KEEP ON SMILING!

治らぬなら
治してみせよう
SLE
※SLEとはステキなレディーがなるエレガントな病気である。

文章力を上げたい

2006-03-18 23:44:51 | ☆勉強☆
本日、毎○新聞に私の書いた読者投稿が載った。
(裏事情を話すと○日新聞とはじめにしたら、もう一つ○日新聞があることに気がついた。このまま○日新聞にしてミステリアスな一面を残すか、それとも読者に分かりやすくするか、かなりの時間迷ったが、読者のことを常に考える優しい心の持ち主の私は分かりやすさをとったのだ。因みにこの場合の「かなりの時間」というのは三秒ほどを意味する)

これにより、読○、産○、毎○と制覇してみたので残るは朝○新聞だ。
異なった記事を朝○新聞にも出したのだが、残念ながら採用の電話がない。
この理由には以下のことが考えられる。
①私の書いた日本語の意味が記者には分からなかった。
②私の書いたものがあまりにも素晴らしく記者が嫉妬したため不採用となった。
③採用しようとしたが、家が兵庫県だったため電話代がかかるからやっぱり不採用となった。
④私の記載した電話番号が間違っていた。
⑤実はロシア語で書いていた。

いずれの理由にしろ不採用だったことは間違いない。
まあ投稿はただなので、また朝○に投稿しようと思う。
ネタはありあまるほどある。
ありあまりすぎて忘れるほどである。

ただ問題は真面目な文章よりふざけた文章の方が好きだということだ。
真面目な文章を字数制限で書くという作業をするようになってから、どんどんこの字数制限のない真面目な文章を書かなくてよいブログを書くのが楽しくて仕方がない。
どうやらふざけた文章を長々と書く方が好きらしい。
それは私自身がふざけた人間であるから、好みも比例するのは当然だ。
文章の勉強の憂さ晴らしにこのブログを使っているわけだ。
元々文章力が上がらないかなあとかすかな期待をこめてこのブログを始めたのに目的がかわってきてしまった。
果たしてブログで文章力が上がるかどうかはいまだ私も分からない。

それにしても名前が新聞三紙に載ると一躍有名になるらしい。
今日も見知らぬ人に声をかけられた。
「高島屋はどこですか?」と。


本日、翻訳のトライアルの結果が返ってきた。
翻訳のことを知らない人のために言っておくと、翻訳家をめざす人が翻訳能力を判断するために送る翻訳能力判定試験みたいなものである。
結果は……D
アルファベットを知らない人のために言っておくと、アルファベットというのはA、B、C、D、Eという順番で並んでいる。
しかもこのトライアルの基準に関してはなくていいのにAの上にAAという基準まである。
アルファベットというのはAから始まるのにその上にまだAAをつけるとはアルファベットの歴史を無視した行為だ。
さらにAの上だからといってAを二つ並べただけとはセンスがない。
そんなことを思いながらも、アルファベットの並びがD、C、A、B、EやD、B、E、A、Cなら良かったのにと今更ながら願った。

そして問題はそこに書いてあった言葉だ。
「文章力がやや不足している」
「やや」とはなんだ、「やや」とは。
「A」を二つ並べたり、「や」を二つ並べたり、文字を二つ並べるのが好きなのか。
それなら「ママ」でも「パパ」でも「ぷぷ」でも「ぽぽ」でもかまわないだろう。
「文章力がぽぽ不足している」なんてかわいいではないか。
ただ一つだけ欠点をいえば、この文が意味をなさないことだ。

とにかくこんなはっきり文章力が不足しているなんて言われたら、これは上げてやるしかない。
文章力を上げる方法としては、
①文章をたくさん書く(この場合の文章とは質の良い文章を意味する。よって今このブログを書くことには意味がない)。
②文章をたくさん読む(この場合の文章とは質の良い文章を意味する。よってこのブログをたくさん読むことは意味がない)。
③文章を他人に見て添削してもらう(これは読者投稿でできそうだ)。
④「もっと頭のよくなるモーツァルト」を聴く。
⑤神に祈る。
⑥仏に祈る。
などがあげられる。

だが、もしこの記事を読んでいる方で他に画期的な文章力を上げる方法をご存知の方がおられたらアドバイスを願いたい。
だけど文章力なんて一朝一夕に上がるものではないことは重々承知だ。
それにこの長い記事を最後まで読んでいる読者が少ないことはさらに承知だ。
だからアドバイスはもらえないのも承知の上だ。

割れていく食器

2006-03-17 23:52:21 | ☆日記・随筆☆
最近食器が毎日のように割れている。
別に番町皿屋敷でもポルターガイストでもない。
かと言って家族全員で皿をフリスビー代わりに遊んでいるわけでもない。

ばあちゃんが元気なのだ。

これは非常にいいことだ。
去年の今頃ばあちゃんは弱って入院した。
それから比べれば今はかなりのパワフルばあちゃんだ。

ばあちゃんは元気になるとやたら家事をしたがる。
皿洗いも普通は大体私がするのに「いいから、いいから」と言ってやりたがる。
正月頃に私のお気に入りのコーヒーカップを割られたことはブログにも書いたが、最近のおばあちゃんの食器の割る頻度は一回につき一枚(または一個。だが一羽や一匹ではないことは間違いない)。
百発百中だ。
これではおばあちゃんもケガをしてしまうのでなんとかやめさせたいが、どうも家事を手伝うことで「自分が家族の役に立っている」という事実の確認ができて満足感がおばあちゃんをおそうらしく、食器を洗う手を止めてはくれない。
せめて私のお気に入りの食器だけは割らないでほしい。
というわけでお気に入りの食器を使わないことにした。
そうすればおばあちゃんが洗わないから、割られずに済むのだ。
素晴らしい対処法だ。
こうして私のお気に入りの食器は食器棚の奥で眠っている。

