こころの声に耳をすませて

あの結婚生活は何だったのだろう?不可解な夫の言動はモラル・ハラスメントだった…と知ったウメの回想エッセー。

食べ物の話

2006-05-28 01:38:29 | 日々の想い
 私は結婚し、まったく知らない土地に移り住んだ。なので、食文化の違いに随分驚かされもし、新たな味覚の発見を楽しむこともできた。加えてそれがモラ夫の神経に障る出来事となったのだ。

 結婚した当初、私はお味噌汁に散らすネギや、うどんの薬味としてのネギに、長ネギ(白ネギ)を使った。すると夫は叫んだ。「こんなネギを使うんじゃない!」と。私にはわけがわからなかったが、後から青ネギ(万能ネギ?)を使うのだとわかった。
 ある日、夫が「肉じゃがが食べたい」と言ったので作ったら、夫は不機嫌に「何で肉が豚なんだ」と言った。私の親が作るものは豚肉の肉じゃがが当たり前だった。夫が言うには肉じゃがの肉は牛だそうだ。そして私が「肉まん」と呼んでいたものは、こちらでは「豚まん」だった。なぜかというと、こちらでは「肉」=「牛」なので、豚を使っていたらわざわざ「豚まん」と呼ぶらしい。そんなことを、食文化の違いとして楽しく会話できたらよかったが、夫からは不機嫌さと怒りオーラを伴いながらの説教として教えられることになった。
 すき焼きや鍋には「水菜」を入れることも学んだ。私にとって「水菜」は、結婚前には使ったことのない未知の野菜だった。ある日天ぷらを作ったら、夫が「筍の天ぷらはないの?」と言った。私は青ざめた。また夫の期待に応えられなかった…と。それにしてもこちらの地域の筍はおいしかった。とれたては香り高く、それまで筍に興味がなかった私もすっかり好きになったくらいだ。しかし筍を天ぷらにするというレシピは私の頭の中にはなかった。
 そして「鯨」。夫はたまに「鯨が食べたいな」と言ったが、私は鯨料理など食べたこともなかった。私にとって鯨はまだ捕鯨禁止になっていない時代(昔)の人が食べる食材だと思っていたが、こちらでは私と同年代の人たちまでもが中学時代くらいまで給食に出ていたというのだ。鯨肉と水菜を煮る(こちらでは炊く、と言う)料理がおいしかったそうだ。それにしてもこちらでは調査用捕鯨だか何かわからないが、時々デパートや大きなスーパーには鯨肉が売られていた。私が料理できなかったので、ついに夫との生活で鯨肉のメニューは食卓に上らなかった。私も鯨料理にはちょっと興味がある。おいしいのかな~??

 この頃は全国どころか世界の食材がスーパーに並び、いろいろなものが食べられるようになった。ゴーヤなども、私が子どもの頃には想像もつかない野菜だったが、今ではよく使っている。アボガドを使った料理も食べたり自分で使うようになったのは、大人になってからだ。北海道の採れたて秋刀魚のお刺身が食べられるのも、流通機構が格段に発展したおかげだろう。
 私は食べたことのない食材を試してみるのが好きだ。どこかのお店で食べた創作料理も試してみたくなる。しかし夫は違った。夫は決まりきったメニューを好んだ。例えば定食みたいなもの。トンカツは普通に豚ロースに衣をつけて揚げなければならない。そこに紫蘇を挟むなどというアレンジをしてはならないのだ。また夫の中では何故か鍋=水炊きと決まっていて、キムチ鍋などというものは邪道だそうだ。キムチは食べるのに、豚キムチはダメ。ゴーヤ料理もダメ。お豆腐は、冷や奴はOKで、お豆腐サラダなんてものはダメ!こんな夫だったから、一緒に旅行に行っても、その地方の名産や食材を堪能する料理屋さんには入れなかった。沖縄に行ったときには、一回だけ沖縄料理のお店に入ったが、夫は出された料理殆どに箸を付けなかった。私にとってはとてもおいしいお料理だったが…(特に海ぶどうの食感はやみつきに!)。

 とにかく夫との食事は楽しむより疲れ果てた。私が作った料理をテーブルに出すとき、私はまるで判決を待つ罪人のような気分だった。今日は満足してくれるだろうか…それとも口に合わないと怒るのだろうか…と。

