KEEP ON SMILING!

治らぬなら
治してみせよう
SLE
※SLEとはステキなレディーがなるエレガントな病気である。

タイ土産とタイ語

2006-05-28 12:00:29 | ☆日記・随筆☆
友人からタイのお土産が届いた。

 
プリッツとチョコレート。


お香セット。


CDとバングルとタイ語が書かれたパンフレットやポストカード。

感激&感動~

友人よ、ありがとう~

嬉しいなあ、私にはこんな素敵な友人がいて
ああ、幸せを感じる

こんな素晴らしい友人たちに囲まれていることに感謝

母も喜び、踊りながらプリッツとチョコだけ自分の部屋に持っていってしまった。
母は相変わらずだ

それにしてもタイ語。

この文字のかわいさはなんだ?
あまりにもかわいい。
ああ、勉強したい。
読んでみたい、この文字が。
書いてみたい、この文字が。

タイ語をパソコンに表示させようとしたら、なんと私のパソコンにはタイ語が入っていないのだ。
アゼルバイジャン語、ルレサーミ語、ウズベク語、マオリ語は入っているというのに。
ヌレサーミ語やウズベク語よりマイナーだというのか。
マオリ語なんて30万人しか話していないらしい。
そんな言語に負けているというのか。
そんなくやしさを胸に秘めつつ今日も私は10分間のタイ語の番組を見ることにする(最近このたった10分のためにビデオ予約までしている)。
私がタイ語を勉強し始める日は近い……かもしれない。

お金の大切さ

2006-05-27 20:59:47 | ☆日記・随筆☆
本日また友人から遊びの誘いをいただく。
(それにしても、私に連絡をくれる友人は圧倒的にこのブログを見ていない人が多い。
このブログを読む価値がないといち早く判断したのだろう。
我が友人ながら先見の明がある)

正直に断ってみる。
「ごめんね、お茶するお金もないんだ」

ブログ見てない友人だから「病気の状態がよくない」とか「今は勉強しないとだめから」と断る手もあるんだけどな。

ああ、せっかく連絡してくれたのに嫌われたかな。

友人の誘いを「お金がない」って断る人種。
学生時代、すごく嫌いだった。
友達とお金を天秤にかけるなんて!!!
そんなカネの亡者になんてなりたくない!!!
ずっとそう思ってた。
そういう私が一番カネの亡者だったのかもしれない。

友達はすごく驚いていたし、あまり信じていないようにも見えた。
そうだよね、学生時代ヴィトンにフェンディ、プラダ持ってバーバリーばかり着ていた私が「お金がない」なんておかしいよね。
だからと言って家庭の事情を一から説明する気にはなれない。
大体自分の病気を説明するだけで結構大変なのに。
ただのケチって思われたかも。
今じゃマクド(関東ならマック。正式名称はマクドナルド)も高すぎて手がでないよ。

なくなって初めて分かるお金のありがたさ。
きっと何も考えずに湯水のようにお金を使っていた私を見て、神様がこらしめたんだ。
はい、神様。
よくお金の大切さが分かりました。
今まで本当にごめんなさい。
でもこの若さでお金の大切が分かってよかった!!
だからありがとうございます

友人に嫌われたかもしれないって思うとなんだかせつないけど、もう自虐的にはならないって決めたからこのことを考えるのはやめよう。
でも六月終わりから七月にかけて、また友達の誕生日が集中してるんだよなあ。
プレゼント、あげたいなあ。
ああ、また自虐的になりそうで怖い。
六月、七月生まれの友人達よ(9割方この記事を見ていないだろう)。
プレゼント、宝くじが当たったらあげるからね。
宝くじが当たらなかったら夢でみんなにプレゼントをあげることにする。

語学学習ブログの行方

2006-05-25 02:15:51 | ☆お知らせ☆
語学学習ブログとは、こちらのブログの読者からはほとんど忘れさられている悲しい存在のブログである。
サイバーエージェントによるアメーバブログというものを使用していたのだが、あまりにも変なトラックバックが大量につく。
よってトラックバックを拒否したところ、変なコメントがつく。
さすがにもう我慢の限界なので、思い切ってブログを移転することにした。
このgooブログはそんな変なトラックバックやコメントが少なくていいなあ。
というわけで、uchoの語学学習ブログ☆polyglotへの道☆の移転先は↓
http://uchofrench.blog68.fc2.com/
最近英語と日本語の勉強が主になってしまっているuchoでした

やはり神様っている!?その2

2006-05-22 15:23:53 | ☆日記・随筆☆
【前回までのあらすじ】
アダムス騒動で気分の沈んでいたuchoのもとへ神様が7人の侍ならぬ7人の救世主を遣わしてくれた。一方、母はいつも犬にほえられる。

