、あるいはあきらめたり、「理解できない」ことを理解すればいいのだと、そう思えたときから、私はだいぶ楽になった。


 思い起こせば、私は一番近い身内である親とも理解し合えないとあきらめたんだったな~…。それなのに、心の底ではあきらめきれなくて、夫にその思いをぶつけていたのかもしれない、っていうか
そうだったんだろうな~…
 

「モラといた日々」と「モラのいない日々」 ~『モラルハラスメント・ブログ』共同企画~

2006-09-09 16:27:04 | モラル・ハラスメント考
 私は夫と生活していた頃、非常な孤独感を抱いていた。家の中では、いつ爆発するかもしれない夫に、びくびくしながら過ごしている私。思いも寄らないことで夫は罵詈雑言の嵐を私に浴びせ、ただただ凍りつきうなだれて嵐が去ることを待っていた私。こんな夫の姿を、そして虐げられている私の姿を誰にも言えなかった。夫との関係を何度立て直そうとしたことだろう。夫の笑顔が見たくて、どんなに笑いかけ、ご機嫌を窺い、夫の望む生活を送ろうとしたことだろう。しかし、それは残念ながら功を奏さなかった。
 絶望し崩れ落ちそうだったあるとき、ネットで『モラル・ハラスメント被害者同盟』を知った。私は目を見張った。このエピソードも、あれも、それも、うちの夫と同じだ!と。その瞬間、私は孤独ではなくなった。それ以来、私は同じ体験をもつ仲間に会いに『モラハラBBS』をよく訪れた。投稿を読み、似たような苛酷な体験に涙した。私は自分の置かれている立場がはっきりわかった。そして私は自分自身を取り戻すために脱出した(詳細はこのブログを最初から読んでいただければと思います)。
 その後私は、『モラハラBBS』に投稿を始め、モラハラ被害を受けた方々と言葉を交わすようになった。パソコンからの文字でも、温かい共感が溢れていた。そこを通して、まっち~さん(モラルハラスメント・ブログ)や宇砂子さん(宇砂子の七転び八起き)と知り合った。お二人と交わした言葉がどんなに私を慰め、私を支え、力づけたことか。このお二人の勧めでその後私もブログを始め、多くの方々と言葉を交わしながら、自分自身を振り返り癒しと力をいただいている。
 この度の共同企画をきっかけとして、モラハラを受け苦しんでいる多くの方々に、気づきがもたらされ、厳しい孤独から抜け出すことができますよう願っています。

〈 夫と生活していたときの日常とは…ある1日 〉
 朝、起きて洗顔し、洗濯機のスイッチを入れる。着替えてから朝食を作る。そして夫を起こす。何度か声をかけるがなかなか起きないため、私は先に朝食をとる(私も働いていたので朝は1分1秒が惜しかった)。そして夫に再度声をかけるとやっと起きてくる。そのままテーブルにつくが、すでに冷めたトーストをひとくちかじり「これいらない」と冷たい視線を投げる。「もう一回焼き直そうか?」「いい。」私は夫の怒りオーラに緊張しつつ自分の食器を流しに運ぶ。そして出勤の支度をすると、夫はトーストだけ残し朝食を食べ終わり新聞を読んでいる。夫の食器も流しに運び、洗う(時間がないからと流しに食器を残すと大変なことになる)。時間を気にしつつ洗濯物を干し、ばたばたと支度して私は暗い気分で出勤。

