KEEP ON SMILING!

治らぬなら
治してみせよう
SLE
※SLEとはステキなレディーがなるエレガントな病気である。

宝塚音楽学校

2006-03-31 15:16:02 | ☆日記・随筆☆
昨日宝塚音楽学校の合格発表があった。
と言っても別に私は宝塚音楽学校を今年受験したわけではない。
年齢詐称をしていなければ、受験資格はないからだ。
宝塚音楽学校受験の年齢制限18歳を越えてから1~20年はたつ。

ただ毎年この時期に宝塚音楽学校の合格発表により地元がテレビにうつっているのは田舎者としては喜んでしまう。
そう、この合格発表は私のすぐ家の近くで行われている。
ついでにうちのマンションもうつしてくれないかと期待に胸を膨らませテレビを見ているが残念ながら合格者のインタビューばかりである。
また地域住民のインタビューがないかと少し緊張して近くを歩いてみたが誰からもインタビューは受けなかった。
殺人事件などが起こると地域住民のインタビューはかかせないのに、合格発表ではないのかとマスコミへの不信感は募る一方だ。

実は幼稚園の時の夢は宝塚歌劇に入ることだった。
普通なら「宝塚」というだけで「宝塚歌劇」という意味になるが私は「宝塚」は自分の生まれ育った地名でしかないため宝塚歌劇団員のことは「歌劇の人」と呼んでいた。
だが将来の夢を「歌劇の人」とまわりに言うのは非常にはばかられた。
なぜならその頃志茂田景樹がよくテレビに出ていて「かげきのひと」と言ったら志茂田景樹と間違われるかもしれないと不安に思ったからだ。
昔からいろいろな誤解をおそれる慎重な性格だったのだ。
誤解をさけるため、当時幼稚園児だったにもかかわらず「歌劇」という漢字を覚えることにした。
それほど志茂田景樹と間違えてほしくなかったのだ。
因みに志茂田景樹を知らない人のために言っておくと、ピンクの髪をした派手な服装のおじさんである。
何をしていたかよくわからないが、当時よくテレビに出ていたのは間違いない。
そしていざ幼稚園で将来の夢を紙に書くときになって「歌劇のひと」と書こうとしたら、周りが全員全ての文字をひらがなで書いていて一人だけ漢字を書くことがどうしても知識のひけらかしのように感じてできなくて(昔から控えめなところは変わらない)結局「かげきのひと」と書いた。
私は志茂田景樹のようになりたいと思われたらどうしようという不安をぬぐいされないまま幼稚園を卒園した。

そして漢字を習い始める小学生になってからの「将来の夢」の作文を見てみると、

小一→わたしはおんがっかになりたいです。なぜならおんがくがすきだからです。

小二→わたしはまんが家になりたいです。なぜならまんがが大すきだからです。

となっており、いかに幼稚園の時に「歌劇」という漢字を覚えたことが無駄だったかが分かる。
さらにこの頃から飽き性で自分の意志をコロコロ変える人間だったことも分かる。
その上、この頃から間違った日本語を使っていること(おんがっかではなく、おんがくかだ)も説得力の欠けた文章を書くのも得意だったこともよく分かる。


頭の中はアライグマ♪

2006-03-29 23:50:23 | ☆日記・随筆☆
私の頭の中はアライグマとRENTの曲でいっぱいだ。
アライグマとの感動のご対面は明日にと迫っている。
かなり楽しみだ。

調べたところによると、どうやら五月山というところは地元では有名な桜の名所らしい。
地元の私は知らないのに。

アライグマのいる動物園を探したらそこがたまたま桜の名所だったとは、まさに日頃の行いが物を言ったのだろう。
だが桜の名所でなかったとしても行き先が動物園ということは変わらない。
パピに行き先を変更するような権限はないのだ。

明日のアライグマとの感動のご対面ツアーの運転手として任命されたパピからさきほど電話がかかってきた。
ちなみに私からパピに電話をかけることは絶対にない。
なぜなら向こうは私の番号をLOVE定額に登録しているため通話料がただだが、私は彼を登録していない。
つまり私から彼に電話をかけると通話料というものが発生してしまうのだ。
私は携帯会社に勤めている知り合いはいないため、携帯電話産業の活性化には加担しないつもりだ。

そして電話では何を聞かれても「今アライグマのことしか考えられへん」と答えた。
それだけ私の頭の中はアライグマでいっぱいなのだ。
結局明日のことはアライグマを見るということ以外は何も決まらず電話を切った。
それほど私の頭の中はアライグマでいっぱいなのだ。
切った携帯をふと見てアライグマの画像を待受画面に設定した。
これほどまでに私の頭の中はアライグマでいっぱいなのだ。

アライグマと言えば、はまるりさんのブログ(このブログをよく御覧になっている方は私が記事内にURLをリンクできる能力を持ち合わせていないことはご存知のはずであるのではまるりさんのブログはブックマークからいっていただけるとありがたい)でアライグマのパペットを紹介していた。
はまるりさん曰く、ぶさいくなアライグマのパペットだ。
それを見て自分も似たアライグマのぬいぐるみを持っていることに気付いた。
似てる?
因みに微妙に私の影がうつっている。
はまるりさんのブログの写真を見たときは似てると思ったのだが、いざ出してきて見てみるとやはり少し違う。
というか、私はこれはレッサーパンダのぬいぐるみだと思っていた。
これはアライグマなのか?
だが左右対称でないところは、はまるりさんのパペットと同じだ。
ちなみにこのピンクのりぼんは元からついていたものではなく、「りぼん」という雑誌の付録のりぼんだ。
分かる人しか分からないだろうが(分からない人には分からないだろうが)、『ハンサムな彼女』の未央ちゃんのりぼんだ。
こんなものをもらっても、実際に自分につけるのは少々恥ずかしくだからといって捨てられない。
そういうものはぬいぐるみにつけられる運命をたどることとなる。

だが自分のお気に入りのぬいぐるみの動物は好きになる傾向があるというのは正しい論理かもしれない。
だが自分のお気に入りの動物だから、そのぬいぐるみを買ってもらうという逆の論理も正しいかもしれない。
一番正しいのは、上記どちらかが正しいということだ。

私のお気に入りのぬいぐるみももちろんアライグマだ。
このブログにはよく登場する小太郎(ばあちゃんは「熊五郎」と呼ぶ)。
  
毎日のように話しかけている。
嫌なことがあったらどついている(ぬいぐるみ虐待)。
小学生のようだ。
よく年齢詐称疑惑が浮上する私だが、もしかしたら実際ここで言っている年齢より若いかもしれない。
小学生としたら、私も平成生まれの仲間入りか。
素晴らしい(何が素晴らしいのかちっとも分からないが文章にオチがつけられないほど私の頭の中はアライグマでいっぱいなのだ)。

とにかく本物のアライグマとの対面がもうすぐ迫っていることにウキウキしている(ウキウキはしているがキウキウはしていない)。
楽しみだ。
楽しみだあ~!
楽しみだあぁぁぁぁ~!!!!!