その1に書いた七人の救世主にプラスして、このブログでのみなさんの温かいコメントや、同じSLEの友達からメール、別の親友(25歳男性・九月から新聞記者)からのメールや電話をもらったりしてなんだか感極まってきたところへ、もう一つ神様からのプレゼントが私の元へ届いた。
なんと映画のタダ券が手に入ってしまった。
ダ・ヴィンチ・コードに使える券だ。

思えば「ダ・ヴィンチ・コード」は日本語の本も英語の本もいただき、試写会鑑賞券まで当たって母が行き、さらに私もタダで見にいくこととなった。
神様、本当にありがとう。

神様って本当にいる気がしてきた。

正直、私が子供が産めなくなったのも神様の仕業じゃないかと思うのだ。
中高時代の私を知っている友人なら知っているだろう。
どれだけ私が「子供嫌い」「子供うざい」「絶対いらん」を連呼していたかを。
子供とは未来の地球を担うかけがえのない存在であり(細木数子の言葉より)そんな大切な存在をあれだけけなしていたら神様も怒るだろう。

それでも悩んでいたらこんなに周りの人が支えてくれるようしむけてくれたということは神様はまだ私を見捨てていないということだ。
ということは神様というのは全能なわけでSLEを完治させることもできるわけだ。

「言霊」というのを信じるか信じないかは人の自由だが、「子供いらん」を言いまくっていた私が子どもが産めなくなり「お金さんありがとう」を連呼していたらやたら懸賞に当たるようになったことを考えると「言霊」というのはやはり存在するかもしれない。
毎日「完治するぞ」と前向きに頑張れば、奇跡は起こるかもしれない。
そう思おう。そう思うべきだ。そう思わないとやってられない。

堂々と難病患者でいよう。
病気であることを恥じる必要はない。
病気は恥じゃない。
健康な人より病人が劣っているって誰が決めた?
病気だから見えてきたことは数多いし、病気だからって人より劣っているとは思わない。
さらに血液検査での血の抜かれ方や点滴のされ方、入院の快適な過ごし方においては健康体の人より間違いなく優れた対処法を身につけている自信がある。
この病気により私は正当な理由で無職でいられ、たっぷり勉強する時間が与えられている。
病気により与えられた時間を勉強に費やすことによりもしかしたら私のIQも180になるかもしれない。
東大にも行けるだろう(新幹線に乗って東京に行き、赤門をくぐればいいのだ)。

問題は中高時代「子供いらん」と同じくらいよく言っていたのが「35歳で早死にする」(美人薄命に憧れていた)であり、今になって命が惜しくなってきたのでこれから十年間この言葉を訂正することに命をかけようと思う。

やはり神様っている!?その1

2006-05-22 15:19:46 | ☆日記・随筆☆
【前回までのあらすじ】
大腿骨壊死の疑いによりマイケル・ダグラスで、MRIがスターウォーズでダニエル・キイスとなり、婦人科のパッチアダムスに心沈むuchoであった(以下これをアダムス騒動と略す)。

私はキリスト教徒ではない。
十年間キリスト教の学校に通い、三年間キリスト教の病院に通い、クリスマスは毎年盛大に祝ってはいるものの、敬虔なクリスチャンとはほど遠い。
中高時代の聖書の授業は必ずといっていいほど寝ていたのだ(先生がイケメンでなかったことが主な理由である)。

さらに家は臨済宗であるが仏教徒でもない。
かよわい乙女の私は正座が十五分と持たないのだ。

そして家のまわりにはやたら神社が多いが、神道を信仰しているわけでもない。

よくアラビア語会話を見ているがイスラム教徒でもない。

できればすべての神様にあやかろうとほくそ笑む典型的日本人だ。

だがそんな信仰心の薄い私も最近やはり神様がいる気がしてならないのだ。

というのも、いきなり久々の先輩(28歳男性・イケメン公務員)・後輩(22歳男性・大学生/22歳女性・大学生)・友人(24歳女性・アパレル勤務/24歳女性・中学教師)からの連絡が来た。
しかも全員私のブログを全く見ておらず、内容は全員「久々に元気かなあと思って」というものだったのだ。
ブログを見ていないため全員私のアダムス騒動を知らないので一からの説明が必要だ。
先輩・後輩・友人のためなら労を惜しまない優しい心の私は「大腿骨壊死がダニエルになってアダムスにショックを受けている」と明確かつサルでも分かる文章でそれぞれに自分の近況報告をしておいた。

それにしても私が悩んでいることを知らない五人からいきなり連絡が来るのはびっくりした。
これは野球がセ・リーグとパ・リーグの二つに分かれているということを知ったとき以上の驚きだ。
神様が私をなぐさめるために五人にメールや電話をするようしむけてくださったとしか思えない。

しかもブログを読んで我が親友たち(24歳女性・アパレル勤務/25歳女性・トリマー)からも心配してメールが来た。
トリマーの親友は私をなぐさめようとこんな写真をくれた。

 

あははははははは

フクロウ=不苦労。
この写真を見ていたら幸せがきそうだ。
この記事を読んでくださっている方々にも幸あれ!!!

