先日の台風が過ぎたあたりから蝉の声が聞こえ始めた。そして街路樹周辺にある植え込みの葉に、蝉のさなぎの抜け殻を見つけた。子どもの頃、雑木林の中でよく蝉の抜け殻を見つけて集めたものだ。それをカーテンにつけて遊んだことを思い出す。
離婚して5ヶ月が過ぎた。離婚する前から別居生活を長く送っていたせいか、特に生活の変化もなく、私はずっとひとり暮らしをしていたのではないかと錯覚するくらいだった。元夫も以前の住居から引越していったので、住んでいる地域も私の家から電車で1時間ほどの距離になり、生活圏が重なることもなくなった。結婚生活を思い出すことも少なくなっていた。
昨晩は職場で少し残業をしていた。いい加減疲れて頭が回らなくなり、帰ることにしたら同僚も帰る、ということで一緒に駅まで歩くことになった。外は暗くいつの間にか雨が降り出していた。私達は置き傘を手に取り、職場を後にした。雨の中、同僚とおしゃべりしながら歩いていたら、駅の近くにあるおいしいパン屋さんに寄ると言うので、「じゃあついでに私も買にいくわ~」といつもとは別の通りに入って歩いた。道行く人々は、傘を差している人もいたが、急な雨に濡れながら歩いている人もいた。
もうすぐ商店街にさしかかるというとき、うつむいて濡れながら歩いている男性がこちらに向かって歩いていた。顔を見て、ドクンと心臓が鳴った。元夫ではないか!?私は傘を持ち直し、同僚の話にうなずきながら歩いた。男性はそのまま私達の横を通り過ぎていった。途端に同僚の声が聞こえなくなってしまった。
…あれは元夫だったような気がする…多分、元夫だ…生きているんだ…大きなカバンを持っていたが、多分趣味であるスポーツをしようと仕事帰りにわざわざ来たのだろう(以前に元夫はその駅の最寄りにある、あるスポーツ教室に行っている、と話していた)。金曜日の夜にこうして歩いているのなら、今もひとりで生活しているのだろう…元夫は私に気づいたのだろうか…いや、気がつかなかったみたいだった…でも気づいても知らん顔していたのかもしれない…私のように…
めまぐるしくいろいろな思いが頭の中を駆けめぐった。何かすごく変なもやもやした気分が私の心を覆った。突然同僚の声が耳に入った。「ウメさん、どう思う?あれじゃあ仕方ないよね」「え?あぁ~、ごめん、ちゃんと聞えなかった、もう一度話してくれる?」同僚はいぶかしげに私を見つつも再度話してくれた。そしてパン屋さんに行き、それぞれ別の方向の電車に乗った。
私はひとり、電車の中で複雑な感情を覚えていた。元夫とは、結婚生活を送っていたのだ。かつて非常に親密な関係であり、家族であったのだ。元夫からのモラハラに苦しみながらも、私は元夫に食事を作り、洗濯をし、同じ屋根の下で暮らしていた時期があったのだ。
それがこうやって街で偶然見かけても、声もかけずにすれ違う他人になっている。これは一体なんなんだろう?
あの結婚生活はなんだったのだろう?2人で過ごし、積み重ねた時間はなんだったのだろう?元夫のモラハラはなんだったのだろう?一体なんのために結婚したのだろう?その生活があたかも初めからなかったような、元夫とのこの関係はなんなのだろう?
次々と湧き起こる問いと苦々しい想い…。
私達は本当に赤の他人になったのだ…。かつての親密なつながりがぶっつりと切れる、その経験の厳しさを、改めてまざまざと突きつけられたあの一瞬だった。
家族のつながりを断ち切るような別れは残酷だ。離婚、死別、断絶、失踪…。それでも人は生きていく。血を吐くような苦しみ、あるいはいまだのたうち回るような痛みとともに生きていく。
それでもいつか、時が流れていつか…血は止まり痛みが和らぐ時がくる…。そしてきっと、悲しみを乗り越え、生きていくことができる。そしてその時、自分を支えてくれるたくさんの力を感じることができるのだろう。私は力を得、私自身を取り戻すことができる。苛酷な体験を糧として、きっとよりよい人生を創っていくことができるはず。
- そう信じて、自分を信じて生きること
そんな私のこころの声が聞こえた。
離婚して5ヶ月が過ぎた。離婚する前から別居生活を長く送っていたせいか、特に生活の変化もなく、私はずっとひとり暮らしをしていたのではないかと錯覚するくらいだった。元夫も以前の住居から引越していったので、住んでいる地域も私の家から電車で1時間ほどの距離になり、生活圏が重なることもなくなった。結婚生活を思い出すことも少なくなっていた。
昨晩は職場で少し残業をしていた。いい加減疲れて頭が回らなくなり、帰ることにしたら同僚も帰る、ということで一緒に駅まで歩くことになった。外は暗くいつの間にか雨が降り出していた。私達は置き傘を手に取り、職場を後にした。雨の中、同僚とおしゃべりしながら歩いていたら、駅の近くにあるおいしいパン屋さんに寄ると言うので、「じゃあついでに私も買にいくわ~」といつもとは別の通りに入って歩いた。道行く人々は、傘を差している人もいたが、急な雨に濡れながら歩いている人もいた。