冬の日傘

2006-03-26 22:48:06 | ☆日記・随筆☆
私は冬でも堂々と日傘をさす。

「病気で日光ダメだもんね、仕方ないよ」
と言われたりするのだが、残念ながら病気になる前から冬でも日傘はさしている。

正直、冬に日傘が恥ずかしいという感覚がないのだ。
周りの視線に鈍感すぎるという意見もあるだろうが、私だって敏感なところは持ち合わせている。
敏感肌なのだ。

だがここで考えてみてほしい。
すらっと背の高い細くて美人で見るからにモデルのオーラを出している人が冬に日傘をさしていて変に思うだろうか。
まず思わないだろう。
職業柄、日焼けをすることは許されないわけだし、その色白美人を保つには日傘は必須アイテムだと誰もが思うからだ。
つまり、モデルのような人なら大丈夫なわけだ。
私だってモデルと大差はない。
身長の高さと容姿と足の長さ・細さと体の細さ、体重くらいしか違いはない。
性別、国籍、話す言語に関しては一緒だ。
さらに目や耳や鼻の数、手足の数まで同じだ。
だから道行く人が私のことをモデルと見る可能性だってある(世の中には目の悪い人、モデルが何かよく知らない人だっている)。
つまり何の恥じらいももつ必要はないのだ。

このような理由から日傘は冬でも私の必須アイテムとなっている。
おかげで「美白の女王」は健在だ。
(「美白の女王」とは昔私がブログに書いた、SLEになることにより鈴木その子も中島香里も凌ぐ「美白の女王」になれるという多くの人が忘れさってしまっている記事だ。私のブログは内容の意味のなさにかけては天下一品なので読んだ人の多くが内容を忘れてしまうという利点がある)
こんなに色白になったのに誰にも自慢できないのが悲しい。
そして色白くらいしか自慢できるものがない自分が悲しい。
さらに昨日WOWOWで三谷幸喜の舞台をやっていたのにビデオが壊れて撮れなくて悲しい。

ふと気付いたがずっと自宅療養の私は今は冬の気がしていたが三月も終わりに近づき今は季節で言ったら春なのではないだろうか。
どうも自宅療養だと自分の中に季節感がない。
歩けるようにもなったことだし今年は花見でも行ってみるか。
だが未だにひざかけ三枚は手離せない。
まだまだ寒い。
早くもっとあったかくなってほしい。
あったかくね。あたたかくじゃなく。

手紙

2006-03-26 22:09:20 | ☆日記・随筆☆
手紙。

一応注意しておくがこれは手でできた紙をさすのではない。
そんな残酷なものについて、いたいけな乙女の私がブログで記事にするわけはない。

さらに注意しておくが手の形をした紙のことでもない。
それはあったら面白いが、指のところが字が書けないので不経済である。

そして中国語でのトイレットペーパーという意味でもない。
私は上品な乙女なのでそんなことを記事にしたりはしないし、私は中国語がしゃべれない。

と、ここまで書くと手紙という言葉の由来が知りたくなったので調べた。

手紙は、本来、「常に手元に置いて使う紙」「半切り紙」を意味した。
「書簡」の意味で「手紙」が用いられるのは近世初期以降で、それ以前は学問などでは「文(ふみ)」、動静や様子を知らせる書状は「消息」の語が用いられた。
手紙が「手元に置いて使う紙」の意味から「書簡」の意味に転じた理由は、「手」が「筆跡」や「文書」の意味でも用いられていたことに由来するか、意味が転じた当初、手紙は「簡略な書きつけ」を指しているため、手元に置いてある紙を用いたことに由来すると考えられる。

らしい。
またこうやって脱線していくから記事が長くなってしまう。
世の中にはよくこういう風に話がどんどんずれていって永遠に話し続けるおしゃべりではた迷惑な人がいる。
私のことだ。

さてやっと本題。

新聞で高校生の作文コンクール優秀作品を読んだ。
高校生なのにやはり優秀賞をとるだけあってうまく出来た作文だった。

その中に、「親の期待にこたえるため休み時間や放課後の時間全てを勉強に費やし、おかげで良い成績が取れたが友達を失った」という内容の文章があった。

そういえば学生時代、休み時間は私も勉強していたなあと思い出す。
昼休みもよく図書館に行って勉強していた記憶がある。
通学の電車の中も勉強。
とにかく寸暇を惜しんで勉強していた。
ということは私も友人を失っていたのか?
私は友達のいない学生生活を過ごしていたのか?
そんな記憶はない。
今でも学生時代からの多くの友人と交流があるし、そのほとんどがマザーテレサのような心を持って私に奉仕してくれている。
その作文を書いた彼女によれば、休み時間を勉強に費やすことが友達を失う原因としているがそれは少し納得がいかない。
自分が友達を大事にする気持ちがあるかどうかで結果は違ってくると思う。
私は休み時間は勉強していたが、授業中は友達に手紙ばかり書いていた。
授業はかっこいい先生の授業だけを聞くことをポリシーとしていたのだ。
授業中はノートよりレターセットを広げていた(ちなみに私以外にも、ノートより漫画、ノートより雑誌、ノートよりお弁当、ノートよりパン、ノートよりジュース、ノートより牛乳、ノートよりコーラ、ノートよりヤクルトの生徒もいたので、私だけが特別悪いことをしていたわけではない)。
とにかく、私はガリ勉に見えて実は授業を全く聞かない生徒だった。
真面目に見えて不真面目なのだ。
だがひねくれ者の私は「授業より友達との人間関係を築くことがはるかに大事なことだ」と授業を聞かない自分を正当化していた。

だが正直手紙で築けた人間関係は大きいと思う。
メールが連絡手段の主流になった今でも、やはり手紙がなせる人間関係構築力はメールにまさるものがある。

翻訳家をめざすにあたって自分の文章力のなさに落ち込み今までの読書量の少なさに自分に自信を失ったりしていたが、よく考えたら今までの手紙を書いた量は誇れるものがあるのではないかと思う。
今まで手紙という形で文章はたくさん書いていたということが判明した。
と、また自意識過剰なプラス志向が働き始めてしまった。
ただし、ucho語(さんきゅりんぐ♪、もっしんぐ♪などに代表される、現代の若者を象徴した愚かな女子高生言葉。ただし、現代の若者を象徴すると書いたが、現代の若者でこの言葉を使うのは私のみである)で書かれた大量の手紙が私の文章力を上げているのかどうかは最大の謎である。

