優しくまめでユーモアのある夫、そして全く人が変わったように鬼のような面となり激しい罵倒や無視、恐るべき嫌がらせを繰り返す夫。これはいったい何なのか?私は夫に混乱しながらも、何か自分のするべきことがあるのではないか、少しでも夫を理解する手がかりを得る努力はすべきでないかと思った。なぜなら、こちらから相手を理解しようと努力すれば、かならず相手もそれをわかってくれる、と信じていたからだ。ましてや夫婦になった者同士、理解し合おうとするのは当然、とも思っていた。私は夫の話を聴きながら、関連すると思われる情報を得ようとした。
夫は確かに子どもの頃、父親の暴力で苦しみ、心のどこかで悲痛な思いや絶望をぐっとこらえていたのだろう。またその影響を受け人格形成上にもなんらかの問題が生じたことだろう。その反面、母親からは甘やかされ溺愛されていたようなので(といっても母親も父親の言うなりではあったようだが)、そこからくるわがままさも多分にあったに違いない。このアンバランスな家族環境が今の夫を作ったのだろうか。
森田ゆり著『子どもと暴力』には、以下のような記述がある。少し長いが引用する。
「深刻なネグレクトや虐待を受けた子どもは恐怖、怒り、絶望感、屈辱、悲しみ、不信といったさまざまな情動が自分ではコントロールできないほどに過剰刺激され、かつその刺激が長時間続くと心的外傷体験となり心身にさまざまな障害をきたす。とりわけ感情能力には大きな歪みが生じる。…彼らの感情の混乱は、社会性、想像力、倫理観、価値観、行動の結果を考えるといった行動決定にかかわる脳の理性の健全な働きを阻んでしまうのである。暴力の被害者がその心的外傷から回復していないとき、彼らの行動選択は理性から出てきたのではないが故に、まわりの者には理解できない、説明のつかない行動となり、それは時には他者への残虐な暴力ともなりうる」
「身体的虐待にとどまらず、子どもが親から過剰な期待をかけられたり、受け入れられなかったり、否定されたり、無視されたりする対応をされ続けると、帰属感、愛着といった基本的信頼感に関与する脳の発達を妨げられてしまう。その結果、人間関係を結ぶ能力が発達せず、他者と感情を交流させることが難しくなる。…故に外界からのストレスに過剰に反応してしまったり、時には自分を否定する要因を人間関係の中に見つけ出しては、衝動的攻撃性を発揮したりする」
ただし、この本では、虐待を受けたすべての子どもが成長して大人になったら、子どもを虐待するようになる、とは言っていない。苛酷な環境で成長して大人になった人の中で、子どもに暴力を振るうようになる人は、全体の33%だそうだ。残りの67%の人は過去に虐待を受けていても、他者に暴力は振るわない。しかし他者に暴力を振るわない代わりに、自分を痛めつけるような行動を取る場合もあるそうだ。自傷行為や拒食、過食症、アルコールや薬物等の依存症に陥ってしまったり、暴力的な支配を受けるようなパートナーとの関係を選んでしまう、など。
そして、苛酷な環境で子ども時代を送っていても、その子どもの理解者や、苦悩に共感してくれる誰か(家族の誰か、学校教師、保母、近所の人など)がいれば、その子どもは自分自身を回復させる力をもつことができるそうだ。
だから、家族から暴力を受けていたからこうなった、ということではなく、期間や様々な環境要因、子どもを取り巻く人間関係などが影響するため、単純な図式化はできない。
苛酷な家庭環境の中で成長しても、ごく普通の人間としての感覚を身につけ、非常に思いやりのある人はいくらでもいるだろう。逆境を力にしながら自分自身の経験を理解し、社会の中で能力を発揮している人も多いだろう。現に虐待を受けて育った67%の人は、他者に暴力を振るうこともなく、生活しているという調査研究があるのだから。
