誰にでも優しい優男。仕草もゆったり落ち着いた感じで、他人に安心感を与える雰囲気があった。しかもとてもまめ。気がつけば他の社員のコーヒーカップなども洗っておいてくれたり、紙で指を切ったりすると、さっとバンドエイドを出してくれる。他の社員からも「優男さんはまめでよく気がつき助かる」と評価が高い。彼の優しさに、私も大いに慰められ、嬉しい気持ちにさせられていた。
ただ優しさの裏返しは優柔不断だとも言えるが、そんなところも少しずつ見えてきたりもしたのだった。
優男に「優男さんは優しいからいろんな人に頼られるんじゃないんですか?」と聞くと「頼られてしんどいときもあるけどね。相手の事情もわかると断れないね~」と言った。「でも我慢しすぎて怒ることってないんですか?」「う~ん、3年に一度くらいは爆発するかな」「え?爆発って?」「あはは。ちょっとものに当たったりするだけだけどね」…思わず引いた。
この人、実は内面はコワ~イ人かもしれない…。ついモラの二面性を思い浮かべてしまう私…。
「僕は弟が難病で親がずっとつきっきりだったし、弟自身も大変だったからけんかもできなかったしね。常に優しくしなくちゃっていう意識があったんだ。親も苦労してたから、あまり親の手を煩わせないようにって、家事なんかも手伝ったしね。その頃からかな。自分よりもいつも他人のことばかりが気になってしまって…。自分がないな~って感じることがあるよ」「就職だって自分がこれやりたいって思ったわけじゃなくて、親戚から勧められたところに就職したわけで。まあ、それでも何とかなってるからいいことにしようか」う~~~ん。深読みする私。そういえば、飲みに行くときも優男にどんなお店がいいか聞いても、いつも「どこでもいいよ」「ウメさんの行きたいところでいいよ」と言っていた。自分の欲するところがわからないのかもしれない…。
そして何回か優男と一緒に映画に観ながら、「え?」と引っかかるようなことが何回かあった。それは何か。私は映画が好きなので、観たい映画はとても楽しみにしてみる。優男は映画の話しをすると「じゃあ僕も観てみよう」とついてくる感じだった。そして映画を観ながら寝ていたりすることもあったのだ。それを見て私は少々不愉快な気分になった。この人はほんとに映画を楽しんでいるのか?
そしてある映画を観終わった後、私が映画の感想を言いながら「あの場面では泣けたわ」と言ったら「そう?あそこで泣いたんだ」と冷めているのだ。これにもムッとした。この人、ほんとに面白くて映画を観に来ているの?再度私の中で疑問が湧き起こった。ある日、優男とお茶をしながら「ほんとに映画楽しんでます?面白いと思って観てるの?」と聞くと、優男は言葉に詰まった。少し考えてから「僕は自分で楽しみってあまりもてないんだよね。だから何かを楽しんでいる人と、それを一緒にすることで自分も楽しめるんじゃないかな~、と思っているんだけどね」と言った。更に「仕事が終わって早く家に帰っても特にすることがないからつまらなくて、何となく店をぶらついたりパチンコしたりして時間をつぶしてから家に帰るんだ。だから映画なんかが楽しめたらいいな~、とは思ってるよ」と言った。
ここで私の頭の温度がサーッと下がった。優男にはまるで自分というものが感じられない。映画だって悪く言えば暇つぶしだったのだ。だから興味もない映画を観たら眠くなったりするのだ。自分で欲するものはわからない。でも誰かがお膳立てしてくれれば、それに乗ればいい。そうすれば楽だ。自分の欲することも他人が考えてくれる…。優しくすれば他人は自分の期待に応えてくれる。自分の存在を認めてくれる…。それが優男の優しさだったのだ。でも人間には限界がある。あまりに優しさを他人から求められ、本人がその要求に応えられなくなったら…彼は多分突如感情的になって爆発するのだろう。自分の限界も知らず、自分の気持ちを伝えるコミュニケーションも求めず、怒らせた相手が悪い、と。
これはモラ元夫が抱えていた空虚さと似てはしないだろうか。自分がないから妻に自分を丸投げし、妻が自分の期待通りに動いてくれないと、怒りを表明する。でも自分が何を欲しているのかすらわからないモラは、妻が自分の欲するものを当ててくれることを期待している。しかしそんなものは妻には永久にわからない。妻はあれかこれかとモラに差し出すが、モラは決して満足しない。だってモラだって自分の欲するところがわからないのだから。
ああ、やっぱり。私は心の中で大きなため息をついた。私はいつも寂しい男性を選ぶ傾向にあった。その寂しさを埋めたい「わかってあげたい病」。自分が相手の寂しさを埋められれば、自分の存在意義が強まるような気がしていたのだ。共依存傾向にある私。そんな私は同じような相手に吸い寄せられてしまうことを、モラ元夫で痛い目に遭い漸く心底から気づくことが出来た。
そして優男とも、少しずつ疎遠になっていった。というより自分から疎遠にしていった。すると優男からも、何の連絡もこなくなった。相手次第の男なのだと、改めて理解できた。
私は今、自分で自分を満たす方法をやっと会得したように思う。他人によって自分を埋めようとするのではなく、他人によって自分の存在をつかもうとするのではなく、自分で自分を認めるということ、自分で自分を受け入れることを、この年になって漸くできつつあるのかな、と思う。優男から離れることができたことも、自分にとって大きいことだった。以前だったら、また相手の心を埋めようとその優しさに取り憑いてしまったことだろうから…。そしてまた泥縄…。
だから…もう男の方はけっこうでございます~…なんてね(爆)!
