KEEP ON SMILING!

治らぬなら
治してみせよう
SLE
※SLEとはステキなレディーがなるエレガントな病気である。

トライアルB!

2006-04-23 19:57:14 | ☆勉強☆
トライアルとは翻訳の試験みたいなもの(実は試験ではないが段々説明するのが面倒くさくなってきたのであえてここではもう書かない。私はこのような少しの時間も惜しむ現代人の典型だ)。
この前トライアルでD判定をいただき、アルファベットがD、C、B、Aと順番が変わることをひらすら神に祈ってみたが祈りは通じなかった。
きっと私の家が臨済宗だからだ。
私の祈りむなしくアルファベットの順番は変わらなかったものの(もし変わっていたら世界中の人に迷惑をかけるところだったから変わらなくてよかったかもしれない。ここで私が世界中の人たちへの迷惑まで考慮に入れるやさしい心の持ち主であることが分かる)、先日かえってきたトライアルの判定はBで80点だった。
Bでも「仕事をするまであと一歩」というところで翻訳の仕事をする能力はまだない(仕事をいただくには95点以上とらなければならない。これが59点以上ならいいのにと思うが、世の中そんなに甘くはない。世知辛い世の中だ)。
しかしD判定から見ればかなり成長したものだ。

ここで私のとるべき道は二つある。
①A判定がとれるよう勉強をさらに頑張る。
②アルファベットの順番がB、A、C、Dに変わるよう仏に祈る(神への祈りは届かなかったため)。

どっちにしろ、前よりいい成績がとれたことで満足だ。
一回Dという成績を取って良かった。
はじめからAを取ったら何の感動もないはずだ。
何事も紆余曲折があってこそ目標が達成されたときの喜びが大きいものだ。
なんとも人生はうまくできている。

ああ、上記二つ以外にもう一つやらなければならないことを思いついた。
③次のトライアルの成績が下がらないようアラーの神様に祈る。

きっとこれは日本人のひとつの宗教に対する執着心がないこと、もしくは多神教の精神に基くものだと思われる。
とりあえずいろいろな神様に祈りつつ、勉強をさらに頑張ることを決めたuchoであった。

ベンアフレックにはまる

2006-04-22 20:28:17 | ☆映画・ミュージカル☆
『アルマゲドン』を見た。
そしてベン・アフレックに恋をした。
ああ、たまらない。
久しぶりだ、この感覚。

高校時代、この「絶対むくわれない相手」に恋をするのを生きがいにしていた。
私の高校時代の友人はよくご存知のはずだが、マシュー・マコノヒーをはじめいろいろなハリウッドスターにはまっていた。
洋画もたくさん見た。
銀幕の中でひときわ輝くハリウッド俳優はまさに理想の男性像だ。
女子校に六年間通い、合コンにも行かず先生の追っかけばかりしていた私は恋する場所が映画やドラマの世界でしかなかった。
映画やドラマのことを考えるだけで本当にドキドキしたし、楽しかった。

『アルマゲドン』のベンアフレックに出会い、この感覚が最近舞い戻ってきたのだ。
またベンアフレックに会いたい。
だが家にあるビデオは『アルマゲドン』の他は『恋に落ちたシェイクスピア』だけだ。
『グッドウィルハンティング』『恋は嵐のように』『パールハーバー』は見たから他のベンアフレックが出ている映画が見たい。
諸事情によりレンタルビデオのできない私はひたすらWOWOWでやるのを待ちわびる日々だ。
因みにこの諸事情とは日本経済の問題と関連性がある。
近くのレンタルビデオ屋さんがつぶれたのだ。
景気回復の兆しが見えたとは言ってもいまだ庶民には不景気の風当たりはきつい。

それにしてもベンアフレックのことを考えるだけでドキドキしてくる。
ウキウキもしてくる。
でもムキムキはしてこない(性別詐称をしていなければ私は女なのでムキムキにはなりたくないのだ)。

どうも私は惚れやすいらしい。
恋多き乙女なのだ。
現代の和泉式部かもしれない。

タケノコづくし♪

2006-04-21 18:37:02 | ☆料理・食べ物☆
金持ちの友達から高級タケノコが届く。
というわけでタケノコごはんにタケノコのお吸い物だ。
ちなみにこれは私が作ったわけではない。
高級タケノコとあって私なんかが調理するのは恐れ多いと思ったからである。
ということにしておこう(本当はタケノコをむくのが面倒くさそうだったから手伝わなかった)。

このお吸い物がたまらなくおいしい。
あまりのおいしさに二杯も飲んでしまった。
お吸い物は大好きだ。

このタケノコで分かったこと。
①高級タケノコは安物とは全然違う。
②タケノコ料理は私が手伝わないとおいしくできる。
③持つべきものは金持ちの友達である。

そしてこの友人にも感謝の念を示してダイヤのネックレスをあげる夢を見ることにしよう。

よってきんしゃい、明太子♪

2006-04-20 23:07:35 | ☆料理・食べ物☆
友人から博多のお土産で明太子が届く。
ジャーーーン!!!!!
 

