こころの声に耳をすませて

あの結婚生活は何だったのだろう?不可解な夫の言動はモラル・ハラスメントだった…と知ったウメの回想エッセー。

戦慄

2006-01-30 22:27:52 | モラ脱出への道
 夫との将来にはどうやら希望がまったくなさそうだ、と痛感した私の頭の中は、絶望的観測しかなかった。夫が仕事をやめ、毎日家にいて氷のような目で私を突き刺す…この先自分の好きにできるお金も時間も皆無になり、ただ戸籍上夫婦だからということで一緒に暮らし続け、会話も思いやりもなく、夫は無視と罵倒し、私は更にビクビクし感情を押し殺し死んだような生活を送るのか…私は、全私自身を否定する男と生活するのか、こんな男のために私を失っていいのか!?

 そんなことをずっと考え、暗黒の迷路を彷徨い「今日死んでも明日死んでもいい。死は解放だ。どんなに楽になるか…」と暗い表情でとぼとぼと歩いた。買い物に行くときも、通勤するときも私は本当に黒い溜息が見えるような生気のない表情をしていた。笑いながら歩く夫婦を見ては顔を曇らせ、幸せそうな親子から目をそらした。

 その頃から私の体がよく震えた。寒くもないのに細かく震えるのだ。買い物をするときも、食材を選ぶ手が震えていた。料理の時も震えていた。夫の足音を聞いては震えた。電話を取るときも、蛇口をひねるときも…。もう体中が悲鳴を上げている感じだった。恐怖と怒りと憎しみと焦燥感で、心身共にいても立ってもいられないような、絶えず電流を流されているような後頭部のヒリヒリ感に浮き足立ち、今この場からすぐにでも逃げ出したかった。
 
 そして私がしたことは、まさに苦しいときの神頼みだった。ネットで近隣にあるいくつかの神社(特に厄除けも行っている神社)を調べ、片っ端から尋ね歩いた。頭ではわかっていた。こんなときだけ神社に行ったって仕方がない。こんなの気晴らしだ。もっと現実な対処を考えるべきだろう。どこか相談に行くとか…。しかしカウンセリングは高価で私の使えるお金を考えると無理だった。とにかく私はもう何でもいいから何かせずにはいられなかった。気晴らしでもよかった。今までこんなこと気のせい、と他人を笑っていた私だったが、今になってその気持ちがよく理解できた。自分が当事者になれば笑えないものだ。そう思いながら電車に揺られた。

 神社に行くと、たいてい本殿や拝殿を囲むように、こんもりとした鎮守の森がある。国道や繁華街のそばでも、神社の敷地内に入ると不思議と静かだ。鳥のさえずりや木々の葉ずれの音が心を落ち着かせた。私は僅かながらのお賽銭をし、祈った。「どうかモラ夫と離れられますように…どうかこの悪い縁が切れますように…どうかこの苦しみから解放してください…どうかいい道をお示し下さい…神さまお願いします…」と。私は悪い縁切りがよく叶う、と言われている神社には3回も出かけた。そして拝殿の奥をじっと見つめ、そそくさと家に帰った。
 当時はそれだけでも少し楽になった。気休めだとわかっていたが、これが私の精神安定に必要なんだと割り切っていた。そして家に帰り、震えながら食事の支度をした。

 夫は私のしていたことは何も知らない。知っても馬鹿な女、と冷笑するだけだろう。


 しかし神さまは私の願いを聴いてくれていた。

 私は今、何回か行った神社のそばに住まいをみつけ、生活している。私はよく神社の境内を歩く。大きな椎の木や銀杏の木がどっしりと根を下ろしている。私は木々を見上げる。シジュウカラのさえずりが聞こえる…

 神さま、ありがとう。

疲れました ~ひとり生活ひとりごと~

2006-01-26 22:19:45 | 日々の想い
 寒い毎日。風邪やインフルエンザが流行っているこの頃。小中学校では学級閉鎖もあるとか聞いている。職場も閉鎖にならないかな…、なんて無理か。という私は風邪も引かず…きっと毎日アルコール殺菌している成果だろう(笑)と、納得していたりする。