ありがとう、親友よ。
それにしてもなんてにくめない表情のフクロウなんだ。

さらにわんちゃんの写真もくれた。

 

わが親友の飼っているちこちゃんだ。
ちなみにこのちこちゃんは我が母上が親友のおうちにお邪魔したときにほえまくった。
母はいつもちこちゃんといえばその話をするが、ちこちゃんは間違いなくそのことを忘れているだろう。
母は犬好きなのにもかかわらず、なぜかわんこにほえまくられる傾向があり、私は母がと勘違いされておいしそうと思われているのだろうとにらんでいる。

【続く】

母、ダ・ヴィンチ・コードの試写会に行く

2006-05-20 09:04:10 | ☆日記・随筆☆
【前回までのあらすじ】
 難病と闘ういたいけな乙女uchoはダ・ヴィンチ・コードの試写会に当選し、そのチケットを母にプレゼントした。ダ・ヴィンチ・コードにはまっていた母は踊りながらその日を指折り数え待っていた。そしてとうとう当日……。

母が浮かれている。
前日から浮かれている。
前々日から浮かれている。
よく考えたらいつも浮かれている。

よそいきの服に着替えた母を見て驚愕した。
上から下まで全身真っ黄色なのだ。
「何その趣味の悪い服は~」
「いや、おかあちゃん今日出かけたついでに宝くじ買うねん。
黄色は金運やで~」

何も全身黄色にしなくてもよいものを。
一緒に出かけなくて良かった。
ダ・ヴィンチ・コードの試写会が一名様でよかった。
そんなことを考えながら母を見送った。

試写会を観終わって帰ってきた母。
興奮は覚めやらぬようだ。
ずっとダ・ヴィンチ・コードについて語っている。
半分以上聞き流しているため詳細はよく分からないが、とりあえず映画は素晴らしいらしい。
さらに私が新聞の読者投稿でいただいた図書カードで何やらわけのわからない本を購入してさらにテンションが上がっていた。
稼ぎがないなりにいろいろプレゼントできて良かった。

試写会にはたくさんマスコミが来ていて、マスコミ専用入り口があるらしい。
そして母は間違ってその入り口から入ろうとして注意されたそうだ。
やはり一緒に行かなくてよかった。

しかしこれだけこの映画が素晴らしいことを聞くと私も行きたくなる。
私がこの映画を見るには
①チケットが空から降ってくることを願う。
②チケットが下に落ちていないか探す。
③奇特な人がプレゼントしてくれることを願う。
④金曜ロードショーで間違って放映される。
しかすべはないだろう。
などと考えながら母の話を聞いていたら朝に間違って昼の薬を飲んでしまった(さほど問題があるわけではないが)。

母の日日記4<完結編>

2006-05-17 20:47:10 | ☆日記・随筆☆
【前回までのあらすじ】
ロシア嫌いの母はわんちゃんの気持ちを代弁したためおなかがすいてベネズエラで寿司を食べた。

歯の痛む私をよそに母は満足気だった。
大好物をたらふく食べたのだから当然だ。
私ももしこれがチーズ食べ放題ならもっと満足した顔をしていただろう。
だがアライグマ食べ放題だったら満足はできなかっただろう。
不思議なものだ。

帰りにスーパー(マリオではない)で出来合いのからあげやエビチリなどが入ったパーティーセットみたいなものとエクレアとファンタを買って帰る。
全部母の好みだ。
エクレアもファンタも私は歯にしみるというのに。
仕方ない、母の日だ。

夕食も豪華絢爛(ウガンダの一般家庭の夕食に比べると)。
食事の後片付けは全部私がしたため母は結構満足しているようだった。

振り返ると、病気になるまでずっと仲が悪かったためこのような母の日を過ごしたことはない(大体母の日に家にいたことがない)。
この日一日母は楽しそうに過ごしていたのでもしかしたらちょっと親孝行ができたのかもしれない。

一人娘で無職であることを日本一の親不孝と卑下する日々だったが、無職なりに結構頑張った母の日だったといえよう。

そして母は、もうすぐある私からの母の日のプレゼントのダ・ヴィンチ・コード試写会に浮かれて今日も踊っている。

【続かない】

母の日日記3<寿司屋編>

2006-05-17 20:41:41 | ☆家族☆
【前回までのあらすじ】
ロシア人はパピで母は犬のテレパシーによりセレブはうらやましい。

ご存知の方も多いと思うが(ご存知でない方はもっと多いと思うが)母の思考は食べ物がほとんどを占めている。
思考の八割は食べ物のことで、あとの二割はダ・ヴィンチ・コードややしきたかじん、上沼恵美子が占めている。
だからこそ肉の日は踊りだしたりする。
そんな母はおなかがすくと動けなくなる。

ペットショップを出ると、母は動けなくなった。
おなかがすいたのだ。
その日朝から娘特製ベーコンエッグやチーズサンドを食べたというのにわんちゃんの気持ちを代弁することですべて消化してしまったらしい。
しかも偽の気持ちを代弁していたのに。