うれしいなあ。
実は生まれてこのかた本場の明太子なんて食べたことがない。
友人よ、まじでありがとう。
かなり感謝している。
よって君に百万円をあげる夢を見ることにする(私は常に礼を忘れないのだ)。

というわけで明太子クリームスパゲティを作った。



見かけはいまいちだが、おいしかった。
やはり料理も外見でなく中身が大事だ。

ちなみにこの前mucchiさんから教えてもらったがスパゲティをフォークとスプーンで食べるのは間違っているらしい。
なんと! それは知らなかった
個人的にもう癖になってしまっていてスプーンがないとスパゲティが食べにくい。
困ったものだ。
だがスパゲティというのは家で作れるものだからあまり外食で食べようとは思わないのでいいとしよう。
スパゲティを外食で食べるとしたら五右衛門のカルボナーラ炭焼人風のみだ。
そして五右衛門は箸でスパゲティを食べる店だから恥をかく心配はない。
五右衛門のスパゲティを箸で食べることを考えた人、あんたは偉い!
というわけでこの見ず知らずの五右衛門の経営者にも尊敬の念をこめて十万円ほどあげる夢を見よう。

ダビンチコードが我が家へ

2006-04-20 18:38:56 | ☆本☆
『ダビンチコード』
私のまわりの友人が口をそろえておもしろいという(その友人の半分は英語で読んでいるのだから私のまわりのかしこさにはびっくりする。友人の頭の良さというのは伝染してくれないのだろうか)。
それでずっと読みたいなあと思っていた。

すると、先日友人がダビンチコードを送ってきてくれた。
最近ほしいなあと思うものがどんどん手に入る気がする。
何が大殺界だ。
いやなことが全然ない(私はいやなことをすぐ忘れる性格である)。
しかし、このダビンチコードを私より喜んだ人物がいる。
母だ。

友人からダビンチコード送ったよと連絡を受け、その事実を告げると昼寝の場所を玄関の近くにかえてウキウキしながらダビンチコード到着を待っていた(しかもその日には届かなかった)。
ダビンチコードが到着するとうれしさのあまり変なダンスをしながら「ダーッビンチコォード!」と叫んでいた。
上記の母の行動に「どういう意味?」とは聞かないでほしい。
私にも意味がわからないのだ。
たぶん意味はないのだろう。

それからというもの毎日「ダーッビンチコォード!」と私に言ってくる。
これに関しても「どういう意味?」とは聞かないでほしい。
これも私にも意味不明なのだ。
おそらく意味はないのだろう。

とにかく友人は私のために送ってきてくれたのに私より先に母はダビンチコードを堪能しているのだ。
母いわく、「む~~~っちゃおもろいぃぃ~」らしい。
私もはやく読みたい。
しかし、まわりにマザーテレサがおおすぎて読む本がたまっていっている事実は否めない。
私がダビンチコードを読めるのはいつのことだろう。

『河童』芥川龍之介

2006-04-20 17:34:41 | ☆本☆
【あらすじ】
 ある精神病院の患者がだれにでも話す話。
 ある日河童に出会い、河童の国へ。そこでは人間のように暮らしながらも人間の世界とは全く反対の価値観の河童の世界が繰り広げられる。

【情報】
芥川 龍之介(あくたがわ りゅうのすけ、男性、1892年3月1日 - 1927年7月24日)は、日本の小説家。号、澄江堂主人、俳号、我鬼。俳優の芥川比呂志は長男、作曲家の芥川也寸志は三男(次男の芥川多加志は戦死)。それぞれ親友の菊池寛の「寛」、小穴隆一の「隆」、恒藤恭の「恭」をもらって漢字を替えて名づけたもの。友情に厚かった芥川の人柄が偲ばれる。

生後7ヵ月後ごろに母が発狂したため、母の実家である芥川家に預けられる。東京帝国大学進学後、第三次「新思潮」を刊行し、翌年『羅生門』を発表。『鼻』で夏目漱石に認められ、文壇に入る。

その作品の多くは短編で、『芋粥』『藪の中』『地獄変』『歯車』など、『今昔物語』『宇治拾遺物語』などの古典から題材をとったものが多い。『蜘蛛の糸』『杜子春』など、童話も書いた。

1927年7月24日未明、「ぼんやりした不安」を理由に、遺書を残し服毒自殺。のちに、芥川の業績を記念して芥川賞が設けられた。

【所感】
 文学作品にしては比較的親しみやすい作品。日本版ガリバー旅行記のようになっており、若年層にも読みやすい。また人間と反対の価値観を持つ河童を描くことで人間社会への批判が浮き彫りとなっている。その河童の世界を物語る語り手が人間社会では精神病患者であるというところも皮肉たっぷりであり、面白い構成だといえる。

