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SLE
※SLEとはステキなレディーがなるエレガントな病気である。

宝塚音楽学校

2006-03-31 15:16:02 | ☆日記・随筆☆
昨日宝塚音楽学校の合格発表があった。
と言っても別に私は宝塚音楽学校を今年受験したわけではない。
年齢詐称をしていなければ、受験資格はないからだ。
宝塚音楽学校受験の年齢制限18歳を越えてから1~20年はたつ。

ただ毎年この時期に宝塚音楽学校の合格発表により地元がテレビにうつっているのは田舎者としては喜んでしまう。
そう、この合格発表は私のすぐ家の近くで行われている。
ついでにうちのマンションもうつしてくれないかと期待に胸を膨らませテレビを見ているが残念ながら合格者のインタビューばかりである。
また地域住民のインタビューがないかと少し緊張して近くを歩いてみたが誰からもインタビューは受けなかった。
殺人事件などが起こると地域住民のインタビューはかかせないのに、合格発表ではないのかとマスコミへの不信感は募る一方だ。

実は幼稚園の時の夢は宝塚歌劇に入ることだった。
普通なら「宝塚」というだけで「宝塚歌劇」という意味になるが私は「宝塚」は自分の生まれ育った地名でしかないため宝塚歌劇団員のことは「歌劇の人」と呼んでいた。
だが将来の夢を「歌劇の人」とまわりに言うのは非常にはばかられた。
なぜならその頃志茂田景樹がよくテレビに出ていて「かげきのひと」と言ったら志茂田景樹と間違われるかもしれないと不安に思ったからだ。
昔からいろいろな誤解をおそれる慎重な性格だったのだ。
誤解をさけるため、当時幼稚園児だったにもかかわらず「歌劇」という漢字を覚えることにした。
それほど志茂田景樹と間違えてほしくなかったのだ。
因みに志茂田景樹を知らない人のために言っておくと、ピンクの髪をした派手な服装のおじさんである。
何をしていたかよくわからないが、当時よくテレビに出ていたのは間違いない。
そしていざ幼稚園で将来の夢を紙に書くときになって「歌劇のひと」と書こうとしたら、周りが全員全ての文字をひらがなで書いていて一人だけ漢字を書くことがどうしても知識のひけらかしのように感じてできなくて(昔から控えめなところは変わらない)結局「かげきのひと」と書いた。
私は志茂田景樹のようになりたいと思われたらどうしようという不安をぬぐいされないまま幼稚園を卒園した。

そして漢字を習い始める小学生になってからの「将来の夢」の作文を見てみると、

小一→わたしはおんがっかになりたいです。なぜならおんがくがすきだからです。

小二→わたしはまんが家になりたいです。なぜならまんがが大すきだからです。

となっており、いかに幼稚園の時に「歌劇」という漢字を覚えたことが無駄だったかが分かる。
さらにこの頃から飽き性で自分の意志をコロコロ変える人間だったことも分かる。
その上、この頃から間違った日本語を使っていること(おんがっかではなく、おんがくかだ)も説得力の欠けた文章を書くのも得意だったこともよく分かる。