 ひとりで生活していると、普段あまり意識しないことまで考えるときがある。
「自分を食べさせ続けるのは大変…」「私が突如、死んだらこの部屋にまず入るのは誰だろう」「そのとき、あまりに部屋が散らかっていたら恥ずかしいな。。。」

 そんなことを考えさせられたことが会社であった。たまに顔を見せる中年男性の顧客。仮にこの客を『肝山』と呼ぼう。肝山は難しい顧客だった。ちょっと暗めだが、話しは饒舌。自分論をぶつ人だった。しかもこちらの提案するプランになかなか乗らないが、とにかく話しが長い。他の社員は皆この顧客を敬遠していた。そして「聞き上手」と都合良く言われた私が、たいていその顧客の相手をしていた。肝山は一方的に自分の要求を話すが、時間をかけてよく聞くと、「ついくだらないこと言って悪かった」「俺もわかっているんだけどなあ。言い過ぎるのが俺の悪いところだ」「いろいろ言うが、この会社の応対やサービスは気に入っているんだよ」と、最後は気前よく商品やサービスプランを契約し笑って帰る。私はそれにほっとすると同時に、私がしっかり相手をすれば契約を取れる、なんて思ってしまっていた(これが私の共依存パワーで、常に一長一短だ)。

 しかしある日、肝山は私との会話の中で、些細な言葉にひっかかり、突如キレた。他の社員も周りで聞いていたが、誰もがごく普通のやりとりと思う内容だった(後で皆そう言っていた)。肝山の機嫌も悪かったようだったが、「おまえのその言葉は何だ!どういうつもりだ!」という突然の大声に血の気が引いた。周りの社員も青ざめ、私達を見つめる。私は「お気に障ることを申し上げたかもしれない、申し訳なかった」と謝ったが、肝山の怒り収まらず。見かねて上司が応対を替わってくれたが、肝山、ますます調子に乗り「おまえらの会社をどうにかすることなんて簡単だ!ただで済むと思うなよ!おまえら、帰り道には気を付けるんだな!」とわけわからんことを喚いている。とにかく、何とか上司がなだめすかして、その後肝山は帰った。

 そしてその後…度重なる無言電話。そして、名乗らなかったが明らかに肝山の声で、会社や私や他の社員の名前を挙げ誹謗中傷する電話が続いた。皆、電話が鳴るたびに固まり、暗い顔で上司が受話器をとった。私は自分のせいで会社に迷惑をかけてしまったことと、肝山から何か攻撃されるのではないかという恐怖で、頭の中もそのことで一杯になってしまった。仕事のスケジュールを間違えるミスも増えた。胃がむかつき、偏頭痛に悩まされた。毎日欠かさなかったアルコール殺菌?もする気がなくなった。

 そして湧き起こる思い。。。なんで私は仕事にまでモラ夫みたいな野郎に脅かされなければならないんだろう…あれはまるでモラ攻撃だった。私は頭が真っ白になり、冷静な応対が出来なかった。ただ固まってしまった。なんで、こんなことが私に起こるのだろう。もうこんなことは沢山なのに…!私がもし殺されるとしたら、モラ夫だと思ってくれ、と友人に言ったことがあるが、今度は肝山の可能性もある、と言わなければならないのか?私がもし、どこかで刺されて倒れたら、この部屋には誰が入るのだろう。ああ、洗濯物が散らかったままだ。せめて見られて恥ずかしくないくらいに片付けておかなくては。でもまあ、世の中どんなことで突然死ぬかもわからないし。歩道を歩いていたって車がつっこんできたり、物が落ちてくる場合だってあるし。。。。。。
 と、飛躍しつつこんなことを考えた。

そんな強烈憂鬱な日々だったのだが、何とか上司や社長、そして顧問弁護士まで出てきての対策で、ようやく事が鎮静化した。きっともう肝山はこないだろう、と思う。社長は、私を責めることなく、「肝山がおかしかったんだ、まあ、あんな奴はたまにいるよ。たまたま奴にあたっちゃったんだ。ああいう変なタイプが増えるんだろうなあ」と寛容だった。上司は、営業でもっとひどいこともあった、と慰めてくれた。ああ、人生経験豊富な人たちが上司でよかった。あの一言で心底すくわれた。私も年取ったら、何があってもこんなふうに社員をかばうことができるだろうか…と考える。そう思ったらこれも貴重な経験なのか?

