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日本共産党都議会議員(町田市選出)池川友一「市民とつくる都政への架け橋」

日本共産党東京都議会議員の池川友一のオフィシャルブログです。地方政治の現場からいろいろと発信していきます。

テレワークは、やっぱり仕事だった。

2020-05-04 | 日々思うこと、考えたこと

 新型コロナをきっかけに、テレワーク、リモートワークに取り組む企業が増えています。

 同時に、テレワークができない現場労働者の方々が多数いらっしゃいます。また、オンラインについては、学校教育、飲み会などあらゆる場面で活用が広がっていますが、テレワークについて思うところを書いていきたいと思います。

■テレワークは、やっぱり仕事だった

 「テレワークは、やっぱり仕事だった」と、そうした声が次つぎと寄せられています。

 私の実感もその通りです。と言っても、仕事柄、実態はパートナーがテレワークをしていることが多いわけですが。私自身も、テレワークをする日がありますが、仕事にならない(苦笑)というのが本音です。(3密どころか4密状態です…)

 「子どもが寝静まったあと、夜中にかけて仕事をしている」など、実際に共産党都議団にも子育てと仕事の両立について、たくさんの声が寄せられています。

 当たり前じゃないかという一方で、認識がそうでない人もいらっしゃると思います。

 ちなみに、東京都は「未来の東京戦略ビジョン」の「女性の活躍推進戦略」中で、「家事・育児負担軽減プロジェクト」として、取り組みを紹介しています。この中に、テレワークが掲げられています。

 子どもを抱きかかえながら仕事をする写真(下)を使っていますが、私の実感としても現実離れしているなと感じています。

 諸外国でも、テレワークが増えている現状です。テレワークができるような業態であれば、働く人たちとの合意形成を踏まえて移行していくことは重要ではないかと思います。

■保育園の入所選考の基準も、在宅ワークは不利

 もう一度言いますが、テレワークは仕事だということです。しかし、在宅ワーク(居宅内労働)が制度的には軽んじられてきたことがあるのも事実です。

 たとえば保育園の入園の際の入所選考基準。町田市では、指数で1点の差があります。1点というのは小さいどころか決定的な差と言ってもいいレベルです。

■テレワークできない事情の方々へのリスペクトが重要

 「テレワーク」を活用してほしいと言われても、不可能な方々へのリスペクトも重要だと思います。

 特に、新型コロナの最前線で対応にあたっている医療・福祉の現場のみなさんから、「テレワークと言われても…」という声をそれなりに寄せていただいています。

 これは、ステイホームと言われても、安全にステイできる住まいがない方たちに対するメッセージの出し方と同じではないかと。

 大きな方向性はそうかもしれないけれど、同時にそうできない方々へのケアも一体に行う必要があると思います。

■心地よい働き方

 テレワークには、環境整備が必要です。

 Zoomなどのテレビ会議環境やネットワークなどハード整備。子育てや介護と仕事が両立できる環境。

 『フィンランド人はなぜ午後4時に仕事が終わるのか』(著・堀内都喜子さん)の中では、心地よい働き方ということが一つの軸となっています。

 効率的に働くためにも、しっかり休むことが重要なんだということを考えると、そうした環境を整備していくことも必要だと思います。

 休みの際のデジタルデトックスも、本の中では語られていますが、「そうだよな」と思う一方でそうした割り切りが苦手なところもあり、ずるずると連絡しあっているということは反省。

 フィンランドに憧れているだけでなく、日本でも心地よい働き方をすすめていきたいと思います。

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新型コロナの子どもたちへの影響を考える──国連子どもの権利委員会の「声明」が指針になる

2020-04-20 | 日々思うこと、考えたこと

 新型コロナは、あらゆるところに影響を与えていますが、とりわけ社会的弱者にしわ寄せは大きなものがあります。

 「ステイホーム」と言われても、ステイできる家がなかったり、家はあっても虐待やDVなどで居場所がなかったり…。こうした視点を徹底的に大事にすることが重要だと思います。

