子どもの頃にはあまり自覚がなかったのだが、後になって私は随分母親の顔色を窺っていたんだと思い起こすようになった。母親が受け入れられる話しを注意深く選び、受け入れられそうにない話しは絶対にしなかった。本当はいろんな話しをしたかったのだ。もっといろいろなことを聴いて欲しかった。
しかし、母親にとって受け入れられないことを話したら、どうなることか。過剰に反応し、ヒステリックになり「そんな話しをするな」「そんなこと考えるな」と否定するか、なかったことにするか、である。恋愛や彼氏について母親に相談したり、話したりすると言う友人がいた。私は驚愕した。そんなことを話して聞いてくれる母親が世の中にいたんだ!?そんな話しは母親には絶対タブーだった。
母親は、特に性に関することにはひどく拒絶的反応を示した。例えば家族でテレビを見ている。そのドラマや映画の中でベッドシーンが出そうになると、即座にチャンネルを変えた。私は子ども心に、こういうことはいけないんだ、と思うようになっていた。
あれは確か私が小学3年生の頃だ。友人と2人で、住宅地のはずれにある空き地で遊んでいた。すると、中年の男がいつのまにか立っていて、「あっちの方に子猫がいたよ」と遠くを指さした。私と友人は男と一緒に子猫を見に行くことにした。男について雑木林の方まで歩いたがなかなか見つからない。私は不安になってきた。友人に帰ろう、と声をかけようとしたところで男に腕をつかまれた。そして下着の中に手を入れられたのだ。私はびっくりして手をふりほどき、無我夢中で走った。友人のことも忘れてしまった。すると後ろから友人も走ってきた。「早く逃げよう!」そして私達は必死になって住宅地へ戻った。私達は無言だった。友人も同じ事をされたのだろう。私は思わず友人を置き去りにして走り出したことにひどく罪悪感を抱いた。このことは2人の秘密となった。私達はその後、この事件についていっさい話し合うことはなかった。
私は、家に帰った後しばらく呆然としていた。母親はいつものように夕食の支度をしていた。
怖い。またあの男に会ったらどうしよう。あれは何だったんだろう。でもこのことを母親には言えない。言っちゃいけない。言ったら私が怒られるだけだ。私は母親が忌み嫌うようないけないことをされてしまったんだ。悟られてはいけない。いつものように振る舞わなくては…。
そして私は感情を麻痺させた。
私は嫌なことがあると、感情を麻痺させ、何でもないように振る舞うようになっていた。母親がヒステリックに長々と説教をする時も、こころを麻痺させていた。無表情に座りながら、頭の中では違うことを考えるか、思考停止状態になっていた。
私は他の大人から、よく「落ち着いた子だ」とか「動じない子」と言われていた。そう、何かあっても私はいつも落ち着き払っているように見えた。しかし実際は、感じないようにしていただけだったのだ。感情を麻痺させ、何でもない出来事なんだと思いこむことでやり過ごそうとした。麻痺させていたから、とっさに言い返すとか、怒りや悲しみの感情を表出させるということもできなかった。ただ固まっている状態なのだから。
だから、もし危険な出来事に遭遇しても、私はとっさに叫ぶことができるだろうか、と心配になるときがある。思考停止状態になり、固まっているだけなのではないだろうか、と思ってしまうのだ。
以前CAP(子どもへの暴力防止プログラム)の講演を聞きに行ったことがある。そこでは、もし大人から嫌だと思うこと(性暴力など)をされそうになったら、お腹の底から「おー」と声を出して逃げる、ということを話していた。そして、何人かの参加者が実際にその声を出して体験する時間があった。それを見た瞬間、私の目から涙が溢れた。あの忌まわしい事件の時に、声も出せなかった自分を思い出した。こんなふうに教えてもらっていたら…。また講演では、もし被害に遭ってしまったら信頼できる大人に話すこと、聞いた大人は子どもを責めたりせずにしっかり受け止め信じること、等の話しがあった。
私は誰にも言えなかった。親にも。誰にも。親に言っても優しく受け止めてくれるなんてことは考えられなかったし、多分親は被害にあった私を責めるだけだっただろう。「知らない人についていったからだ。もう二度とそんなところに行ってはだめ」と。私はただ、いけないことをされた悪い自分、と思いこんでいただけだった。
今こうしてブログに綴っていたら、泣けてきた。我慢していた子どもの私。怖かった思いを封印してしまった子どもの私。そんな我慢がいろんなところで発揮されてしまったよね…。
