こころの声に耳をすませて

あの結婚生活は何だったのだろう?不可解な夫の言動はモラル・ハラスメントだった…と知ったウメの回想エッセー。

不安とくやしさと

2006-03-29 21:14:45 | 別居その後
 夫と別居してひとり。もう夫との生活を選択することはないだろう。そしてこのままひとりで生きていくのだろう。ひとり暮らしを始めてからはとても心が穏やかになり、ごく当たり前のことが普通にできる生活がとてもありがたく、この静けさを心から楽しんでいた。

 ただ、1人で穏やかに暮らしていても、ふといろいろな思いが湧き上がりその感情に圧倒され、漠然とした不安に襲われる時があった。
「親ももうすぐいなくなり、兄弟だって遠く離れている。私は自分を食べさせ続けることができるだろうか。私はこのまま1人で生きていけるのだろうか。」
「私はこの先誰とも一緒に住むこともなく、ひとりぼっちで生きていくのだろうか。」
「私は今まで4回も転職している。このまま今の職場で働き続けることができるのだろうか。もしこの職場で働き続けられなかったらどうなるのだろうか。」
「賃貸住宅で住み続けるのがいいのか、でも年金生活になったら家賃を払えるのだろうか。どこかマンションでも買った方がいいのだろうか。そうしたらローンは払えるのだろうか。」
「私がもし病気になって動けなくなったら、どうやって食べていけばいいのだろう。貯金が尽きたら生活保護になるのだろうか。」
物忘れが続くと「もしかしたら若年性アルツハイマーかもしれない。もしその病気が進行したら、私はどうなってしまうのだろう。といってももう自分がわからなくなるだけだから、誰かがどうにかしてくれるのだろうか。」
「私が年老いたらひとりぼっちだ。死んだらお墓は?わずかながらの財産は?住んでいる部屋はどうなるのだろう。」

 そして、結婚生活が崩れ去ったことへのくやしさ。
「なぜ夫はあんな言動を続けたのだろうか。もう少し、私が何とかできたのではないか。」
「夫はもともとモラハラ体質だったのに、なぜ私はそれを見抜けなかったのか。どうして結婚してしまったのだろう。」
「夫のしたことは許せない。何とか謝罪してほしいがそれも無理だろう。くやしい。」
「夫とだって、本当は仲良く一緒に暮らしたかったのに、なぜこんなことになってしまったのだろう。恋愛は幻想。もう二度と結婚したくない。でもなぜ他の友人は協力していい夫婦関係を続けているのだろう…。」
「夫のモラハラで私はひとりになってしまった。私の結婚生活を返せ~っ!」
「私はいい結婚生活を送りたいと思っていたのに、それが叶わなかった。そんな私を周りの人たちはどんなふうに見るのだろうか。誰にも知られたくない。結婚生活を築けなかった悪い妻とは見られたくない。」
「本当は別居なんて本意じゃなかったんだ。でもあの夫とは生活を続けられなかった。私はどうしてあの夫を選んでしまったのだろう。もし別の人を選んでいたら、こんなことにはならなかったかもしれないのに。」

 そして男性に対する自分自身への不信。
「私はきっと、変な男ばかりに惹かれてしまうんだ。そしてその男は危険な人。だから、私が惹かれる男は要注意なんだと思わなければいけない。」
「私の共依存性をしっかり理解しないと、対等な異性関係なんて築くことはできない。きっとまた、ひどい関係になってしまう。」
「私はもしかしたら、誰と暮らしてもいい関係を築けないタイプなのかもしれない。」
「異性と暮らすってどういうことなんだろう。どうしたら相手と穏やかに生活することができるのだろうか。」

 様々な思いが頭をよぎる。考えたって仕方がない。とにかく今のまま生活し続けることが大切なんだ、と思っていてもまたぐるぐると同じ思いが頭を巡る。そして感情が動きだす。
 今までの夫からの仕打ちを思い出し、怒りがこみ上げてしばらく落ち着けなかったり、惨めな自分を思っては無気力になったり、将来を思って不安になったり。

