夫との将来にはどうやら希望がまったくなさそうだ、と痛感した私の頭の中は、絶望的観測しかなかった。夫が仕事をやめ、毎日家にいて氷のような目で私を突き刺す…この先自分の好きにできるお金も時間も皆無になり、ただ戸籍上夫婦だからということで一緒に暮らし続け、会話も思いやりもなく、夫は無視と罵倒し、私は更にビクビクし感情を押し殺し死んだような生活を送るのか…私は、全私自身を否定する男と生活するのか、こんな男のために私を失っていいのか!?
そんなことをずっと考え、暗黒の迷路を彷徨い「今日死んでも明日死んでもいい。死は解放だ。どんなに楽になるか…」と暗い表情でとぼとぼと歩いた。買い物に行くときも、通勤するときも私は本当に黒い溜息が見えるような生気のない表情をしていた。笑いながら歩く夫婦を見ては顔を曇らせ、幸せそうな親子から目をそらした。
その頃から私の体がよく震えた。寒くもないのに細かく震えるのだ。買い物をするときも、食材を選ぶ手が震えていた。料理の時も震えていた。夫の足音を聞いては震えた。電話を取るときも、蛇口をひねるときも…。もう体中が悲鳴を上げている感じだった。恐怖と怒りと憎しみと焦燥感で、心身共にいても立ってもいられないような、絶えず電流を流されているような後頭部のヒリヒリ感に浮き足立ち、今この場からすぐにでも逃げ出したかった。
そして私がしたことは、まさに苦しいときの神頼みだった。ネットで近隣にあるいくつかの神社(特に厄除けも行っている神社)を調べ、片っ端から尋ね歩いた。頭ではわかっていた。こんなときだけ神社に行ったって仕方がない。こんなの気晴らしだ。もっと現実な対処を考えるべきだろう。どこか相談に行くとか…。しかしカウンセリングは高価で私の使えるお金を考えると無理だった。とにかく私はもう何でもいいから何かせずにはいられなかった。気晴らしでもよかった。今までこんなこと気のせい、と他人を笑っていた私だったが、今になってその気持ちがよく理解できた。自分が当事者になれば笑えないものだ。そう思いながら電車に揺られた。
神社に行くと、たいてい本殿や拝殿を囲むように、こんもりとした鎮守の森がある。国道や繁華街のそばでも、神社の敷地内に入ると不思議と静かだ。鳥のさえずりや木々の葉ずれの音が心を落ち着かせた。私は僅かながらのお賽銭をし、祈った。「どうかモラ夫と離れられますように…どうかこの悪い縁が切れますように…どうかこの苦しみから解放してください…どうかいい道をお示し下さい…神さまお願いします…」と。私は悪い縁切りがよく叶う、と言われている神社には3回も出かけた。そして拝殿の奥をじっと見つめ、そそくさと家に帰った。
当時はそれだけでも少し楽になった。気休めだとわかっていたが、これが私の精神安定に必要なんだと割り切っていた。そして家に帰り、震えながら食事の支度をした。
夫は私のしていたことは何も知らない。知っても馬鹿な女、と冷笑するだけだろう。
しかし神さまは私の願いを聴いてくれていた。
私は今、何回か行った神社のそばに住まいをみつけ、生活している。私はよく神社の境内を歩く。大きな椎の木や銀杏の木がどっしりと根を下ろしている。私は木々を見上げる。シジュウカラのさえずりが聞こえる…
神さま、ありがとう。
そんなことをずっと考え、暗黒の迷路を彷徨い「今日死んでも明日死んでもいい。死は解放だ。どんなに楽になるか…」と暗い表情でとぼとぼと歩いた。買い物に行くときも、通勤するときも私は本当に黒い溜息が見えるような生気のない表情をしていた。笑いながら歩く夫婦を見ては顔を曇らせ、幸せそうな親子から目をそらした。
その頃から私の体がよく震えた。寒くもないのに細かく震えるのだ。買い物をするときも、食材を選ぶ手が震えていた。料理の時も震えていた。夫の足音を聞いては震えた。電話を取るときも、蛇口をひねるときも…。もう体中が悲鳴を上げている感じだった。恐怖と怒りと憎しみと焦燥感で、心身共にいても立ってもいられないような、絶えず電流を流されているような後頭部のヒリヒリ感に浮き足立ち、今この場からすぐにでも逃げ出したかった。
そして私がしたことは、まさに苦しいときの神頼みだった。ネットで近隣にあるいくつかの神社(特に厄除けも行っている神社)を調べ、片っ端から尋ね歩いた。頭ではわかっていた。こんなときだけ神社に行ったって仕方がない。こんなの気晴らしだ。もっと現実な対処を考えるべきだろう。どこか相談に行くとか…。しかしカウンセリングは高価で私の使えるお金を考えると無理だった。とにかく私はもう何でもいいから何かせずにはいられなかった。気晴らしでもよかった。今までこんなこと気のせい、と他人を笑っていた私だったが、今になってその気持ちがよく理解できた。自分が当事者になれば笑えないものだ。そう思いながら電車に揺られた。
神社に行くと、たいてい本殿や拝殿を囲むように、こんもりとした鎮守の森がある。国道や繁華街のそばでも、神社の敷地内に入ると不思議と静かだ。鳥のさえずりや木々の葉ずれの音が心を落ち着かせた。私は僅かながらのお賽銭をし、祈った。「どうかモラ夫と離れられますように…どうかこの悪い縁が切れますように…どうかこの苦しみから解放してください…どうかいい道をお示し下さい…神さまお願いします…」と。私は悪い縁切りがよく叶う、と言われている神社には3回も出かけた。そして拝殿の奥をじっと見つめ、そそくさと家に帰った。
当時はそれだけでも少し楽になった。気休めだとわかっていたが、これが私の精神安定に必要なんだと割り切っていた。そして家に帰り、震えながら食事の支度をした。
夫は私のしていたことは何も知らない。知っても馬鹿な女、と冷笑するだけだろう。
しかし神さまは私の願いを聴いてくれていた。
私は今、何回か行った神社のそばに住まいをみつけ、生活している。私はよく神社の境内を歩く。大きな椎の木や銀杏の木がどっしりと根を下ろしている。私は木々を見上げる。シジュウカラのさえずりが聞こえる…
神さま、ありがとう。