こころの声に耳をすませて

あの結婚生活は何だったのだろう?不可解な夫の言動はモラル・ハラスメントだった…と知ったウメの回想エッセー。

職場モラハラ その2

2006-10-29 11:22:04 | 職場モラハラ
 私が正社員になってしばらくすると、上司は何かと感情的な態度で私に当たるようになってきた。新事業のことで、神経質になっていたことも事実だろう。しかしあまりのもの言いに、こちらが唖然とするような事態も出てきたのだ。

 ある日、私や同僚、そして上司と仕事のことについて話していた。その時私が話しの流れの中で「ここのところを、もう少し新しくできればいいかもしれませんね~」と言ったその瞬間、上司は目をつり上げ「そんなふうに思っているから、何もできないのよっ!!だいたいそんなふうに言うこと自体が間違っているでしょっ!!」と大声で怒鳴ったのだ。そして大きなため息を吐き、足音も荒くその場から去って行ってしまった。私は突然の言われ方に、ただ呆然と立ちつくすだけだった。同僚も目を丸くして黙っているだけだった。
 
 それまで話していた内容はとくに切迫したものでもなく、緊張したやりとりがあったわけでもなく、ごく普通にやりとりするようなものだった。その延長で私はごく普通に意見を言っただけだった。そんな無防備な状態の時、上司は突然隠し持っていた地雷を投げ込むのだ。あるいは無防備な背中を突然ナイフで刺されるようなものだった。
 そんなことが度々起こるようになり、私はだんだん上司の顔色を見るようになった。ちょっとした話しをすることでも、報告をするにしても神経質になり、慎重に言葉を選ぶようになった。

 ある時はこうだった。上司は親しい関係にある他会社の社長と電話で話していた。その電話で、上司は近々1週間の出張にでなければいけないことを話した。するとその社長は「でもそちらには、頼りになる部下の○○さんやウメさんがいるから、留守していても安心でしょう」と言ったようだった。上司は「そうですね」と笑っていたが、話しが終わり電話を切った瞬間「あの社長さんはね、私がいなくても優秀な○○さんやウメさんがいるから、会社はやっていけるって言ってたわっ!!そうよね、私がいなくたってやっていけるもんね!!私がいない方がいいかもねっ!!!」と吐き捨てるように怒鳴った。そしてしばらくヒステリックに「ああ、いやになっちゃう!」「こっちの苦労も知らないで!」とひとり言い続けたのだ。
 名指しされた同僚や私はただ凍りついていた。この上司狂ってる…。単に相手の社長は、お世辞としてここの会社をほめ、上司をねぎらっただけじゃないか。それなのに、何で私達に八つ当たりしなければならないのか…。実はまともな話しができない人なのかもしれない…。ぞっとした。
 