ブログの更新

2006-03-16 22:07:55 | ☆お知らせ☆
最近ブログの更新が異常にはやいと思っている方もおられるだろう。
そして誰よりも私がそう思っている。
実はこれには訳がある。
それは、ライブドアがUSENと提携するからでもなければ、ウィニー問題が浮上しているからでもなければ、今日雨だからでもない。
もっと単純なこと。
ネタがたまってきてしまったからだ。

私は常日頃からふと思いついたブログネタを手帳に書き記していた。
すると最近ネタの題名だけで手帳1ページが埋まってしまい、予定が書けないという事態が発生しだした。
自宅療養の私が手帳に書く予定なんてあるのかと疑問に思った方もおられるだろう。
こんな私にだって予定はある。
というか、勉強計画を手帳に書いている。
それを除いても、WOWOWでこういう映画があるとか、細木数子の六星占術だと今日は何であるとか(種子や達成など)、そして曜日を別の言語で何ていうかだとか(西仏伊露の四ヶ国語を書いている)、おいしい料理ができた日はそれまで書き込んでいる。
だからブログネタに手帳のスペースを奪われている余裕はないのだ。

この対処法としては、
①別のメモ帳にネタを書いておく。
②ネタを全部ブログに書いてしまう。
③ネタを思い切って捨ててしまう。
④さらに思い切ってブログをやめる。
などいろいろ考えられるが、妥当なところで①と②を採用することにした。
私は思い切った行動より妥当な道を選ぶ生き方が好きだ。

といってもたまっているネタを全部いっぺんに一日で書いてしまう時間はないから(多分一日かけても書き終わらない)、一日一ネタだとなかなかなくならないので一日二、三ネタずつなくしてしまおうという計画だ。

これで困るのは数多くおられる私のブログ読者であろう。
私のブログ読者とは以下のような方々である。

①たまたまネット検索をしていてちらっとページをあけた人。
②SLEまたは膠原病を調べていてたまたまこのブログにあたったが、あまり調べ物の参考にならないのでもう見るのはやめようと思った人。
③このブログにリンクさせてもらっている別のブログからちょっと見てみようかなと思ってきたがあまりのしょうもなさにもう二度とこないと心に誓った人。
④このブログとリンクしてくださっている心温かい人々。
⑤私の友人・知人たち。

人数が多い順に①→⑤を列挙してみた。
こんなたくさんの読者の方々に恵まれ私は幸せだ。
だが読者の大半を占める①~③の方々は一期一会であることは言うまでもない。
だから私のブログ更新がはやくなろうが遅くなろうが迷惑はかけていない。
問題は人数はかなり減るが④と⑤の方々だ。
その中でもし毎日なぞブログを見てくださる捨て犬を放っておけないような人情味あふれた方がおられたら、ブログの更新がはやいのは結構迷惑だ。
毎日ブログを見ていなくても、私の書いた記事を全部読もうなんて考えている、捨て猫を放っておけないような心優しいお方がおられたら、ブログの更新がはやいのはかなりの迷惑だ。
さらに私の記事は一つ一つがやたら長く、内容も「素晴らしさ」という一点が欠けているため、全部読むことにより体力と時間をひたすら消耗してしまうことは否めない。
もし全部読んでくださっている人がおられたら、その方は捨て犬、捨て猫、捨てネズミ、捨てゴキブリを全て放っておけないほど優しい心の持ち主だと自負してよいと思う。

多分このブログの更新が非常にはやい状態はしばらく続くと思われる。
しかもブログネタ帳にないネタを今こうして記事にして書いていることでさらにブログの記事を増やして読者に迷惑をかけていることを今更ながらに気付いた。
どうぞタイトルと概要文だけ見て興味のある記事だけ読んでください。
ああ、この上記一文だけがいいたかったのに何でこんなに記事が長くなっているんだ

私は金持ちだ!

2006-03-16 00:48:54 | ☆日記・随筆☆
私のブログとリンクさせてもらっているsakuraさんのブログを読んで強く思ったことがあるので今日はそのことについて書いてみようと思う。
本来ならこの記事内にそのsakuraさんのブログの記事をリンクをさせるべきなのだが、どうもうまく記事内にリンクがはれない。

これには三つの理由が考えられる。

①私にブログを操る能力が足りない。
②ブログが私を嫌っている。
③第三者が私のあふれんばかりの才能をねたみ、邪魔をしている(この場合の才能とはブログを作れたという誰もがうらやむような才能を意味する)。

とにかく理由はどれにしろ、記事内にリンクを貼るという高度な作業を試みたが不可能だったので、sakuraさんのブログが見たい人はブックマークからいってほしい。

内容を簡単に言えば、
「お金がナイ!」なんて言うより「お金さん、ありがとう!」と言った方が金運が上がる!!
というお話。

目から鱗だ。

なぜなら私は最近「お金がナイ」を連発している。
事実だから仕方ないのだが、よく考えればこれは私のモットーに反しているのである。

私のモットー。それは……

マイナスの言葉は使わない!!!