 夕方…そろそろ退勤時間が気になってくる。早く今の仕事を終わらせなければ…手が震え、血の気が引く。17時15分。いてもたってもいられなくなり、「お先に失礼します」と退勤。他の同僚の視線に気が引ける。そしてスーパーに直行し、夕食の買い物をする(夫は冷凍食品やインスタントは大嫌いだったので、常にその日に購入)。ああ、どうしよう、今日のメニューが頭に浮かばない。手が震え、心臓の鼓動が速くなる。時間を気にしながらとにかく食材を選び、急いで家に帰る。すると夫が既に帰ってきている。「ただいま。すぐ作るからね」と座る間もなく、料理を始める。
 「今日の夕食は何?」「豚の生姜焼き」「時間かかるのか?」「30分くらいで作るから」「おい、俺は6時に夕食を食べたいんだよ。わかっているだろ?…今すぐ食べられるものを買ってこい!!いますぐにだ!!」鬼のような顔をして怒鳴る夫。私は涙をこらえてまたスーパーに走る。しかし買ってきた総菜はまず食べない。
 それか、夫はイライラして夕食を待っている。私は恐怖で震えながら夕食を作り、食卓に並べる。夫は「はあ~~~っ」と溜息をつく。そして乱暴に音を立てて箸を置いたり、お茶碗を置いたりする。そしてわざと大きなゲップをしたり、溜息を吐く。「お酢とって」「お茶!」と言い、そのたびに私はテーブルを立つ。そして私は小さくなって下を向き、惨めな気持ちで黙って食べる。夫は食べ終わった後も怒りオーラを放っている。
 私はとにかく夫を刺激しないように、顔色を窺いながら夕食の片づけを始める。夫はテレビを見て笑い出した。よかった…機嫌が直ってきた。私はほっとする。「梨があるけど食べる?」と話しかけると「おお」と上機嫌な返事。私はちょっと嬉しくなり梨をむき、だした。夫と私はテーブルにつき梨を食べる。「これ甘くておいしいね」「そうだね」返事ひとつにも細心の注意を払いながら私は答える。以前うっかりそのままおしゃべりしていたら、夫がいきなり怒りだしたのだ。「おい、その日本語は何だ。おまえと話してるとほんとにイライラするんだよ。どうしてそんな話ししかできないんだ?あぁ?だいたいおまえはだなあ…」と始まってしまった。それ以来極力おしゃべりしないようにしてきた。
 その後デザートのお皿を片付け、お風呂を入れる。夫がお風呂に入っている間、洗濯物を取り込み、たたんでしまう。ワイシャツにはアイロンをかけておく。その後私は自室に閉じこもり、本を読んだりパソコンを触ったりしているが、その間も夫が廊下を歩く音、ドアを閉める音に耳をそばだたせ、夫の機嫌を推し量っている。
 夜も更け、もう寝ようと思った頃夫が「おい、ちょっとここに来て」とリビングから私を呼ぶ。急に私の動悸が激しくなる。また…何だろう…。テーブルに座ると夫が「おまえ、まだ気がつかないのか?」「何を?」「俺はずっと我慢していたんだ。おまえが気がつくまで」「…。」「俺が何に怒っているのかわからないのかっ!?そうだろうな、おまえは鈍感だからなっ!!」夫の罵声は酷くなった。夫の罵詈雑言…私がいかに家事をおろそかにしているか、私がいかにダメ人間であるかを強調し、徹底して蹂躙する。私はただただうなだれて凍りつき、小さな声で「すみません」「ごめんなさい」「気を付けます」を繰り返す。2時間も経った後、ようやく夫は「まあ、俺も言い過ぎた。でもおまえもしっかりしてくれよ」と言い、やっと解放された。午前2時…。明日も仕事…私は真っ暗な気持ちで布団に入った。なかなか眠れなかった…。

 こんな日々に、私は疲れ果て、絶望と抑うつ的な気分に覆われていた。円形脱毛症にも悩まされた。私が受けた一番のダメージは、夫の前で卑屈になり惨めに打ちひしがれた自分自身の姿だった。私はもっと楽天的で前向きな性格だった。しかし夫の前ではオドオドし、びくびくし、顔色を見、足音に怯え、卑屈になり、機嫌を窺い、ぼろくそな罵詈雑言を浴びせられても黙っている。この私は何?私はこんな自分のまま夫との生活を送り、こんな惨めな私のまま生きていくのか?これでは私が可哀想すぎるよ!!
 そして私は夫と別の生活を送る決意を固めたのだ。

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 現在は別居という形のままひとり暮らしを送っている。
ささやかな幸せ』を読んでいただければと思う。
 私は夫と離れて、やっと自分を取り戻した。本当は夫と一緒に私を生きていきたかった。しかしそれは、私自身を生きることができない生活だということがやっと理解できたのだ。私が死んでしなうような生活からは離れればいい。そして、本当の自分を生きればいいのだ。それがどんなにしあわせなことか、私はやっとわかった気がする。

 私がまっち~さんのブログに初めてコメントを入れたのは、平原綾香の「ジュピター」のことについてだった。その英語版と和訳したこの歌詞を読み、私は自分自身をもっと信頼しよう、と思ったのだ。私が感じる嫌なこと、恐いこと、悲しいことを我慢して見ない聞かないふりをしないで、もっと自分のこころの声を聴き、それに応えていこう、としみじみ思ったのがこの歌詞だ。
 このブログを読んでくださった方に贈ります。
どうか、ご自身のこころの声を聴き、その正直な声を大切にしてください。その声は必ずやあなた自身を生きる道へ導くことと思います。

『The voice ~“Jupiter”English Version~(対訳)』

いつも私は自分の心に耳を傾ける
どうすれば良いかわからない時
何にも確信を持てない時
私は自分の心の声を信じる

だから、あなたが道に迷って
天使や救いの手が欲しいとき
すべてがあなたの肩に掛かっているように感じるとき
ただあなたの心の声を信じなさい

いつも私は自分に耳を傾ける
何も感じることができないとき
自分の強さを何処にも見つけることができないとき
私は自分の心の声を信じる

私の中の…

時々、人生は思いもしない方へ行ってしまう
そして、それが何処に行き着くかは分からない
それは戦い 誰もあなたの代わりはできないし
何一つ自分が思ったようにはならない