 しかしあれこれ考えても、時間は過ぎる。今日は終わり明日が来る。とにかく今できることをし続けるしかない、とも思う。
 生きるのはしんどい。明日目が覚めなくてもいい。いつ死んでもいい。夫と生活しているときは、何度そう思ったことだろう。しかし夫と離れた生活をしていても、ふとそんな思いに襲われることがある。私はどうなるのだろう。私は自分を食べさせ、生き続けることができるのだろうか。毎日に追われ、時の流れに必死についていくしかないときもある。やっと休日…そしてもう月曜日。私はいつまでそれを繰り返して行けるのだろうか。
 でもいつかは終わりが来る。人生の終わりが必ず来る。
 先日、職場を35年間勤め上げて退職した方と話した。すると彼女は「35年なんてあっという間だったわよ」と言った。そうか…35年もの歳月があっという間に感じるときってあるんだ。私もいつかそう思う時がくるだろう。今の職場はまだ4年目だけど、彼女みたいに思えるときが来るかもしれない。そう思ったら、ちょっぴり元気が出た。

 これも私の人生だ。できるところまでやってみよう。

 ようやくそんな気持ちになった。




喪の作業

2006-03-26 16:55:33 | 別居その後
 私は別居する前の引越しのとき、あえて結婚式の写真や、夫と付き合っていた頃に作った写真のアルバムは、そのまま夫のいるマンションへ置いていった。あんな写真、この先持っていても何の意味もない、そう思っていた。そして、家以外の写真、友人と写ったものや、仕事仲間との写真は未整理のまま大きな箱の中に詰め込んで持ってきていた。
 
 別居して数ヶ月後、その写真の箱の中を整理しようとポケットアルバムを購入し、箱の中から乱雑に押し込まれた写真を取り出していった。箱の底の方に、分厚い紙袋があった。中を取りだしてみると、新婚旅行の時の写真が出てきた。そういえば後で整理しようなんて思って、いつの間にしまいこんでいたのだ。
 私は何枚か写真を見て、すぐ袋の中に入れた。笑っている夫と私。7年前のあの時が、切り取られ残されている写真。虚しかった。あの結婚生活は何だったんだろう。私はしばらくの間、失ったものへのやりきれない悲しみの沼に足をとられ、重く沈んでいった。

 温かい式にしたいと、お互いの親しい友人とごく近しい身内だけを招いて行った手作りの結婚式。それぞれの友人は一芸を披露してくれ、笑いと祝福につつまれた結婚披露パーティーだった。親も誰もが「いい結婚式だったね」と言ってくれた。
 夫と結婚し、名字も変え、新しい土地に住み、友人もいない、言葉遣いや文化も違う土地での生活で心細さや寂しさを感じながらも、夫との生活を拠り所に、馴染もうと努力した。新しい職場も見つけ、近所づきあいも増え、少しずつ自分の居場所を作っていった。夫の不機嫌や意味不明の行動に悩まされながらも、何とか2人の生活を、時間を積み重ねて、いろいろなことを乗り越えながらもいい夫婦になりたいと願い、自分なりにがんばったつもりだった。夫は酷い人間だったが、夫から得たことも多い。だから別れることになっても、それはある過程であって、この結婚生活を後悔することはない、そう思っていた。

 しかし、あの別居直前の夫のセリフがすべてを打ち砕いた。
「実は結婚の前からおまえのこと、おかしいと思っていた」「あのとき、おまえは俺の言葉を勘違いしていた」「結婚すべきじゃなかったんだ」「この結婚は間違っていた」

 この言葉は強力な毒矢となって私の心の奥深くまで突き刺さり、後々まで私を蝕み続けたのだ。写真によって蘇る、矛盾し錯綜する夫の姿、夫の言葉。私はひとり部屋の中で、苛立ちと何ともやりきれない悲しみに打ちひしがれた。
 夫は私が無理に結婚させたと思っていたの?あなたの結婚したいという意志はなかったの?この結婚は始めから間違っていたの?どうしてあの時あんなこと言ったの?では何で結婚する前に言ってくれなかったの?この時間はあなたにとって何だったの?私はあなたの望まない生活を強要していたの?
 夫にぶつけたい気持ちが次々に湧き起こる。答のない問いかけ。

 人生を共にしたいと願ったパートナーから否定された7年以上もの長い月日。私にとって苦しい生活でも、何とかその中に意味を見いだそうとしていた自分。

 私は自分を見失いそうだった。私は何をしていたの…?