これは昔から心がけている。
昔といってももちろん生まれる前からではない。
生まれてからも小学校にあがるくらいまでは記憶がないのでそのときも別にこれを心がけていたわけではない。
だから昔とは言ったが人によっては最近という言葉に値するかもしれない。
人によって言葉の定義が違うのは当然だ。

とにかく私のモットーは「マイナスの言葉を使わない」なのだ。
例えば「嫌い」とは言わず、「あまり好きではない」といった言い方をする。
なんだかマイナスの言葉を使うと、気分までマイナスになるのでなるたけ避けている。

だが「お金がナイ」なんてまさにマイナスの言葉だ。
マイナスの中のマイナスといった言葉だ。
マイナスを何万回もかけたような言葉だ。
しかしマイナスとマイナスをかけるとプラスになるので何万回もかけるとプラスだ。
思考と数学の矛盾を今ここに見いだした。
世紀の大発見かもしれない。
ノーベル賞受賞は近い(ここでの「近い」という言葉の定義も人によって違うことは否めない。50年後かもしれないし、100年後かもしれない)。

sakuraさんのブログを読み、「お金さん、ありがとう」というのは非常にいいことだと思った。
これは前に私が書いた「サンキュープロジェクト」という記事にも関連する。
私の「サンキュープロジェクト」という記事を読んでいない人のために簡単に内容を説明すると「フジテレビには超能力者がいるが、その人も私のたぐいまれなる運動能力にはかなわないから、ありがとうを言おう」というものだ。
「ありがとう」を人に対してだけじゃなく、物に対して言うのも重要なことだ。

そして私はさらに飛躍して「私は金持ちだ!」と言ってみようと思う。
最近貧乏生活をひたすら暴露したブログとなっていたが、よく考えてみたらわざわざネットを通じて世界中の人に自分が貧乏であることをアピールすることに何の利点も見いだせないのだ。
インターネットの、しかもブログなのだから、私がどう自分を偽っても罪にはならない。
だから、私が金持ちだとか、容姿端麗であるとか、身長が180センチあるとか、ジンバブエに住んでいるとか、実はマントヒヒであるとか言ってもかまわないのだ。

それに「私は金持ちだ」と言っていたら本当に金持ちになるかもしれない。
これは「絶対完治する」と自分にいいきかせていたら完治するかもしれないのと一緒だ。
ある種の催眠術かもしれない。
これがうまくいけば、私もこの身につけた催眠術で一儲けできるかもしれない。
いや、うまくいくということは金持ちになっているはずだから一儲けする必要はなくなるのか。
それとも欲望には限度はないから、病気が完治して金持ちになったら私の将来は催眠術師で大金持ちになるべきなのか。
翻訳家をめざして頑張る中、思いもよらない将来の道が見えてきた。
ただし万が一催眠術師になったとき、あまりのあやしい職業に友人の数が半分以下になることは今から予想ができるので大金持ちになるのは考え物である。

琥珀色の羊羹

2006-03-15 00:49:26 | ☆料理・食べ物☆
我が敬愛する先輩から羊羹が届いた。
京都の廣永というお店の琥珀色の羊羹。
こんな高そうなものをいただくとビンボー生活を送るucho家としては親子共々あたふたしたことは言うまでもない。
そして送り主が美形な先輩であることに親子共々にやにやしたことはさらに言うまでもない。

お礼のメールをしようとパソコンを開けると、その先輩から先にメールが来ていた。
なんでも羊羹を送ったあとに私が知覚過敏であることに気付き「琥珀色の羊羹だから眺めているだけでいいよ」という優しさに満ち溢れたメールであった。
そして尊敬する先輩の助言を受け、私はこの羊羹を食べることにした。
あまのじゃくでひねくれ者の私は「眺めるだけでいい」なんて言われるとどうしても食べたくなるのだ。
しかしこれは人間の心理において普通のことだ。
子どものしつけのときに「片付けなさい」と口うるさく言うより「自分の部屋だから好きにしていいよ」と言った方がかえって自主的に片付けをするようになることと一緒だ。
だが私が子どもの頃「好きにしていいよ」と言われたらちらかしっぱなしにしていただろう。
人間とは矛盾する生きものだ。

とにかくこんな人間の矛盾と戦いながら、そして知覚過敏と闘いながらこの琥珀色の羊羹を口にした。
なるほど、琥珀色だけあって普通の羊羹とは全然違う。
柔らかくてゼリーのような舌触り。
黒砂糖の味がほんのりとする上品な味。
知覚過敏なんて忘れてしまうほどの上等な羊羹だ。
ただ歯が痛かっただけだ。

うちの母親は「黒砂糖」というものが大好きなのでこの黒砂糖味の羊羹がたまらなく気にいった。
「おいしいおいしい」を連発しいっぺんに6きれも食べていた。
普段なら「食べすぎ」と注意をするところだが、最近体重が一緒になってしまったためどうにか母の体重を増やしたいのでひたすらだまっていた。
これで少し体重に差が出たに違いない。
自分が努力せずに結果を得られるなんて、なかなか私もずるがしこくなったものだ。
こうやって人間はどんどん汚れていくものかと世の中の不条理に思いをはせるuchoであった。