ただ優しさの裏返しは優柔不断だとも言えるが、そんなところも少しずつ見えてきたりもしたのだった。
優男に「優男さんは優しいからいろんな人に頼られるんじゃないんですか?」と聞くと「頼られてしんどいときもあるけどね。相手の事情もわかると断れないね~」と言った。「でも我慢しすぎて怒ることってないんですか?」「う~ん、3年に一度くらいは爆発するかな」「え?爆発って?」「あはは。ちょっとものに当たったりするだけだけどね」…思わず引いた。
この人、実は内面はコワ~イ人かもしれない…。ついモラの二面性を思い浮かべてしまう私…。
「僕は弟が難病で親がずっとつきっきりだったし、弟自身も大変だったからけんかもできなかったしね。常に優しくしなくちゃっていう意識があったんだ。親も苦労してたから、あまり親の手を煩わせないようにって、家事なんかも手伝ったしね。その頃からかな。自分よりもいつも他人のことばかりが気になってしまって…。自分がないな~って感じることがあるよ」「就職だって自分がこれやりたいって思ったわけじゃなくて、親戚から勧められたところに就職したわけで。まあ、それでも何とかなってるからいいことにしようか」う~~~ん。深読みする私。そういえば、飲みに行くときも優男にどんなお店がいいか聞いても、いつも「どこでもいいよ」「ウメさんの行きたいところでいいよ」と言っていた。自分の欲するところがわからないのかもしれない…。
そして何回か優男と一緒に映画に観ながら、「え?」と引っかかるようなことが何回かあった。それは何か。私は映画が好きなので、観たい映画はとても楽しみにしてみる。優男は映画の話しをすると「じゃあ僕も観てみよう」とついてくる感じだった。そして映画を観ながら寝ていたりすることもあったのだ。それを見て私は少々不愉快な気分になった。この人はほんとに映画を楽しんでいるのか?
そしてある映画を観終わった後、私が映画の感想を言いながら「あの場面では泣けたわ」と言ったら「そう?あそこで泣いたんだ」と冷めているのだ。これにもムッとした。この人、ほんとに面白くて映画を観に来ているの?再度私の中で疑問が湧き起こった。ある日、優男とお茶をしながら「ほんとに映画楽しんでます?面白いと思って観てるの?」と聞くと、優男は言葉に詰まった。少し考えてから「僕は自分で楽しみってあまりもてないんだよね。だから何かを楽しんでいる人と、それを一緒にすることで自分も楽しめるんじゃないかな~、と思っているんだけどね」と言った。更に「仕事が終わって早く家に帰っても特にすることがないからつまらなくて、何となく店をぶらついたりパチンコしたりして時間をつぶしてから家に帰るんだ。だから映画なんかが楽しめたらいいな~、とは思ってるよ」と言った。
ここで私の頭の温度がサーッと下がった。優男にはまるで自分というものが感じられない。映画だって悪く言えば暇つぶしだったのだ。だから興味もない映画を観たら眠くなったりするのだ。自分で欲するものはわからない。でも誰かがお膳立てしてくれれば、それに乗ればいい。そうすれば楽だ。自分の欲することも他人が考えてくれる…。優しくすれば他人は自分の期待に応えてくれる。自分の存在を認めてくれる…。それが優男の優しさだったのだ。でも人間には限界がある。あまりに優しさを他人から求められ、本人がその要求に応えられなくなったら…彼は多分突如感情的になって爆発するのだろう。自分の限界も知らず、自分の気持ちを伝えるコミュニケーションも求めず、怒らせた相手が悪い、と。
これはモラ元夫が抱えていた空虚さと似てはしないだろうか。自分がないから妻に自分を丸投げし、妻が自分の期待通りに動いてくれないと、怒りを表明する。でも自分が何を欲しているのかすらわからないモラは、妻が自分の欲するものを当ててくれることを期待している。しかしそんなものは妻には永久にわからない。妻はあれかこれかとモラに差し出すが、モラは決して満足しない。だってモラだって自分の欲するところがわからないのだから。
ああ、やっぱり。私は心の中で大きなため息をついた。私はいつも寂しい男性を選ぶ傾向にあった。その寂しさを埋めたい「わかってあげたい病」。自分が相手の寂しさを埋められれば、自分の存在意義が強まるような気がしていたのだ。共依存傾向にある私。そんな私は同じような相手に吸い寄せられてしまうことを、モラ元夫で痛い目に遭い漸く心底から気づくことが出来た。
そして優男とも、少しずつ疎遠になっていった。というより自分から疎遠にしていった。すると優男からも、何の連絡もこなくなった。相手次第の男なのだと、改めて理解できた。
私は今、自分で自分を満たす方法をやっと会得したように思う。他人によって自分を埋めようとするのではなく、他人によって自分の存在をつかもうとするのではなく、自分で自分を認めるということ、自分で自分を受け入れることを、この年になって漸くできつつあるのかな、と思う。優男から離れることができたことも、自分にとって大きいことだった。以前だったら、また相手の心を埋めようとその優しさに取り憑いてしまったことだろうから…。そしてまた泥縄…。
だから…もう男の方はけっこうでございます~…なんてね(爆)!