こころの声に耳をすませて

あの結婚生活は何だったのだろう?不可解な夫の言動はモラル・ハラスメントだった…と知ったウメの回想エッセー。

猜疑心

2006-01-09 23:13:09 | モラル・ハラスメント
 夫が泊まりがけの出張に出かけたり、帰りが遅くなる時、普通の夫婦だったら妻はどのように過ごすのだろう。私は夫がいない時こそ、普段片付けられない仕事をするために残業したり、友人と夕食を共にしたり、時間を気にせずゆっくり買い物をしたりして過ごすのは当然だと思っていた。普段は夫に合わせた生活をしているのだから、いない時にちょっとくらい好きなことをさせてもらっていいじゃない、と思っていた。

 夫は自分が出張や帰りが遅くなるとき、時々家に電話を入れた。そこで私が出れば、何事もない普通の会話になる。例えば夜9時頃の夫の電話は「やっと打ち合わせが終わってホテルに着いたよ。夕食は同僚と食べてきた。そっちはどう?夕ご飯何したの?」「昨日のカレーを温めて食べたよ」「そう。戸締まりに気を付けてね。じゃあおやすみ」という感じだ。普段は会話もないのに、何故か電話では普通の夫婦のように話す。結婚して始めの頃は、私も新しい土地に友人もいなかったので、夫が留守でも家にいることが多かった。だから、夫からの電話も特に不思議に感じたりすることはなかった。しかし、私も徐々に知り合いや友人が増え、夫が留守の時は友人と会いたいと思うようになる。

 ある日、夫が泊まりがけで出張に行くことになり、私は友人と飲みに行くことにした。泊まりだったら何事もない限り夫が家に帰ってくることはない(以前は帰りが遅くなるはずの夫が早く帰ってきており酷い目にあったので)。そしてそのことは夫には特に言わなかった。夫が出かけた後、私は久し振りに友人と会い、飲みながら心ゆくまでおしゃべりをした。そして夜11時頃帰宅し、真っ暗な部屋にほっとしながら電気をつけた。上着を脱ぎながらふと電話機を見ると留守電ボタンが点滅していた。ああ、誰かから留守電が入っている。そう思って再生ボタンを押した。夫からだった。「今仕事が終わったところ。これから同僚と夕食を食べに行くよ」午後6時30分。「今ホテルに着いたところだ。」午後8時45分。ここらへんで私の鼓動が速くなってきた。メッセージは続く。「おい、こんな遅くまでどこにいってるんだ?」午後10時。私の顔から血の気が引く。「俺がいないからって何考えてるんだ!いい加減にしろよっ!!」午後10時20分。そして無言…午後10時45分。
 私は何も考えられずに電話の前に立ちつくした。夫はどうしてこんなに怒っているのか?どうしよう、このまま明日、夫が帰ってきたらどうなるのか?お風呂に入っていたことにしては無理がありすぎる…と言い訳を考えては打ち消した。そしていつかかってくるともしれない電話に緊張し、私の手足は冷たくなってなかなか眠れなかった。
 そして次の日の朝早く、夫から電話があった。私は電話線を抜きたいと思いつつも、飛びつくように電話に出た。夫の怒声が聞こえる。「おい、昨日はどこ行ってたんだっ?」「友達とごはん食べに行ってた」「どこの誰だっ?」「○○さん」「しかしなあ、夫がいないとすぐ遊びに行く妻は何なんだ?俺がいないときもしっかり家を守ってくれないと、安心して家を空けられないじゃないかっ!!」「…。」「おいっ!何とか言えっ!!」「はい。ごめんなさい」「謝ればいいと思ってんのかっ!?」「すみませんでした」「まったく。いい加減にしろよっ」ガッチャン!!
 その後やけに静かな部屋にひとり、私は頭をたれ重苦しい気分に耐えた。私は友人にも会ってはいけないのか?夫の怒りは何?家を守るって何?
 