気の弱い母

2006-03-13 00:36:42 | ☆家族☆
毎月第二日曜はマンションの庭の草刈りがある。

最近になって管理人さんが変わり、マンションの中の組合みたいなものがいきなり活性化し、そういうイベントがちょくちょく開催されるようになった。
二十年以上そんなイベントがなく住み心地のよかったうちのマンションも最近になって一階のロビーの掲示板にやたらそういう催し物の張り紙が出るようになったしまった。

これで何よりも困った顔をしているのは母である。
非常に愛想はいいがこういった近所付き合いが嫌いなのだ。
しかも今は家のことで精一杯でこんなイベントに参加している余裕なぞない。
だが母は非常に気が弱く、こういうイベントに参加しないだけでかなりの罪悪感が彼女を襲うらしい。
自由参加のイベントを行かなくても何の罪にもならないと思うのだが、母にとっては大悪だ。
今日も買い物に出るときに「草刈りの人たちに会ったらどうしよう」ばかり言っていた。
しかし母が出かけたので今日は雨だ。
だから草刈りも中止だったようで、買い物から帰ってきた母は「雨で中止やったみたい~」と嬉しそうに言っていた。
なんて気が弱いんだろう。
真面目とでも言うべきか。

もう一つ言うなら図書館の貸出期限もそうだ。
私が前倒れたとき、図書館から本を借りたままだった。
返さねばならないと思ったとき、期限を一日過ぎていた。
だが私はその時足が動かなくなって図書館まで足を運べる状態じゃなかった。
母が返すこととなったが、かなり青ざめた表情で「大丈夫かな。娘が病気で倒れたから返しに来れなかったって言ったらいいかな」と言っていた。
いや、多分何も言わなくても大丈夫だろう。
だが余計なことをよく言う典型的おばさんである彼女は間違いなく図書館員が聞いてもいないのに返却が遅れた理由を説明していたのだろう。
もしかしたら私の病気の説明までしたかもしれない。
彼女ならありえる。
もしそんなことをしていたら恥ずかしいのであえてそうしたかどうかは聞かなかった。

彼女は私に負けず劣らず表情が豊かなので、こういうちょっとしたことでかなり青ざめた表情になる。
午前は草刈りの人に会うかどうかで非常に困った顔をしていたのに、家に帰ってしまえばころっと忘れ、やしきたかじんの番組を見て高笑いをしていた母。
その高笑いが私の部屋まで丸聞こえで非常に勉強の邪魔になったことは言うまでもない。

文章の性格

2006-03-09 20:58:54 | ☆日記・随筆☆
人の文章を読んでいるとなんとなくだがその人の性格が伝わってくる気がする。
たかが文章、されど文章。
文章にだって性格があると思う。

だがその文章を読んだだけでそれを書いている人物が全て浮き彫りになるかといえばそれはいささか疑問である。
やはり文章は字だけなのでその人物自体を表すには少々力不足な気がする。

自分の文章について考えてみる。

正直、大学時代の友達は私がこんな文章を書くことに驚いたのではないかと思う。
大学時代の私は間違いなく『文章を書く』ということから遠ざかっていたし、よく試験前に「字を久しぶりに書いた」と言っていた。(授業に全くでていなかったからノートをとらなかった。学生の隅にもおけないやつだ)
しかもいつもキャーキャーうるさい女子大生の典型のような私がこのようなバカボンのパパ口調の文章を書くとは夢にも思わなかったのではないだろうか。
それくらい私は自分の性格と自分の文章にはギャップがあると思っている。
だから大学時代の友達にこのブログのことを教えるのを始めは躊躇した。
二重人格だと思われたらどうしようなんて思ったからだ。
まあ、二重人格であろうと、この文章も私だし、普段のこんな文章を書かないような性格も私だし、どちらも私なのでそのへんご容赦願いたい。

反対にこのブログだけで私のことを知っている人は一体どう見えているのだろうともふと思う。
ひたすら自虐的にハゲの写真を公開したり、しょうもないことをひねくれた視点で語ってみたりしているので、それらを全部ひっくるめて考えるととんでもない変な人物に仕上がりそうだ。
ハゲでひねくれ者でバカボンのパパのような文章を書き、林家パー子のようなうるささを兼ね備える人物――絶対友達になりたくない。
だが間違いなく私は上記のような人物だ。
こんな変な人物と友達でいる私の友達に改めて敬意を表さねばならない。

自分がブログだけで知っている人のことを「どんな人だろう」と想像してしまうので反対に自分の文章だけなら「私」という人物がどこまで想像できるかを考えてみた。
そして考えたところで何もならない。
いつのまにかSLEというつながりだけでブログのリンクが増えたことに少し感動して語ってみた。
SLEがもたらしてくれた出会いは大きい。
やはりSLEになってよかった。
そんな風に思う今日この頃だ。

ウィザースプーン、おめでとう!!

