KEEP ON SMILING!

治らぬなら
治してみせよう
SLE
※SLEとはステキなレディーがなるエレガントな病気である。

冬の日傘

2006-03-26 22:48:06 | ☆日記・随筆☆
私は冬でも堂々と日傘をさす。

「病気で日光ダメだもんね、仕方ないよ」
と言われたりするのだが、残念ながら病気になる前から冬でも日傘はさしている。

正直、冬に日傘が恥ずかしいという感覚がないのだ。
周りの視線に鈍感すぎるという意見もあるだろうが、私だって敏感なところは持ち合わせている。
敏感肌なのだ。

だがここで考えてみてほしい。
すらっと背の高い細くて美人で見るからにモデルのオーラを出している人が冬に日傘をさしていて変に思うだろうか。
まず思わないだろう。
職業柄、日焼けをすることは許されないわけだし、その色白美人を保つには日傘は必須アイテムだと誰もが思うからだ。
つまり、モデルのような人なら大丈夫なわけだ。
私だってモデルと大差はない。
身長の高さと容姿と足の長さ・細さと体の細さ、体重くらいしか違いはない。
性別、国籍、話す言語に関しては一緒だ。
さらに目や耳や鼻の数、手足の数まで同じだ。
だから道行く人が私のことをモデルと見る可能性だってある(世の中には目の悪い人、モデルが何かよく知らない人だっている)。
つまり何の恥じらいももつ必要はないのだ。

このような理由から日傘は冬でも私の必須アイテムとなっている。
おかげで「美白の女王」は健在だ。
(「美白の女王」とは昔私がブログに書いた、SLEになることにより鈴木その子も中島香里も凌ぐ「美白の女王」になれるという多くの人が忘れさってしまっている記事だ。私のブログは内容の意味のなさにかけては天下一品なので読んだ人の多くが内容を忘れてしまうという利点がある)
こんなに色白になったのに誰にも自慢できないのが悲しい。
そして色白くらいしか自慢できるものがない自分が悲しい。
さらに昨日WOWOWで三谷幸喜の舞台をやっていたのにビデオが壊れて撮れなくて悲しい。

ふと気付いたがずっと自宅療養の私は今は冬の気がしていたが三月も終わりに近づき今は季節で言ったら春なのではないだろうか。
どうも自宅療養だと自分の中に季節感がない。
歩けるようにもなったことだし今年は花見でも行ってみるか。
だが未だにひざかけ三枚は手離せない。
まだまだ寒い。
早くもっとあったかくなってほしい。
あったかくね。あたたかくじゃなく。

手紙

2006-03-26 22:09:20 | ☆日記・随筆☆
手紙。

一応注意しておくがこれは手でできた紙をさすのではない。
そんな残酷なものについて、いたいけな乙女の私がブログで記事にするわけはない。

さらに注意しておくが手の形をした紙のことでもない。
それはあったら面白いが、指のところが字が書けないので不経済である。

そして中国語でのトイレットペーパーという意味でもない。
私は上品な乙女なのでそんなことを記事にしたりはしないし、私は中国語がしゃべれない。

と、ここまで書くと手紙という言葉の由来が知りたくなったので調べた。

手紙は、本来、「常に手元に置いて使う紙」「半切り紙」を意味した。
「書簡」の意味で「手紙」が用いられるのは近世初期以降で、それ以前は学問などでは「文(ふみ)」、動静や様子を知らせる書状は「消息」の語が用いられた。
手紙が「手元に置いて使う紙」の意味から「書簡」の意味に転じた理由は、「手」が「筆跡」や「文書」の意味でも用いられていたことに由来するか、意味が転じた当初、手紙は「簡略な書きつけ」を指しているため、手元に置いてある紙を用いたことに由来すると考えられる。

らしい。
またこうやって脱線していくから記事が長くなってしまう。
世の中にはよくこういう風に話がどんどんずれていって永遠に話し続けるおしゃべりではた迷惑な人がいる。
私のことだ。