 また、子どもたちへの影響も大きなものがあります。その影響をどう見るのか、どう考えればいいのかという指針の一つが国連子どもの権利委員会が出した、「新型コロナ感染症(COVID-19)に関する声明」です。(全文はコチラ→https://img.atwikiimg.com/www26.atwiki.jp/childrights/attach/327/36/CRC%20Committee%20on%20COVID19%20Japanese.pdf

■子どもの権利を保護すること

 冒頭、「子どもの権利委員会は、COVID-19パンデミックが子どもたちに及ぼす重大な身体的、情緒的および身体的影響について警告するとともに、各国に対し、子どもたちの権利を保護するよう求める」と、声明の趣旨が書かれています。

 以下、11のパラグラフ項目を転記します。

  1. 今回のパンデミックが子どもの権利に及ぼす健康面、社会面、情緒面、経済面およびレクリエーション面の影響を考慮すること。
  2. 子どもたちが休息、余暇、レクリエーションおよび文化的・芸術的活動に対する権利を享受できるようにするための、オルタナティブかつ創造的な解決策を模索すること。 
  3. オンライン学習が、すでに存在する不平等を悪化させ、または生徒・教員間の相互交流に置き換わることがないようにすること。
  4. 緊急事態、災害またはロックダウンの期間中、子どもたちに栄養のある食事が提供されるようにするための即時的措置を起動させること。
  5. 子どもたちへの、保健ケア、水、衛生および出生登録を含む基礎的サービスの提供を維持すること。
  6. 子どもの保護のための中核的サービスを必須サービスに位置づけ、これらのサービス(必要な場合の家庭訪問を含む)が機能し続けかつ利用可能とされ続けることを確保するとともに、ロックダウン下で暮らしている子どもたちに対し、専門家による精神保健サービスを提供すること。
  7. パンデミックが引き起こす例外的状況によって脆弱性がいっそう高まる子どもたちを保護すること。
  8. あらゆる形態の拘禁下に置かれている子どもたちを可能な場合には常に解放するとともに、解放することのできない子どもたちに対し、家族との定期的接触を維持するための手段を提供すること。
  9. COVID-19 に関連する国の指導および指示に違反したことを理由とする子どもの逮捕または拘禁を行なわないようにする。
  10. COVID-19 および感染予防法に関する正確な情報を、子どもにやさしく、かつすべての子ども(障害のある子ども、移住者である子どもおよびインターネットへのアクセスが限られている子どもを含む)にとってアクセス可能な言語および形式で普及すること。
  11. 今回のパンデミックに関する意思決定プロセスにおいて子どもたちの意見が聴かれかつ考慮される機会を提供すること。子どもたちは、現在起きていることを理解し、かつパンデミックへの対応の際に行なわれる決定に参加していると感じることができるべきである。

■オンライン学習について言及している

 3項目目のオンライン学習についてです。このパラグラフの全文は下記の通りです。

 オンライン学習が、すでに存在する不平等を悪化させ、または生徒・教員間の相互交流に置き換わることがないようにすること。オンライン学習は、教室における学習に代わる創造的な手段ではあるが、テクノロジーもしくはインターネットへのアクセスが限られているもしくはまったくない子ども、または親による十分な支援が得られない子どもにとっては、課題を突きつけるものでもある。このような子どもたちが教員による指導および支援を享受できるようにするための、オルタナティブな解決策が利用可能とされるべきである。

 これは、非常に重要な指摘だと私は思います。

 実際にオンライン授業を行った事例をみても、一長一短があることは指摘されています。

 声明が「生徒・教員間の相互交流に置き換わることがないようにすること」と警鐘を鳴らしていることをしっかりと捉える必要がると思います。

 年度末から学校が休校になり、卒業式など一年間を振り返る機会がありませんでした。また、年度開始で入学式のみ行った学校や入学式もまだの学校など、新しい学年のスタートを切れていないもとで、心配している子ども(保護者)が多いことも事実です。