泣いたり、笑ったり。

2006-03-26 21:07:07 | ☆日記・随筆☆
朝五時頃、号泣して目が覚める。
びっくりするくらい泣いている。
こんなに泣いたのはセカチューを見て以来だ。

理由ははっきりしている。
これはWBCで日本が世界一になった感動の涙でもなければ、この前近所のおばちゃんに「太ったね」と言われたショックの涙でもない。
はたまた花粉症による涙でもなければ、目にホコリ、ゴミ、ダニ、ミトコンドリア、ミジンコなどの異物が入ったのでもない。

嫌な夢を見たのだ。
仲間はずれにされる夢。
しかも全然知らない人たちと林間学校みたいなイベントに参加して村八分にされるのだ。
と、今文章にしてしまうとなんてことないことだが、私の中ではあまりにも辛かった。
多分今までいじめられた経験がないという幸せな人生を歩んでいるため(私の覚えている限り。嫌なことはすぐ忘れるたちだ)、このくらいで私のガラスのようなハートは深く傷ついてしまうのだ。

とにかくあまりの悲しさに目が覚めたら本当に泣いていてびっくりした。
夢でも本当に涙というのは出るものだという新しい発見をした。
日々いろいろな発見がある。
どうやら私がノーベル賞、ピューリッツァー賞、芥川賞、直木賞、アカデミー賞、皆勤賞をとる日は近いようだ。

だが目覚めが悪いなあと思いながらもう寝られなかったし、寝ても夢の続きを見たらいやなので朝はそのまま起きた。
だが昼間に眠気が襲ってきて久々に昼寝をした。

すると面白い夢を見た。
面白くて、面白くて、大笑いして、笑いすぎで目が覚めた。
夢を見ていても、本当に笑うものだという発見をした。
と思ったが入院中に昼寝をしていて起きたら、横のおばさんに「えらい楽しい夢見てたんやね。めっちゃ笑ってたよ」と言われたことを思い出した。
UKONくんの夢を見ていたのだ。

淡路駅にエレベーターが!!!

2006-03-25 22:51:17 | ☆日記・随筆☆
私の行きつけの病院の最寄り駅は淡路駅と言う。
特急は止まらないが、急行は止まる。
そして、各駅停車は絶対止まる駅である。
さらに言うなら、雪や人身事故、ゴジラが襲撃してきたときも止まると思われるが、残念ながらいまだその経験はない。

宝塚から淡路まで行くにはさまざまなルートがある。
一番簡単な方法としては阪急電車により阪急宝塚駅から淡路駅まで行くものがあり、私は常にこれを利用している。
だが時間と金を惜しまなければ北海道経由、はたまたハワイ経由で行くことも可能だ。

淡路駅は特急が止まらないことから分かるようにそんなに大きな駅ではない。
どちらかと言うと、急行が止まるわりには小さい駅だ。
私が言っている病院はかなり大きいのに、この駅は小さい。
駅の周辺はこの病院の本館や別館、分院やクリニックなどで埋め尽くされている。
言わば、病院に支配された町だ。
そんな駅なのに一つ最大の欠点があった。
それは、エレベーターがないこと。
大病院を看板に持つ駅のくせにずっとエレベーターとエスカレーターがない駅だったのだ。
これは病気でよく足が動かなくなる私にとってかなり不便であった。
足に病気の症状がよく出る私はここの駅の階段を人の二、三倍の時間をかけて手すりにしがみつきながらよく上り下りしたものだ。

ところが先日病院に行ったときのこと。
実は最近足がやっと普通の人のように動くようになった。
もう私の歩く姿を見ても、普通のおとなしい乙女が歩いているとしか見えないだろう。
犬や猫が見たら、普通の人間が歩いているとしか思えないだろう。
ゴキブリや蚊なら、普通の大きい物体が動いているとしか思わないだろう。
とにかくこれはかなり喜ばしいことであり、やっと淡路駅の階段も普通に上り下り右往左往ができると期待に胸をふくらませ、淡路駅に降り立った。
すると、見覚えのないものができている。
エレベーター!!!
どうして私が足が動くようになってからできるんだ。
私に対する挑戦か?
よし、挑戦なら受けて立とう。
と言いたいところだが、私は控えめな大和撫子という体面上、できるだけ争いは避けたい。
というわけで階段を使うことにした。
私が乗ろうとした瞬間エレベーターのドアが閉まったのだ。

それにしてもあの不便だった駅にエレベーターができたとは。
入院時に私のお見舞いに来てくれた30人の友人たちよ。
今頃になってあの駅にエレベーターができたよ。
こんな不便な駅にずっとお見舞いに来てもらって悪かったねえ。
やっとちょっと便利になったから、また入院したらお見舞いに来てね。
と、友人たちに向けて書いてみたがお見舞いに来てくれた30人の中でこのブログを見ているのは5人程度だろう。

とにかく足も動くようになり順調に病気が回復してきている気がする。
ただ去年の記録を見るとステロイドは今の二倍以上だが、体重は8キロ痩せている。
病気の症状も、副作用も出方がいろいろあるということか。
それともうちの家の体重計が壊れているのか。
母と体重が一緒になった時点でなんだか体重計が壊れているような気がしてきた。
宝くじが当たったら新しい体重計を母にプレゼントすることにしよう。

そして昨日会ったおばさん(前の記事を読んでいない人のために言うと、このおばさんはロシア語で私にいつも通りキレイだねと言った)もきっと目が悪いのだ。
今度会ったら良い眼科を紹介してあげることにしよう。

私は常に親切心を忘れない女だ。

ダンスと私

2006-03-22 00:22:00 | ☆ダイエット・ダンス☆
人には何かしら人には負けないものがある。
こんなバカな文章ばかり書いている私にもある。
ダンスの下手さだ。
これだけは誰にも負けない自信がある。

しかも中学時代数年間タップダンスを習い、大学時代ミュージカルに明け暮れたという華々しい経験を持ちながらこのダンスの下手さを保つのは誰にでもできることではない。

嫌いだから下手というのは誰でもできることだ。
私だって鉄棒は嫌いだから逆上がりはできないし、スキーは嫌いだから滑れない。
こんなことは楽勝だ。
だが私はダンスが好きだ。
つまり「好きこそものの上手なれ」なんて言うが、私はこの反例となりうるのだ。
これは普通の人にはなかなか真似はできないはずだ。

