KEEP ON SMILING!

治らぬなら
治してみせよう
SLE
※SLEとはステキなレディーがなるエレガントな病気である。

夏目漱石「こころ」

2006-02-27 23:15:14 | ☆本☆
【あらすじ】
「先生と私」
 私は偶然出会った先生に何か惹かれるものを感じ懇意となった。たびたび先生の宅に遊びにいくようになり、奥さんとも親しくなった。しかし先生には秘密がある。毎月誰かの墓参りに行くのだが、詳細を尋ねても先生は何も答えない。奥さんも何も知らないという。また、先生は自分を含め人間というものを信じない人だった。それは過去に何かあってのことだ。それと先生の毎月行う墓参りに関係があるのかどうか私は思いあぐねていた。
「両親と私」
 私の父は慢性の腎臓病を患っていた。それが悪化し、私は実家へ帰ることとなった。実家では大学卒業しても就職しない私に母が先生に就職先を斡旋してもらえないか手紙を書くことを提案する。父の生きている間に就職を決めてほしかったのだ。私は仕方なしに先生に手紙を書くも、なかなか返事はこなかった。父の病状は明治天皇崩御をきっかけにさらに悪くなっていき、昏睡状態にまでなった。そんな中、先生から「会いたいから東京にこれないか」という電報がくる。父の状態を考えると東京にいくことのできない私は断りの電報と手紙を先生の元へ送る。すると、非常に長い手紙が届く。私はその手紙の最後の「この手紙があなたの手に落ちるころには、私はもうこの世にはいないでしょう」という言葉に思わず家を飛び出し、東京行きの列車に飛び乗った。
「先生と遺書」
 先生から私宛ての手紙。先生の過去が打ち明けられている。
 先生は両親を若いときに亡くし、伯父に育てられた。しかし実は伯父は先生をだましていたことを知り、人間不信となる。
 また、先生は下宿させてもらっているところの奥さんとお嬢さんと懇意になり、お嬢さんに淡い恋心を抱いていた。
 ある日、子ども時代からの友人Kを自分の下宿に住まわすことにした。Kははじめは無愛想だったが、だんだん奥さんやお嬢さんとも親しくなっていった。先生はそんなKに嫉妬心を抱くようになった。そんな時、Kからのお嬢さんへの恋の相談を受ける。先生はいたく動揺し、自分の気持ちをKに打ち明けようか迷うが結局できなかった。先生が最終的にとった手段は自分が先に結婚の申し込みをすることだった。そして、奥さんに「お嬢さんをぼくにください」と言い、承諾を受ける。Kは奥さんからそのことを聞き、通常の態度でそれを受け止め、自殺した。先生に対する責めなどは一切なく死んでいった。
 先生は自分がKを殺したという罪悪感にさいなまれながら今まで生きてきた。お嬢さんは自分の妻となったが、彼女にもこのことは打ち明けられない。そしてとうとう自殺する決心をしたのだった。

【情報】
『こころ』は、夏目漱石の代表的な小説。1914年(大正3年)4月20日から8月11日まで朝日新聞で『心 先生の遺書』として連載され、後に『こゝろ』に改題された。連載終了後、岩波書店より刊行された。

登場人物「私」と「先生」を軸に話は進み、人間の自我について探求する。

2005年現在、新潮文庫(新潮社)収録の夏目漱石作品で最大のベストセラーである。岩波文庫(岩波書店)収録の夏目漱石作品では第2位の売上。

【所感】
 人間のエゴイズムを描いた作品。この物語は三人の自殺する人間が登場するが、自殺の原因を明確には記述せず、読者に解釈の余裕を与えている。また人間の心理描写の見事な作品であるところも読者にいろいろ想像させ作品の中に引き込んでいく要因のひとつだ。人間の自我についてありのままを描いているので、読者の年齢層としては他作品に比べ、少し限定される。内容については賛否両論なのは否めない。登場人物それぞれの自我が描写されているため、どの人物に焦点をあててこの作品をとらえるかでもかなり違った見方のできる作品である。

フィギュア観戦

2006-02-24 09:56:13 | ☆日記・随筆☆
午前四時半起床。
これは通常通りの時間。
目覚ましなしでもこんな時間に目が覚めてしまう。
私は年寄りか。
昨日は午前二時半起床だった。
昨日よりはよく寝れてよかったと起床時の薬を飲む。
もしかしてフィギュアやっているんじゃないかとふとテレビをつけた。
やはりやっていた。
しかもちょうど午前五時過ぎから安藤美姫という。
我ながらいい時間に起きたものだ。
そんなにオリンピック熱のない私としては別にあとからたくさんやるだろうから生中継で見ようとは全然思っていなかったが、思わぬタイミングにめぐまれたものだ。
朝から少しラッキーな気分になる。
そうだ、ビデオにも録画しよう。
スルツカヤを撮っておきたい。
私がスポーツをビデオに撮ろうと思うなんて24年間の人生で初の試みだ。
どうやらかなりスルツカヤの闘病秘話にやられてしまったらしい。
もしかしたら安藤美姫も4回転を成功させるかもしれないから、五時過ぎのグループから全部ビデオに撮っておこう。
古いビデオのスイッチを押す。
朝ごはんも安藤美姫の前の選手の演技のときに作り終わり、ちゃんとごはんを食べながら安藤選手の演技を見れる体制を整えた。
完璧だ。