イケメン療法

2006-04-17 20:26:28 | ☆健康☆
外来。
ダンディアン先生に一ヶ月ぶりに会う。
気持ち悪さやだるさ、頭痛の消えないまま病院に向かったが、なんとダンディアン先生に会っただけでそれが嘘のように消えてしまった。
まさにイケメン好きはイケメンに会うだけで病状が回復してしまうのだ。
一つ気付いたことがある(気付かなかったことはもっとたくさんあるだろうが気付いていないので分からない)。
ダンディアンは神田正樹っぽい。
瓜二つとは言わない(スイカ二つとはもっと言わない)。
でも雰囲気は神田正樹だ。
今まで私だけがかっこいいかっこいいとこのブログで言っても読者の方々には想像がつかなかっただろう(このブログの読者でない方は想像もしなかっただろう)。
よってダンディアンのことを木村拓哉と思ったり仲村トオルと思ったり、はたまたカンニング竹山と思ったり長州小力だと思ったりする自由があったはずだ。
だが私はここで読者の自由を奪わせてもらう。
なぜなら私のブログの読者は数えるほどしかいないことには自信があるからである(ここで少数派排除の現代社会に汚染された若者の姿が浮き彫りにされた)。
とにかくダンディアン先生は神田正樹の髪型を変えて少し目を細めた感じだ(目が細い男は大好きだ。だが体が私より細い男は嫌いだ)。
この分かりやすい説明によりダンディアン先生の顔が少し想像できたのではないかと思われる。
これで少数派にも配慮を忘れない私の優しい心を見てとらえることができただろう。

本音を言えば「大腿骨壊死の疑い」という宣告を受け、頭痛だのだるさだのはすっかりふっとんでしまったのだ。
人間自分の今の状況より大変なことが起こるとそっちの方に気がとられて前のことは忘れるものだ。
たとえ足が骨折して松葉杖をついていたって自分の家が火事になれば松葉杖をほったらかしで自分の足で走って逃げるはずだ(というわけで世の中の骨折で困っている人は自分の家に火をつけてみたら一発で治ると私は提言する。だがそれで放火犯で逮捕されても一切の責任は負わない)。
それと同じことだ。
人間はなんて単純にできているのだろうとふと思った今日このごろだ。

さて大腿骨壊死の話だが、これはSLEが引き起こす病気の中で結構有名な怖いものの一つである。
ステロイドが多いせいで骨がやられてなるものだが、確かこれは手術したり下半身不随になって車椅子になったりするものだ。
と言ってもそれは昔ネットで見た記憶だから定かではないのだが。
だからと言って今調べようとは思わない。
そんな恐ろしいことはしようとも思わない。
『幽霊が出るトンネル』に自ら赴くようなバカなことはしないのと一緒だ。
私は思慮分別のある人間なのだ。

とにかく「疑い」であり、「確定」ではない。
ダンディアン先生はいつも慎重だから、私は大腿骨壊死でないと勝手に確信している。
大腿骨壊死なんて絶対いやだからだ。
またこの検査に病院に行くことになった。
なんとかこの検査を休めないかと思っている次第だ。
検査を受けなければ、私はずっと「疑い」のままで済む。
検査を受けなくて済む方法を考えた。
①仮病を使う。
これは健康な人が嫌なことを休むときに使う手だが、いかんせん既に病気になってしまっているため、この手は使えない。というか、仮病を使ってしまうと、さらに病院で検査を受けなければならなくなってしまうのではっきり言って逆効果だ。
②検査を行う医師に毒を盛る。
これはなかなかいい案だが、当日この検査の担当が誰なのか検討もつかない。多分医師ではなく理学療法士などという別の職業の人の気がする。
③病院を爆破する。
これもなかなかいい案だが、残念ながらこの平和な日本では爆弾がそうやすやすとは手に入らない。

なかなかいい手が見当たらない。
きっとこんなことを考えているうちに検査の日になってしまいそうだ。
世の中なんて、そんなもんだ。

蜂奮闘記2

2006-04-14 11:23:44 | ☆日記・随筆☆
【前回までのあらすじ】
 難病と闘ういたいけな乙女が平和な夜を過ごしていた。しかし、たった一匹の蜂が一瞬にしてその平和を戦争へと導いたのだ。乙女はない体力を振り絞り、戦闘態勢に入った。しかしゲルマン人の大移動により心身ともに疲れ果てた乙女は蚊取り線香という画期的な武器を蜂へと向けたまま眠りについたのだ。