 あの結婚式はなんだったのだろう。友人達の心温かいお祝いも無になってしまった。夫への私の想いも、あの時間も、すべてが無になるような深い深い喪失感。
 私はひとり涙を流していた。この悲しみも夫にはわからない。ぶつけたって、更に傷つけられるだけ。私が期待する言葉なんて夫から返ってくるはずがない。いつもそうだった。いつもまったく予想もしない言葉が返ってきて、更に私を深い淵に突き落としてきたではないか。しかも今更夫に言って何になろう。どうにもならない虚無感…。

 私はひとり泣きながらモラハラ被害者同盟の掲示板にこの悲しみの気持ちを投稿した。すると、更に涙がでるような温かいいたわりのコメントを何人かの方々がしてくださっていたのだ。どうにもならない苦しさと悲しさにそっと寄り添い、共感し、ハグしてくださったのだ。私はひとりじゃない。苛酷な体験を自らも知ってる方々が、こうしてどこかで私の想いに耳を傾け、そっと手を握ってくださる。巧妙なモラハラの特徴を指摘し、「あなたは悪くない」と言ってくださる。パソコンの文字から伝わる温かい心。
 私は自分の感情に圧倒されそうになると、モラハラ被害者同盟に投稿した。そして自分を取り戻していった。
 
 このブログで結婚生活、そしてモラハラ体験を綴ることで、私は喪の作業をしているのだと、最近ふと感じた。私の重要なライフイベントであった結婚生活がこのような経過をたどった意味を改めて思い起こし、再体験し、悲嘆する。そしてその時々に読んでくださっている方々からの温かいコメントによって、励まされ考えさせられながら、過去の結婚生活の意味を再編成し、自分の人生の一コマとなって自然に組み込まれて行くのだろう。失ってしまった結婚生活に別れを告げ、苛酷な体験をもちながらも自分を取り戻し、どこかで同じ時間を生きている力強い仲間の声に励まされ、きっと私は歩いていくのだろう。

さて、私の結婚生活にお線香をあげようか… (←!?)



ささやかな幸せ

2006-03-21 14:46:01 | 別居その後
 夫との生活から解放された私は、ごくごく日常の些細なことひとつひとつに安らぎと幸せを感じるようになった。きっと、普通の生活を送っている人たちにとって、そんなことは当たり前のことなのだろう。特に喜ぶべきものでもないのだろう。しかし今まで夫から、生活上で様々な制約、支配、圧力を受けていた私にとっては、些細なことでも自分の好きにできることが心から嬉しかったのだ。

幸せを感じる数々のものとは…
*家の中でびくびくせず、ゆったりと座っていられること(もう私を威圧し罵倒する人間はいない)。
*自分の好きな音楽を好きな音量で聞けること(夫は自分の好きな音楽は大音量で聞き、私は夫に気兼ねし、自分の部屋の中で小さな音量で聞いていた)。
*休日は自然に目が覚めるまで寝ていられること(休日も夫より早く起きる必要がない)。
*お風呂にゆっくりと安心して入れること(お風呂も夫に侵入されたり汚される心配がない)。
*買い物で、自分の好きな食材を買えること(夫の偏った好みに合わせなくていい)。
*自分の食べたいものを料理できること(夫に怯えずに料理ができる)。
*そしてできた料理を味わい、ゆっくり食べることができること(夫に料理の文句を言われないし、怒りの雰囲気漂う、砂を噛むような食事をしなくてもいい)。
*休日にはゆっくり外出できること(夫が家にいたら時間に縛られ、必要な買い物以外あまり外出できなかった)。
*気兼ねなく友人と会い、お茶したり飲みに行ったりできること(夫がいたときは無理だったので、常に夫が自分の用事でいないときをねらってしか友人と会えなかった)。
*仕事が終わった後、冷や汗をかきながら焦って帰宅しなくてもいいこと(夫がいたときは仕事が残っていても、夕食を早く作らなければならなかったので、早々に帰宅した)。
* 気兼ねなく電話をしたり、かかってきた電話で話しができること(夫は私にかかってきた電話の相手を詮索し、電話が少しでも長くなると怒った。そして自分は平気で長電話をした)。
*部屋がそんなに汚れなくなったこと(夫はよく物を散らかし、物を汚く使った)。
*生活にかかる経費が少なくなりひとり暮らしにもかかわらず、自分の使えるお金が増えたこと(夫はとにかく私に生活経費を出させたので)。
*日々の、暗く押し殺したような気分から解放されたこと。
*とにかく何よりも、顔色を窺わなければならない、怒りと不機嫌オーラを放つ人(夫)が家の中にいないこと!