 しかし単純な私はこう考えた。夜遅くに外出しているから夫は不安になるのかもしれない。家にいればいいのだろう。そして夫が泊まりがけで出張に行ったある日、私は学生時代の友人に電話をかけた。久し振りのおしゃべりに花が咲き、私は1時間半ほどの長電話をした。電話を切った後もその楽しい余韻を味わっていた時、呼び出し音が鳴った。電話を取ると夫だった。「おい、おまえいったいどのくらい長電話すれば気が済むんだっ!?何かあったときに連絡がとれないじゃないかっ!それじゃあ困るんだよっ!!何考えているんだっ!!!」ガッチャン!!
 私はまた一気に憂鬱の暗い海に投げ出される。これはいったい何なんだろう?家にいてもだめなのか?電話代だって私が払っているのに。

 夫が出張から帰ってくる。眉間に深いしわを寄せ話しもせずカバンを投げ出す。長い間続く無言と怒りの雰囲気が漂う寒々しい生活。

 当時、携帯電話はもう出ていたが、お互い特に必要性も感じなかったので買わなかった。というか、もし携帯なんか持ったら夫からいつでも行動をチェックされそうだったので、私は絶対持ちたくなかったのだ。そして、夫が嫌がったのでキャッチホンもつけられなかった。それにしても、子どもがいるわけでもないのに、どうしてこんなに束縛されなければならないのか?

 夫はとにかく不安が強く、待てない人だった。自分が要求するときには相手の都合がどうであれ、即応えられなければたちまち怒りを表明した。常に自分がかまわれていないと気が済まないので、妻は自分の要求に対応すべくいつもスタンバっていて当然という考えなのだ。自分の求めにすぐ応じられない妻=信用できない、自分のことを思ってくれない最悪な妻、という図式になってしまう。だから電話をしたときも、妻はすぐ取らなければならない。その時たまたまトイレに入っていても、お風呂に入っていてもダメなのだ。私は夫の電話に神経質になり、電話の子機をトイレにまで持っていった。お風呂に入るときは子機を浴室のドア近くに置いたが、シャワーなどを使っていると電話が鳴っているのでは?と気が気ではなかった。まるで呼び出し音の幻聴が聞こえるようだったのだ。

 こうして夫は妻を罵倒しながら、自分の一挙一動に注意を向けさせる。そして妻はそれに応えようとすることで、夫の機嫌を取ろうとする。しかしそんな無理な要求に応えられるはずがない。たとえどんなに料理が上手で家事も完璧にこなしても、応えられない。夫の要求は際限がないのだ。夫の不安と猜疑心は消えることがない。なぜなら他人の思いを完璧に理解する人なんてこの世にいないからだ。だからモラの不満も消えることがない。

 私はダメ妻でよかった。夫の要求に応えるのはもう無理、とあきらめることができたから。

経済的嫌がらせ

2005-12-17 21:18:23 | モラル・ハラスメント
 結婚当時、夫は私に「僕の給料は全部渡すから、その中でやりくりしてくれ」と言った。
私はその中から夫へのお小遣いを渡し、私がパートで得た少しの収入は貯金に回すことにした。しかしすぐに夫から「小遣いが少ない」とクレームがついたので、家計簿を付けていた私は、その内訳を見せ、夫の小遣いの使い道について改善を求めたが夫は文句を言うばかりであった。夫は自分の給料の他に、親から譲り受けた不動産を持っており、その家賃収入もあった。しかしそのことは「結婚前の財産だからおまえには関係ない」と、言われた。夫はその収入プラス給料が入るのに、お金が足りない、とほざいた。

 そのうち「おまえの生活費の計算はどうなっているんだ」と、すぐに経済管理の主権を握った。そして生活費として数万を渡された。その額では2人の食費や生活雑費、クリーニング代などを捻出することができない。しかも夫は自称美食家で、それなりの材料を使わないと食事に満足しなかった。私は自分のパート収入も生活費に充てたが、それでかつかつの状態だった。後に私はパートから常勤になったが、夫はその分私に生活経費を出すよう要求した。