2006-03-07 21:04:15 | ☆映画・ミュージカル☆
アカデミー賞主演女優賞に我が憧れのリース・ウィザースプーンが選ばれた。
なんという感動。
ちょうど「キューティーブロンド2」のDVDをいただいたところではないか。
なんて素敵。
しかもなんとリース・ウィザースプーンは身長157cmらしい!!
私と同じだ!!!!!
(そう、私を知っているみなさん、私は157.4cmもあるんです。
童顔と甲高い笑い声が背をちっさく見せているのです。
ピノコみたいにちっちゃく見えますが157cmもあるのです!!!!)
リース・ウィザースプーンとの共通点も見つかり、なんだか非常に嬉しくなった。
これはキューティーブロンド2を見なければならない。
ちょうど翻訳の課題提出もしたところで自分にご褒美だ。
というわけで早速いただいたDVDを見ることに。
それにしても、今頃にして「DVDってすごいなあ」と思ってしまった。
いつも映画はWOWOWや洋画劇場のビデオで見るので知らなかった。
まずしてしまったバカなこと。
このDVDは字幕か吹替かをチェックしてしまったのだ。
なんと、DVDというものは字幕なし、英語字幕、日本語字幕、吹替から選べるのか。
ものすごく感動した。
なんと英語の勉強ができるように構成されているのだ。
DVDを考えた人は本当にすごい。
頭の構造が違う。
いや、それも努力で勝ち得たものか。
とにかくDVDを発明した人に感謝だ。
それにしてもそんなに選択肢があったらどれで見たらいいのかかなり迷う。
迷った末、字幕なしを選んでみた。
ビデオならいつもテレビの下の方に別のビデオを並べて字幕を隠して見ていた。
この方法は下の方の画像が見れないという欠点がある。
それから比べるとDVDとはなんと素晴らしいものだ。

とにかく字幕なしという無謀な手段を選んだ私はキューティーブロンド2鑑賞を始めた。
ところが……
全然分からない
おかしい、キューティーブロンドの方は結構分かったのに。
2になると難しさ倍増か。
それとも私のリスニング力が急激に落ちたのか。
正直四分の一くらいしか分からなかった。
これは字幕ありで見直さねば。
まあいい。
ウィザースプーンに感化され「こんなおしゃれがしたい!!」とまた病気を治す意気込みがでてきたし、チワワがかわいすぎてメロメロドッキュンだったので楽しめたことは間違いない。
おまけに自分のリスニング力のなさを実感できたのでさらに勉強のモチベーションが上がった。
ウィザースプーン万歳
ピンク万歳
チワワ万歳

またもやいただいちゃいました☆

2006-03-06 22:31:24 | ☆日記・随筆☆
なんとまあ、本日また別の大学時代の先輩から本をいただいた。


果たして私に読めるだろうか……
少々萎縮してしまうが、敬愛する先輩からの贈り物なのでゆっくり時間をかけて読むことにしよう。
というか、読書慣れしていない私はそんな風に決心しなくても、本は時間をかけないと読めない。
昔に読書をあまりしなかったせいだ。
「翻訳家をめざすために必要な文章力は高校時代までの読書量にかかっている」という記事を見た。

見なかったことにしよう。
高校時代まで(大学時代を含めても)宿題以外で読書なんてしない。
小学校時代から遠距離電車通学だったくせに電車の中は勉強と決めていた。
電車の中で読書をしていたのは小4の受験勉強を始まるまでだ。
しかも推理小説だ。
ポアロだ。アガサだ。ホームズだ。
つまり昔読書をそんなにしていなかったわけだから現在私に文章力がないとしてもそれははっきりいって当然の結果なわけだ。
これから文章力をつけようと思っているのだから、これから読書をすればいいのだ。
高校時代までにたくさん本を読んだ人を超えれるように今から頑張ればいい。

ところで、一つ自己弁護をしておくと、読書をしなかったのは本が嫌いだからではない。
むしろ本は好きだ。
ただ読書の時間があったら勉強をしてテストで良い点をとって褒めてもらおうとする子どもだっただけだ。
褒めてもらうのが好きな子どもらしい子どもだったのだ。
と言いながらも今電車の中で昔の自分のようにテキストを広げ勉強している子どもに出会うと「勉強ばっかりしてかわいげのない子どもだなあ」と思ってしまう。
つまり、かわいげのない子どもの根底には褒めてもらいたいというかわいらしい部分があるということだ。

話がずれた。ずれすぎた。
とにかく先輩、ありがとうございます

そして先輩の温かな手紙。

素敵なポストカード。
先輩のポストカードはいつも本当に趣味がいい。
そしてあまりにも綺麗な字。
綺麗な字の手紙はもらうだけで心がなごむ。
まだまだ私は字の修行が足りない。

最近思うこと。

私からしてみたら先輩は本当に賢明で思慮深い方だ。
試験でも論文でも賢い頭でちょちょいのちょいといったイメージ。
でも本当は悩みに悩んで自分に自信が持てずそれでも立ち向かって頑張っておられる。

別の友人もそう。
私からしたら彼女はすべてのことが完璧で本当に賢くて高校時代から常に私の前を歩いていたような存在。
心の中で勝手に「お蝶夫人」と呼んでいた。
でも彼女が私のブログを見て言った。
「最近ちょっとでもいいからもう少し頭の回転が早くて優秀な人間に生まれたかったって涙ぐみながら思う日々だったんだけど、うちょの投稿を見て思わず笑っちゃった。「無力で無能」だなんてとんでもない!」
私からすれば完璧人間の貴方もそんなこと思ってるの!?
そうか、完璧に見える人も実は裏では努力してるもんなんだ。
彼女は今イギリスの院生。
私はただの難病患者。
どう考えてもレベルが違うような気がするけど、それでも同じこと悩んで生きているということになんだか嬉しくなった。