 しかしほんとにげっそりした。そして、今日久し振りにビールを飲んだ。

夫との将来像

2006-01-19 22:50:54 | モラ脱出への道
 結婚して7年目、私と夫とは殆ど口をきかなかった。最低限の挨拶「おはよう」「行ってきます」「ただいま」「食事ができました」「おやすみ」を、かろうじて伝えていた程度だった。食事も黙って食べ、片付け終了後は別々の部屋で過ごした。夫がリビングを独占していたので、私はテレビも殆ど見なくなった。夫は常に不機嫌さの雰囲気を漂わせ、私は怒りのスイッチに触れないよう、家事を終わらせると自分の部屋に避難した。もちろん寝るときも別々で、まさに寒々しい家庭内別居状態だった。
 私は既に夫を理解しようとする努力を放棄し、夫との関係を修復する意欲も消失していた。夫はまるで乾ききった砂漠か、鋼鉄の壁だった。夫の期待に応えようと、夫の希望に添おうと努力しても、灼熱の砂漠のように虚しく乾き、育むことのできない不毛な関係だった。そして夫といい関係を築こうと、夫と何とかコミュニケーションをとろうと努力しても、頑なに跳ね返され叩きつけられた。
 私は、夫に関しては全くの無力だと思い知らされた。

 この頃から、私はネットで『夫婦関係』『結婚生活』『離婚』『別居』『DV』などのキーワードで検索しては、世の夫婦はお互いの関係が悪化したとき、どのようにやり過ごしているのかを知ろうとした。そこには様々な悩みを持つ夫婦像があった。私は「いろんなところで結婚生活に悩んでいる人がいるんだ。私だけじゃないんだ」と、自らの心慰める日々だった。また夫と離れたらどこに住もうか、と賃貸情報を検索した。
 その時、私は特に別居する意志を固めていたわけではなく、あくまでも現実逃避として一人暮らしを夢想していた。いろいろな駅周辺情報を集めながら、家賃や間取りを見る。それはちょっとした楽しみだった。現実にはこの家から離れて暮らすことはあくまでも夢物語のようにも感じていた。

 私の傾向として、よく考えて決めたことは貫き通したい、という信念のようなものがあった。特に自分の人生における重大な選択で、それを簡単に覆すのは軽薄なことであり自分自身に対する信用問題にかかわる、と思いこんでいたのだ。結婚もまた人生における重大な決断であり、その決断に自己責任を取らなければならないと思っていた。そして私達の結婚のために、何人もの人が心からお祝いしてくれた。それを無にしてはいけない、という思いもあった。