とにかくおなかがすいてスーパー(メガネスーパーではない)まで行く力がなくなってしまったので近くの寿司屋さんで昼食をとることにした。
一皿百円という高級寿司屋さんだ。
一皿百円とバカにした人、ベネズエラの通貨単位ボリーバルに換算してみてほしい。
高級寿司屋さんにしか思えなくなるはずだ(本当に換算した人はぜひ私に教えてほしい。私もいくらかは知らないのだ)。

母は寿司が好きでたまらない。
なぜそんなに好きなのかはよく分からないが、私がなぜそんなにチーズが好きなのかといわれると困るのでそれと同じことだろう。
さらになぜ私がアライグマを好きなのか、豚骨ラーメンが好きなのか、イケメンが好きなのかといわれても困るのでこれとも同じことだろう。

一皿百円の寿司であったが母は「おいしい、おいしい」と言って食べていたので来てよかったなあと思った。
だが私がこの食事代を払えないのがまた悲しくなった。

そして私は最大の盲点に気がついた。
私は知覚過敏なのである。
つまり、お寿司は歯にしみる。
少しはましになったかと思っていたが、最近熱いものしか食べないことに慣れてしまってすっかり忘れていただけであった。
いまだ知覚過敏は私を襲う。
仕方ないので茶碗蒸しを二つも頼んで寿司と交互に食べていた。

なんだかんだ言いながら知覚過敏に悩まされて一年以上たつではないか。
まさかとは思うがこのまま知覚過敏が治らないなんてことがあったらどうしよう。
このステロイドの副作用、地味なくせにかなり不便だ。
今年の夏も私はアイスが食べられないままのか?
チョコレートも食べられないままのか?
最高級フランス料理も食べられないままのか?
そんな不安を感じながら私は熱い茶碗蒸しをほおばっていた。

【続く】

母の日日記2<母と散歩編>

2006-05-17 20:37:01 | ☆日記・随筆☆
【前回までのあらすじ】
ロシア語でありがとうはスパスィーバだからパピはいじめられた。

六時起床。

最近起きるのが遅く、朝食は自分の分しか作らなくなっていたので久しぶりに家族の朝食を私だけで作る。
ベーコンエッグ、チーズホットサンド、ハムサンド、ジャムサンドを作った。
さらにステーキ、カルボナーラ、パエリアも作った(気になってみた)。
結構豪華な朝食(ギニアの一般家庭の朝食に比べたら)。

これが意外に母が喜んでいた。
やはり食べ物のこととなるとうれしいらしい。

朝食を食べながら昼食の話をする(食べ物にいやしい家族である)。
私が昼食を作るといったら拒否をされ、寿司が食べたいと母が言う。
それならスーパー(マンではない)で寿司を買おうということで親子水入らずでスーパー(スターでもない)にでかけることにした。
遠いスーパー(カミオカンデでもない)に行って途中にあるガーデンフィールズ(たくさんのわんちゃんと遭遇できる天国のような場所)でわんちゃんを見ようということになった(母も大の犬好きだ。犬の大好きではない)。

そして散歩がてらガーデンフィールズへ。

   

お花がきれいだった(写真がぼやけているのは携帯のせいか、カメラマン<私である>の腕が悪いか、誰かがのろいをかけたかのいずれかである)。
母はかなりの花好きで花の種類に詳しい。
通りすがりに花を見つけると大体の花の名前を聞いてもいないのに説明する。
私は花の名前なんて有名なものしか分からないため母の言っていることがよくわからない。
だが母の言うことはいつもよくわからない。
写真の花も全部名前を教えてもらったがすっかり忘れた。
つまりここを通っているときのucho親子の会話は全く意味がなかったということになる。

それからガーデンフィールズ内ペットショップへ。

   

盗撮。
というよりもかなり堂々と写メールをとっていた。
それどころかムービーまでとっていた。
このかわいさを何とか手元においておきたかったのだ。
私は「かわいい~かわいい~」を連呼しながら携帯を片手にムービーをとりまくっていたが、母親は違った。
ucho母もはじめは「かわいい~」だけを言っていたのだが、段々犬に話しかけるようになった。
しかも言わなくていいことまで大きな声で話しかける。
「あ~あ~かわゆいね~。飼って~って言ってるの?(誰も言っていない) ごめんね~、おかあちゃんとこ飼えないのよぉ。わんちゃん飼う余裕がなくてねえ(私が無職のせいだ)。飼ってあげたいんだけどねえ。誰かセレブに飼ってもらってねえ」
何も犬に自分が貧乏なことをアピールする必要はないだろう。
ちなみに母は「犬を買っている家」はすべてセレブと呼ぶ。

