さて、月曜日にもなって土曜日にあったゴスペルコンサートのことを書きたいと思う。
だが、わざわざタイトルに「その1」としたのは多分一つ目の記事ではゴスペルコンサートをすべて見終わるまでを書けないと予想したからだ。
もう一つ予想するならば、多分ゴスペルコンサートが始まるまでもいかない。
さらに予想するならば、コンサート会場に行くまでもいかない。
この予想はかなりの確率で当たるだろう。
この確率は堀江元社長がいきなり釈放されてまたライブドアの社長に就任する確率より高いと胸をはって言える。
また閉会式を迎えたばかりの冬季パラリンピックが明日また開会される確率よりも高いだろう。
さらに言うなら私が明日からアラビア語が話せるようになる確率よりも高いし、今日私が筋トレをする確率よりも高い。
とにかく京都で開催された我が親友のゴスペルコンサート。
五時半開場、六時開演。
かなり微妙な時間だ。
夕食を食べるタイミングが問題だ。
コンサートが二時間ほどあれば家に帰るのは十時頃になってしまう。
十時頃に夕食を食べると、ただでさえふくよかな体がさらにふくよかになってしまう。
しかも空腹を感じながらコンサートを聴くのは親友に対して失礼だ。
私は礼儀をわきまえた女だ。
というわけで、五時頃に少し早い夕食をとろうと思い立った。
だが、一つここで問題がある。
私は非常に寂しがりやさんなのだ。
一人で食事というのがあまり好きではない。
もちろん私も大人なのだからできないことはない。
だがすすんでしようとは思わない。
よく考えたらわざわざ京都まで出るわけだから、私に会いたがっているのに会えずにいるたくさんの京都にいる友人たち(この場合のたくさんは0以上の数字を意味する)の一人を誘ってみようと思い立った。
そこで、京都に住む中一からの親友をお茶に誘った。
ここでネットを通して私と出会った人は「あれ? uchoってやたら親友が多くないか?」と疑問に思われるかもしれない。
思われないかもしれない。
ただ言えるのは、この記事を読んでいない人は間違いなく疑問には思わないということだ。
とにかく、ゴスペルを歌うのも私の親友、お茶に誘ったのはまた別の親友だ。
なぜこんなに親友が多いのか?
それはもちろん私の人格のなせる業である。
この場合の人格とは以下のことを「親友」の定義とする人格である。
①私が一緒にいて楽しいと思う人(この場合むこうが私と一緒にいて楽しいかどうかは考慮に入れない)。
②私が話が合うと思う人(この場合むこうが私と話が合うと思っているかどうかは考慮に入れない)。
③私が尊敬し、頼れる人(この場合むこうが私のことを尊敬せず頼っていなくてもかまわない)。
以上の条件をすべて満たす友人たちを私は「親友」と呼んでいる。
つまりむこうが私を「親友」と呼んでいるかどうかは私にも分からないし、分からないままでいい。
人間知らなくていいこともある。
そして京都の親友は私からの誘いを非常に喜んでくれ、なんと仕事を休んでくれた。
そこまでしてくれて私に会ってくれるとは感動だ。
「夕食を一人で食べるのはいや」という小学生のわがままのような思いつきから誘った自分を恥じる。
よって彼女にはこのはじめの思いつきは隠しておくことにしよう。
やはり人間知らなくていいこともある。
さらに彼女から前日に電話がかかってくる。
彼女のお母さんが車でコンサート会場まで送ってくれるというのだ。
確かに阪急の駅からコンサート会場まではかなり遠い。
だが地下鉄を使えばそこまで遠くはない。
なんだか悪いなあと思いつつ、その申し出を受けることにした。
これにより、私の京都への小旅行は「車でのお迎え+親友とディナー+ゴスペルコンサート」となったのである。
だが、わざわざタイトルに「その1」としたのは多分一つ目の記事ではゴスペルコンサートをすべて見終わるまでを書けないと予想したからだ。
もう一つ予想するならば、多分ゴスペルコンサートが始まるまでもいかない。