 そして、夫の希望で不本意ながら引越すことになり、新しいマンションで生活することになった。夫は恐い顔で言った。「おまえも働いているんだから、それ相応の負担するのが当然だろう?」と。夫は月々の家のローンと固定資産税、各保険費用は自分で出すと言った。しかしローンは月々9万円くらいだった。各種保険だって月2万円程だ。夫のボーナスは繰り上げ返済のために多少は使っているものの、夫の給料は私の約3倍以上だった。だからローン返済なんてどうってことないのだ。
 あとの生活費は全部私が払うことになった。マンションの管理費や車の駐車場代、光熱水費、新聞代、電話代、インターネット代、ほとんど夫が見ているケーブルテレビ代や衛生放送代、食費や生活雑費、クリーニング代等々は私の給与から支払うことになった。ようは、私の給料をほぼ全額使い尽くすようにし向けられたのだ。私がパートの安月給の時も、常勤になった時も、私が一時期失業したときすらそれを自分が払おうか、なんて言うことはなかった。私の退職金は生活費でほとんど消えた。

 経済制裁によって、私は精神的に惨めさを増し、イライラしていじましい心境に追いつめられた。服も買えず、大型スーパーの安売り時やフリーマーケットで何かいい物はないかと探した。季節が変わり、特に冬物をクリーニングに出さなければならないときには泣きたくなるくらいだった。夫は自分の分はカシミアのコートやブランドのスーツ、スェードのジャケットなどを購入していた。それをクリーニングに出すと、デラックス扱いを勧められ、数万くらいになってしまうのだ。私は自分の分のコートをクリーニングに出すのは、数ヶ月先にしなければならなかった。また、夫は牛肉を好み、安い肉では満足しないため、「ステーキが食べたい」「すき焼きが食べたい」などというと、はらわたが煮えくりかえった。おまえが一人で食べてこいっ!!と叫びたかった。

 結婚したら、一人暮らしのときより生活が楽になると思っていた。夫の給料の額はよかったし、それと少ないながらも私の給料を合わせれば、ゆとりある生活ができるはずだった。しかしそれは見事に裏切られた。私は一人暮らしの時よりも、金銭的な苦しさを感じた。

 夫はといえばもう好き放題だった。不動産収入プラス自分の給与を含めると月70万くらいになっただろうか。その中から、前妻の子どもへ仕送り5万、マンションローン9万、各種保険2万くらい、年に一度の固定資産税数万を払えばすべて自分の小遣いだ。それなのに、「お金が足りない」と言っていた。夫は本当に自分の好きなようにお金を使っていた。服もブランド、高価な香水、マッサージ、職場関係者で飲むときには後輩に気前よく奢ったりする。ひとりで高級なレストランに行き、高い料理を頼み、そこのシェフと懇意になりたがる。そしてそこに友人を連れて行く。ようはええ格好しいなのだ。また、働く男どもの託児所と言われるスナックにもよく言っていた。そこのママにちはほやされることが嬉しいらしい。

 そんな夫を横目で見ながら、私は夫への怒りを募らせていった。好き放題の夫。収入がありながら、なんで私はこんな貧しい思いをしなければならないのだ。同じ家に住む夫婦とは思えなかった。私はまるで夫に裕福な生活をさせるための奴隷だった。少ない給料のほとんどを生活費に使わざるを得ず、服も買えず、買い物には10円差に悩む日々。このギャップは何なんだ。

 20代の女性達がどうやってブランド品を買えるのか、本当に不思議だった。皆、そんなに給料がいいのだろうか。ほかの主婦達はどうしているのだろうか。あんな高価な化粧品などどうやって買っているのだろう。それとも私の生活だけが異常なのだろうか。