しばらく母はそうやって話しかけていたがだんだん話す内容が変わってきた。
というのも、なぜか自分が犬になりかわってしゃべりはじめたのだ。
「あ~あ~(この接頭語の意味が分からない)ぼくお外出たいよう~。ぼくを飼ってよぉ~。あ~もう眠くなってきたよぅ。寝ようかな。でもまだ遊び足りないなぁ~」
何が楽しくて犬の気持ちを大きな声で話すのか(テレパシーで分かるのか?)。
そして私は気づいた。
その犬はメスだった(つまりこのテレパシーは偽物だ)。

あまりにも恥ずかしい母の行為に今日が母の日であることも忘れて私は他人のふりをして母から離れていった。
「あんな変な人知らない」と自分に言い聞かせながら。
そして一人で偽の犬の気持ちをしゃべっていた母はペットショップの店員さんに話しかけられていた。
「わんちゃん飼われているんですか?」
「いえ、昔はねぇ~飼ってたんですけどね~(ちなみにこの昔というのは四十年以上前。母が子供の時の話である)今のマンションはね~ペット飼っちゃいけないんですよ~(これは事実なのだが、さっき犬にはペットを飼う余裕がないと言っていたことを考えると母なりに人間には見栄をはっているようだ)」
私はあまりの恥ずかしさにその場をさらに離れた。
だからその後の店員さんと母の会話は知らない。

店員さんとの話を終え、わんちゃんグッズの方に非難した私のところへ母が来た。
そして親子で最近のわんちゃんグッズのすごさに目をみはった。
「うわっ、ぜいたくぅ~!!!!!」
服からリードから食べ物、おもちゃにいたるまでぜいたくすぎる。
母が「犬を飼う家」をセレブと呼ぶのも分かる気がする。
最近のわんちゃんは間違いなく私より良い生活をしている。
なんだかセレブに飼われる犬になりたくなった初夏のひとときであった。

【続く】

母の日日記1<母の日カード編>

2006-05-17 20:19:10 | ☆家族☆
母の日。
前々からプレゼントがあげられないことに自分を責めあぐねていたが、親不孝はなはだしい娘だけど、できる限りの親孝行をしようと思い立った。

以前このブログに母の日のプレゼントがあげられないという超自虐的な読む価値のない記事を書いたところ、そんな記事を読んでくださった温かい心を持った方たちからカードもいいよとアドバイスをいただき実践してみることにした。

よし、母と祖母にカードを書こう。

だが、正直カードというのは照れくさい。
大和撫子の心を持つ私としては「ありがとう」と書くのが恥ずかしい。
何度ロシア語で書こうと思ったことか。
Спасибоと書けば何も恥ずかしいことはない。
しかし意味が通じることもない。
特に保守的な考えを持つ母はロシアが大嫌いだ。
母への感謝を表す日に嫌いな国の言葉をわざわざカードに書くほど私は嫌味な人間ではないのでロシア語で書くことを断念した。
それに祖母はСпасибоが何語さえも分からないだろう。

でも「ありがとう」という文字がやはり恥ずかしい。
そしていろいろな当て字(蟻蛾塔や有餓島など)を考えたものの、ふと24歳にもなって何を考えているんだと我に返り、英語で書くことにした。
筆記体でかっこよく(という理由は表向きでブロック体だと恥ずかしかった。私は相当の大和撫子である)。
そしてふとした疑問が私の頭をよぎる。
「おばあちゃんは筆記体が読めるのだろうか」

このカードが喜んでもらえたかは分からない。
だが『ダ・ヴィンチ・コード』の鑑賞券の方が喜んでいたように見えたのは間違いない。
やはりカードなんてうれしくないのかなあ。

まあ、自分が何かをしたという自己満足はできたからいいとしよう(人間は自己満足の生き物だ)。
稼いでないんだもん、これくらいしかできないんだから。

実はこの母の日、今年はパピとの四周年記念日と重なっている。
去年三周年記念日がパピが仕事だったので、
「あ~男の人ってやっぱり仕事が大事なのね。
本当にあなたって愛のない人よね」
と嫌味をたくさん言ったため、今年は休みにあたり非常にうれしそうに
「今年14日休みやで~」
と言ってきたのだが
「えっ母の日と重なってるやん」
の一言で四周年記念は祝わないこととなった。
母の日とパピ、母の日の方が大事に決まっているだろう。
しかもパピは働いているにもかかわらず母の日に何もしないと言ったので、私は憤慨し「働いてるくせに何もしないなんて最低」と言ってやった。
パピをいじめるのは楽しい。
あれだけ非難したのできっと気にしてお母さんに何かしたことだろう(パピは非常に気にしいだ)。
でもカードは書いていないだろう。
パピは字が下手すぎるのだ(しかも字が下手なことに変なプライドを持っているから手に負えない)。
そしてパピは四年と一ヶ月記念日に仕事が入っていたらまた私に罵詈雑言を浴びせられる運命となる。

【続く】

病気になって良かった!!!