もう我慢するのはやめよう。怖いことは怖いと、悲しいことは悲しいと、嫌なものは嫌と、感じたことをしっかり意識しよう。私はきっと、私自身を守ることができると信じて…。
しかし、母親にとって受け入れられないことを話したら、どうなることか。過剰に反応し、ヒステリックになり「そんな話しをするな」「そんなこと考えるな」と否定するか、なかったことにするか、である。恋愛や彼氏について母親に相談したり、話したりすると言う友人がいた。私は驚愕した。そんなことを話して聞いてくれる母親が世の中にいたんだ!?そんな話しは母親には絶対タブーだった。
母親は、特に性に関することにはひどく拒絶的反応を示した。例えば家族でテレビを見ている。そのドラマや映画の中でベッドシーンが出そうになると、即座にチャンネルを変えた。私は子ども心に、こういうことはいけないんだ、と思うようになっていた。
あれは確か私が小学3年生の頃だ。友人と2人で、住宅地のはずれにある空き地で遊んでいた。すると、中年の男がいつのまにか立っていて、「あっちの方に子猫がいたよ」と遠くを指さした。私と友人は男と一緒に子猫を見に行くことにした。男について雑木林の方まで歩いたがなかなか見つからない。私は不安になってきた。友人に帰ろう、と声をかけようとしたところで男に腕をつかまれた。そして下着の中に手を入れられたのだ。私はびっくりして手をふりほどき、無我夢中で走った。友人のことも忘れてしまった。すると後ろから友人も走ってきた。「早く逃げよう!」そして私達は必死になって住宅地へ戻った。私達は無言だった。友人も同じ事をされたのだろう。私は思わず友人を置き去りにして走り出したことにひどく罪悪感を抱いた。このことは2人の秘密となった。私達はその後、この事件についていっさい話し合うことはなかった。
私は、家に帰った後しばらく呆然としていた。母親はいつものように夕食の支度をしていた。
怖い。またあの男に会ったらどうしよう。あれは何だったんだろう。でもこのことを母親には言えない。言っちゃいけない。言ったら私が怒られるだけだ。私は母親が忌み嫌うようないけないことをされてしまったんだ。悟られてはいけない。いつものように振る舞わなくては…。
そして私は感情を麻痺させた。
私は嫌なことがあると、感情を麻痺させ、何でもないように振る舞うようになっていた。母親がヒステリックに長々と説教をする時も、こころを麻痺させていた。無表情に座りながら、頭の中では違うことを考えるか、思考停止状態になっていた。
私は他の大人から、よく「落ち着いた子だ」とか「動じない子」と言われていた。そう、何かあっても私はいつも落ち着き払っているように見えた。しかし実際は、感じないようにしていただけだったのだ。感情を麻痺させ、何でもない出来事なんだと思いこむことでやり過ごそうとした。麻痺させていたから、とっさに言い返すとか、怒りや悲しみの感情を表出させるということもできなかった。ただ固まっている状態なのだから。
だから、もし危険な出来事に遭遇しても、私はとっさに叫ぶことができるだろうか、と心配になるときがある。思考停止状態になり、固まっているだけなのではないだろうか、と思ってしまうのだ。
以前CAP(子どもへの暴力防止プログラム)の講演を聞きに行ったことがある。そこでは、もし大人から嫌だと思うこと(性暴力など)をされそうになったら、お腹の底から「おー」と声を出して逃げる、ということを話していた。そして、何人かの参加者が実際にその声を出して体験する時間があった。それを見た瞬間、私の目から涙が溢れた。あの忌まわしい事件の時に、声も出せなかった自分を思い出した。こんなふうに教えてもらっていたら…。また講演では、もし被害に遭ってしまったら信頼できる大人に話すこと、聞いた大人は子どもを責めたりせずにしっかり受け止め信じること、等の話しがあった。
私は誰にも言えなかった。親にも。誰にも。親に言っても優しく受け止めてくれるなんてことは考えられなかったし、多分親は被害にあった私を責めるだけだっただろう。「知らない人についていったからだ。もう二度とそんなところに行ってはだめ」と。私はただ、いけないことをされた悪い自分、と思いこんでいただけだった。
今こうしてブログに綴っていたら、泣けてきた。我慢していた子どもの私。怖かった思いを封印してしまった子どもの私。そんな我慢がいろんなところで発揮されてしまったよね…。
もう我慢するのはやめよう。怖いことは怖いと、悲しいことは悲しいと、嫌なものは嫌と、感じたことをしっかり意識しよう。私はきっと、私自身を守ることができると信じて…。