 そして、お金が無くてすぐクリーニングに出せなかった夫のジャケットが、夫に見つかり「おまえが長いことクリーニングに出さないから俺は鬱になった。おまえは妻の役割をまったく果たしていない」と罵られた。私はお金がないことを訴えたが「嘘つき」呼ばわりされただけだった。
 私の中で怒りのマグマがゆっくり蠢いていた。

期待しないこと

2005-12-10 23:53:58 | モラル・ハラスメント
 夫が鬱と診断されてからは、モラハラも陰を潜め、何とか落ち着いた生活を送っていた。夫も欠かさず安定剤を飲んでいるせいで、激しい感情の起伏はなくなった。些細なことで不機嫌になるときもあったが、以前に比べると短時間で収まって何とか会話できるようになったので、私もだいぶ安心できるようになった。

 しかしだからといって、夫の性格が変わるわけではないので、そこを忘れないようにしないと酷い目に遭うということもよくわかった。夫は精神的には落ち着いてきてはいるものの、性格や考え方が良くなるわけではないのだ。
 夫が笑っているからといって、こちらもつい口が軽くなると、日本語の使い方がおかしいとか、意味がわからないとか、いろいろ言い出すので、なるべく余計なことは言わないように心がけた。あくまでも夫の話に相づちを打つ、夫の話に合わせて一言意見を言う、くらいにとどめることが懸命であった。また、私の職場の話とか私自身にまつわる話は極力しないようにした。ついうっかり話してしまうと、冷たい反応が返ってきてこちらが嫌な思いをするだけだから、話すとしたら、夫に関係があるときだけ、必要最低限の連絡事項だけ伝えることにした。
 私が夫に話す内容についてこんなに気を遣っているにもかかわらず、夫は機嫌がいいと、自分が話したいことを話した。職場の話でも行きつけの喫茶店の話でも、一緒に飲んだ女性の話でもなんでもする。でも私の話は聞きたくないのだ。
 
 夫は基本的に他人(特に妻)に関心がないということがよくわかった。自分に興味のないことをいろいろ言われても煩わしいし、面白くもないようだった。なにせ相手の気持ちに添う、ということができないし、相手の話に合わせることもできない。そして神経過敏で被害妄想的なので、無防備に話なんてうっかりできない。私が異性の話をすると過剰反応し、嫉妬妄想が起こる。私の世間話にも興味はないのだ。

 私は、それまで夫婦は分かり合わなければ、と勘違いしていたが、分かり合うことなんてできないのだとつくづく思い知らされた。夫は、妻は自分をちっとも理解していない、と思っているし、私も夫は私を理解していない、と思っている。お互いがそう思っているのだ。私はそんなものだとあきらめるようになった。だって夫は私を理解する気なんてないのだから、それをむりに理解させようとしても悪循環を生じさせるだけであろう。お互い期待しないのが一番なのだ。期待するとお互い期待通りにいかないのは当然で、怒りがわき起こる。特に夫みたいな難しい人の期待に応えることは不可能であるし、私のささやかな期待も夫にとっては非常に負担らしい。

 私は夫に対してどんなことでも期待しないようになった。
 例えばささやかなたわいのない日常会話。一緒に買い物に行くこと、旅行に行くこと、夫が言ったこと、例えばどこどこにハイキングに行こう、明日は2人で出かけよう、という言葉。夫はこういうことを言いながら次の瞬間は気分が変わっている。結局言ったことが実現したのは今まででごくわずかだ。それに対して文句を言うと、すぐへそを曲げて不機嫌になり、暴言が始まる。期待するとひどい目に遭うのはこちらなのだ。馬鹿を見るのはいつも私だ。もう夫の言うことには期待しないことが一番なのだ。夫はそれで私ががっかりすることなんてどうでもいいのだ。常に自分の気分が優先でなければ気が済まない。そして常に不安定でそれを指摘されると理不尽な怒りを表明するだけだ。夫は話のできない人なのだ。話のやりとりをしながら折り合いを付けるなんてことはとてもできない。
 結婚生活の中で私から夫に要求したことはほとんどない。要求すると、夫は命令されたように思って不機嫌になるだけなのだ。また、その要求に答えようと変に力み、一方的な行動になってこちらが嫌な思いをするだけになる。何も期待しない方が、こちらも気が楽だ。たまに相手がいいことをしてくれると、それはたまの、滅多に起こりえない宝くじに当たるようなラッキーなのだ。それが続くわけではない。常に気まぐれなのだ。それをこちらがよく認識しておかないと、大変なことになるのだ。
私はこのように、よくよく自分に言い聞かせた。