ミキティ、残念だったね。
でもピアスが可愛かった。
ピアスなんかに注目している私はやはりひねくれ者か。
ミキティはたくさんアクセサリーをつけているね。
アクセサリーをじゃらじゃらつける人は寂しがりなんだって。
私もアクセサリーをじゃらじゃらつける。
きっと寂しがり屋さんなんだ。
ミキティとの共通点を見つけた。
やったあ。

そして荒川選手。
スルツカヤを応援すると言いつつも、荒川選手の演技に感動してしまった。
素晴らしすぎる。
演技が終わった瞬間、涙が出た。
涙を流したのはいつぶりだろう。
あっ、有頂天ホテルで笑い泣きしたときだ。
最近だった。失礼。
いや、感動の涙は久しぶりのはずだ。
それにしてもこれで同い年か。
なんて素敵なんだ。
ああ、金メダルおめでとう。

村主選手の演技も個人的には綺麗だし失敗もなくよかったと思った。
フィギュアに関してはズブの素人なのでこけてなかったら何でもうまく見える。
そんなもんだ。
だから村主選手もすごい演技だと思った。
彼女は荒川選手より一つ年上。
つまり私より一つ年上。
私と年齢を比べることに意味はない。
フィギュアには年は関係ないなあと実感する。
個人的見解だが、若い方が体が軽そうで有利な気もする。
才能が物を言うのか。
それとも努力のちがいか。
運のちがいか。
いや、体型や性格、運など持って生まれたどうしようもないものをどれだけうまく利用するかだ。
そうだ、自分をどれだけ研究して不利な点を有利にかえるかだ。
荒川選手はそれに成功したから金メダルがとれたのだ。
そんな気がする。

そして我らが(?)スルツカヤの番。
こけてしまった。
ああ、残念だ。
しかしきっとあの時点で喜んだ日本国民は多いはずだ。
スルツカヤファンとしては非常に残念だったが、私は彼女の後の態度に感動した。
点数が出たときの彼女の表情。
ああ残念と悔しそうな顔を見せた後、でも仕方ないといった感じで笑顔を見せる。
その後の表彰台でも笑顔を絶やさなかった。
ロシアは他の種目で金ばかりとっていたので、プレッシャーは想像を絶するものだっただろうし、金でなく銅ということで本人としてもロシア国民としてもかなり残念だったはずだ。
それがしっかり自分の結果を受け止めて笑顔でいるその姿勢が本当に素晴らしい。
コーエンなんて点数がでたときかなりうつむき加減で暗い表情をしていた。
普通はそうなるものだ。
自分の結果を素直に笑顔で受け止めるスルツカヤの姿勢は見習いたいものだ。

フィギュアスケートを観戦して学んだ。
自分の持って生まれた短所や長所をしっかり見極め、短所を克服し長所をのばすことが成功の秘訣だ。
自分をしっかり知ることが大事なのだ。
そして自分の出した結果を素直に受け止めること。
「あのときは調子が悪かった」や「私は病気だから」なんて単なる言い訳。
調子が悪かろうが病気だろうが自分が出した結果なのだから。

病気だからこそ、病気を知ったからこそ他の人よりできることがある気がする。
病気であることを自分の不利な点になんてしない。
病気を有利な点にかえてやる。
そんな思いが強くなった。

物事には幸不幸がない、それを決めるのは自分自身だ。
私の好きな言葉。(もちろん「エースをねらえ」より)
私が病気になったのも一見マイナスに見えるがプラスに変えることはできるはずだ。
病気になって仕事をやめさせられてこんなにたくさん勉強の時間を与えられた。
この与えられた時間を最大限有効に使っていこう。
そう考えると病人であることは有利だ。
さて、勉強のモチベーションが上がってきたからまた勉強に戻ることにしよう。


頑張れ、スルツカヤ!

2006-02-23 05:09:58 | ☆日記・随筆☆
日本中がトリノに熱狂し、フィギュアスケートの日本代表選手三人の活躍を期待する中、私は一人でロシアのスルツカヤ選手を応援している。
愛国心のかたまりのみなさん、ごめんなさい。

私は元々スポーツに興味がない上、冬季五輪だってフィギュアスケートしか見る気が起きないような愛国心のない女だ。
母もそうだ。
だから二人がトリノのニュースを見たときの会話。

「寒そうやな」
「うん、雪ちべたそう(つめたそう)」

そして選手が失敗して転倒したりすると、

「いたたたたたた」
「あれは痛い」
「絶対やりたくないね」

こんな冷めた会話だ。
日本人として失格親子だ。

しかぁーーし!!!!

親子してスルツカヤ選手は心から応援しているのだ。
もちろん私がロシア語を学んでいるからではない。
それを言うなら母はシベリア抑留のイメージがいまだ抜けておらずロシアという国をあまり好きではない。
それでもスルツカヤ選手は応援しなければならない。

もちろん、元からファンだったわけではない。
私だってはじめは日本選手三人を応援していたのだ。
そしてライバルのロシアのスルツカヤ選手を見て、
「ロシア人って体やわらかいよなあ」なんて単純な感想くらいしかもっていなかった。