 しかしそう思いながらも、私の中で結婚生活に期待するものは既に何もなかった。こんな状態で夫婦関係を続け、私は夫の前では自分を押し殺して生きていくのだろうか…。

 ある日、夫がふと話しかけてきた。「俺、もしかしたら癌かもしれない」私は心の中で『やった!夫が入院したら私はここで一人暮らしができる。そして夫が死んだらこのマンションは私の物になる』と、物騒なことを考えほくそ笑んだ。しかし顔ではさも重大な出来事のように、顔を曇らせ「どうして?どこか具合悪いの?」と心配そうに応えた。私は夫の前ではとっくの昔からピエロになっていた。夫は「このところ、息切れが酷いんだ。胸も苦しくなる。もしかしたら肺癌かもしれない」と言った。「検査したの?」「いや、してないけど、なんかおかしいんだ。今までいろいろな人に相談したけど、ウメには最後に言った」私は思った。ふん、もったいぶって。夫は今までも些細なことですぐ大袈裟に騒ぐ。今までも何度ガンだ、心臓病だと騒いだことか。そして検査しても異常なしだ。そして夫は「ここのところずっと体調もすぐれないし、会社をやめようかとも考えている」と言った。はぁ?会社を辞める?この人何考えてるの??「どうしてそうなるの?」夫は「会社のシステムが変わって、組織も再編成されることになった。今までの通りに仕事ができなくてしんどいんだ」確かに夫の会社が大幅な改革を目指している、ということは知っていた。そして夫はそのことでストレスを感じているらしいことは、私も何となく察知していた。しかし辞めてどうやって生活するんだ?「辞めてどうするの?」私は、冗談じゃないよ!と言いたいのをこらえて、辛抱強く聞いた。「俺、写真家になろうと思うんだ」はぁ?シャシンカ!?「ずっと写真取るのが好きだったからさ。世界各国を回っていつか写真集を作りたいって思ってるんだ」シャシンシュウ?「生活は、退職金を食いつなぎながらしばらくは何とかなるだろう。ウメも働いているわけだし。そのうちに写真集が売れるかもしれない。少しは印税が入るだろう?そうしたら家でガーデニングをしてみるのもいいな」が、が、がーでにんぐ??夫は淡々と話していた。

 私は目を剥いてぶっ倒れそうになった。酸欠になりそうだった。夫はいったい何を言っているの?シャシンカ?妄想抱いているのか?ついに頭がおかしくなったのか?冗談じゃないよ!これ以上に私が働いたお金を使い尽くすのか?会社を辞めたら毎日家にいるのか?海外を回る?そのお金は退職金を使う?じゃあ老後はどうなるの?
 私は夫の老後を想像した。おぞましいものだった。想像できたのは、夫が癌で入院することくらいだった。夫がベッドから動けない時、私は冷ややかな顔で夫を見るのだろう。こいつがずっと私を苦しめてきたんだ、と。私は夫が動けないのをいいことに、夫を虐待するかもしれない。今までの私の苦しみを知れ、とばかりに。

 あまりにも不幸な将来だった。私は、これ以上私自身を貶めるのか?夫婦で生活や想いを積み重ねるというよりは、夫への憎悪を積み重ね、惨めで卑小な人間になって年老いていくのか?私は、そんな私になりたかったのか???

 この、夫の意味不明な言語のおかげで、モラハラによって麻痺していた私の頭に突如スイッチが入った。画像は現実の将来に切り替わった。私が現実を作るんだ。冗談じゃない。夫の妄想の中で生きてなるものか!!

内面と外面

2006-01-15 18:14:53 | モラ夫の特徴
 夫の身内に対する態度は、明らかに尋常ではなかった。もちろん、妻である私への態度は今まで述べた通り怒りと不機嫌と無視等モラハラの嵐だったが、自分の親兄弟に対しても常に怒りの気配を漂わせていた。以前夫の実家に泊まったとき、夫は母親に対して優しい言葉をかけていたと思ったら、母親の些細な言動に腹を立て怒声を浴びせた。そして母親が楽しみにしているテレビ番組について「こんなくだらない番組みるんじゃないよ」とテレビを消した。そんな時、母親は黙っていた。あるときは陰で泣いていた。そんなとき、私も夫が怖くて黙っているしかなかった。夫の兄弟の家に遊びに行ったとき、夫は家に上がったとたん「汚い家だなあ。掃除してんのか?」と悪態をついた。そして自分の姪や甥に対して、「おまえはバカだからなあ」「アホだからそんなことしかできないんだ」と笑いながら話すが、冗談ともとれないたちの悪い内容に、皆引きつった笑いを浮かべるだけだった。
 ある日、夫の父の何回忌かの法事があった。仏壇がある夫の実家で行うことになったが、そこでは夫がすべてを取り仕切った。仕出し料理なども夫が注文をした。法事が始まる前、親戚が実家に訪れ、夫は機嫌よく挨拶をしたが反面何か威圧的な態度を取っていた。お坊さんの読経が終わり、皆で料理を食べ始めたときも何か異様な雰囲気だった。周りは皆夫の機嫌を窺っている。夫は周囲に気前よくお酒を勧めながらも、ピリピリしたオーラを発散させていた。そんな中私は夫から「冷蔵庫からもっとビールだして」「ティッシュとって」と矢継ぎ早に命令され、席を温めるひまもなかったが、その中にとどまらずに済むことで返ってほっとしていた。夫はどうしてこんなに神経質になっているのか、私には理解できなかった。