私のダンスの下手な原因を挙げてみよう。
①リズム感がない。
 前の記事にも書いたが私はリズム感というものが欠けているようだ。人の歌を聴きながら手拍子が絶対にできない(もちろん無音の状態での手拍子ができるという最低限のリズム感は持ち合わせている)。そんな私が音楽に合わせてステップを踏むなぞできるわけがない。
②体の記憶力がない。
 体で覚えるのが苦手だ。つまりダンスのステップの順番が覚えられない。ミュージカルをやっていたときも明らかにセリフの覚えるはやさとダンスの覚えるはやさが違った。言葉を頭に入れたらいいだけのセリフと体で覚えてしまわないといけないダンスでは私の中で雲泥の差がある。大体記憶力というのは頭脳がつかさどるものではないか。体で覚えられるわけがなかろう。記憶を体でするなんて矛盾だ。私はそういう世の中の矛盾を受け入れられない純粋な人間なのだ。
③うまくなろうとする気がない。
 私がダンスがうまくなってしまうと、プロの人達の地位が危ぶまれ私に対して暗殺計画を練ろうとする可能性だってある。常に安全な道を生きるのが私の生き方だ。

その他、細かい理由(体がかたい、猫背である、ド近眼である、知覚過敏である、ムーンフェイスであるなど)を挙げるとキリがないのでここでは省略する。

だがやはり好きなので、病気がよくなってきたらまた習いたいとタップダンスのシューズはいまだに大切にしまってある。
病気がよくなったらタップダンスとクラシックバレエとフラメンコと社交ダンスを習いたい。
そして今それに向けてできることは柔軟体操くらいだ。
というわけで明日から柔軟体操を頑張ろう。
と、ウリナリ社交ダンスをテレビで見るたびに思ってしまうのだ。
そのわりにはいつも続いていない。
なぜ続けられないのだろう。
毎日続けれるものもあるのに(例えば語学の勉強、ブログ、食事、歯磨きなど)。

そうそう、柔軟に関しては実はそこまでかたくはない。
でも別に柔らかくもない。
非常に中途半端な体の柔らかさだ。
前は顔や胸が床につくくらいは柔らかいが、横と後ろは全然いかない。
イナバウアーなのか、上にのびをしているのか分からないくらいだ。
こういう場合、かたい横と後ろの柔軟体操を集中的に行ってバランスよくするのが普通だが、人間の心理として自分の柔らかいところばかり気持ちよくてのばしてしまう。
自分の体のかたいところには目を背け、のばそうとしない。
理由ははっきりしている。
かたいところをのばすと痛いからだ。
痛いという感覚はストレスになる。
SLEはストレスをためてはいけない。
特に私は闘病中の身だ。
だからこれでかまわない。
と、いつも自分を正当化して柔軟体操(かたい部分の)を怠る。
よっていつまでも体のかたいところはかたいままなのである。
しかし、そういう風に柔軟体操を怠ることにより、私のダンスの下手さは保たれ「ダンスの下手さなら誰にも負けない」という地位を維持できるのだ。

外来

2006-03-21 18:59:40 | ☆健康☆
病院でランチジャーの実験を行った場所(分かりやすく言えば、私がお昼ごはんを食べた場所)は、病院内の携帯使用可能エリアだ。
携帯使用可能エリアとは、
携帯→携帯電話を
使用→使うことが
可能→できる
エリア→場所
とは→である。

よってuchoの行きつけの病院の写真を新しい携帯でとってみた。

きれいでしょう?
ステンドグラスにピアノ。

残念ながら携帯使用可能エリアはここだけなので、他にもたくさんきれいなところがあるが写真はとれない。
だから他にも飾ってある絵画やマザーテレサの像やダンディアンの顔をみなさんにお見せすることはできないのだ。
だから戦車や通天閣などが病院内にあったとしても撮影できないのはまことに残念だ。
私は常にマナーを守る人間なのだ。

さて、やっと本題に入ろう。
ダンディアンとの一ヶ月ぶりの再会。
相変わらずダンディーだ。

そしてなんと久々に血液検査の結果が良かった。
DNA抗体という病気の活動性をはかる値。
普通の人は0~10。
そして去年の私の値は294。
昨日ダンディアンが告げた私のDNA抗体の値は12。
すごい
普通の人の値まであと一歩
この短期間で294→12まで下げるステロイドの効力にびっくりだ。
そりゃ私の顔も丸くなる。
あまりの自分の下膨れぶりに落ち込みそうになりつつあったが(なりつつあるだけで実はそこまでではない)それだけステロイドが私の体内で頑張っているとなったら文句も言えない。

そしてステロイドの減量だ!!
20ミリ→17.5ミリ!!!
しかも免疫抑制剤は増えるのかと思いきや、そのままの量だった。

最近非常についている。
コンサートも楽しかったしステロイドは減量だし。
ということで今回の通院で感じたこと、わかったこと。

①プラス志向で生きると毎日楽しい上にいいことが舞い降りてくる。
②病院には携帯使用可能エリアがある。
③ランチジャーのおかず入れは保温効果がない。
④ダンディアンはかっこいい。

久々のランチジャー☆

2006-03-21 18:08:53 | ☆料理・食べ物☆
昨日は病院の外来日だった。
予約時間は一時。
しかし血液検査があるため、予約時間の一時間前に行かねばならない。
病院にあまり行かない人のために言っておくと、この場合予約時間の一時間6分前でも53分前でも許される。
そのくらいの心の広さは病院も持ち合わせているのだ。

ということは病院に十二時に到着しなければならない。
家から病院は約一時間、およそ60分、大体3600秒なので、時計の計算が苦手な人のために言っておくと、私は十一時に家を出なければいけない。

中途半端な時間だ。
しかも血液検査の結果待ちに一時間もある。
この時間をお昼ごはんの時間にあてた方がよさそうだ。

というわけで、お弁当を作ることを思い立った。
だが一つここで問題がある。
それは私が重度の知覚過敏であることだ。
冷たいものなんて食べられない。
冷めたものなんて食べられない。
常温のものも食べられない。
さて困った、どうしようと思った瞬間、母が素晴らしい提案をした。
「ランチジャーあるよ」
ランチジャーとは、お弁当を保温できる画期的な代物である。
中学一年のときに流行り(私の学校だけかもしれないが)、しばらく使用していたが(私のクラスだけかもしれないが)、あまりの重さに使用を断念し(私だけかもしれないが)、それ以来使っていなかった(確実に私だけだ)。
中一以来なんて懐かしい。
さっそく使ってみることにした。