もうすぐ商店街にさしかかるというとき、うつむいて濡れながら歩いている男性がこちらに向かって歩いていた。顔を見て、ドクンと心臓が鳴った。元夫ではないか!?私は傘を持ち直し、同僚の話にうなずきながら歩いた。男性はそのまま私達の横を通り過ぎていった。途端に同僚の声が聞こえなくなってしまった。
…あれは元夫だったような気がする…多分、元夫だ…生きているんだ…大きなカバンを持っていたが、多分趣味であるスポーツをしようと仕事帰りにわざわざ来たのだろう(以前に元夫はその駅の最寄りにある、あるスポーツ教室に行っている、と話していた)。金曜日の夜にこうして歩いているのなら、今もひとりで生活しているのだろう…元夫は私に気づいたのだろうか…いや、気がつかなかったみたいだった…でも気づいても知らん顔していたのかもしれない…私のように…
めまぐるしくいろいろな思いが頭の中を駆けめぐった。何かすごく変なもやもやした気分が私の心を覆った。突然同僚の声が耳に入った。「ウメさん、どう思う?あれじゃあ仕方ないよね」「え?あぁ~、ごめん、ちゃんと聞えなかった、もう一度話してくれる?」同僚はいぶかしげに私を見つつも再度話してくれた。そしてパン屋さんに行き、それぞれ別の方向の電車に乗った。
私はひとり、電車の中で複雑な感情を覚えていた。元夫とは、結婚生活を送っていたのだ。かつて非常に親密な関係であり、家族であったのだ。元夫からのモラハラに苦しみながらも、私は元夫に食事を作り、洗濯をし、同じ屋根の下で暮らしていた時期があったのだ。
それがこうやって街で偶然見かけても、声もかけずにすれ違う他人になっている。これは一体なんなんだろう?
あの結婚生活はなんだったのだろう?2人で過ごし、積み重ねた時間はなんだったのだろう?元夫のモラハラはなんだったのだろう?一体なんのために結婚したのだろう?その生活があたかも初めからなかったような、元夫とのこの関係はなんなのだろう?
次々と湧き起こる問いと苦々しい想い…。
私達は本当に赤の他人になったのだ…。かつての親密なつながりがぶっつりと切れる、その経験の厳しさを、改めてまざまざと突きつけられたあの一瞬だった。
家族のつながりを断ち切るような別れは残酷だ。離婚、死別、断絶、失踪…。それでも人は生きていく。血を吐くような苦しみ、あるいはいまだのたうち回るような痛みとともに生きていく。
それでもいつか、時が流れていつか…血は止まり痛みが和らぐ時がくる…。そしてきっと、悲しみを乗り越え、生きていくことができる。そしてその時、自分を支えてくれるたくさんの力を感じることができるのだろう。私は力を得、私自身を取り戻すことができる。苛酷な体験を糧として、きっとよりよい人生を創っていくことができるはず。
- そう信じて、自分を信じて生きること
そんな私のこころの声が聞こえた。
普通の赤の他人以上に他人にというか、むしろ忌むべき避けるべき存在になってしまうのですね。
しかし嘗て一緒に暮らし、良い時間も記憶していると不思議な感覚でしょう。
普通の関係なら知人・友人・家族というのが時には生きがいになるほど貴重なものなのに、異常な関係ならむしろ孤独の方が良い、というのは過去の記事を見てよく分かります。
最初のほうを拝読していて、ああ、元夫さん、お引っ越しをなさったのか、物理的に離れられてよかったな、と思っていたら・・・とんでもないできごとが!
予想もしないとき、予想もしない場所で、予想もしない出会い。ウメさんのショックはいかばかりだったかと拝察いたします。
こんなことは、もう二度と起きませんように。やっとの思いで手に入れたウメさんの心の平和に、二度と波風が立つことがありませんように、お祈りいたします。
どうしてこうなってしまったのだろう、という思いが
心のどこかに残っています。
この両極端な関係への変化が、私を戸惑わせ苦しめます…。
でもどうしようもない関係もあるのですね。
離れた方がいい家族もあるのですよね…。
これもきっと私の人生に必要な体験だったのだと
それがきっと何らかに活かされていくのだと
思っています。
ご理解いただき、嬉しいです。
ウメより
マーチさんに衝撃的、と言っていただき、
やっぱり私はそんなに大袈裟でもなかったか、と
ちょっとほっとしました…(^^;)
私自身もあれこれ考えていたら
なんだか悲しくなってしまいました。
なんでこうなったのかな…って、
何十回となく自分に問いかけたことでもありますが…。
そしてここのところ、ほとんど無かった
不正出血が昨日から突然はじまり…
意識している以上に、すごいストレス感じたんですね。。
体は正直です…(^^;)
週末、あの道は通らないようにしようと思いました。
できればもう二度と会いたくないです。
共感いただき、ありがとうございます!