 この上司は社内では気まぐれに怒鳴ったり、ヒステリーを起こしたりしていたが、社外では非常に愛想が良く、八方美人だった。外見も一見年齢の割には、可愛らしい部分があった。なので、営業でもそれなりの成果を上げていた。また、上の人たちにも愛想良く自分の都合のいいように報告していたので、経営陣も上司を問題だとは思っていないようだった。しかし、この上司のもとで働く私達部下は、皆疲れていた。同僚同士ではお互いに、陰で上司への愚痴をこぼし何とかストレスを発散していたが、それでもやはり上司と日々のやりとりをすることには非常に神経質になり、疲れた。
 また、この上司は説教あるいは演説が好きだった。小さな部署の会議では、この上司が長々と演説を始め、時間を超過しても話し続けた。内容は、上手に整理しまとめれば20分くらいで済むことなのに、それを1時間以上かけて得意げに演説する。まるで自分の言葉に酔っているようだった。私はいつ終わるのかと、よく時計を見たものだった。
 ある時などは、夕方私が外出から帰ってくると、皆自分のデスクにうなだれて座り、しーんとしている。そして上司がひとり怒っていた。私は事情がわからず、静かに自分のデスクに向かい座った。上司は話し続けていた。「…皆、仕事をなんだと思ってるの?上司はどんな役割だと思っているの!?じゃあ、私はどうすればいいわけ?私って何!?」
 私は愕然とした。この意味不明な発言はなんなのか?どんなことでこんな話しになったのかわからないが、これではただの八つ当たりではないか。私が会社に戻ったのは5時30分頃だった。その日は夫の帰りが遅くなるとわかっていたので、そのまま上司の説教というか八つ当たりを聞き、何が発端でこんな話しになったのかを知ろうとしたが、わからないまま2時間が過ぎた。他の同僚や後輩達はひたすら下を向き、固まって聞いている。私はバカバカしくなった。こんな実のない八つ当たりをいったいいつまで聞いていればいいのか。本人は自分に酔い、自分を煽っているだけだ。そして自分で引っ込みがつかなくなっているのだ。
 私は、上司の話しの途中で口を挟んだ。「○○さん、仕事も今忙しいですし、ちょっとお疲れなのではないでしょうか」「…そうね。少し疲れているのかもしれないわ」「もう時間も遅いですし、またゆっくり考えませんか」「そうね。そうしましょう」
 そしてやっとこの長ったらしい説教から私達は解放された。皆すっかり疲弊しきっていた。私は目に余る上司の態度に、ぞっとするものを感じた。狂ってる…。

 このように、上司の意味不明な説教は、退社の時刻になっても終わらずに続くことが度々あった。当時モラ夫の夕食作りが遅くなることを極度に恐れていた私は、上司の話の途中でも、無理に言って帰宅させてもらった。それが上司の気に障ったことは言うまでもない。
 私はモラ上司とモラ夫に挟まれ、心は悲鳴を上げていた。帰るも地獄、残るも地獄である。
 そして上司は自分の思うように動かなかった私に対し、嫌がらせを繰り返すようになった。突然の怒り、意味不明のため息、他の同僚に私の悪口を言う、などである。

 この頃の私は顔から生気が無くなっていた。1日1日を生きるのがやっと、という感じだった。家でも職場でも、どうしてこんな仕打ちを受けなければならないのだろう…。
絶望の日々だった…。

しかしモラの行動って、身内も他人もそっくり…



職場モラハラ

2006-10-22 11:52:28 | 職場モラハラ
 今まで主に夫からのモラハラを中心に、親との関係などについても綴ってきたが、モラハラは身内だけのことではなく、他人からも受けることはある。ただその場合、パワハラやアカハラなどという言葉の方が周知されているのかもしれない。しかし、いずれも精神的な嫌がらせやいじめであり、構造は同じであろう。
 ここで少し身内の話しから離れて、職場で受けたモラハラ体験について記してみようと思う。

 私が最初に勤めた職場は、経営陣の方針がしっかりしており、人にも環境にも恵まれ、仕事について様々なスキルを学ぶことができた。個性あるいろいろな人がいたが、意地悪な人は約1名くらいで(笑)人間関係には恵まれていたように思う。しかし、その頃の私はまだまだワカゾーで、そのありがたみもよく分からず、社会経験も少なかったため、よく分かりもしないくせに偉そうに意見をしたり、同僚と職場の批判をしたりしたものだった。そこから離れて他の職場も経験し、年齢を重ねた今になればそれも若気(バカゲ!?)の至りだとよく分かるのだが…(苦笑)。そんな私を育ててくれたのが最初の職場だった。私はそこに7年近く勤めた。

 そして、結婚と同時に勤めていた職場を退職し、新しい土地に移り住んだ。私は結婚してもすぐ働こうと考えていた。家にいるだけの生活では閉塞感を覚えたものだ。新しい土地に住み、夫の他の人間関係もなく、子どももいず、そんな生活は自分自身にとって耐えられなかったのだ。夫の世話だけをして日々過ごすこともしんどかったし、今まで働いていた経験を活かしたかった。そして私は新たな職場を探した。