2006-05-15 10:02:36 | ☆健康☆
最近ずっと自分が無職なことに落ち込む日々だった。
原因ははっきりしている。

まったく個人的な話だが、五月は私の友人の誕生日が多い。
友人の誕生日を迎えるたびに、お祝いをしたくなる。
私はプレゼントをもらうより人にあげて喜んでもらうのがたまらなく好きなのだ(だからといってプレゼントをもらうのが嫌いなわけではないので現在私に何かプレゼントをあげようと計画している人はぜひ実行してほしい。計画していない人もぜひ実行してほしい)。

そのときにいつも自分は全く稼いでいないから友人にあげるプレゼント代がないことに気づき、自分を責める。
私が稼いでいっぱいお金もっていたら素敵なプレゼントを友人にあげることができるのに。
どうして私は無職なんだ。
友人にプレゼントもあげられないなんて、無能な人間はなはだしい。
こう思ってしまうのだ。

そして五月には母の日もある。
同じことを思う。

さらに親友の就職が決まりお祝いしたいというのも重なった。
(この親友にはえらくお世話になっているため、母と宝くじが当たったらどんな高価なプレゼントをあげようかという話で非常に盛り上がった。ありえないくらいバカな親子である)

自分が病気で無職だから友人と会う資格がない。
病気で膨れ上がったぶさいくな顔を見られるのも嫌だ。
素晴らしい友人たちと比べ、私はなんて無能な人間なんだろう。
そんな劣等感にさいなまれる日々だった。

でもふと思ったのだ。
病気になって無職になったのが私でよかった。
劣等感を感じているのが私でよかった。
よく考えたら私が無職で無能でぶさいくであることで、反対に友人には劣等感をうえつけることはない。
中小企業に勤めている人が大企業に勤める友人を見て劣等感を感じてしまっても、無職の私を見れば気が楽になるだろう。
顔がぽっちゃりしている人が美人の友人を見て劣等感を感じてしまっても、数倍顔の膨れ上がった私の顔を見れば気が楽になるだろう。
私は何も恥じることはない。
無職でぶさいくであることでも「友人に劣等感を与えない」という利点があるじゃないか。

私が有名企業に勤めて美人でスタイルがよくて何もかもがうまくいっていたら、悪気はなくても周りの友人たちに劣等感を与えることは否めない。
私、病気になってよかったかもしれない。

振り返れば、本当に病気になって良かったと思う。
私が病気になっていなかったら将来の夢もよく定まらないまま企業名だけで就職活動をしていただろう。
そして就職難の時期だし、内定がとれたらどこでも就職しただろう。
TOEICは450のままだっただろう。
身長は157のままだっただろう。
足は22.5のままだっただろう。

今の私。
自分を見つめなおす時間ができて本当に何がしたいか見えてきた。
語学が好き。
文章を書くのが好き。
話すのが好き。
語学をつかった仕事、翻訳がやりたい(病気が治れば通訳も)。
私は有名企業に勤めたいわけでもないしモデルになりたいわけでもない。
総理大臣になりたいわけでもないしカメレオンになりたいわけでもない。

夢に向かって頑張ることは非常に楽しい。
夢がかなったときの自分を思い描いてにやにやするのだ。
たとえそれが今の自分の能力からするとはるか遠い道のりでも。

病気になって良かった。

好きなことが見つかった。
夢ができた。
TOEICが上がった。
料理ができるようになった。
編み物ができるようになった。
母と仲良くなった。
ブログを作ってたくさんの人と交流するようになった。
スペイン語、フランス語、イタリア語、ロシア語を勉強しはじめた。
アラビア語、タイ語、中国語に興味がでてきて今にも勉強しだしそうな勢いだ。

そして、友人たちに劣等感を与えない。

いいことづくしじゃないか。

毎日やることがたくさんあって日々充実している。
こんな幸せな人生を病気が与えてくれた。
病気にも感謝しよう。
病気よ、私のところに来てくれてありがとう。

なんだか朝お弁当を作りながらふとこんなことを思ってブログに書いていたらもう用意しないといけない時間だ。
これからダンディアンとの密会に行ってきます。

ダ・ヴィンチ・コード鑑賞券が当たった!!!

2006-05-13 18:56:30 | ☆日記・随筆☆
今私は非常に興奮している。
これはさっきイケメンの先輩から「元気か?」とメールが来たからではない(しかしこれもやや興奮している原因なことは否めない)。
なんと、ダ・ヴィンチ・コード試写会鑑賞券が当たったのである。

かなりびっくりだ。
非常にうれしい。

というのも、これを母の日のプレゼントにしようと思う(試写会はハガキ一枚につき一名限り)。

先日から母の日が近づくにつれ私が無職でプレゼントをしてあげられないことで自分を責めてばかりいた。
食事を作ると言ったところ「えーーーそれなら何か買ってくる」と言われてしまい、なすすべもなかった私だがこれで少しは親孝行ができたということだ。
母のダ・ヴィンチ・コードのはまり様はすさまじく、昨日もダ・ヴィンチ関連のテレビ番組を口をあけたまま「ほえ~」と言いながら見ていた。
私にダ・ヴィンチ・コードの本をくれた友人と電話で話をしていたらわざわざやってきて「ダ・ヴィンチ・コードありがとう~。面白かったどぇ~す」と誰も聞いていないのに電話口に語りかけ、友人を困らせていた。
これならこの鑑賞券はなかなか喜ぶプレゼントとなるだろう。