ランチジャーは、おかず入れ、ごはん入れ、味噌汁入れの三層から成り立っている。
そして私はケチャップライスを作り、この三つの容器全部に入れた。
これはおかずを作るのがめんどくさかったからではない。
おかず入れ、ごはん入れ、味噌汁入れに全て同じ条件のものを入れることで、この三つの保温状態が果たして均等なのかを実験するためである。
私は常に探究心旺盛なのだ。
と、いうことにしておこう。

そして実験結果を書くと、なんと予想に反してこの三つは保温状態が違ったのだ。
おかず入れのケチャップライスは完全に冷め、私の歯をいやおうなしに攻撃してきた。
しかしごはん入れと味噌汁入れはしっかり保温されており、歯に優しいケチャップライスであった。
さらに考察を深めると、ごはん入れと味噌汁入れの保温状態はほぼ等しかった。
よって「知覚過敏の時のお弁当はランチジャーを用いるべきだ」という仮定は以上の実験により「三分の二の確率で歯を刺激しない」という結果のもとで成り立った。

ゴスペルコンサート♪その5

2006-03-20 22:23:24 | ☆日記・随筆☆
感動したゴスペルコンサート。
親友の活躍に自分も自分の道を頑張ろうと思えた日。
なんて今日は素敵な日だったんだろう。
二人の親友よ、ありがとう。
読○新聞よ、ありがとう。
神様よ、ありがとう。

そう思いながら、第二の故郷京都をあとにする。
電車に乗ると、別の友人から電話がかかってくる。
残念ながら私はマナーを守る偉い若者なので、電話には出ず(常識のない人には分からないかもしれないが、電車の中で電話をとるのはマナー違反である)、メールでどうしたかを尋ねてみると、その友人もコンサートに行っていて私がそのコンサートにいたことを知り、お茶でもしないかと誘ってくれたのだ。
あいにくもうすでに梅田行きの電車の中だったためその友人には会えず仕舞いだった(電車に乗らない人には分からないかもしれないが、客一人の都合で電車の行き先を変えることはいくら私でも不可能である)。
私が乗っている電車が実は京都行きだったならば会えたのに、私は自分が目的地をしっかり見定め電車に乗る優秀な人間であることを悔やんだ(サルや犬には分からないかもしれないが電車にはそれぞれ目的地が表示されている)。

そして無事に家に帰った。
すると、その電話をくれた友人から郵便が届いていた。
なんだろうと開けてみると、
NANA 15巻!!!
手紙によると、プレゼントらしい。
不思議だ。
なぜ私がNANA15巻をほしがっていたのが分かったのだろう。
彼女は一人暮らしでパソコンがなく、携帯も煮物の中に落としたため私のブログは読んでいないはずなのに。
私のブログを初めて見た人、私のことを知らない人、私のことに興味のない人のために言っておくと、私はかなりのNANAファンである。
好きな漫画には「エースをねらえ!」「ベルサイユのばら」「パタリロ!」に加え「NANA」が入る。
これは年齢詐称疑惑が浮上しているのをごまかすためではない。
やはり私も現代の若者なのだ。

そして最近NANA15巻が出たことにより、どうやって手に入れるかを一人で試行錯誤していた。
私が立てていた対策は以下の通りである。
①毎○新聞からいただく図書カードで買う。
②ブックオフで中古本をクーポンで買う。
③NANA15巻プレゼントの懸賞がないか探して応募する。
④友達に借りる。
⑤空から降ってこないか上を見上げてみる。
⑥道に落ちていないか探す。
⑦神に祈る。

立てた対策は以上の7つだが、実際に実行していたのは⑤、⑥、⑦だけであり、今の状態は⑦が成功したと言っていい。
どうしてこの友人がいきなりNANAをくれたのかが本当にわからない。
誕生日を勘違いしているのかとも思ったが、去年誕生日プレゼントももらっているからそれも違う。
まさに神の思し召し。
彼女も見返りを求めないマザーテレサと言ってよい。
本当にありがとう。

振り返ってみると、このコンサートははじめから終わりまで神様と友人に支えられたものだった。
びっくりするほど、私は何もしていないのに周りがいろいろ支えてくれた。
今は私は無力で何も周りに返してあげることができない。
でもいつか返せたらと、感謝の気持ちを忘れないためにブログに書いておくことにした。
5つに渡り(前置きを入れると6つだ)繰り広げれられたゴスペルコンサートの記事もようやく終わりを迎える。
もし全ての記事を読んでくださった方がおられたら(人数は少ないはずだ)本当に感謝する(故に感謝する人数も少なくていいはずだ)。
そしていつかお返しができたら……とも思うが、何をどうやって返したらいいのか自分でも分からない(だがお返ししなければならない人数も少ないはずだ)。
とにかく自分の幸せな境遇に感謝だ。
こういうときは歌おう♪
はっひふっふ~ん♪ふっひはっは~ん♪
梅さん、見てるか?

ゴスペルコンサート♪その4

2006-03-20 21:20:42 | ☆日記・随筆☆
そんなこんなでやっとコンサート会場に到着。
なんとなく知り合いが来てそうな気がして隠れるように入場。
ホールに入ってからも、なるべく人目につかない座席を選んで腰をかける。
誰にも見つからないように一人の世界に入るためギリギリまでお笑いエッセイを読む(決してお笑いエッセイの続きが気になったからではない)。

私の横には全然知らない人が座る。
その横も全然知らない人が座る。
その横の横は全然知らないチンパンジーでも座っていたら面白いが、残念ながら全然知らない人間が座っていた。

コンサート開演。
照明が舞台を照らす。
ああ、始まる。
私までドキドキする。

そこでふとある失敗に気付く。
どうやらゴスペルの歌だけでなくストーリー展開がある舞台なのだが、その舞台のメインとなるセットが上手(かみて。じょうずと読んではいけない)側にある。
だが上手(じょうずではない)には大きなスピーカーも置いてあり、あまり上手(かみてと読んでいただきたい)側に座ると、スピーカーが視界の邪魔をしてしまうのだ。
そして私の座席は上手(読み方はかみて)の一番端っこ。
上手(かみてと読むべきだ)側にセットがあるのは見えていたのに、何も考えずに上手(かみてではないだろうか)の端に座るとは元舞台人の風上にもおけない。
おかげでストーリーをスピーカーに邪魔されることとなった。
上手(かみてかもしれない)にキャストが立つとスピーカーで見えない。
真っ黒い箱が人を隠すたび、自分のバカさを感じてしまった。
幸い、私の親友は上手(じょうずかもしれない)側に立つことはなく、親友の姿はずっと見ることができた。