 個人的には、登校が困難な場合など、オンラインで顔合わせや近況を交流できる機会をつくることは大事だと思います。

■意見を聞かれることが重視される

 今回のパンデミックに関する意思決定プロセスにおいて子どもたちの意見が聴かれかつ考慮される機会を提供すること。子どもたちは、現在起きていることを理解し、かつパンデミックへの対応の際に行なわれる決定に参加していると感じることができるべきである。

 子どもの権利条約の根幹である意見表明権。

 条約12条は、2つの項目からできています。

  1. 締約国は、自己の意見を形成する能力のある児童がその児童に影響を及ぼすすべての事項について自由に自己の意見を表明する権利を確保する。この場合において、児童の意見は、その児童の年齢及び成熟度に従って相応に考慮されるものとする。
  2. このため、児童は、特に、自己に影響を及ぼすあらゆる司法上及び行政上の手続において、国内法の手続規則に合致する方法により直接に又は代理人若しくは適当な団体を通じて聴取される機会を与えられる。

 今回の新型コロナの対応は「児童に影響を及ぼすすべての事項について自由に意見を表明する」ことがどれだけ確保されたのでしょうか。子どもたちの意見がどれだけ聞かれたのかは重要です。

 今回の声明の中では、意見を聞かれる機会、起きていることの理解、決定に参加していると感じることの3つがポイントになっています。

 日本では、日常的に意見を聞かれる機会が極めて乏しいことがこうした場面でも問われています。

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新型コロナでわかったこと──五味太郎さんのインタビューから学んだこと

2020-04-13 | 日々思うこと、考えたこと

 少し前に、「新型コロナでわかったこと──政治や行政のあり方が問われている」という記事をポスティングしました。

 現在進行形で起こっている問題を一つひとつ突破していくことは大切なことです。同時に、故・三上満さんが「現在とは、過去と未来の闘争の場」とくり返し言っていたように、現在の問題は過去と未来がせめぎ合っていると思うのです。

 つまり、現在を形づくっている過去に向き合い、現在を通じて未来を形づくっていくことが必要です。

■なかったことにはできないから、前よりよくしよう

 五味太郎さんのインタビューは、おとなの都合で子どもたちがどんな状況に置かれているのかを突きつけています。(引用:五味太郎さん「コロナ前は安定してた?」不安定との向き合い方

 普段から感じてる不安が、ひるがえってコロナに移っているだけじゃないかな。もっと言えば、不安とか不安定こそが生きてるってことじゃないかな。

 そう、私もそう思うのです。新型コロナの影響で見えてきたことが確実にあります。それは、新型コロナ以前から違和感があったり、ちょっとどうかなと思っていたりしていたものです。

 こうなると、世界の全体像は誰もわからない。でも、これをなかったことにはできないんだから、乗りこえていくというより、前よりよくしましょうよ
 むしろおれ、ガキたちにはこれがチャンスだぞって言いたいな。心も日常生活も、乱れるがゆえのチャンス

 わからないからこそ、前よりよくしようということは、共感できる部分が多いなと感じます。

■学校が休校になって見えてきたこと

 一斉休校は突然で横並びで、よくなかったとは思う。やっぱり日本人って、誰かが命令してくれるのを待ってるよね。その方が楽というか、やりやすいのかな。
 でも、こういう時っていつも「早く元に戻ればいい」って言われがちだけど、じゃあ戻ったその当時って本当に充実してたの? 本当にコロナ前に戻りたい?と問うてみたい戻すってことは、子どもに失礼な形の学校や社会に戻すってことだから