 その2ヶ月後、私は以前と同じような関係の仕事をみつけた。その会社の面接の時、なぜかその担当者(後に上司になる女性)と話しがよく合った。私はこんな上司だったらきっと仕事もうまくいくに違いないと思い、その上司もそう思ったのであろう。なぜなら、私は翌日採用の連絡をもらい、その会社に勤めることになったからだ。

 その職場に採用となり、まずパートとして仕事をすることになった。結婚生活が始まったばかりだったので、生活の時間に少しゆとりも持たせたかったからだ。
 面接した女性は、私の直属の上司となった。偶然にも彼女は私の家の近くに住んでおり、お互いの家を行き来するくらい親しい関係にもなった。いただきものをお裾分けしたり、時にはお茶をご馳走になったりする関係になり、時には夫もそこに同席しておしゃべりを楽しんだりした。
 私は新しい土地に住み、心細い思いをしていたこともあって、いい上司に恵まれたことが嬉しかった。また他の社員も穏やかな感じの人が多く、いい職場に巡り逢うことが出来たとほっとしていた。

 その上司とは、公私ともにしばらくいい関係にあった。ただ彼女は職場でたまにヒステリーを起こすことがあった。些細なことで相手をなじり、責め立てるのだ。まだ私自身がその対象になったことはなかったが、そのような場面を見て多少疑問に感じたものだった。ただ「たまたま不機嫌だったのだろう」「上司として、部下を叱らなければならないこともある」といいように解釈をしていた。たまに私に対しても感情的な物言いをすることもあったが、私は持ち前の“イヤなことは聞かなかったことにする”という特技を発揮し(苦笑)、あまり考えないようにしていた。上司もその後短時間で機嫌を直していたせいもあり、気にならなかったのかもしれない。また仕事を離れれば、難しい夫に悩む私の愚痴を聞き、家庭事情も理解してくれる優しい上司だった。プライベートでも親しいのだから、とある意味安心感や信頼もあった(甘えもあっただろう)。

 そして、就職してから2年後、会社の事業拡大によって社員数を増やすことになり、私は上司から「正社員として働かないか」と持ちかけられた。また、私の仕事ぶりを会社や上司が認めてくれ、ある部門の主任として働かせてくれることになったのだ。私は嬉しかった。仕事自体にも慣れ、やりがいを感じていた。同時に、家では夫のモラハラに混乱し、顔色を窺いながらもどうしていいのかわからない日々だった。だから家からなるべく離れていたかったことと、また夫との生活に安心感が持てずいつどうなるかわからないから、とにかく仕事は続けよう、とも思っていた。
 夫に相談すると、「いいんじゃないの。でも家事をおろそかにするなよ。」とクギを刺されたが一応許可(?)してくれた。(ただ、パートから正社員になり給料は増えたものの、そこから更なる生活費を捻出しなければならないという経済的嫌がらせも酷くなったのだが…『経済的嫌がらせ』)

 正社員として働き始め、新しい部門での仕事も試行錯誤しながらだったが、少しずつ軌道に乗り始めた。同時に上司からのモラハラが始まったのだ。
 当時の私はいつものごとく「事業拡大で忙しくなり、上司もピリピリしているのだろう」と解釈していた。しかし上司の感情的な物言いは段々酷くなっていった。それでも私はそんな上司の態度に戸惑いながらも、まだその意味がわからなかった。
 
 そして、私はモラハラの本当の恐ろしさをひしひしと実感することとなるのだ。結婚生活どころか、職場においても…。



『私』を取り戻した日

2006-10-10 23:11:34 | 別居その後
 2年前の今日、私は夫の元を離れた(別居)。
 この日までどんなに葛藤したことだろう。どんなに悩み、苦しんだことだろう。夫の望むようにと思いながらも、それが叶えられない激しい焦燥感。そして、夫への憎悪に焼き尽くされそうになった自分自身への恐怖(私の怒りマグマ)。
 私は常に夫に振り回されていた。夫の顔色ばかり窺っていた。夫の望むように生活しようとした。そして私はもう少しで私を見失い、殺してしまうところだった。それくらい、私は自分を極度に追いつめていた。

