夫という人間と暮らしていく中で、私は“人間”の新たな側面を発見し、それによって今までの思い込みや価値観を見事に覆された。例えば「誰でも、時間をかけて話し合えばいつか分かり合える」という考えはなくなった。どんなに言葉をつくしても、心をつくしても、決して理解し合えない人間関係があることを知った。赤の他人ならともかく、自分の結婚した相手とそのような関係になるとは思いもしなかった。
しかし今なら思う。人間、赤の他人だからこそ理解し合おうと努力するが、身内になればなるほど「分かってくれることが当然」と思い込み、お互いに“相手から理解されること”を押しつけ合うのかもしれない。
そして夫の心の奥底には、すべての生命を凍りつかせ粉々に破壊してしまうような闇の部分があることを見せつけられたとき、私は、夫は本当に“人”なのか?とぞっとするような問いを抱いたのだ。
夫と出会ったとき、始めから夫が冷酷で他人を思いやりもせず、自分勝手に行動していたら、私は夫とは付き合わなかっただろう。始めから急に不機嫌になったり、相手の心を逆撫でするようなことがあったら、誰だって早々にモラ男から離れていったはずで結婚にまで至らなかっただろう。
しかしモラ男はそうはしなかった。モラハラ被害に遭われた方々の多くは、「最初はすごく優しかった」「とてもマメな人だった」と後に結婚するモラ男についてそう言われている。私の夫ももれなくそうだった。ユーモアに富んだ会話。優しい思いやりと、私のためにいろいろと気遣いしてくれるまめさがあった。その合間に「?」と思うことはあったが、不愉快な出来事があっても、欠点は誰にでもある、たまたま感情的になってしまったのだろう、とすぐ考え直した。それほど楽しい思い出も多かったのだ。だからこそ結婚という選択をしたのだ。
それが結婚してからは、夫は徐々に不機嫌、怒りを暴発させることが多くなった。なぜ?どうして?…私はその度に夫と話し合おうとしたり、夫の要求に添うべく努力もしたが、夫の希望は満たされず、結婚生活は冷酷さと恐怖で覆われていった。その内容は私の過去のブログを読んでいただいた通りで、私にとっては信じられないことばかりだった。
私はよく考えた。なぜ夫はこのような行動をとるのだろうか…なぜ夫はこんなにも怒りに満ちているのだろうか、と。夫は自分でもこのような行為を止められないのかもしれない(以前夫は自らそんなことも言っていた)。人間は、生まれ育った環境によって様々な影響を受け、それが人格形成に反映されていく。夫を理解するために、いろいろな角度から調べてみよう。そう考え心理学関係の本も読んだ。
調べながら、夫がなぜそのような行動をとるのか、何となく理解したような気持ちになってもいた。確かに夫の生まれ育った環境は、いろいろな問題があり、それらの要因が夫の心に影響を及ぼしているだろうことも想像がついた。夫が自分自身を理解できるように、こちらから働きかければ夫も変わるのではないだろうか。夫もきっと自分自身に苦しんでいる(夫はかつて「自分自身とつきあう俺が一番辛いんだ」と言ったことがあった)。少しずつでも夫について理解したことを伝えていけば、夫の怒りの根本原因もわかり、夫も楽になるのではないか。
こうして夫を理解するため、夫の怒りを軽減させるため、夫から子ども時代の話しを聞いたり、夫に関連の本を紹介したり、何気なく夫の行動について解説してみたりもしたが、残念ながら功を奏さずに終わった。後にモラル・ハラスメントという言葉を知り、そんな理由もなるほどと腑に落ちたしだいだ。そして私は夫をいくら理解しても、夫が私を理解しようとすることもないし、夫とはコミュニケーションをとることも困難になっており、それはどちらかが死ぬまで続くであろうという状況を、はっきりと理解した。
ただ私は、人間は生まれながらの犯罪者やモラはいないと思っている。生まれたての赤ちゃんの頃は、ミルクを飲み、泣き、排泄し、愛情を求め、ただ一生懸命生きようとしていたことだろう。それが成長していく過程の中で、何らかの苛酷な影響を受け続けた結果、人格形成上に歪みが生じていったのではないかと考えている。ただ、どんな苛酷な影響を受けたとしても、それを免罪符にするべきとは全く思わない。自分自身の人生として、責任をもつべきなのだ。自分自身がしんどい、生きづらい、すぐ怒りを爆発させてしまうと思ったら、そのまま放置したり否認したり他人のせいにせず、誰かに相談したり、専門家を訪ねたりして、自分自身のメンテナンスをしっかりすればいいのだと思う。そうすれば無用な犠牲者も減ることだろう。