翌日。
別の部屋で目ざめた私はあることに気付く。
起床時の薬は私の部屋だ。
そう、難病と闘ういたいけ乙女が朝起きたら一番にしないといけないことは起床時の薬を飲むことだ。
私の部屋に入らなければならない。
しかし私の部屋には蜂がいる。
いや、昨日蚊取り線香をたいたから、もしかしたら退治できているかもしれない。
おばけ屋敷の扉でも開けるように、おそるおそる自分の部屋のドアを開ける。
虫の気配はない。
蚊取り線香の匂いは充満している。
私は自分とは思えないほどの俊敏な動きでピルケースを取り、急いでドアを閉めた。
蜂の死体が蚊取り線香に落ちていたらいいのにという期待はうらぎられ、蜂はどこにも見当たらない。
困ったものだ。

起きてきた母に敵の死体が見当たらないことを告げ、新たな作戦会議をすることにした。
が、敵の事情(弱点、有効な殺害方法、種類、出身地、食べ物の好み、スリーサイズ、趣味など)をよく知らない(知りたくもない)二人がどれだけ話し合っても有効な対策が練られるわけでもない。
3分にも及ぶ長時間の作戦会議の結果、「私の部屋に入らない」という意味の分からない結論に達した。
全くもって根本的に解決しない対策だがこれ以上いい対策が思いつかなかったのだ。
とにかく武器である掃除機は私の部屋のドアの横に待機させ、また勉強道具をダッシュで部屋から持ち去り別の部屋で勉強することにした。

だが夕方になり、ブログを書きたいと思いついたがブログを書くためには私の部屋のパソコンを開けなければならない。
超能力でパソコンだけ別の部屋にとんできてくれないかと念じてみたが無理だった。
パソコンも蜂に怖がって超能力がきかなくなってしまっているようだ。
もしくはパソコンが蜂に刺されたのかもしれない。

私は意を決して部屋に入ることにした。
やはり部屋は静まり返っている。
おそるおそる電気をつける。
それでも部屋に変化はない。
死んだのだろうか?
とにかく油断は禁物。
びくびくしながら蚊取り線香臭いその部屋でブログを書いてパソコンを閉じた。

その日も別の部屋で就寝。
よく考えたら殺虫剤が家にあり(母はその存在を知っていたのに殺虫剤より掃除機や蚊取り線香を私にすすめてきたのがよく分からない)、その日は殺虫剤を部屋にまいた。

その翌日。
殺虫剤で敵の死体がころがっていることを期待しながら部屋に入るもやはり死体が見当たらない。
一体蜂はどこへ消えたのか。
それから敵の姿は一切見ていない。
結局もう勉強も就寝も自分の部屋でおこなっている。
もちろん今ブログを書いているのも私の部屋だ。
もしかしたら蜂がまだ私を見つめているかもしれない。

蜂奮闘記1

2006-04-14 11:20:13 | ☆日記・随筆☆
人間誰しも苦手とするものはある。
かくいう私も、ダンス、スキー、水泳、ホラー映画、梅干し、納豆など苦手なものを挙げだしたらキリがない。
しかしその中でも群を抜いているのが
本当にだめだ。
受け入れられない。
差別になるかもしれないが、生物として同じジャンルに属することだけで汚らわしく感じてしまうくらい苦手だ。
触ることも見ることも耐えられない。

「虫」に属するものは何でもダメだ。
アリも蚊も触れないので殺すことさえできない。
(これは私が優しい心を持ついたいけな乙女であるからかもしれない)

話はずれるが、幼稚園の時に「アリ捕まえ大会」というのがあって(この大会の趣旨がいまだによく分からない)紙コップにアリをどれだけ捕まえられるか競い合うものがあったが、一匹も捕まえられず途方にくれた経験がある。
一匹も捕まえられなかったというか、開き直って捕まえようともしなかった。
アリに触るくらいなら記録が0匹でかまわないと思ったのだ。
しかし一匹は捕まえないといけないとなっていたので(このルールに非常に疑問を感じるのは私だけであろうか)友達が自分の捕まえた分を分けてくれた。
その分け前のアリをもらうときも触るのが嫌で紙コップから紙コップにアリを移動させるのも友達にやってもらった。
今考えると、自分の信念を屁理屈を持って押し通す態度や友達に助けてもらってばかりいるところなど全然今とかわっていない。
まさに三つ子の魂百まで。

閑話休題。

それは友人と電話をしながら柔軟体操をしていたときだった。
ブーン
んっ? 電話の雑音? いや、こっち側で聞こえたぞ。
すると、目の前に……
うぎゃあ~!!!!!!