ただ、私の夫は、残りの33%の中に入っている人間だ。確かに夫はある時期までは被害者だったのだろう。父親の突然の暴力や、スパルタ的な教育に怯え、恐怖を感じ、素直に自分の気持ちを伝えたり甘えたりということができなかったのかもしれない。父親の顔色を窺い、自分は親に受け入れてもらえないダメな子ども、と絶望していたのかもしれない。実際に夫は子どもの頃、自分は「勉強のできない落ちこぼれ」と思っていたそうだ。
夫は成長するにつれ、その劣等感をバネに猛勉強をし、大学に進学する。そしてその後の仕事上でも専門知識を身につけ、それなりの力を得たのだ。社会の中で自分を守る鎧、腕力の代わりのアイテムとして、社会的地位や専門的な仕事をすることで自分を武装した。そしていつしか夫はかつての父親に成り代わり、家族の中で自分が一番になろうとしたのだろうか。
モラハラを行使し始める夫について、もう少し考えてみたい。
夫は確かに子どもの頃、父親の暴力で苦しみ、心のどこかで悲痛な思いや絶望をぐっとこらえていたのだろう。またその影響を受け人格形成上にもなんらかの問題が生じたことだろう。その反面、母親からは甘やかされ溺愛されていたようなので(といっても母親も父親の言うなりではあったようだが)、そこからくるわがままさも多分にあったに違いない。このアンバランスな家族環境が今の夫を作ったのだろうか。
森田ゆり著『子どもと暴力』には、以下のような記述がある。少し長いが引用する。
「深刻なネグレクトや虐待を受けた子どもは恐怖、怒り、絶望感、屈辱、悲しみ、不信といったさまざまな情動が自分ではコントロールできないほどに過剰刺激され、かつその刺激が長時間続くと心的外傷体験となり心身にさまざまな障害をきたす。とりわけ感情能力には大きな歪みが生じる。…彼らの感情の混乱は、社会性、想像力、倫理観、価値観、行動の結果を考えるといった行動決定にかかわる脳の理性の健全な働きを阻んでしまうのである。暴力の被害者がその心的外傷から回復していないとき、彼らの行動選択は理性から出てきたのではないが故に、まわりの者には理解できない、説明のつかない行動となり、それは時には他者への残虐な暴力ともなりうる」
「身体的虐待にとどまらず、子どもが親から過剰な期待をかけられたり、受け入れられなかったり、否定されたり、無視されたりする対応をされ続けると、帰属感、愛着といった基本的信頼感に関与する脳の発達を妨げられてしまう。その結果、人間関係を結ぶ能力が発達せず、他者と感情を交流させることが難しくなる。…故に外界からのストレスに過剰に反応してしまったり、時には自分を否定する要因を人間関係の中に見つけ出しては、衝動的攻撃性を発揮したりする」
ただし、この本では、虐待を受けたすべての子どもが成長して大人になったら、子どもを虐待するようになる、とは言っていない。苛酷な環境で成長して大人になった人の中で、子どもに暴力を振るうようになる人は、全体の33%だそうだ。残りの67%の人は過去に虐待を受けていても、他者に暴力は振るわない。しかし他者に暴力を振るわない代わりに、自分を痛めつけるような行動を取る場合もあるそうだ。自傷行為や拒食、過食症、アルコールや薬物等の依存症に陥ってしまったり、暴力的な支配を受けるようなパートナーとの関係を選んでしまう、など。
そして、苛酷な環境で子ども時代を送っていても、その子どもの理解者や、苦悩に共感してくれる誰か(家族の誰か、学校教師、保母、近所の人など)がいれば、その子どもは自分自身を回復させる力をもつことができるそうだ。
だから、家族から暴力を受けていたからこうなった、ということではなく、期間や様々な環境要因、子どもを取り巻く人間関係などが影響するため、単純な図式化はできない。
苛酷な家庭環境の中で成長しても、ごく普通の人間としての感覚を身につけ、非常に思いやりのある人はいくらでもいるだろう。逆境を力にしながら自分自身の経験を理解し、社会の中で能力を発揮している人も多いだろう。現に虐待を受けて育った67%の人は、他者に暴力を振るうこともなく、生活しているという調査研究があるのだから。