 別居した当初は、夫への怒り、築き上げていくはずの生活が崩れ去ったという深い喪失感、今までの生活は何だったんだろうという虚無感など、様々な感情の嵐に苛まれた。しかし、同時に自分の時間を大事に過ごすことのできる喜び、穏やかな空間に身を置ける安心感、自分を罵倒する人間がいないことによる精神的な安定感を抱くことができ、そのことから、私はこれで良かったんだ、と思えるようになった。

 最近はふと思うのだ。あの結婚生活は何だったんだろう、と虚しくもなるが、あの生活で喜びもあり、笑いも楽しみもあった。絶望も血を吐くような苦痛も、ハラワタが煮えくりかえるような怒りもあったが、いろいろなことを経験し、学んだ。あの結婚生活を美化するつもりは全く無いが、あの時間も私の人生のある過程なのだろうと思えるようになってきた。そして、これからどんな生活になろうとも、どんなに苛酷な体験があろうとも、それも私の人生なのだ。私は私として、『今』を選択し、『今』を行動し、『今』を生きている。今、私は初めて他人に振り回されない、他人に縛られない人生を生きているように感じる。かつてひとり暮らしをしていた時、それなりに楽しかったが、何かに縛られていた。それは他人の目、あるいは世間の目、親の目、同世代の目…だったかもしれない。

 私は夫から離れ、初めて自分の生活を自分自身の足で手に入れたのかもしれない。だから、そういう意味で、これからが私が私として生きる、本当の人生なのかもしれないのだ。様々な体験が私を成長させ、私に力を与えたと思おう。そうでなければ、あの結婚生活は無意味だった、と私自身を否定することになる。人生、思いがけないことは突然降りかかってくるものだ。しかしそれは自分が悪いからではない。人生につきものの『偶然』というシロモノなのだ。偶然は、いつも手を変え品を変えやってくる。それに自分として、どう対処し、どう乗り越え、どう消化していくか、なのだろう。変えられるのは、『自分』と『未来』。例えモラ夫を選んだとしても、そこから気づき、対処し、自分で自分のこころの声のする方へと修正すればいいのだろう。

 これはある過程。このモラハラ経験で、私はたくさんの方々とこうして知り合うことが出来た。それもすごいご縁。私は、そこで同じ体験をもつ方々同士のパワーを心底実感した。こういうパワーを知ることも、私に必要なことだったに違いない…そんなふうに思う。

 私は今の『私』でよかった。どこへ流れていくかわからないが、私は『私』を信じたい。もう誰かに振り回される人生はやめよう。もしかしたら、振り回されるかもしれない。でもその時の自分を感じよう。私はこれからもいろいろな失敗を繰り返すだろう。でもその度に、修正することも覚えるだろう。いつでも考え直すことができるし、いつでも進む道を変更することができる。きっとできる。。。

そんな勇気を得られた『今日』の日だった。




麻痺

2006-10-01 00:05:42 | モラハラが生まれた背景とは
 子どもの頃にはあまり自覚がなかったのだが、後になって私は随分母親の顔色を窺っていたんだと思い起こすようになった。母親が受け入れられる話しを注意深く選び、受け入れられそうにない話しは絶対にしなかった。本当はいろんな話しをしたかったのだ。もっといろいろなことを聴いて欲しかった。
 しかし、母親にとって受け入れられないことを話したら、どうなることか。過剰に反応し、ヒステリックになり「そんな話しをするな」「そんなこと考えるな」と否定するか、なかったことにするか、である。恋愛や彼氏について母親に相談したり、話したりすると言う友人がいた。私は驚愕した。そんなことを話して聞いてくれる母親が世の中にいたんだ!?そんな話しは母親には絶対タブーだった。