でもあなたがなすべきことの答えを
探し求めているときも
もうこれ以上何も見る必要はない
ただあなたの心の声を信じなさい

いつも私は自分の心に耳を傾ける
何も見えないとき
何も確信を得られないとき
私は自分の心の声を信じる

すべてがあなたの肩に掛かっているように感じ
自分の進むべき道を探しているとき

いつも私は自分の心に耳を傾ける
何も感じることができないとき
自分の強さを何処にも見つけることができないとき
私は自分の心の声を信じる

私達は皆、心に葛藤がある
疑いで頭が一杯になっているとき
良い助言もあなたを迷わせてしまう

いつも私は自分の心に耳を傾ける
どうしたら良いのかわからないとき
何にも確信を持てないとき
私は自分の心の声を信じる
いつも私は自分の心に耳を傾ける
何も感じることができないとき
自分の強さを何処にも見つけることができないとき
私は自分の心の声を信じる

私の中の…



モラハラ後遺症

2006-08-06 23:30:02 | モラル・ハラスメント考

 どうもここのところ暑すぎる日々だ。そのうち日本は熱帯のジャングルに覆われるかもしれない…巨大爬虫類や巨大昆虫が進出する日本…こわ~い!
 ところで、ブログに夫のことについてアップしようとパソコンに向かうが、どうも脳内の拒絶反応が強く、パソコンを見つめながら時だけが経つ始末。先月、再び夫から意味不明の電話もあり、そのことを考えていたら恐ろしい夢を見た。

 その夢とは…私は電車に乗っている。なぜか外国人の乗客が多い。ボックス型の席に座っていたら前の座席の下から、アマゾンに住むような巨大ワニが顔を出し、いきなり大きな口を開き私に向かってきた。私はワニに噛みつかれまいとワニを押さえようと、開いた顎を手でつかんで押し戻そうとした。すると、ワニが頭を一振りし、私の左手にガブッと噛みついたのだ。それはまさにテレビ『世界衝撃映像特集』の場面のようであった。食いちぎられるっ…私は死にものぐるいでワニの顎をこじ開けようとすると、奇跡的にワニが口を開け、左手を抜き取ることが出来た。幸いにもワニの歯形から血が滲んでいるくらいで済んでいた…という内容。

 目が覚めたとき、その場面が頭にこびりついて離れず、恐ろしく嫌~な気分だけが残った。これはいったいどういう意味なんだろう…。私の心の中に、まだモラの呪縛が残っているのか。
 
 私が夫と別居した直後、私はほっとしたと同時に、しばらくは夫の陰に怯えていた。家に来るのではないか、電話で何か言われるのではないか…と。そしておかしなことに、ちょっとの間、私は帰りが夜遅くなると、夫から叱責の電話が入るのでは、と怯えていた。別居してもなお、私の帰りが遅いときに夫から電話がかかってきて留守電だとわかったら、また『こんなに遅くまでどこに行っていたんだ!』という電話が再度かかってくるのでは、としばらくそれが気になった。実際には殆ど電話などなかったのだが。
 あとから考えると、どうして別居しているのに夫からの干渉を想像して怯えなければならないのだ、と我ながら憂鬱になったものだった。
 またいろいろな感情がわき起こり、それに翻弄されたり、夫と関連した物事に対し過剰反応したりしていたものだった。これがモラ呪縛の後遺症なのだろう。

 先月あった夫からの意味不明の電話は、いつになってもモラはモラ、ということを思い知らされた内容だった。ある日、夫が私と共通の知人にばったり会って話しをしたらしい。その時どんな話しをして、どう勘違いしたかはわからないが、私がその知人と付き合っているのではないか、という妄想に駆られたらしい。「俺は知ってるんだぞ、A(仮に)とはどういう関係なんだ?」「そういえば以前もAのことを聞いてきたな!」とドスのきいた声で一方的に話してきた。
 ああ、モラはいつまでたってもモラだ。その前には「一緒に住んでくれてありがとう」などとほざいていたが、やはりそれはいい人ぶったポーズなんだ。モラ夫と結婚して、もう男はこりごりと思っているところなのに、こいつはバカじゃないか?何もわかっていない。しかも別居状態で、お互い背中を向けているのに、どうしてそういう嫉妬じみた攻撃をしかけてくるのか。私がまだ自分のモノだと妄想しているのか?
 私は頭に血が上りながらも冷や汗が出るのを覚えながら、「なにそれ?まったく関係のない話なんてしないでよね。おかしいんじゃないの?」と言い、思いっきり電話を切ってやった。

 しかし、その後まるで川底にあるヘドロがかき回されて舞い上がり、存在を主張するかのように頭の中を汚染されていく気分に襲われた。やりきれない思いがじくじくといつまでも残った。
 ひとつだけ、モラ夫からの電話をこちらが先に切ってやったことだけが私の慰めだった。一緒に住んでいたときは、外から夫が電話をかけ、罵声をあびせられても私は切ることが出来ず、いつまでも聞いていたから。

 呪縛を切るため、私は即ナンバーディスプレイを設置し(←遅いよね…)、夫からの電話はもうとらない、ということを心に固く固く誓ったのだった。
 もう夫と直接話すことは何もない。事務連絡は留守電にでも吹き込んでくれれば十分。

 モラはいくら時間がたってもモラだということを、またしてもダメ押しされた出来事だった。