しかし、衝撃の事実が発覚した。

なんとスルツカヤ選手は難病患者だったのだ。
病気の母、家族の生活支え「金」挑む(イリーナ・スルツカヤ)
どうやら彼女の病気は壊死性血管炎。
自己免疫疾患。
膠原病。
自己免疫疾患ってSLEと一緒じゃないか。
症状も記事を見る限り、やはり似ている。
その事実を知って、いろいろな記事を読んでみたが、「体が動かなくなり、トイレに這っていった」などと闘病の記録があり、全く同じ経験をした私としてはスルツカヤに何か同じものを感じざるをえない。
そして今のスルツカヤのすべりを見る。
全く病気を感じさせない素晴らしい演技。
感動だ。
自分の病気だけでなく、お母さんも病気で看病をしなければならないのだからさらに大変だ。
自分は病気であっても、元気なお母さんをブログでけなす親不孝な私よりずっとえらい。

ああ、病気であってもあんなに美しく舞えるものか。
病気がなんだ。
私も病気の活動性がおさまれば、あのようになれるのか。
でも氷がちべたそうなのでフィギュアスケートはやりたくない。
別に誰も私に頼まないだろうが。
また話がずれた。
とにかくスルツカヤの頑張りに感慨無量だ。
彼女を励みに私も病気を克服することにしよう。
というわけで、日本国民のみなさんには悪いが私はスルツカヤに金、日本選手二人に銀、銅をとってもらうことを願っている。
メダルが取れず、フィギュアに期待をかけている国民が多い中でいささか気がひけるが、スルツカヤに感動してしまったのでもうこの気持ちはおさまらない。

さあ、私の闘病を応援してくれているみなさん、どうぞスルツカヤも応援してください。


母と梅田へ

2006-02-20 22:30:52 | ☆日記・随筆☆
昨日の夜、友達から久々に電話がかかってくる。
最近よく友達から電話があるなあ。
もしかして人気者!? なんて自意識過剰な気持ちが芽生えてくる。
だがすべて女友達だ。
どうやら女にはもてるらしい。

友達は仕事に疲れていた。
疲れ果てていた。
まさに「疲労困憊(こんぱい)」という言葉がぴったりだ。

彼女は超有名企業のキャリアウーマン。
帰国子女でなくとも英語は堪能、頭の回転も速く、論理的に物を話す。
それでいてちっとも鼻につくところがなく、すばらしい尊敬している友人の一人だ。
弱音なんて全然はかない。
そんな彼女が昨日は本当に疲れて声に全然元気がなかったのだ。
今までの三倍以上の仕事を任されて毎日帰りが遅くふらふらの状態らしい。
多分彼女はかなり優秀なので、そんなに大量の仕事を任されたのだと思うが、今までさまざまなことをそつなくこなす姿しか見たことない私はかなりびっくりしてしまった。
彼女が音をあげるほどの仕事量というのは想像を絶する。
そして彼女のことがすごく心配になった。

大丈夫なのかなあ……。

明らかに難病患者の私よりずっとずっと元気がない。
かわいそうに。
ひたすら「癒されたい」ばかり言っている。
本当だ、彼女には癒しが足りない。
どうしたら癒されるだろう。
私には何かできないだろうか。

そしてふと思いたった。
彼女は誕生日が近い。
何か癒しグッズをプレゼントしよう。
よし、病院の帰りに梅田に寄って探してみよう。

「病院の帰りにちょっと梅田寄って友達の誕生日プレゼント見てくるわ~」
と母に言うと、
「おかあちゃんも行く~」
と言い出した。
まあ、別に来てもかまわないが。
というわけで、今日は病院帰りに母と梅田に向かうこととなった。

今日の天気はやはり雨。
さすが雨女の母だ。
日光を避けなければならない私にとっては都合のいい女だ。

友達のプレゼントを探していて一番強く感じたこと。

無職はつらい~

ああ、お金があったらこれをあげたい。
もっとお金があったらこれをあげるのに。

私が何回これを思っただろう。
無職なこと、自分にお金がないことが一番辛く感じる瞬間だ。

アロマの匂いでリラックスできる枕とかをあげたかった。
それかリラックスのできる音楽のCD。
どちらもかなりの予算オーバー。
ごめんよ、本当に。
無職で無力な私を許して。
結局予算内の安い癒しグッズを購入した。
なんだか無念な思いでいっぱいだった。

目的の物を購入したところで母が言う。
「おかあちゃん、お茶したい」
はいはい。買い物付き合ってもらったんだからいいですよ。
そこで近くの喫茶店に入ろうとする。
外のショーウィンドウでケーキセットを見つけ、母が言う。
「うわー最近のケーキセットは750円もするの!!」
「お母さん、ケーキセット750円は安い方ちゃうか。おしゃれなカフェならもっとすんで」
しかし、そんなえらそうなことを言ってはみたものの、ucho家には750円のケーキセットを二人分も頼む余裕はなかった。
ucho家も落ちぶれたものだ。
私としてはそこまでケーキセットを食べたいわけでもなかったので別に喫茶店に入らなくてもよかったのだが、母がどうしても食べたいということで二人で750円のケーキセットを分けることにした。
貧乏の極地だ。
そして自分の家が貧乏なことをネットで公表してしまっている私はアホだ。
だが、ケーキは常温だったが極度な知覚過敏の私は常温のものがしみるのでほとんど母が食べ、ケーキセットの紅茶があったかいので紅茶は全部私が飲んだ。
母は自分用の飲み物にクリームソーダまで注文していた。
本当に予算がなかったのかクリームソーダとケーキを食べようとする母の策略だったのかいささか疑問をもたずにはいられない。