蜂が一匹、私の声にたじろぎもせず悠々と飛んでいる(私の声は非常に大きいものであるのにそれに反応しないとはかなり鈍感か、耳の聞こえない蜂であると予想される)。
私としては心の動揺が隠せず、一人であたふたと部屋から飛び出た。
もはや電話どころではない。
友人との電話を切り(今考えると非常に申しわけなかった。やたら一人で「ひょえ~!!! 虫がぁぁぁぁぁ~!!!」と騒いで電話を切った。友人よ、ごめん)、私は蜂との戦闘態勢に入った。
私のあまりの声の大きさに母も何事かと起きてきた。
まず母と作戦会議だ。

虫の種類の特定から始める。
私は蜂のように見えたがかなり動揺していたためもしかしたら別の虫かもしれない。
しかし蚊のように小さい虫ではないことは確かだ。
蜂ではないかもしれないが、結構大きい虫であることは間違いない。
ということは気持ち悪いことは間違いない。
とにかく嫌なことも間違いない。
そこで虫の種類が特定されなくとも、私の部屋に大きい虫がいるという事実がありえないくらい最悪なことであることに気付く。
つまり虫の種類の特定に意味はなかったのである(だが虫に興味がないので虫の種類に詳しくないからどうせ特定はできなかったであろう。ということは非常に無駄な時間を過ごしたということとなる。人生無駄がつきものだ)。

母は「掃除機で吸おう」と掃除機をひっぱり出してきた。
そして再び私の部屋のドアを開ける。

いない。

どこへ行ったのだろう。
どこかに潜んでいるはずだ。
忍び足で部屋に入り敵の様子をうかがうが、部屋は静まり返ったままだ。
私は低い姿勢をとり敵に存在を悟られないように注意した。
ドア近くでは母が掃除機を持って身構えている。
さらに普段通りを装うために私は本を開け読書をするふりをした。
その時だ。
ブーン

ぎょえ~!!!!!!!!

冷静さを保っていた私だったが、敵の姿を見た瞬間それは崩れ本を放り投げドアへと逃げた。
ドアの外に逃げたかったのに掃除機を持つ母が立ちはだかっていてかなり邪魔だった。
母を押しのけ、ドアを閉める。
またもや母と作戦会議だ。
「あれ蜂だね」
「やっぱり?」
私は一瞬にしてあの気持ちの悪い虫を蜂だと分かった自らの判断力に我ながら敬意を表した。
「どうしよう?」
「う~ん」
「とりあえず今日別の部屋で寝たら?」
「う~ん」

私はよく『いやなことは後回しで考える』という適当な性格なため、とりあえず部屋はそのままにして別の部屋で寝ることにした。
だが、私はベッドではなく布団で寝ているため(私は西洋かぶれを嫌う日本文化を大事にする人間だ)布団を別の部屋に移動させなければならない。
これが一苦労だ。
いまだに毛布など冬の布団で寝ているため(私は寒がりなのだ。ここから私が弱々しいいたいけな乙女であることが分かる)非常に布団が重い。
これは長い自宅療養で落ちた体力も原因の一つかもしれない。
もとからない体力がさらに落ち、私は前よりかなり力がない。
そんな中での布団の大移動は大変だ。
しかも蜂のいる部屋から布団をひっぱり出すのも気が気ではない。
いつ敵が現れるか分からない状態での布団の移動は精神的にも肉体的にも限界に近かった。
ゲルマン人もこんなに大変な思いをしたのか? とふと世界史を思い出した。
そして移動だけでくたくたになった私はとりあえず部屋に蚊取り線香をして寝ることにした。
いや、蚊取り線香をあなどるなかれ。
数年前、部屋に1センチくらいの蜘蛛が出たとき、なんと蚊取り線香で撃退したことがあったのだ(ちなみにそのときもこの蜂奮闘記以上の奮闘があった)。
しかし、今回は蜂。
蜘蛛と違い、毒性を持つ。
しかも前の蜘蛛より大きい。
あまり効果は期待できないかもしれないが、もうあのゲルマン人の大移動により思考が働かないし、眠けも襲ってきた。
とにかく私の部屋は締め切りにして蚊取り線香に火をつけ就寝した。【2へ続く】

ツナ入りチャーハン

2006-04-14 11:04:35 | ☆料理・食べ物☆
チャーハンにアライグマを入れてみた。

なわけはない。

アライグマにツナを入れたのだ。


というわけで、チャーハンにツナを入れてみた。
はまるりさんのブログで見てぜひためしてみたくなったのだ。

さらに私は今回調味料にこだわった。



実はこれは大学の先輩mucchiさんからいただいたものだ。
私の周りには本当にマザーテレサが多い。
最近いろいろなものをいろいろな人からもらいっぱなしだ。
申し訳ない。
と言いつつこの状況が続けばいいのにと密かにほくそ笑む自分がいる。

このフタのおじさんの顔がたまらない。



母は金正日に似ていると言う。
これ以上日朝関係が悪くなるのを避けるためあえて私は何も言わない。
だが私は二重アゴの人を見ると自分の仲間のように感じて仕方がない。

とにかくこの調味料、かなりおいしい。
今まで自分の家がどれだけ安物を使っていたかがよく分かる。
mucchiさん、ありがとうございました。

この調味料とツナのおかげで家で作るチャーハンがかなりおいしくなった。
どうもいつも「チャーハンの素」(注:チャーハンのすではない)と混ぜるだけのチャーハンでおいしいとは言いがたい出来栄えになっていたのだ。
だからあまり家でチャーハンをすることは少なかった。
これからはチャーハンが定番メニューになりそうだ。