期待しないこと、当たらず触らずに夫と過ごすことを肝に銘じた私だったが、これが私の夫婦生活だと思うと本当に寂しかった。本音が言えない夫婦なんて虚構じゃないか。この結婚生活は何なんだ。私はこんな生活を求めていたんじゃないのに。

加害者なのに被害者面 ~罵倒の日々~

2005-11-12 23:38:56 | モラル・ハラスメント
 夫は些細なことでよく怒っていた。まず家事について、掃除機を毎日かけない、洗った後の食器を拭かない、さっと思うような行動をしないとか、食事が6時に作れなかったとか、食事の味が自分にあわない、洗濯を毎日しない、等いろんなことで罵声を浴びせられた。私からしたら、私も毎日仕事をしている中で、毎日掃除機や洗濯はできない。まして食事が夕方の6時にできないなんて当然のことだった(6時に帰宅していたのだから)。
 しかし夫は自分の要求に応えられない妻(私)に対して、容赦なく罵声を浴びせた。それはそれはひどい罵声だった。夫は言葉で他人の魂を殺せる人だと感じたくらいだ。しかも自分の感情に覆われてしまって、他人の気持ちを考える余裕なく、ひたすら怒りを放出するために、めたくそに、相手を地の底に引きずり倒してぼろぼろになるまで踏みにじった。私は何度ひどい言葉を言われたことか。その言葉を聞いていると、夫の目の前でマンションから飛び降りて死にたくなるくらい、他人の自尊心をズタズタにするものだった。

 その言葉とはどんなものか、挙げてみよう。
 アホ、バカ、頭が足りない、想像力が欠如している、でくのぼう、鈍い、犬やネコよりひどい、寄生虫、ゴクつぶし、おまえのせいで人生がめちゃくちゃになった、根性が腐っている、根性が曲がっている、無神経、セックスしているときだけは女、奴隷、ロボット…その他モロモロ言われた。夫は怒鳴っているうちに、自分の言葉に煽られて興奮するのか、後半はヤクザ言葉になっていた。「殴ってやろうか、おらぁ?」みたいな。あまりに酷いと思いつつ、その言葉に反応していたら身が持たなかったので、それこそ貝になって我慢してた(『私は貝になりたい』というあの映画のセリフがよく頭に思い浮かんだ)。言い返そうと思ったときもあったが、そうするとますます猛り狂って手がつけられなくなる。コップやお皿を割ったりもした。食事がまずいといっては怒り、私の話す日本語がおかしい、と言っては怒っていた。あまりに言われると、なんだか夫と話すのが恐ろしくなり、話すことは必要最低限の連絡事項だけにしようと思った。これが私達の日常とは考えたくなかったが、これが私達夫婦の生活だった。

 そして、夫は私に言った。「おまえのすることは、ドメスティックバイオレンスだ!毎日洗濯しないのは、毎日掃除機をかけないのは、俺への暴力だ~!!」「おまえが俺の人生を滅茶苦茶にした!「おまえが俺の仕事の邪魔をした」「おまえがしゃきっとしていないから俺は元気になれない」「おまえが変わればいいんだ」「おまえのいい加減な態度で俺は病気になりそうだ!」「おまえが俺を怒らせるから下痢になった」「おまえがしっかりしていないから仕事ができない」
 夫はあくまでも自分が被害者だと言い続けた。私がすべて悪いのだと。私が夫を虐待しているのだと。自分は被害者で、私が加害者であると。

 私は唖然とした。私が夫を虐待?どうやって?掃除を二日に一回したということで?