ケーキセットを食べたあとは紀伊国屋へと向かった。
まっすぐ洋書のコーナーへ。
紀伊国屋の洋書のコーナーは充実している。

NANAの英語版を発見した。
NANAのドイツ語版も発見した。
そして、私は悔しがった。
なぜドイツ語? 
私が手をつけていない言語じゃないか。
しゃべることはできなくてもフランス語やスペイン語だったら知っている単語を見つける喜びを感じることができるのに、ドイツ語では歯がたたない。

気をとりなおして多言語のコーナーへ。
スペイン語の本が一番上に並べてあり、背の低い私には到底届かない。
ぱらぱらと中身が見たいだけなので、店員さんに言ってとってもらうわけにもいかず、ただただタイトルを見つめていた。
私より背が低くさらに役に立たない母は、多言語どころか英語も分からないため変にうろうろしていた。
ちょこまかと動く姿は何か小動物のようだ。
しかし私もよく小動物のようだと友達に言われるので似たもの親子なのかもしれない。
おかしなところで血のつながりを感じた瞬間だ。

その後英語のペーパーバックで面白そうなものを見つけ、欲望と葛藤しながら店をあとにした。
家に帰るともう暗かった。
さすがに疲れた。
今日はよく寝て明日からプレドニンとプレディニンに守られて生きていこう。
さあ、また明日から勉強頑張ることにしよう


免疫抑制剤とご対面★

2006-02-20 21:25:05 | ☆健康☆
今日私が一番口惜しかったこと。
それはダンディアンがえらく大きなマスクをしていたことだ。
ほとんど顔が隠れた状態。
それではいつものダンディーさが半減だ。
診察室に入って、何よりもその大きなマスクにショックを受けた。
だからハゲを見せるのを忘れてしまった。
やはりやってしまった。
予想通りだ。

今日先生が何回も私に言ってくれた言葉がある。
約十分の診察で三回も。

「好きだ」という愛の告白。

じゃなくて、

「病気の活動性が高い」

だそーです。

三分に一回も「病気の活動性が高い」と言われてしまった。
先生、そこまで念を押さなくても……。

でも、そう言われてふと気付く。
私はとても元気な気でいたが(実際元気)、普通の健康な人の元気じゃない。
ステロイドという薬によって体が元気なだけだ。
もしステロイドを飲んでいなかったら、病気の活動性が高いわけだからきっと体は全く動かず寝たきりで体の痛さに悲鳴をあげているかもしれない。
髪だってハゲとはいえ今はまだ残っているが、増毛作用のあるステロイドを飲んでいなかったら、つんつるてんになっているかもしれない。
今私は病気の活動性が高いんだ。
体は元気なわけじゃない(心はとても元気だが)。
もっとそこを理解しなければだめだ。

免疫抑制剤の話になる。

「uchoさんの活動性を考えると、免疫抑制剤を使わないともう活動性を下げることができないと思う。でもどうしてもいやならやめておくけど」

「もうステロイド多いのがいやです」と正直に答える。

「そうだね、病気の活動性とステロイドの量を考えると今でも出産は無理だしね。
ただ、uchoさんの病気の活動性を考えると免疫抑制剤も長期的に使わなきゃいけないと思う」

別にもう子どもも欲しいとはちっとも思わなくなってるし、そもそも全く結婚願望がなくなっているからかまわないのだが。
それより免疫抑制剤の他の副作用が気になる。

「先生、免疫抑制剤の妊娠のこと以外の副作用ってありますか?」

「使おうと思っているのはプレディニンという薬でね。妊娠のことに関しても数ヶ月の休薬期間をおけば可能といわれてはいる薬だけど、uchoさんの活動性を考えると切りにくいとは思う。他の副作用はぼくが診てきた中ではあまり聞いたことがない」

プレディニン!!!
聞いたことがある。
ブログをリンクさせてもらっているはまるりさんが以前使っていた薬だ。
はまるりさんは今もう飲んでいない。
ということはステロイドと違ってすぐにやめたりできる薬ということだ。
そうか、ダンディアン先生の言っている意味がやっと分かった。
薬が切れにくいのではなく、私の病気の活動性が高くて免疫抑制剤を使わずに活動性を下げることができないから薬を切るのが難しいだろうということだ。
つまり、病気の活動性を下げればいいのだ。
というか、よく考えれば完治させる気満々なのでいつか薬もなくなるだろう。
ステロイドだってゼロにする気満々だ。
免疫抑制剤が聞いたことのある薬だったのでだんだん気分が晴れやかになっていった。
それどころか完治への妄想が私を支配してきてしまった。
ブログを作ってよかった。
ブログを作ったからはまるりさんと出会い、プレディニンを知った。
そして今頃になってやっと先生の言う意味が分かって心も晴れやかだ。
はまるりさんに感謝だ。
ブログを作るきっかけを与えてくれたUKONくんに感謝だ。
このブログに訪れて私の体を心配してくださるみなさんに感謝だ。
そしてダンディアンのやさしさとかっこよさに感謝だ。

ずっとパソコンの画面を見続けていたダンディアンがこちらの方を向く。
唯一大きなマスクから隠れていない切れ長な目で私を見つめる。

「じゃあ、免疫抑制剤はじめてみましょうか?」

ああ、やはりかっこいい。
そんなに見つめられたらメロメロドッキュンだ。

因みに私は切れ長な目が好きだ。
濃い顔はだめだ。
男の人で目がぱっちりは無理だ。
男の人で自分より目が大きかったり、まつ毛が長かったりしたらさらにイヤだ。
妻夫木聡や平井堅より仲村トオルや田辺誠一がいい。
と私の趣味をここで主張する意味は全くない。