そんな時、私の座席が揺れた。
なんだ? 地震か?
ふと横を見ると、私の隣の隣の人が赤ちゃんを抱いていて、赤ちゃんが機嫌を損ねてあやしている。
あやしているのはかまわないが、赤ちゃんを全身を使って揺らしている。
ということは一続きになっている座席全体を揺らしている。
赤ちゃんが揺らさせている。
私も揺らされている。

なんということだ。
見渡す限り、赤ちゃん連れは私の横の横の人だけだ。
つまり、揺れている席はこの端の五人がけの一列だけだ。
だから迷惑をこうむっているのはこの人を除く四人だ。
しかも座席が揺れているだけでなく、赤ちゃんの泣き声つきだ。
これでは全然知らないチンパンジーが座っていた方がましだったのではないだろうか。

我ながら座席を選ぶ能力がないと反省しつつ、自己催眠をかけることにした。

今座席が揺れているのは地震が起きているからだ。
地震大国日本では普通のことだ。
地震が起こっているにもかかわらず私の親友は舞台上で歌って頑張っているなんて素晴らしいことだ。

今聞こえている赤ちゃんの泣き声は、音響効果の一種だ。
騒音と共に歌うことで、私の親友の歌声がよりいっそううまく聞こえる。
いわゆる引き立て役なわけだ。

そんなことを考えながら舞台に集中する。

親友の歌声は素晴らしかった。
彼女の歌声がネットで紹介できないのが非常に残念だ。
帰国子女であるから英語の発音も完璧であり、本当に洋楽を聞いているみたいなのだ。
浜崎あゆみより宇多田ヒカルより絶対うまい。
ブリトニーよりもうまい。
セリーヌディオンとはりあえるのではないかと思う。
尚、この親友は女性のため、ビートルズ、山下達郎、エリック・クラプトンなどと比べてどうかといわれるとそれは判断しかねるが、少なくとも松平健よりはうまいはずである。

歌のうまい人というのは多少なりとも嫉妬の心がめばえてしまうのは人間として当然の感情であるが、彼女の場合うますぎて嫉妬する気が起きない。
歌に関しては雲の上のような存在なのだ。
これで年下なのだからびっくりする。
もちろん、彼女の努力もあるだろうが、歌唱力というのは生まれ持った才能が大きく関係する気がする。

そして彼女の歌声を聞いたの一年以上ぶりだったが、さらに歌がうまくなっていた。
よく通る遠くまでのびる歌声は端っこの視界の悪い私の席までしっかり届いてきた。
感動で涙が出てくる。
心が震える。
座席も震える。

親友のきれいな歌声と頑張っている姿に私の涙は止まらなかった。
その涙の中には変な席を選んでしまった自分の愚かさに対する涙もあったかもしれない。
とにかく一人で号泣していた。
私の横の人はとても迷惑だったと思う。
左には泣く赤ちゃんと座席を揺らすお父さん。
右にはひたすら号泣する女。
私は自分が横の人でなくてよかったと思った。

そして手拍子。
ずっと舞台に立って歌っていた人間としては客席からの手拍子ほど嬉しいものはない。
だからもちろん私も手拍子をしようとした。
しかし、私はリズム感がないのか、歌を聴きながら手拍子ができない。
手拍子をできる人が不思議でならない。
手拍子をしっかりすると歌が聴けない。
歌を聴いていると手拍子が絶対ずれる。
よっていつも私は手拍子が人とずれている。
やはりリズム感か音感でもないのだろうか。
いや、きっと集中力がありすぎるためだ。
歌を真剣に聴いているため、手拍子なんてできないのだ。
だが手拍子もやらない冷めた客だとは思われたくないので、手は動かしていたがやはり他の人とずれていたことは認めよう。

人とずれた手拍子をしながら号泣したままゴスペルコンサートは幕を閉じた。
親友の素晴らしい歌声。
一つの舞台を創り上げることの大変さを微塵もうかがわせないあの歌声。
年下だけど、親友に対してまた尊敬の念が芽生えた。
彼女は彼女の好きな道で頑張っている。
私も自分の好きな道を頑張ろう。
そう思えたコンサートだった。

正直、あまり光り輝く親友の姿なんて見たら、嫉妬したり、自分と比べて自分はなんてだめなんだろうと思ったりしないか不安だったのだが、そんな心はちっとも芽生えなかった。
どうやら自分の今生きている人生にも満足しているようだ。

ゴスペルコンサート♪その3

2006-03-20 19:04:29 | ☆日記・随筆☆
久々の親友との再会。
一年半前の入院でお見舞いに来てもらって以来だ。
かなり心がはずんだ。

そして親友のお母さんとはもっと久々だ。
しっかり話すのは中一以来の気がする。
親友のお母さんも一緒だと車の中で話題がつきないか少々不安だったがそんな心配は無用だった。
私はそんな些細なことでも心配する慎重な人間なのだ。

我が母校の話で盛り上がる。
我が母校は今年から付属の小学校ができるのだが、天然の親友はその事実を知らなかった。
その小学校の学費が年間150万だとか、給食がプリンスホテルから配給されるとか世にも恐ろしい事実を親友に伝えていたところ、おばちゃんが「見たい」と言い出した。
実はそのコンサート会場と小学校は近いので、車は小学校へと先にむかうことになった。

私達の目の前に現れた小学校は、「小学校」という言葉が似つかわしくない、非常にきれいな建物だった。
こんな小学校にお金をかけるなら、卒業した難病患者に見舞金でも送るべきだ。
見舞金とは言わなくても、花でもロングコートチワワでもいい。
薄型テレビやデジカメでもいい。
だからと言ってブルドーザーやマントヒヒはいらない。

そして私達は高級レストランに車をとめた。
ここで言う高級レストランとは、
①長く居座れる
②メニュー豊富
③ドリンクバーがある
④スープおかわり自由
⑤私以外の人はファミリーレストランと呼ぶ
ところである。

おばちゃんに厚くお礼を言って、親友と私は二人で高級レストランへと足を踏み入れた。

私の親友は非常に気がきく。
本当に感心するくらいだ。
ドリンクバーのドリンクも、スープも私の分までとってきてくれた。
まるで王様のような気分だ。
こんな気分になるのは入院したときに食事を運んでもらっていたとき以来だ。
このくらいで自分が王様という錯覚が起こせるとは我ながら得な性格だ。

そしてさらに彼女はドリンクバーでは紅茶パックを数個持って帰るという裏技を教えてくれた。
なんて親切な子だろう。

その上彼女は優しい心の持ち主で、私が知覚過敏でフライドポテトが冷めると食べられなくなるので「保温のために」と言って皿に平たくのせてあるポテトを積み上げ始めた。
その行為がどれだけ保温効果があるかは少々謎だが、気持ちが嬉しい。
積み上がったフライドポテトのタワーを前に私達はおしゃべりをした。
十年以上の親友ともなれば話は非常に盛り上がる。
しかも職業がトリマーとあって、わんちゃん話でよりいっそう盛り上がる。
食べるより話すのが中心となり、フライドポテトも盛り上がったままだ。
時間はあっと言う間に過ぎ、私だけ早めの夕食を注文して食べた。