 夫と離れた今、作りたい料理を作り、食べたいものが食べられる。食事を安心して楽しめるという環境が、いかに健康を育む大切なことなのかと思う。

 昨日は友人と韓国料理のお店に行った(今テレビや映画では韓国ブームだが、残念ながら私は韓国ドラマ等を全く見ない)。そこは単に焼き肉店というより韓国宮廷料理も出すお店なので、落ち着いた雰囲気でちょっと高級感があった。その割にはサービス満点でお得なお値段。そしてとにかく野菜を使った料理が多い!少々野菜不足だった私の体は大喜び(^^)。おいしいお料理に楽しいおしゃべり…お腹も心もいっぱいになって幸せ気分だった。

 これが本来の食事よね。楽しくおいしく食べれば心も体も喜ぶのがお食事!
 あ~…ちょっと太りそう。。。。

 

幸せ恐怖 ~ひとり暮らしひとりごと~

2006-05-08 23:15:39 | 日々の想い
 連休が終わり、目覚めた朝。そうだ、今日から仕事なんだと自分にハッパをかける。ちょっと下界に戻ってきた気分だ。
 外を歩くと、空が青くて緑が輝いている。街路樹のハナミズキが満開だ。もう初夏なんだな~。早いな。暑いなぁ…。

 連休では実家に帰り、昔からの友人に会ってきた。なかなか会えないが、ひとたび会うと今までの距離と時間を一気にすっ飛ばして、心おきなく遊べる友人だ。その日は友人との時間を過ごすため、新緑溢れいろいろな花々の咲く大きな公園に行った。もちろんデパ地下でおいしいお総菜を山のように買い込み、ビールやワインも持って!
 周囲には家族連れやカップルもお弁当を広げている。私達は優しい木洩れ日の下でおいしいランチをゆっくり楽しんだ。この友人は二児の母で、普段賑やかで忙しい生活を送っている。この日友人の夫は「たまにしか会えないんだからゆっくりしておいで」と、小さい子ども達を連れて遊びに行ってくれたそうだ。素晴らしい夫!!どうして私には…なんてこんなこと考えるのはやめよう(^^;)。とにかく、その友人とアホな冗談を言っては笑い、人生について語り、他の友人達の噂話をしては皆の近況に驚いたり笑ったり。そのまま夜の二次会にも突入して存分に語り合った。
 別の日には、これまた12年振りの再会が叶った懐かしい人との時間を堪能できた。

 実家では両親、そして兄弟が夫婦で来てこれまた賑やかな夕食となった。食卓を囲んで食べながらのおしゃべり。昔話や近頃のニュース、父親のうんちく、母親の健康談議…楽しい時間だった。
 実はこうして家族で楽しくおしゃべりできるようになったのも、ここ数年のことなのだ。私は母親との葛藤で随分苦しい思いを抱えてきた。過干渉な母親。そしてかまわれたがりの母親。私はいつも母の話の聞き役だった。自分の話を母親にしようとしても、すぐ母親の持論に遮られ、沈黙することが多かった。そして私はイライラすると母親に攻撃的な態度をとった。そんな私に対して母親は、屁理屈ばかり言い、すぐに噛みつく扱いにくい小難しい娘、と思っていたようだ。私は母親に侵入させまいといつも身構え、距離を保つことに躍起だった。
 これもお互い年をとったということなのだろうか。。。

 懐かしい人たちとの再会、いつになく賑やかな家族の風景。夫と生活していた頃には、長い間感じることができなかった嬉しい幸せな気持ち。ごく普通の、たわいないおしゃべりができる楽しさ。

 そして夜も更け、布団の中に入ったとき、突然意識に入り込む不安…
 …ここのところ、いいことがありすぎる。久し振りすぎる再会、昔はありえなかった家族の団らん。このまま、こんないいことばかり続くことなんてことはないだろう。もしかしたら、もうすぐ私は死ぬのかもしれない…(大袈裟な奴ですね。。。)

 私は決して不幸になりたがっているわけではないのだ。それなのに、いいことがあるとどこかで湧き起こる灰色の影。
 私はいつもどこかで自分を抑えていた。いや、諫めていた。がっかりするのが嫌だからと、期待しないようにしていた。調子に乗るときっと失敗する、そう思いはしゃぎたい気持ちを抑えた。好きになった男性が親しげに近づいてくると、急に心が冷めて距離をとった。この人が私を好きになるはずがない、と思ってしまうのだ。
 そして嫌なことや辛い出来事が生じると、「やっぱりあのときの罰が当たったんだ」「やっぱり、いいことばかり続くはずがない」と思ってしまう。

 でもホントにそうなのか…?