それにしても最近の一番の気がかりは母の日にプレゼントができないことにあったので、なんだか少し胸のつかえがおりた。
母の日の前日に試写会鑑賞券が送られてくるとはやはり神様がいるとしか思えない。
神様、感謝です

それにしてもすごいなあ。
前も友人のコンサートの知らせが届いて行けないことに嘆いた次の日に新聞社から電話がかかってきてコンサートに行けるようになったし。
私全然大殺界やないやん。
こんなにうれしいことがあっていいのかね。
無職で無能な私でも神様は見捨てていないってことだね。
それとも無職で無能だから同情してこんな幸せをくれるのか!?
なら無職で無能でよかった!!!!

私は毎年おばあちゃんも母の日に祝うことにしているのだが(母の母だし)今回それができないのが残念だ。
仕方ないので新聞の読者投稿でもらった図書カード(いまだにちょくちょく載って稼いでいる)で漢字クロスワード(ばあちゃんの唯一の趣味)の雑誌をプレゼントする。
ダ・ヴィンチと比べると情けないプレゼントだがまあ仕方ない。

とにかくすっかり良い気分で母の日が迎えられそうだ。
神様、バンザーイ

今日はブログ書かないつもりだったけど、あまりにも興奮したのでちょっと書くことにしました
何のオチもなくてごめんなさいね

過去の栄光

2006-05-12 15:13:20 | ☆日記・随筆☆
毎日鏡を見る度自分の顔をなぐりたくなる。
しかし実際なぐってしまうとさらに顔がはれて膨れ上がることに気付いていつも思いとどまっている。
我ながら先見の明がある。

自分のぶさいくさを自覚しても自虐的になるだけなので、ここで過去の栄光にひたってみようと思う。
過去といっても縄文時代まではさかのぼらない。
私が生まれていないからだ。

というわけで昭和50年代後半の私の写真を見てみよう。

  

この三枚の写真を見てみなさんがまず思うことはこれは赤ちゃんの写真だということだろう。
さらにこの赤ちゃんは人間であることも写真から読みとれるはずだ。

私の顔をご存じない方は信じられないかもしれないがこの赤ちゃんは私だ。
私の顔をよく知っている人はさらに信じられないだろう。

この赤ちゃんは私だといっても私が現在この姿をしているわけではない。
ブログを書ける赤ちゃんなんてマスコミが放っておかないだろう。
有名人になりそこねたようだ。

それにしても二十四年という年月は人をこんなに変化させる。
二十四年後こんなにぶさいくになると一体誰が予想しただろう。
本人が一番びっくりしている。

一番左の写真は何を持っているかというとなんと筆ペンらしい。
この頃は筆ペンに興味があったらしい。
二十四年後にはそんな興味はすっかりなくなってしまっている。

それにしても心臓病を患っているとは思えないほど愛らしい。
現在の私も難病を患っているとは思えないほど愛らしければいいのに。
よく難病を患っているとは思えないほど元気だねとは言われるのだが。
どうも私の友人たちは「元気」という言葉の定義に「愛らしい、かわいい、美人だ」という意味が入っていないことを知らないらしい。

毎日鏡を見る度に非常に落ち込んでしまうので一瞬家中の鏡を割ってしまおうかと思ったのだが、鏡を割るとなんだか呪いがかかりそうな気がするので思いとどまった。
しかたないのでこの過去の栄光の写真を大きく印刷して家中の鏡にはろうかと思っている。
そして家族全員が迷惑こうむることとなるのだ。

ucho家『こどもの日』日記

2006-05-12 14:31:12 | ☆日記・随筆☆
こどもの日。
端午の節句。

小さい頃からこの行事が好きだ。
男の子の日だが、「こどもの日」という名称のため子供時代ずっとプレゼントをもらっていた。
一人娘で家に「こども」は私一人しかおらず祝ってもらうのは私だけだったからだ。
物心をついたときにはもうこの行事が本当は男の子のためであるものは分かってはいたのだが、プレゼントをもらいたいがためにそれに気付いていないふりをしていた。
相変わらずかわいくない子ども時代を過ごしている。

さすがにこの年になると「こどもの日」にプレゼントはもらえない。
「こどもの日」以外にも「おとなの日」や「おんなの日」、「若者の日」などあればいいのにと思ってしまう。
さらに「難病患者の日」「膠原病の日」「SLEの日」などもつくっていただけるとありがたい。