 夫婦はなんでも理解し合えるなんて、夫との関係ではありえなかった。夫は私の話なんて聞きたくないのだ。そして自分の気持ちが無視されたと思ったら暴力に訴えるだけだった。ただ、夫は妻が自分に注目し、自分の気持ちだけを察してもらえればよかったのだ。よく夫婦では「喜び二倍に、悲しみは半分に」なんて言われるが、私にとって夫婦の間では「喜びは十分の一以下に、悲しみは十倍に」だった。
 
 私は怒りよりも悲しく寂しかった。私は夫婦になってからはじめて本当の孤独を感じた。お互いが好きで結婚したとしても、この状態ではお互いを理解するなんてとうていできない。何でも言い合えるのが夫婦の理想だと思っていたが、それは違うということがわかった。私は夫が受け入れられるようなことだけを最小限でしか話せなかった。余計なことを話すと夫はまた怒り爆発で手がつけられなくなる。
 夫は自分の感情を抑えられない。もともと精神的に不安定で過敏症な上に、忍耐力がなかった。だから些細なことが気になり、ちょっとした自分の怒りとか恨みをとことんぶつけないと気がすまないようだった。一度気に障ると自分の感情に覆われてしまって、こういう言葉を相手に言ったら、相手との関係が破壊されるとか、相手にダメージを与えて今後の人間関係が切れる可能性がある、ということを全く考えない。だから罵倒するだけ罵倒して、その結果相手が離れていこうとすると、また怒る。「おまえが俺を怒らせたのに」と。まったくやりきれない。もし私が相手に何か決定的にひどいことを言うときは、相手とのお付き合いがもうなくなってもかまわない、という気持ちで言うだろう。しかし夫はそのような配慮は全くなかった。

 そして徹底的に罵詈雑言を吐いて吐いて吐き尽くしてエネルギーが消耗してから、ふと言うのだ。「ちょっと言い過ぎた。」「俺は弱い人間だから」「つい酷いことを言って悪かった」「分かってくれよ」「おまえも変わるべきだろう?」
 
 私の心は虚ろだった。これが何回も続くと、もう何も感じられなかった。ただその時をやり過ごすことだけを考えていた。そう、心を無にして感じないようにすれば、何とかなる。いつのまにか明日が来ている。これは夢。これは悪夢。忘れよう。忘れよう…。
 
 そうやって私は日々を送っていた。それが生きるための対処法だった。
 

妻の痛みに対する夫の反応

2005-11-03 17:08:10 | モラル・ハラスメント
 私の体は丈夫な方で、あまり病気をすることはなかった。1年に1回くらい風邪を引いて熱を出すくらいだろうか。それも3日くらいでよくなった。だからそんなにしょっちゅう夫の手を煩わすこともなかった。しかし夫はたまに私が体の不調を訴えると冷たい反応を返した。最初の頃はその反応に、悲しむよりも驚いた。あまりに期待はずれの、思いもよらない反応。聞き間違えたのかと思うくらい、他の人間関係では経験してこなかった現実だった。

 ある日の反応 その1
 私は風邪を引いたのだが、咳がでるくらいで熱はなかった。その日、夜寝ているとき(当時は夫と隣り合って寝ていた)に咳をしたら、夫はムッとして「うるさくて眠れない。気に障る!」と不機嫌な声をあげた。私は唖然とした。普通隣で寝ている妻が咳をしたら「大丈夫?」くらい声をかけるのではないだろうか?私は「そんなときは大丈夫?って声をかけるもんだよ」と言ったが夫は「あっそう」と答え背中を向けた。それ以後、私は咳が出そうになると布団にもぐり、毛布を口に当てて音が出ないように神経質になった。あるいは布団を別の部屋に運んで寝るようになった。