みんなみんな悩みながら生きている。
完璧で何でもそつなくこなしているように見えていても実はその影には努力がある。
そうか、私も頑張ればいいんだ。
私が先輩やイギリスの院生の友達をかなり尊敬しているように、私が努力して完璧な人間のように見せることができたら誰かから尊敬してもらえるかもしれない。
人から尊敬されるのはきっと気持ちがいいだろう。
淡い野望が心を渦巻く。
この新たな野望を実現させるためにさらに努力をしようと心に誓った。

それにしても、イギリスにいる友達までこのアホブログを見てくれているとは。
ニューヨークの後輩も見てくれていると言っていたので、アメリカからもアクセスがあるということだ。
ポコアポコもグローバル化が実現しようとしている。
素晴らしいことだ。

「アビエーター」を見逃した

2006-03-05 14:55:06 | ☆日記・随筆☆
WOWOWで「アビエーター」(字幕)をやる。
待ちに待った映画だ。
録画予約もばっちりだ。
見るのが楽しみだ。

私の家のビデオはケーブルテレビの録画に関して録画予約中にケーブルテレビ内でチャンネルを変えてしまうと別のチャンネルが録画されてしまう。
母にWOWOWを録画していると一言言っておけばよかった。
「アビエーター」の時間に母が「uchoちゃん、今アニメ三国志やっててむっちゃおもろいで~」と言ってきた。
アニメ三国志?
それってケーブルテレビ内のチャンネルっぽい。
「えっ……もしかしてチャンネル変えた?」
「えっ……もしかして何か録画してた?」
母がかたまる。
そして急いでWOWOWにチャンネルを変える。
「見てたん十分くらいやねん。大丈夫、大丈夫」
非常に焦りながら言い訳をする。
ちなみにあとでチェックしたら三十分はアニメ三国志になっていた。
「別にいいや。またWOWOWでやるやろ」
そういってあまり気にしてなかった。

そして今日。
WOWOWの番組表を見てみると、なんと三月はあと一回「アビエーター」吹替版しかしないようだ。
字幕版は昨日の一回だけだったらしい。
二ヶ国語版ならまだしも日本語吹替とはなかなか口惜しい。
今日WOWOWの番組表を見ながら、
「うわっ、アビエーター今月あと吹替しかないやん!!!」
と言ったところ、母は、
「ふっきかえ~るんぱっぱ~♪」
と歌いながら別の部屋へと逃げていった。

ひな祭り日記

2006-03-05 00:15:02 | ☆日記・随筆☆
♪明かりをつけましょ、ぼんぼりに~♪

昨日はひな祭り。

日本文化の伝統を大切にするucho家はもちろんおひな祭りを祝った。



もちろん食べ物も。



ちなみにこのちらし寿司。

食べると……

かわいいでしょ?
しかしひな祭り一日しか使えない。

それにしても母の携帯の写メールは写りが本当に悪い。
なぜかセピアのように黄色がかっている。
ちらし寿司もまずそうだ。
私は元からちらし寿司はあまり好きではない。
蛤のお吸い物は大好きだ。

さて、おひな祭りはいいが、おひなさまを片付けるのが大変だ。
今日私はおひなさまを片付けたので実はくたくたでブログの文章もオチをつける気にもなれない。
今日は本当にただの日記だ。

大体、母のおひなさまと私のおひなさまと二セットもあってそれだけで疲れた。
ところで母のおひなさま↓

これ半世紀もの。
なぜなら母が生まれたときに買ってもらって現在53歳だからだ。
半世紀もたっているのかとしまうときに一人で感慨深くなっていた。
半世紀以上前に作られたわりには私のより立派な飾りだったりする。
写真にはとってないが五人囃子や三人官女の顔立ちも私のと比べるとなかなか面白い。
そんなことを考えていると、母はいきなりおひなさまに向かって願をかけはじめた。
「おひなさま、uchoちゃんの病気が治りますように
今からしまわれる身のおひなさまにとって、そんな願をかけられても困る気がするが。

道具も一つ一つ箱にしまっていっていたら母の方の道具箱に「お嫁入り道具」と書かれていて不思議に思い母に尋ねると、なんとおひなさまというのは天皇家の結婚式の様子らしい。
多分これはかなりの常識なのだろうが、常識知らずの最近の若者の私はちっとも知らなかった。
私はやっぱり常識を知らないなあと思う反面、これで私の年齢詐称疑惑はなくなるはずだ。

ああ、眠い。
今日はかなり疲れた。
おひなさまの台を外の倉庫に入れたので久々に寒い中外に出た。
しかもただしまうだけでいいのに、母が扇風機の位置を変えたいと言い出し倉庫のものを全部だしてやりなおしたのだ。

そしてWOWOWでアビエーターをやるから録画予約したのに、母がそれを知らずアニメ三国志にチャンネルを変えたため録画に失敗したのだ。
それにショックを受けて、まあお風呂でも入るわと入ったらシャワーが壊れていて水風呂に入った。
おいおい、風邪ひくぞ。