 この五味さんの言葉は、私を含めてすべてのおとなが問われています。友だちと遊びたい、おいしい給食が待ち遠しい、勉強や部活動をやりたいと思う子どもも少なくないと思いますが、同時に学校が休みになってよかったと思っている子どもも少なくないと思います。

 義務教育が、たまたま住んでいる地域にある公立学校に行くケースが多いことについても言及されています。

 私自身、都立高校の校則について調査してきました。中学校時代に不登校であったり、勉強が苦手だったり、家計が厳しかったりすると選択肢が狭くなってしまうという課題はありますが、高校は選択できるのです。

 一方で、小中学校は選択したいと思っても基本的には住んでいる地域によって、行く学校が決まっているというのが現実です。公立中学校の校則(生徒心得や生活のきまりなど)を見ると、本当に差があります。隣の学校では許容範囲なのに、自分の学校では禁止されていることが山ほどあります。逆もまた然りです。

 義務教育は、どこの学校に行ったとしても基本的に同じように学べることが必要でが、そこに通う子どもたちによって学び方が変わることもまた事実です。しかし、現状の学校ではスタンダード化がすすみ、目の前の子どもたちの現実から出発するのではなく、あらかじめ基準を作ってそこに当てはまるように指導していくという例がたくさんあります。

 これは、学校の仕組み(システム)に課題があると思います。この学校の仕組みについて、今回はこれ以上書きませんが、少人数学級にしたり、一斉授業方式を改善したり、何より子どもの意見が反映される学校づくりが求められていると思います。

 学校に行きたくないと思うのは、仕組みに問題があると私は思います。

 学校に行きたくない子どもに親が行きなさいというのは、子どもが「お風呂が熱い」って言ってるのに、親が「肩までつかって100まで数えなさい」というようなもので、人類は進化してるはずなのに、いまだに根拠のない根性論が……。
 熱さに意味はないけど、この熱さに耐えれば卒業証書、修了証書、そして退職金……と続いていく。で、疲れちゃって、考えるのをやめていく考えるのって面白いはずなのに。それを繰り返してるうちに、自分が何がしたいかわからなくなっちゃってる。誰かに見てもらって点数つけてもらって休みもお金ももらう。おれは「学校化社会」って名づけたよ。

 この五味さんのメッセージは、子どもたちの声におとながどう向き合うかが問われていることを示していると思います。

■子どもには礼儀正しくというのに、子どもに対しては礼儀正しくない

ーー学校が休みになり子どもと過ごす時間が増えた人が多くなりました。子どもの邪魔をしないように、大人が気をつけることって何でしょうか。

 それを問う以前に、つくづくこの社会には、子どもに人権なんてものはないなと思ってる
 たとえば、子どもが絵を描いてるわきに行って「なに描いてるの?上手ね」なんて言うのは失礼なことだとおれは思う。それはその子が描いてる絵なんだから。ピカソに対してはそう言わないでしょう。いっぱい来られると子どもはめんどくさくなって、「お花、かわいいわね」と言われたりして、ウケるものを描いてしまう。大人がやりがちなミスです。ガキに「礼儀正しく」という割にはガキに礼儀正しくない

 この中身も本当にそうだなと思うと同時に、自分自身が問われているなと思います。

 そして、悩むことが大事だとも話しています。

 限られた材料や選択肢の中で、悩むしかない。大人も子どもも。これを機に、十分悩みましょうよ。
 人生って自分の居場所を見つけることかも、って娘が言ってたけど、こればかりは子どもも大人も自分で見つけるしかない

■子どもに相談することが、子どもへのリスペクトになる

 ーー親個人ができることってないでしょうか。

 一つ、知恵としては、子どもにもばんばん相談すること。
 だいぶ前のことだけど、ある女性から「夫とうまくってないんだけど、子どものために別れられない」と相談を受けて、「それ、自分のためでしょ。子どもに相談した?」と聞いたら、してない、って。それで彼女が中高生の息子に相談したら、「早く言えよ~」って言われて、拍子抜けしたそうです。で、別居してそれぞれ会いに行ってもらうことにしたそうで、ずっと悩んでたのはなんだったんだろうって。
 親はガキより立派でも強くもないし、むしろ弱いぐらいなんだから、それを認めて、一人の人間として相談したらいいんじゃないかな