私は夫を何とか理解しようとした。理解しなければならないと思っていた。しかし夫自らが変わろうとしない限り、私が何をしてもどうしようもできないことを心の底から思い知らされた。ある程度努力して、それができなかったら、もう自分の手には負えないのだと、自分の限界を超えているのだと、私自身が手放していいのだと知った。私は私自身が健康で安心して生きていくために、私を守らなければならない。それには必要以上の苦痛からも恐怖からも、離れればいいことなのだ。
そう、かつて私は私自身のメンテナンスを忘れていた。夫は夫は、と夫のことばかり理解しようとしていたが、私自身をも理解しなければならなかった。私は苦しいという自分のこころの声をかすかに聞きながらも、無視していた。もう自分の手に負えないことを追いかけるようなことは、したくないものだ。
次回は夫がなぜモラハラを行使するようになったのか、夫の人生について少し考えてみたい。
しかし今なら思う。人間、赤の他人だからこそ理解し合おうと努力するが、身内になればなるほど「分かってくれることが当然」と思い込み、お互いに“相手から理解されること”を押しつけ合うのかもしれない。
そして夫の心の奥底には、すべての生命を凍りつかせ粉々に破壊してしまうような闇の部分があることを見せつけられたとき、私は、夫は本当に“人”なのか?とぞっとするような問いを抱いたのだ。
夫と出会ったとき、始めから夫が冷酷で他人を思いやりもせず、自分勝手に行動していたら、私は夫とは付き合わなかっただろう。始めから急に不機嫌になったり、相手の心を逆撫でするようなことがあったら、誰だって早々にモラ男から離れていったはずで結婚にまで至らなかっただろう。
しかしモラ男はそうはしなかった。モラハラ被害に遭われた方々の多くは、「最初はすごく優しかった」「とてもマメな人だった」と後に結婚するモラ男についてそう言われている。私の夫ももれなくそうだった。ユーモアに富んだ会話。優しい思いやりと、私のためにいろいろと気遣いしてくれるまめさがあった。その合間に「?」と思うことはあったが、不愉快な出来事があっても、欠点は誰にでもある、たまたま感情的になってしまったのだろう、とすぐ考え直した。それほど楽しい思い出も多かったのだ。だからこそ結婚という選択をしたのだ。
それが結婚してからは、夫は徐々に不機嫌、怒りを暴発させることが多くなった。なぜ?どうして?…私はその度に夫と話し合おうとしたり、夫の要求に添うべく努力もしたが、夫の希望は満たされず、結婚生活は冷酷さと恐怖で覆われていった。その内容は私の過去のブログを読んでいただいた通りで、私にとっては信じられないことばかりだった。
私はよく考えた。なぜ夫はこのような行動をとるのだろうか…なぜ夫はこんなにも怒りに満ちているのだろうか、と。夫は自分でもこのような行為を止められないのかもしれない(以前夫は自らそんなことも言っていた)。人間は、生まれ育った環境によって様々な影響を受け、それが人格形成に反映されていく。夫を理解するために、いろいろな角度から調べてみよう。そう考え心理学関係の本も読んだ。
調べながら、夫がなぜそのような行動をとるのか、何となく理解したような気持ちになってもいた。確かに夫の生まれ育った環境は、いろいろな問題があり、それらの要因が夫の心に影響を及ぼしているだろうことも想像がついた。夫が自分自身を理解できるように、こちらから働きかければ夫も変わるのではないだろうか。夫もきっと自分自身に苦しんでいる(夫はかつて「自分自身とつきあう俺が一番辛いんだ」と言ったことがあった)。少しずつでも夫について理解したことを伝えていけば、夫の怒りの根本原因もわかり、夫も楽になるのではないか。
こうして夫を理解するため、夫の怒りを軽減させるため、夫から子ども時代の話しを聞いたり、夫に関連の本を紹介したり、何気なく夫の行動について解説してみたりもしたが、残念ながら功を奏さずに終わった。後にモラル・ハラスメントという言葉を知り、そんな理由もなるほどと腑に落ちたしだいだ。そして私は夫をいくら理解しても、夫が私を理解しようとすることもないし、夫とはコミュニケーションをとることも困難になっており、それはどちらかが死ぬまで続くであろうという状況を、はっきりと理解した。
ただ私は、人間は生まれながらの犯罪者やモラはいないと思っている。生まれたての赤ちゃんの頃は、ミルクを飲み、泣き、排泄し、愛情を求め、ただ一生懸命生きようとしていたことだろう。それが成長していく過程の中で、何らかの苛酷な影響を受け続けた結果、人格形成上に歪みが生じていったのではないかと考えている。ただ、どんな苛酷な影響を受けたとしても、それを免罪符にするべきとは全く思わない。自分自身の人生として、責任をもつべきなのだ。自分自身がしんどい、生きづらい、すぐ怒りを爆発させてしまうと思ったら、そのまま放置したり否認したり他人のせいにせず、誰かに相談したり、専門家を訪ねたりして、自分自身のメンテナンスをしっかりすればいいのだと思う。そうすれば無用な犠牲者も減ることだろう。