 母親は、特に性に関することにはひどく拒絶的反応を示した。例えば家族でテレビを見ている。そのドラマや映画の中でベッドシーンが出そうになると、即座にチャンネルを変えた。私は子ども心に、こういうことはいけないんだ、と思うようになっていた。
 あれは確か私が小学3年生の頃だ。友人と2人で、住宅地のはずれにある空き地で遊んでいた。すると、中年の男がいつのまにか立っていて、「あっちの方に子猫がいたよ」と遠くを指さした。私と友人は男と一緒に子猫を見に行くことにした。男について雑木林の方まで歩いたがなかなか見つからない。私は不安になってきた。友人に帰ろう、と声をかけようとしたところで男に腕をつかまれた。そして下着の中に手を入れられたのだ。私はびっくりして手をふりほどき、無我夢中で走った。友人のことも忘れてしまった。すると後ろから友人も走ってきた。「早く逃げよう!」そして私達は必死になって住宅地へ戻った。私達は無言だった。友人も同じ事をされたのだろう。私は思わず友人を置き去りにして走り出したことにひどく罪悪感を抱いた。このことは2人の秘密となった。私達はその後、この事件についていっさい話し合うことはなかった。

 私は、家に帰った後しばらく呆然としていた。母親はいつものように夕食の支度をしていた。
 怖い。またあの男に会ったらどうしよう。あれは何だったんだろう。でもこのことを母親には言えない。言っちゃいけない。言ったら私が怒られるだけだ。私は母親が忌み嫌うようないけないことをされてしまったんだ。悟られてはいけない。いつものように振る舞わなくては…。
 そして私は感情を麻痺させた。

 私は嫌なことがあると、感情を麻痺させ、何でもないように振る舞うようになっていた。母親がヒステリックに長々と説教をする時も、こころを麻痺させていた。無表情に座りながら、頭の中では違うことを考えるか、思考停止状態になっていた。
 私は他の大人から、よく「落ち着いた子だ」とか「動じない子」と言われていた。そう、何かあっても私はいつも落ち着き払っているように見えた。しかし実際は、感じないようにしていただけだったのだ。感情を麻痺させ、何でもない出来事なんだと思いこむことでやり過ごそうとした。麻痺させていたから、とっさに言い返すとか、怒りや悲しみの感情を表出させるということもできなかった。ただ固まっている状態なのだから。
 だから、もし危険な出来事に遭遇しても、私はとっさに叫ぶことができるだろうか、と心配になるときがある。思考停止状態になり、固まっているだけなのではないだろうか、と思ってしまうのだ。

 以前CAP(子どもへの暴力防止プログラム)の講演を聞きに行ったことがある。そこでは、もし大人から嫌だと思うこと(性暴力など)をされそうになったら、お腹の底から「おー」と声を出して逃げる、ということを話していた。そして、何人かの参加者が実際にその声を出して体験する時間があった。それを見た瞬間、私の目から涙が溢れた。あの忌まわしい事件の時に、声も出せなかった自分を思い出した。こんなふうに教えてもらっていたら…。また講演では、もし被害に遭ってしまったら信頼できる大人に話すこと、聞いた大人は子どもを責めたりせずにしっかり受け止め信じること、等の話しがあった。
 私は誰にも言えなかった。親にも。誰にも。親に言っても優しく受け止めてくれるなんてことは考えられなかったし、多分親は被害にあった私を責めるだけだっただろう。「知らない人についていったからだ。もう二度とそんなところに行ってはだめ」と。私はただ、いけないことをされた悪い自分、と思いこんでいただけだった。

 今こうしてブログに綴っていたら、泣けてきた。我慢していた子どもの私。怖かった思いを封印してしまった子どもの私。そんな我慢がいろんなところで発揮されてしまったよね…。


 もう我慢するのはやめよう。怖いことは怖いと、悲しいことは悲しいと、嫌なものは嫌と、感じたことをしっかり意識しよう。私はきっと、私自身を守ることができると信じて…。