そしてとうとう別れの時間になり、会計の時をむかえた。
そのとき、思わぬ事態が訪れた。
親友がおごってくれるというのだ。
彼女が私におごる意味が分からない。
彼女は、「お母さんが手土産がわりにおごってあげなさいって」と言う。
手土産? なぞだ。
なぜおばちゃんは私に手土産を渡したいと思ったのだろう。
なぜ手土産の代わりがおごりになるんだろう。
なぜ親友はお茶しかしてなくて私は夕食を食べて親友が全部払うのだろう。
いろんな思いが私の頭の中をよぎる。
にやっとした顔を隠して必死で断ったが、「お母さんに怒られるから」と言われてはご好意に甘えるしかない。
これはもう感謝をするしかない。ありがとう。
これから毎日彼女と彼女のお母さんの健康と幸せを祈ることにしよう。
そして私が巨万の富を得ることができたらお返しをしよう。
そう厚く誓った高級レストランでの出来事だった。

そして、自分が払うことを考慮してステーキを諦め、安い海老ドリアを注文したことを少しでも後悔してしまった自分の醜さを垣間見た瞬間でもあった。
人間とは醜い生き物である。

ゴスペルコンサート♪その2

2006-03-20 18:04:03 | ☆日記・随筆☆
そして私は久々の京都に降り立った。
学生時代の十年を過ごした京都。
第二の故郷といっても過言ではない。
だが第一の故郷というと言い過ぎになる。

相変わらず盆地の影響か寒い。
しかし雨だから寒いのかもしれない。
もしかしたら三月だから寒いのかもしれない。
私が薄着で寒いのかもしれない。
とにかく理由は分からないが寒かった。

わざわざ親友のお母さんに車を出してもらうとなっては遅刻したら失礼だ。
そう思って今時珍しい礼儀を重んずる若者の私は早めに家を出た。
早めに家を出たため、早めに京都の四条河原町駅に着いた。
待ち合わせ場所に30分も早く着いた。
早めに出発したから早めに到着するのは当然の結果のはずなのに私は驚いた。
当然の結果が予期せぬ結果だったのである。
よって30分時間をもてあますこととなった。
しかし私はこの1800秒を無駄に過ごすようなことはしない。
即デパートで空いている椅子を見つけ、読書をし始めた。
こんなに私が寸暇を惜しんで読んでいた本はプラトンの「ソクラテスの弁明」。
だとかっこいいのだが、ただのお笑いエッセイを読んでいた。

私が読書を優雅にたしなんでいたら、なぜだか周りが騒がしくなってきた。
たくさん人が集まってきたのだ。
読書を中断してこの理由について考えてみた。
①このデパートで買う気が全くないのに椅子だけを利用し読書をしていることがばれた(小心者の私はこのような小さいことでも重大な犯罪のように感じる)。
②お笑いエッセイを読んでいたため一人でいたにもかかわらずにやついていたので変な人と思われた。
③デパートに宇宙人が現れた。

私が考えた理由は以上の三つだったが、残念ながら予想は外れた。
催し物が開催されるのだ。
「池田理代子トークショー」
誰だ? と思われた方、「ベルサイユのばら」の原作者といえばお分かりだろうか?
あのベルばらの作者が京都に!!!
ぜひ見たい!!
なんてラッキーなんだ。
偶然入ったデパートで池田理代子が見られるとは。
そう思ったのもつかの間。
池田理代子トークショーは二時から。
親友と私の待ち合わせも二時。
時差がない限り、私が池田理代子を見ることは不可能だ。
国内で時差のあるアメリカが羨ましいと思った瞬間だ。
そして日本が狭く時差がないことに嘆いた瞬間でもあった。

そして二時十分前に後ろ髪をひかれながらデパートをあとにした。
別によく考えたらオスカル(フランソワ・ド・ジャルジェ)様にもマリー・アントワネット(ジョゼファ・ジャンヌ・ド・ロレーヌ・オートリッシュ)にも会えるわけではない、ただの原作者だ、と自分に言い聞かせながら待ち合わせの場所へと向かった。


ゴスペルコンサート♪その1

2006-03-20 17:03:26 | ☆日記・随筆☆
さて、月曜日にもなって土曜日にあったゴスペルコンサートのことを書きたいと思う。
だが、わざわざタイトルに「その1」としたのは多分一つ目の記事ではゴスペルコンサートをすべて見終わるまでを書けないと予想したからだ。
もう一つ予想するならば、多分ゴスペルコンサートが始まるまでもいかない。
さらに予想するならば、コンサート会場に行くまでもいかない。
この予想はかなりの確率で当たるだろう。
この確率は堀江元社長がいきなり釈放されてまたライブドアの社長に就任する確率より高いと胸をはって言える。
また閉会式を迎えたばかりの冬季パラリンピックが明日また開会される確率よりも高いだろう。
さらに言うなら私が明日からアラビア語が話せるようになる確率よりも高いし、今日私が筋トレをする確率よりも高い。

とにかく京都で開催された我が親友のゴスペルコンサート。
五時半開場、六時開演。
かなり微妙な時間だ。
夕食を食べるタイミングが問題だ。
コンサートが二時間ほどあれば家に帰るのは十時頃になってしまう。
十時頃に夕食を食べると、ただでさえふくよかな体がさらにふくよかになってしまう。
しかも空腹を感じながらコンサートを聴くのは親友に対して失礼だ。
私は礼儀をわきまえた女だ。

というわけで、五時頃に少し早い夕食をとろうと思い立った。
だが、一つここで問題がある。
私は非常に寂しがりやさんなのだ。
一人で食事というのがあまり好きではない。
もちろん私も大人なのだからできないことはない。
だがすすんでしようとは思わない。
よく考えたらわざわざ京都まで出るわけだから、私に会いたがっているのに会えずにいるたくさんの京都にいる友人たち(この場合のたくさんは0以上の数字を意味する)の一人を誘ってみようと思い立った。

そこで、京都に住む中一からの親友をお茶に誘った。

ここでネットを通して私と出会った人は「あれ? uchoってやたら親友が多くないか?」と疑問に思われるかもしれない。
思われないかもしれない。
ただ言えるのは、この記事を読んでいない人は間違いなく疑問には思わないということだ。