 子どもたちのことなのに、おとながすべてを決めてそれを子どもたちに従わせる社会が幸せなはずがありません。

 子どもが自分自身に関わる決定が行われるときには、意見を聞かれる権利があるというのが、子どもの権利条約の大事なポイントです。

 今回の新型コロナに伴う対応も、とにかく社会的に弱い立場の人たちにしわ寄せが行くようなものになってはなりません。そうした問題は、見えない問題にされてしまうのではなく、きちんと当事者の声を受け止めて行くことが必要です。

 どんな状況にある人に対しても、尊厳を持って関わること、リスペクトが重要だというのが私がこの五味さんのインタビューから学んだことです。

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「これは、私たちの話だ」──映画「家族を想うとき」を観て

2020-01-17 | 日々思うこと、考えたこと

 心から尊敬する人のすすめで、映画「家族を想うとき」を観ました。

 子育てしていて、それ以前と比較して最も足が遠のいた場所が映画館です。

 「ぜひ観てほしい」というので調べてみたら新宿の映画館ではもうすぐ上映終了だと知り、せっかくのおすすめだったので行こうと決心して足を運んだというわけです。

 「家族を想うとき」は、「わたしは、ダニエル・ブレイク」という映画でカンヌ国際映画祭パルムドール(最高賞)を受賞したケン・ローチ監督が引退を撤回してまで作った作品です。

 映画の内容は、ぜひ観てほしいので詳しく書くことはしません。

 映画のイントロダクション→https://longride.jp/kazoku/intro.html
 映画のストーリー→https://longride.jp/kazoku/story.html

 この作品を観た私の感想は、「これは、私たちの話だ」ということです。同時に、あの家族にどのようにしたら「あなたたちは悪くない」と伝えられるのかを深く考えさせられました。

 「ジコセキニン」──この言葉がこの社会を覆い尽くしています。どうしたら、あの家族が社会とつながることができたのだろうかと。

 地方自治に携わらせていただいていますが、さまざまな生活相談が寄せられます。

 もちろん一筋縄で解決に向かうものばかりではなく、無力感に打ちひしがれる瞬間も多くあります。

 でも、私は思うのです。「相談してきてくださってありがとう」と。誰かに相談するという選択肢を持つことそのものが、大げさでなく闘争(たたかい)です。

 誰かに相談するという選択肢を奪われている現実とのたたかいです。

 ケン・ローチ監督が、この映画をつくった上映会の中で、「私たちがやらねばならないことはひとつ。耐えられないことがあれば、変えること。今こそ変化の時だ」と述べたということを知りました。

 この言葉は理不尽な現実に声をあげ、変えようとするすべての人たちの共通の思いではないでしょうか。

 声を上げることは、時としてしんどい場面に直面することがあります。すぐに現実が変わらないこともあります。ただ、声を上げた先にこそ希望がある、声を上げること自体が希望であると私は強く思うのです。

 一人ひとりには、社会を変える力があるのです。

 話が大きくなりました。この映画を観て、今で自問自答しています。あの家族が幸せに生きるためにはどうすればいいんだろうかと。

 ぜひ、みなさんもご覧いただければと思います。

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「自分で国や社会を変えられると思う」と感じている18歳の割合は?──日本財団の「国や社会に対する意識」をのぞいてみる