ただ、私の夫は、残りの33%の中に入っている人間だ。確かに夫はある時期までは被害者だったのだろう。父親の突然の暴力や、スパルタ的な教育に怯え、恐怖を感じ、素直に自分の気持ちを伝えたり甘えたりということができなかったのかもしれない。父親の顔色を窺い、自分は親に受け入れてもらえないダメな子ども、と絶望していたのかもしれない。実際に夫は子どもの頃、自分は「勉強のできない落ちこぼれ」と思っていたそうだ。
夫は成長するにつれ、その劣等感をバネに猛勉強をし、大学に進学する。そしてその後の仕事上でも専門知識を身につけ、それなりの力を得たのだ。社会の中で自分を守る鎧、腕力の代わりのアイテムとして、社会的地位や専門的な仕事をすることで自分を武装した。そしていつしか夫はかつての父親に成り代わり、家族の中で自分が一番になろうとしたのだろうか。
モラハラを行使し始める夫について、もう少し考えてみたい。
もともとの性格とか育てられ方で33%に入るわけでもない、らしいです。
やっぱり節目節目できちんと学習してこなかったんですよね。
学校の勉強はしても
人生の勉強はしてこなかったんですね。
ところで、ウメさん、
にゃりんたさんに続いて
記事の中でリンクさせてもらってもいいですか?
ご挨拶もせずにブログ始めて2ヶ月もたってしまいました。
改めてよろしくお願いします。
ほんとにね~、モラ夫は人と人とのルールや
コミュニケーションについては
学べなかったのでしょうね。
妙な知恵だけはつけてますがね。
リンク、どうぞ~♪
ご挨拶なんて、そんな改まっておっしゃらなくても
いつもこちらにコメント下さっていたのに…!
こちらこそ、よろしくお願いいたします。
ウメより
私も早速リンクさせていただきました。
良かったでしょうか、駄目でしたら言って下さい。
マサ子っち
でも、実際問題、子育てをしていると親からしてもらったようにしか出来ない自分にとまどったりもします。
子供を叱っている時、父親が重なったりする時もあり、そんな自分が怖い時もあります。
幼い頃からふつうの家庭が分からないがために、そういう暴力的なパートナーを選んでしまうのでしょうね。とても思い当たります。
でも、だからといって元・旦那がしてきたように、相手を攻撃するようなことを許すことなんて絶対に出来ません。八つ当たりというのはとても醜いです。
何だか上手くいえませんが・・・。
リンク有難うございました♪
ウメさんのおかげでこちらのブログから毎日沢山の方が来て下さるようになりました。
早速お返事いただきありがとうございます。
こちらもリンクさせていただきます。
よろしくお願いいたします!
ウメより
どんな家庭においても、
何かしらの問題があると思います。
そして、誰もが何らかの傷を負いながらも
自分らしく生きようとしているのでしょう。
ただ、そこで自分の傷が抱える問題に
気づいて何とかしようとする人と
自分の問題に全く目を向けない、
あるいは見ないようにする人との間に
ある地点から分かれ道になっていくのではないかなと思うのです。
にゃりんたさんは苦しい思いをされながらも
元モラ夫さんと決別を選択されたのですから
それはにゃりんたさんの力だと思いますよ。
にゃりんたさんが自らの心の声を大事にされているから
大丈夫!と、私は感じるのです。
こちらこそ、リンクありがとうございます。
私の方も、にゃりんたさんとリンクしたら
訪問してくださる方が増えましたよ~。
ウメより
あたしが最初にここに伺った時はモラハラの渦の中(とあたしは思った・・でも実際は回想記事だったけど)だったので
あたしみたいな、のーてんきなブログはお気に触るかも・・・なんて思ってました
でも応援もしたくてコメントしちゃったけど。
今、うめちゃんのひとり言の方へも行ってきました さわやかぁ
うん、うめちゃんだ。素晴らしい。
思えばbaniramamaさんとも不思議なご縁ですね。
モラハラとは直接かかわりのないbaniramamaさんが
こうして読み続け力づけてくださったこと、嬉しいです。
また気軽に来てくださいね。
私も遊びにいかせてもらいますね。
ウメより