ウメより
私が元夫の姿を最後に見たのは、2年前の家裁の廊下でした。
正確には、「後姿」でしたが(笑)
不本意な”ご対面”を避けるために時間をずらしておいたにも関わらず、このニアミス・・・
あとでしっかり調停委員たちにクレームしておきましたがね!
”(元)夫に気付いていないふり”をしながら斜め後ろを通り過ぎようとする私の背中に塗りつけられたような奴の視線の不快感は今でも生々しく思い起こされます。
私なんか、奴の職場(地方公務員)の周辺がそっくり「お出かけゾーン」なんです。
そうしょっちゅう街に出ることはないのですが、別居期間を含めたこの3年間、よくも”バッタリ”が起こらなかったものだと、自分の妙な運の良さを感じたりしています(苦笑)
震えました。
自分だったらと思うと失神しそうです。
最近、ようやく道で会っても怖いと思わないんじゃないかという気がしていました。
それくらい穏やかな日を過ごしていたので・・・。
でも、たまにそっくりな人を見かけるととても動揺し、動作が止まります。
似ている人を見かけたくらいで動揺するんじゃ、本人に会ったらどうなってしまうんだろう・・・。
ウメさんの記事に激しく動揺しているくらいだから、やっぱり私もまだまだですね。
ウメさんも大丈夫ですか?ストレス性の出血ですか?
そうですよね・・・やっぱり嫌ですよね。
ああ・・・怖い。
私も別居してから、今まで夫と近いところに住んでいながら
会うこともなかったので、
夫が引越してからは安心しきっていましたが…
あのときは本当に心臓が胸を打ちました。
ふうふうさんも調停を経て、御苦労されながらも
夫さんと離れ、平和な生活をお送りなのですね。
でもやはりあれほど恐怖を植えつけられた相手ですから
願わくば一生会いたくないですね。
ふうふうさんが元夫さんに会わないように
お祈りしていますね!
ふうふうさんの平安が脅かされませんように!
ウメより
にゃりんたさんもやはり、いまだ恐怖を感じられますか…。
私は、元夫と別れて随分たったので、
相手に声をかけたわけでもかけられたわけでもないのに、
これくらいで衝撃を覚えるのは
まだ執着しているのか、大袈裟なのか、と思っていましたが
いただいたコメントを読ませていただき
やはり、過去のモラ恐怖を思うと
衝撃を受けることも当然かと、何だかほっとしました。
私も、穏やかな毎日を送っているので
会ってもそう気にならないかも…と思っていましたが
やっぱりだめだということがわかりました(^^;)
不正出血はモラと生活しているとき、ずっとあり
病院で検査したら、ストレスから、ということでした。
しかし…私の体って正直だわ…ということを再認識。
恐怖の対象とはもう二度と会いたくないですね。
にゃりんたさんが、元夫さんと会いませんように
お祈りしていますね。
もう怖い思いは二度とごめんですよね!お互いに!
ウメより
少しずつ旦那との関係に息苦しさを感じて、不眠・動悸・ふるえなどなど体調の変化があり、少し距離を置きたいと考えて話をしたところ さらにだんなの暴挙がヒートアップし別居することに・・・
別居後、その暴走は止まることなく 離婚を考えるしかないのかと思い始め、パソコンで何気なく目にしたモラルハラスメントの文字。
そしてこのブログにたどりつきました。
何人かのモラハラのブログを読ませていただきましたが、
まさに私の夫・・・のようなひとが、そこにいました。
今、ぼーぜんとしている私がここにいます。
話し合いでの解決を望んだ私でしたが、話し合いどころか話をすることさえできない相手だということが
わかったからです。
円満解決なんてありえないのでしょうね
なんか心のどこかでわかっていたはずなのに
それでもわずかな望みをもっていた自分に落ち込んでいます。
とても自分自身を見つめ直すいいきっかけになりました。私も私を取り戻すためにがんばりたいとおもいます。ありがとうございました
かんさんもきっと、夫さんと共に暮らしたいと思いながら
夫さんの理不尽な言動が耐え難く、別居されたのですね…。
かんさん、私も全く同じです。
元夫から冷酷な言葉を浴びせられながら、いつかわかりあえる、
そう思いながら努力してきましたが、
足蹴にされ疲弊し、動悸や震えもひどくなってきました。
これは何だろう?と思った頃にモラハラという言葉と出会い
私も、そこに自分の夫を見たのです。
そして自分自身の置かれている状況を理解し、
別居し、離婚に至りました。
かんさんのお気持ち、よくわかります。
私もできることならば、元夫と和解し手を取り合う日が
いつかくるのではと、どんなに切望したことでしょう。
でも、それは無理なんだ、と
何十回も何百回も冷酷な言動に叩きのめされ
骨の髄までそれを思い知らされました。
かんさん、これもきっとかんさんの人生の過程であり
すべてではありません。
これから先、かんさん自身の希望ある人生が待っています。
ささやかな幸せを喜べる自分を取り戻す日が必ずきます。
かんさん、私もかつてかんさんでした。
応援しています!
コメントありがとうございます。
ウメより