 反面、外面はとてもよかった。夫の友人が家に遊びにくれば、夫自らの手料理でもてなした。さっきまで仏頂面していたのにもかかわらず、私に笑顔を向けながら「僕はわがままだから、ウメは大変だと思うよ」と、友人に話す。その当時私は「ああ、夫も本当はそんなふうに思ってくれてるんだ」と勘違いしていた。

 ある時、夫は不機嫌に夕食をとった後、大きな溜息をつき「近くのスナックに行ってくる」と出て行った。どうせ私の作った料理が気に入らなかったのだろう、と思いながら片づけをしていたら電話が鳴った。電話は夫の職場関係者で、どうしても早く確認したいことがあるので連絡欲しい、と言った。私は仕方なく夫を呼びに行くことにした。家から歩いて10分ほどのスナックに夫はよく入り浸っていた。店のドアを開けると甲高い笑い声が聞こえた。夫がこちらを見る。夫も笑っていた。「おう、どうしたんだ」「職場の人から電話があって、○○について確認したいっていうから早く伝えた方がいいと思って」夫は「ああ、まあ今すぐじゃなくてもいいや。(ママに向かって)これ、僕の奥さん。ウメちゃんも一緒に飲め」と言うので椅子に座った。ママが私に挨拶をしビールをついでくれた。夫はひたすら上機嫌だった。「ウメちゃん、ここのママはとっても歌がうまいんだよ~、ママ、歌ってよ~」そしてママが歌った。「ね、すごくうまいでしょ?ウメちゃんもそう思わない?」と満面の笑みで私の肩に手をおいた。ママは「そんなことないわよ~、○○さん(夫)の歌のほうが最高よ!」とはしゃいでいる。
 私は目の前の光景を見て吐き気がした。このところ夫は私と1ヶ月以上も話さず、常に怒りのオーラを出していた。それがこの態度は何?この笑顔は何?こいつは二重人格か?夫への嫌悪感でじくじくとしながら「片づけが残ってるから帰るわ」と私は席を立った。夫は「僕はもう少しここにいるからね~」と私の背中越しに言った。帰る道すがら、私の心は夫への憎悪が湧き上がっていた。どうしてあんな態度がとれるのか?まったく信じられなかった。胸が腐りそうだった。
 