謎の胸痛再び

2006-04-13 09:34:01 | ☆健康☆
それは英単語のCDを聴きながらお風呂に入っていたときだった。
(こう書くと私が勉強家の天才に思われるかもしれないが、語学マニアの私にとって英単語のCDは普通の音楽を聴くのと同じ感覚なのでリラックスタイムとして英単語のCDを聴くことをふまえて読んでほしい。だからと言って天才と思ったのならそれはそのままにしておいてほしい)

突然の胸痛が私を襲った。
かなり息苦しい上に締め付けられるような痛さ。
どうしよう。
十分くらい待ってみたが痛みがおさまらない。
こんな裸のまま倒れたらえらいこっちゃと一人で思い、いそいでお風呂を出た。
痛い~と思いながらいそいでパジャマを着て就寝。
起きたら治っていた。

たまにくる胸痛。
最近体の調子があまりよくない。
しかし体調が不安定だと、堂々と無職でいられるのでまあいいかと開き直っている今日この頃だ。

NHK語学番組

2006-04-12 14:28:03 | ☆語学☆
四月から語学番組が新しくなる。
私がどれだけ楽しみにしていたか。
この期待度は毎日の「今日のわんこ」に匹敵する。
そして先週一週間フランス語、イタリア語、ロシア語、スペイン語を見た。
残念ながらトルコ語、ポルトガル語、マオリ語、タヒチ語、ラパヌイ語は見ていない。

率直な感想。

おもしろくない。

これは別に私の語学マニア熱が下がってしまったからではない。
いまだ語学マニアぶりは健在のはずだ。
それでも今年度の語学番組には失望した。
例えるなら「今日のわんこ」がブルドッグだったとき以上の失望感だ。

イタリア語。
パパイヤ鈴木よ、帰ってきてくれ~!
去年一年はパパイヤ鈴木と遠藤久美子によるイタリア語でダンスをしながらイタリア語を学ぶおもしろいものだった。
特にパパイヤ鈴木は、イタリア語の「ニエンテ」(英語で言うナッシング)を「ニャンテ?」と言ったりしてダジャレ要素満載の面白い番組であった。
それが今やとよた真帆がイタリアの絵画について勉強していく形式の番組となり、絵画に興味のある人は面白いと思うが、そこまで興味のない者には退屈な番組に仕上がってしまっている。
私は絵画が嫌いではないしむしろ好きな方ではあるが、前のパパイヤ鈴木がかなり面白かったためどうしても比べてしまってだめだ。
パパイヤ鈴木が恋しい今日この頃だ。
いくらイケメン好きでもお笑いには勝てないのだ。
だがイタリア語会話には去年に引き続きマッテーオというイタリア人のかなり美形が出演しているため物足りなさを感じつつもイケメン好きが今年度のイタリア語会話を見続けさせるであろう。
男の人のために言っておくと、イタリア語会話に出てくるモニカというイタリア人も美人でかわいい。
ドイツ語に出てくるナターシャという人もかわいい。
スペイン語に出てくるべゴーニャもきれいだ。
ロシア語のオクサーナもかなりかわいい。
どうやらNHKは人を顔で選ぶらしい。
不祥事続きの背景がここにある気がする。

スペイン語。
笑い飯よ、帰ってきてくれ~!
去年一年、スペイン語会話には笑い飯が出演していた。
そしてスペイン語で漫才(といってもほとんど日本語の漫才でときどきスペイン語をだじゃれに使っているだけのもの。意外に面白かった)をするコーナーがあり、笑い飯が作った無理矢理のダジャレでスペイン語を覚えたりもした。
スペイン語のスキットも楽しく、ビデオで何回も見たりした。
それが今は変なことになっている。
素人10名をオーディションで選んで一緒にスペイン語を勉強していくというもの。
素人とは言っても、女性の顔を見たら美人ばかりでやはり世の中顔なのかとまた世間の世知辛さを目の当たりにした。
ああ、笑い飯が恋しくて仕方がない。

フランス語。
パトリスよ、帰ってきてくれ~!
と言ってもこれは去年のフランス語会話を見ていなかった人、テレビが家にない人、アルマジロやアライグマには分からないだろう。
パトリスとは去年一年フランス語会話に出演していた非常にテンションの高いフランス人のおじさんである。
ありえないくらいのテンションの高さで(私を知っている人は私が「テンションが高い」というくらいだから相当のものだと言うことが分かるだろう。私よりずっとずっとずーーーっと高いよ、この人のテンションは。←倒置法により強調)フランス語の発音の説明をするのだ。
このテンションの高さと空回り加減がたまらなく好きだったのに。