とにかく、ゴスペルを歌うのも私の親友、お茶に誘ったのはまた別の親友だ。
なぜこんなに親友が多いのか?
それはもちろん私の人格のなせる業である。
この場合の人格とは以下のことを「親友」の定義とする人格である。

①私が一緒にいて楽しいと思う人(この場合むこうが私と一緒にいて楽しいかどうかは考慮に入れない)。
②私が話が合うと思う人(この場合むこうが私と話が合うと思っているかどうかは考慮に入れない)。
③私が尊敬し、頼れる人(この場合むこうが私のことを尊敬せず頼っていなくてもかまわない)。

以上の条件をすべて満たす友人たちを私は「親友」と呼んでいる。
つまりむこうが私を「親友」と呼んでいるかどうかは私にも分からないし、分からないままでいい。
人間知らなくていいこともある。

そして京都の親友は私からの誘いを非常に喜んでくれ、なんと仕事を休んでくれた。
そこまでしてくれて私に会ってくれるとは感動だ。
「夕食を一人で食べるのはいや」という小学生のわがままのような思いつきから誘った自分を恥じる。
よって彼女にはこのはじめの思いつきは隠しておくことにしよう。
やはり人間知らなくていいこともある。

さらに彼女から前日に電話がかかってくる。
彼女のお母さんが車でコンサート会場まで送ってくれるというのだ。
確かに阪急の駅からコンサート会場まではかなり遠い。
だが地下鉄を使えばそこまで遠くはない。
なんだか悪いなあと思いつつ、その申し出を受けることにした。

これにより、私の京都への小旅行は「車でのお迎え+親友とディナー+ゴスペルコンサート」となったのである。

実は昨日……

2006-03-19 21:19:14 | ☆日記・随筆☆
実は昨日、コンサートに行った。
コンサートと言っても、ロックコンサートやヘビメタのコンサートではない。
だからと言って、山下達郎のコンサートでもなければ、ミスチルのコンサートでもない。
SMAPのコンサートでもなければ、関ジャニ8のコンサートでもない(本当はカトゥーンと書きたかったがスペルが分からなかった。世代をごまかそうとしてもやはり限界があるようだ)。
格調高い私のことだから、クラシックやオペラのコンサートに行ったのかなとお思いの方もたくさんおられることだと思う(この場合のたくさんとは具体的な数値で表すと0~3人の範囲内である)が、それも違う。
とにかく、上記のどれにも当てはまらないコンサートに行った。

親友のゴスペルコンサートである。
このブログをよく読んでいただいている捨て犬を拾っておけないような優しい心の持ち主の方はご存知だと思うが、昨日がとうとうあのコンサートの日だったのである。
このブログを今初めて見た方、全部の記事を読んでいない方、このブログを全く読んでいない方のために一言説明をしておくと、私の日頃の行いがよいため神様が読○新聞に働きかけ私をコンサートに導いてくれたという奇跡に近いエピソードがあったのだ。
やはり日頃の行いが物をいう世の中だ。
世の中捨てたもんじゃない。
とにかく昨日が待ちに待ったコンサートだったのだ。

昨日このことを記事に書こうとしたのだが、このコンサートは京都で開催され、私の住む宝塚(ジンバブエではない)から京都までコンサートに行ったことでかなりの疲労が私を襲った。
関西のことに詳しくない人のために言っておくと、宝塚→京都はそんなに近い距離ではない。
だからと言って日本からジンバブエほど遠くはない。
と言っても自転車でいける距離ではない。
というかその前に私は自転車に乗れない。
具体的な数字で表すと、阪急電車で一時間半。
もっと具体的に表すと、90分。
さらに具体的に表すと、5400秒。
5400秒の時を越え、私は京都のコンサートへと出向いたのである。

それで昨日は帰りから頭痛がして、一つブログに記事を書いたらもう体力の限界がきてしまったのである。
やはり自分は病人だと感じた瞬間だ。
だがいつも病人という自覚のない人間なのでたまに自己を認識することは大切である。
今日朝起きても頭痛はとれず、熱を測れば34.9℃。
なんだ、この熱の低さはと思われる方もおられるかもしれないし、おられないかもしれないが、ステロイドには熱を下げる作用があるらしく、ステロイドが多く元気なときは私は時々34℃台を記録する。
つまり平熱なわけだ。
だから頭痛があっても病気の活動性が上がったわけではないことが分かる。
ということは勉強しても大丈夫だ。
そしてステロイドに加え頭痛薬を飲んで勉強にのぞむ。
翻訳の締め切りが近いので、ゆっくり休んではいられない。
こういう書き方をすると私が翻訳の仕事をしているというように見えてかっこいいが、私が翻訳の仕事ができるようになるにはアルファベットの順番がD、B、C、E、Aとならないといけないので、この場合の翻訳の締め切りとは翻訳の勉強のために提出するものの締め切りと言った方が正しい。
とにかく頭痛と闘いながら今日の勉強を終わらせた。
ダンディアン(知らない人のために言っておくと、ダンディアンとはダンディーなまなざしが有名な私の主治医である。この場合の有名の範囲は私の周りだけをさし、本人はまさか自分がネット上でそんな風なあだ名がついているとは思いもよらないはずだ)からの頭痛薬は愛の力か効力を発揮し、今はやっと頭痛から解放された。
だが頭痛と共に翻訳をやっていたため進み方が遅く、明日と明後日に「締め切り」というものが差し迫っているにもかかわらずまだ提出物が完成していない。
とはいえども明日は病院の外来日でダンディアンに会えるので頭はそっちの方でいっぱいである。

とにかく、何がいいたかったかと言うと、昨日コンサートに行って波乱万丈な思い出をもちろんブログに書こうと思うが、いつもの調子でいくと絶対非常に長い記事がたくさん生み出されると予想できるが、私も翻訳の締め切りが近づいており、ダンディアンとの密会日も近づいており、ブログの記事製作だけに時間を費やすことができない。
とはいえども、京都のコンサートのことはぜひともブログに書き記しておきたい。
だからもしかしたら何日かにわたってコンサートのことを書くかもしれない。
そしてそれはいつもにまして長い記事になる可能性は高い。
私の記事を全部読んでいるという、捨て犬、捨て猫、捨てチンパンジー、捨てゴキブリを拾わずにはおわれないほどの優しい方々は覚悟が必要だと思われる。
もちろん私の記事を全く読んでない人には覚悟の必要はない。

ほら、コンサートに行ったという事実を伝える前置きだけでこんなに長い記事になった。
2000文字を超えている。
そしてこれからしばらくブログネタ帳にはない記事ばかり書くことになるのでさらにネタ帳はたまる一方だ。