 そしてある日、夫は「職場の若い子達を今度の土曜日呼ぶから」と言った。夫は職場では気に入った後輩達と一緒によく飲みに行き、奢ってあげているらしい。そこで夫の家に行ってみたい、という話しになったようだ。私は憂鬱だった。どうせまた虚構の夫像を見せつけられるのだと思うとやりきれなかった。が、どうしようもできない。
 その日、家に来たのは若い女の子ばかりだった。仲良しグループらしい。「お邪魔しま~す」「はじめまして」と、彼女たちは家に上がった。私がお茶の準備をしている間、女の子達はテーブルに集まり、夫の人生訓みたいな話しを聞いている。夫はそんな話しが好きだ。自分の至らなさをもっともらしく吐露しながら、人生とは、生きるとは、みたいな理想論をぶつのだ。彼女たちは、神妙な顔で聞いている。夫が大好きな構図。私は心の中で大きな溜息をつきながら紅茶を入れ、皆に出した。そして用事があるから、と私は自分の部屋に引っ込んだ。夫は私が一緒にお茶を飲み、彼女たちと話すのを嫌がる。お客さんとの些細なおしゃべりについて後から「あんなことよく言うな…おまえは何様だ!」と夫から言われるのがおちだ。よく言われたことだ。
 しばらくしたら、話しが盛り上がっているようではしゃぎ声や夫の笑い声が聞こえる。むかむかする気分をこらえた。そして夫が私を呼んだ。「お~い、こっちきて写真とってくれないか?」女の子の1人がデジカメをもってきていた。私は努めて笑顔を作り、デジカメを受け取った。夫の周りを女の子達が囲む。夫は、私には既にまったく見せることもなくなった、嬉しそうな笑顔を作っていた。私が「皆が入らないからもう少し寄ってみて」というと、夫は「もっと寄って!」と女の子達に声をかけ両脇にいる女の子の肩を抱いた。その瞬間私の中で怒りがこみ上げた。私は必死に笑おうとした。「はい、チーズ」夫が「もう一枚」と言った。私は夫の笑顔を見て、憎悪で目がくらみそうだった。やっとの思いで写真を撮り、デジカメを渡した。私は「ごゆっくり」とかろうじて皆に笑顔を向け、また部屋に引っ込んだ。

 私はやり場のない憎悪に覆われ、何もかも破壊したい衝動にじっと耐えた。もうだめだ、もう耐えられない、こっちがおかしくなる。こんな嘘と憎悪にまみれた生活はもうたくさん…もうたくさん!!

猜疑心

2006-01-09 23:13:09 | モラル・ハラスメント
 夫が泊まりがけの出張に出かけたり、帰りが遅くなる時、普通の夫婦だったら妻はどのように過ごすのだろう。私は夫がいない時こそ、普段片付けられない仕事をするために残業したり、友人と夕食を共にしたり、時間を気にせずゆっくり買い物をしたりして過ごすのは当然だと思っていた。普段は夫に合わせた生活をしているのだから、いない時にちょっとくらい好きなことをさせてもらっていいじゃない、と思っていた。

 夫は自分が出張や帰りが遅くなるとき、時々家に電話を入れた。そこで私が出れば、何事もない普通の会話になる。例えば夜9時頃の夫の電話は「やっと打ち合わせが終わってホテルに着いたよ。夕食は同僚と食べてきた。そっちはどう?夕ご飯何したの?」「昨日のカレーを温めて食べたよ」「そう。戸締まりに気を付けてね。じゃあおやすみ」という感じだ。普段は会話もないのに、何故か電話では普通の夫婦のように話す。結婚して始めの頃は、私も新しい土地に友人もいなかったので、夫が留守でも家にいることが多かった。だから、夫からの電話も特に不思議に感じたりすることはなかった。しかし、私も徐々に知り合いや友人が増え、夫が留守の時は友人と会いたいと思うようになる。

 ある日、夫が泊まりがけで出張に行くことになり、私は友人と飲みに行くことにした。泊まりだったら何事もない限り夫が家に帰ってくることはない(以前は帰りが遅くなるはずの夫が早く帰ってきており酷い目にあったので)。そしてそのことは夫には特に言わなかった。夫が出かけた後、私は久し振りに友人と会い、飲みながら心ゆくまでおしゃべりをした。そして夜11時頃帰宅し、真っ暗な部屋にほっとしながら電気をつけた。上着を脱ぎながらふと電話機を見ると留守電ボタンが点滅していた。ああ、誰かから留守電が入っている。そう思って再生ボタンを押した。夫からだった。「今仕事が終わったところ。これから同僚と夕食を食べに行くよ」午後6時30分。「今ホテルに着いたところだ。」午後8時45分。ここらへんで私の鼓動が速くなってきた。メッセージは続く。「おい、こんな遅くまでどこにいってるんだ?」午後10時。私の顔から血の気が引く。「俺がいないからって何考えてるんだ!いい加減にしろよっ!!」午後10時20分。そして無言…午後10時45分。
 私は何も考えられずに電話の前に立ちつくした。夫はどうしてこんなに怒っているのか?どうしよう、このまま明日、夫が帰ってきたらどうなるのか?お風呂に入っていたことにしては無理がありすぎる…と言い訳を考えては打ち消した。そしていつかかってくるともしれない電話に緊張し、私の手足は冷たくなってなかなか眠れなかった。
 そして次の日の朝早く、夫から電話があった。私は電話線を抜きたいと思いつつも、飛びつくように電話に出た。夫の怒声が聞こえる。「おい、昨日はどこ行ってたんだっ?」「友達とごはん食べに行ってた」「どこの誰だっ?」「○○さん」「しかしなあ、夫がいないとすぐ遊びに行く妻は何なんだ?俺がいないときもしっかり家を守ってくれないと、安心して家を空けられないじゃないかっ!!」「…。」「おいっ!何とか言えっ!!」「はい。ごめんなさい」「謝ればいいと思ってんのかっ!?」「すみませんでした」「まったく。いい加減にしろよっ」ガッチャン!!
 その後やけに静かな部屋にひとり、私は頭をたれ重苦しい気分に耐えた。私は友人にも会ってはいけないのか?夫の怒りは何?家を守るって何?
 