ロシア語。
去年の再放送。
去年のロシア語は後半半年も再放送だった。
つまり私がこれを見るのは三回目だ。
ビデオに全部とって何回も見ているのでもうそろそろいい。
「マトリョーシカを見てもいいですか?」や「サワークリーム入りのボルシチをお願いします」ばかり習っても一生使わない気がする(私はサワークリームが嫌いだ)。
去年の後半が再放送だったのも非常に残念だったから四月からのロシア語会話をかなり楽しみにしていただけに失望も大きかった。
その日、ロシア語会話を見るためにちゃんと五時に起きたのに。
(ロシア語会話は五時半からだが、私は起床時に飲んでから三十分飲食をしてはいけない薬を飲んでいるので朝食を食べながら見るという計画を実行するためにわざわざ三十分前に起きたのだ)
大体、ロシア語は朝五時半からの一回だけの再放送なしというところもNHKが重要視していないことが分かる。
それに比べ、ハングル語には力を入れているところが遺憾だ。
韓流スターがかっこいいならシャラポワだってきれいじゃないか。
シャラポワはロシア人なのに。
やはりおばさんパワーには負けるということか。
とここでぼやいても仕方ないし、おばさんを敵にまわすと後が怖いのでもう何も言うまい。

とにかく今年度の語学番組が期待はずれなのである。
それがショックで今手当たり次第に別の語学番組を見ている。
アラビア語はわからなさすぎて面白い。
だが他の語学番組を見たら他の語学に手を出してしまいそうで怖い。

そして一番感銘を受けたのはタイ語だ。
こんにちはを「サワディーカ」と言う。
が、これは女の人しか使わない言葉らしい。
男の人は「サワディークラップ」と言う。
感動だ。挨拶が女の人と男の人で違うなんて。
しかもタイ語の字が記号のようで非常に面白いことを知った。
かなり勉強してみたいがやはりここは思いとどめることにしよう。
よく考えたらその前にタイ語の辞書なんてどこで手に入れたらいいのか分からないし。

ネットに名前が♪

2006-04-11 14:31:09 | ☆日記・随筆☆
今私は顔がニヤリとしている。
これはもちろん民主党の代表が小沢さんになったからではない。
産○新聞から謝礼の図書カードが送られてきたからでもない(でも少しあるかもしれない)。
今日のわんこがポメラニアンだったからでもない(でもかなりあるかもしれない)。
他にちょっと嬉しいことがあったのだ。

前新聞に載った投稿がネットにもでていることを今偶然発見したのだ。

24歳 無職 ○○○○(私の本名) そして私の文章。

ネットといえば多くの人が閲覧可能だ。
(ただ新聞のホームページの私の投稿が載っている箇所を開ける人はごくわずかであることは否めない。でもごくわずかと言っても私のブログを全部読んでいる人よりは多いだろう。もし私のブログの記事を全部読んでいる人がいるならその根気強さ、粘り強さを表彰しよう。賞品が出ないのが残念だ)

とは言っても「無職」と正直に書いたことが悔やまれる。
やはり「大統領夫人」と書けばよかった。
だが「大統領夫人」と書いたらきっと採用されなかっただろう。
世の中なんてそんなものだ。

そんな中、大学の先輩からメールがきた。
その先輩は趣味でギターを習っているのだが、その某有名ギター教室のホームページにレッスン風景やインタビューが載っているというのだ。
見てみたら、ネット上に見覚えのある顔が!!!
かなりテンションが上がってきた。
知っている顔がネット上で紹介されているなんてかなり嬉しい。
文章だけがネットに載った私と比べると、残念ながら完敗だ。
しかもよく考えたら文章なんて毎日このブログで載せているから大した価値があるわけでもない気がしてきた。
まあ、自分のことはどうでもいい。
とにかく、その先輩は面白くて大好きな先輩の一人なのでその先輩がネットに載っていることが嬉しい。
しかもやたら写真写りがよくてかわいらしく写っている(いや、かわいい先輩ではあるのだが)。
そうか、ネット上に写りの良い写真を公開するのもいいかもしれない。
その写真が別の人物ならさらにいいかもしれない。
その写真が別の動物ならもっといいかもしれない。
というわけで私はアライグマの写真を公開している。

お散歩

2006-04-09 18:43:44 | ☆日記・随筆☆
宝塚市長選挙に行ってきた。
母は出かけるときに「行ってきます」を「いただきます」と言っていた。
もう手に負えない。

今日は本当に気持ちの良いうららかな気候だった。
平和な世界だ。
戦車やミサイルなどは存在しない。
汚職により逮捕された市長がいた街とは思えない。

道端には菜の花が咲き春のよそおいを一層確かなものにしている。
足もとを見ながら札束でも落ちていたらいいのにと願うが世の中そんなに甘くはない。
そんな世の中の世知辛さに目を背けるため上を見ると、家から投票所までの桜は満開だった。

       

調子に乗って桜の写真をとりまくった。
さらに調子に乗って桜ではない花の写真までとりだした。

  