閑話休題。
というわけで、免疫抑制剤プレディニンを明日から服用だ。

因みになぜプレディニンを覚えていたかというと、プレドニンと名前が似ているためだ。
プレドニンとは、SLE患者には常識だが、ステロイドの薬の名前である。

見かけは似ていないが、なぜこんなに名前が似ているんだ。
プレドニンとプレディニン。
プレディニンとプレドニン。
これから私はプレドニンとプレディニンにお世話になるのだ。
それに加えてステロイドの副作用を止める薬もろもろ。
それにしてもなんだか響きが気にいった。
プレドニンとプレディニン、プレドニンとプレディニン……

ucho母は今日もゆく

2006-02-14 13:13:16 | ☆日記・随筆☆
ucho家はマンション住まい。
マンションのエレベーターで他の人と一緒になったら先にのっていた方が「何階ですか?」とボタンを押す。

今日のucho母。
母がエレベーターにのるとあとから荷物をもって入ってきた人が。
これは「何階ですか?」と聞かねばならない。
そして母の言った言葉。

「何チャンネルですか?」

一瞬空気が止まり、その荷物を持った人は「10階です」と普通に答えたそうだ。
ああ、その現場を見たかった。
そして母はテレビの見すぎだ。(ケーブルテレビのSF海外ドラマを日本語でずっと見ている。やはり宇宙が好きならしい)

勉強の途中だったが、母からその話を聞き思わずふきだしてしまったのでちょっとブログに書き記しておくことにした。
あー愉快
つくづく面白い母をもったものだ。
さあ、勉強に戻ろう。

音感と語学感

2006-02-13 23:34:54 | ☆語学☆
去年の今頃友達と「オペラ座の怪人」の映画を見た。
そしてSLEを再燃させ入院した。
そんな去年の日記を読んで、ふと「オペラ座の怪人」のサントラを聞いてみる。
聞いていると、歌わずにはいられなくなる。
久しぶりに歌ってみよう。
さあ、私はクリスティーン♪
久々に歌ってみたら、いかつい歌声に変わりはない。
こんなに何回も入院し、すっかり腹筋のなくなった今、全然歌声に衰えがないということは大学時代の舞台にたっていたときから腹筋を使わず喉で歌っていたということか。
だめじゃないか。
あれだけ後輩に腹筋をつかえと叱っていたのに。
そんなことを一人で突っ込みながらも、過ぎたことだと気にせず気持ちよく歌い続ける私。
普通ならここで母が「うるさいからやめなさい」と言うべきところだが、ucho母がそんなことをするわけはない。
自ら私の部屋に乗り込んできて、ふたりで大合唱だ。
だが英語のできない母は歌詞はめちゃくちゃだ。
なんと近所迷惑な親子だ。

しかし、久々の歌は気持ちよかった。
やはり歌はいい。
よく分からないが笑いと一緒で免疫力が上がりそうな気がする。
お笑い療法、わんちゃん療法に続いて歌療法なんてのもあってもいいかもしれない。

この前テレビでどこかの政治家が「音感やリズム感のある人は語学が得意だ」と言っていた。
どこまで本当かは分からないが、リスニングや発音など会話が得意な人というのはたしかに音感があるかもしれない。
私の友達にも英語の発音がやたらうまく、非常に歌のうまい子がいる。
あの能力はかなり羨ましい。
努力で才能は補えるというのをモットーにはしているが、やはり何事ももとからの才能が左右することは否めない。
特に音楽の分野は音感やリズム感は持って生まれたものがある気がする。
それを考えると、語学ももしかしたら持って生まれた才能みたいなのがあるのだろうか。
それを仮に「語学感」と名付けてみる。
「語学感」とはどういうものか。
聞いたものをそっくりに真似できること?
そう考えると、たしかに音感と同じだ。
ということは語学の勉強には音感がいるということか。

音楽は病気療養によさそうだと思ったら、どうやら語学の勉強にもつながるかもしれないことが分かった。
ということで、これからは毎日歌うことにしよう。
ストレス発散にもなるし、我ながらいい案だ。

病気が回復。ストレス発散。語学上達。
私にとってはいいことだらけだ。
そしてご近所には私の歌声が騒音となって響き渡り、わるいことだらけだ。

晴れ女と雨女

2006-02-09 18:53:24 | ☆日記・随筆☆
晴れ男、晴れ女。雨男、雨女。

日本語にはこんな言葉が存在する。
正直、科学的説明はつかないし、あまり信じてはいない。
日本人の中でも信じている人は少ないだろう。

だが、私の近くには究極の雨女がいる。

母だ。

雨女なんて迷信だと思うが、それでも彼女の出かけるときは八割がた雨だ。
もちろん百発百中ではないが、天気予報で「一日中晴れ」と言っていても母の出かけた一時間だけ通り雨が降るというのは日常茶飯事だ。
だから彼女は常に折り畳み傘を持っている。
私はSLEだから常に日傘の折り畳み傘を持っている。
つまり私達は折りたたみ傘親子だというわけだ。

そしてなぜか母はいろんな人に「私雨女なんですよ~」と言う。
他にもっと自分をアピールする点はないのかといつも思うが、言われた方も雨女という迷信を信じていない人が多いため苦笑いしながら「そうですか」と言っている。
どうしてあんなに相手が言われても困るようなことを言うのだろう。
絶対彼女はコミュニケーション下手だ。