さらに予想するならば、コンサート会場に行くまでもいかない。
この予想はかなりの確率で当たるだろう。
この確率は堀江元社長がいきなり釈放されてまたライブドアの社長に就任する確率より高いと胸をはって言える。
また閉会式を迎えたばかりの冬季パラリンピックが明日また開会される確率よりも高いだろう。
さらに言うなら私が明日からアラビア語が話せるようになる確率よりも高いし、今日私が筋トレをする確率よりも高い。
とにかく京都で開催された我が親友のゴスペルコンサート。
五時半開場、六時開演。
かなり微妙な時間だ。
夕食を食べるタイミングが問題だ。
コンサートが二時間ほどあれば家に帰るのは十時頃になってしまう。
十時頃に夕食を食べると、ただでさえふくよかな体がさらにふくよかになってしまう。
しかも空腹を感じながらコンサートを聴くのは親友に対して失礼だ。
私は礼儀をわきまえた女だ。
というわけで、五時頃に少し早い夕食をとろうと思い立った。
だが、一つここで問題がある。
私は非常に寂しがりやさんなのだ。
一人で食事というのがあまり好きではない。
もちろん私も大人なのだからできないことはない。
だがすすんでしようとは思わない。
よく考えたらわざわざ京都まで出るわけだから、私に会いたがっているのに会えずにいるたくさんの京都にいる友人たち(この場合のたくさんは0以上の数字を意味する)の一人を誘ってみようと思い立った。
そこで、京都に住む中一からの親友をお茶に誘った。
ここでネットを通して私と出会った人は「あれ? uchoってやたら親友が多くないか?」と疑問に思われるかもしれない。
思われないかもしれない。
ただ言えるのは、この記事を読んでいない人は間違いなく疑問には思わないということだ。
とにかく、ゴスペルを歌うのも私の親友、お茶に誘ったのはまた別の親友だ。
なぜこんなに親友が多いのか?
それはもちろん私の人格のなせる業である。
この場合の人格とは以下のことを「親友」の定義とする人格である。
①私が一緒にいて楽しいと思う人(この場合むこうが私と一緒にいて楽しいかどうかは考慮に入れない)。
②私が話が合うと思う人(この場合むこうが私と話が合うと思っているかどうかは考慮に入れない)。
③私が尊敬し、頼れる人(この場合むこうが私のことを尊敬せず頼っていなくてもかまわない)。
以上の条件をすべて満たす友人たちを私は「親友」と呼んでいる。
つまりむこうが私を「親友」と呼んでいるかどうかは私にも分からないし、分からないままでいい。
人間知らなくていいこともある。
そして京都の親友は私からの誘いを非常に喜んでくれ、なんと仕事を休んでくれた。
そこまでしてくれて私に会ってくれるとは感動だ。
「夕食を一人で食べるのはいや」という小学生のわがままのような思いつきから誘った自分を恥じる。
よって彼女にはこのはじめの思いつきは隠しておくことにしよう。
やはり人間知らなくていいこともある。
さらに彼女から前日に電話がかかってくる。
彼女のお母さんが車でコンサート会場まで送ってくれるというのだ。
確かに阪急の駅からコンサート会場まではかなり遠い。
だが地下鉄を使えばそこまで遠くはない。
なんだか悪いなあと思いつつ、その申し出を受けることにした。
これにより、私の京都への小旅行は「車でのお迎え+親友とディナー+ゴスペルコンサート」となったのである。
なんだか気持ち悪いこと言ってすみません・・・(笑)
しかし!!! 本心です。いい子だし面白いしかわいい。
見習いたいところがたくさん♪いや、見習わねば!!(言いづらい)
感謝する心や素直にありがとうと言えるuchoさん、すてきです。
あはは、とっても嬉しいですよ♪
そんなにお褒めいただいて光栄です♪
それにしてもmukuさんはsakuraさんのお友だちだけあって、sakuraさんのような面白さがありますね
私も面白い人大好きです