私は夫を何とか理解しようとした。理解しなければならないと思っていた。しかし夫自らが変わろうとしない限り、私が何をしてもどうしようもできないことを心の底から思い知らされた。ある程度努力して、それができなかったら、もう自分の手には負えないのだと、自分の限界を超えているのだと、私自身が手放していいのだと知った。私は私自身が健康で安心して生きていくために、私を守らなければならない。それには必要以上の苦痛からも恐怖からも、離れればいいことなのだ。
そう、かつて私は私自身のメンテナンスを忘れていた。夫は夫は、と夫のことばかり理解しようとしていたが、私自身をも理解しなければならなかった。私は苦しいという自分のこころの声をかすかに聞きながらも、無視していた。もう自分の手に負えないことを追いかけるようなことは、したくないものだ。
次回は夫がなぜモラハラを行使するようになったのか、夫の人生について少し考えてみたい。
何とかして夫と話し合いたい。
何とかして・・何とかして・・
こちらがどんなに理解しょうと努力しても
全てが無駄に終わってしまう。
悲しいけどウメさんの辛さは手に取るようにわかります。
ほんとに、すべてのモラ男が最初から(結婚前から)モラ全開でいてくれたら、つらい思いをする女性はうんと少なくなるでしょうにね。
はい。私もそう思います。彼らは、自分に責任を取らないから変わらない。そして、誰かが側にいて責任を背負おうとすると、共依存へまっしぐら。「はい、一名様ご案内~」って感じ。
今なら簡単に言えることが、私も三年前は全然分かりませんでした。とさ!(泣)
私の辛さに共感してくださるよーにゃんさんも
じっと歯をくいしばっているような
厳しい孤独に耐えていらっしゃるのだと思います。
私も夫といるときは、ずっと孤独でした。
今も孤独ですが、それは
夫と通じ合わない、突き放された孤独ではなく、
自分で立っている、という孤独です。
私は私である、という孤独です。
全然違います。
よーにゃんさんの未来を、いつも応援しています!
ウメより
そうですね~。
夫について、夫の意味不明な行動を解き明かそうと
いろいろと考え調べました。
でも…やっぱり理解できませんでした~(爆)!
夫からみたら、私は常に夫を理解しない悪妻だったのです。
いつもいつも、夫から最悪人間と見なされる妻…
酸素が足りなくなるような、不毛の砂漠にいるような
錯覚に陥りました。
ほんとにね、最初からモラ全開でいてくれれば~!
どんなに多くの女性達が救われることでしょう!
これがモラの狡猾さですね…とほほです。
ウメより
私もね~、モラ夫の奇妙さを何とか理解しようとして
必要以上にかかわりすぎていたかな、と思います。
でもね~。好きな人のことを理解しようとするのは
当たり前のことですし、それにつけいるモラは
やっぱり人間じゃない~!
もうモラはごめんじゃ~~っ!
私も今なら言える!
ま、これも皆さんと出逢うための意味ある人生だったのかも!?
なんか…人生ってすごすぎる…ね。
ウメより
はい。私も全力で理解しようとしました。そして、ご指摘どおり、そこに付け入られたわっ!
結局、知れば知るほど、ますます理解不能な世界は膨張し、謎は迷宮入りとなった次第。
今となっては「よくもあんな恐ろしい冒険をしたな、私!」って思います。
つい、暗黒の淵まで垣間見てしまったわ。
人生って……すごいけど、ダイナミックで面白いですよね……。
ウメさんの中のモラ夫との気持ちは
もう過去形ですね。
<悲しいけどウメさんの辛かった思いは、手に取るようにわかります>に訂正ですね。
だったらそんな人を放置し、今でも嫌悪している自分はひどい人なのではないだろうかと考える時がありました。
でも、だからと言って自分がモラになって良い理由ではないし、被害を受けて育ったからといって、モラにならない人だって沢山いるのだから、ウメさんのおっしゃるとおり、自分自身がメンテナンスをしていかなければいけないんだと思えました。
そういうことが出来ず、自分が受けてきたことをそのまま私に与え続けた元・旦那はやはり救いようがないんだと。
そう思えたらとっても気が楽になりました。
そして、生まれながらのモラはいない、その言葉に今息子を育てている私はとても癒されました。
感謝しています。ありがとうございました。
そんな一身で原因をどこかに探し続ける
私も夫に対してずっとそうでした
少しでも理解できる部分があるとそこに希望を見つけたような気がしてしがみ付いていました
自分の理解を超えた理解はすでにこじ付けとなっていたのかもしれません
誰でも自分の人生に責任を持つべき
夫の人生もどんな人生でもその中で学ぶべきなのだとやっと理解したところです
此処まで来るのは本当に長かったです
ウメさんのブログで沢山の事を学ばせて貰っています
ありがとう