2020-01-08 | 日々思うこと、考えたこと

 日本財団の18歳を対象に行っている意識調査。

 昨年11月に実施されたテーマは「国や社会に対する意識」(9カ国調査)でした。

 この内容について、紹介したいと思います。

 まず、こちらをご覧ください。

 この項目は「自身について」という問いですが、分析結果として「日本は、いずれの項目においても9ヵ国の中で他の国に差をつけて最下位となった」とあります。

 具体的には、

  • 自分を大人だと思う 29.1%
  • 自分は責任ある社会の一員だと思う 44.8%
  • 将来の夢を持っている 60.1%
  • 自分で国や社会を変えられると思う 18.3%
  • 自分の国に解決したい社会課題がある 46.4%
  • 社会課題について、家族や友人など周りの人と積極的に議論している 27.2%

 という割合です。

 特に「自分で国や社会を変えられると思う」と答えている割合は18.3%であり、次に低いドイツの66.2%と比較しても、50ポイント近い差があります。

■「解決したい社会課題」について

 日本では、

  1. 貧困をなくす
  2. 政治を良くする
  3. 社会的弱者に対する差別をなくす
  4. 障害者が住みやすい社会を作る
  5. ジェンダーの平等を実現する

 がベスト5です。

 「貧困」と「差別」は共通して解決すべき問題と認識されていると分析されています。

 私が注目したのは2番目に「政治を良くする」が入っていることです。

 全体の人数からすれば、回答したうちの2割ほどですが、ここに希望があると感じています。

■自分の国の将来について

 この調査結果は、地方自治に携わる私自身、真剣に受け止めて一緒に展望をひらけるようにしていきたいと思わずには入られませんでした。

 自分の国の将来について、

  • 良くなる 9.6%
  • 悪くなる 37.9%
  • 変わらない 20.5%
  • どうなるか分からない 32.0%

 という結果です。

 新年のブログで、「今年のキーワードは、『私たちには社会を変える力がある』」という記事をポスティングしましたが、あらためてここキーワードがあると思います。

 自分の国の将来という問いですが、これは自分の将来とも重なるものです。

 紹介した調査結果は「閉塞感」の現れであり、これまでの国のシステムや教育によってつくられたものだと思います。

 自分の将来について、希望を持つこと自体がむずかしくなっているときに、政治がどういう立ち位置で主権者である一人ひとりと希望をつくることができるのか。私自身、若い人たちとの対話を大切に、希望をつくりだすのは「あなた」だということを共有していきたいと思います。

 『スウェーデンの小学校社会科の教科書を読む』という本に接して考えたことと共通するものがあります。この本について、12回にわけでこのブログでもポスティングしてきましたが、その最後に書いた一文を参考までに紹介します。

 12回にわたって、『スウェーデンの小学校社会科の教科書を読む』の内容を見てきました。

 この本を手にした時の問題意識は「主権者教育をどうすすめているのか」というものでしたが、自分がこれまで捉えていた主権者教育が本当に狭い視野であったことを思い知らされました。

 また、スウェーデンの若者の政治参加(投票率)がなぜこんなに高いのかという問題についても、「関心が高い、低い」という次元ではなく、関心があってもなくても、一票に価値があるから、自分の一票で決定を変えられると思っているから投票に行くということにとても納得しました。

 改めて私が、この本から学んだことをまとめてみると、

    • 実生活や身近な問題と、自分たちが生きる世界がどうなっているかを一体不可分のこととして学ぶことの大切さ
    • 「ある課題」を過去のものとして学ぶのではなく、過去と現在という歴史の流れの中で学ぶことの大切さ
    • 世界人権宣言、子どもの権利条約など、国際的な到達点を学ぶことの大切さ
    • 「覚える」学びではく、「思考し、意見を述べる」学びの大切さ
    • 「すべての人は平等である」ということと、一人ひとり違うということを学ぶことの大切さ

 などに整理されるでしょうか。

 このようなポスティングをしようと思ったきっかけは、私自身がこの本を読んでよかった、みなさんと少しでも分かち合いたいと思ったからです。

 なので、ぜひこの本を手にしていただき、本文に接していただければと思います。

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