 しかし単純な私はこう考えた。夜遅くに外出しているから夫は不安になるのかもしれない。家にいればいいのだろう。そして夫が泊まりがけで出張に行ったある日、私は学生時代の友人に電話をかけた。久し振りのおしゃべりに花が咲き、私は1時間半ほどの長電話をした。電話を切った後もその楽しい余韻を味わっていた時、呼び出し音が鳴った。電話を取ると夫だった。「おい、おまえいったいどのくらい長電話すれば気が済むんだっ!?何かあったときに連絡がとれないじゃないかっ!それじゃあ困るんだよっ!!何考えているんだっ!!!」ガッチャン!!
 私はまた一気に憂鬱の暗い海に投げ出される。これはいったい何なんだろう?家にいてもだめなのか?電話代だって私が払っているのに。

 夫が出張から帰ってくる。眉間に深いしわを寄せ話しもせずカバンを投げ出す。長い間続く無言と怒りの雰囲気が漂う寒々しい生活。

 当時、携帯電話はもう出ていたが、お互い特に必要性も感じなかったので買わなかった。というか、もし携帯なんか持ったら夫からいつでも行動をチェックされそうだったので、私は絶対持ちたくなかったのだ。そして、夫が嫌がったのでキャッチホンもつけられなかった。それにしても、子どもがいるわけでもないのに、どうしてこんなに束縛されなければならないのか?

 夫はとにかく不安が強く、待てない人だった。自分が要求するときには相手の都合がどうであれ、即応えられなければたちまち怒りを表明した。常に自分がかまわれていないと気が済まないので、妻は自分の要求に対応すべくいつもスタンバっていて当然という考えなのだ。自分の求めにすぐ応じられない妻=信用できない、自分のことを思ってくれない最悪な妻、という図式になってしまう。だから電話をしたときも、妻はすぐ取らなければならない。その時たまたまトイレに入っていても、お風呂に入っていてもダメなのだ。私は夫の電話に神経質になり、電話の子機をトイレにまで持っていった。お風呂に入るときは子機を浴室のドア近くに置いたが、シャワーなどを使っていると電話が鳴っているのでは?と気が気ではなかった。まるで呼び出し音の幻聴が聞こえるようだったのだ。

 こうして夫は妻を罵倒しながら、自分の一挙一動に注意を向けさせる。そして妻はそれに応えようとすることで、夫の機嫌を取ろうとする。しかしそんな無理な要求に応えられるはずがない。たとえどんなに料理が上手で家事も完璧にこなしても、応えられない。夫の要求は際限がないのだ。夫の不安と猜疑心は消えることがない。なぜなら他人の思いを完璧に理解する人なんてこの世にいないからだ。だからモラの不満も消えることがない。

 私はダメ妻でよかった。夫の要求に応えるのはもう無理、とあきらめることができたから。