さらにさらに調子に乗って花でないものの写真までとりだした。



メリーゴーラウンド。
宝塚ファミリーランド跡地にはなぜだかメリーゴーラウンドだけが残りいまだに回り続けている。

宝塚ファミリーランド跡地。
そこにはお金をとってわんちゃんとたわむれる公園(正式名称は宝塚ガーデンフィールズと言うがこの名称では何をするところかさっぱり分からない。私の説明の方がよっぽど分かりやすい。なぜこんな分かりにくい名称をしているのか不思議で仕方がない)がある。
そして入り口のところにはペットショップがあって当たり前だがそこには無料で入れる。
わんちゃん好きの私としてはペットショップに行こうと思い、そのガーデンフィールズへと向かったわけだがこれが大正解だった。
今日は本当にあたたかく散歩日和で桜も満開だったため、わんちゃんを連れた人でいっぱいだったのだ。
これが人を連れたわんちゃんだったり、トカゲを連れた猫であったり、アルマジロを連れたゾウであったりしたらこれほどの感動は得れなかっただろう。
でも本当にたくさんのわんちゃんに出会うことができた。
しかも広場にわんちゃんを放して遊ぶところがあるのだが(それはもちろん入場料がいる。犬を放し飼いにする場所を提供するだけにお金をとるとは悪徳業者としか思えない)、ペットショップ近くにベンチがあり、そのベンチから広場の様子が見えるのだ。
つまり座ってたくさんのわんちゃんがたわむれているのを見ることができる。
しかもかなり近い距離でだ。
私の感動は言うまでもない。
そしてすべてのことに感謝だ。
今日選挙があったこと。
投票所がこのガーデンフィールズに近いこと。
今日があたたかい気候で散歩日和なこと。
私がちゃんと眼鏡をかけてきたこと。

ああ、この感動が分かっていただけるだろうか?
多分この記事を読んでいる方の大多数は分かっていただけないだろう。
それでもいい。
そのとき私の心は高鳴り、わんちゃんのかわいさに癒されたのだ。
この事実は曲げようがない。
いつの間にかものすごくわんちゃん好きになった。
大学時代は無類のミュージカル好きだったが、人の心というのはうつろいやすいものだ。
今一万円払ってミュージカルを観にいくのと五百円払ってわんちゃんを見にいくのだったら間違いなくわんちゃんをとるだろう。
もしわんちゃんを見にいくのが無料なら私の決心は揺るぎのないものとなるだろう。

今日出会ったチワワにパピヨンにヨークシャテリアにトイプードルにミニチュアダックスにコーギーに柴犬その他名前の分からないわんちゃんたちのあまりにも可愛い表情を思い出すとそれだけで心がなごむ。
私が今日どれだけわんちゃんを盗撮したい気持ちに駆られたか。
なんて幸せなんだ。
明日の「今日のわんこ」も楽しみだ。
体調や気分の悪いときはわんちゃんの写真で癒されるのが一番だ。
ああ、本当にかわいい(今もわんちゃんカレンダーのパピヨンを見ながらブログを書いている)。
と、かなりわんちゃん好きに拍車がかかっているわけだが未だに怖くてわんちゃんに触れない自分がいることは否めない。

不思議バトン

2006-04-07 20:53:51 | ☆バトン☆
ルールの説明
・回してくれた人の質問に答える
        ↓
・次の人への質問を3問考える
        ↓
・バトンを渡してくれた人にメッセージ
        ↓
・バトンを回す3人

ではではスタート
1.バッグの中の必需品
 晴雨兼用折りたたみ傘!!! 病気になる前からずっとね。
 電子辞書!!! 常に勉強。uchoのモットー。
 リップクリーム!!! 唇にうるおいが足りません。

2.オススメの本(ジャンル問わず)
 なんといっても土屋賢二のユーモアエッセイが好きです。
 面白すぎて涙が出ます。
 哲学的なお笑いが私の好みにぴったんこ☆
 オススメだけど、電車で読めないよ。ふき出しちゃうから。

3.過去にハマった、今から思えばちょっと恥ずかしいもの
 間違いなくジャニーズでしょう。
 キンキキッズが大好きだった。
 いまだに下敷きもっててこれどうしようと思っている。
 入院時に母に「下敷き持ってきて」といったところ、キンキキッズの下敷きを持ってきてさらにどうしようと思った記憶がある。
 この私がV6のコンサートに行ったことがあるなんて自分でも信じられない。

4、バトンを渡してくれた人にメッセージ

愛するnaomixxへ
 いつまでも大親友でいてください。


5、バトンをまわす人3人

 私には次の人への質問を考える能力が欠如しているため次へ回す質問がない。
 よってまわされた人は質問がないため答える必要がない。
 つまり世界中の人全員にまわしてもさしつかえない。
 よって私はこのバトンを世界中の人全員に回すことにしよう。
 このバトンのグローバル化に貢献ができたので私のノーベル賞受賞も近いであろう。