 いやいや、本当はわかっているんだ。私は自分なりに経験し、学んできたはずだ。人生いいこともあれば、嫌なこともある。苛酷なこともあるけど、それはどうしようもできない不可抗力の場合だって多い。耐えられないことに囚われたら、まずそこから離れればいい。とても受け入れられない現実があったら、手放せばいい。あるときの私は無力だ。そしてあるときの私はけっこう力がある。いろんなことがあって当たり前。嬉しいときは素直に喜び、しんどいときは素直に嘆けばいい。それはきっと罰なのではないのだから。不安を先取りするのはやめよう。がっかりしてもいいんだ。それからまた気を取り直せばいいんだ。

 私は学んだはず。モラハラに遭って苦しかったけど、自分なりに情報を集め、本を読み、状況を把握し、判断し、決断し、行動できたんだ。そしてモラハラに遭った私を受け止め、力づけ、共感し、「モラ夫を選んだあなたが悪いのではない」という言葉をかけてくれた方々から学んだのだ。
 私の人生を、誰に気兼ねすることなく、私なりに生きていいのだと。


 さて、明日も初夏の光を浴びて歩こう


連休 ~ひとり暮らしひとりごと~

2006-05-02 23:36:03 | 日々の想い
 明日から連休だ。大型連休で9日間休む会社もあるようだが、私の職場は暦通り。それでも5連休は嬉しい。明日から実家に帰り、高校時代の友人に会ったり、昔お世話になった方に会う予定だ。長い休みを好きなように使えるなんて、今だからこそだ。会いたい人に、会える時間を作って会う、こんなことも今だからこそできることなのだ。

 夫と生活していた頃の連休(それはゴールデンウィーク、お盆、年末年始なども含め)は恐怖の始まりだった。朝は夫より早く起き、夫の顔色を窺い怯えながら作る1日3回の食事。夫が「出かけるぞ」と言えば慌てて支度して外出し、夫が何も言わなければ家事をした後、気に障らないように自分の部屋にこもる。夫が何かに没入していたら(パソコン等)、テレビも見ることが出来ない。夫がテレビを付けるときは、あくまでも夫の好きな番組のみ。私はそれを上の空で見るふりをしているだけ。夫が音楽を聴けば大音響になるので、私は近所の目も気になり、また大きな音に神経もささくれ立ち、たまらない思いで自分の部屋にこもることになる。そして夫婦では特に用事がないのに、私が単独で遊びに行ったり、実家に帰ったりすることは許さない、というような無言の圧力をかける夫。

 以前、職場の同僚が出産し、ある休日にお祝いにと職場の皆で訪問することになった。私は夫にもその旨を伝えたが、そんなことにすら疑いの目を向け、「へぇ~。誰と行くの?」「どうして皆で行かなくちゃいけないの?」と不機嫌に質問し、バス停までついてきた(監視のため)ことがあった。また、私がいとこと旅行をしたいと言ったときに「じゃあ俺の食事はどうなるんだ?」と鬼のような目で私を睨みつけたりしたこともあった。
 そんなことが度々あると、もう夫を置いて、私だけが出かけるということができなくなった。休日といっても、夫にとって妻である私が単独の予定を立てて外出することは、自分を無視されるようなものだったのだ。そして私は夫の世話をするために家にいなければいけなかった。平日はまだ仕事のために家を出ることができる。しかし、休日は『恐怖の大王』が住まう家で1日中過ごさなければならないのだ。