 ある日の反応 その2
 私は久し振りに熱をだして寝込んでいた。寒気が止まらず関節も痛んでいた。日曜日だったので病院にも行けずに、寝込んでいたら夫が「俺の昼ご飯はどうなるんだ?」と聞いた。私は驚いた。熱を出して寝込んでいる妻に、お昼ご飯の支度をしろと言う夫がどこにいる??(実はモラハラ被害者の方々から、そんな夫はたくさんいることを後で知ったが)。。。「熱があるから買い物にも行けないし…何かあるもので作ろうか」と言うと夫は不機嫌に「じゃあいい。俺は外で食べてくる」と、ドアをばたーんと閉めて出て行ってしまった。え?熱を出して寝込んでいる妻の昼食を聞きもせず自分は外食??この感覚も信じられなかった。

 ある日の反応 その3
 私は台所で調理をしていた。野菜を切っていたら包丁で指を切ってしまった。そんなにざっくり、というわけではなかったが、ちょっと深めに切り血が溢れてきた。私はそばで新聞を読んでいた夫に「見て~、包丁で指切っちゃった」と指を見せた。私は夫から「大丈夫?絆創膏貼ろうか」というくらいの言葉を期待していた。しかし夫は私の指をちらっと見て「ああ、本当だ。血が流れているね。生きている証拠だ」と言い、新聞に目をもどした。私は背筋が寒くなった。この反応は何?夫の体に温かい血は流れているのか?私は無言で絆創膏を探した。

 ある日の反応 その4
 ある朝、私はいつもの時間に出勤したが、駅に向かって歩いているうちにお腹が痛み出した。ごくたまにこんなことがある。以前電車に乗っていたときも、急な腹痛で脂汗をたらしながら駅のトイレにかけこんだこともあった。我慢して歩いていたが、やはり少し休んだ方がいいと判断し、家に引き返した。私は家にいた夫に「ちょっとお腹が痛くて帰ってきた」と言ったが、夫は「そう」と答え、部屋でパソコンを触っていた。その日夫は仕事の代休で朝からのんびりしていた。私は別の部屋でエビのように丸くなってうずくまり、しばらく腹痛に耐えていた。このまま休んでいれば痛みも治まるだろうと思ったが、もし何かの病気だったらどうしよう、と心配でもあった。でも家に夫もいるし、なんとかなるだろうと思っていた矢先、夫が「出かけてくる」と出ていってしまった。え??妻が腹痛で苦しんでいるのに「大丈夫?」とも言わずに、おでかけ?それとも薬でも買ってきてくれるのだろうか?と思ったが、夫は戻ってこなかった。腹痛は30分くらいで治まり、私は出勤した。帰宅後、夫は腹痛のことには触れずじまいだった。

妻の痛みには無関心だった夫。夫の信じ難い反応に、私は風邪を引いても痛みがあっても、夫には最小限のこと以外は言わないことにした。夫に訴えても、同情も心配もない冷たい反応に、ただ傷つく自分がいるだけだった。

 それなのに、夫は自分の体の痛みには過剰に反応した。自分がちょっと足首をくじいたりすると、大袈裟によろめいて歩き私に介助を求めた。ちょっと鼻水が出たくらいで、即耳鼻科に行き手当を求めた。肩が凝ったと言えば私にマッサージさせ、「効果がない!」とマッサージ店にせっせと出かけた。自分が風邪を引くと、私にあれこれ注文して世話を求め、そうかと思ったら、「余計なことはしなくていい!神経に障るから物音をたてるな!」と怒鳴る。そんな時はつま先立って家の中を歩き、家ですることがあっても手が付けられなかった。
 
 私の中で、『この人、人間…?』との思いが頭をかすめるようになっていた。