 私は、休日などはよく腕時計をはずして外出した。もう時間を気にして慌てて買い物をすませる必要もない。商店街をゆっくり歩く。本屋で立ち読みし、雑貨屋をのぞき、スーパーで買い物を楽しんだ。ゆったりと流れる心地よい時間。
 ひとりで過ごす休日は、安らぎだった。買い物をし、料理をし、ビール片手にゆっくり食事する。何もかもがおいしかった。穏やかだった。こんなにひとり生活を楽しんだことがあろうか?というくらいに感じたものだった。

 こんなことに幸せを感じることができるのも、夫との生活のお陰?いやいや、私は夫と幸せな生活を送ろうと思っていたのに、まさかこんな事態になろうとは…と溜息も出たりする。どうしてこうなってしまったのだろう。わかっているのに、納得しきれずに何度も結婚生活を思い起こしてしまう。ある日は、夫とのよかった思い出が蘇る…ああやって笑い合ったこともあったと悲しくなる。ある時は、夫の理不尽な暴言を思い出し、なんて酷い夫だったんだ、と暗い気持ちになる。

 ゆらゆらと漂う私の気持ち。

 でも、もう夫と生活はあり得ない。だから「もし~だったら」なんてこともあり得ない。私はこうして自分を取り戻すために、夫と別居したのだ。
 私はひとりの生活を心から喜びながらも、心のどこかで夫との生活と決別できずに過ごしていた。あの結婚生活を捨て切るにはもう少し時間がかかりそうだ、と感じていた。

共感と優しさと

2006-03-16 23:19:37 | 別居その後
 別居から約3ヶ月後、私は勇気をだしてモラハラ被害者同盟の掲示板に投稿した。心のどこかで、夫にばれやしないかとヒヤヒヤしながらだった。その頃私は夫にどこかで見はられているのではないかという、恐怖があったのだ。
 私は、夫からモラハラを受けていたということをモラハラ被害者同盟で知った後、別居したことの簡単な経緯を投稿した。すると何人かの方々が温かいお返事をくださったのだ。私1人の体験だと思っていたことを、「私も同じように大変だった!」と寄り添ってくださり「これはこんな意味ですよ」と優しく解説してくださる。そして「離れられてよかった」と我がことのように喜んでくださったコメントに、私は新鮮な驚きと嬉しさで胸が一杯になった。最も近しい夫からは決して決してもらえなかった、温かい共感と、そっと寄り添うような優しさだった。

 私は夫のモラハラについての詳細は、親にも親しい友人にも話せなかった。夫が大変、疲れる、という話しはしても、夫からのあまりにも酷い仕打ちは惨めすぎて話せなかったのだ。しかしモラハラ被害者同盟では違った。夫の暴言や信じがたい行動についても、「わかる!」「私もそうだった」というコメントが返ってきた。別世界のように見たり単に同情したりするコメントは全くなかった。今までこんなに温かく共感していただいたことがあっただろうか。きっと私自身が苛酷な体験を経たことが大きかったと思う。このように苛酷なモラハラ被害という点で共通な体験をもつ方々と出会えたこと、まったく個人的な体験と思っていたことが、実はモラハラ被害者にとってあまりにも似たような体験が多くあったこと。それらは、絶望的な孤独感から私を救い出してくれる大きな希望だった。