反対に、私の親友の一人に晴れ女もいる。
彼女は非常に明るく、見るからに晴れ女で元気のパワーをくれるような存在だ。
彼女が病院にお見舞いに来てくれたときも、宝塚にきてくれたときもかんかん照りだったので、まさに晴れ女だろう。
だがSLEは日光がだめな病気だ。
SLEが晴れ女の親友と私の間をひきさく。
なんてことだ。
日光にあたってはいけない病気とはなんとも不便だ。
やはり私は完治させねばならないようだ。
完治すればこんなカーテンを閉め切った状態の吸血鬼のような生活にもおさらばだ。

親友よ、少しの間待っていて。
完治させて共に海外旅行へゆこうぞ。
二人のバイブル「エースをねらえ!」を持って。
あっ、重いか。
まあもうセリフをほとんど暗記してしまっているから大丈夫か。
海外旅行の前にどこかのテニスコートでお蝶夫人ごっこがしたい。←アホ?

そして今はまだ闘病中だからおとなしく究極の雨女と共に過ごすことにしよう。
よく考えたら、母親と出かければ日傘を携帯しなくてもいい気がする。
これから病院についてきてもらうか。
でもダンディアンの取り合いになったらいやだからやっぱり日傘を携帯して一人でいこう。

笑いがとまらない

2006-02-09 08:48:47 | ☆日記・随筆☆
実は昨日一日中笑っていた。
昨日の早朝、「ラヂオの時間」という映画を見たからだ。
前の記事に所感は書いたが、あれは客観的に書くことを心がけているのであえて私が大笑いしたことには触れなかったのだが、昨日朝五時や六時にucho家では私の大きな笑い声が鳴り響いた。
映画を見終えてからも、思い出し笑いばかりだ。
勉強していても、ふと思い出して笑う。
相当私の笑いのツボと合致した作品だったらしい。
あまりの面白さに、母親にこの映画の魅力を伝えようと、面白かったシーンを説明しようとしてみたが、どうも途中で笑ってしまってうまく説明できない。
だめだ。この作品のよさをうまく人に伝えられるほどの能力を私は持ち合わせてはいない。
そんな自分の無力さを感じながら一人でこの映画の面白さの余韻に浸っていた。
昨日友人と電話していたときもこの「ラヂオの時間」の面白さを伝えようとすると、自分だけが笑ってしまいうまく伝えられない。
そんな笑ってばかりいる私を見て友人が一言。
「幸せもんやな」

そうかもしれない。
一日中好きな勉強をしながら笑っている。

私は幸せ者かもしれない。
あるいは単なるバカなのかもしれない。
朝に面白い映画を見ただけで一日中へらへら笑っているなんてバカ極まりない気もする。

いやいや、実は私は今脱毛が以前よりひどくなっていて次書く記事は「脱毛がとまらない」というタイトルにしようと思っていたのだ。
かなり抜けてきてしまった。
脱毛がとまらない。

だがそれ以上に笑いがとまらない。
脱毛より笑いだ。

三谷幸喜よ、ありがとう。

すると、友達からまたかわゆい写メールが届いた。
私の大好きなロングコートチワワだ。
たまらない。
にやにやしていた顔がさらにふにゃふにゃになる。
なんていい日だ。

わんちゃん写メをくれた友人よ、ありがとう。

笑い&わんちゃん癒し療法で病気が治る日も近いかもしれない。

ラヂオの時間

2006-02-08 12:16:10 | ☆映画・ミュージカル☆
【あらすじ】
あるラジオ局。いままさにラジオドラマ「運命の女」のリハーサルが終わり、本番を迎えようとしている。そんな直前になっていきなり主演女優千本のっこが自分の役名律子が気に入らず、メアリー・ジェーンにしたいと言い出す。すると、他の俳優達もわがままを言い出し、結局熱海が舞台のメロドラマがシカゴが舞台のアクションものへと、登場人物の名前もドナルド・マクドナルドなどはちゃめちゃなものに変更になってしまう。今回脚本が初めて採用された主婦の鈴木みやこは、どんどん変更される自分の台本を言われるがままに書き換えることとなる。俳優のわがままやスポンサーの都合などいろんな要素で組み替えられてしまう台本。みやこもずっとだまってその変更を手伝っていたが、最後に結末までかえるといわれ、それだけは反対した。どうしても主人公の二人には結ばれてほしいのだ。だがみやこの意見は無視。結局結末まで変えられて放送することになった。しかし、生放送の最後の最後でディレクター工藤の計らいで主人公の二人を無理矢理ハッピーエンドにもっていって放送は終了する。

【情報】
1997年に公開された三谷幸喜の第一回監督作品。

もともと、1993年に三谷幸喜が主宰する劇団「東京サンシャインボーイズ」の作品として上演された。三谷が初めて手がけた連続ドラマ「振り返れば奴がいる」の脚本が、三谷の与り知らぬところで書き直されていた、という経験から生まれた作品。

日本映画には珍しい、テンポの良い展開と、絶妙な笑いで大人気を博し、賞を総嘗めにした。またベルリン映画祭に出品された作品であり、「ドイツ人がこれほど笑うところをみたことない」と三谷は語っている。