 楽しく家事が出来ればまだよい。家にいても、夫とあれこれおしゃべりしたり、リラックスして過ごせれば、まだ楽しい休日にもなるだろう。

 しかし私と夫とは、既に気兼ねないおしゃべりは存在しなかった。夫は機嫌が良いと、自分の話したいことだけを長々と話したが、私の話はまったく鬱陶しいようだった。
 私は夫に話しかけるとき、用心深く言葉を選んだ。こんな言葉を使って、こんな言い方ではどうだろうか、と。そして話しかけるタイミングを窺う。今話しかけたら嫌な顔をされるかもしれない。今はテレビに注意を向けているからだめだ(以前、テレビを見ながら話しかけたら『俺は今テレビを見ているんだ』と怖い顔で言われた)。コマーシャルになった。今だったら大丈夫だろうか?…そして恐る恐る(でも明るく振る舞い)話しかける。それで夫がさらっと返事をしてくれたらラッキーで、3回のうち2回は「はぁ?」「いったい何が言いたいの?」「おまえの話す日本語は意味がわからないんだよ」と冷たい目で突き放される。
 ああ、やっぱり話しかけるんじゃなかった。もう必要最低限の用事だけ伝えることにしよう。それにしてもどうして夫婦でささいな話しをするにも、こんなにびくつかなければならないのだろう…。重い気持ちで口をつぐむ私。
 連休はこんなことの繰り返しだった。

 私は何でもない、普通のおしゃべりに飢えていた。何気ない、日常のありふれた会話。それは例えばこんな会話だった。「今日は急に暑くなったね~。このまま夏になっちゃうのかな?」「昨日はね、職場の同僚が時間ぎりぎりで出勤してきたんだけど、なんと朝起きてから10分間で身支度して家を出たらしいわ~。すごいスピードだね」「昨日テレビで面白いこと言ってたんだけどね…」
 
 こんなことが普通に話せない夫婦って何なんだ?こんなどうってことない一言を言うのに、夫の顔色やタイミングやご機嫌を窺う私って何なんだ?
 私は本当に寂しかった。心底寒気がしたものだった。


 もうそんなことを気にしなければならない人はいない。私は自分の好きな人と会って、しゃべりたいことをしゃべって、お互いに会話を楽しんで、お互いの存在を喜ぶことができる。
 もう私を縛る人は家の中にいない。私に圧力をかける人は家の中にいない。

 私は今、家の中で心からリラックスしている。


 では、明日からしばらくお出かけしてきま~す


旧友との再会 ~ひとり暮らしひとりごと~

2006-04-27 23:35:41 | 日々の想い
 先日、旧友と久々の再会を果たした。実に15年ぶりだった。

 それは学生時代の友人だった。物静かな落ち着いた人柄で口数は少なかったが、私はその友人が大好きだった。よく2人で喫茶店に行き長々とおしゃべりしたものだった。話が途切れて沈黙が続いても、そのままぼーっとしていられる私達だった。またある日はお菓子を買い込み、河原に座って大きな川を眺めながらとりとめもなくおしゃべりしたものだった。
 そして、私達はそれぞれの職場に就職した。お互いの仕事が忙しくなったことと、友人の仕事は土日勤務もあり、私の休日とはすれ違いとなったことも含め、その友人とはなかなか会えなくなった。それでも電話で話したり、手紙のやりとり(今じゃ希少価値になりましたね~)をしたものだ。
 私の転職や結婚で別の土地に転居してからは、連絡することも少なくなり9年くらいは年賀状だけのやりとりになっていた。その年賀状にはいつも『今年こそ会いたいね』と決まり文句を書きながら、ついに会わず1年そして1年が過ぎていた。
 ある年の年賀状に、『子宮癌になって手術をしましたが経過は順調です』とあった。その頃、私達は30も過ぎたばかりだったが、その内容に仰天した。ああ、なんてことだろう。どんな思いを抱いているのだろうか。苦しい日々を送っていたのだろう。何か友人に言葉をかけたい、でも何と言ったらいいのだろうか…。手紙を書こうと思っては悩み、そのまま年賀状の季節になってしまった。次の年の年賀状には『仕事に復帰してがんばっています』とあった。私は安心した。そしてまた年月が経っていった。

