トライアルとは翻訳の試験みたいなもの(実は試験ではないが段々説明するのが面倒くさくなってきたのであえてここではもう書かない。私はこのような少しの時間も惜しむ現代人の典型だ)。
この前トライアルでD判定をいただき、アルファベットがD、C、B、Aと順番が変わることをひらすら神に祈ってみたが祈りは通じなかった。
きっと私の家が臨済宗だからだ。
私の祈りむなしくアルファベットの順番は変わらなかったものの(もし変わっていたら世界中の人に迷惑をかけるところだったから変わらなくてよかったかもしれない。ここで私が世界中の人たちへの迷惑まで考慮に入れるやさしい心の持ち主であることが分かる)、先日かえってきたトライアルの判定はBで80点だった。
Bでも「仕事をするまであと一歩」というところで翻訳の仕事をする能力はまだない(仕事をいただくには95点以上とらなければならない。これが59点以上ならいいのにと思うが、世の中そんなに甘くはない。世知辛い世の中だ)。
しかしD判定から見ればかなり成長したものだ。
ここで私のとるべき道は二つある。
①A判定がとれるよう勉強をさらに頑張る。
②アルファベットの順番がB、A、C、Dに変わるよう仏に祈る(神への祈りは届かなかったため)。
どっちにしろ、前よりいい成績がとれたことで満足だ。
一回Dという成績を取って良かった。
はじめからAを取ったら何の感動もないはずだ。
何事も紆余曲折があってこそ目標が達成されたときの喜びが大きいものだ。
なんとも人生はうまくできている。
ああ、上記二つ以外にもう一つやらなければならないことを思いついた。
③次のトライアルの成績が下がらないようアラーの神様に祈る。
きっとこれは日本人のひとつの宗教に対する執着心がないこと、もしくは多神教の精神に基くものだと思われる。
とりあえずいろいろな神様に祈りつつ、勉強をさらに頑張ることを決めたuchoであった。
この前トライアルでD判定をいただき、アルファベットがD、C、B、Aと順番が変わることをひらすら神に祈ってみたが祈りは通じなかった。
きっと私の家が臨済宗だからだ。
私の祈りむなしくアルファベットの順番は変わらなかったものの(もし変わっていたら世界中の人に迷惑をかけるところだったから変わらなくてよかったかもしれない。ここで私が世界中の人たちへの迷惑まで考慮に入れるやさしい心の持ち主であることが分かる)、先日かえってきたトライアルの判定はBで80点だった。
Bでも「仕事をするまであと一歩」というところで翻訳の仕事をする能力はまだない(仕事をいただくには95点以上とらなければならない。これが59点以上ならいいのにと思うが、世の中そんなに甘くはない。世知辛い世の中だ)。
しかしD判定から見ればかなり成長したものだ。
ここで私のとるべき道は二つある。
①A判定がとれるよう勉強をさらに頑張る。
②アルファベットの順番がB、A、C、Dに変わるよう仏に祈る(神への祈りは届かなかったため)。
どっちにしろ、前よりいい成績がとれたことで満足だ。
一回Dという成績を取って良かった。
はじめからAを取ったら何の感動もないはずだ。
何事も紆余曲折があってこそ目標が達成されたときの喜びが大きいものだ。
なんとも人生はうまくできている。
ああ、上記二つ以外にもう一つやらなければならないことを思いついた。
③次のトライアルの成績が下がらないようアラーの神様に祈る。
きっとこれは日本人のひとつの宗教に対する執着心がないこと、もしくは多神教の精神に基くものだと思われる。
とりあえずいろいろな神様に祈りつつ、勉強をさらに頑張ることを決めたuchoであった。