 私は夫との生活や、夫への怒りや悲しみをモラハラ被害者同盟の掲示板に綴った。そして多くの温かい共感をいただいた。ネット上のニックネームでの出会い、そして均一化された文字にもかかわらず、エールを贈ってくださる方々の温かい心を感じることができた。それはモラハラ被害を受けた者にしかわからない、苦しみと痛み、そしてお互いをいたわり思いやる優しいハグだった。相手の顔がわからなくても、私はどんなに心癒されたかわからない。掲示板での方々とのやりとりで、私は自分を取り戻し、自分を保ち、自分ひとりでの生活を安定させることができた。夫への怒りに駆られても、夫への悲しみに沈んでも、夫からの仕打ちを思い出して苦しんでも、掲示板での交流で私はモラ毒を浄化され、ひとりで生きていく自分を保つことができたのだ。

 忘れもしない、最初の投稿にコメントを下さったおもわずさん、ぺんぎん太さん、はればれさん、のんびり屋さん、今頃どうされているのでしょうか。そして、その後の投稿には雪ん子さん、マサコっちさん、ぷくたさん、りすさん、風花さん、himawariさん、マサ子っちさん、宇砂子さん、めありーさん、むらいっこさん、北風さん、はるはるさん、風花さん、塩砂糖さん、あんこさん、みちるさん、pazさん、マコさん、ひつじさん、ぶちうさぎさん、あずきさん、クレマリさん、チャパリータさん…その他の方々。
 そして、ある夜のパブで私が夜更かししたいと言ったらすぐに声をかけてくださった宇砂子さん、そしてnasaさん、あんこさん、みう子さん、モラハラのこと、人生のこと、仕事のことなどの語らいがひとりの夜の時間、どんなに楽しかったか。

 パソコンの前で私はひとり、笑ったり泣いたり励まされたりしていた。ひとりだけど、どこかで誰かとつながっている。同じように苦しい体験をした女性達がそれぞれの生活を送りながら、こうしてつながり、心の交流をしながら支え合っている。お互いの怒りに、悲しみに、滑稽さに、苦しみに、笑いに、絶望に、共感しあう…ただ感動だった。
 そしてモラハラ被害者同盟を経てブログを開設されたまっち~さんの『モラルハラスメント・ブログ』では、まっち~さんとの対話によって力強い共感と前向きに生きるパワーをいただいた。続いて宇砂子さんのブログ『宇砂子の七転び八起き』で宇砂子さんのお笑いセンスで朗らかになりながら、モラハラについて共感し優しく寄り添っていただいた。

 いつしか私は自分のの中に溜まっていたモラハラのどす黒い毒が涙とともに、さらさらと流れていくことを感じていた。

 そして、まさか私が、と思っていたのに、なぜか自分のブログまで作ってしまった。その頃には、世の夫たちのモラハラ振りにはあまりにも共通点が多すぎて、どこのモラ夫の妻が作ったブログかわからないだろう~、と思い切って作ることができた。そこで私はこうして、自分の体験を語り、思いのままに綴っている。それが自分自身の振り返りとなり、自分の体験を意味づけしながら整理することができている。そして何よりも、私のつたないブログに、こうして温かく共感溢れるコメントをくださっている方々がおられるからこそ、自分の体験を振り返る勇気をいただき、こうしてひとり生きる元気をいただけるものと実感している。

 自分の体験を話す(放す)こと、そしてそのことについて、同じ体験をもつ方々や共感してくださる方々と安心して、言葉を交わし、想いを分かち合うこと…それが一番の癒しであり、私自身に力を与えてくださる何よりのものだと心から思っている。


 ここに至るまで、顔も知らぬ私に声をかけてくださった方々に心から感謝いたします。また、@fixさんが作ってくださったモラハラ被害者同盟という焚き火が、これからも苦しんでおられる方々の恐怖で冷えた心身を温め、闇夜を照らす希望の光となりますように。。。。