 先日、仕事を終えて帰宅し郵便受けを覗いた。一通の葉書が入っていた。その友人からだった。葉書には『友人との旅行でそちらに○日から2日間滞在します。ウメの家は近いのかな?会えるかな』とあり、携帯のメールアドレスが記載されていた。その日とはまさに今日(葉書を見た日)だった。え~~~!?はやく言ってよ~~~(>_<)今日じゃ~~ん!!時すでに夜7時半。明日は仕事の用事で夜も都合が悪い。会うとしたら、今晩しかない!でも果たして連絡が取れるのだろうか…。私はその友人にメールを送った。10分後に返事が来た。「今新幹線の中です。9時には○○駅に着きます。」え~~?夜の9時…明日は仕事。でも行こうと思えば45分くらいでその駅までは行ける。その友人と会うのは15年振りだった。このチャンスを逃したら、また10年くらい会えないかもしれない。行こう!!
 私はまた慌てて時刻表を確認し、家を出た。駅まで早足で歩きながら友人にメールを送った。「○○駅の改札で待っています」と。

 電車に乗り込み、新幹線の駅に向かった。本当に会えるかな?ちょっと信じられなかった。そして新幹線の○○駅改札に着き、到着を待った。私は友人の顔がわかるだろうか。15年経って友人は変わっているだろうか。人々が改札口に向かって流れてきた。私は目をこらして1人1人を見つめた。まだだろうか…そう思っていたら、改札を出たところでこちらを見つめている女性に気がついた。友人だった。友人は以前よりずっと痩せていて、何だかきれいになっていた。私達はお互いの再会を喜び合った。
 
 友人は職場の同僚2名と旅行に来たのだが、その同僚までが私達の久々の出会いを喜んでくれ、友人と私がおしゃべりする時間を作ってくれた。友人が泊まるホテルに私も一緒に行き、積もる話しをした。といっても、急に何を話していいのやら、という感じでとりとめもなく、話しをした。友人に「ほっそりしてきれいになって~!」と言ったら、友人は「手術で痩せてね。退院してからも抗ガン剤の点滴を受けるたびに入院して…10ヶ月休職してたんだ」と言った。その後も定期的な検査をしたり、手術の後遺症で腸の癒着を起こしたりと、大変らしい。それでも職場に復帰し、がんばっている…私は彼女の話を聞きながら涙が出そうになるのをこらえた。そして次に「結婚生活はどう?」と彼女が訊いた。私は笑いながら「実は別居しててさ~。いやぁ~、結婚生活はもうごちそうさまだよ。胸焼け起こしちゃった」と言うと、今度は彼女が顔を曇らせ「え~?本当?」という番だった。お互い年賀状だけのやりとりだったので、改めて知ったお互いの近況に、お互いが話しながら、ただ聴き入るばかりだった。お互い離れている間に、いろいろな苦労を体験していたんだな…。あっという間に2時間半がたち、私は最終の電車に乗るため、友人と別れた。友人とはしっかりと抱き合い、「今度会うときは10年後なんてことがないようにしようね!」と約束した。

 帰りの電車に揺られながら思った。
 毎年毎年、会いたいねと言いながら15年が過ぎていった。そして、まさに当日「会えるかな」と突然の知らせ、そして一瞬のうちに再会を果たせた不思議。なんて再会なのだろう…!

 ここでも思うのだ。もしここで、私が夫と生活していたら、多分メールでのやりとりだけで終わっただろう。「会えなくて残念…」と。友人からメールをもらった時間は、夫と生活していたら夕食が終わるか終わらないかの時だ。その後の片付け、洗濯物にアイロンなど、やらなければならないことがある。それをほっといて、いくら15年振りとはいえ、友人と会うことなんて絶対に許されない。

 ああ、ひとり暮らしでよかった。突然の、大切な再会を大事にできた。人生とは、こんな一瞬の積み重ねだ。思いがけない一瞬。その一瞬の時によって、どんなに励まされ力づけられるか。しかしその一瞬はいつやってくるかわからないのだ。その一瞬をつかめる喜び。一瞬を大事にできた幸せ。