もうなんだか眠くて何を書いているのかもよく分からない。
まあ、こんな日もあるさ♪
今日は細木数子の占いではあんまり良い日じゃないから、このくらいで済んだらもうけものだ。
昨日が良い日すぎたからいいのだ。
明日はまた良い日の気がする。
明日は日曜。サンデー。ドミンゴ。ディマンシェ。ドメニカ。ヴァスクリスェーニャ。
ラジオ講座がない曜日。
だが新聞に英語のクロスワードがある曜日。
だからなんだ。
そしてなんだこの文章は。
何が文章の練習だ。
ふっ、だめだ。眠い。
ステロイドよ、もうちょっと働いて眠くなくさせてくれていいのに。
思考能力の低下だ。
みなさん、おやすみなさい


やっぱり神様っているね☆

2006-03-03 17:37:52 | ☆日記・随筆☆
ひたすらビンボー秘話をブログに書いていたところ、親友の一人から電話をもらう。
「新聞の読者投稿欄に出してみたらいいと思うねん」
なるほど。
彼女も前に読者投稿欄に載って謝礼金三千円をもらったそうだ。
「三千円なら機種変できるかなと思って」
親友よ、ありがとう。
なんて友達思いなんだ

しかも新聞の読者投稿なら文章を書く練習になる。
文章能力を高めることが今の最大の課題の私にとっては素晴らしい練習だ。
もちろんこのブログも文章の練習のつもりだが、字数制限がないのと(このブログは一万字が限界だがそこまで書いたバカは私一人ではなかろうか)、関西人の気質かオチをつけようとしたりウケをねらったりしてしまうので、真面目な文章を字数制限つきで書くのは私にとってはうってつけの文章力練習だ。
新聞の読者投稿は400字以内。
400字がどのくらいか全然わからない。
文章を書きなれていない証拠だ。
手始めにブログの記事をまとめて新聞に投稿してみようと、最近の記事をワードにペーストして文字数を数えてみると……
2000文字!!!
というか2000を超えていた……。
みなさん、こんな長ったらしい記事を読んでくださってありがとうございます

こんな長い記事に付き合ってくださる読者のみなさんの根気のよさにびっくりだ。
そして自分の文章をまとめる能力のなさにがっくりだ。
これを400字になんてまとめられるのか?
とにかくズバッとカットしてみてもまだ1000。
も一つズバッとカットして800。
内容としてはもうカットはしたくないのだけど……。
でもあと半分もカットしなきゃいけない。
細かな言葉を少しずつ変えてカットもしてみた。
それでも600。
私って短い言葉で表現する能力がない?

友達にこれを教えてもらってよかった。
こんなに文章をまとめる能力がないことが発覚し、それを高める非常に良い練習方法だ。

そんなことを考えながらカットしまくりでやっと400文字以内におさめる。
400字って本当に短い。
これでは私のいいたいことはあまり伝わらない気がする。
まあ、一回目だし。
こんな風に400字の文章を書く練習をしていったら短くても自分のいいたいことがちゃんと書けるようになるかもしれない。
新たな勉強方法の出現に心までウキウキしてきた。

これが数日前の出来事。
そして今日○○新聞から電話が!!!
初めての投稿だったが採用されたらしい。
これは嬉しい
というか、謝礼金が三千円いただけるそうだ。
友達のコンサートに行ける!!!!
チケット代2000円に残り1000円で差し入れまで買えるではないか。
というか彼女の誕生日が近いのでその1000円は誕生日プレゼントに回せる!!!
ああ、こんな嬉しいことがあろうか。

昨日二千円に嘆いていたら、次の日に三千円がいただけるという電話。
まさに神様がプレゼントしてくれたとしか思えない
ああ、なんて幸せだ。
神様、ありがとう
そして新聞の読者投稿を教えてくれた友人よ、ありがとう

さらに今日よくよくボーダーフォンのHPを見てみると、機種変代二千円は毎月の携帯代からひかれるという話で、この無料キャンペーンは本当に0円で携帯が変えられそうだ。
しかも今日友人から「ずっと充電器につけていたら電気代がかかる」と言われ、もしかしたらそうかもと今頃になって気付いた。
それならタダだし機種変した方がずっと得だ。
とにかく機種変もできそうだ。

勉強の途中で新聞社から電話がかかってきて、あまりにも興奮して全く勉強に集中ができなくなった。
ああ、本当に嬉しい。
コンサートに行けることも、
文章力を上げる新しい勉強法が見つかったことも、
そんな素敵な助言をしてくれる友人がいることも。

そしてこのまとまりのない長ったらしい文章を読んでくださる読者の方々がいることも。

どこかの新聞の読者投稿欄の記事で「あれ? これuchoのブログで読んだことあるぞ」と思ったら、それは私です。
「無職」で載るのが悲しいけど、「無職」だから仕方がない。
(新聞社の人に「無職でよろしいですか?」と聞かれ「家事手伝い」にしてもらおうかと思ったけど、なんだか逃げてるみたいだからやめた)

ああ、またまたテンションが上がりまくっている
いい加減、勉強にもどろう。
あっ、またこの記事2000文字超えてる
本当にみなさん、いつも長すぎてすいません

無能な私

2006-03-03 01:10:29 | ☆日記・随筆☆
親友がコンサートを開催する。
何がなんでも行きたい。
遠いし時間帯も夜だし体力的には少々(結構?)きつい。
しかし幸いなことに病院に行く日が近い。
だからこのコンサートに行って体が壊れたとしても大丈夫だ。
対人恐怖症ではあるが親友に会わずに帰れば問題ない。
私が舞台上の彼女だけ見れたらいいのだ。