このブログを読んでいない人はご存知ないだろうが、ucho家は日本文化を非常に重んじる家庭である。
よってもちろん「こどもの日」も家に一人も子供がいないにもかかわらず盛大に祝う。
去年はこどもの日ケーキを買って祝った。
しかし今年は経済的余裕がないためケーキは買わなかった。

  

ちまき、柏餅、赤飯。

今年の「こどもの日」はこれだけで少し寂しい。
これは私が無職なせいだとまた自分で自分を責める。

さらに「こどもの日」と言えば菖蒲湯に入るのが基本だが今年は菖蒲も買わなかった。
「今年は菖蒲なしね~」と母に言われ、ああ私が無職だからと自分をまた責めながらお風呂に入るとなんと柏餅についていた柏の葉がお風呂に入っていた。
目が悪いため緑の変なかたまりがお風呂に入っていることにびっくりしてまた「ひょえ~!!!」と叫んでしまった。
その叫び声を聞きつけ母がやってきて「ええやろ、菖蒲の代わりに柏いれてん」と一言いって去っていった。
柏湯は何か良い効能があるのだろうか。
そう思いながら柏湯につかっていた「こどもの日」であった。

MRI

2006-05-06 10:55:48 | ☆健康☆
今頃になってMRIの話。

ブログを始めて結構経つというのに未だに文章をまとめる力がついていないらしい。
一つのことにたらたらと長く書いてしまうため、ブログネタはたまる一方だ。
と、また話が違う方向へとすすんでいる気がするのでこのへんで話を戻しておこう。

MRIというのは詳しく知らないが放射線科に行ってくださいと言われたので多分放射線を浴びさせる機械なのだと思う。

放射線。

私は小さい頃からこの言葉に臆病だ。

というのも私は心室中隔欠損症という心臓病を持って生まれてきた。
これは簡単に言うと心室に穴があいている病気で、ただのバケツにあいた穴とは違い穴は自然に大きくなったり小さくなったりする。
つまり定期的に現在心臓の穴がどのくらいの大きさなのかを見なければならないので頻繁にレントゲンをとっていた。
穴が大きくなれば手術が必要、小さくなってなくなれば完治するといったもので、日頃の行いが良いため私は完治した。
完治してからというもの、「小さい頃心臓病だった」というと周りから大病を克服した悲劇のヒロインのように見なされるためこの病気を持って生まれたことは私にとって一つの勲章となっている。
ちなみに、心臓の悪い赤ちゃんということで母は食べ物から何から非常に気を遣わなければならなかった。
反対に当の本人は心臓が苦しかった記憶なぞ何もないわけだから、実際に心臓病を克服したのは母のおかげであると言える。
だから私が昔心臓病だったことを自慢の種に使っているなぞ母には口が裂けてもいえないわけだ。
この心臓病、0歳~9歳まで持っていたわけであるが、小学生のときにレントゲンは放射線を浴びさせるものだと知った。
小学生の頭で「放射線」といえば、すぐ思いつくのは原爆だ。
私は原爆と同じ性質のものを人より多く九年間も浴びてきたのか。
そう思ったら非常に恐ろしくなった。

そうか、どうりで人より極度に運動能力がないはずだ(つまり本当は私はスポーツ万能なのだ)。
もしかしたらこの美人とはとうてい言えない顔も放射線により変形してしまったからかもしれない(つまり本当は私は美人なのだ)。
記憶力がないのももしかしたら放射線のせいかもしれない(つまり本当は私はIQ180なのだ)。

と、すべての私の欠点をレントゲンの放射線による副作用(?)のせいにすることでとてもすっきりした気分になった。
責任転嫁することにより気分が晴れやかになる事実がここで証明されることによって人間のエゴイズムが垣間見れる。

そして放射線科に向かいながらまた放射線を浴びることにより何かの責任転嫁ができるなあなんて思っていた。
おそらくこんなことを考えながらMRIにのぞむのは私くらいだろう。

検査というのはいろいろな種類があるが何の痛みもないMRI検査はいいものだ。
(個人的に髄液を抜かれる検査を何回かしたがあれは結構痛かったからもうしたくはない)
ただなぜあんなにガリゴリ音がうるさいのだろう。
きっとこれは私の耳がいいせいだ。
このリスニング力を英語の試験にも生かせないものかと一人で考えていた。

MRIの結果はまだ出ていない。
しかし結果ははっきりしている。
大腿骨壊死ではない。
というのも、もし大腿骨壊死であっても多分私はそれを自分だけの胸にしまって親には言わない。
無職の私に手術代を出してと親に言う権利はない。
無職の私に手術代を出す貯金もない。
そう、よく考えたら大腿骨壊死の手術が私は受けれないのだ(世の中は金持ちだけが長生きできるように作られている)。
それに手術なんて痛そうだから受けたくない(この理由も大きい)。
つまり、私は大腿骨壊死ではない。
だからMRI検査を受けたのは無駄だったといえる。
人生に無駄はつきものだ。