 ああ、何だかこれからも、いいことがやってくるような予感がする。。。



休日 ~ひとり暮らしひとりごと~

2006-04-22 13:22:56 | 日々の想い
 やっと1週間が終わった。目覚ましをかけずに眠れる夜。そして時間を気にせず起きることのできる朝はほっとする(それにしても、最近はあまり長い時間寝ていると背中が痛くなって目が覚めるのでした…年?とほほ)。4月になって仕事量が増え、気忙しい日々だ。夜も少し早めに寝るようにしているが眠気がとれない。朝起きるときなどは、自分で自分のお尻をひっぱたいて追い立てている状況。しゃきっと気持ちよく目覚める朝ってどうやったらくるのだろうか…。は~…仕事するって大変。だけど仕事があることに感謝しなければ。。。。

 コーヒーを飲み、リンゴをかじりながら新聞を広げる。
 もうすぐJR宝塚線の脱線事故から1年になり、その特集記事が連日掲載されている。いつもと同じように電車に乗り、いつもと変わらず出勤、通学、でかけていくはずだったあの日。一瞬にして多くの人の人生が無残にねじ曲げられてしまったあの日。残酷な現実を必死に生きている人たち。 連日報道される事件、事故、悲惨な出来事。私だってそんなことに巻き込まれるかもしれない。そんなとき私はどうやって生きていけるのだろうか…と思いつつ溜息をつく。
 そして連載小説を探した。私のとっている新聞には桐野夏生の連載小説があり、それをいつも楽しみにしている。ギンちゃんがんばれ!?

 洗濯機を回し、洗濯物を干そうとしてベランダに出るが、物干し竿についた細かい砂を見てやめた。やっぱり室内に干そう。花粉の飛散する時期、そして黄砂がやってくる時期はいつも室内干しだ。お布団も干せない。来月になったら気持ちよく干すことができるかな。
 それにしてももうすぐ5月…って初夏じゃん。はやいな~。ある人が「1日が過ぎる速さは、その人の年齢分の速さなんだって」と言った。私の場合は30キロ代の速さで時が過ぎているらしい。そう言ったその人は60才。だから毎日60キロの速さで時が流れるらしい。はや~っ!だから年々時の流れが速く感じるのか?そういえば30代はあっという間に過ぎて、40代は坂を転がり落ちるように速く過ぎるって聞いたな。50代、60代はジェットコースター?う~ん。。。時間は大切に使わなくちゃ、なんて急に殊勝なふりをしてどうする。

 最近、脳を活性化するグッズが流行っているが、私の周りにも大人のドリルや、大人の塗り絵、脳を鍛えるトレーニングなるものをしている人が多い。物忘れなどを自覚して何とかしようと思っているらしい。という私も物忘れがひどくなってきたり、例えば漢字の「効く」を書きたいのに「聞く」と書いてしまったり、わかっているはずなのに、目の前にいる人の名前がとっさに口から出てこなかったり、冷蔵庫を開けて何をとろうとしたのか忘れてしまったり…やばい。先日母親と電話で、物忘れをよくする話しでお互い盛り上がってしまったが、既に60を越えている母親と30代の私が共感しあってどうする!?私の頭は既に60代のレベルなのか。心配したおせっかいで過干渉な母親が「百ます計算」を送ってきた。あ~っ、こんなのいらないよ!と思いながらもやってみた。簡単な足し算、引き算などをひたすらするのだが、すぐ疲れてしまった。まさにトレーニング…。結局私の集中力、忍耐力が続かず、ページ半ばでほってある状態だ。しかしこうやって続かないところは脳が衰えている証拠?う~~ん。

 時間を気にすることなく、気ままに過ごす休日。ふと子育てに追われている友人を思い出す。友人は休日といっても、朝起きて山のような洗濯して、食材の買い出しに行って、子どもの相手をして、だんなの世話もして、家族のために忙しくしているのだろうな。次あれをやって、これをして、と考えていたら脳も活性化するだろうな。それに引きかえ私は家の中で気を遣うこともなく、あれこれ考えることもなく、ぼ~~~っと座っている。これでいいんだろうか。頭もぼけるだろうな。まあいっか。いろんな人生があるもんね。今の私の生活は、これでやるしかないもんね。

 そうだよ、きっとモラ夫との生活に耐えた後のご褒美なんだよね。そう思おう。

 さて、今日はおいしいお酒を買って、おいしい夕ご飯を作ろう。
 デパ地下もちょっと覗いてみよう。
 では、買い物に行ってきま~す。