さてやっと本題。

新聞で高校生の作文コンクール優秀作品を読んだ。
高校生なのにやはり優秀賞をとるだけあってうまく出来た作文だった。

その中に、「親の期待にこたえるため休み時間や放課後の時間全てを勉強に費やし、おかげで良い成績が取れたが友達を失った」という内容の文章があった。

そういえば学生時代、休み時間は私も勉強していたなあと思い出す。
昼休みもよく図書館に行って勉強していた記憶がある。
通学の電車の中も勉強。
とにかく寸暇を惜しんで勉強していた。
ということは私も友人を失っていたのか?
私は友達のいない学生生活を過ごしていたのか?
そんな記憶はない。
今でも学生時代からの多くの友人と交流があるし、そのほとんどがマザーテレサのような心を持って私に奉仕してくれている。
その作文を書いた彼女によれば、休み時間を勉強に費やすことが友達を失う原因としているがそれは少し納得がいかない。
自分が友達を大事にする気持ちがあるかどうかで結果は違ってくると思う。
私は休み時間は勉強していたが、授業中は友達に手紙ばかり書いていた。
授業はかっこいい先生の授業だけを聞くことをポリシーとしていたのだ。
授業中はノートよりレターセットを広げていた(ちなみに私以外にも、ノートより漫画、ノートより雑誌、ノートよりお弁当、ノートよりパン、ノートよりジュース、ノートより牛乳、ノートよりコーラ、ノートよりヤクルトの生徒もいたので、私だけが特別悪いことをしていたわけではない)。
とにかく、私はガリ勉に見えて実は授業を全く聞かない生徒だった。
真面目に見えて不真面目なのだ。
だがひねくれ者の私は「授業より友達との人間関係を築くことがはるかに大事なことだ」と授業を聞かない自分を正当化していた。

だが正直手紙で築けた人間関係は大きいと思う。
メールが連絡手段の主流になった今でも、やはり手紙がなせる人間関係構築力はメールにまさるものがある。

翻訳家をめざすにあたって自分の文章力のなさに落ち込み今までの読書量の少なさに自分に自信を失ったりしていたが、よく考えたら今までの手紙を書いた量は誇れるものがあるのではないかと思う。
今まで手紙という形で文章はたくさん書いていたということが判明した。
と、また自意識過剰なプラス志向が働き始めてしまった。
ただし、ucho語(さんきゅりんぐ♪、もっしんぐ♪などに代表される、現代の若者を象徴した愚かな女子高生言葉。ただし、現代の若者を象徴すると書いたが、現代の若者でこの言葉を使うのは私のみである)で書かれた大量の手紙が私の文章力を上げているのかどうかは最大の謎である。

泣いたり、笑ったり。

2006-03-26 21:07:07 | ☆日記・随筆☆
朝五時頃、号泣して目が覚める。
びっくりするくらい泣いている。
こんなに泣いたのはセカチューを見て以来だ。

理由ははっきりしている。
これはWBCで日本が世界一になった感動の涙でもなければ、この前近所のおばちゃんに「太ったね」と言われたショックの涙でもない。
はたまた花粉症による涙でもなければ、目にホコリ、ゴミ、ダニ、ミトコンドリア、ミジンコなどの異物が入ったのでもない。

嫌な夢を見たのだ。
仲間はずれにされる夢。
しかも全然知らない人たちと林間学校みたいなイベントに参加して村八分にされるのだ。
と、今文章にしてしまうとなんてことないことだが、私の中ではあまりにも辛かった。
多分今までいじめられた経験がないという幸せな人生を歩んでいるため(私の覚えている限り。嫌なことはすぐ忘れるたちだ)、このくらいで私のガラスのようなハートは深く傷ついてしまうのだ。

とにかくあまりの悲しさに目が覚めたら本当に泣いていてびっくりした。
夢でも本当に涙というのは出るものだという新しい発見をした。
日々いろいろな発見がある。
どうやら私がノーベル賞、ピューリッツァー賞、芥川賞、直木賞、アカデミー賞、皆勤賞をとる日は近いようだ。

だが目覚めが悪いなあと思いながらもう寝られなかったし、寝ても夢の続きを見たらいやなので朝はそのまま起きた。
だが昼間に眠気が襲ってきて久々に昼寝をした。

すると面白い夢を見た。
面白くて、面白くて、大笑いして、笑いすぎで目が覚めた。
夢を見ていても、本当に笑うものだという発見をした。
と思ったが入院中に昼寝をしていて起きたら、横のおばさんに「えらい楽しい夢見てたんやね。めっちゃ笑ってたよ」と言われたことを思い出した。
UKONくんの夢を見ていたのだ。