【所感】
 たくさんの人が協力し一本の作品を創り上げるというのが通常の演劇作品の特徴であるが、この物語では、一本のラジオドラマを作るのに、みんながみんな自分の都合を主張し協力しようとしない。まさに意表をついた内容であり、たくさんの人が自己主張をしてできた作品なのに最後には全員が一つのものを創り上げた達成感と共に終わっているのが面白い。ささいなわがままからどんどんはちゃめちゃになっていくラジオドラマの内容にも注目である。メアリー・ジェーンやドナルド・マクドナルドなど突拍子もない登場人物の名前や設定もパチンコ店の主婦から女弁護士、漁師からパイロットなど破天荒なものに変更になってしまうところが笑いをさそう。元々舞台の脚本だからか、映画を見ているというより舞台を見ているような感覚である。そんな舞台の要素を含んだ今までの邦画にない新しいコメディーの形である。


百忍通意

2006-02-06 18:34:22 | ☆日記・随筆☆
字があまりうまくなくて申し訳ない。
やはり私はまだ書道も修行が足りない。
しかし言葉はいいので許してほしい。

百忍通意

百忍――ひたすら忍べば
通意――意は必ず通じる

この字をにらんで あらゆる困難に立ち向かい
決して逃げず 断じてくじけず なにもかも腹におさめて

焦り 不安 迷い 気の狂いそうな重圧を 揺れ動く心を
一切を 忍の一字で堪えぬき
すばらしい成果をあげた

努力に限界はないんだ
可能性は無限なんだ

我が心のバイブル「エースをねらえ!」より

別にここまでひたすら忍耐の生活を送っているわけではないのだが、やっぱり今の私の時期は「百忍」の時期の気がする。
信じて待てば、病気も治る気がする。
難病でも治したい。

病気になってできなくなったこと。
たくさんありすぎてここに挙げきれない。
それを自分の周りのみんなは自由にできる。
病気がもたらす劣等感。
それから逃げず、くじけず、信じて病気に立ち向かえば「通意」するのではないだろうか。
難病だって完治する。
完治させてやる。

百忍通意を信じて、今の私にできることを頑張ろう。

それにしてもさすが「エースをねらえ!」。
これを描いたときの山本鈴美香(「エースをねらえ!」の著者)は確か私くらいの年のはずだ。
すごすぎる。

節分日記

2006-02-04 20:50:14 | ☆日記・随筆☆
日本人に生まれて24年。
今頃になって私は日本文化を大事にする心が芽生えた。

というわけで昨日は節分。
もちろんしっかり祝わなければならない。

だがここで一つ大問題がある。
節分に食べる海苔巻きだ。
海苔巻きというのは冷たい。
そして私は過度の知覚過敏。
今の私の知覚過敏の状態で海苔巻きを食べるというのは自殺行為だ。

買い物に出かける前に母が心配そうに尋ねる。

「uchoちゃん、海苔巻きどうする?」
「日本文化は守らねばならない」

我ながら馬鹿な返答。

「知覚過敏、大丈夫?」
「私は我慢強い女やから」

またもや馬鹿な返答。

実は、こんなに頑固に海苔巻きを食べたがっているが、私は海苔巻きがあまり好きではない。
海苔巻きに入っている具があまり好きなものがないのだ。
唯一、ねぎとろだけ大好きなのだが、ねぎとろなんて冷たすぎる。
でも仕方がない。日本文化だ。

とにかく、ひねくれ者の私は日本文化を守るため知覚過敏ながらに海苔巻きと戦うことを心に誓ったのであった。

すると、母は面白い海苔巻きを買ってきた。
なんとカツの海苔巻き。
最近のスーパーにはそんなものが売っているのか。
普通の海苔巻きが嫌いな子どものわがままへの対応策か。
そんなに最近の子どもを甘やかせていいものか。

とにかくカツの海苔巻きのカツだけ取り出し、トースターであたためてまた海苔巻きに入れる。
カツをあつあつにすれば海苔巻きのごはんもぬるくなり、冷たいねぎとろ巻きを食べるよりは歯にしみないはずだ。
母にしては素晴らしいアイデアだ。
母の愛に感謝だ。
いつも母をけなす私には珍しく、母を褒め称えた。
「なんて天才なの!!」
「やろ~、おかあちゃんもそう思う」
と、母はかなり鼻高々であったが、のちの豆まきで私に豆をぶつけられることになるとは知る由もない。
私はかなりの親不孝者なのだ。

さて、南南東を向いて黙って海苔巻きを食べるわけだが、毎年ばあちゃんは一本まるごと食べるまでしゃべっちゃいけないのが耐えられないらしい。
一口食べては「もうええやろ?」、また一口食べては「もうええやろ?」と言う。
それに母がジェスチャーで対応している図がかなり笑えるのだが、文章でうまくみなさんに表現できないのが非常に残念だ。

そして数え年分の豆を食べるが、ここで母が自分の年をなぜか間違う。
母は53歳。数え年なら54歳。
しかし母は、
「数え年で一つ足すから52やんなあ」
と言い出すので、
「何いってるん。今53やろ。そんなサバ読んだあかん」
と厳しく突っ込むと、
「えー、おかあちゃん、そんな年とってへん」
と悲しそうな顔をする。
いや、絶対母が間違っている。
私は29歳の時の子どもだから私の年齢に29を足したらいいのだ。
私は去年年女だったから24歳で間違いない。
だから母は現在53歳だ。
数え年で52なんて二歳もサバを読んでいる。
でも頑固な母は自分は51だと言い張って、数え年と生まれ年の表が載った本を見だした。
そして大きい目をいっそう丸く見開いて言う。
「あ~! おかあちゃん昭和27年生まれや! 数えで54や!」
だからそう言っているではないか。
実の娘の言うことを信用しなさすぎだ。
ましてや、おばさんの51歳と53歳に何の違いがあるのだ。
18歳と20歳の二歳差なら大きく違うのは分かるが、51歳と53歳の二歳の違いが私には見出せない。
非常にしょうもないことで五分以上口論したucho家の節分であった。