早速母に相談。
「○○のコンサートに行きたいんやけど」
「体、大丈夫? チケット代いくら?」
「二千円」
母の顔がくもる。
「……悪いけど払う余裕がないわ」

私のせいだ。
私が無職だから家計が苦しい。
すべて私のせいだ。
親友のコンサートなのに。
社会人になって初のコンサート。
親友の晴れ舞台。

行ってあげたい。
せっかくの舞台なのに。

結局お金がないのが直接的な理由であるにしろ、それは無職の私が原因で、無職なのは病気が原因。
結局病気の私が悪い。

働きたい。
外に出られなくなったから家でできる翻訳家をめざしているけど、無能だから翻訳の仕事をもらうためのトライアルにちっとも受からない。
トライアルに受からないから仕事がもらえない。
そう、私は病気なだけでなく無能なのだ。
頭が悪い。
バカだ。
だからこんなに勉強していても仕事がもらえない。
なんでこんなにバカに生まれたんだろう。
なんでこんなに無能なんだろう。
他の人のように歩けないだけでも他人より劣っているのに頭でも見掛けでも他人より劣る。
こんなに人より秀でるものがない人間もいるのだなと自分を客観的に見つめる。

これから毎日ごはんにおかずいらないから食事を削ってコンサートに行かせてと言いたいが無職の私にそんな権利はやはりない。
情けない。
最近二千円に左右される毎日だ。
だが携帯の機種変は自分のことだからかなりどうでもいいがこれは親友のことなので違う。
親友に何もしてあげれない自分がかなしすぎる。
しかもコンサートのハガキに一言も「来てね」と書いてない。
病気の私の負担とならないように配慮が見られる。
そんな親友のやさしさがさらに私の胸に突き刺さる。
こんな優しい親友のコンサートにも行ってあげられないのか。
ひたすら己を責め自分の無力さを嘆く。

今日は別の友人の誕生日。
彼女にも安いプレゼントしかあげられなかった。
私が無職だからだ。
そして無力だからだ。
バカすぎるからだ。

大量のプレゼントに浮かれていたら、こんな自分の無能さを実感する出来事が起こってしまった。
気にせず寝ようとするがあまりにも自分が情けなく無能なことに泣けてきて寝られない。
と言いながらも寝られないのはただのステロイドの副作用の可能性が高いのは否めない。

親友に何もしてあげられない自分。
他人から施しをうけるばかりで自分から人に何もしてあげられない。
そんな自分の姿を目の当たりにした出来事だった。

まあ、無能であることを実感してるだけなら前にすすまないので、無能を有能に変えるべく明日も勉強すると思うので、心配はご無用だ。
多分明日はまたケロッとして勉強してるはずだ。
落ち込むのが嫌いだから。
これは自分に甘い証拠だ。
しかし甘くていいのだ。
これがエゴイズムだ。

親友よ。
もしこのブログ見てたら本当にごめんね。
無力で無能な私を許して。
なんだか親友というのもおこがましい気がしてきた。
とにかくごめんなさい。

あ~あ、天からお金が降ってきたらいいのに☆
そしたらコンサートにも行って友達の誕生日プレゼントももっと高い良いものあげるのに。
こんな他人任せの甘い心を持ってるから天は私に他人より秀でたモノを与えなかったのか。

オペラ座の怪人

2006-03-01 00:55:07 | ☆映画・ミュージカル☆
【あらすじ】
 19世紀のパリ。オペラ座では、連日華やかなショーが繰り広げられる一方、怪人ファントムによる事件が連発していた。若く美しいクリスティーヌは、謎の師「音楽の天使」からレッスンを受け、やがてオペラ座のプリマへと成長する。クリスティーヌの幼なじみ、ラウルは、彼女の輝きに惹かれ愛を告白するが、「音楽の天使」ファントムはクリスティーヌを地下洞窟へ案内し、自分と共に生きるよう願い出た。しかし、クリスティーヌがファントムの素顔を知ったことから、運命は悲劇へと向かい始める……。

【情報】
監督 ジョエル・シュマッカー
製作・作曲 アンドリュー・ロイド・ウェバー

出演

ジェラルド・バトラー
エミー・ロッサム
パトリック・ウィルソン

【所感】
 ミュージカル構成の作品。また作品のテーマも歌なので他のミュージカル作品より「歌」が重要性を占めている。ミュージカル作品を映画にしてしまうことにより迫力が落ちるとの懸念があるが、映画でしかできない映像をたくみに使った技が作品に組み込まれており、舞台より落ちるとはいえない。さらに映画独自のエピソードまでつけて、舞台とは違う「オペラ座の怪人」の魅力を存分に発揮している。ミュージカルを映画にすると批判的な意見が出てきてしまうが、この作品に関してはそれを十分に考慮し、ミュージカル初心者でも受け入れやすい構成になっている。また微妙なファントムの心理の描写が分かりやすく、そういう面では舞台より内容が理解されやすいといえるだろう。また舞台でできない白黒の演出などは見事である。舞台では見分けのつきにくい時間の変化が映画だと表現できるというのがこの作品で証明された。セットや衣装に関しても舞台にひけをとらないものを使用しておりあまりにも有名な名作を映画化することに対する意気込みが感じられる。