 そして私は皆さんと一緒に、同じ時間を共に生きることができる…各地にお住まいの皆さんに想いを馳せ、生きる元気をいただけることの幸せを感じています。



夫への怒り

2006-03-12 20:46:21 | 別居その後
 別居後は、夫が突然現われるのではないかと怯えながらも、部屋の中では心静かな生活を送りつつあった。威圧的な存在が家の中にいないことで、緊張から解放され、自分の心のままに時間を過ごすことができる。私はほっとしたような安心した気持ちを日々噛みしめていた。

 そんな中、あるきっかけで突然ハラワタが煮えくりかえるような怒りに襲われることがあった。職場の顧客名簿の住所に、夫と住んでいたマンションのある地名を見たとき、夫と(多分)同じ香水をつけた人とすれ違ったとき、以前のマンションの最寄りの駅に行かなければならなかったとき…。
 何と言っていいのだろうか。ハラワタが熱くなり頭に電流が走るような激しい怒りの感情。もし周囲に誰もいなかったら、叫び地団駄踏みたくなるような怒り。私は手のひらを握りしめ、歯をくいしばった。その怒りの感情が体中を荒れ狂い、そして嵐のように去っていくまでじっとこらえていた。

 そして私は時々夫の夢を見た。ある夜の夢は、家の中で夫に向かって必死に叫んでいるのだ。「どうしてそんなこと言うの?…私はもう我慢できない!…もうやめて~!!」と途切れ途切れになりながらも、腹の底から声を振り絞って叫んでいる。夫は冷たい顔をして見ている。
 ある夜の夢は、夫が出て行った家に私1人で住んでいる。そこに夫が現われ玄関から室内に入り込もうとしている。私は血相を変えて玄関先まで走っていき、夫に向かって「もう来ないでっていったでしょう?…家に入らないで!…出て行って~!!」と泣きながら叫んでいる。夢の中では声がスムーズに出ず、絞り出すように声を出していた。
 はっとして目が覚めると、布団の中に横たわっているのだが、心臓が波打っており息が荒かった。私はやりきれない気持ちを抱え、暗闇を見つめた。私はいつまで怒りによって夫に縛り付けられるのだろう。

 夫への怒り。
夫から蔑ろにされ、冷酷な扱いを受けたことへの怒り。夫と築きたかった結婚生活が崩れ去ったことへの怒り、夫と過ごした時間が粉砕され葬られたように感じることへの怒り、私の言葉や想いがまったく夫に伝わらなかったことと、夫に怯えて何も伝えられなかったことへの怒り、夫がすべてをぶちこわしたんだという怒り、なぜ夫を選んでしまったのかという自分への怒り…。結婚生活を失敗させてしまったという罪悪感。そして、夫のモラハラさえなければ、私は夫のことが好きでい続けたはずだった…そのことへの深い悲しみと憤り。
 別居後、一回だけ夫からメールがあった。それは「もしかしたら僕は酷い人間なのかもしれない。自分でもどうしたらいいかわからない。自分はもう誰とも暮らさない方がいいのかもしれない…」というような内容だった。私はそれを読み「その通りだ。おまえはとっても酷い人間だ。今更気がついたか。おまえと生活する人は皆不幸になるだけだ~!」と言いたかったが、下手に書くとそれを逆手にとられる可能性が大いにあるし、嫌がらせをされるのも恐ろしかったので、一言「その通りだと思います」だけ書いて返信した。それが当時の私にできた、精一杯の抵抗だった。その後夫から返事はなかった。
 このメールにもしばらく怒りがとまらなかった。そんなことどうしてもっと早く言わなかったのだろう。同居していたときはあんなにも酷い仕打ちで私を散々踏みにじったのに、どうして今更こんなことを言ってくるのか。許せなかった。

 私はいつまでこんな怒りに苦しめられるのだろう。当の本人にはぶつけられない怒り。私の気持ちは、ぶつけたい、伝えたい相手には決して受け止められないのだ。

 そんな苦々しさを抱えた私は、モラハラ被害者同盟の掲示板に初めて投稿した。このやり場のない混乱した想いを、誰かに話したかったのだ。身内でもなく友人でもなく、誰とも知らないが、同じ体験をして苦しんでいる人たちに。
 誰かに理解して欲しかったのだ。モラハラ体験の恐ろしさと孤独を。そして夫の元からから飛び出し、ひとりになった私を。