ストローを噛まない子ども

2006-02-03 18:42:00 | ☆日記・随筆☆
ストローを噛むという行為は子どもがよくして大人に怒られる行為の代表みたいなものだが、私はストローを噛まない子どもだった。
もう一つ言えば、爪も噛んだことがない。
別に歯が弱い子どもだったわけではない。
みんなと同じことをするのがイヤだっただけだ。

小学校低学年の給食でみんなが牛乳のストローを噛んでいるのを見て、絶対自分はやらないと心に誓った。
なんでみんなストローを噛むのだろう。
どうせ怒られるし、はっきり言って無駄な労力だ。
やめればいいのに、みんな噛んでいる。
私には不思議で仕方なかった。
「ストローは噛む」という子どもの中の常識に一人で立ち向かって反抗していたのだ。

大人になって「ちっちゃい頃ってストロー噛んでたよね~」という話で盛り上がることがあるが、私にはその話はついていけない。
しかも私が「噛んだことない」というと、誰も信じてもらえず私はなんと嘘つきよばわりされるのだ。
こんな純粋無垢で嘘をつかない私を嘘つきよばわりとはなんて失礼な話だ。
これは「子どもの頃は爪を噛む」という話題でも全く同じ現象が起こり、私は嘘つきよばわりされる。
それほどこの二つの癖は子どもにとって常識的なものらしい。
この癖を二つともしたことがないというのは、私は間違いなくひねくれ者だったといえる。
と、過去形にしてみたが、今もひねくれ者だ。
「三つ子の魂百まで」
子どもの頃からひねくれ者だったからこそ、今の私ありだ。

ひねくれ者だからこそ、難病になっても自分は幸せだと言い張り、子どもが産めなくなるなら結婚なんてめんどくさいものだと思ってしまうのだ。
正直、語学の勉強も「語学をものにするなら留学!」という一つの常識に立ち向かって反抗しているのかもしれない。
それに反抗することに何か利点があるのかといわれると何もないが、ひねくれ者は常識に反抗するのが好きなのだ。
そうか、このお気楽超楽観的闘病&勉強ライフは私がストローを噛まない子どもだったことが原点なのかもしれない。
だからひねくれ者でいいのだ。
さあ、私のことをひねくれ者と呼んでくれ。
ひねくれ者、万歳。
そしてまた自分がひねくれ者であることを万歳と言っていることが非常にひねくれている。

目覚めがパッチリ

2006-02-02 21:55:17 | ☆日記・随筆☆
寝起きは眠い。

というのは常識だろうか?
もちろん病気になる前、私の中でこれは常識だった。
だがここ一年ばかり私は寝起きが眠いと感じることはない。

薬が大きく原因しているのもあるだろうし、無職の私は何時に起きても誰にも文句を言われることがないので睡眠不足ではないからも一つの原因かもしれない。
仕事がなかろうが私は毎朝五時から六時の間にパッチリ目が覚める。
たまに深夜まで起きているとラジオフランス語講座のアラーム(午前7時25分)で目が覚めることがあるが、一ヶ月にニ、三回程度だ。
目覚めがパッチリなのはとても気持ちがよいのでこれに関しては何の文句も言うつもりはない。
正直、今の私には寝起きが眠いという状態を忘れてしまった。
大学時代なんて万年睡眠不足でいつも「眠い~」と思っていたことを考えると私も変わったものだ。
そしてその眠いという状態や気持ちをすっかり忘れてしまったところがいかにも私らしい。

ところで、この前テレビで居眠りとうたた寝の違いを紹介していた。

居眠り…すわったり腰かけたりしたままねむること。
うたた寝…寝るつもりでなく横になっているうちに眠ること。

同じように使っていた言葉だが、実はちゃんと意味が違うのかと一人で感動してこれからはちゃんと使いわけようと心に誓った。

では早速使ってみよう。

最近ロシア語のラジオ中に居眠りをしてしまう。(うたた寝ではない)
またロシア語についていけなくなった。
一体何回目だ。二回目だ。
ロシア語の勉強を始めて一年がたったということだ。
なかなか上達しない。
ふと気付いたのだが、いくら好きであっても同じ勉強法を繰り返してしまうとやはり飽きてくるようだ。
私が飽き性なだけかもしれないが。
だからちょこちょこ勉強法を変えた方がよさそうだ。
きっとそれが勉強を継続していくコツの気がする。
同じ勉強法ばかりだとなんだか疲れてしまう。

そしてまた話が非常にずれたまとまっていない記事になっていることにも気付く。
ブログを始めて半年。
文章能力を養うために始めたブログなのに、半年たってもこんな調子じゃ私もまだまだだ。
でも文章力なんてすぐ伸びるものではないだろうから、これも長い目で見ることにしよう。
文章力はおいといて、キーボードをうつ速さは半年前に比べてはやくなった。
ロシア語のキーボードも少しはやくなった。
ロシア語のキーボードといえば、私はわざわざネットで配列を調べてシールをキーボードにはるという細かい作業を行っていたというにもかかわらず、最近になってパソコンの中にスクリーンキーボードといって画面にキーボードの配列をうつしだせる機能を知ってかなりくやしい今日この頃だ。